時の泉庭園

小説は、基本、ハッピーエンド。
話は、最後まで出来上がってからUPなので、全部完結済み。

(^◇^)・・・みん兎

空蝉の心 10

2009-10-30 20:55:29 | やらへども鬼
 目の前に、田園風景が広がっている。京の内にだって、空いたスペースに畑を見かけることもあるし、ちょっと郊外に出れば、田んぼが広がる光景は、目にすることが出来る。
 別に、田や畑が珍しいって、わけでもないけれど、目に映る山並みも、すでに収穫を終えて、藁の積み上げられた田に、夕日が当たって金色の景色が美しい。「わあ・・・。」日の沈む前の一瞬の感動。ゆりは、頬をほころばせる。
 雨水(うすい)も、同じ思いであるらしく、馬をとめた。隣りで、中将も、景色に魅入っている。
「いつまでも見ていたいものだが、夕景色というのは、ほんの一瞬だな。」
「そうですね。つい足をとめてしまった。・・・先を、急がねばならないのに。」
「その目的の家は、この辺りのはずだが・・・。」
 きょろきょろと、あたりを見回す中将。雨水(うすい)の後ろで、ゆり前方の山際の塀に囲まれた大きな家を指さす。
「このあたりで、大きな家って、あれくらいしか、ないんじゃないですか?」
 近くの村を通過した時に、訊いて来た。確かに、ここら辺りでは、あそこしかなさそうだ。日も暮れかかっているから、先を急いだ。
 門を潜る。門といっても、国司の館のように、誰かが守っているわけでもなく、立派ではあったけれど、開けっ放しで、取次ぎもいない。仕方なく、中へ入って、ちょうど、庭先を歩いてきた人を捕まえて、案内を乞う。
「あんた方誰だね?」
 不審げな顔の、年配の男は、比較的こざっぱりした格好をしていた。胡散臭いものをみるような目で、無遠慮にこちらを見ている。別に、まとのに会わせてもらえれば、どうでもいいけどと、心の中でゆり。少し横柄な感じがする。首を傾げ、再度同じ質問を繰り返そうとする。それを、遮って、中将が首を横に振る。これこれ、こういう者から連絡が入っているはずだがと、この辺りで有力な豪族の名をあげた。すると、きゅうに、得心いったように頷き、笑顔になった男は。
「それなら、聞いております。京の偉い方の子弟が訪ねてこられるとか。大臣さまだったか、大納言さまだったかのご親戚と、うかがってますが・・・。いや、一行は、同時に、二件だったかな・・・。」
 大納言・・・・。父上先回りして、手配をしてくれたんだと、ゆりは思う。中将が、大様に頷く。
「ふむ。連絡は行っていたか。右大臣どのの甥は、私だ。頭の中将である。こちらは、大納言さまのゆかりの、雨水(うすい)どのという。」
「ゆかりの・・?」
 首を傾げた男に、耳打ちする中将。
「身分は明かせぬが、大納言さまが懇意になさっている方だ。失礼のないようにな。」
「へ、へへ・・・。」
 高貴な身分を想像して、こくこくと頷く男。中将は、次に、ゆりを示す。
「そして、我らが友の、ゆり君。まだ、童形だが、これでも、京ではちょっとした有名な陰陽師だぞ?侍女のまとのを心配して、ようすを見に来た。」
「へえ・・・ほう・・・。」
「早く、取り次いでくれ。」
「は、はい。」
男を促すと、慌てて中へ、駆けて行く。中から、今度は、小太りの中年男を伴って出てくる。その男が主人なのだろうか。やたら、満面の笑顔で出てきた男は、ゆりたちを中へ案内し、部屋へ通されると、歓待された。
目の前に、酒肴が並んでいる。
手をつける気になれず、いらいらしながら、ゆりは、酒盃を手に持ち、やたら愛想のいい女が酒を注いでくれるのを見つめている。
目の前には、この家の跡取りと称する男たちが座っている。先ほどの小太りの男もその一人だが、年齢は様々。まとのの大伯父だというこの家の主は、今、病の床にあり、彼には子がなく、従兄弟の子や、孫だのが集まっている。まとの本人が、いない。
で、こちら側。歓待を受けながら、ちらりと、ゆりは隣りに目をやる。
隣りは、中将。その向こうが雨水(うすい)。雨水(うすい)は、中将の先ほどの家人への耳打ちにより、一番上座に座らされている。
「ゆりどの、気になりますか?」
 中将がゆりに、呟く。雨水(うすい)を示す。
 酌をしてまわる女は、他にもいた。今、酒を注いだ女が、雨水(うすい)にさりげなく体を寄せて、座った。ゆりは、眉を寄せる。
 隣りの中将のところにも、酌婦は回ってきて、べたべたしていくのだが、さすがに綺麗どころなんか見慣れているのか、全くアウトオブ眼中といった感じ。ま、そりゃそうか。内裏や、上級貴族の女房たちみたいな、一級品の美人を見慣れているんじゃ、目の前の彼女たちは、ただの田舎娘たちか・・・。ゆりは、自分の目の前で、流し目よろしく、こちらに笑みを送っている娘をみて、苦笑した。それにしても、袿無理やり重ねてるなあ・・・。京ぶりを意識したのか、とりあえず、一張羅をたくさん重ねてきたのか、着慣れていない印象だ。
 う~ん。この、いかにも誘ってますって、サインはなんなの・・・。そう言うと、中将の口の端が笑う。
「おや。ばっちり、そのとおりです。今夜、忍び込まれないように気をつけて。」
「まさか・・・・。」
「ゆりどの。結構、人気ありますよ。」
「いや、中将さまほどでも・・・って、あれ、また、さっきの女の人。雨水(うすい)に。」
「気になるんだろう?」
「いいえ。中将さまは、慣れてらっしゃいますね。ほとんど、まったく動じないといううか・・・あれ?」
 雨水(うすい)も、困惑してないなあと、ゆり。
「彼も、だろう?・・・不遇だったとはいえ、美しい女たちは見慣れているだろうから。ゆりどの、眉間に皺寄せてどうしました?」
「・・・・・・・・・いや、別に。」
 そのとき、雨水(うすい)と目があった。ゆりの表情をみると、うんと頷いて、近くの人に、何事か囁いている。その人から、順番に、対面に並んで座っている、相続人たちの間で、囁きが広がっていき、あの、小太りの男が口を開いた。
「まとのさんは、今、こちらの家にはいらっしゃいません。近くの知り合いの尼さまの庵に移っていらっしゃいますから、明日には呼びに行かせましょう。もう、夜も遅いですし。今日はこちらで、お休みになって下さい。あの、まとのさんの主は、高名な陰陽師だとか。」
 きたか。やっぱりと、ゆりは身構える。話は、物の怪を退治して欲しいと、続く。承知するか否かは、準備もありますからと、返事は引き延ばした。
 ともかく、まとのにあってからだ。ここへ来てから何となく感じる、ここの人たちの感じの悪さが気になり、いつもと違い、ゆりは慎重な態度に出る。探るような視線を感じるのだ。
 宴がお開きになり、各自、休む部屋へと引き取った。


