カウンセラーのコラム

山梨県甲府市でカウンセリングルームを開業している心理カウンセラーの雑文です。

タバコ屋でウロウロ

2007年07月30日 | 日記 ・ 雑文
今日は11時から面談の予約が入っていた。10時頃から部屋の掃除や着替えやらでバタバタと動いていた。10時半には準備が整ったのだが、この間、息子に付きまとわれていささか困惑した。せっかくきれいにした部屋を荒らされては困る。こういう状況下では息子がうざったい。イライラ感が生じ始めた。
タバコが切れていたので、一時的に避難する(?)意味も含めて近所の自動販売機へと向かった。
大通りに出て右に曲がると、40メートルほど先にタバコの自動販売機がある。それが視界に入ったとたん、足が止まった。タバコ屋のおじさんが販売機にタバコを詰める作業を行なっていたのだ。
「邪魔しちゃ悪いかな。少し遠いけどセブンイレブンまで行くか」と販売機に背を向け、反対方向に向かって歩きだした。数メートル歩いたところで、
「ひょっとすると……」と思って振り向くと、おじさんはもういない。
「やっぱりこっちで買おう。時間があまりないし、焦りながら帰宅するのも嫌だしな」
と思って引き返すと、すぐに店の奥からおじさんが現われた。再び販売機を開けてタバコを詰める作業をやりだした。
「な~んだ。作業の途中だったのか」と僕は向きを変え、再び反対方向へ歩き出した。ほんの少し歩いたところでやっぱり気が変わり、後ろを振り向いた。おじさんはいなかった。
「今度こそ終わったのだろう」。僕はそう確信して販売機へ向かった。が、あと20メートルでたどり着くというところで、再びおじさん登場。作業の続きを始めた。僕は再び向きを変えたが、数歩歩いたところで完全に動きが止まってしまった。
「あ、またやってる!」
ハッと気づいて僕は意を決し、方向転換して販売機の前に立った。おじさんは作業中だ。
「すいません。いいですか?」
「ああ。どうぞ、どうぞ」
僕に気づいたおじさんは快く作業を中断し、販売機の扉を閉め、僕に使わせてくれた。ようやくタバコを買うことができた。

「あ、またやってる!」という言葉で自分の行動パターンを明確に意識化できたのは、この間の夏季ワークの成果だったに違いないと思う。その場で僕は、フトしたきっかけで“自分の小心さ”に気がついたのである。

その“小心さ”を示すエピソードとして一例を挙げてみよう。
僕は商店やスーパーなどで買い物した後に配られる“割引券”や“クーポン券”を使用することに、ひどい抵抗感を持ってしまう。セブンイレブンでよくやってるキャンペーンに「点数シールを集めるとお皿やマグカップがもらえる」というのがあるが、あれを交換しに行くのも苦手だ。
“割引券”も“クーポン券”も“点数シール”も、何でもそうなのだが、そんなものを店員に差し出したら「白い目で見られるのではないか?」という想像が働いて、ある種の“恐怖感”が起きてしまうのだ。そのせいで、せっかく集めたサービス券やポイントを無駄にしてしまった例は挙げたらキリがない。

こういうのを心理学用語で「強迫観念」と呼ぶのだろう。そのような観念がどこでどのように形成されたか、まったくわからない。あるいはひょっとすると「店員に白い目で見られた」という実体験があったのかもしれないが、記憶にはまったくないのである。

断定的なことは言えない気もするが、「強迫観念は持っていても構わないのではないか?」と現在の僕は思っている。と言うより、「自分の力でそれを消したり、変えたり、どうのこうのすることなど、到底不可能である!」としか思えない。……と言ったほうが正確だろうか。
カウンセリングの立場から言えば、「それ(強迫観念など)を“保持してる”ということは、それが“必要である”ということに他ならない」のであるから。ま、こんなのは理屈に過ぎないが……。

というわけで、現在も僕は「自分の“小心さ”にあきれてしまっている」のである。
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夏季ワーク終了!

2007年07月28日 | 日記 ・ 雑文
5日間の「夏季ワークショップ・東京会場」が終わった。この夏の“最大の山場”になるだろうと想定していたので、今の気持ちは「今年もなんとかのり越えることができた。ああよかった。フゥ~(ため息)」というのが正直なところである。
この日記も昨日のうちにUPしようと思っていたのだが、帰宅してすぐ横になり、しばらくしてから夕飯を食べ、夜9時頃に風呂上りの息子を寝かしつけていたらそのまま眠ってしまった。もちろん自覚はあったが、それ以上に“心身とも疲れ切っていた”ようだ。12時過ぎにハッと気づいて目が覚めると今度は眠れなくなり、それで今これを書いているわけである。

「なんとかのり越えることができた」という言葉には、3年前の苦い経験(?)が背景にある。

その年私は、初めて“夏季ワークの世話人”を依頼された。そして本当に“軽い気持ち”で引き受けた。というのは、“夏季ワークへの参加経験”は過去に2~3度あり、そのときはいずれも“勉強になった”だけでなく、“身体的な調子も上がって元気になった”という経験をしていたからだ。
世話人を依頼されたとき、私は心中密かに「あわよくば、今回もまた元気になれたらいいなあ。参加者と世話人とでは立場が違うけど、そんなのたいしたことないだろう」と、“たかをくくっていた”のである。
しかもその年の4月から“講座の世話人”(毎週月曜18:30~21:00、2時間半の講座)をやっていて、まあ、苦労がなかったわけではないが、「なんとかやっていけるかな」という自信も芽生えていた頃だった。

