カウンセラーのコラム

山梨県甲府市でカウンセリングルームを開業している心理カウンセラーの雑文です。

足の爪

2009年02月21日 | 日記 ・ 雑文
足の爪を切りながら、ふっと亡き母親のことを思い出した。子どもの頃、母が足の爪を切るのを見たことがある。その姿を鮮明に思い出したのだ。
母の爪は決して綺麗ではなかった。ひどく歪んでいた。ゆえに強烈な印象として残っていたのだろう。

坂村真民の詩に「尊いのは 頭ではなく 手ではなく 足の裏である」という有名な一文があるが、「ひょっとすると、足の爪にもその人の人生が象徴されているのではないか?」と思った。

あの時の母と現在の私は、ちょうど同じくらいの年齢だろう。自分の足の爪をまじまじと見てみた。母のと比べたらずいぶんと整っているような気がした。
「私はまだまだ半人前の人間なのだろうか? 人生における苦労が足りないのだろうか?」と、そんな気になった。
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カウンセラー養成に関する私見

2009年02月03日 | 告知 ・ 案内
平成8年秋から日本カウンセリング・センターが主催するカウンセリング講座に通い始めた私は、それから約半年後、「今後の己の人生をカウンセリングに費やしていこう!」という志を立て、現在に至るまでの約12年間、文字通り“学び続けて”きた。
その間にカウンセラーの資格を得て、自宅でカウンセリングルームを開業し、4年前からは私を育ててくれた日本カウンセリング・センターにて、講座の世話人を担当するまでになっている。
そんな私には、「私は私なりにこの12年間を通じて、“カウンセリングというもの”を深く探求し、ある程度の理解を得て実践していると同時に、現在の我が国の“カウンセリング界の状況や実態”についても、相当程度の誤りない理解を得ている」という自負心がある。

さて、そんな私が表題の“カウンセラー養成に関する私見”を述べるわけだが、結論から先に言うと「我が国においては、カウンセリングが成立する基盤がまったく育ってないのではないか?」という気がするのである。
基盤とは、植物で例えると“根っこ”の部分だ。「現在の世の中に普及しているカウンセリング活動は、まるで“根無し草”のようにフワフワとさ迷いながら浮いている」というのが私の率直な印象だ。また、日本では有能で優秀なカリスマ的カウンセラーがなかなか現われてこないのも、「地中深くに大きな根を張ることができていないからだ」という言い方もできるだろう。

カール・ロジャーズ博士は、1942年に著書『Counseling and Psychotherapy』でカウンセリングが成立する基盤を“non-directive”という言葉で意味・象徴した。同書は米国の心理学界に大きな波紋を与え、賛否両論が巻き起こる大論争を引き起こしたと伝え聞いているが、結局のところ、“non-directive”という言葉で意味・象徴されている「何か?」は、ほとんど誰からも理解されなかったと言ってよいだろう。
それを察したロジャーズは約10年後、1951年に『Client-Centered Therapy』という書物を出版し、それ以降は“non-directive”という用語(?)はほとんど使用しなくなった。
このように書くと、「ロジャーズはカウンセリングを“non-directive”から“Client-Centered”へと発展させた」かのような印象を与えるだろうし、またそのような理解の仕方が「間違いである」とは言えないが、「“Client-Centered”が成立する基盤は“non-directive”である」ことを忘れてはなるまい。“Client-Centered”が幹なら、“non-directive”は根に相当するわけだ。
ということはすなわち、「“non-directive”を身に付けていないカウンセラーに、“Client-Centered”と呼べるカウンセリングなど実践できるはずがない」という意味にもなる。

しかし、現実世界の動向を見ると、ますますもってその“基盤”は軽視され忘れ去られ、なにか“新しい用語”が誕生すると(発展しているかのような印象を持ってしまうのだろうが)、その「新しいものに飛びつく」という傾向が著しいように私には見えてしまう。そういう世の中の傾向に対して、「幹や枝葉にしか目がいかないのだろうか?」と、私は言いたいのだ。
最近の傾向としては、“スピリチュアル”とか“トランスパーソナル”という用語(?)が支持され人気を得ているようだが、そういう立場や考え方に基づいたカウンセリングを実践していくにせよ、それらがカウンセリングとして成立する基盤は、「ロジャーズが“non-directive”とか“Client-Centered”という言葉で示そうとし、また探求し続けていった“何か”である」というのが確固たる私の考えだ。
その“何か”をあえて言葉にするなら、“人間尊重の態度・姿勢”となるだろうが、しかし「人間尊重とは何か?」という哲学的な問いに対し、明確な解答を提出できる人物など存在するだろうか? また、仮に“人間尊重”を知的レベルで理解できたとしても、行動レベル(すなわち面接場面など)でそれを体現するのは「容易なことどころではない」ということも付言しておこう。
カウンセリング界では、「ロジャーズを勉強しないと(たとえどんなに多くの知識や理論を保持していたとしても)、面接はできない」とよく言われるが、真にその通りだろうと思う。私にはこの言葉の意味がよくわかるし、深くうなづけてしまう。

ここで話は一転するが、このような問題意識を持っていた私に好機が訪れた。昨年の夏に日本インテグラル・カウンセリング協会から「実際にクライエントの役に立つことができるカウンセラーを養成するため、スクールを開校したいのだが、講師をやってもらえないか?」という依頼が来たのである。
話を聞いた時点ではまったく知らない“正体不明の団体”だったので、躊躇がなかったわけではないが、結局はその場で「OK」の返答をした。OKしたのは上述の問題意識があったのと、もうひとつは「カウンセラーとしての自分の力量を試してみたい!」という気持ちが生じたからだった。
「プロとして一旦仕事を引き受けたからには、最後まで自分の役割と責任を果たそう」という決意で、その後は開校準備のための様々な仕事に取り組んでいったが、想定外の困難やハプニングが続発し(詳細は割愛します。苦笑)、「新たな団体を立ち上げて新規事業を起こすのが、こんなにも大変なものだったとは……」と今日に至るまで、まさに体験学習を積み重ねてきた。

ここからは宣伝文句になるが、そんな私と私の仲間たちの“血と汗と涙の結晶”であるカウンセリングスクールが、ついに4月から開校できるメドが立ったのだ。紆余曲折はあったものの、この感動をどんな言葉で表現すればいいのか、今は言葉が見つからない。
私たちのスクールのコンセプトは「真に役立つカウンセラーの養成」である。運営母体は資格認定を行なう団体なので、「資格認定の道」も開かれている。現在、第1期・4月生を募集中なので、上述のコンセプトに共鳴・共感できる人は、ぜひ当カウンセリングスクールに関心を持ってもらいたい。
ホームページはこちら≫

この仕事を進めていく上で、今後の私にどんな困難が待ち受けているのか、まったく想像できないが、引き続き「真に役立つカウンセリングの普及・発展のため」に日本インテグラル・カウンセリングスクールという場を借りて、私は私のできる限りにおいて尽力してゆきたいと思う。
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