カウンセラーのコラム

山梨県甲府市でカウンセリングルームを開業している心理カウンセラーの雑文です。

【告知】 日本の臨床家・友田不二男氏の研究

2008年03月27日 | 告知 ・ 案内
mixi会員の方々に対するお知らせです。
私が副管理人を務めているコミュニティ「カウンセリング広場」において、上記タイトルのトピックを作成しましたのでお知らせします。

「カウンセリング広場」
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2337193
(mixi会員の方はこちらからどうぞ)

以下はこのトピの主旨です。

『我が国にロジャーズ派のカウンセリング(古くは非指示的療法、もしくはクライエント中心療法とも呼ばれ、近年はパーソンセンタードアプローチとも呼ばれている)を普及させた人物として、友田不二男氏、伊東博氏、佐治守夫氏、堀淑昭氏らの果たした役割は計り知れない。
今年になり、堀淑昭氏が他界したとの知らせを聞き、上記4名はいずれも現存していない“過去の大先生”になってしまった。また、ロジャーズ派ではないが、河合隼雄氏がすでに亡くなっているのも周知の事実だ。

「温故知新」という言葉があるが、いわゆる“カウンセリング界の第一世代”の方々が残した数々の業績から現在の私たちが学ぶべきものは、まだまだたくさん残されているだろうと思う。とくに私個人にとっては、友田不二男氏が唯一人の師匠であり恩人でもあった。時の流れとともに同氏の存在と業績を“このまま風化させてしまう”のは、あまりにももったいないし寂しい気がするのである。……という個人的な思いもあり、ある種の記録として、このトピックを作成するに至った。

このトピで試みたいのは、“友田不二男という名の臨床家をあらゆる角度から検証してゆくこと”である。原則として各項目を年代順(古い順)に並べたので、年表的に読むことも可能だ。また、もちろんであるが、これらの記述に対して忌憚のないご意見やご質問も期待している。ディスカッションしながらお互いに、よりいっそうの深い“カウンセリング理解”が達成できれば……というのがトピ主の願いである。』

“カウンセリングということ”に関心を寄せている多くの方々にご参加いただけたら……という思いで、ここに告知・宣伝させてもらいました。以上です。
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ねんきん特別便

2008年03月21日 | 日記 ・ 雑文
先日、社会保険庁から「ねんきん特別便」なる郵便物が私宛に届いた。それによると私の年金が「宙に浮いた5000万件の年金記録」の中に含まれている可能性があるという。
正直「まさか!」と思ったが、そこに記されている記録を見ると、会社員時代に支払っていた厚生年金の記録がすっぽり抜け落ちていた。

憤りを感じつつ、さっそく修正申告するために書類を返送したわけだが、どうしてこんなことになってしまったのだろうか?

書類に“正しい記録”を記入する過程でいろいろと調べたのだが、私が勤務していた会社は現在も存在する(所在地は変わっていた)。ところが、“所属していた部署”は別会社(グループ企業)になっていたことが判明した。
私の年金記録(データ)は元の会社に残されているのだろうか? それとも新会社のほうに引き継がれたのだろうか? 私には知る由もないが、のれんわけした際のゴタゴタでデータが消息不明になってしまったのだろう。たぶん。

「新会社に引き継がれた可能性が高いな」とは思ったが、勤務したこともない会社名を記入するわけにはいかないので、元の会社名を記入した。あとは社会保険庁の職員が、新会社に保存されていると思われる私のデータを見つけ出してくれることを祈るだけだ。
もっとも、私の年金手帳に残っている厚生年金番号を書類に記入したので、見つけ出すのはさほど困難ではないだろうと想像しているが……。さて、どうなることやら。
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忘れ物

2008年03月15日 | 日記 ・ 雑文
「ついうっかり忘れ物しちゃった」という経験なら誰でもあると思うが、私もそれが多い部類の人である。高校時代、休日に友人とテニスをする約束をし、自転車でコートに向かう途中で“ラケットを忘れた”ことに気がついて、慌てて引き返した経験があるくらいだ。

先日もやってしまった。その日は我が家のレジャーデーで、家族3人で上野の国立科学博物館に恐竜を観に行くことになっていた。息子(3歳)は最近、電車や建設車両に加えて、道路標識などのマーク一般や恐竜にも興味・関心を持ち始めているのだ。
前日からビデオカメラとデジカメのバッテリーを充電し、準備が整ったところで午前10時に家を出た。妻が銀行に用事があったので、駅に向かう前に立ち寄った。「すぐに済むだろう」と思っていたら、1時間もかかったのは計算外だった。
少し慌て気味に電車に乗り込み、目的地へと出発したのだが、4~5駅過ぎたところで大変なことに気がついた。ビデオカメラとデジカメを入れていた肩掛けバッグが無いのだ。どうやら銀行に忘れてきたらしい。取りに戻るべきかどうか少し迷ったが、このまま目的地を目指すことに決めた。

