ぱっちりと目を開ける。
見慣れぬ天井に、左右を確認する。
「ここは・・・」
昨日の出来事を思い出したアン・サヴィーネ。
レモネードを飲み、眠り込んでしまったアン・サヴィーネが、目を覚ましたのは、朝。
今、横たわっているベットで、目を覚ますと、彼女の世話兼見張りの女が、部屋の椅子に座っていた。誘拐でもされたのかと、アン・サヴィーネは、部屋の様子をさぐったのだが、天蓋はないものの、柔らかい寝具に広いベットと、取り囲む家具類は、月日を経た重厚な輝きを放っている。犯罪に巻き込まれたにしては、豪華な部屋だ。
目を覚ましたアン・サヴィーネに、気づくと、女は、慌てて、ドアを開けて廊下へ飛び出していく。
アン・サヴィーネが、ベット脇に腰掛ける。
何だか、まだ、頭がくらくらする。あの、ジュースは、睡眠薬入りだったのだ。
逃げ出すチャンスもなく、扉が開かれ、入ってきた人物を見、アン・サヴィーネは、自分の命は風前の灯なのかと、危機感に身を固くした。
ノワール侯爵。アン・サヴィーネが、二度と係わりたくない実の父親。
おかしい。彼のほうも、娘には会いたくないはずだ。
「喜べ。お前に、縁談がある。高貴な方からの申し出た。ノワール侯爵令嬢として、相応しい装いで嫁ぐといい。」
まるで、かわいい我が娘に言うように、笑みを浮かべている。
言われている内容も、飲み込めない。
アン・サヴィーネは、とっさに、言葉が出ず、ゆっくりと瞬きをし、内容を頭の中で反芻する。ノワール侯爵は、どうせ、また、よからぬことを考えている。
とんでもない爺さんとか、嫌な性癖の持ち主とか・・・・。普通の貴族の令嬢を貰えない彼らに宛がおうとしているのか?
さては、借金でも作ったか。それとも、政治的に失敗する弱みでも握られたか。
変だ。・・・・。ノワール侯爵は、確かに嫌な奴だが、残念ながら、仕事など公のことは、大過なく過ごす人物で、その為、伯父も徹底的にやりこめられず、苦々しい思いを抱いたはずだ。
「私は、もう、ノワール侯爵家の人間ではありませんわ。アベル伯爵家のお父様の計らいで、アベル家の者として、ちゃんと、この国の戸籍がございます。私の嫁ぎ先、云々を言う権利があるのは、アベルの、お父様です。あなたに、決定権はございません。」
「お前は、所詮は、血のつながりのない娘ではないか。」
「血のつながりですって?あなたは、それを嫌っているくせに!」
アン・サヴィーネは、ベットから立ち上がり、出て行こうとする。
だが、とたんに体が金縛りにあったように動かなくなる。
ぐっと、体中が拘束されているような感覚。
ノワール侯爵がすかさず、アン・サヴィーネの左腕を掴み、掲げる。
「持ち主の意に従わぬことをしたら体が動かぬようになる拘束具だ。お前は、無駄に魔力があるから、抑制力を上げたら、随分と、高くついた。」
アン・サヴィーネの表情が、真っ青になる。ノワール侯爵は、満足げに、そのようすを見、掴んだ腕を上へ吊り上げるように、もう片方の手で、彼女の細い首を掴む。
「家長に逆らうことはならん。今回の縁談は、国益を含んでいる。貴族令嬢として、従うのは当たり前のことだ。それに、相手の方は、アベル伯爵とて、反対はせぬだろう。臣籍に降りたとはいえ、自国の皇子だからな。ノワール侯爵家の令嬢を、と言って来た。」
「それは・・コンスタンシア嬢に来た話ではありませんの?」
アン・サヴィーネは、驚愕の表情を浮かべる。
昨日の朝、飛行便の先輩から聞いた噂。あの人が相手なら、アン・サヴィーネではなく、コンスタンシアのことを指しているはずだ。
ノワール侯爵もはじめ、アリンガム王からその話を聞いた時、コンスタンシアを思い浮かべた。もちろん、彼にとって、かわいい娘は、一人しかいないからだ。娘は、王太子と恋仲だが、彼女が出生時、私生児であったため、正式な妃と認められるのに難航している。そこへ、降って湧いたような良縁の話に、彼は、深く考えずに肯いてしまった。
コンスタンシアは、それ以来、部屋に閉じこもり泣き続けているという。