空蝉の心 9

2009-10-30 20:53:10 | やらへども鬼
雨水(うすい)は、待っていた。ゆりの父、大納言が帰路かならず、通るはずの場所で、彼の乗る牛車が現われるのを、待つ。
 退出の時間や、今日通る道筋なんかは、彼の供の侍、平太に確かめてみたから、あってるはずだ。ほどなく、見覚えのある牛飼い童の追う牛の繋がれた牛車に出会うことが出来た。平太が、付いていたので、彼と目があうと、牛車が止まる。車がとまったので、大納言も気付き、御簾をのけて、顔を覗かせる。
 雨水(うすい)が、会釈した。
「どうされた?話があるなら、邸を訪ねて下されば、よいのに。乗っていかれますか?」
「いえ。今は、一陰陽師でございますから、同乗させていただくわけにも、行きませんから。急いでおります。道端で、呼び止めて申し訳ありません。」
「・・・・ふむ。」
「ゆり姫が、侍女のまとのの里へ行くといっているのです。何でも、怪異で、難儀しているとか。おそらく、止めることは出来ないと思い、お方様に、私も供としてついていくことを承知していただきました。」
「重大なことになっておるのか?」
「いえ、行ってみなければわかりませんが、京の内ではございません。道々のことも、ありますし、私の持っている笛は、姫の式神の力の欠片。これが、欠ければ、どのくらいの力が発揮できるのか、実際わかりません。」
「うむ。桔梗が承知したか・・・。わしのところには、あとで事後承諾と思われなかったのか?」
「考えました。もし、強く止められたらとも思い・・・。でも、やはり、一言断っておこうと・・・。」
「わかった。娘のこと、頼みます。」
「はい。」
 と、話していると、ちょうどそこに通りがかった人がいる。
「中将どの?」
 雨水(うすい)が、あっけに取られた顔で、中将の顔を見た。大納言も、じっと、彼を見ている。目をしばたたいた。
「中将。内裏で見かけたとき、訊こうかと思ったのだが、どこか体の具合を悪くしているのではないか。蔵人の役目は、楽ではなかろう。」
「大納言さま。いえ、これは、別に、どうということもないのです。言ってみれば、気の病のようなもので・・・・。雨水(うすい)どの。」
 げっそり頬のやせた中将が雨水(うすい)の方をみる。
「桔梗御前にもらった符が、効かないのですか?」
「いや。その・・・会いたくて・・・・」
「まさか、剥がしたんじゃないでしょうね?」
 雨水(うすい)が、強い口調で訊ねる。彼は、夢に見た美しい人に会いたいといって、居所を占ってくれと、数日前、ゆりの屋敷にやって来た。ゆりの母が、占ったのだが、結果は、無と出た。それでも、夢とも思えぬような、存在感があったと主張する彼に、妖の類かもしれないから、符を必ず、寝る前に休む部屋に貼っておくようにと、桔梗から言われた。
 こくっと、頭をたれ。
「剥がした。」
「どうしてっ。」
「・・・剥がしたが、ちっとも現われない。やっぱり、幻だったのかもしれない。もう一度、会いたい。」
 なんだ恋わずらいかと、雨水(うすい)と大納言が顔を見合わせる。
「気持ちはお察ししますが、とりあえず、身の危険は、脱したのなら、今のところはよしということで、私は、先を急いでいますから。」
「先?」
「ええ。ゆり姫のお供で、彼女の侍女が里から、戻ってこないので、心配して見に行くというので・・・。宇治より向こうになりますから、さすがに一人では行かせられない。」
「それなら、私もついて行こうかな。もう、何だか、元気が出なくて・・・。宇治なら、別邸があるから、途中の宿を提供できるよ。ああ、心配しなくても、邪魔はしないから。」
「ええっ。」
「ゆりどのに、さすがに野宿はさせられないだろ?」
「・・・・・。」
 ごほん、ごほんと、大納言のせきばらいが入る。
「あ~、それなら、家の別邸を使うといい。中将は、家でゆっくり休んだほうがいいのではないか?」
「いえ。ご心配には及びません。ちょっと気晴らしをしたら、もとに戻りますから。」
「・・・・・・・・。」
 大納言が一瞬目をむく。その表情が見えないように、雨水(うすい)がさっと体の位置をずらす。中将は、気付いていない。ここで時間を食っていたら、ゆりが先を急いで、出発してしまうかもしれないと思い、そこから、動くことを決意した。
「すいません、大納言さま。また、お話は、のちほど。失礼いたします。」
「う・・・む。」
 雨水(うすい)は、そそくさとそこを立ち去る。



