朝早く、執務室で、アレクシアは、不器用にかぎ針を動かし、最後の一目を拾い、ぎゅっと結び目を作りほどけない様にし、モチーフを完成させた。
「出来た!」
アレクシアが、顔を輝かせ、作品を掲げるように見ていると、ひょいっと、横合いから、そのモチーフが奪い取られる。
コーディだ。ここまで、護衛してくれ、その足で、帰国するつもりだったのが、大雪で、レーヌに逗留せざるをえなくなった彼。
しげしげとモチーフを見つめながら、
「へったくそだな・・・。」
「かまわない。完成させることに意味がある。これで、賭けは私の勝ち。」
「賭け・・?」
なんだかなあ・・という顔で、コーディが、首を捻る。
それから、用を思い出し。
「ああ。さっき、やっと道が通って、外からの連絡も届いたぞ。・・ついでに、ウエルスタットの事件も飛び込んで来た。セシリア嬢が、毒を盛られて殺されかけたそうだ。犠牲になったのは、侍女の方だったらしいが。」
幸福をとは言わず、幸運をと言ったのは、先に起こりうることが、アレクシアの頭に浮かんでいたからだが、それでも、危険を回避して欲しくはあった。
「・・・そうか・・やはりな。邪な者、そうでない者も、敵は多いから、幸運を祈ると言いはしたが、まず、無理かなとは思っていた。敵が多い状態なのに、あの王太子は、うかつだからな。特に、秘すべき妊娠をたてに、妃の交代を交渉した。」
帝国という怖い後ろ盾のある、アレクシアなら、狙われる可能性は、ぐっと低くなるが、ほぼ、軽い身分のセシリアなら、消してしまえば、どうとでもなると考える者は出てくるだろう。我が娘をこそ、妃にとか、考える者にとり、子供が産まれると、目的を果たすのに少しやりにくくなるとか、そう言った意味で、不都合を思い切って処分しようとする向きは、あの国の宮廷のようすでは、出てくるだろうと推測される。
セシリアにとっては、秘しておくほうが、実は、守りやすい事情だったのだ。
さすがに、それに、乗じたというか、利用したアレクシアは、はあ・・と、重いため息をつく。
「・・お前が、思いやりをかけてやる必要もないと思うぞ?あの時、ためらっていたら、自分の命の方が、脅かされるのだから・・。それに、真実、周囲が、脳みその中身を疑ったくらい王太子からの扱いは、酷いものだ。きちんと忠告はしたのだし、政務も手伝ってただろう?」
実際、喉元に刃を充てられた状態だった。
幽閉されれば、不都合な証言をされないように、アレクシアが暗殺されていただろう。病死と取り繕えば、あやしいとは思っていても、各国の酷評は免れる。帝国側は、もちろん、追及するだろうが、うまく捌けば、勝手に言いがかりをつけ、騒いでる印象をもたせられ、少なくとも、ウエルスタットの孤立は免れる。
「それは、城に滞在し飲み食いした費用分ぐらいは、民たちに対して、義務は果たした。」
「そういうこと。やるべきことは、やったんだから、もう、気にするな。」
彼女から、幾分かの好意を受け取れなかったのは、向こうが愚かだったのだという言葉は、飲み込み、コーディは、アレクシアを慰める。
アレクシアが、必要なら嘘もつくが、かといってそれに傷つく者に対し、痛みを感じないほど非常ではないことを彼は知っている。
アレクシアは、常にない彼の態度に、しげしげと、彼の顔を見ている。
「どうしたのさ・・・・?珍しく、優しげな言葉をかけてくれるじゃないか。この前、婚約者に逃げられた時は、笑いとばされたのに。」
「あのなあ。あれは、適当すぎる人物に肯くからだ。話を断れなくもなかっただろう。安売りしすぎだ。今回は、本当にご苦労様としか、言いようがない。俺だって、友人を案じる言葉は持っているさ。」
「ふむ・・・?」
アレクシアは、コーディの様子がいつもと違うような気がし、首をかしげる。
心なしか、寂しそうなのは、気のせいか?
