私が、本を出版できるようになるまでの道のりを、忘れないように残しておこう。
前回からの続き。
一番時間がかかった「リーダーシップ」を乗り越えると、
残りの「ネゴシエーション」「アジアビジネス」「テクノロジーマネジメント」は、
編集者の三浦さんと共著の山崎さんと話しながら順調に原稿作りが進んでいった。
それから1か月。
共著の山崎さん私は、各章ごとには少しまとまった文章になったものを、章全体として形になるように何度も読んでは微調整する、という地道な校正作業に入っていった。
ここでも共著の難しさが浮き彫りになった。
山崎さんと私では何よりも論調や書き方が違うので、各章を組み合わせると何となく全体がちぐはぐになってしまうのだった。
ここは私達二人では何とも解決できなかったので、敏腕編集者の三浦さんに全体の統一感を出してもらうようにお願いした。
他にもいくつも仕事を抱えていた(であろう)編集者の三浦さんだったが、二つ返事で引き受けてくれた。
本の出版には何よりも編集者が一番の功労者なのだ、と改めて実感した。
時が経つこと、2か月。。。
夏も終わり、秋に差し掛かる10月頃。
共著の山崎さんと「あれ?三浦さんから連絡がこないね。私たちの本、進捗どうなっているのかなあ」と不安を募らせていた矢先に
三浦さんから「全体の原稿の第一案ができました。印刷してお送りします」と連絡があった。
「生みの苦しみ」とはよく言ったもので、原稿の素案を見ただけでも私も山崎さんも心躍るように嬉しかった。
さてさて、本になる前の原稿の素案は全体を通して読むとどんな風になっているのだろうか?
私達はドキドキしながら原稿を読み始めたのだった。
続く。。。
前回からの続き。
一番時間がかかった「リーダーシップ」を乗り越えると、
残りの「ネゴシエーション」「アジアビジネス」「テクノロジーマネジメント」は、
編集者の三浦さんと共著の山崎さんと話しながら順調に原稿作りが進んでいった。
それから1か月。
共著の山崎さん私は、各章ごとには少しまとまった文章になったものを、章全体として形になるように何度も読んでは微調整する、という地道な校正作業に入っていった。
ここでも共著の難しさが浮き彫りになった。
山崎さんと私では何よりも論調や書き方が違うので、各章を組み合わせると何となく全体がちぐはぐになってしまうのだった。
ここは私達二人では何とも解決できなかったので、敏腕編集者の三浦さんに全体の統一感を出してもらうようにお願いした。
他にもいくつも仕事を抱えていた(であろう)編集者の三浦さんだったが、二つ返事で引き受けてくれた。
本の出版には何よりも編集者が一番の功労者なのだ、と改めて実感した。
時が経つこと、2か月。。。
夏も終わり、秋に差し掛かる10月頃。
共著の山崎さんと「あれ?三浦さんから連絡がこないね。私たちの本、進捗どうなっているのかなあ」と不安を募らせていた矢先に
三浦さんから「全体の原稿の第一案ができました。印刷してお送りします」と連絡があった。
「生みの苦しみ」とはよく言ったもので、原稿の素案を見ただけでも私も山崎さんも心躍るように嬉しかった。
さてさて、本になる前の原稿の素案は全体を通して読むとどんな風になっているのだろうか?
私達はドキドキしながら原稿を読み始めたのだった。
続く。。。