ネタが切れるとこのお題になるという、実に横着な拙者でござるのだ。
しかし便利というか、横着者には都合が実によろしいのでござる。
これが切れれば他のCDからということで、ネタが切れた時の準備は万全でござるのだ。
三昔前ならば、CDなどではなくレコードというところでござるがな。
「逢いたさ 見たさに 怖さを 忘れ
暗い夜道を ただひとり・・・」
と、始まるのは、「籠の鳥」でござる。
秘めた恋の切なさ悲しさが溢れているのでござるな。
深窓のお嬢様かと思いきや、歌詞を読んでいると、「いやいや、そうでもなかろう」と思うところでござるのだ。
ひょっとしてこれは「姫たちを置いたところの窓辺」の事ではござらぬかと思うのでござる。
いわゆる、「赤線」「売春宿」というところでも、このような事はおこりうると思うところでござる。
されど、女心の恋をする切なさが溢れているのでござる。
「窓は夜露に 濡れて
都 すでに 遠のく・・・」
とでると、小林明さんの声が聞こえそうでござるな。
今度は「北帰行」で、男心でござる。
この唄、スケールは少々変われど、「蒙古放浪の唄」と似ている感じなのでござるな。
「男はかくもつらい」というところはこれの方が強いのでござるが、その感覚は日本的でござるのだ」と感ずるところでござる。
この唄も、酒を飲みながらとなると辛い想い出も浮かんでくるのでござる。
「夜がまた来る 思い出のせて
俺を泣かせに 足音も無く・・・」
これは「さすらい」で、これまた小林明さんでござるな。
但し、これは拙者の世代でござるからして、小林明さんなのでござる。
他にも歌われている方がお見えと思うところでござるが、拙者はその小林明さんしか存ぜぬのでござるからして、ごめんでござる。
「北帰行」以上にむなしさが溢れるのでござる。
拙者、数年前ならば大賛同すると思うのでござるが、今の拙者はそこまでむなしさを抱えてはおらぬようでござるな。
なぜかというと、「ウヒヒヒヒ・・・(謎の笑)」なのでござる。
日本哀歌集はこれだけの唄なのでござる。
これは、拙者が学生の頃から聞いてたのでござる。
このレコードカバーの加藤登紀子さんに恋をしていたかも知れぬのでござる。
故に、朝はこの中から「蒙古放浪の唄」などをかけて目覚め、それで出かけるという事もござったのだ。
藤本敏生氏と加藤登紀子さんが結婚ということを聞いたときには、拙者気落ちしていたのでござる。
藤本敏生氏にではござらぬ。
彼の結婚で泣いた女性は、「履いて捨てるほどいた」と噂には聞いてござるのだが、拙者は加藤登紀子さんにでござる。
これを、ご夫婦の娘さんへ伝えたところ、泣いた女性のことは知っていたのでござるが、「拙者のような男もいた」ということは鼻にもかけられぬのでござった。
しかし、その娘さん YAEさんも素晴らしい歌手なのでござる。
彼女の愛の唄を聴きながら、彼は旅立ったのでござる。
おそらく唄のイメージの愛を懐にしていたでござろうな。
今日は、拙宅の餅つきでござった。
半世紀以上も前には、父上が杵を持って石臼で餅つきをしたのでござった。
家族は六人でござったが、餅をつくのは3升餅を十二臼もつくのでござった。
お鏡はもちろん、伸し餅、花びら、かきもち、切子(あられ)とつくのでござるからして、父上の力強さを今更ながら感ずるところでござる。
今の拙者には、一臼すらどうかと思うのでござる。
そんなこんなの年の瀬でござり、あとは、「明日の心だ!」
しかし便利というか、横着者には都合が実によろしいのでござる。
これが切れれば他のCDからということで、ネタが切れた時の準備は万全でござるのだ。
三昔前ならば、CDなどではなくレコードというところでござるがな。
「逢いたさ 見たさに 怖さを 忘れ
暗い夜道を ただひとり・・・」
と、始まるのは、「籠の鳥」でござる。
秘めた恋の切なさ悲しさが溢れているのでござるな。
深窓のお嬢様かと思いきや、歌詞を読んでいると、「いやいや、そうでもなかろう」と思うところでござるのだ。
ひょっとしてこれは「姫たちを置いたところの窓辺」の事ではござらぬかと思うのでござる。
いわゆる、「赤線」「売春宿」というところでも、このような事はおこりうると思うところでござる。
されど、女心の恋をする切なさが溢れているのでござる。
「窓は夜露に 濡れて
都 すでに 遠のく・・・」
とでると、小林明さんの声が聞こえそうでござるな。
今度は「北帰行」で、男心でござる。
この唄、スケールは少々変われど、「蒙古放浪の唄」と似ている感じなのでござるな。
「男はかくもつらい」というところはこれの方が強いのでござるが、その感覚は日本的でござるのだ」と感ずるところでござる。
この唄も、酒を飲みながらとなると辛い想い出も浮かんでくるのでござる。
「夜がまた来る 思い出のせて
俺を泣かせに 足音も無く・・・」
これは「さすらい」で、これまた小林明さんでござるな。
但し、これは拙者の世代でござるからして、小林明さんなのでござる。
他にも歌われている方がお見えと思うところでござるが、拙者はその小林明さんしか存ぜぬのでござるからして、ごめんでござる。
「北帰行」以上にむなしさが溢れるのでござる。
拙者、数年前ならば大賛同すると思うのでござるが、今の拙者はそこまでむなしさを抱えてはおらぬようでござるな。
なぜかというと、「ウヒヒヒヒ・・・(謎の笑)」なのでござる。
日本哀歌集はこれだけの唄なのでござる。
これは、拙者が学生の頃から聞いてたのでござる。
このレコードカバーの加藤登紀子さんに恋をしていたかも知れぬのでござる。
故に、朝はこの中から「蒙古放浪の唄」などをかけて目覚め、それで出かけるという事もござったのだ。
藤本敏生氏と加藤登紀子さんが結婚ということを聞いたときには、拙者気落ちしていたのでござる。
藤本敏生氏にではござらぬ。
彼の結婚で泣いた女性は、「履いて捨てるほどいた」と噂には聞いてござるのだが、拙者は加藤登紀子さんにでござる。
これを、ご夫婦の娘さんへ伝えたところ、泣いた女性のことは知っていたのでござるが、「拙者のような男もいた」ということは鼻にもかけられぬのでござった。
しかし、その娘さん YAEさんも素晴らしい歌手なのでござる。
彼女の愛の唄を聴きながら、彼は旅立ったのでござる。
おそらく唄のイメージの愛を懐にしていたでござろうな。
今日は、拙宅の餅つきでござった。
半世紀以上も前には、父上が杵を持って石臼で餅つきをしたのでござった。
家族は六人でござったが、餅をつくのは3升餅を十二臼もつくのでござった。
お鏡はもちろん、伸し餅、花びら、かきもち、切子(あられ)とつくのでござるからして、父上の力強さを今更ながら感ずるところでござる。
今の拙者には、一臼すらどうかと思うのでござる。
そんなこんなの年の瀬でござり、あとは、「明日の心だ!」