「帰るのか?」
「ああ・・。」
暇を告げて立ち去ろうとした所で、ちょうど、マルセラ侯が、入ってくる。
彼は、コーディに会釈し、それから、アレクシアに。
「執務中かと思いましたが、歓談中でしたか。私は、帝都へと戻ると告げに来ただけですが、陛下と妃殿下にお託は何か、ございますか?」
「う~ん・・・伝言というか・・・。」
アレクシアが、コーディがまだ手に持っているモチーフを取り返し、ほらっと、マルセラ侯に投げて寄越す。
「ちゃんと、完成したぞ?私の勝ちだな。何でも願いを聞くと言っていたよな?」
マルセラ侯は、手の中のモチーフに、ちょっと苦笑し。
「・・出来上がりは、出来上がりですか・・まだ、編んでいたとは、驚きです。で?願いというのは、しばらく、こちらへ居座れるように取り計らえということですかな?」
「というか・・父上に、当分縁談が来ないようにかけあってくれないか?」
「・・・・・・。」
「?」
アレクシアの言葉に、マルセラ侯は、じろじろと彼女を観察している。
「・・・わかりました。余程、今回のことは、お疲れになったということですね?」
アレクシアが、こくこく肯いている。
若干、彼が落胆したようなのは、アレクシアの気のせいか?
マルセラ侯は、ちょっと、その美しい眉を寄せ、
「ですが、期限切れです。ということで、五分五分、ここは、互いに願いを叶えるということで、少し、内容が変質してしまいますが、よろしいでしょうか?」
「いいぞ。じゃあ、マルセラ侯も、願いを言ってみろ。叶えてやる。」
気軽に、返事をしたのは、さすがに、主筋に対し、非道な願いの向きはなしと踏んだから、アレクシアの落ち度なのだが、マルセラ侯は、言質をとり、満足そうに、微笑む。
胡散臭い、美形の笑み。
「では、手を出して下さい。」
「うん・・?」
アレクシアが、差し出そうと手を動かす。
「う・・・?」
差し出そうとした右手を避けられ、左手を強引に引き寄せられたかと思うと、アレクシアは、マルセラ侯の眼前に掲げられるようにしている己の左手を、まぬけな表情で眺めている。
「どうか。一日の終わりに、あなたの隣で眠る権利を・・貴女と共にあることを永久に。」
マルセラ侯は、そのまま、彼女の左手にキスを落とす。そこから、懇願の視線をむけたが、すでに、アレクシアの手には、指輪は嵌っている。
それは、マルセラ侯の侯爵家に代々伝わる指輪。確か、奥方の指に嵌っているのをみたことがある。あれ・・?そういえば・・・・・今は、独身か。
「ちょ・・・何かの間違いではないのか?私は、バツ2だぞ。ついでに、帝国でも、指折りの美形のそなたから、憧憬をよせられる、造作でもないぞ。」
「死別ですが、私も、再婚ですから、それは問題ありません。ついでに、アレクシアさまより、十も年が上な私も、そろそろ、選り好みなどできない年齢ですから、誰も、意を唱えてくるものなどいないでしょう。」
生真面目に答えてくれたが、ここは、やさぐれた方がいいだろうか・・・。
アレクシアは、掴まれている手を引き抜くことも出来ず、その姿を見ている。
「よく知りもしない女を選ぶより、貴女がいいです。健康に問題はなく、何より、一生、退屈な思いはしないでしょうから・・。貴女の民に対する慈愛を、私の領民にも向けてくだされば、政略的にも適うことでしょう。貴女が慈愛を分け与えてくださり、私は、そんなあなたを、帝国という大国の中で、全力でお守りします。」
「・・・・本気か・・・?」
政略というなら、納得できないこともないが、アレクシアは、まだ、驚きを収められないでいる。
「私の侯爵領と、ここは、離れておりますから、互いに、大きな勢力となる可能性もありません。皇帝も承知してくださるでしょう。将来的に、嫡男は、出来るなら勘弁してほしいですが、貴女が生んでくださるはずの、子供たちの誰かに、レーヌの君主に・・と言えば、帝国側も駄目とはいいますまい。」
「跡継ぎのことなら、別に、適任であれば、弟皇子から、指定してもかまわん。ただ、ローズテールの皇帝のものになるのだけは、避けたい。ここから、各国に巣立っていた者のために、他の国への示しもあるから・・実は、皇帝もそれは望んでおられないし。その・・私が、跡継ぎを生むことに拘っているわけではないぞ?」