いったいどうして大事なバッグを忘れてしまったのか? 少し時間を巻き戻してみよう。
ここは銀行である。どういう事情なのかよくわからないが、手続きに予想以上の時間がかかり、来店してからすでに50分近く経っている。私と妻はボックス席になっているソファーに並んで腰掛け、担当者から呼ばれるのを待っていた。
息子が「おしっこ!」と言い出した。妻はその場を離れることができないので、私が手を引いて連れて行くことにした。所持していた肩掛けバッグ(ビデオ&デジカメ在中)を座っていた席に置いて。
トイレの場所を探すのにだいぶ苦労した(2階から地下1階まで行った)こともあって、元の場所に戻るのに5分ほど要しただろうか、息子とふたりで席に戻ると妻の姿もバッグも無かった。周辺を見渡したが、それらしい姿は無い。携帯電話が鳴った。妻からだ。「全部終わったので1階にいる」という。
私たちふたりは1階に下りて合流したのだが、この時点では、私の“肩掛けバッグが無い”ことには誰も気づかなかった。私はてっきり、「妻が一緒に持ってきてくれた」ものと思い込んでいたのだ。

車中での妻の証言によると、「私のバッグの存在など知らない」という。私は確かに妻の隣の席に置いたのだが、ソファーが“ボックス席だった”がゆえに目に入らなかったのだろう。妻が席を立ったあと、ぽつんと残されたバッグを見つけた銀行員がそれを忘れ物だと思い、即座にどこかに保管されてしまったのだ(想像だが)。その後、私と息子が席に戻ってきた……というわけだ。

上野に着いてから電話で確認すると、確かに忘れ物として保管されていた。ひと安心だ。今日は無理なので「明日、取りに行く」と伝え、その日は家族でレジャーを楽しんだ。そして翌日、私が銀行にバッグを取りに行ったのだった。

と、話はここで終わらない。バッグを手にしてひと安心した私は、その足で昼食を食べに近所の定食屋に入った。そして店のカウンター席のテーブルの下に、そのバッグを置いてきてしまったのである(苦笑)。それに気がついたのは、その日の夜9時過ぎだった。すでにその店は閉まっている時間だ。
翌日の午前中に電話で確認し、小雨の中を取りに向かったのだが、最近は“考えごと”が多いせいだろうか? なんともマヌケな行為を繰り返してしまったのであった。
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花粉症デビュー?

2008年03月06日 | 日記 ・ 雑文
耳鼻科に行って診断されたわけではないので正確ではないが、どうやら「花粉によるアレルギー症状が発症した」ようだ。

具合が悪くなったのは、2日(日)の朝からだった。目が覚めるとのどが痛かった。たぶん扁桃腺が腫れていたのだろう。それに鼻水が止まらない。熱はなかったが、身体全体がだるかった。間違いなく「風邪をひいた」と思った。
翌日になっても症状はいっこうに変わらなかった。夜はセンターの講座があったので、だるい身体を引きずるようにして目白の会場に向かった。講座が始まる前の雑談で、参加者の一人が私とまったく同じ症状を訴えていた。それを聞いた別の参加者が「花粉症かもしれないよ」と言っていた。私の脳裏に「ひょっとしたら僕も……」という思いが浮かんだ。
さらにその翌日のこと。症状はやはり変わらない。夕方、近所の耳鼻科から妻と息子が帰ってきた(息子はこの時期、鼻詰まりがひどいので、定期的に耳鼻科に通っている)。そして、「パパのも花粉症かもしれないよ」と妻が言った。
自分たちの前の患者さんが、私と同様の症状(のどの痛み、鼻水、だるさ)を訴えていたところ、「医者から花粉症だと診断されていた」という話だ。これを聞いて私の中にあった“花粉症の疑い”は、ますます強くなっていった。

その日の夜、テレビで“鼻うがいの薬”のCMを見た。「さっそく試してみよう!」と思ったので、お風呂でやってみた。無論、専用の薬は所持していないので、ぬるま湯を使用したわけだが。鼻の奥が「ツン!」とする痛みで多少キツかったが、「ひょっとすると症状が改善するかもしれない!」という、希望にすがるような思いでやってみた。
湯船につかりながら、身体症状に“変化が生じるか否か”に注意を払った。しばらく(1~2分間くらい)すると、あのつらい症状がみるみるうちに消えていった。やはりそうだったのだ。私の鼻腔粘膜に付着した花粉粒子に対して、身体全体がアレルギー反応を示していたのだ! ……と確信した。
昨夜テレビを見ていたら、私が発症した前日、つまり1日(土)は、「花粉が飛散していた量がここ数日間で最も多かった」という事実も判明した。状況証拠も揃ったわけだ。

このようなプロセスを経て、私は花粉症患者に“なった”のである。これを書いている現在も完全快復してはいない。相変わらず鼻がグズグズしている。それに「今後外出する祭には、マスクが必需品になるなあ……」と思うと、なんとも気が滅入ってしまうのである。
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