右京の家につくと、先に預けてあった馬に乗り、ゆりを乗せて、宇治の方角へ急ぐ。途中で、馬を取りに帰っていた中将が追いかけてきた。
 大きなおまけに、ゆりが大きく目を見張る。
「頭の中将って、家にもなかなか帰れない、忙しいお役目じゃなかったですか?」
「物忌みとか、多少は都合出来るさ。」
「多少ねえ・・・。」
「まあ。そんな邪魔にするものではないぞ。京の貴族の箔は、田舎へ行けば、役にたつ。少なくとも、道々、野宿は免れる。」
「いいですけど、危険だと思ったら、すぐその場を離れていただくように言いますから、それだけは、聞いて下さいね。」
「わかっているとも。」
 追い返すのも、面倒くさくなって、そのまま、道中をともにする。

空蝉の心 8

2009-10-30 20:51:20 | やらへども鬼
 一目見て、忘れられない人に昨夜巡り会ったと彼は、言った。「誰も、私を見てくれないの。」と言って、従容とあきらめたような横顔が、儚げで、思わず言葉を重ねていた。きっと、彼女が笑ったら、美しいに違いないと。花が開いたような笑顔になったその人を、うっかり名も住むところも、聞くのを忘れてしまったのだと。どういうわけか、方違えで、泊まった家の人ではないらしい。まったく、行方を捜そうにも、手ががりがない。彼女を探す手がかりが欲しい、というのが依頼の内容だった。
 桔梗が占った結果は、無。意味を図りかねたが、どうも、依頼主の話から、もしかすると妖しの者と係わりがあるかもしれないと、その夢の人を、遠ざけるように、忠告して、符を持たせて、帰すことになった。中将は、かなり、ショックを受けていたようで、青ざめて、符を受け取り帰って行った。


