写真は先日このブログに上げた友人宅でござる。
彼は16日に亡くなり、家族葬をされたということでござる。
それを聞いたときには、「うん。彼らしい!」と、思ったと同時に、寂しさもこみ上げてきたのでござる。
この一報を聞いたのは、忘年会が始まりしばらくした時でござった。
忘年会を楽しみたくとも、彼のことが頭から離れず、談笑すると彼が浮かんでくるのでござる。
若いときは実に偉丈夫で、彼が拙者と並ぶとまさに凸凹というのがピタリなのでござる。
その彼が浮かんでくるのでござる。
写真は、彼の生活の場でござる。
この写真から想像できるように、彼はその体格から想像できないほど優しい男なのでござる。
彼のその風貌は優しい感じが出ているのでござるが。
「彼を偲ぶ会」を1月下旬に開催されるという事で、すでに予定を立てつつあるところでござる。
このように彼を偲ぶという事が、心には実につらいものでござる。
彼は多発性骨髄腫に犯され、長年闘病生活を続けていたのでござるが、最近新薬が出来て、これはありがたい。時間をかけてでも治せるかも!」と喜んだ矢先でござった。
体調がまだ良いときには、病身をおして遠路はるばると拙者の屋外展示会を見に来てくれたり、「また花の展示会へ一緒に行こう」などと約束をしていたのでござる。
また同窓の集いの「華の会」というのがあり、そこへも早く治して出席したいとも言っていたのでござる。
それらは、夢となってしまい、拙者も約束を果たせなかった事が辛いのでござる。
もう一つは、先立たれた親御さんの気持ちでござる。
拙者の家内も、親より先に逝ってしまったのでござるが、親の気持ちというものは代わってやりたいのでござる。
それはできぬこととはわかっていても、代われるものなら代わりたいのでござる。
病気でござれ、つらい事でござれ、我が子に代わってやりたいのでござる。
拙者の家内の親もそうでござっただろうし、同じ気持ちでござったと存じているのでござる。
今となっては、先に逝った我らの友とあっちの世界でゆっくりと談義をしてくれればありがたいと思うのでござる。
彼は拙者の家内や拙者の婆様も知ってくれているのでござり、家内とも拙者を謗ってくれておればそれこそありがたいのでござる。
その婆様が作った牡丹餅が大好きな彼でござった。
若い頃拙宅へ来た折には、餅を並べる箱がござり、そこに並んだ牡丹餅を箱の半分平らげてしまったのでござる。ゆうに20個以上はあったと思うのでござる。
拙者はもちろん、家族のものも唖然の面持ちでござった。
普通は、大好きでよく食べるとはいえ、大体数個から10個まででござるのに、20個以上なのでござる。
ましてや、田舎の牡丹餅は売っている牡丹餅の1個より大きく、拙宅のは大体5割り増しぐらいなのでござる。
売っている牡丹餅でござれば、30個ぐらいには相当するのでござろうな。
それから彼の代名詞は、拙宅の家族間では「ボタモチ」なのでござる。
拙宅へ凝られた友人には、他にも「ルンペン」「居候」などなど、特徴のある代名詞の友人がいるのでござる。
しかし「牡丹餅」とはなににもまして特徴があると思うのでござる。
実に彼らしいのでござる。
これは、家内とは絶対に相容れない話になるのでござろうな。
家内は、牡丹餅は嫌いでござったゆえ。
今夜も個人となった友人を偲びつつ、「明日の心だ!」
彼は16日に亡くなり、家族葬をされたということでござる。
それを聞いたときには、「うん。彼らしい!」と、思ったと同時に、寂しさもこみ上げてきたのでござる。
この一報を聞いたのは、忘年会が始まりしばらくした時でござった。
忘年会を楽しみたくとも、彼のことが頭から離れず、談笑すると彼が浮かんでくるのでござる。
若いときは実に偉丈夫で、彼が拙者と並ぶとまさに凸凹というのがピタリなのでござる。
その彼が浮かんでくるのでござる。
写真は、彼の生活の場でござる。
この写真から想像できるように、彼はその体格から想像できないほど優しい男なのでござる。
彼のその風貌は優しい感じが出ているのでござるが。
「彼を偲ぶ会」を1月下旬に開催されるという事で、すでに予定を立てつつあるところでござる。
このように彼を偲ぶという事が、心には実につらいものでござる。
彼は多発性骨髄腫に犯され、長年闘病生活を続けていたのでござるが、最近新薬が出来て、これはありがたい。時間をかけてでも治せるかも!」と喜んだ矢先でござった。
体調がまだ良いときには、病身をおして遠路はるばると拙者の屋外展示会を見に来てくれたり、「また花の展示会へ一緒に行こう」などと約束をしていたのでござる。
また同窓の集いの「華の会」というのがあり、そこへも早く治して出席したいとも言っていたのでござる。
それらは、夢となってしまい、拙者も約束を果たせなかった事が辛いのでござる。
もう一つは、先立たれた親御さんの気持ちでござる。
拙者の家内も、親より先に逝ってしまったのでござるが、親の気持ちというものは代わってやりたいのでござる。
それはできぬこととはわかっていても、代われるものなら代わりたいのでござる。
病気でござれ、つらい事でござれ、我が子に代わってやりたいのでござる。
拙者の家内の親もそうでござっただろうし、同じ気持ちでござったと存じているのでござる。
今となっては、先に逝った我らの友とあっちの世界でゆっくりと談義をしてくれればありがたいと思うのでござる。
彼は拙者の家内や拙者の婆様も知ってくれているのでござり、家内とも拙者を謗ってくれておればそれこそありがたいのでござる。
その婆様が作った牡丹餅が大好きな彼でござった。
若い頃拙宅へ来た折には、餅を並べる箱がござり、そこに並んだ牡丹餅を箱の半分平らげてしまったのでござる。ゆうに20個以上はあったと思うのでござる。
拙者はもちろん、家族のものも唖然の面持ちでござった。
普通は、大好きでよく食べるとはいえ、大体数個から10個まででござるのに、20個以上なのでござる。
ましてや、田舎の牡丹餅は売っている牡丹餅の1個より大きく、拙宅のは大体5割り増しぐらいなのでござる。
売っている牡丹餅でござれば、30個ぐらいには相当するのでござろうな。
それから彼の代名詞は、拙宅の家族間では「ボタモチ」なのでござる。
拙宅へ凝られた友人には、他にも「ルンペン」「居候」などなど、特徴のある代名詞の友人がいるのでござる。
しかし「牡丹餅」とはなににもまして特徴があると思うのでござる。
実に彼らしいのでござる。
これは、家内とは絶対に相容れない話になるのでござろうな。
家内は、牡丹餅は嫌いでござったゆえ。
今夜も個人となった友人を偲びつつ、「明日の心だ!」