ノワール侯爵も、そこで相手の皇子のことが気になり、プライベートを詳しく調べてみた。彼は、女ぎらいで、屋敷におく使用人すら、女をおかず、男色の疑いがあるという。
縁談は、本人の意思ではなく、周囲の願望からでたものと判明した。
ノワール侯爵は、コンスタンシアに対しては、負い目もある。
かわいい、かわいい娘には、幸せな結婚をして欲しいと思っている。そんな、相手とは、もっての他だ。そこで、彼は、詭弁を思いついた。
王は、コンスタンシア・ノワールを・・とは言わなかった。
「どうして、私が、尻拭いをしなければならないの・・っ!放してっ!こんな馬鹿げた話が通るはずはないでしょうが・・っ!」
「黙れ・・っ。」
ぐっと、アン・サヴィーネの細首が絞められる。
彼女の顔色がみるみる赤くなり、白くなっていくと、部屋に控えていた従者と、女が慌てて、ノワール侯爵を止める。
「閣下。お嬢さまが亡くなられては、元も子もありません!」
「旦那さまっ。お嬢さまに何かあっては・・・っ!」
二人の制止の言葉に、侯爵は、力を緩め、アン・サヴィーネの体を突き放す。
どさっと、後ろのベットの上に投げ出された。
「あちらは、ノワール侯爵家の娘をお望みなのだ。妹のコンスタンシアは、すでに、アリンガムの王太子と婚約が調う直前なのは周知の上のことだ。私が、残っている方の娘だと思って当然のことではないか。出来損ないの娘には、過ぎた幸運だと、二つ返事をしたと言っても、おかしくはないことなのだ。」
アン・サヴィーネは、自分と同じ金髪の男が、顔を歪ませて見下ろしているのを、薄れ行く意識の中で、ぼんやりと、見ていた。
気を失い、目を開けた時には、ノワール侯爵も従者も、部屋には見当たらなかった。
気遣わしそうに、覗き込んでいた女の顔。
監視役のはずの彼女が、どうしてそんな表情をしているのだろう。
「気づかれましたか?まだ、体を動かさないほうが宜しゅうございます。お医者様を呼ぶことは禁じられておりますから、どうか、お式が終わるまで、ご自愛くださいませ。」
そうして、女は、頭を下げた。
「申し訳ありません。私、お嬢さまのことを誤解いたしておりました。」
女は、ノワール侯爵家の事情を良く知らず、今回のために、新たに雇われたのだと語る。
アン・サヴィーネのことを不良娘のように聞かされていたらしい。
その不良娘が、政略結婚を嫌がり、妹がいるから彼女に代わりをさせるといいと書置きして、家を飛び出し、男友だちのところを転々と逃げていたと、説明されていたらしい。
そんな素行不良の娘でも、差し出さなければ、国と国の間に、不和を招いてしまう。
ノワール侯爵は、策を高じ、やっと娘を連れ戻し、式当日まで、彼女に見張りをつけ、監禁しておくことにしたのだと言ったらしい。
反抗的な不良娘でも、やはり、侯爵にとっては実の娘に違いない。一人の侍女もつけず、あちらへ遣るわけにもいかない。又、不出来な娘が困ることのないように、公爵家の妻としてフォローしてくれる従者が必要なのだと、ノワール侯爵は、涙すら浮かべたそうだ。
「・・こんな、おそろしい企みだったなんて、私は、知らなかったのです。」
女は、以前、アリンガムの王妃の実家で王妃の妹にあたる令嬢の侍女をしていた。結婚で辞めてしまったのだが、夫を早くなくし、遺された子供たちを養う為、子供たちを老いた両親に預け、また、メイドの仕事に戻ることにし、伝を頼り、条件のいい働き口を探していた。ノワール侯爵令嬢が、隣国の皇子に輿入れするため、相談役になりそうな落ち着いた年齢の侍女を探していると聞き、募集に応じた。
そこで、侯爵から事情を聞かされ、彼女は、アン・サヴィーネのことを、なんて不届きな令嬢だろうと思ってしまった。
「事情は、先ほどのやり取りで、私が間違っていたのだと、理解しました。ですが、お嬢さま、あんな恐ろしいお父様に、逆らってはいけません。ここは、式まで我慢して、ご夫君の庇護のもとに過ごす方がいいかと思います。」