そして当日(夏季ワークの初日)がやってきた。緊張感もあったが、半分は“楽しみ”もあったような、そんな心境で会場に足を運んだ。
参加者は25~6名。部屋は人でギュウギュウ詰め状態。参加者の半分以上は初対面だった。「自分はこの中で“世話人の一人”だと認識されているのだな」と意識したら、“極度の緊張”に襲われた。私はガタガタと震えていた。身体が震えていたわけでがないが、心理状態としては震えが止まらなくなっていた。
時間が来て始まった。沈黙がしばらく続いたが、やがて誰かが口火を切った。私は即座に応答した。私の身に起きていた“極度の緊張”から自分を解放するために、何でもいいからとりあえずアクションを起こすしかなかった。自分がその人に対して何をやりたのか、何をやっているのか、まったくわけがわからなかった。とにかく自分がこの場の流れの中に真っ先に参入しなければならなかった。そうしないと重圧で押しつぶされてしまいそうな危機感があった。あるいはその他にも、「私はここに存在してますよ!」とアピールして、私を参加者全員に知らしめておく必要があったのかもしれない。

そんなわけで、私のデビューは不本意ながら“パニック状態”で始まったのである。その後どんなプロセスをたどったか、紆余曲折があったに違いないと思うが、よく覚えていない。覚えているのは「とにかく必死だった」ということだけだ。

そして自分の状態に「アレ? なんかオカシイぞ!?」とはっきり気づいたのは、ワークショップ2日目の午後あたりだった。
いろんな人が自分の体験やら気持ちやらを話しているのだが、私の心には“なんの反応も生じない”のだ。何も生じないので、私は沈黙してるしかなかった。その日の午後から一言も口を聞けなくなってしまったのだ。
まるで石のように固まって沈黙し続けている私を心配してか、参加者の一人(10年ほど付き合いのある友人でもある)が、私が好んで食い付きそうな話題を私に向かって提供してくれた。しかしそれに対しても、「ええ、まあ、そうですね」と、シドロモドロになりながら返すのが精一杯だった。
そこに至ってようやく自分の状態の異常さを自覚した。“心の中が満杯”で、もうそれ以上は“何も受け付けられない状態”になっていたのだった。苦しくて苦しくて、もうたまらなくなっている自分に、悲鳴を上げている自分に気がついた。胃袋はすでに満杯。食道を越えて喉元まで食べ物が詰まっている。そこへ「さあ喰え!もっと喰え!」と、口に無理やりものを押し込まれているような、そういう苦しさだ。

3日目の朝。起きると身体は鉛のように重かった。エネルギーがまったく無い。やっとの思いで身体を引きずるように動かし、椅子にたどり着くとドカッと腰を下ろした。肩と背中がパンパンに張っている。まるで鉄板のようだ。タバコをふかしながら、ハア~と深いため息。それを見ていた妻が「どこか調子が悪いの?」と尋ねた。それにはあいまいな返事をしたが、誰がどう見ても今の自分は“病人”に見えてしまうらしいことはわかった。

会場に向かう電車の中で、私はこの2日間に自分の身に起きていることを“涙目になりながら”整理した。

時間よりだいぶ前に着いたので別室でひとりタバコをふかしていると、準備で慌ただしく動いている事務局の人に声を掛けられた。私の“ただならぬ様子”と“異様な雰囲気”を察したらしい。その人の助言に背中を押されて会場へ入った。

会場で腰を下ろした後は、時計をじっと見ていた。「早く始まらないか。早く始まらないか」と心中でつぶやいていた。話したいことが山ほどあって、喉元まで出かけていたのだ。

時計で10時を確認すると、「時間になったので始めたいのですが……」と口火を切った。まるでダムが決壊したかのように、この2日間の自分を語りだした。言葉と感情が次から次へと流れ出していった。
この2日間で私は、自分がいかに傲慢だったかを、自分がどれほど“天狗になっていた”かを、身心が悲鳴を上げるほどの苦痛を味わうことで、ようやく気づかされた。本当に骨身にしみた。完全に打ちのめされた。自分の愚かさと軽薄さと無力さとを、この痛みによって完全に理解した。
私は「自分には力がある」と思い込んでいたが、その力を発揮できていたのは、この会場にいる参加者たち、出会ってきたたくさんの仲間たち、世話になったたくさんの先生方、クライエントの方々、そしてそれらを包含する天地宇宙の自然の働き……それらのおかげであったことを、すっかり忘れてしまっていた。結局すべては「関係の中で」でしかあり得ないことを、すっかり忘れてしまっていたのだ。
ただただ、涙するしかなかった。次から次へと涙があふれ出した。

