カウンセラーのコラム

山梨県甲府市でカウンセリングルームを開業している心理カウンセラーの雑文です。

孔子と老子とカウンセリング

2008年09月16日 | 日記 ・ 雑文
私は故・友田不二男先生に師事した関係上、東洋思想的立場から“カウンセリングというもの”を探求し続けてきた人間のひとりであるが、最近のわが国のカウンセリング事情を小耳にはさみ、「日本のカウンセリングを開拓してきた友田不二男や伊東博らが残した業績など、今やすっかり忘れ去られてしまっているのではないか?」という感を抱くようになった。
以下に掲載するのは『孔子と老子とカウンセリング』と題された友田不二男の論文だが、“東洋思想とカウンセリングとの結びつき”について、とても明解な言葉で語られている作品のひとつだと思う。また、この論文が掲載されている書籍が世間にはあまり普及していないマイナーな本だったこともあり、「もう一度スポットライトを当てたい!」という思いも含めてここに転載することにした。



【孔子と老子とカウンセリング】

手許に資料がなくて、また、資料を捜す余裕もなくて、まことに曖昧模糊とした記憶を頼りに言うことですが、私が“論語に現われている孔子とカウンセリング”に続いて“老荘思想とカウンセリング”と題する駄弁を弄したのは、昭和35年から36年あたりにかけてのことだったのではないでしょうか?(注:昭和42~43年の誤り。この2つの講演記録は『かりのやど』(山径会 1994年)に再録されている)。当時の私にとっては、それは、ひとつには、カール・R・ロジャーズが創唱し開拓していた方向でのカウンセリングもしくはサイコセラピィが、伝統的・一般的意味でのカウンセリングやサイコセラピィとは著しく趣を異にしていて、端的に言えば“西欧の文化・文明に基礎づけられているというよりはむしろ、かなり強く、かつ深く東洋思想と結びついている”という印象を強くすると同時に、他方、“東洋思想的基盤に立っての検討を必要とする”と思われてのことでした。しかし、ありていに言えば、このような個人的な印象と必要は、なんらの社会的反響を喚起するに至らず、文字通りの“空鉄砲”に終ったと言ってしまってよいでしょう。
同じような成り行きは、その後、昭和43年2月、ロジャーズ全集の第18巻“わが国のクライエント中心療法の研究”が刊行された折りにも、等しく経験されました。と申しますのは、同署の第4部は“ロジャーズと東洋思想”と題されて、“儒教”や“道教”の観点からばかりでなく、“仏教”や“神道”の観点からの論考も加えて編集したのですが、格別の反響を呼んだと思える印象も皆無のまま、現実的には流れ去ってしまいました。そして、日本のカウンセリング界は、サイコセラピィの分野をも含めて、言わば“さまざまな外来種の導入”という方向へと、いよいよ賑々しく展開してきているのであります。

このような状況下に在って私は、“農耕と蕉風俳諧”に多大の時間と労力とを費やすことになりました。と申しますのは、なんと言っても“現実的な事情がそれを許してくれたから”でありますが、理屈をつければ私にとっては、“農耕も蕉風俳諧も老荘(道教)に近づく道”であったのでした。さらに言えば、いわゆる“孔孟(儒教)への道”は、言わば“きわめて日常的”な特質を持っており、現実の生活場面における日々の諸体験がそのまま通じておりますけれど、“老荘(道教)への道”は“きわめて非日常的”であり、“瞑想的・神秘的な密教的修行と体験”を想定させずにはおかないものがあり、現実的な次善の策として“農耕と蕉風俳諧”は何よりの手がかりを与えてくれたのでした。
いささか“蛇足”に類する観もありますが、“孔孟(儒教)の教え”というのは、日常の生活において体験する具体的・現実的な事象や困難に決して背を向けたり尻込みしたりすることなく、真っ向からそれらに直面して己を鍛え育ててゆくことの意味と価値を説いている。――今流に一言で言えば“生涯学習を唱導している”のですけれど、このような生き方・在り方は“愚劣なエネルギーの浪費である”とし、真の意味における“平安と安寧”は“天地自然の摂理と一体化する”――芭蕉の言葉で言えば“造化にしたがひ造化にかへれ”(笈の小文)――によってしか得られないとするのが“老荘(道教)”であります。現実的な人間の営みの中で、“天地自然の摂理”にきわめて密接しているのが農耕であること、申すまでもありませんし、“芭蕉”は周知のように“旅”という非日常的生活過程において、世のいわゆる“蕉風俳諧”を確立していったのでした。