式当日に、違う女が現れたらそこで、大騒ぎになるだろう。罪を問われ、一族の破滅。ノワール侯爵は、自業自得だが、アン・サヴィーネは、完全なるとばっちりだ。
事情を説明すれば、公平な王者なら、アン・サヴィーネは、釈放されるだろうが、何せ、彼女に悪印象を持つ、テオドール皇子だ。その後ろの皇帝の怒りを思い、アン・サヴィーネは、暗澹たる思いだ。それを、説明しようと口を開く。
「・・・っ!」
話せない。話そうとすると喉がつまる。
「お嬢さま。無理なさってはいけません。話せないようにと、ノワール侯爵がおよびになった魔導師が、このように指をさして、サイレントと呪文を唱えておりました。」
女は、自分ののどを指で指す仕草をしている。
サイレントと言ったなら、沈黙の魔術だろう。
今、逃げないと、自分も彼女も危ないと説明できず、アン・サヴィーネは、表情を暗くさせた。
「お嬢さま。私は、ローズと申します。経緯はともかく、お嬢さまには、誠心誠意お仕えいたしますので、どうか、ご安心くださいませ。」
ローズは、アン・サヴィーネが、不安そうにしていると思っただろう。
彼女に、アン・サヴィーネの懸念を推し量れというのも無理な話のようだ。どの道、行動を抑制させる腕輪のこともある。この拘束具を何とかしなければ、逃げきれるかどうか怪しい。
騎士団に所属していた頃、仲間のふとした雑談で、先輩で警邏中に拘束され、拘束具を嵌められた話を聞いた。その先輩は、体の内側の魔力を腕輪に集中させ、壊して逃れ、事なきを得た。安物の拘束具の魔力設定が低かった為で、今の状況とは違うが、アン・サヴィーネも、やってみようと思う。
アン・サヴィーネは、腕に、意識を集中した。
びりびり・・腕に意識を集中させる度、反発を感じる。それでも、何回か、諦めずに、繰り返す。侍女のローズには、気づかれぬように少しづつ。気づかれても、彼女はもう、悪いようにはしないだろうが、彼女の態度から、他に気づかれてもいけない。
当日。何とか、周囲の警戒の緩む隙を見て、保護してくれそうな人のところへ駆け込むつもりだ。宮殿には、政略なのだから、きっと、アリンガム王国からも、何人か、要人が来てるはずだ。花嫁と現地合流らしいから、彼らは、おそらく、何も知らないのだろう。花嫁が、別人と知ったら、その後は、彼らが奔走してくれる。他国籍になるアン・サヴィーネは、せいぜい、事情聴取はされるだろうが、ノワール侯爵家の凋落には関与しないで済むだろう。
アン・サヴィーネは、懸命に、危機を回避しようと努力する。
侍女のローズが気を利かせて、食事を用意してくれた時も、体力勝負と、食欲のわかぬ中、無理やり、全部を腹に押し込んだ。
それから、また、集中作業に入ろうとしたら、ローズ以外の女たちが、ずかずかと乱入し、部屋に、白いドレスとベールを運び込む。
「?」
訝しげなアン・サヴィーネを他所に、女たちは、彼女の衣装を脱がせ、白いドレスに着替えさせた。髪をセットし、ベールをかぶせられ、豪奢な花嫁の出来上がりだ。
時刻は、夜だ。
夜会なら、この時刻もあり得るが、聖堂で愛を誓う結婚式は、太陽の昇っている時刻に行われるのが常識だ。
仕度が終わり、ノワール侯爵が入室してくると。
「せいぜい、婿殿の顔色をうかがって、大人しく過ごせば、生かしておいてもらえるだろう。テオドール皇子のもとへ、行け、アン。」
そう命じると、アン・サヴィーネの体がふらふらと、前に歩き出す。
ふらふらするのは、彼女が抵抗しているからだ。
その歩みに、侯爵が顔を歪ませるのを察し、侍女のローズが、慌てて、アン・サヴィーネの体を支えた。
「まだ、調子が戻らないのですね。私が、介助いたしますわ。」
ローズは、これ以上、侯爵を怒らせてはなりませんと、小さな声で忠告してくる。
アン・サヴィーネは、仕方なく、それに従い、玄関を出たところに止めてある馬車に乗る。アン・サヴィーネと、ローズしか乗っていない馬車の中で、懸命に、腕輪に魔力をぶつける。
アン・サヴィーネの努力もむなしく、馬車は、無情にも、宮殿についてしまった。
見慣れぬ天井に、左右を確認する。