「では、一人しか、子が得られなかったとしても、問題はないですね。念のため、申し上げておきますが、私も、兄弟はおりますから、嫡子の誕生を焦って、結婚を申し込んだわけではありません。」
「え・・・?ええ・・・?」
アレクシアが二の句が告げられないで、ぽかんとしているその瞳をじっと見つめ。
「・・この際、勘違いを訂正しておきたいのですが、貴女は、十分、女性として魅力を備えています。その笑顔に魅せられた人は、私だけではないはずです。生命力を表すような赤い髪も、笑うと花が散ったように感じるそばかすも、貴女の持つ魅力の一つです。時に理知的に輝く、その青い瞳を我がモノにしたいと誘惑を押さえるのに苦慮したこともあります。アレクシアさま。」
「・・・・・・・。」
マルセラ侯は、そう言い、アレクシアに微笑みかける。
アレクシアの目元が、少し赤くなる。
「・・・反則だ・・・。」
「?」
アレクシアは、敗北感を味わい、その破壊力ある微笑に屈した。
こくりと、了承する。
「いい・・けど・・。皇帝を肯かせたらな。」
「愛する方のために、では、急ぎ、帝都へ行ってまいります。祝福を。」
「う・・。」
当然のように、テレも偽りもなくかえされ、アレクシアは、追い詰められ、真意を見せる。
「無理をするな。道中、気をつけて・・そうなることを祈ってる。マルセラ侯。」
「モリスです。モリスとお呼びください。アレクシア。」
マルセラ侯が、名で読んでほしいと願う。アレクシアの名を大事そうに呟く。
「モリス。待っているから・・・。」
ちゅっと、頬にキスをする。
マルセラ侯は、うなずくと、くるりと背を向け、部屋を出て行く。
残されたアレクシアは、出て行きそびれたコーディと、気まずい雰囲気を、笑って誤魔化す。
「・・・ということだ。再婚することになった。」
「・・・そうか。まあ、彼なら、大丈夫だろ。俺も、おいそれと、ここに来れなくなるかもしれないから、安心だ。春に他国の王女を嫁にもらう事になってしまった。」
「慶事だな。祝いの品を贈るよ。コーディ、幸せになれよ?」
コーディは、しばらく、試すように、彼女を見つめていたが、やがて、頷く。
「ああ。レクシーもな。じゃ。」
彼は、手をふり、また、遊びに来るとでもいうように、気軽に、背を向けて出て行く。
アレクシアも、機嫌よく、見送り、それが、コーディの背中を押す。
コーディは、部屋を出、慌てて、マルセラ侯の背を追う。
「マルセラ侯。」
呼び止め、コーディは身につけている、剣帯から、その剣を外し、マルセラ侯に手渡す。
「王子。これは?」
「レクシーの父の形見で、生前、直に頂いた物だ。実際に戦場で活躍していた時に、使われていたと聞いた。このままだと、女の身で、彼女が、傭兵たちの長を含む、レーヌの王位を引き受けることになるだろうから、重い役目に心が折れそうになるかもしれない時は、守ってやってくれと。あの時は、側にあるという約束のもとに、これを受け取り、事情が変わった今ままでも、ずっと持ったままだったが、今は、ふさわしい者が、持つべきだ。侯なら、アレクシアを守れる。かわりに、その、編んだやつをくれ。」
これは、姫君の・・・アレクシアの。
紅塵の鷹と呼ばれたその人の、苦難の時を支えたその剣の意味を、マルセラ侯は、手の中の剣の重みとともに、受け取った。
アレクシアの父親が他国出身の紅塵の鷹と呼ばれた傭兵だったと知る者は少ない。
アレクシアの母と出逢い当時のレーヌ王にも認められて、次代の女王の夫となる時に、その二つ名を捨てた。もっとも、レーヌには傭兵は多いから、そのことを隠した訳ではなく、かつて亡国の武官だったことを伏せる為その出自は、偽られているだけではあるが。
かの勇名は、変化し、巷間に伝わっているが、実際には、君主を祖国の民を守った忠臣だ。すでに、亡国となり、ウエルスタットの一部として取り込まれた小さな公国で、彼は、代々宰相を輩出する家の息子だった。
文官が多い家であるけれど、自身は剣を振るう方があっていると武に傾倒し、近衛騎士として王に仕えていた。時勢により、公国を取り囲む大国のうちの一つウエルスタットに攻められて、陥落もやむなしというところになってしまった。