亡くなった友田先生への思いがこみ上げてきた。「私がカウンセラーをやれているのは、自分にその能力や資質があるからだ」と思い上がっていたが、真相・実態は友田先生の“世話”があったからこそだった、と初めて気がついた。
それを思うと涙の量はさらに増幅した。本当に大切な人を亡くしてしまったんだと、無性に泣けてきた。
大勢の人前でボロボロと涙を流したのは、これが生まれて初めてのことだった。そしてたぶん、今後も無いだろう。これは私の生涯でただ一度きりの出来事になるかもしれないと思っている。

……これが私の“ワークショップのデビュー戦”だった。一言でいえば“惨敗だった”と言えよう。しかし“この体験”は、今の私には他の何よりも尊い貴重な宝となっている、と言っても決して過言ではない。
“この体験”は今もなお、私の中で生かされ、活かされ続けているのである。

(1時から書き始めてフト気がつくともう朝6時だ。疲れた身心を休めなきゃいけなかったのに、逆にテンションが上がってしまった。トホホ……)
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“玉ねぎ”で悟った話

2007年07月20日 | 日記 ・ 雑文
これから書くのは思い出話である。日記ではない。「機会があったら、いつかどこかで記録しておきたい」と思っていたエピソードのひとつである。

まずは当時の私の精神的・環境的状況を説明しなければなるまい。この時点に至るまでの経緯は、ホームページ上に『私とカウンセリング』と題して掲載しているので、細かい説明はしない。大まかに説明すると、

1.出版社に勤めていた私は、怪我をして入院し、それがきっかけでうつ病になってしまう。
2.社会復帰を果たしたものの、どうも以前のような調子が出ない。良い状態と悪い状態の波が激しく、出社拒否を繰り返してしまう。
3.そんなある日、上司の一言がきっかけで「退社すること」を決意する。この決意には「状況を打開する」意味も含まれていた。
4.しかし「退社した私」は予期せぬことに、ますますうつ病を悪化させた。「仕事を失った私」は、自分の「生きる意味」や「存在理由」までも失ってしまったのだ。
5.最終的には「自殺する」しか道はなくなった。が、そこで「あなたにはまだ、やるべきことがある!」という声を聞き、私は自分の傲慢さを悟って、自殺を思いとどまる。この天の声(?)のおかげで、運よく私は「生きる方向」に転じたのだが……。

というのが、ここまでのプロセスである。「生きる方向」に転じたのは良かったが、しかし私はそれまで保持していた「価値観・価値体系」が完全に崩壊し、「いったいこれから何をすればいいのか? どう生きればいいのか?」まったくわからなくなっていた。
「カウンセリングと出会う」のは、この時点から1~2年後のことである。そこで私は「カウンセリングこそが、私の生きる道だ!」と、がぜん奮起したのであるが……。

というわけでこのとき、私のうつ状態はまだ続いていた。毎日毎日うつうつした気分で無気力・無目的に、ただ生き永らえていただけだった。世間をフラフラとさ迷い歩いていた。この当時の“生きがい”と言えば、食事とテレビぐらいだったろうか?

そんなある日、私は昼食を食べに近所のスパゲッティ屋へ歩いて行った。梅雨明けくらいだったと思う。外は蒸し暑かった。

このお店の私のお気に入りは「和風きのこスパゲッティ」だった。迷わずそれを注文した。店内はかなり混雑している。テニス帰りのおばさん集団が楽しそうに談笑している。孤独でうつうつしている自分の“惨めさ”を噛み締めながら、私は目の前に置かれたスパゲッティを口に入れた。
「!!…………うまい!」。それ以上は言葉にできない。夢中で半分くらい食べ続けたあと、フォークを皿に置いた。

具のメインは“きのこ”だが、この料理全体を絶妙な味に引き立たせていると思われた“玉ねぎ”の存在に気がついた。「“玉ねぎ”って、こんなに美味しいものだったんだなあ!」と、生まれて初めて“玉ねぎ”に感動した。そして想像した。
「この宇宙にもしも“玉ねぎ”が存在していなかったら、『料理の鉄人』が作るどんな料理も、きっと味気ないだろうなあ……」と。(『料理の鉄人』とは当時大人気だったテレビ番組。私も好きでほとんど毎回観ていた)。

次の瞬間、静かな爆発が私の中で起きた。
「いや、そうじゃない。“玉ねぎが存在しない宇宙”なんて、存在し得ないんだ!」
「“玉ねぎ”だけじゃない。“塩”も“コショウ”もこの宇宙にあるすべてのものが、“宇宙を存在させる”のに欠かせない、大切な、かけがいのない存在だったのだ!」
「そしてそれは、“この私”にも当てはまるのだ。“この私”が存在しない宇宙など在り得ないのだ。“この私”もまた、“玉ねぎ”や“塩”や“コショウ”と同じく、この宇宙に絶対に必要不可欠な、かけがいのない存在だったのだ!」

それを悟ったときの私の感動は、言葉ではとても表現できない。
店内だったし、涙は流さなかったと記憶している。しかし私の心の中は、次から次へとめどもなくあふれ出してくる涙でいっぱいだった。
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変な夢

2007年07月18日 | 日記 ・ 雑文
昨晩、変な夢を見た。どんな意味があるかわからないが、印象的だったので書き記しておく。

場所はどこだかわからない一室。細長い部屋に長方形になるよう机とイスが並べられ、20人くらいの人たちがザワザワとおしゃべりしている。
知ってる顔もあれば、知らない顔もある。知ってる人の中には、学生時代の友人、以前務めていた会社の同僚、現在のカウンセリング仲間、それから芸能人(ワッキーとベッキー。“キー”つながりか?)も含まれていた。他はよく覚えてない。