「ここは・・・」
昨日の出来事を思い出したアン・サヴィーネ。
レモネードを飲み、眠り込んでしまったアン・サヴィーネが、目を覚ましたのは、朝。
今、横たわっているベットで、目を覚ますと、彼女の世話兼見張りの女が、部屋の椅子に座っていた。誘拐でもされたのかと、アン・サヴィーネは、部屋の様子をさぐったのだが、天蓋はないものの、柔らかい寝具に広いベットと、取り囲む家具類は、月日を経た重厚な輝きを放っている。犯罪に巻き込まれたにしては、豪華な部屋だ。
目を覚ましたアン・サヴィーネに、気づくと、女は、慌てて、ドアを開けて廊下へ飛び出していく。
アン・サヴィーネが、ベット脇に腰掛ける。
何だか、まだ、頭がくらくらする。あの、ジュースは、睡眠薬入りだったのだ。
逃げ出すチャンスもなく、扉が開かれ、入ってきた人物を見、アン・サヴィーネは、自分の命は風前の灯なのかと、危機感に身を固くした。
ノワール侯爵。アン・サヴィーネが、二度と係わりたくない実の父親。
おかしい。彼のほうも、娘には会いたくないはずだ。
「喜べ。お前に、縁談がある。高貴な方からの申し出た。ノワール侯爵令嬢として、相応しい装いで嫁ぐといい。」
まるで、かわいい我が娘に言うように、笑みを浮かべている。
言われている内容も、飲み込めない。
アン・サヴィーネは、とっさに、言葉が出ず、ゆっくりと瞬きをし、内容を頭の中で反芻する。ノワール侯爵は、どうせ、また、よからぬことを考えている。
とんでもない爺さんとか、嫌な性癖の持ち主とか・・・・。普通の貴族の令嬢を貰えない彼らに宛がおうとしているのか?
さては、借金でも作ったか。それとも、政治的に失敗する弱みでも握られたか。
変だ。・・・・。ノワール侯爵は、確かに嫌な奴だが、残念ながら、仕事など公のことは、大過なく過ごす人物で、その為、伯父も徹底的にやりこめられず、苦々しい思いを抱いたはずだ。
「私は、もう、ノワール侯爵家の人間ではありませんわ。アベル伯爵家のお父様の計らいで、アベル家の者として、ちゃんと、この国の戸籍がございます。私の嫁ぎ先、云々を言う権利があるのは、アベルの、お父様です。あなたに、決定権はございません。」
「お前は、所詮は、血のつながりのない娘ではないか。」
「血のつながりですって?あなたは、それを嫌っているくせに!」
アン・サヴィーネは、ベットから立ち上がり、出て行こうとする。
だが、とたんに体が金縛りにあったように動かなくなる。
ぐっと、体中が拘束されているような感覚。
ノワール侯爵がすかさず、アン・サヴィーネの左腕を掴み、掲げる。
「持ち主の意に従わぬことをしたら体が動かぬようになる拘束具だ。お前は、無駄に魔力があるから、抑制力を上げたら、随分と、高くついた。」
アン・サヴィーネの表情が、真っ青になる。ノワール侯爵は、満足げに、そのようすを見、掴んだ腕を上へ吊り上げるように、もう片方の手で、彼女の細い首を掴む。
「家長に逆らうことはならん。今回の縁談は、国益を含んでいる。貴族令嬢として、従うのは当たり前のことだ。それに、相手の方は、アベル伯爵とて、反対はせぬだろう。臣籍に降りたとはいえ、自国の皇子だからな。ノワール侯爵家の令嬢を、と言って来た。」
「それは・・コンスタンシア嬢に来た話ではありませんの?」
アン・サヴィーネは、驚愕の表情を浮かべる。
昨日の朝、飛行便の先輩から聞いた噂。あの人が相手なら、アン・サヴィーネではなく、コンスタンシアのことを指しているはずだ。
ノワール侯爵もはじめ、アリンガム王からその話を聞いた時、コンスタンシアを思い浮かべた。もちろん、彼にとって、かわいい娘は、一人しかいないからだ。娘は、王太子と恋仲だが、彼女が出生時、私生児であったため、正式な妃と認められるのに難航している。そこへ、降って湧いたような良縁の話に、彼は、深く考えずに肯いてしまった。
コンスタンシアは、それ以来、部屋に閉じこもり泣き続けているという。