王は、城を枕にそこで生を終える覚悟を決め、若い武官たちに最後の命令を下した。
逃げ込んできた一般の民たちを無事、戦場から逃がし、これまで、国を支えてきてくれた彼らの功にむくいよ、と。それが、公国の誇りであり、王としての最後の矜持であると、宣言し、王が落ち延びる説得を跳ね除けた。
その遺志を託された武官に、紅塵の鷹がいた。すでに、城は囲まれてはいたが、万一の時のために、落ち延びる為の抜け道がこの城にも用意されている。
王は、その道を自分の為には使わなかった。
その道を、武官たちに守られて、逃げ道を確保した一団だが、さらに安全な場所までの退路を確保する旅は用意ではなく、時には、公国内のあちこちで出くわすウエルスタット兵を相手に血路を開いて進む道のりだ。王に托された彼らを、ウエルスタットとはまた違う大国の確かな人物のところに預けるまで無事、守りきれたのだが、彼らを守っていた武官を統率していたのが、紅塵の鷹だ。彼は、そのあと、そこには残らず、ウエルスタットと敵対する国を転々と渡り歩き、傭兵として活躍していたので、特にウエルスタットの軍内では、鬼か邪のように伝わってい、その頃には、もう、彼が亡国の武官だと知る者は少なくなってはいたが、次期女王の夫として、その過去が外交に影響をおよばさないようにという配慮から、公には、彼はレーヌ生まれの傭兵とされている。
もっとも、執拗に伏せている事実ではなく、調べれば明るみに出ることなのだが、小さなレーヌの今の女王の若くして亡くなった父親に注意を払う者がいないだけなのだが。
マルセラ侯は、もちろん、抜かりなく、この小国の情報も持っているので知っている。
よく、ウエルスタットでその事実が囁かれなかったものだと、思う。それとなく、網をはって、注意深く見守ってきたのだが、かの国は、王子の振る舞いに注目していたために、アレクシアの粗探しをする者が出ず、マルセラ侯の危惧も徒労に終わり、彼は、心底、ほっとした。
マルセラ侯の、そうした人知れぬ働きに、コーディ王子は、気づいている。
武に傾いてると見てきたけれど、思ったより、油断はならない人物かもしれない。けれど、剣を譲った、その奥にある心がわかっていても、彼は、肯くことで応えるしかない。
アレクシアを得ることをやめるつもりは、更々ないからだ。
「・・・・・・・・。」
マルセラ侯は、手にある剣に視線を落としたまま、懐を探る。
「コーディ王子。ご結婚なさるなら、思い出の品はもたないほうがよろしいですよ。剣ならともかく、モチーフは、あきらかに、女を連想させる。不和の種になると困りませんか?それに、これは、アレクシアが、私の為に、がんばった証拠ですから、駄目です。」
「ケチだなあ。レクシーを得られるんだから、いいじゃないか。」
文句を言うコーディの手に、マルセラ侯は、はいと、内ポケットにしまいこんでるそれを、手渡す。
「それなら、こちらの方がいいでしょう。これは、もともと、彼女の持ち物でした。いつだったか、貸してくださった時に、ちゃっかり、返し忘れた物です。持ち歩いても、執務室にあっても、これなら、差し支えないでしょう。」
ペンだ。アレクシアは、華美にこだわらないので、意匠も、シンプルで、男の物かと思うような品だ。
「ちぇっかり・・って・・・。」
「ええ。ずっと前から、彼女を欲していました。ですから、チャンスを逃す気はありません。あなたにも、遠慮はしませんから。」
「・・・・・・・。」
瞬間。コーディは、その涼やかな目元をあきれたような、羨ましいような目で見つめた。
ペンを受け取り、頷く。
「俺は、ただ、昔の過ちを正したかっただけだ。だが、いつも、喧嘩ばかりで、認識を正せず、それだけが、気がかりだった。同じ事を・・・たったあれだけの言葉で、レクシーに分からせた、マルセラ侯には、驚いた。二人で、幸せにな。」
さっぱりとした表情で、マルセラ侯の前から、去っていくコーディ。
マルセラ侯は、軽く、ため息をつき、思いを振り切り、自身の願いを叶える為、帝都へ足を向ける。
宮廷に伺候し、帰還の報告を済ませるなり、すぐさま、許しを請うマルセラ侯。
「やっとか。」
