阪神淡路大震災が発生して、昨日で24年が経ちました。
当時は大阪府河内長野市に住んでいて、今まで経験したことのない揺れで目が覚めたものの、余りの恐怖に体が固まり起き上がることさえできませんでした。
関西は揺れを感じるような地震なんて殆どなかったから、家がきしむ音が怖くて何が起きたのか?と訳が分からない状態で、数分後にようやくリビングに下りてからテレビを見て、大地震が起きたことを知ったのです。
あれだけ揺れたのに、東京へ出張する予定だった夫は出かけようとしている・・・。ありえへん!
「アンタ、電車動いてると思ってんの? こんな地震が起きたら今から線路の点検するで。大和川の橋梁点検に最低でも2時間はかかる」と私。
結局、南海電車は運行せず、足止めをくらった夫と一日中テレビに釘付け状態でした。
あれから24年が経った昨日、悲しく感じたのは報道が少なかったこと。
過去の災害からまだまだ学ぶことは多いはずなのに。
災害救助のトリアージ(優先順位)もその一つです。
昨日報道されたHNKスペシャルでは、トリアージの必要性は理解できるが身内の救助を断念できるかという問いに対しては、了承できないと全ての人が回答していました。
トリアージのマニュアルがなかったために救えなかった多くの命があったこと。
その後悔を今後に生かし一人でも多くの命を救いたいと思う救助者側と、身内の命の可能性を信じて救ってほしいと思う願いが交錯します。