と、ここまで書いたところで私は、朝食の膳に着くことになり、例によって例の如く食事しながら新聞に眼を通していって、スポーツのページまで辿っていったところで私の眼は、一つの囲み記事に吸い寄せられました。そうです、文字通りに“吸い寄せられていった”のでした。意思的に向かっていったのでは決してありませんでした。ほんとうに“自然に”視線がそちらへと移動していって、一読した瞬間にハッキリと、“まったく予想もしていなかった奇縁”を自覚しました。つまり、私が書き進もうと思っていたことが、現にそこに在ったのでした。ご参考までに転載いたしましょう。

「“要するに、インパクトの時だけ力を入れるようにと。小学生でも知っている話だけど、これが難しいんだよね”と原は言う。」

と。“巨人(ジャイアンツ)の原”と言えばもう、解説・説明はおよそ不要でしょうが、言葉のレベルで言えば“小学生でも知っている”打撃のコツが、行動のレベルでは“至難時となる”という原選手の述懐は、決して野球の打撃に関するだけのことではなく、広くあらゆる分野での実践家・臨床家に通ずる問題でありましょう。
そこで、“カウンセラーとしての体験”と結びついて、この述懐的談話が私の脳裏にもたらした連想を文字にいたしましょう。

(イ)知的レベルでの理解がそのまま行動に具現されるのは、ごくごく限られた範囲内でのことである。
(ロ)他方、反復練習とか体験学習とかにも限度があって、その限度は、日常的・通念的な意味での学習や体験によって超えられるものではなく、強いて言葉にすれば“きわめてユニークな神秘的体験もしくは洞察”が必要となるところである。

と。この“きわめてユニークな神秘的体験もしくは洞察”を私は、“訪れ”という言葉で表現してきておりますが、この“訪れ”が基本的・現実的に、伝統的・一般的意味での“科学”――現在のいわゆる“ニュートン物理学的世界観”によって強固に体制化されてしまっている科学――と相容れないこと、自明であります。現にこの“訪れ”は、きわめて簡単に“神がかり”という言葉と結びついて、どれ程“胡散臭い眼差し”を掻き立てたことでしょうか? 少しく知的に“偶然”という言葉で片付けられて、“科学の埒外”に締め出されてきてもおりますし、“名人芸”という言葉で態よく棚上げされてきてもおります。申すまでもなく、科学の領域には、“例外”とか“異例”とかが許されるものではなく、“例外”とか“異例”とか、あるいは“偶然”とかをことごとく包括する新しい説明原理の発見こそが限りなく肝要なのですけれど、このような方向に日本の学界が態度・姿勢を転ずるのには、まだまだ長い時間と痛烈な体験とが必要なのではないでしょうか? ――とすれば、カウンセリングもサイコセラピィも、まだまだ当分は“下請け的零細企業”に甘んじ続けなければならないことになりましょうか?

しかし、強いて希望的に観ずれば、ある意味では“快哉”を叫びたくなるような、しかし正直、胸中深く、“喜んでなぞいられないぞ!”とつぶやかずにはいられない現象が、急ピッチで表面化しております。端的に言えば、エコロジスト(生態学者)たちの思考と行動に端を発して火の手を上げたエントロピストたちの所説や主張は、識者たちの絶大な共感を呼んでいて、言わば“科学それ自体の飛躍的転換もしくは豹変”が期待され、となると必然的に、“科学界のミソッカスもしくはママッ子”的存在であったカウンセリングやサイコセラピィが一気に浮上する可能性が予測されるのであります。もしもこのような成り行きが現実化するのならば、ほんとうに喜ばしい限りでありますが、しかし、仮にそのような成り行きが現実化するとしても、私ども日本人の身になるとそこには、安閑とはしていられない肝要事が付随していることを、ハッキリと認識し自覚しておかなければならないでしょう。

それはほかではありません。私ども日本人の間では“非科学的”ということで学問の領域から締め出されていたアレコレが、――例えば“祟り(怨霊)”というような霊魂的現象や、“瞑想”とか“悟り”というような宗教的・神秘的体験などが、現代の原子物理学から素粒子物理学への発展過程において科学の領域に包含され、言わば“東洋人のお家芸”とも言うべき精神的基盤・拠り所が西欧科学的観点から西欧の人々によって解明され技術化されてゆくかもしれないのであります。もしもそのような成り行きが具現するとすれば、それは端的に“科学の分野における立ち遅れ”につながることを意味すると言ってよいでしょう。それは、貿易とか経済とか言ったレベルの問題ではなく、“民族の魂”にかかわる問題なのであります。

「1970年代に、物理学者としてわたしが抱いていた大きな関心は、今世紀のはじめの30年間に物理学で起きた、そして今なお物質理論の中でいろいろ手が加えられつつある、概念や発想の劇的な変化にあった。その物理学の新しい概念は、われわれ物理学者の世界観に、デカルトやニュートンの機械論的概念から、ホリスティック(全包括的)でエコロジカル(生態学的)な視点へと、大きな変化をもたらしてきた。わたしの見るところ、それは神秘主義の視点ときわめて似通った視点である。」

