この歌
私の好きな歌
私にとってのsouvenirって何かなあ
って想うもの
私にとってのsouvenirは
おるごーるを創作していくことで
それは私の心をつくる基軸になってる
そのためにいろんなことをしようとしたり挑戦しようとしたりしてるけど
その心の奥にあるのは
ただ
ただ
おるごーるが好きなのだなあ
愛しているのだなあ。
その気持ちだけ。
だから
クラシックだとかポップスだとか映画音楽だとか
こだわりなんかないんです。
おるごーるにして心が震えるような響きになればそれだけでいいんです
私にとってのsouvenir
人生のsouvenir
それはやっぱりおるごーるだと想うから。
この歌を聴くと
それがやがて色褪せる時も来るのだろうかと想うけど
例えばそれが人から見て
色褪せるように感じても
私の心の中では色褪せることはないのだと想う。
夕日は必ず明日があると希望を抱かせるし
子供の頃から見慣れた京都タワーのシルエットも
今は遠いけど
別に心のなかに映像としていつでも浮かぶものだし
愛宕山辺の夕焼けを何度も見たけれど
その後比叡山から昇る大きな月も何度も見たけれど
離れたからと言って見られぬわけでもないですもの。
美しい映像は心に焼き付け
それを昇華させていきたいなあ。
人生において
努力して合わせる時もあリますよね
でも
まるで電気が身体を通るように
理解できる人に出逢う時だってあるでしょうね。
そんな時は
そんな出逢いもまた
人生のsouvenirなのかなあって
ふわふわ想っているんです。
おるごーるを聴きながら。
私にとってのおるごーるは
飾りではないし
自分をよく見せるアイテムでもないんです
ただ
ただ
表現したいという衝動があるから
それだけです。
理屈なんかないと想うんです。
ビリー・ジョエルはもう日本には来ないと想うけど
彼の歌声を聴くとき
なぜか涙が出てくる
なんだろうなあ?
大阪ドーム(今名前なんだっけ。PayPayドーム?)行ったとき
年齢重ねても
その声は美しい。
若い時よりもっといいなあとうっとりしました。
より低く響く声になったその歌声は
涙が出てくる声でした。
これは若い頃の声だけど
この歌も実は年を経た彼の今の声の方がずっとずっといいです。
低くてよく響く声。
心に滲みますね。