カウンセラーのコラム

山梨県甲府市でカウンセリングルームを開業している心理カウンセラーの雑文です。

“玉ねぎ”で悟った話

2007年07月20日 | 日記 ・ 雑文
これから書くのは思い出話である。日記ではない。「機会があったら、いつかどこかで記録しておきたい」と思っていたエピソードのひとつである。

まずは当時の私の精神的・環境的状況を説明しなければなるまい。この時点に至るまでの経緯は、ホームページ上に『私とカウンセリング』と題して掲載しているので、細かい説明はしない。大まかに説明すると、

1.出版社に勤めていた私は、怪我をして入院し、それがきっかけでうつ病になってしまう。
2.社会復帰を果たしたものの、どうも以前のような調子が出ない。良い状態と悪い状態の波が激しく、出社拒否を繰り返してしまう。
3.そんなある日、上司の一言がきっかけで「退社すること」を決意する。この決意には「状況を打開する」意味も含まれていた。
4.しかし「退社した私」は予期せぬことに、ますますうつ病を悪化させた。「仕事を失った私」は、自分の「生きる意味」や「存在理由」までも失ってしまったのだ。
5.最終的には「自殺する」しか道はなくなった。が、そこで「あなたにはまだ、やるべきことがある!」という声を聞き、私は自分の傲慢さを悟って、自殺を思いとどまる。この天の声(?)のおかげで、運よく私は「生きる方向」に転じたのだが……。

というのが、ここまでのプロセスである。「生きる方向」に転じたのは良かったが、しかし私はそれまで保持していた「価値観・価値体系」が完全に崩壊し、「いったいこれから何をすればいいのか? どう生きればいいのか?」まったくわからなくなっていた。
「カウンセリングと出会う」のは、この時点から1~2年後のことである。そこで私は「カウンセリングこそが、私の生きる道だ!」と、がぜん奮起したのであるが……。

というわけでこのとき、私のうつ状態はまだ続いていた。毎日毎日うつうつした気分で無気力・無目的に、ただ生き永らえていただけだった。世間をフラフラとさ迷い歩いていた。この当時の“生きがい”と言えば、食事とテレビぐらいだったろうか?

そんなある日、私は昼食を食べに近所のスパゲッティ屋へ歩いて行った。梅雨明けくらいだったと思う。外は蒸し暑かった。

このお店の私のお気に入りは「和風きのこスパゲッティ」だった。迷わずそれを注文した。店内はかなり混雑している。テニス帰りのおばさん集団が楽しそうに談笑している。孤独でうつうつしている自分の“惨めさ”を噛み締めながら、私は目の前に置かれたスパゲッティを口に入れた。
「!!…………うまい!」。それ以上は言葉にできない。夢中で半分くらい食べ続けたあと、フォークを皿に置いた。

具のメインは“きのこ”だが、この料理全体を絶妙な味に引き立たせていると思われた“玉ねぎ”の存在に気がついた。「“玉ねぎ”って、こんなに美味しいものだったんだなあ!」と、生まれて初めて“玉ねぎ”に感動した。そして想像した。
「この宇宙にもしも“玉ねぎ”が存在していなかったら、『料理の鉄人』が作るどんな料理も、きっと味気ないだろうなあ……」と。(『料理の鉄人』とは当時大人気だったテレビ番組。私も好きでほとんど毎回観ていた)。

次の瞬間、静かな爆発が私の中で起きた。
「いや、そうじゃない。“玉ねぎが存在しない宇宙”なんて、存在し得ないんだ!」
「“玉ねぎ”だけじゃない。“塩”も“コショウ”もこの宇宙にあるすべてのものが、“宇宙を存在させる”のに欠かせない、大切な、かけがいのない存在だったのだ!」
「そしてそれは、“この私”にも当てはまるのだ。“この私”が存在しない宇宙など在り得ないのだ。“この私”もまた、“玉ねぎ”や“塩”や“コショウ”と同じく、この宇宙に絶対に必要不可欠な、かけがいのない存在だったのだ!」

それを悟ったときの私の感動は、言葉ではとても表現できない。
店内だったし、涙は流さなかったと記憶している。しかし私の心の中は、次から次へとめどもなくあふれ出してくる涙でいっぱいだった。

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