 珍客が帰ったあとの、室内は、くすくす笑い声が響いていた。
「本当、あの人が帰ったあとでよかったわ。くすくす。そんな、場面に鉢合わせたら、絶対、職権乱用で、あの中将どの、あとあとかわいそうなことに。くすくす・・・。」
 愉快そうに、笑うゆりの母。ゆりに似た顔立ちの、ただし、もっと迫力のある双眸をしていて、いかにも艶のある花といった感じだ。
 すでに、後からやって来た雨水(うすい)も、いて、困惑の表情で話を聞いている。
「笑いごとではないです。お方さま。」
 という雨水(うすい)の小さな抗議に、ゆりの母、桔梗が、おやという表情をした。
「まあ。雨水(うすい)どのは心配してくれているのですね。うちの娘も、年のわりには幼いですものね・・・。」
 桔梗は、となりに座っているゆりの頭を、ぽむぽむと撫でる。
「母上っ。そんな小さい子みたいに。」
 ゆりの抗議を、じっと桔梗の瞳が見ている。
「今回のことも、始めから、女の子だと、わかっていれば、あの中将どのも、振舞いを考えて下さったのではないかしら・・。」
「それ、この格好を改めなさいってこと?」
「そうねえ。あなたには、式神もついているし、普通に考えなくてもいいのかもしれないけど、そのうち、その格好も似合わなくなってくるわ・・・。その時考えてみれば、いいのかもしれないわね。今は、まだ、納得していないようだから。」
「・・・・・・・・。」
「でも、覚えておいて。それなりに、振舞うってこと、窮屈に考えすぎないで。女の子である、あなたを守ってくれることもあるってこと。ちゃんと、自分を大切にすることを考えなくては、ね?」
 ゆりがうんと頷くと、桔梗の目許が笑う。
「まあ、でも、中将どのと、陰陽師のゆりが顔見知りだってことはともかく、今朝のできごとは、あの人には内緒ね。雨水(うすい)どのも、いいかしら?」
「・・・はい。」
 首を捻る雨水(うすい)に、桔梗が心底、楽しそうに、ゆりの外泊以来の大納言のようすを教えてくれた。あのあと、たっぷりお説教をされたゆりは、しばらく、向うの家から、帰ってこれなかった。そればかりか、習字の稽古といって、古今集の写しをやらされ、管弦に、裁縫、たっぷりとお作法の宿題を出され、缶詰状態だった。あまりのお姫様生活に、音を上げたゆりが、「母上がお独りでかわいそうだから・・・。」といって、父に泣きをいれた。
母の名が出たので、大納言もようやく、その状態に、終止符をうつ気になったらしい。帰って来たのはいいけれど、大納言がこちらへ三日に開けず、顔を出す。目が届かないと駄目だと、思っているのか・・・。
「えっ。それじゃあ、私も、ここに来てはいけないんじゃ・・・。」
 雨水(うすい)の強張った顔に。
「いいのよ。それは、義理を欠かさず訪ねて下さったのに、追い返すなんて。あの人には、ちゃんと取り成しておきましたからね。」
 と、桔梗。それまで、口をはさまなかったまとのが、声をあげる。
「そうですよう。そんなことになったら、私のリアルお雛様遊びが・・・もとい。雨水(うすい)さまは、ゆりさまの同業者のお友達。危険のあるお仕事ですし、もしかしたら、助けて下さる方かも、しれませんもの。」
 何?リアルお雛様。まだ、そんなことを言っているのかと、ゆりの眉が寄った。
「・・・・・・・・。」
 まとのの勢いに、雨水(うすい)が引いている。桔梗が、くすっとまた、笑う。
「リアルお雛様。あら、それなら、あの中将さまでもいいのではなくて?まとの。頭の中将さまって言ったら、若手の出世頭よ。」
「何が何でも、公達ってわけじゃないです、お方様。あの方、なんだか、自分ペースで。ゆりさまが、お幸せになれないいんじゃ、意味ないですぅ。それに、大納言さまも、何だか、あの男はやめておけって、言ってらしたし。」
桔梗が、首を横にふる。
「あの人は、誰であっても駄目なの。跡取りの姫として、婿とりを・・・なんて言ってるけれど、あの人の考えている条件を満たす方なんて、きっとこの世には存在しないわよ。本当は、娘がかわいすぎて、手放すつもりなんかないの。」
 ぷっと、思い出し笑いをする。そばにいるゆりに。
「私は、娘のことを大事にしてくれる人と一緒になればいいと思ってる。幸せだと、思えることは人それぞれ、違うのだから、よく考えてね。迷ったら、大人の知恵も、ちゃんとそばにあるのだということを思い出して。あの人だって、ゆりが真剣な態度を見せたら、考えるわよ。親だもの、子どもの幸せを考えるのあたりまえでしょ?・・・これも、まだ、先の話ね。」
「うん。」
 ゆりの返事。
「そう、じゃあっと、遅くなってしまったけれど、雨水(うすい)どのの話をきかせてね。あれから、父上さまや、母上さまは、どうなさっているの?」
 桔梗が、話題を変え、ここを出てからの雨水(うすい)の話を聞きながら、楽しい一時を過ごしていると、またまた、人が訪ねてきた。
 まとのにだ。勤め先を変えて、ずっと行方知れずになっていた彼女を、親戚の者が、尋ねあて、やって来たのだった。
 まとのの、父方の大伯父という人が、危篤ということで、急に宿下がりすることになった。今まで、帰る家がないといっていった彼女の事情を、心配して、桔梗が、少ない家人の中から、一人供をつけて、田舎へ送り出す。
 そうしたら、供について行った者が、慌ててすぐ戻って来た。まとのの、滞在している家で、怪異が起こっているという。


