カウンセラーのコラム

山梨県甲府市でカウンセリングルームを開業している心理カウンセラーの雑文です。

洞察ということ

2007年11月20日 | 日記 ・ 雑文
カウンセリングや心理療法の多くは別名“洞察療法”とも呼ばれており、人格の変容が生じる過程において洞察は、非常に重要な役割を担っていると考えられている。難しいテーマではあるが、自分自身の体験から“洞察ということ”をより明確にしてゆきたいと思う。

数年前までの私は“テレビゲーム大好き人間”だった。カウンセリングと出会う前は、ある出版社でテレビゲーム専門誌の編集者兼ライターを7~8年ほどやっていた。単なるファンではなく、“ゲームのプロだった”わけだ。
テレビゲームに本格的に熱中し出したのは、大学2年のときに出会った『ドラクエ』からだったが、その後“ゲームの世界”に完全にハマってしまい、大学中退後には“プレーヤーとしての腕を買われて”、すなわち“ゲーマーとして”、その専門誌でアルバイトすることになったのだった。
最初はバイトだったが、そのうち上司から真面目で勤勉な働きぶりが認めてもらえたのだろう、ライターや編集者として雑誌作りを行なう立場になっていった。もちろん正社員にもしてもらえた。会社を辞める際には“デスク”という要職(編集長が課長だとすると係長に相当する)を担うまでになっていた。

そんな私である。「三度の飯よりゲーム好き」と言ったら少しオーバーかもしれないが、「寝食を忘れてゲームに没頭する」のは当たり前だった。とくにRPGやシミュレーションを好んだが、テレビのゲーム画面を付けたままコントローラーを片手に、いつの間にか倒れるように眠り込んでしまうのは珍しくなかった。

そのときもテレビゲームをしていた。私の大好きなRPGシリーズの続編だった。やや興奮気味にテレビや座椅子の配置を変え、完全に集中できる環境と体勢を整えた。カウンセリング講座に通い始めて1年くらいが経過していたと思うが、今はそれどころではない。カウンセリングのことなど忘却の彼方だった。
プレーし始めて3~4日たつと、奇妙なことに気がついた。ゲームに取り組んでいる私の態度・姿勢が、以前のそれとは明らかに違うのだ。夜12時を過ぎるとセーブして電源を切り、朝7時には目を覚ますという規則的な生活を送っていた。昔の私だったらあり得ない行為だ。
それに心の奥底から湧き上がってくるあの“燃えるような情熱”が、まったく感じられないのだ。作品自体のクオリティーが低く、つまらないからではない。プロの目から見ても十分に満足できる“最高級に面白い作品である”ことは確かだった。そういう意味での“面白さ”は十分感じていながら、しかし同時にプレーしている自分を“冷ややかな目で見ている自分”がもう一人いた。
「いったい俺は、どうしちゃったんだろう?」と思った。かつての私を動かしていたあの爆発的なエンジンがかからない。どうしてもゲームの世界に没入できない自分に困惑してしまった。そして次の瞬間、
「寂しかったんだ……」という言葉が浮かんだ。

大学生時代の私は、一言でいうなら「路頭に迷っていた」と言えよう。その頃の楽しみとしてサークル活動(テニス)があり、その中での人間関係や恋愛関係もあるにはあったが、“勉強すること”にも“卒業すること”にも、そして“就職すること”に対しても、なんらの意味も価値も見い出せないでいた。
かといって、他に進むべき方向が明確にあったわけでもない。根本的には“人生というもの”に対して深い悩みと懐疑を抱いていたのだった。今でも私の大学生時代は、「うつうつとした、灰色の時代だった」と記憶されている。
そんな私の気持ちを紛らわし、救ってくれたのがテレビゲームだったのだ。やがてそれは趣味から本業になり、私は“自分が根本的に抱えている何か大きな問題”から目を背けるようにして、眼前にある“ゲームと仕事”に没入していった。それが出版社で出世街道を突き進むことになる(入社時には上司だった多くの人々が、最終的には部下になっていた)、本当の原動力だったのだ。
心理学的解釈をするなら、私がゲームや仕事に情熱を傾けたのは“逃避だった”となるだろうし、禅で言うなら“背覚だった”となるだろう。

これに気がついて以降、私という人はすっかり変わってしまった。それからというもの、テレビゲームにはほとんどまったくタッチしていない。面白そうなゲームのテレビCMを見ても、何の反応も欲求も生じない。“ゲーム好きの私”、いや“ゲームに駆り立てられていた私”は、どこかへ消え去ってしまったのだ(正確には“そういう私が必要なくなった”と言うべきだろうが)。
“人格の変容”とか“パーソナリティー・チェンジ”などと呼んでいる現象は、こういうのを指すのだろう。私の場合は“ゲーム好きの自分”を問題視していたわけでも嫌悪していたわけでもないが、変わってしまったのだから仕方がないと思った。決して“不本意な変化”ではなかったし、むしろ「ゲームに使う時間を他の活動に割り当てられるのだから好都合だった」と、現在は思っている。

“洞察ということ”を問題にしていた私のカウンセリング仲間が、友田先生に向かって質問を発したときのエピソードがある。その人は、
「どうしても“洞察”がわからない。荘子に出てくる“渾沌の話”がヒントになりそうなんだけど、アレは最後に渾沌さんが死んじゃうでしょう? だから困っちゃうんですよ」と尋ねたそうだ。友田先生はこれに応えて一言、
「だったら、自分で目鼻口耳を付ければいいでしょう?」と言ったのだった。(荘子の“渾沌の話”とは、渾沌さんから厚いもてなしを受けた二人がお礼の意を込めて、目鼻口耳が無い渾沌さんに7つの穴を開けてやったところ、最後には死んでしまう……という話だ)。

上述のエピソードが私にはピンとくる。もし仮に、私が自分の中から「寂しかったんだ……」という言葉が出てくる以前に誰かから「寂しかったんですね」という言葉を聞いたなら、どうなっていただろうか? たぶん即座に否定しただろう。なぜなら私の意識には、“寂しかった”はまだ存在していないからである。
のみならず、逆に“寂しくなかった”が明確に意識されることにより、ひょっとすると私が私自身で“洞察を達成する機会”は、永遠に奪われていたかもしれない。

クライエント中心療法では、「カウンセラーはクライエントの半歩後ろをくっついて歩くのだ」とか、「決してクライエントの前に出てはならない」ということが、何よりも大切な原理・原則として謳われている。これを“洞察ということ”と結びつけると、その意味と価値とがより明確になるだろう。
難しいテーマだったので多少の躊躇はあったものの、今回このテーマに取り組んでみて、あらためてこうしたカウンセラーの態度・姿勢の大切さを認識することができた。

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