どうやらこの場は“ミニカン”(ミニカウンセリングの略。10~15分程度の模擬面接。テープに録音して、その面接場面をグループで検討する。逐語記録を作成する場合もある)の講座のようだ。僕はこのクラスの世話人らしい。

いつまでたってもおしゃべりが続き、いっこうに“学習が始まる”気配がないので、僕は我慢できずに声を荒げた。「みなさんはここに、学習しに来たのではないですか!」と。
一瞬その場はシ~ンとなった。続いて小太りの中年男(誰だかわからない)が動き出した。その男は両手に抱えるくらいの水槽に半分くらい水を張り、サッカーボール大の地球儀をその水上に浮かべながら、クルクルと回した。そしてなにか演説のようなことを始めた。「アフリカがどうのこうの」と。内容は覚えてないが、“非常に危険な思想”だったような気がした。
参加者はみんな、黙ってその男の話を聞いている。その男の目つきが鋭く、あまりにも恐ろしいので、誰も何も言えないのだろうと感じた。僕自身もその男が恐ろしくて動けなかった。

男が話し終えると参加者の一人が僕に質問した。カウンセリングに関係する質問だ。「助かった!」と思い、僕は自分の経験や考えなどをとうとうと述べた。話し終えると同時に質問者の方に目をやった。そこにはベッキーが座っていた。僕は瞬間固まって、しばらくの間ベッキーと見つめ合った。
「テレビで見たときはあまり好感が持てなかったが、よく見るとなかなかカワイイじゃないか……」と心の中でつぶやいた。スケベオヤジ丸出しである。
ハッとして辺りを見回した。質問者を捜したが見つからない。「質問者はどこへ行ったのだ?」と僕。「さあ、知りませ~ん」とベッキー。

再び沈黙が訪れた。何の動きもない。僕は座っていられなくなり、参加者たちの背後を練り歩きながら言った。「あんたたちはここで何をしてるのだ? 学習するために来たのではないのか?」と。
誰かが口を開いた。「だって前回、○○さんが“読書するのはダメだ!”と言ったから……」。「アレ? ここは読書会の講座だったのか?」。そしてもうひとつ気づいたのは、「どうやら僕は前回の講座を休んでいたらしい」ということだった。そのせいもあってか、どうもこのクラスの“流れ”がつかめない。焦燥感ばかりがつのる。

突然カラオケが流れ出し、参加者の一人がマイクを持って歌い出した。それにつられて全員が合唱するかのように歌い出した。
「あーうるさい! 歌いたいやつはカラオケに行ってくれ!」。音楽が止み、半分ほどの人数が無言で部屋を出て行った。

ほっとしたのもつかの間、再びカラオケが始まった。フト気がつくと、ここは居酒屋の2階だった。僕は店長らしき人物を捕まえて「学習の邪魔になるからカラオケを止めてくれ!」と詰め寄った。店長はジロリと僕を睨んで、無言で音楽を止めた。

席に戻る途中、僕は急に恥ずかしくなってきた。「ここは居酒屋なんだから、我々のほうが出て行くべきだった」と気がついた。

席に戻って参加者に「場所を変えよう」と提案した。異論はなく、みんな帰り支度を始めた。と、僕の対面に座っていたワッキー(ペナルティの片方)が茶封筒を僕に差し出し、「××くんから“このレポートを先生に手渡してくれ”と頼まれたので……」と言う。「レポート? 何のことだ? 何も聞いてないぞ。××くんにそれを返し、“直接僕に手渡すように”と伝えてくれ」と応じると、ワッキーの顔がみるみる曇った。「でも、××くんはビルから飛び降りて……、自殺してしまったんです」。
僕は言葉を失った。脳裏には高層ビルの屋上から飛び降りた××くんの姿が浮かんだ。ひどいショックと動揺に襲われた。

そこで目が覚めた。心臓がバクバクと高鳴っている。横には息子が寝ていた。「ガガガガッ、スゥ~ピィ~……………………。ガガガガッ、スゥ~ピィ~……………………」。大きないびきをかいている。
夢の中で「あーうるさい!」と感じた音の正体は、このいびきだったのだ。

と、オチがついたのはいいのだが、「僕は精神的に疲れているのだろうか?」と心配になってきた。確かに昨日は3人と面談している(内2人は電話相談)。それに最近「mixi疲れ」というものも自覚されてきた。
どんな形にせよ、「人とコミュニケーションする」ということは、相応の精神力を消費するものなのだろう、とあらためて思った。
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ピタゴラ装置

2007年07月17日 | 日記 ・ 雑文
『ピタゴラスイッチ』という、NHK教育テレビで放映されている幼児向け教育番組をご存知だろうか?
「アルゴリズム体操」「お父さんスイッチ」「10本アニメ」「フレーミー」などなど、大人が観ても楽しいコンテンツがたくさんあるのだが、中でも秀逸なのが題名の「ピタゴラ装置」である。

