カウンセラーのコラム

山梨県甲府市でカウンセリングルームを開業している心理カウンセラーの雑文です。

夏季ワーク終了!

2007年07月28日 | 日記 ・ 雑文
5日間の「夏季ワークショップ・東京会場」が終わった。この夏の“最大の山場”になるだろうと想定していたので、今の気持ちは「今年もなんとかのり越えることができた。ああよかった。フゥ~(ため息)」というのが正直なところである。
この日記も昨日のうちにUPしようと思っていたのだが、帰宅してすぐ横になり、しばらくしてから夕飯を食べ、夜9時頃に風呂上りの息子を寝かしつけていたらそのまま眠ってしまった。もちろん自覚はあったが、それ以上に“心身とも疲れ切っていた”ようだ。12時過ぎにハッと気づいて目が覚めると今度は眠れなくなり、それで今これを書いているわけである。

「なんとかのり越えることができた」という言葉には、3年前の苦い経験(?)が背景にある。

その年私は、初めて“夏季ワークの世話人”を依頼された。そして本当に“軽い気持ち”で引き受けた。というのは、“夏季ワークへの参加経験”は過去に2~3度あり、そのときはいずれも“勉強になった”だけでなく、“身体的な調子も上がって元気になった”という経験をしていたからだ。
世話人を依頼されたとき、私は心中密かに「あわよくば、今回もまた元気になれたらいいなあ。参加者と世話人とでは立場が違うけど、そんなのたいしたことないだろう」と、“たかをくくっていた”のである。
しかもその年の4月から“講座の世話人”(毎週月曜18:30~21:00、2時間半の講座)をやっていて、まあ、苦労がなかったわけではないが、「なんとかやっていけるかな」という自信も芽生えていた頃だった。

そして当日(夏季ワークの初日)がやってきた。緊張感もあったが、半分は“楽しみ”もあったような、そんな心境で会場に足を運んだ。
参加者は25~6名。部屋は人でギュウギュウ詰め状態。参加者の半分以上は初対面だった。「自分はこの中で“世話人の一人”だと認識されているのだな」と意識したら、“極度の緊張”に襲われた。私はガタガタと震えていた。身体が震えていたわけでがないが、心理状態としては震えが止まらなくなっていた。
時間が来て始まった。沈黙がしばらく続いたが、やがて誰かが口火を切った。私は即座に応答した。私の身に起きていた“極度の緊張”から自分を解放するために、何でもいいからとりあえずアクションを起こすしかなかった。自分がその人に対して何をやりたのか、何をやっているのか、まったくわけがわからなかった。とにかく自分がこの場の流れの中に真っ先に参入しなければならなかった。そうしないと重圧で押しつぶされてしまいそうな危機感があった。あるいはその他にも、「私はここに存在してますよ!」とアピールして、私を参加者全員に知らしめておく必要があったのかもしれない。

そんなわけで、私のデビューは不本意ながら“パニック状態”で始まったのである。その後どんなプロセスをたどったか、紆余曲折があったに違いないと思うが、よく覚えていない。覚えているのは「とにかく必死だった」ということだけだ。

そして自分の状態に「アレ? なんかオカシイぞ!?」とはっきり気づいたのは、ワークショップ2日目の午後あたりだった。
いろんな人が自分の体験やら気持ちやらを話しているのだが、私の心には“なんの反応も生じない”のだ。何も生じないので、私は沈黙してるしかなかった。その日の午後から一言も口を聞けなくなってしまったのだ。
まるで石のように固まって沈黙し続けている私を心配してか、参加者の一人(10年ほど付き合いのある友人でもある)が、私が好んで食い付きそうな話題を私に向かって提供してくれた。しかしそれに対しても、「ええ、まあ、そうですね」と、シドロモドロになりながら返すのが精一杯だった。
そこに至ってようやく自分の状態の異常さを自覚した。“心の中が満杯”で、もうそれ以上は“何も受け付けられない状態”になっていたのだった。苦しくて苦しくて、もうたまらなくなっている自分に、悲鳴を上げている自分に気がついた。胃袋はすでに満杯。食道を越えて喉元まで食べ物が詰まっている。そこへ「さあ喰え!もっと喰え!」と、口に無理やりものを押し込まれているような、そういう苦しさだ。

3日目の朝。起きると身体は鉛のように重かった。エネルギーがまったく無い。やっとの思いで身体を引きずるように動かし、椅子にたどり着くとドカッと腰を下ろした。肩と背中がパンパンに張っている。まるで鉄板のようだ。タバコをふかしながら、ハア~と深いため息。それを見ていた妻が「どこか調子が悪いの?」と尋ねた。それにはあいまいな返事をしたが、誰がどう見ても今の自分は“病人”に見えてしまうらしいことはわかった。

会場に向かう電車の中で、私はこの2日間に自分の身に起きていることを“涙目になりながら”整理した。

時間よりだいぶ前に着いたので別室でひとりタバコをふかしていると、準備で慌ただしく動いている事務局の人に声を掛けられた。私の“ただならぬ様子”と“異様な雰囲気”を察したらしい。その人の助言に背中を押されて会場へ入った。

会場で腰を下ろした後は、時計をじっと見ていた。「早く始まらないか。早く始まらないか」と心中でつぶやいていた。話したいことが山ほどあって、喉元まで出かけていたのだ。

時計で10時を確認すると、「時間になったので始めたいのですが……」と口火を切った。まるでダムが決壊したかのように、この2日間の自分を語りだした。言葉と感情が次から次へと流れ出していった。
この2日間で私は、自分がいかに傲慢だったかを、自分がどれほど“天狗になっていた”かを、身心が悲鳴を上げるほどの苦痛を味わうことで、ようやく気づかされた。本当に骨身にしみた。完全に打ちのめされた。自分の愚かさと軽薄さと無力さとを、この痛みによって完全に理解した。
私は「自分には力がある」と思い込んでいたが、その力を発揮できていたのは、この会場にいる参加者たち、出会ってきたたくさんの仲間たち、世話になったたくさんの先生方、クライエントの方々、そしてそれらを包含する天地宇宙の自然の働き……それらのおかげであったことを、すっかり忘れてしまっていた。結局すべては「関係の中で」でしかあり得ないことを、すっかり忘れてしまっていたのだ。
ただただ、涙するしかなかった。次から次へと涙があふれ出した。

亡くなった友田先生への思いがこみ上げてきた。「私がカウンセラーをやれているのは、自分にその能力や資質があるからだ」と思い上がっていたが、真相・実態は友田先生の“世話”があったからこそだった、と初めて気がついた。
それを思うと涙の量はさらに増幅した。本当に大切な人を亡くしてしまったんだと、無性に泣けてきた。
大勢の人前でボロボロと涙を流したのは、これが生まれて初めてのことだった。そしてたぶん、今後も無いだろう。これは私の生涯でただ一度きりの出来事になるかもしれないと思っている。

……これが私の“ワークショップのデビュー戦”だった。一言でいえば“惨敗だった”と言えよう。しかし“この体験”は、今の私には他の何よりも尊い貴重な宝となっている、と言っても決して過言ではない。
“この体験”は今もなお、私の中で生かされ、活かされ続けているのである。

(1時から書き始めてフト気がつくともう朝6時だ。疲れた身心を休めなきゃいけなかったのに、逆にテンションが上がってしまった。トホホ……)

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