アレクシアの継父の第一声だ。
何が、やっとなのか、この時、皇帝は明言はしなかったが。呆れたような、人の悪い笑みを浮かべ、マルセラ侯に、「返品は不可だぞ。」と、短く、結婚の許可を与えたのだった。
マルセラ侯は、許され、小国レーヌの女王、アレクシアは、心を許せる、夫を得た。
笑いの絶えない、その宮廷には、現在、バッテン印をスケジュール帳にいくつも記し、記録を更新中のラナという侍女の、にまにました気味の悪い、笑いも、含まれている。
おわり
「出来た!」
アレクシアが、顔を輝かせ、作品を掲げるように見ていると、ひょいっと、横合いから、そのモチーフが奪い取られる。
コーディだ。ここまで、護衛してくれ、その足で、帰国するつもりだったのが、大雪で、レーヌに逗留せざるをえなくなった彼。
しげしげとモチーフを見つめながら、
「へったくそだな・・・。」
「かまわない。完成させることに意味がある。これで、賭けは私の勝ち。」
「賭け・・?」
なんだかなあ・・という顔で、コーディが、首を捻る。
それから、用を思い出し。
「ああ。さっき、やっと道が通って、外からの連絡も届いたぞ。・・ついでに、ウエルスタットの事件も飛び込んで来た。セシリア嬢が、毒を盛られて殺されかけたそうだ。犠牲になったのは、侍女の方だったらしいが。」
幸福をとは言わず、幸運をと言ったのは、先に起こりうることが、アレクシアの頭に浮かんでいたからだが、それでも、危険を回避して欲しくはあった。
「・・・そうか・・やはりな。邪な者、そうでない者も、敵は多いから、幸運を祈ると言いはしたが、まず、無理かなとは思っていた。敵が多い状態なのに、あの王太子は、うかつだからな。特に、秘すべき妊娠をたてに、妃の交代を交渉した。」
帝国という怖い後ろ盾のある、アレクシアなら、狙われる可能性は、ぐっと低くなるが、ほぼ、軽い身分のセシリアなら、消してしまえば、どうとでもなると考える者は出てくるだろう。我が娘をこそ、妃にとか、考える者にとり、子供が産まれると、目的を果たすのに少しやりにくくなるとか、そう言った意味で、不都合を思い切って処分しようとする向きは、あの国の宮廷のようすでは、出てくるだろうと推測される。
セシリアにとっては、秘しておくほうが、実は、守りやすい事情だったのだ。
さすがに、それに、乗じたというか、利用したアレクシアは、はあ・・と、重いため息をつく。
「・・お前が、思いやりをかけてやる必要もないと思うぞ?あの時、ためらっていたら、自分の命の方が、脅かされるのだから・・。それに、真実、周囲が、脳みその中身を疑ったくらい王太子からの扱いは、酷いものだ。きちんと忠告はしたのだし、政務も手伝ってただろう?」
実際、喉元に刃を充てられた状態だった。
幽閉されれば、不都合な証言をされないように、アレクシアが暗殺されていただろう。病死と取り繕えば、あやしいとは思っていても、各国の酷評は免れる。帝国側は、もちろん、追及するだろうが、うまく捌けば、勝手に言いがかりをつけ、騒いでる印象をもたせられ、少なくとも、ウエルスタットの孤立は免れる。
「それは、城に滞在し飲み食いした費用分ぐらいは、民たちに対して、義務は果たした。」
「そういうこと。やるべきことは、やったんだから、もう、気にするな。」
彼女から、幾分かの好意を受け取れなかったのは、向こうが愚かだったのだという言葉は、飲み込み、コーディは、アレクシアを慰める。
アレクシアが、必要なら嘘もつくが、かといってそれに傷つく者に対し、痛みを感じないほど非常ではないことを彼は知っている。
アレクシアは、常にない彼の態度に、しげしげと、彼の顔を見ている。
「どうしたのさ・・・・?珍しく、優しげな言葉をかけてくれるじゃないか。この前、婚約者に逃げられた時は、笑いとばされたのに。」
「あのなあ。あれは、適当すぎる人物に肯くからだ。話を断れなくもなかっただろう。安売りしすぎだ。今回は、本当にご苦労様としか、言いようがない。俺だって、友人を案じる言葉は持っているさ。」
「ふむ・・・?」
アレクシアは、コーディの様子がいつもと違うような気がし、首をかしげる。
心なしか、寂しそうなのは、気のせいか?