「ピタゴラ装置」を文章で説明するのは難しい。簡単に言うと、ビー玉やボールなど転がる物が、さまざまな工夫を凝らした手作りの装置の上をコロコロ転がってゴール地点に到達する、というものである。
これを観ていると本当に「スゲェー!!」と、心の中で感嘆符を打ってしまう。純粋に感動してしまう。ピンチの場面では思わず心の中で「ガンバレ!ガンバレ!」と叫んでしまう。自然と“子どもの心”に戻ってしまうのだ。ハタから見れば「なんて大人げのない。たかが幼児番組で……」と見られてしまうに違いない。

この「ピタゴラ装置」、それだけを集めて編集したDVDが、すでに2本も発売されている。もちろん我が家には2本ともある。一家で大ファンなのだ。
とくに息子は大好きで、最近は毎日のように1日何回も「ピタみる!ピタみる!」と言ってその本(DVDが付属している本として出版されている)を持ってくる。

ファンとはいえ、大人のほうはさすがに同じものを何度も観れば飽きてしまうが、息子はなかなか飽きないらしい。“飽きる”という脳の機能がまだ未成熟・未発達なのだろう。しかし別の角度から見れば、「同じものを観ても毎回“感動できる”素晴らしい感受性の持ち主だ」とは言えないだろうか?

我が身を振り返ってみると、クライエントとの面談中に「ああ、またこの人同じこと言ってるなあ……。まったく……」という思いになった経験がたくさんある。カウンセラーが“同じこと”というレッテルを貼ってしまうと、もうそこでは何も“響いてこない”のだ。

もし仮に息子がカウンセラーだったら、その場面をどのように経験するだろうか? 大人にとっては“同じこと”と感じられることでも、息子にとっては毎回“何らかの違った感じ”が、心に響くのかもしれない。
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操作主義について思ったこと

2007年07月14日 | 日記 ・ 雑文
息子(3歳)は親の言うことをまったく聞かない。「○○しなさい!」と言えば「○○しない!」と言って一歩も動かず、「××しちゃダメって言ってるでしょ!」と言えば「××するの~」と言って、親がとても困ることや危険なことをしたがる。とにかく、まず最初はほとんどの場合、親の指示とは反対の行為をとるのである。
四六時中こんな調子なので、息子と関わっていると親のほうは疲れ切ってグッタリしてしまう。とくに被害(?)を受けてるのは母親のほうだが、僕だって例外ではない。

息子は最近、誕生日に買い与えた自転車(ゴロ付き)にハマっているのだが、それに付き合わされて大変な目に遭ったことがあった。幼稚園に行ってる日は帰宅するのが3時頃なので、自転車で出かけるのはいつも夕方だ。
その日もあっちやこっちやお気に入りのコースを一巡りした。もうかれこれ2時間近くは走り続けただろうか。こちらはもうヘトヘトである。時計を見ると6時を過ぎていた。夕飯の時間なので帰らなければならない。そこで自転車の向きを強引に変えてこう言った。

「ご飯の時間だから帰ろう」
「帰らない」
「ご飯食べないの?」
「食べない」
「じゃあジュース飲もう。ヤクルト飲もう」
「飲まない」
「じゃあチョコレート食べよう。アポロ食べよう」
「食べない」
「じゃあ……トミカで遊ぼう。自動車工場で遊ぼう」
「遊ばない」
「じゃあ…………トーマスの映画観よう。ディーゼル10観よう」
「観ない」
「…………自転車で遊ぶの?」
「遊ぶの!」
「ダメだよ。ご飯の時間だから帰るよ(怒)」

と言って自転車を動かそうとしたら、彼は怒って自転車を倒した。そして自分もその場に仰向けになった。足をバタバタさせながら靴を脱いで放り投げた。靴を脱ぐのは「ここから動かないよ!」という意思表示である。車道なので傍らをクルマが通り過ぎていく。車道にはみ出してはないが、歩行者の邪魔には十分なっている。

僕は本当に困り切ってしまった。彼が大好きなものをエサにして釣ってみようと試みたが、まったく通用しない。彼の心は「僕は今、ここで、自転車で遊びたいのだ!」の一心なのである。それ以外は眼中にない。
かといって、ここで彼の願望を容認するわけにはいかない。家に帰らない、ご飯も食べない、フロにも入らない、ということが許容できるわけがない。カウンセリングに限らず、人生には「時間の制限」があるのだ。

困り果てて僕も地べたに座り込んだ。倒れた自転車と仰向けの息子を視野に入れながら、僕の視点は空中をさ迷っていた。フト脳裏をかすめたのは『人間が人間を操作できるわけがない。人間は機械やクルマとは違うのだ』という友田先生の言葉だった。このときほどこの言葉の意味が、胸に深く染み込んだことはない。
僕はこの言葉を噛み締めながら、さらに深く絶望した。「この状況で僕にできることは何も無い」と悟った。彼を動かそうとすることを完全にあきらめた。僕にできることと言えば、ただもう「困ること」だけだったので、傍らでずーっと「困って」いた。他には何の思いも無かった。