空蝉の心 7

2009-10-30 20:47:15 | やらへども鬼
庭に霜が降りた寒い朝・・・。
 ぼやっと、白く煙った朝靄が徐々に晴れていく。朝日が、露に濡れた葉っぱに当たってきらりと輝く。さすがに、この時間になると、家の物の怪たちもなりを潜める。
「ふう。寒さむっ。」
 運ばれて来た炭櫃に、こすこすっと手をあわせて、温める。しばらく、温まるまでそうしていた。ゆりは今、起き抜けで、髪も垂らしたまま、袿を肩からひっかけたままの姿だ。  まとのは、さすがにもう身支度を整えて、つの盥に米のとぎ汁を張ったのを持って、室に入ってきた。それで、顔を洗って、髪を梳り、装束を着せてもらい、お仕度を整える。普通の姫君ならばそうなのだが、ゆりは、着替えばかりは自分でやる。母とゆりの住むこの屋敷は、人手が少なく、厨から朝餉を運んできたりも、まとのがやることになってしまうので、時間短縮のために出来ることはやることにしていた。
 今日も、顔を洗って、櫛をまとのが持ってきて、いつものようにみずらに結うために、髪に櫛をいれていたところだった。
 庭先に人影がさした。
 え?と、思って、顔をあげる。こんな時間には、誰も訪ねてくるはずがない。家人たちだって、さすがに朝の仕度の最中とわかっているこんな時間には、ここを通らないはずだ。
まとのが、櫛を動かしていた手をとめて、慌てて、近くの几帳を取りに行くのと、声がかかるのと、ほとんど同時だ。
「文月君か・・・?」
「中将・・・さま?」
 何でこんな時間にやってくるの。取次ぎもなしに・・あ、取次ぎいないか、と、ゆり。
「ゆりさまっ。」
 ぎゃああと、叫び声をあげながら、物凄い勢いで、まとのが几帳でゆりの姿を隠した。
 姿が隠れて、一瞬の沈黙。さすがに、気付かれたかと思い、気まずい空気がながれ、ゆりは、様子をうかがう。沈黙をやぶったのは。
「なんて無作法なまねを、どなたか存じませんが、こんな時間に突然庭先から現われるなんて、ちょっと、失礼じゃありません?」
 まとのが仁王立ちになって、外の人物をにらみつけている。動じることもなく、しばらく考えていたあと、中将が口を開く。
「こちらに、雨水(うすい)どのがいると訊いてきたのだが・・・・。」
 まとのが、後ろを振り向き、ゆりがちょっと几帳の間から、顔を覗かせて、互いに顔をみあわせる。
「予定は、ありますが、こんな時間にいらっしゃるはずないじゃないですか。」
 まとのが、心底不快そうに言う。
「いや。なかなかきつい娘だ。姫君に仕える侍女としてはいい女房だ。」
「・・・・・。」
 今にも、しっしと追い払わんばかりのまとのに、そう声をかける。
「昨日、雨水(うすい)どのが文月君のところへ来ると言っていたから、やって来たのだが。私は、方違え先からだったので、早く着いたようだ。すまなかった。」
 あっさりと、頭を下げられ、困惑の表情で、ゆりを振り返るまとの。うんと、首をたてに振ったゆり。
「なるほど、女の子だったとは。そりゃあ、警護の侍がいるはずだ。あの夜、雨水(うすい)殿と彼が、反対していた理由も、納得だな。」
 後ろの、ひそひそ話を、ちゃんと聞いていたのか。ゆりは、苦笑する。
「雨水(うすい)殿に用って、方違え先で、何か、あったのですか?」
「いや、その、なんていうか・・・。居所を占って欲しい・・・ことがあって・・・。」
 珍しく語尾が尻つぼみだ。ゆりが、それならと、まとのに。
「まとの。ここはいいから、母上呼んできて。」
「それは、いいですけれど、まさか、お二人にするわけには行きませんよ。」
「ああ。そっちは大丈夫。真白。」
 ゆりが呼ぶと、行き成り、廊下にうさぎが現われる。二本足で立って、餅を頬張っている。中将が、固まる。うさぎは、手に残っている餅を齧り、一度、びよ~んと餅を引き伸ばしてから、ごくんと一口で食べてしまった。
「無用心すぎるぞ、主。」
 にまっと、中将へ、極悪な笑みを向けて、ゆりに叱られる。
「真白。食事中、悪いけど、そちらの方をお客さまを通す部屋に案内して。」
「ああっ。また、つまみぐいしてる。」
 と、まとのは言っあと、真白の姿を見て固まっている、そのお客様にせきばらいをして。
「この、式神が、ご案内しますからね。以後、御用のあるときは、そちらへ回って下さい。こちらへは、立ち入り禁止ですよ。よもや、夜中に忍びこもうなんて、考えないでくださいね。怖~い目にあいますよ。なにせ、この家は特殊なおうちですからね?」
 くぎをさすまとのに、ゆりのつっこみが入る。
「ちょっと、まとの。やめてよ。それでなくても、化け物屋敷って言われてんだから。そりゃ、事実かもしれないけどさ。広めるようなこと言わないで。」
「いいえ。ゆりさま。こういう方にはしっかり、くぎをさしておかないと。あんまり、無用心がすぎますよ。何かあってからじゃ、駄目なんです。今日から、お屋敷をうろうろしてる役に立たない物の怪たちにも、よっく言っておきますからね。お世話になってる姫さまに恩をかえすようにって。」
 と、腰に手をあてている。まとのは、まだ幼さの残るふっくらした頬をふくらませ、一人前の女房のような口をきいている。ぷすっ。中将が、ふきだしながら。
「いや。私だって、人の恋路を邪魔立てするようなまねは・・・その。私は、どちらかというとしとやかな姫が好みだから。安心しろ。文月君は、面白い子だから、そのままのつきあいで。」
 そういうと、こわごわ、二本足で立つうさぎを促し、その場を立ち去る。ゆりも、慌てて身支度を整えた。

