人によって家族の存在は大きく違うと思います。私にとっては、、、「家族とは大いなる学びの場」なんだと、今日、改めて感じることがありました。
事の始まりは、できちゃった婚をする妹のメールから。。。今までの彼女の悪い癖が治っておらず少し自分に厳しさが足りないように感じた私は、
自立について書いたブログを妹に送りました。決して、彼女を悲しませたかったわけではないのですが、「親になる」自覚を持ち自分だけではなく子供の責任もきちんと取れる大人になってほしかったから。
しかし、それは私からのあまりにも強すぎる期待の表れだったのかも、しれません。すぐに弟(妹にとっては兄)から連絡が入りました。「貴女、厳しすぎるよ。今は赤ちゃんへの影響を考えることが一番だ」と。たしかに厳しすぎたかもしれません。しかし、「誰かが厳しく要望しなければ妹の成長はない。これから親としてさらに厳しい試練が待っているのに。甘やかすことは誰にでもできる。自分自身でさえ。人は弱い生き物なので甘やかせてくれる人のところになびく。だからこそ、誰かが悪者になっても厳しいことを言う必要がある」と、私は彼に説明しました。彼が理解したかどうかは、私には分かりませんでしたが。。。
とはいっても、私も言い過ぎたなーと反省し、(自分で高い目標を設定してしまう私でさえ全然できていない『自立』ということを、自立したくてもしづらい環境にいる妹にいきなり突きつけるのは確かに厳しいかもしれないから(>_<))、直接妹に電話をして話をしました。「将来いつか私が言ったことを分かってくれますように・・・」と祈りながら。
1日経って、妹からメールの返事が。妹なりに私のブログを読んで考えた結果、「もっと大人になれるように頑張る」という決意のメールでした。実はあの後、弟はこっそり妹に「あえて厳しいことを言うお姉ちゃんの優しさと辛さを分かってあげなさい」と言っていたそうなのです。
なぜか、涙が出てしまいました。
こういう本気のぶつけ合いこそが、「相手への愛」だと感じたから。そして、私には本気をぶつけられる弟や妹がいることが無性に嬉しかったから。
姉とか兄とか年齢に関係なく、私達はいつも本気で相手のために考え、伝えます。それは時には伝わらなかったり、喧嘩になったり。。。でもその裏に相手への愛と尊敬がある以上、それは必ず最後には伝わるものなのです。
最近、私が自分の人生に少し弱気になっていたときの弟の言葉。
『焦らなくてもいい。今は自分に与えられた運命を愚直にやるとき。時がくれば自然と自分が目指す姿になっていることでしょう。どんな失敗をしてもあきらめずに自分の可能性を信じること。そういう人に神様は平等に機会を与えてくれると信じています。「信は力なり」。』
私はまだまだ愚直になってやることがたくさんあります。前に進むのみ、です。