と。これはフリチョフ・カプラの著書『ターニング・ポイント』(吉福伸逸訳 工作舎 1984年)の序文の書き出しですが、上述したことの真相・実態は、このカプラの言葉に端的に示唆され象徴されていると言ってよいでしょう。しかもこの“示唆され象徴されている”ところにきわめて密接して“カウンセリング(サイコセラピィを含む)の真髄が現象化し現実化している”のであります。

“孔子と老子とカウンセリング”と題しながら、読者によってはあるいは、この表題がピンとこない記述になってしまっているかもしれません。しかし、もしも“一人の日本人である自分”を謙虚に内省するならば、ハッキリと自覚しているいないにかかわらず、実は孔子も老子もともに、厳然として自分自身の中に実在していることに気づくことでしょう。もちろん、“論語”を読んだこともなければ“老子(書)”を読んでもいない人の場合には、“孔子も老子も”という言い方は“孔子的人物も老子的人物も”という言い方になるでしょうけれど、――そしてこの“二つのタイプの人間が内在する”ことに気づいた当初は、機にふれ折につけて葛藤することになるでしょうが、その“葛藤”こそ実は成長への原動力であり、量子論の言葉を借りれば“孔子的人物と老子的人物とが相補的である”ことに気づいてゆく、“それが日本人の場合のカウンセリングの原型である”と言ってしまってもよいのではないでしょうか?
わが国の漢学者たちの主流においては、儒教(孔孟)と道教(もしくは道徳教)とは対立的に位置づけられているようです。例えば、

「儒家が恥辱に対して潔癖な態度を固執するのに対して、老荘は泥を含み、汚辱にまみれた濁水のごとき生き方を理想とする。儒家が淫らならざる居処をえらぶのに対して、老荘は衆人の悪(にく)む所に拠(お)り、儒家が男性的な剛毅を美徳とするのに対して、老荘は女性的な柔弱を讃美し憧憬する。云々」(福永光司 老子 朝日新聞社)

という叙述は、“儒教と道教との対立関係”を感じさせるに十分でありましょう。しかし、“カウンセラーとしての体験”に即して論語や老子(書)を読み返すとき、両者の“対立的関係”は“相補的関係”と認知されることによって、両者ともに一段と生き生きして躍動し始めるのであります。そしてこの“生き生きとした躍動”は両者の関係を超えて“科学と宗教”・“知性的合理性と感情的直覚性”といったようなさまざまな対立概念をも全体的に包括する状況が想い描かれてくるのであります。そしてその、“全体的に包括する状況”をこそ、ただ単に想い描いているのではなく、明確にし鮮明にしてゆかなければならない現代でありましょう。“これからのカウンセリングやサイコセラピィの基盤がそこにある”と、全心身的に見通すからであります。

“有史以来の未曾有の危機”と言われている現代に在って、この“地球規模での危機”を乗り越える先達は“素粒子物理学者とカウンセラーである”と言ったら、余りにも独りよがりでありましょうか? 批判・論評はどうあろうとも、今日、最も痛切に希求されているものは“新しい世界観の確立”でありましょう。そしてその“新しい世界観”は、“東洋古来の思想中に在り”ということも、先覚的識者の見通しているところなのであります。“温故知新”の意味と価値とが、言わば“自然学”的に問われているところなのであります。

「“観測”ではなく“関与”だという考えは、現代物理学ではごく最近公式化されたものだが、それは神秘思想を学ぶものなら誰でも知っている考え方である。神秘的な知識は単に観察するだけではけっして獲得できるものではなく、自己の全存在の徹底的関与によってのみ獲得されるものである。」

と。このカプラの叙述は、どんなに熟読・吟味してもし過ぎることはないでしょう。端的に言えば、“自己の全存在の徹底的関与”の骨髄は私ども東洋人のうちに秘められている、ということでありましょう。

リフキンのいわゆる“初歩的な物質至上主義の時代へと至る、ごく短い旅路”は、早くも、荘子のいわゆる“枕上邯鄲の夢”と化しそうな気配を示しておりますが、孔子のいわゆる“功言令色、鮮矣仁”を、今こそ肺肝に銘して本格的に旅立つ時ではないでしょうか! “小賢しい舌先三寸”をシッカリと見届けて欲しいとも、心から祈念している次第であります。

『孔子と老子とカウンセリング』友田不二男著(カウンセリングへの歩み第7集 田中正一編 豊橋カウンセリングセンター 1987年 より転載)
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