HYAKUSHOU日記

毎日の作業と暮らしといろいろの出来事

追憶

2010-12-23 14:26:31 | Weblog
 昨日、友の訃報が飛び込んできたのでござる。
 まさに「エッ!?!」でござる。
 俄には信じられぬことではござったが、前々からその覚悟はうすうす出来てはいたのでござる。

 されど、誰しも「俄に起こるものではなくまだ時間はあるもの」と思うものでござろう。
 拙者も、まだ年単位で時間はござるものと思っていたのでござった。
 つい半月前まで、「いい薬が出来、それを使うのだ」と言って、「入退院を繰り返す事になる」とも言っていたのでござるから。

 その病に倒れてからも、病身でありながら、体調の良い時には拙者のところまで来てくれたし、「この病気は上手くつきあわねばならぬ」と頑張っていたのでござる。
 その頑張りが必ず答を出すと思い続けていたのは、何も拙者だけに限った事でもござらぬ。
 彼の周囲の人たちは全てそう思っていたと思うところでござる。

 身体が治れば、あるいは動けるようになれば、拙者のところへ来ていろいろと見て歩きたいと言い、あちらこちらへ旅行に行きたいとも言っていたのでござる。
 花が好きで、それらも見て歩きたいということを言って、「必ず行こう」と約束もしていたのでござる。
 「拙者もそちらへ行けば必ず立ち寄る」と約束していたのでござるが、時間だけの事でその約束を守れずになってしまったのでござる。

 彼の遺言で、家族葬という事でござり、また、家族のお気持ちは「このまま、彼も家族もそっとしておいていただきたい」ということでござるからして、お参りにも行けないのでござる。
 その事は無念ではござるが、ここはやはり、残されている家族の意思を第一にすべきと、遠く離れたところから手を合わせる以外に無いのでござる。

 彼は身体に似合わず、繊細な心を持ち、優しい男でござった。
 また、曲がったこと、卑怯な事、誤魔化しは大嫌いな性格でござった。
 それゆえに、彼がそのような仕儀になったときには、電話口で辛そうに拙者に漏らしてくれたものでもござった。
 そのところは、拙者も見習わねばと思っているのでござったが、言葉を交わさずに見習わねばならなくなったのでござる。
 一度ならず彼に叱られた事がござった。
 それは、彼の優しさや性格から出たことでござったのだ。

 家内のときにもお参りをしてくれて、如何に心強く感じた事か、友の力の存在に感じ入り勇気付けられたものでござった。
 愛すべき人が先に逝かれると、残った拙者は実にいたたまれないのでござる。
 家内の時は晴天の霹靂ならず大嵐と大地震が一度に来た感じでござったが、今回も青天の霹靂でござるな。
 家内そして幾人かの友が先に逝き、なんとなく取り残された気もせぬでは無いが、その分自分が生きねばとも思い、ヘラヘラとでも生きているのでござる。

 「会うは分かれの始めなり」とはよく言ったものでござる。
 会えば必ずどのような形であれ別れがあり、形ある物は必ずその形が崩れるという、「諸行無常」のものであるのだが、人情としてやはり辛いものでござる。
 永遠のものは無いとわかっていても、やはり欲すべきもの愛すべきものが永久に続く事を望むのが人情でもござる。

 これを読まれた友に、お許しを得ねばならぬのでござる。
 この訃報が届いたときに、くれぐれも口外無きようにとの言葉を受けているのでござる。
 従って、亡き友の名前をここにあげる事は出来ぬことなのでござる。
 そのところをお汲みいただき、文面の前後から推し量っていただきたく、平にお願い申し上げる次第でござり、ご勘弁願いたく存ずるのでござる。
 拙者も実のところ、今すぐにでも友のご霊前へ行きたい気持ちなのでござるが、この訃報を送りくだされた方にご迷惑を掛けることとなるとの思いから、この文章で済ませているところでござる。
 いずれ近々、手を合わせることが可能と思い、悲しい思いを紛らわせているところでござる。

 涙をこぼせず、我慢で「明日の心だ!」