空蝉の心 6

2009-10-23 09:22:33 | やらへども鬼
小さな川の水面に立つ、さざめきのような声が、聞こえる。御簾から、後宮の女房たちの出だした袖や裾の色とりどりの衣。頭中将は、ゆったりとその廊下を歩く。彼が通るにつれて女房たちのひそやかに交わすおしゃべりが一旦止まり、通り過ぎてしまうと、ひそかにため息がもれ、静かになってしまうのは、頭中将にとっては、日常の光景になっていた。女たちに騒がれたとしても、どうということもないのだ。この出だした袖の前に座し、気の利いた会話を交わし、去り際そっと袖を引き、思わせぶりな言葉を囁くだけで、今夜の相手は簡単に決まる。駆けだしの頃なら、それも楽しみのひとつだが、今は、さすがに、引く袖も選ぶ。ここにいるのは、後宮の后に仕える女房たちだ。彼女たちの気持ち次第では、女主人の后やその父である大臣、ひいては主上の耳に、うっかり心象を悪くしかねない話を吹き込まれることも考えなくてはならない。だから、相手になる女の人柄も考慮している。もちろん、彼女たちのご機嫌は取らなくてはならないから、時々立ち止まって、会話で楽しませることも忘れはしないが、この日は、早くに退出する為、仕事を終わらせるべく、急いでいた。
角を曲がった所で、格子のむこうに人の気配がした。
ふわりと、良い香りが漂い。くすりと、笑う声がする。
「おや。右衛門の君ですか・・。何か、楽しいことでもありましたか?」
 彼にとっては、よく知った人。打ち解けて、話はするが、深い仲ではない。友達止まりの親しい関係の女房に、立ち止まって話しかける。格子戸の上部は開いているので、扇を翳した女房装束姿は、彼の位置からは見えていた。
 めずらしく取り澄ました感じで。
「ええ、こちらで庭を眺めていましたの。秋の気配を愉しみつつ、たまには、遠出もしてみたいなあなどと考えていたら、あちらから、ため息が聞こえて来ましたの。まるで、波のさざめきのようにこちらへ向かって・・・くすくす・・・。」
 途中で、耐えられなくなって、笑い出してしまった。
「あ~おかし・・・。普段は、偉そうな顔してる藤壺の方たちが・・・あなたに、声をかけて貰えなくてがっかりしてるわ。おかげで、少し胸のすく思いがしました。」
 上を向いて、ふふんという感じ。どうみても、たしなみある女房には見えないが、彼女が主思いの女であることを知っている中将は、さすがに咎める気にもならず、苦笑をもらすのみだ。彼女の仕えるのは、入内してすぐに、父親に死なれ、後ろ盾の弱い女御なので、風当たりがきつくならないよう、女房たちもひっそりと後宮で暮らしている。女主の繁栄は彼女たちにも及ぶ。大人しくしていても、立場の弱い彼女たちが嫌な思いをさせられることもあるはずで、直接、妃である他の女御などから、言われるのならいいが、同じ女房からいやみを言われたりするのは、勝気な右衛門にとっては、かちんとくる出来事ではあるらしい。とは言っても、彼女も誰かと争うようなことは、主の為に避けている。
「こんなことで留飲をさげるなんて、情けないこと。」と、ため息をついて、笑いを止めたが。
 ・・・なるほど、気晴らしをしていたということか・・・中将は、頷く。
 中将は、格子戸の向こうへ顔を覗かせ、軽口をたたく。
「あいかわらず、はっきりと言うね。なら、もっと彼女達に悔しい思いをさせてみるかい?こちらに見えている袖を引こうか。」
「ちょっと、冗談でもそんなこと言うの、止めてください。もし人に聞かれたら、風当たりがきつくなってしまいますわ。そうでなくとも、梅壺の者たちは、皆大人しく過ごしておりますのに。波風立てないでくださいね。・・それに、私、あわよくば偉い方の愛人の座を獲得なんて考えの持ち主ではありませんもの。」
「妻のいない私に、愛人の座?」
「私たちのように、人に仕える身で、正式な妻に数えられるのは難しいのではないですか。どのみち、家柄の良い姫君に婿入りなさるのでしょ?だから、ですわ。中には、恋愛を楽しむ人もいるけれど、若い女房たちの中には、宮仕えもそこそこに、玉の輿を狙って、楽に暮らしたいって夢を見る娘も多いのよ。中将さまなんか、格好の的。お気を付けあそばせ。」
「・・・そこまでは考えたことがなかったな・・・・。しかし、花が多くて、どの花を手折るか、決めかねているので、右衛門の忠告も意味をなさないと思うが。」
「あら、あちらの方、こちらの方と噂を聞いたのは、私の空耳だったのかしら?でしたら、余計なことだったですわね。ね?どんな方が中将さまの目にとまるのやら・・・。ただ一人と思い定めることは、これまで一度もないのでは?」
「やれやれ、右衛門の君には、いったいどんな男に見られているんだか。・・噂かあ。」
「そうそう、女たちのおしゃべりでは、誰と誰が過ごしていたとか・・そういう話題は、すぐ耳に入って来るものですもの。」
「怖いな右衛門の君は。しっかりもののお局さまに、身の潔白を信じて頂くには、今夜あたり参上つかまつるしかないかな。・・・っと、今日、明日と、駄目だったな。物忌みで、休みだ。残念。」
「?」
「方角が悪いので、知り合いの家へ泊まりなのだよ。でも、内緒で出てこようか?」
 中将の言葉を本気にはしていないので、右衛門の君も、適当な断り文句を並べる。
「軽い方ね。そうね。残念なことに、私も、物忌みですわ。誰にも会いません。そのあとは、今度は、女御さまがお里に行かれるので、そちらへお伴しますから、中将さまとは、すれ違いですわね。・・ほほ。案外、方違え先で、運命の出会いなんてあるかもしれませんわね。そうしたら、少しはお変りになるのかしらね。」
 翳した扇がずれて、子供のいたずらを思いついたような彼女の瞳が覗く。
 女子供は、物語のような話が好きだよな・・・と思い、中将は、肩を竦める。
「物忌みでひとり寂しく籠る私は、しんみりと秋の月を眺めているだろう。詩句のひとつも口ずさみ、傍らに、右衛門のような情趣を解するいい女がいないのは、残念だが、ま、それも、仕方あるまい・・・。」
 そう言って、中将は立ち去ったのだが、右衛門の冗談が我が身に起ころうとしているとは、彼も、その時は、思いもしなかった。