5分くらいたったであろうか。彼は無言ですくっと立ち上がり、倒れた自転車を元に戻した。“非常に大切な場面だ”と感じたので、僕も無言で彼の行動を見守った。ここで不用意な発言をすると、すべてがパアになってしまう。そんな気がした。
彼は靴を履かずに自転車をこぎ出した。向ったのは我が家の方向だった。

仰向けになって動かないことに飽きたのだろうか? 真相はわからない。ただ、「気が変わった」ことだけは確かである。
僕は驚いた。何が彼の気持ちを変えたのだろう? わからない。いや、わかっている。“自然に”変わったに決まっているじゃないか。でもその“自然に”って……いったい何だろう?
そんなことを考えながら、僕たち二人は無事に家までたどり着くことができた。

心理学用語を使うと、こういうのを「第一反抗期」と呼ぶのだろう。しかし僕にはどうしても「反抗期」には見えない。と言うより「心理学の立場からすれば確かに“反抗期”だろうが、これをそう呼んでしまっていいのか?」という疑問を抱くのである。
“カウンセリングの立場”から見れば、彼は「今、ここで、やりたいことを、やろうとした」だけのことである。それを「反抗期」などと名付けて、あたかも「反抗する側に問題がある」かのようなレッテルを貼るのは、いかがなものかと思うのだが……。
しかし、だからといって親としては「何もかも許容する」わけにはいかない。カウンセリングだって許容されるのは、面接中の1時間に限られるのだから。「人生には時間の制限がある」ということを体験的に、実感できるように教える必要はあるだろう。ま、それができれば……という話だが。

したがってこんなときは、「親にできるのはせいぜい“困ること”ぐらいのものだよな~。ハア(ため息)」と、半ば無力感を感じながら、しかたがないので今はそう思い定めている。そしてまた、「徹底的に“困ること”ができたなら、一に徹することができたなら、道は自ずと開けてくるのではないか?」という、かすかな希望も抱いている。
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クライエントを理解する?

2007年07月13日 | 日記 ・ 雑文
これといったネタがないので、最近気になっていることを整理してみたい。

先日のカウンセリング講座(日本カウンセリング・センター主催の講座。私は世話人として参加している)での一場面であるが、参加者の一人が「カウンセラーはクライエントを理解することが大切だと私は思う」という内容の発言があった。
こういう考え方や思い方を含んだ発言に接するのは稀ではないが、その度に僕は首を傾げずにはいられない。その場面でも僕は「そういう考え方、捉え方は間違ってると思いますよ」という意味の応答をし、アプローチしようと試みたのであるが……。

ロジャーズは「基本的仮説」として、こう述べている。
『効果的なカウンセリングは、クライエントをして、自分の新しい方向をめざして積極的に歩み出すことができる程度にまで、自分というものについての理解を達成できるようにする、明確に構成された許容的な関係によって成立するものである。』と。(ロジャーズ全集2・カウンセリング p.20)

これをいったいどのように読めば、「カウンセラーはクライエントを理解することが大切だ」と読めるのであろうか?
あるいはひょっとすると、この「基本的仮説」それ自体が“仮説として”受け入れられない人もいるかもしれない。が、その場合にはさっさとロジャーズに見切りを付けて、他の学派に転向したほうが身のためだろう。なぜなら、この「基本的仮説」を“仮説として”保持できない限り、ロジャーズ流のカウンセリングをやっていくことなど所詮は無理である……と断言したいからである。

「カウンセラーがクライエントを理解してない(理解できてない)」証拠を挙げたらキリがない。例えば、

カウンセラー:そうですねえ、さて、昨日は、わたくしたちが話し合いを進めてゆけるかどうかを、いろいろの面から話し合ったわけで、わたくしにはわかりませんが、あなたの心にかかっていることがどのようなことなのか、わたくしはできるだけはっきりさせたいのですが、もっとわたくしに話してくださいませんかね。
クライエント:そうですねえ……(以下略)

という逐語記録がある。(ロジャーズ全集9・カウンセリングの技術 p.7)
カウンセラーがいかにクライエントを“理解してないか”が、非常にはっきりと示されているではないか。

僕に言わせれば「クライエントを理解することなど、到底不可能である」としか言いようがない。カウンセラーにできることといえば、所詮は「クライエントを理解しようと“努力すること”」ぐらいのものだろう。
もし仮に「カウンセラーはクライエントを理解しなければならない。そうしないとカウンセリングは成立しない」という事実が判明したなら、僕はカウンセラーを廃業するしかない。そんなこと、僕の力では絶対に不可能だからである。
もし仮に「私はクライエントを理解している」というカウンセラーがいたなら、そんな話はまったく信じられないだけでなく、「思い上がりもはなはだしい! お前は神様か!」と憤怒するだろう。

そもそも“カウンセリング”というのは、カウンセラーとクライエントがお互いに「何らかの努力をし続けていくプロセスそれ自体」を指しているのではないのか? 基本的には「理解できた」とか「できなかった」とかいうレベルのものではないはずである(少なくとも僕はそう思っている)。

自慢話になるかもしれないが、僕の場合、クライエントを理解しようと「努力すること」は、だいぶできるようになってきた。いやいや、友田先生とかああいうレベルのカウンセラーと比べたら、僕はまだ「ヨチヨチ歩き」のカウンセラーだが、それでもカウンセラーとしての“自分の成長”は感じている。それは“喜び”ではあるが、一方で“慢心”につながりやしないか? という危惧も抱いているのだが。

結局最終的には「努力する」の一語に尽きるのであろうが、この「努力する」がクセモノである。ロジャーズや友田が行なった「努力する」は、いったいどのような類の「努力する」なのか? あるいは彼らの「努力する」が、自分はどの程度できているのか? 自分は自分が思うところの「努力する」をやっていけば、それで構わないのか?
このあたりが“カウンセリングというもの”における最大の問題点であり、焦点であり、課題なのだろうと思い定めている。
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“客観性”とは?