ノワール侯爵も、そこで相手の皇子のことが気になり、プライベートを詳しく調べてみた。彼は、女ぎらいで、屋敷におく使用人すら、女をおかず、男色の疑いがあるという。
縁談は、本人の意思ではなく、周囲の願望からでたものと判明した。
ノワール侯爵は、コンスタンシアに対しては、負い目もある。
かわいい、かわいい娘には、幸せな結婚をして欲しいと思っている。そんな、相手とは、もっての他だ。そこで、彼は、詭弁を思いついた。
王は、コンスタンシア・ノワールを・・とは言わなかった。
「どうして、私が、尻拭いをしなければならないの・・っ!放してっ!こんな馬鹿げた話が通るはずはないでしょうが・・っ!」
「黙れ・・っ。」
ぐっと、アン・サヴィーネの細首が絞められる。
彼女の顔色がみるみる赤くなり、白くなっていくと、部屋に控えていた従者と、女が慌てて、ノワール侯爵を止める。
「閣下。お嬢さまが亡くなられては、元も子もありません!」
「旦那さまっ。お嬢さまに何かあっては・・・っ!」
二人の制止の言葉に、侯爵は、力を緩め、アン・サヴィーネの体を突き放す。
どさっと、後ろのベットの上に投げ出された。
「あちらは、ノワール侯爵家の娘をお望みなのだ。妹のコンスタンシアは、すでに、アリンガムの王太子と婚約が調う直前なのは周知の上のことだ。私が、残っている方の娘だと思って当然のことではないか。出来損ないの娘には、過ぎた幸運だと、二つ返事をしたと言っても、おかしくはないことなのだ。」
アン・サヴィーネは、自分と同じ金髪の男が、顔を歪ませて見下ろしているのを、薄れ行く意識の中で、ぼんやりと、見ていた。
気を失い、目を開けた時には、ノワール侯爵も従者も、部屋には見当たらなかった。
気遣わしそうに、覗き込んでいた女の顔。
監視役のはずの彼女が、どうしてそんな表情をしているのだろう。
「気づかれましたか?まだ、体を動かさないほうが宜しゅうございます。お医者様を呼ぶことは禁じられておりますから、どうか、お式が終わるまで、ご自愛くださいませ。」
そうして、女は、頭を下げた。
「申し訳ありません。私、お嬢さまのことを誤解いたしておりました。」
女は、ノワール侯爵家の事情を良く知らず、今回のために、新たに雇われたのだと語る。
アン・サヴィーネのことを不良娘のように聞かされていたらしい。
その不良娘が、政略結婚を嫌がり、妹がいるから彼女に代わりをさせるといいと書置きして、家を飛び出し、男友だちのところを転々と逃げていたと、説明されていたらしい。
そんな素行不良の娘でも、差し出さなければ、国と国の間に、不和を招いてしまう。
ノワール侯爵は、策を高じ、やっと娘を連れ戻し、式当日まで、彼女に見張りをつけ、監禁しておくことにしたのだと言ったらしい。
反抗的な不良娘でも、やはり、侯爵にとっては実の娘に違いない。一人の侍女もつけず、あちらへ遣るわけにもいかない。又、不出来な娘が困ることのないように、公爵家の妻としてフォローしてくれる従者が必要なのだと、ノワール侯爵は、涙すら浮かべたそうだ。
「・・こんな、おそろしい企みだったなんて、私は、知らなかったのです。」
女は、以前、アリンガムの王妃の実家で王妃の妹にあたる令嬢の侍女をしていた。結婚で辞めてしまったのだが、夫を早くなくし、遺された子供たちを養う為、子供たちを老いた両親に預け、また、メイドの仕事に戻ることにし、伝を頼り、条件のいい働き口を探していた。ノワール侯爵令嬢が、隣国の皇子に輿入れするため、相談役になりそうな落ち着いた年齢の侍女を探していると聞き、募集に応じた。
そこで、侯爵から事情を聞かされ、彼女は、アン・サヴィーネのことを、なんて不届きな令嬢だろうと思ってしまった。
「事情は、先ほどのやり取りで、私が間違っていたのだと、理解しました。ですが、お嬢さま、あんな恐ろしいお父様に、逆らってはいけません。ここは、式まで我慢して、ご夫君の庇護のもとに過ごす方がいいかと思います。」
式当日に、違う女が現れたらそこで、大騒ぎになるだろう。罪を問われ、一族の破滅。ノワール侯爵は、自業自得だが、アン・サヴィーネは、完全なるとばっちりだ。