空蝉の心 5

2009-10-23 09:18:44 | やらへども鬼
 で、月を見ている・・・・・。
 さすがに、夏場ではないので、池に突き出た釣り殿でというわけにはいかないが、南表の庭に面した内側の廂に座って、酒を傾けている。簾が巻き上げられ、空がよく見える。二枚格子の上部を上げて、そこから、見上げる月もなかなか好いものだ。格子の模様の向こうに見える月。その月明かりで床に、外の廊下の欄干や、柱、格子の形に描かれた濃い黒い影。庭では、撒かれた白砂が、その淡い光をうけて、時折、きらっと光る。趣味良く手入れの行き届いた庭。
 陶器の平たい小さな皿のような、杯に、酒を注ぐ。ゆりは、自分の杯に満たされた酒を興味深々で見ている。ぺろっ。ちょっと舐めて見る。
「甘い・・・。」
 くっと、飲み干す。喉を通るとき、一瞬熱さを感じたが、すぐに治まる。酔っぱらってしまうかと、思ったが、なんともない。
「おいしい・・かも。酔わないけれど・・・。」
「一杯くらいで、酔っぱらう奴がいるか。まあ、下戸ではないということだな。あまり急いでいっぺんに飲むなよ。どうなるか、わからないんだから。」
 中将は、しつこく酒を勧める人ではないらしい。年少の者に対しての、配慮を見せた。
 雨水(うすい)が静かに立って、階の方に寄った。
虫の音が草むらから聞こえる。それに耳を傾けて。
「霜草は、蒼蒼として、虫、切切。・・・・月明かりが美しい夜ですね。蕎麦の花のかわりに、白椿の落花が、照らされてますよ。」
「ふん。生憎、ここは鄙びた村落ではないが、家人たちも寝入って静かだしな。」
 中将が、応じる。雨水(うすい)が思い浮かべているのは、白楽天の、「村夜」という題の漢詩だ。白楽天は、この時代の教養人に好まれた詩なので、中将には、趣きがすぐに伝わった。
ゆりが、立ち上がって、雨水(うすい)の傍に行き、月に照らし出される庭を見る。
「うん、月明かり綺麗だね。でも、どっちかって言うと、雪のようなのは、この白砂の方じゃない?」
 と、答える。階のすぐ近くに座っている雨水(うすい)が、すぐ傍に立つゆりの顔を見上げる。眩しげに、ちょっと目を眇める。一瞬、手を延ばそうとして、引っ込める。にっこりと、頷く雨水(うすい)。中将が頷きながら、自分の杯に口をつけるのが目に入る。
「秋の虫の音も、切々・・・。哀しげな響きもまた格別。」
 と、呟き、詩を吟じる。