2007年07月12日 | 日記 ・ 雑文
数日前に注文したメガネが出来上がったとの知らせを受け、吉祥寺のメガネ店へ行った。さっそく新品のメガネを装着し、前から気になっていた「博多ラーメン」のお店に入店。最もオーソドックスなラーメンとプラス100円で食すことができるギョーザを注文した。
出てきたラーメンは見たところ、確かに「博多ラーメン」だ。ところが一口入れたとたん「アレ?」という感覚がよぎった。しばらくはそのまま食べていたが、やはり何かが違う。テーブルの片隅に目が行き気がついた。「紅生姜」をトッピングするのを忘れていたのだ。「博多ラーメン」というと、普通は紅生姜がのっているものだ(と私は思っている)が、そのお店は客の好みで紅生姜をはじめ、いろんなものをトッピングできるという吉野家方式(?)のお店だったのだ。
紅生姜を加えると「あの味」にかなり近くなった。がしかし、僕の中の「物足りなさ」は完全には解消できなかった。あの独特の匂いというか、クサさがほとんど感じられなかったのだ。

「博多ラーメン」を生まれて初めて食べたのは、高校時代に友人に連れられていった地元のラーメン屋だった。こんな味のラーメンは食べたことがなかったので、すごい衝撃だった。このときの経験は僕の中で「博多ラーメンというのは、これこれこういうもの(味)だ」というふうにインプットされている。僕が「あの味」と呼んでいるのは、このときに記憶された味のことである。

「博多ラーメンの良し悪し」を客観的に論じるなら、僕が初めて食べた「地元のラーメン屋の味」を“最高級”に位置づけるのはおよそ馬鹿げている。僕はグルメじゃないのでわからないが、“その道の専門家”に言わせれば僕の食べた「あの味」など、「博多ラーメン全体の中で」はきっと“平均レベル以下”に位置づけられるに違いない。客観的に言えば、僕が「“あの味”を“博多ラーメンの基準”にしているということ」それ自体が間違いであり、馬鹿げていると言えるだろう。

しかし、僕の経験されている世界においては、間違いなく「あの味」が「博多ラーメンの基準」になってしまっているのである。これは僕個人にとっては、事実以外の何ものでもない。いったい誰が「それはあなたの主観であり、客観性に基づけば間違いである」と、説き伏せることができよう? 僕の心に刻まれている「あの衝撃的な体験」を消去することが、いったい誰にできよう? 仮にそのようなことを僕に対して行なう人物がいたとしたら、そのような行為は「私個人に対する冒とくである!」とさえ言いたい。

「結局は“おふくろの味”以上の味はないのだ」というのは、一つの真実であるように思える。「おふくろの味」というものに対し、「客観性を説いて間違いを正す」ようなことをしようものなら、そんなことを「する側の人間」こそ、はるかに馬鹿げているということは、言うまでもないだろう。

私たち現代人が、何の疑問もなく当たり前のように価値付けている(いや、“信仰している”といったほうが適切かもしれない)“客観性”とは、いったい何だろうか? ……などということを僕の貧弱な頭脳でいくら考えてみても、一向に答えは出て来そうにない。が、少なくともそこには“何か大きな問題点”があることを僕は確かに感じている。

「博多ラーメン」を食べ終えた帰り道、上述したようなアレコレを考えながら歩いていたら、駅前まで自転車で行ったことをうっかり忘れて徒歩で自宅にたどり着いてしまった。何ともトホホな話である。
と同時に、夏目漱石の『草枕』の冒頭部分を思い出した。詳細は割愛するが、ふだん“考えない”人間が、“考える”などという慣れないことをするとロクなことがないようだ。
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リンク集

2007年07月10日 | リンク集

カウンセリングルームTOMOKEN
当ブログの管理人が運営する心理カウンセリングルーム。個人面談・電話相談・カウンセラー養成コース等の詳細な案内を掲載しています。(山梨県甲府市・JR身延線南甲府駅徒歩1分)
財団法人 日本カウンセリング・センター
管理人がカウンセリングと出会い、認定カウンセラーの資格を得て、現在も学び続けているカウンセラー養成機関。日本で最も歴史のある民間のカウンセリング団体です。
日本人間性心理学会
カウンセリングの創始者・カール・ロジャーズらが開拓し、発展し続けている「人間性心理学」の日本の学会公式ホームページ。最新の学術論文等が掲載されています。
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「プロセスに従う、プロセスを生きる」というテーマに取り組んでいる秋雨さんのブログ。カウンセリングを含めた多方面・多分野に関する情報を発信しています。
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管理人のプロフィール

