カウンセラーのコラム

山梨県甲府市でカウンセリングルームを開業している心理カウンセラーの雑文です。

父親参観日

2008年06月16日 | 日記 ・ 雑文
昨日15日(父の日)は、息子(4歳)が通っている幼稚園の父親参観日だった。入園してからすでに1年数ヵ月が経つので父親参観はこれで二度目だが、「1年間でこんなに成長したのか!」と驚くと同時に、喜びを味わうことができた1日だった。
去年の息子は、まあ良くも悪くも“目立つ存在”だった。近所の公園で先生が「は~い、みなさ~ん! 集合してくださ~い!」と大きな声を掛けても、ひとりだけ滑り台で遊び続けていたのが息子だった。当時は最年少クラスだったし、叱る気にもならなかったので、私はそれを見て苦笑していただけだったが……。
ところが今年は、そういう類の目立つ行為がほとんど見られなかったのである。年下の子どもが入園してきたので“お兄さんの自覚”が芽生えたのだろうか? 普段の日常生活では気づきにくいのだが、去年と比べるとずいぶん大人になった気がした。

“この幼稚園の教育効果”には、素晴らしいものがあると実感している。もっとも、他の幼稚園に入れたことはないので、科学的・実証的な立場からすれば、“この”を付けるべきか否か迷う気持ちもないわけではないが。
一番驚いたのは、入園してから数週間後のことだった。当時はまだ3歳に満たない年令だったが、それにしても“発語が少ない”ことを私も妻も心配していた。
というのも、息子はかなり幼い時期に専門家から「発達障害の疑いがある」と宣告されていたからだ。この疑いは今も完全に晴れたわけではないが、しかし「特殊学級に進学できるレベルではない」ことが、現在までにハッキリしている。厳密に精査した場合にはなんらかの障害があるのかもしれないが、仮にそうだったとしても小学校は普通学級に進むしかないわけだ。
……という背景を持っていた息子が、幼稚園に通い出したとたんに急に“発語が増えた”のである。これには少なからず驚いた。「幼稚園の教育効果って、こんなに大きいものなのか!」と認識を改めたのだった。

父親参観のイベント終了後、一旦帰宅し、夕方から「父親のための勉強会」に参加した。園長先生が「父親の役割や振る舞いが、子どもにとっていかに大切か」を熱心に語ってくれた。その内容について私は一つ一つうなづきながら、最後に先生が発した次の言葉には心底から感銘を受けた。それは、
「今年度はひとつの課題として、“いつも自分が話していることを、どれだけ自分が実際に行為できているか?”という点について、問題意識を持って取り組みたいと思っています」
という内容の発言だった。
要するに「意識レベルと行動レベルとの隔たりの問題」を言ってるわけだが、この問題の意味するところがどれほど重要かについては、言葉を尽くしても表現し切れないように思う。「カウンセリングにおける最大の問題点も、じつはこの点にある!」と断言したいくらいだ。

「カウンセリングが成立するか否か」もしくは「成功するか否か」という問題は、この点がキーポイントになるのではあるまいか? と私は思っている。別言すれば、「自分が得ている知識や理論と、実際の行動とが、どこまで一致できているか?」が、カウンセラーにとっての最大の焦点なのである。――余談になるが、この観点から言えば、立場や理論の違いなど、カウンセリングの成否にとってはあまり関係ないのかもしれない。――と言うと少し極端かもしれないが。
いずれにせよ、「カウンセリングを知っている」だけでは何も意味がない。カウンセラーは「カウンセリング関係を作ることができる人」でなければ、仮に資格を得ていたとしても、真の意味でのカウンセラーとは呼べないだろう。

話を元に戻すが、この園長先生が「意識と行動の問題に取り組む」と述べたことには絶大な意味と価値がある。私はこういう人物に出会うと、自然に頭が下がってしまう。先生として、というよりも“人間として”尊敬せずにはいられない。
息子を預けて1年以上になるが、「こういう人物だったら、大切な我が子を預けても大丈夫だ!」という確信を得たのだった。

息子が通う幼稚園、「吉祥寺こどもの家」のホームページ
http://kodomonoie.seesaa.net/
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