BE~Beautiful Energy~

自分が自分である(BE)ために。BE~Beautiful Energy~を貴方に。

Sun and Moon Yoga 東日本大震災救済のための瞑想とキルタンの集い

2011-03-26 | 生きる
いつも行くSun and Moon YogaStudioで、チャリティの瞑想会とキルタンの集いがあり、参加してきました。

この瞑想会はいつもはチベットハートヨガの瞑想を学ぶ会ですが、今回は震災に向けたチャリティということでみんなで被災地の方のことを想い、祈りました。

物資支援も義援金も大切、そして目には見えないけれど私達からの温かい想いと祈りを送り続けることも、とても大切なことだと思う。


真面目な人ほど、自分が被害にあっていなくても、常に自責の念にかられてしまう。
たしかに被災された人たちに比べたら自分達の生活がなんて贅沢なものか、と日々色々なことを我慢してしまうけれど、無理をするのは禁物。まずは自分自身が心身ともに健康でなければ、人のことは決して癒せないのだから。


震災からの学び ~日本人の団結力~

2011-03-25 | 生きる
今回の震災で、日本人の団結力がこんなにも強かったのだということに
世界中が、日本人である私達でさえ、きっととても驚いているに違いない。

海外に出てみると分かるが、日本人は「以心伝心」という言葉に象徴されるようにHigh contextの国、と言われる所以がよく分かる。

日本人は自分達のことをPRしたり表現したりすることが苦手である。
だから、いつも日本の良さは外国人が上手く表現してくれて初めて分かる。

しかし今回の震災で毎日目にする「日本人の団結力」や「思いやり」は、誰が表現するまでもなく明らかに日本人を強さを示してくれている。

被災地に行った人が教えてくれた。

「現地は筆舌に尽くしがたい光景が広がっている。しかし、驚くほどにそこにいる人たちは悲観的ではなく、毎日、希望を持って明るく強く生きている。むしろ、震災前より良い雰囲気でびっくりさせられた」

日本人の団結力の灯火が消える前に、日本に必要なのはこれからの復興シナリオのビジョンを描き国民を引っ張っていける、強力なリーダーの出現であることは間違いない。


日本人の強さ?弱さ?

2011-03-24 | 生きる
今回の震災や原子力発電所事故で、日本人住む多くの優秀な外国人達が日本を離れてしまった。

そんな中で、外国人とは明らかに違う日本人の特徴的な行動特性に気づいた。

それは、「故郷を愛する心」。

被災してすべてがなくなってしまっても、原子力発電所事故でもしかしたら生命に危険があるかもしれない放射性物質のレベルになっても、それでも、まだ多くの人がその地に残って、「できればここでもう一度生活したい」と考えている。

もちろん、すでに日本の別の場所へ移動して新しい生活を始めた人もたくさんいる。
しかし、きっと日本ではない国で同じことが起きたら、ほとんどすべての人が現地を離れてしまうに違いない。

日本人が、そこまで故郷やその土地に残ろうとするのは、なぜなのだろう・・・?
そこが先祖代々から住んでいた故郷だから?
その土地を復興することが使命だと感じているから?
他の土地では自分は生きられない、と思っているから?


辛さや苦しみに耐える力は、日本人は世界中のどの国の人よりも強いかもしれない。
でも、時には耐えるだけではなく新しい世界へ飛び込んでみる勇気と行動力も必要な時がある。

1日でも早く、すべての被災された人たちが安心できる暮らしに戻ることを毎日、心から祈っています。











震災からの学び ~エネルギーの大切さ~

2011-03-23 | キャリア・仕事
今回の震災で、エネルギーの大切さが身にしみて分かった。

日本では当たり前だった電気が、人々の生活と心をこんなにも温かくしてくれていたのだ、と。

駅やビルで、いつも灯っているはずの電気がないと、こんなにも心が寂しくなるなんて今まで全く気づいていなかった。

電気が少なくなってしまっても、人々の心のエネルギーがそれを謳歌できるぐらい、元気でいよう。



今、生きていることの意味

2011-03-22 | 生きる
震災から10日余り経っても、被害の全体像はまだ見えず死者の数も把握できていない。
原発の事故は「改善の兆し」と言われても、まだ兆しの兆しぐらいでしかない。

今回、日本や日本に住む私たちを襲った悲劇は、毎日本当に色々なことを考えさせられる。

「なぜ、予想もできないような大地震が起きたのか?」
「なぜ、日本なのか?」
「なぜ、東北地方なのか?」

どんなに技術が発展しても、どんなに人間の叡智を結集しても、自然の猛威には全く無力だった。

今回の地震や津波は、地球から人類への悲痛な叫びとメッセージのように思えてならない。

私たちが手に入れてきたものと失ってきたもの。

その重みを受け止めて、「今、生きている意味」をしっかりと考えたい。