「帰るのか?」
「ああ・・。」
暇を告げて立ち去ろうとした所で、ちょうど、マルセラ侯が、入ってくる。
彼は、コーディに会釈し、それから、アレクシアに。
「執務中かと思いましたが、歓談中でしたか。私は、帝都へと戻ると告げに来ただけですが、陛下と妃殿下にお託は何か、ございますか?」
「う~ん・・・伝言というか・・・。」
アレクシアが、コーディがまだ手に持っているモチーフを取り返し、ほらっと、マルセラ侯に投げて寄越す。
「ちゃんと、完成したぞ?私の勝ちだな。何でも願いを聞くと言っていたよな?」
マルセラ侯は、手の中のモチーフに、ちょっと苦笑し。
「・・出来上がりは、出来上がりですか・・まだ、編んでいたとは、驚きです。で?願いというのは、しばらく、こちらへ居座れるように取り計らえということですかな?」
「というか・・父上に、当分縁談が来ないようにかけあってくれないか?」
「・・・・・・。」
「?」
アレクシアの言葉に、マルセラ侯は、じろじろと彼女を観察している。
「・・・わかりました。余程、今回のことは、お疲れになったということですね?」
アレクシアが、こくこく肯いている。
若干、彼が落胆したようなのは、アレクシアの気のせいか?
マルセラ侯は、ちょっと、その美しい眉を寄せ、
「ですが、期限切れです。ということで、五分五分、ここは、互いに願いを叶えるということで、少し、内容が変質してしまいますが、よろしいでしょうか?」
「いいぞ。じゃあ、マルセラ侯も、願いを言ってみろ。叶えてやる。」
気軽に、返事をしたのは、さすがに、主筋に対し、非道な願いの向きはなしと踏んだから、アレクシアの落ち度なのだが、マルセラ侯は、言質をとり、満足そうに、微笑む。
胡散臭い、美形の笑み。
「では、手を出して下さい。」
「うん・・?」
アレクシアが、差し出そうと手を動かす。
「う・・・?」
差し出そうとした右手を避けられ、左手を強引に引き寄せられたかと思うと、アレクシアは、マルセラ侯の眼前に掲げられるようにしている己の左手を、まぬけな表情で眺めている。
「どうか。一日の終わりに、あなたの隣で眠る権利を・・貴女と共にあることを永久に。」
マルセラ侯は、そのまま、彼女の左手にキスを落とす。そこから、懇願の視線をむけたが、すでに、アレクシアの手には、指輪は嵌っている。
それは、マルセラ侯の侯爵家に代々伝わる指輪。確か、奥方の指に嵌っているのをみたことがある。あれ・・?そういえば・・・・・今は、独身か。
「ちょ・・・何かの間違いではないのか?私は、バツ2だぞ。ついでに、帝国でも、指折りの美形のそなたから、憧憬をよせられる、造作でもないぞ。」
「死別ですが、私も、再婚ですから、それは問題ありません。ついでに、アレクシアさまより、十も年が上な私も、そろそろ、選り好みなどできない年齢ですから、誰も、意を唱えてくるものなどいないでしょう。」
生真面目に答えてくれたが、ここは、やさぐれた方がいいだろうか・・・。
アレクシアは、掴まれている手を引き抜くことも出来ず、その姿を見ている。
「よく知りもしない女を選ぶより、貴女がいいです。健康に問題はなく、何より、一生、退屈な思いはしないでしょうから・・。貴女の民に対する慈愛を、私の領民にも向けてくだされば、政略的にも適うことでしょう。貴女が慈愛を分け与えてくださり、私は、そんなあなたを、帝国という大国の中で、全力でお守りします。」
「・・・・本気か・・・?」
政略というなら、納得できないこともないが、アレクシアは、まだ、驚きを収められないでいる。
「私の侯爵領と、ここは、離れておりますから、互いに、大きな勢力となる可能性もありません。皇帝も承知してくださるでしょう。将来的に、嫡男は、出来るなら勘弁してほしいですが、貴女が生んでくださるはずの、子供たちの誰かに、レーヌの君主に・・と言えば、帝国側も駄目とはいいますまい。」
「跡継ぎのことなら、別に、適任であれば、弟皇子から、指定してもかまわん。ただ、ローズテールの皇帝のものになるのだけは、避けたい。ここから、各国に巣立っていた者のために、他の国への示しもあるから・・実は、皇帝もそれは望んでおられないし。その・・私が、跡継ぎを生むことに拘っているわけではないぞ?」
「では、一人しか、子が得られなかったとしても、問題はないですね。念のため、申し上げておきますが、私も、兄弟はおりますから、嫡子の誕生を焦って、結婚を申し込んだわけではありません。」