2007年07月09日 | プロフィール
名  前   山本伊知郎
性  別   男性
現住所   山梨県甲府市住吉1-1-5
年  齢   47歳
血液型   A型
出身地   山梨県甲府市
趣  味   スポーツ観戦(NFL・サッカーなど)
職  業   専門職(心理カウンセラー)、平日は会社員
所  属   財団法人 日本カウンセリング・センター
家  族   妻と息子(7歳)の3人で暮らしています
資  格   財団法人 日本カウンセリング・センター認定カウンセラー(第211号)
連絡先   E-mail:tomoken2001@goo.jp 電話:055-269-6142 携帯:090-7230-8134
U R L   http://www.yayaya.co.jp/tomoken/

<略  歴>
1966年   山梨県甲府市生まれ
1988年   専修大学経営学部経営学科中退
1994年   (株)アスキー退社
1996年   (財)日本カウンセリング・センター主催「カウンセラー養成講座」受講
1999年   カウンセリング自主学習グループ「友田研究会」発足
2001年   カウンセリングルームTOMOKEN(東京都三鷹市)開業
2002年   (財)日本カウンセリング・センター認定カウンセラー(第211号)資格取得
2005年   (財)日本カウンセリング・センター主催「夏季ワークショップ」世話人
2006年   (財)日本カウンセリング・センター主催「カウンセリング概論」世話人
2009年   (財)日本カウンセリング・センター理事就任
2011年   山梨県甲府市に移転

<興味・関心>
老荘思想、禅仏教、易経、クライエント中心療法(カール・ロジャーズの思想と哲学)、フォーカシング(ユージン・ジェンドリンの思想と哲学)、トランスパーソナル心理学

<影響を受けた本>
『それでも人生にイエスと言う』(V・E・フランクル著 山田邦男、松田美佳訳 春秋社)
『生きるということ』(エーリッヒ・フロム著 佐野哲郎訳 紀伊國屋書店)
『ここまで来た「あの世」の科学』(天外伺朗著 祥伝社)
『転生と地球』(高木善之著 PHP研究所)
『生きがいの創造』(飯田史彦著 PHP研究所)
『聖なる予言』(ジェームズ・レッドフィールド著 山川紘矢、山川亜希子訳 角川書店)
『神との対話』(ニール・ドナルド・ウォルシュ著 吉田利子訳 サンマーク出版)
『「易」心理学入門-易・ユング・共時性-』(定方昭夫著 柏樹社)
『ロジャーズ全集第2巻 カウンセリング』(カール・ロジャーズ著 佐治守夫編 友田不二男訳 岩崎学術出版社)
『ロジャーズ全集第9巻 カウンセリングの技術』(カール・ロジャーズ著 友田不二男編 児玉享子訳 岩崎学術出版社)

<著作など>
『私とカウンセリング』(機関誌カウンセリング研究VOL.20 日本カウンセリング・センター 2003年)
『自発協同学習で学ぶ』(機関誌カウンセリング研究VOL.24 日本カウンセリング・センター 2009年)
『友田不二男研究 ~日本人の日本人による日本人のためのカウンセリング~』(日本カウンセリング・センター 2009年)

<好きな言葉>
自分が幸せな人は他人も幸せにする。自分が不幸な人は他人も不幸にする。

<自己紹介>
じつは私自身、サラリーマン時代に心の病(うつ病)を患って苦しんだ経験があります。当時は会社に出社できなくなるばかりか、死ぬこと以外は考えられないような毎日を過ごし、最終的には会社も退職せざるを得なくなりました。近所のメンタルクリニックに通い、カウンセリングを受け、薬も服用しましたが、結局私にはほとんど何も役に立ちませんでした。

その後、ふとしたきっかけで「生まれ変わる」ことができ、うつ病は少しずつ改善していきましたが、この経験から私は次のような思いを強く抱くようになりました。「心の病を治せる人や理解できる人が、今の世の中にはもっともっと必要ではないか?」、「このような自分の経験を活かすことを、精神的な問題や障害で苦しんでる人たちを援助することを、私はこれからの人生でやっていきたい! それこそが自分の使命ではないか?」と。(このあたりの経緯は『私とカウンセリング』と題する手記で述べています。詳細はそちらをご覧ください)。

そのような強い志を持った私は心機一転、カウンセリングの世界に身を投じました。それから数年間、強い熱意でカウンセリングというものに取り組んできた経緯もあり、カウンセラーの資格を得ることができました。しかし、「もっともっと有意義で効果的なカウンセリングを開拓していきたい!」、「さらなる成長・発展を目指して歩んでいきたい!」という思いから、現在も(財)日本カウンセリング・センターなどの場で学び続けながら、自己成長と自己探求の道を歩んでおります。
最近は「クライエント中心療法」「東洋思想」「トランスパーソナル心理学」等に強い関心があり、それらの見解を手掛かりに“人間というもの”に対する理解を深めつつ、更なる探求・研究を続けているところです。

私の方針としては、「クライエントさんの問題や障害を解決する」のではなく、また「クライエントさんに問題や障害を解決させる」のでもなく、「クライエントさんと共に」心の問題や障害に取り組み、「クライエントさんと共に」心の成長を目指していきたい!……という思いで、さまざまな方々の相談にのっております。
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