最近の経験だが、「日本における昨今のカウンセリング界の動向を耳にするにつれ、なんとも言いようのない嘆かわしいような気持ちに包まれていった」という私的な経験があった。
カウンセリングの歴史を紐解いてみると、確かに40~50年前と比べたら“カウンセリングという言葉”は広く一般に普及している。しかし、その事実は「カウンセリングが成長・発展してきた」ということを証明しているのだろうか? 筆者はこの現状を「どうしても肯定的に見ることができない」ばかりか、むしろ「後退・衰退しているのではないか?」という疑問すら抱いてしまう。
公的な機関が行なっているカウンセリング活動に関して言えば、経済の原理・原則である“費用対効果”が強く求められているらしい。平たく言えば、「カウンセラーはできる限り早く効果を上げなければならない」ということだ。ゆえに、他の療法と比べて時間がかかる“クライエント中心療法”は敬遠されてしまうらしい。
“現に生きている生身の人間”は、決して決して“経済の原理・原則”で動いている(生きている)わけではない。個人個人は誰もがみな、他者とは異なる自分のペースで成長・発展の“プロセスを生きている”のである。それが人間性、すなわち性(さが)である。したがって、人間の成長や発展や教育の分野に“経済の原理”を適用しようと企てること自体が「大間違いである!」と筆者は主張したい。
戦後、日本の経済は目覚しい発展を遂げた。しかし、経済と人間とはまったく別物である。経済が成長したのと同じやり方で“人間の成長を促す”ことなどできるはずがない。この問題はカウンセラーだけでなく、広く教育関係者たちを含めて熟考してほしいと思う。
筆者に言わせれば、「世間の教育関係者たちの大半は、そんなことすらわからないのか? 少なくとも“人間というもの”に対して、もっと疑問を持ってほしいのだが……」となる。これが冒頭で述べた「嘆かわしいような気持ち」の中身だ。
というようなプロセスが筆者の心中に生じていることもあり、「クライエント中心療法の立場や考え方を、もっと明確に示してみたい!」という思いに至った。そこで「クライエント中心療法の概略」と題した論文を執筆し、ホームページ上に掲載した。
「クライエント中心療法の概略」はこちら≫
現在のカウンセリング業界で評されている通り、本当に「クライエント中心療法は時代遅れ」なのだろうか? 読者自身によってもう一度、再検討してもらえたら幸いである。
カウンセリングの歴史を紐解いてみると、確かに40~50年前と比べたら“カウンセリングという言葉”は広く一般に普及している。しかし、その事実は「カウンセリングが成長・発展してきた」ということを証明しているのだろうか? 筆者はこの現状を「どうしても肯定的に見ることができない」ばかりか、むしろ「後退・衰退しているのではないか?」という疑問すら抱いてしまう。
公的な機関が行なっているカウンセリング活動に関して言えば、経済の原理・原則である“費用対効果”が強く求められているらしい。平たく言えば、「カウンセラーはできる限り早く効果を上げなければならない」ということだ。ゆえに、他の療法と比べて時間がかかる“クライエント中心療法”は敬遠されてしまうらしい。
“現に生きている生身の人間”は、決して決して“経済の原理・原則”で動いている(生きている)わけではない。個人個人は誰もがみな、他者とは異なる自分のペースで成長・発展の“プロセスを生きている”のである。それが人間性、すなわち性(さが)である。したがって、人間の成長や発展や教育の分野に“経済の原理”を適用しようと企てること自体が「大間違いである!」と筆者は主張したい。
戦後、日本の経済は目覚しい発展を遂げた。しかし、経済と人間とはまったく別物である。経済が成長したのと同じやり方で“人間の成長を促す”ことなどできるはずがない。この問題はカウンセラーだけでなく、広く教育関係者たちを含めて熟考してほしいと思う。
筆者に言わせれば、「世間の教育関係者たちの大半は、そんなことすらわからないのか? 少なくとも“人間というもの”に対して、もっと疑問を持ってほしいのだが……」となる。これが冒頭で述べた「嘆かわしいような気持ち」の中身だ。
というようなプロセスが筆者の心中に生じていることもあり、「クライエント中心療法の立場や考え方を、もっと明確に示してみたい!」という思いに至った。そこで「クライエント中心療法の概略」と題した論文を執筆し、ホームページ上に掲載した。
「クライエント中心療法の概略」はこちら≫
現在のカウンセリング業界で評されている通り、本当に「クライエント中心療法は時代遅れ」なのだろうか? 読者自身によってもう一度、再検討してもらえたら幸いである。