「え・・・?ええ・・・?」
アレクシアが二の句が告げられないで、ぽかんとしているその瞳をじっと見つめ。
「・・この際、勘違いを訂正しておきたいのですが、貴女は、十分、女性として魅力を備えています。その笑顔に魅せられた人は、私だけではないはずです。生命力を表すような赤い髪も、笑うと花が散ったように感じるそばかすも、貴女の持つ魅力の一つです。時に理知的に輝く、その青い瞳を我がモノにしたいと誘惑を押さえるのに苦慮したこともあります。アレクシアさま。」
「・・・・・・・。」
マルセラ侯は、そう言い、アレクシアに微笑みかける。
アレクシアの目元が、少し赤くなる。
「・・・反則だ・・・。」
「?」
アレクシアは、敗北感を味わい、その破壊力ある微笑に屈した。
こくりと、了承する。
「いい・・けど・・。皇帝を肯かせたらな。」
「愛する方のために、では、急ぎ、帝都へ行ってまいります。祝福を。」
「う・・。」
当然のように、テレも偽りもなくかえされ、アレクシアは、追い詰められ、真意を見せる。
「無理をするな。道中、気をつけて・・そうなることを祈ってる。マルセラ侯。」
「モリスです。モリスとお呼びください。アレクシア。」
マルセラ侯が、名で読んでほしいと願う。アレクシアの名を大事そうに呟く。
「モリス。待っているから・・・。」
ちゅっと、頬にキスをする。
マルセラ侯は、うなずくと、くるりと背を向け、部屋を出て行く。
残されたアレクシアは、出て行きそびれたコーディと、気まずい雰囲気を、笑って誤魔化す。
「・・・ということだ。再婚することになった。」
「・・・そうか。まあ、彼なら、大丈夫だろ。俺も、おいそれと、ここに来れなくなるかもしれないから、安心だ。春に他国の王女を嫁にもらう事になってしまった。」
「慶事だな。祝いの品を贈るよ。コーディ、幸せになれよ?」
コーディは、しばらく、試すように、彼女を見つめていたが、やがて、頷く。
「ああ。レクシーもな。じゃ。」
彼は、手をふり、また、遊びに来るとでもいうように、気軽に、背を向けて出て行く。
アレクシアも、機嫌よく、見送り、それが、コーディの背中を押す。
コーディは、部屋を出、慌てて、マルセラ侯の背を追う。
「マルセラ侯。」
呼び止め、コーディは身につけている、剣帯から、その剣を外し、マルセラ侯に手渡す。
「王子。これは?」
「レクシーの父の形見で、生前、直に頂いた物だ。実際に戦場で活躍していた時に、使われていたと聞いた。このままだと、女の身で、彼女が、傭兵たちの長を含む、レーヌの王位を引き受けることになるだろうから、重い役目に心が折れそうになるかもしれない時は、守ってやってくれと。あの時は、側にあるという約束のもとに、これを受け取り、事情が変わった今ままでも、ずっと持ったままだったが、今は、ふさわしい者が、持つべきだ。侯なら、アレクシアを守れる。かわりに、その、編んだやつをくれ。」
これは、姫君の・・・アレクシアの。
紅塵の鷹と呼ばれたその人の、苦難の時を支えたその剣の意味を、マルセラ侯は、手の中の剣の重みとともに、受け取った。
アレクシアの父親が他国出身の紅塵の鷹と呼ばれた傭兵だったと知る者は少ない。
アレクシアの母と出逢い当時のレーヌ王にも認められて、次代の女王の夫となる時に、その二つ名を捨てた。もっとも、レーヌには傭兵は多いから、そのことを隠した訳ではなく、かつて亡国の武官だったことを伏せる為その出自は、偽られているだけではあるが。
かの勇名は、変化し、巷間に伝わっているが、実際には、君主を祖国の民を守った忠臣だ。すでに、亡国となり、ウエルスタットの一部として取り込まれた小さな公国で、彼は、代々宰相を輩出する家の息子だった。
文官が多い家であるけれど、自身は剣を振るう方があっていると武に傾倒し、近衛騎士として王に仕えていた。時勢により、公国を取り囲む大国のうちの一つウエルスタットに攻められて、陥落もやむなしというところになってしまった。
王は、城を枕にそこで生を終える覚悟を決め、若い武官たちに最後の命令を下した。
逃げ込んできた一般の民たちを無事、戦場から逃がし、これまで、国を支えてきてくれた彼らの功にむくいよ、と。それが、公国の誇りであり、王としての最後の矜持であると、宣言し、王が落ち延びる説得を跳ね除けた。