事情を説明すれば、公平な王者なら、アン・サヴィーネは、釈放されるだろうが、何せ、彼女に悪印象を持つ、テオドール皇子だ。その後ろの皇帝の怒りを思い、アン・サヴィーネは、暗澹たる思いだ。それを、説明しようと口を開く。
「・・・っ!」
話せない。話そうとすると喉がつまる。
「お嬢さま。無理なさってはいけません。話せないようにと、ノワール侯爵がおよびになった魔導師が、このように指をさして、サイレントと呪文を唱えておりました。」
女は、自分ののどを指で指す仕草をしている。
サイレントと言ったなら、沈黙の魔術だろう。
今、逃げないと、自分も彼女も危ないと説明できず、アン・サヴィーネは、表情を暗くさせた。
「お嬢さま。私は、ローズと申します。経緯はともかく、お嬢さまには、誠心誠意お仕えいたしますので、どうか、ご安心くださいませ。」
ローズは、アン・サヴィーネが、不安そうにしていると思っただろう。
彼女に、アン・サヴィーネの懸念を推し量れというのも無理な話のようだ。どの道、行動を抑制させる腕輪のこともある。この拘束具を何とかしなければ、逃げきれるかどうか怪しい。
騎士団に所属していた頃、仲間のふとした雑談で、先輩で警邏中に拘束され、拘束具を嵌められた話を聞いた。その先輩は、体の内側の魔力を腕輪に集中させ、壊して逃れ、事なきを得た。安物の拘束具の魔力設定が低かった為で、今の状況とは違うが、アン・サヴィーネも、やってみようと思う。
アン・サヴィーネは、腕に、意識を集中した。
びりびり・・腕に意識を集中させる度、反発を感じる。それでも、何回か、諦めずに、繰り返す。侍女のローズには、気づかれぬように少しづつ。気づかれても、彼女はもう、悪いようにはしないだろうが、彼女の態度から、他に気づかれてもいけない。
当日。何とか、周囲の警戒の緩む隙を見て、保護してくれそうな人のところへ駆け込むつもりだ。宮殿には、政略なのだから、きっと、アリンガム王国からも、何人か、要人が来てるはずだ。花嫁と現地合流らしいから、彼らは、おそらく、何も知らないのだろう。花嫁が、別人と知ったら、その後は、彼らが奔走してくれる。他国籍になるアン・サヴィーネは、せいぜい、事情聴取はされるだろうが、ノワール侯爵家の凋落には関与しないで済むだろう。
アン・サヴィーネは、懸命に、危機を回避しようと努力する。
侍女のローズが気を利かせて、食事を用意してくれた時も、体力勝負と、食欲のわかぬ中、無理やり、全部を腹に押し込んだ。
それから、また、集中作業に入ろうとしたら、ローズ以外の女たちが、ずかずかと乱入し、部屋に、白いドレスとベールを運び込む。
「?」
訝しげなアン・サヴィーネを他所に、女たちは、彼女の衣装を脱がせ、白いドレスに着替えさせた。髪をセットし、ベールをかぶせられ、豪奢な花嫁の出来上がりだ。
時刻は、夜だ。
夜会なら、この時刻もあり得るが、聖堂で愛を誓う結婚式は、太陽の昇っている時刻に行われるのが常識だ。
仕度が終わり、ノワール侯爵が入室してくると。
「せいぜい、婿殿の顔色をうかがって、大人しく過ごせば、生かしておいてもらえるだろう。テオドール皇子のもとへ、行け、アン。」
そう命じると、アン・サヴィーネの体がふらふらと、前に歩き出す。
ふらふらするのは、彼女が抵抗しているからだ。
その歩みに、侯爵が顔を歪ませるのを察し、侍女のローズが、慌てて、アン・サヴィーネの体を支えた。
「まだ、調子が戻らないのですね。私が、介助いたしますわ。」
ローズは、これ以上、侯爵を怒らせてはなりませんと、小さな声で忠告してくる。
アン・サヴィーネは、仕方なく、それに従い、玄関を出たところに止めてある馬車に乗る。アン・サヴィーネと、ローズしか乗っていない馬車の中で、懸命に、腕輪に魔力をぶつける。
アン・サヴィーネの努力もむなしく、馬車は、無情にも、宮殿についてしまった。
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