カウンセラーのコラム

山梨県甲府市でカウンセリングルームを開業している心理カウンセラーの雑文です。

壊れた×3

2012年01月01日 | 日記 ・ 雑文
新年早々から昨年末の“おめでたくない”近況報告をして、気持ちを新たにこれから始まる1年を歩んでいきたいと思う。

(1)12月21日に妻が使用している軽自動車のブレーキが壊れた。ガソリンスタンドによった後、サイドブレーキをかけたまま10キロほど先の小学校まで息子を乗せて走ったらしい(苦笑)。走行中に煙が出ていたので何らかの異変には気づいたらしいが、学校に着いたときにはブレーキがまったく利かなくなっていた……という話だ。
その場でJAFを呼んでレッカー移動し、販売店に行ったものの、たまたま休業日だったので翌日もう一度JAFに運んでもらって修理した。修理費は23,000円。
「大事故を起こさずに母子2人とも無事だった」と思えば、23,000円の出費で済んだのはラッキーだったのだろう……と思うことにしている。

(2)クリスマスの後だから、12月27日か28日だったと思う。任天堂のWiiリモコン(赤色)が壊れた。親子3人で遊べるように我が家にはWiiリモコンが3本ある(残り2本は白色)。息子へのクリスマスプレゼントだった「マリオパーティー8」を遊んでいたところ、赤リモコンの具合がどうにも悪いので“使用不可”の処分を下すことに。
思い出してみれば、このリモコンだけは購入当初から調子が良くなかった。それに壊れたのかどうか、本当のところはよくわからない。したがって「壊れた」と判定するのは時期尚早だろう。よって本稿のタイトルは「壊れた×3」となっている。

(3)一昨日、12月30日に私が長年愛用していた眼鏡が壊れた。セルフレームのフレームとツルをつなぐ金属部分がパキリと折れてしまったのだ。特別な圧力をかけたわけではない。そっと外してコタツの上に置いた瞬間の出来事だった。長年にわたる使用で金属疲労を起こしていたに違いないが、その瞬間は目前の光景が信じられずポカンとなってしまった。
慌てて瞬間接着剤で溶接したものの、「いつまた壊れるかわからない」という不安は払拭できなかったので、7~8年前まで使っていた古い眼鏡をタンスの奥から引っ張り出してきた。幸いレンズの度数はまったく同じなので、この眼鏡でも生活にはまったく支障がない。レンズの傷や細かい汚れが気にならないわけではないが、「まったく同じ度数の眼鏡のストックがあって良かったなあ」と胸をなでおろしているところだ。

(4)昨日、12月31日の夜10時頃、我が家のテレビが「プツリ」という電気音を発したまま映らなくなった。10年ほど前に購入したブラウン管テレビである。地デジは見られないが、ケーブルテレビ局と契約しているのでBSも含めて大半のチャンネルは視聴できた。画質はいまいちだが、特別不便さは感じていなかった。
とはいえ、最近は急に音量が小さくなったりと調子が悪かったのも確かなので、「そろそろ買い換えなきゃならないかあ?」と、ある程度は覚悟していた。「その日がついに来てしまったか……」という気持ちだ。
“テレビ”で連想するのは、昔通っていた亀山山荘に設置されていたテレビだ。亀山山荘については大半の読者には説明不要だろうが、私が師事した故・友田不二男先生の居所だったところで、ほぼ毎週土日には“土日合宿講座”と称されるカウンセリング講座が開催されていた。私はそこに毎月1回くらい通っていたのだった。
亀山山荘には各部屋に昭和50年代に製造されたと思われる小型テレビが設置されていて、ボックスに100円玉を入れると電源がオンになり1時間見られる仕組みになっていた。40代以上の人ならご存知だろう。昔の旅館によくあったタイプのやつだ。このテレビがつい最近まで現役バリバリで活躍していたのである。
なんでこんな連想が働いたのかというと、我が家のテレビが壊れたのを見て、「昔のテレビは今のテレビより寿命が長いのではなかろうか?」という疑問が浮かんだからだ。なんとなくそんな気がするのだが、いかがだろうか? テレビだけに限らない。クルマだって昔のもののほうが寿命は長いように思う。
この事実(かどうか判定するにはさらに調査が必要だろうが)を素人が強引に理屈づけるならば、「モノというのは構造が単純なものほど壊れにくい」と言えないだろうか? 仮にそうだとすると、人もモノも社会も複雑化していく一方のように思える現代という時代は、人間にとって果たして幸福なのか? という疑問も生じる。高度な科学技術によって生み出された文明がいかに大きな危険を孕んでいるかについては、あの原発事故によってすでに証明されたと言って構わないだろう。

本題に戻るが、以上が年末にかけての主要な出来事だ。眼鏡もテレビも壊れたのは人生において初めての経験だった。この経験から学べることはたくさんあると思う。「壊れたら直せばいい。直せないなら新品を買えばいい」というだけでは、せっかくの経験がもったいない。どの出来事も決してハッピーなものではなかったが、その出来事を“学び”に結びつけることができれば、それらのアンハッピーな出来事を“貴重な体験”に変えることができるのではないか?……と考えて、「新年にはふさわしくない話題だろうなあ」と思いつつ、文章にして表現してみた。ここににじみ出ている何かは、新年を迎えての私の偽りない気持ちでもある。

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