その遺志を託された武官に、紅塵の鷹がいた。すでに、城は囲まれてはいたが、万一の時のために、落ち延びる為の抜け道がこの城にも用意されている。
王は、その道を自分の為には使わなかった。
その道を、武官たちに守られて、逃げ道を確保した一団だが、さらに安全な場所までの退路を確保する旅は用意ではなく、時には、公国内のあちこちで出くわすウエルスタット兵を相手に血路を開いて進む道のりだ。王に托された彼らを、ウエルスタットとはまた違う大国の確かな人物のところに預けるまで無事、守りきれたのだが、彼らを守っていた武官を統率していたのが、紅塵の鷹だ。彼は、そのあと、そこには残らず、ウエルスタットと敵対する国を転々と渡り歩き、傭兵として活躍していたので、特にウエルスタットの軍内では、鬼か邪のように伝わってい、その頃には、もう、彼が亡国の武官だと知る者は少なくなってはいたが、次期女王の夫として、その過去が外交に影響をおよばさないようにという配慮から、公には、彼はレーヌ生まれの傭兵とされている。
もっとも、執拗に伏せている事実ではなく、調べれば明るみに出ることなのだが、小さなレーヌの今の女王の若くして亡くなった父親に注意を払う者がいないだけなのだが。
マルセラ侯は、もちろん、抜かりなく、この小国の情報も持っているので知っている。
よく、ウエルスタットでその事実が囁かれなかったものだと、思う。それとなく、網をはって、注意深く見守ってきたのだが、かの国は、王子の振る舞いに注目していたために、アレクシアの粗探しをする者が出ず、マルセラ侯の危惧も徒労に終わり、彼は、心底、ほっとした。
マルセラ侯の、そうした人知れぬ働きに、コーディ王子は、気づいている。
武に傾いてると見てきたけれど、思ったより、油断はならない人物かもしれない。けれど、剣を譲った、その奥にある心がわかっていても、彼は、肯くことで応えるしかない。
アレクシアを得ることをやめるつもりは、更々ないからだ。
「・・・・・・・・。」
マルセラ侯は、手にある剣に視線を落としたまま、懐を探る。
「コーディ王子。ご結婚なさるなら、思い出の品はもたないほうがよろしいですよ。剣ならともかく、モチーフは、あきらかに、女を連想させる。不和の種になると困りませんか?それに、これは、アレクシアが、私の為に、がんばった証拠ですから、駄目です。」
「ケチだなあ。レクシーを得られるんだから、いいじゃないか。」
文句を言うコーディの手に、マルセラ侯は、はいと、内ポケットにしまいこんでるそれを、手渡す。
「それなら、こちらの方がいいでしょう。これは、もともと、彼女の持ち物でした。いつだったか、貸してくださった時に、ちゃっかり、返し忘れた物です。持ち歩いても、執務室にあっても、これなら、差し支えないでしょう。」
ペンだ。アレクシアは、華美にこだわらないので、意匠も、シンプルで、男の物かと思うような品だ。
「ちぇっかり・・って・・・。」
「ええ。ずっと前から、彼女を欲していました。ですから、チャンスを逃す気はありません。あなたにも、遠慮はしませんから。」
「・・・・・・・。」
瞬間。コーディは、その涼やかな目元をあきれたような、羨ましいような目で見つめた。
ペンを受け取り、頷く。
「俺は、ただ、昔の過ちを正したかっただけだ。だが、いつも、喧嘩ばかりで、認識を正せず、それだけが、気がかりだった。同じ事を・・・たったあれだけの言葉で、レクシーに分からせた、マルセラ侯には、驚いた。二人で、幸せにな。」
さっぱりとした表情で、マルセラ侯の前から、去っていくコーディ。
マルセラ侯は、軽く、ため息をつき、思いを振り切り、自身の願いを叶える為、帝都へ足を向ける。
宮廷に伺候し、帰還の報告を済ませるなり、すぐさま、許しを請うマルセラ侯。
「やっとか。」
アレクシアの継父の第一声だ。
何が、やっとなのか、この時、皇帝は明言はしなかったが。呆れたような、人の悪い笑みを浮かべ、マルセラ侯に、「返品は不可だぞ。」と、短く、結婚の許可を与えたのだった。
マルセラ侯は、許され、小国レーヌの女王、アレクシアは、心を許せる、夫を得た。
笑いの絶えない、その宮廷には、現在、バッテン印をスケジュール帳にいくつも記し、記録を更新中のラナという侍女の、にまにました気味の悪い、笑いも、含まれている。
おわり