 霜草は、蒼蒼として、虫、切切。
 村南、村北、行人絶ゆ。
 独り門前に出でて、野田を望めば、
 月明らかにして、蕎麦(きょうばく)、花、雪の如し。

 鄙びた村落の少し寂しさの漂うなか、見つけた美を詠った詩を、中将が口ずさむ。なかなか、趣深く、詠う。
 空になった彼の杯に、雨水(うすい)が酒を注いだ。
 それから、話題は色んな詩の話に及んだ。吟じながら、杯が空になると酒をついで・・・。なんのことはない、宴会でカラオケ・・・のようなものだ。雨水(うすい)はどちらかというとゆっくり杯をすすめている。ゆりは、さすがに、こういうのは始めてなので、あまり沢山は飲まず、おしゃべりに徹している。杯がすすみ、上機嫌で、詩を吟じていた中将に、まだ、杯を飲み干さない前に、雨水(うすい)が酒を注ぐ。
「いやいや・・まだ、杯が・・・・。」
 と言いながら、やっぱり飲む。どうも、かなり酒がまわって何だか、わからなくなっているらしい。空にしてしまい、雨水(うすい)が、また、注ぐと、中将は、くっとそれを飲み干す。それが、止めの一杯だったらしい。バタッとその辺に寝っ転がると、寝てしまった。
 ふう。やれやれと、雨水(うすい)が思っていると、ゆりがじっとこちらを見ている。
「なんか、最後のほうは意図的に注いでなかった?」
「ええ。」
 露骨に機嫌が悪そうな顔している。
「???怒ってる?」
 ゆりは、ちょっと、首を傾る。あれ?こんな感じだっけ。少なくとも、いつもにこにこ穏やかな顔している雨水(うすい)しか知らない。それも、どちらかというと、自発的な意思を感じない印象だった。
「そうですね。文月どの、が、酒の席に同席など、私は反対でしたよ?」
「ええ。結構、趣があっていいなと思ったんだけど、なんで~。ぴったりの漢詩やら、面白かったけどなあ。」
「中将の興をひくように、これでも考えたんだから。のってくれてよかったよ。」
「え?ああ、もしかして、私への詮索を封じるためなの?」
「それも、あるけど・・・。」
 ゆりの方に手をのばしかけて、ひっこめる雨水(うすい)。それには、まったく気付かず。
「お酒、おいしかったし。家にいたら、こんなことはまずないし、あ、でも、今度、父上とも一杯やろうかしら。」
 と、のんきなゆり。
「それは、・・・父君が嘆かれるな。ますます、私は、会わせてもらえなくなりそうだ。それに・・・」
 ああ、もうと、面倒くさくなり、雨水(うすい)は、ひっこめた腕を伸ばし、ゆりを引き寄せる。さすがのゆりも、固まった。
「たとえ、風流人でも、男同士で飲み会なんて、酔いがまわったら、女の子には聞かせられないような話もとびだすから・・・。ひやひやした。もう、次はなし、駄目ですよ。ゆり姫。」
「・・・姫かあ。」
 とたんに、元気を失くしたゆり。雨水(うすい)は、彼女を引き寄せていた腕を放す。ゆりは、そのまま、階近くの欄干(てすり)に腰掛、柱に寄りかかって座る。
「はあ。もう、やっぱり、この格好、限界かなあ。」
 みずらの片方から、垂れている髪の房を手にとる。中将に指摘されたとおり、いつまでも、童子の格好が出来るわけではなく、かといって、長い髪を立て烏帽子に無理やり押し込んで、男姿も何だかなあと、ゆりは呟く。
「まあ、別に、母上だって男装してやってるわけじゃないし、続けられないわけでもないか・・・。」
「姫といわれるのは、嫌なのですか・・・・?」
「う~ん。そういうわけでも、ないみたい。まとのが、喜びそうだけど、それなりに綺麗な重ねには心が動くもの。それが、動きにくいということもあるけど・・・何だか、振舞いを考えなきゃいけなかったり・・・・。」
「違う人になってしまったように感じる?」
「・・・・うん。」
 雨水(うすい)が、今度はそっと手をのばし、ゆりの手を袖に包んだ。
「あの酷い雨上がりの日、手を差し伸べてくれたゆり姫の、あの眼差しは、どんな格好してたって、変わらない。上辺からは、どんな人だって、心の中までわからないもの。でも、振舞いを改めたって、何となく人となりは伝わるものだよ。きっと、ゆり姫は、ゆり姫のままだ。」
「そうだね。ありがとう。雨水(うすい)どの。」
 ふわっと、手が離れる。雨水(うすい)は、欄干近くの柱に、背をもたせ掛けて、ゆりを見上げる。月明かりに照らしだされたその姿を見上げ、まぶしげに目を眇める。
「ね。家にいた時と、印象が違うよ。」
「さまが変わったから、でもない・・・?」
 ゆりの家にいた時は、元服前だった。
「雨の日拾ったときは、感情がなんていうか、起伏が少ないっていうか。いつも、にこにこ機嫌よかったけど・・・あ、でも、ないか。私を庇ってくれたりとか、あの事件の時とか、自発的に行動してたっけ。・・・うん。」
「そうですね。何もかも諦めていたから。今の私は、変ですか?」
 何も望んではいけないのだと、思い込んでいた。すべての感情を押し殺しているうちに、それに慣れて気付かぬ自分になっていた。
 確かに、人が生きていくうえで、諦めなくてはならないこととか、折り合いをつけていくこととかは、沢山あるけれど・・・。
「ううん。いいんじゃない?今までと違ってみえても、きっと、それも雨水(うすい)なんだよ。」
にっと、笑ってみせる。変わらず、ゆりの笑顔は鮮やかだ。あの時から、止まっていた世界が動き出した。雨水(うすい)も、微笑み返す。
 雨水(うすい)には、ほしいものがある。その為に、努力をする。たとえ、それが叶わなくても、何もしないよりは、ましな生き方なんだと、思うようになった。
「ありがとう。私もあなたを守りたいのだと、覚えていて下さい。ゆり姫。」
 そう言った雨水(うすい)の言葉は、おそらくゆりには届いていない。しばらく、お互いの消息を話していたあと、ゆりが眠ってしまった。欄干に腰掛けたまま、大きなあくびをひとつすると、こくりこくりと船を漕ぎはじめ、危ないので、起こしたのだが気付かない。立ち上がった雨水(うすい)は、ゆりを抱えて、風邪をひかないように、室に運ぶ。室のすみにある几帳を持ってきて、気持ちだけでも、中将と自分たちとは隔てをおいて、寝かせた。
「・・・これでは、ますます、会わせてもらえなくなりそうだ。」
 会わせてもらえなかったのは、おそらく、大納言から、牽制されているのだ。彼にとっては、大事な娘だから、それも、当然かもしれない。それでも、いつか・・・言葉が浮かび、雨水(うすい)は、その気持ちに驚く。ひとりでに、口の端に笑みがにじむ。まあ、こんな自分でもいいかと。見上げた月の光は、白く美しく輝いている。
 そのまま、格子のそばによって、独り月をみながら、起きていた。


空蝉の心 4

2009-10-23 09:15:50 | やらへども鬼
 廂のところで、今か今かと、でっぷりと腹の突き出た中年の男がうろうろしている。そばに、家司たちが控えているから、その男がこの家の主だ。
 彼が青ざめているのが遠くから見えたので、ゆりは少し足を速める。廊下が、足の下で、ぎしぎしとなる。廂に近付くと、この家(や)の主が、家の怪を、まくし立てる。
「もう、まったく、せっかく桜の美しい名庭を譲り受けたと喜んでいましたのに。がたがたと、毎夜のように揺れて、もう、恐ろしくて恐ろしくて・・・。早く何とかしてくれ。」
 急かされるように、ゆりが一歩室内に足を踏み入れる。ぎっ。床板が擦れる音は、暗い室内に不気味に響く。ゆりは、首を捻る。あれっ?疑問に思って、そこを指さし、振り向く。
「あの。なんで、厨子棚が壁に寄ってないのですか?」
 訊きながら、横目に映った雨水(うすい)は、上を見ている。天上の梁を?心の中で、確認しつつ、家の主の答えを訊く。
「だからあ、なんぼ寄せても、あのとおり、動きますねん。揺れるもんだから、危なくて、灯火は、まったく灯せしませんし、まったく・・・・。」
 ぶつぶつと、ぐちのような訴えがさらに続く。きょろきょろと辺りを見回したあと、床に頬をこすりつけるようにして、耳を当てる。起き上がって、座ったまま人指し指を頬にあて、ふんと、考え込む。そのまま、廂の方に出て、座って、上を見たり、下を見たり、ぐるりと視線をめぐらして、考えている。雨水(うすい)は、一回、階を降りて、庭へ出て、また、戻って来た。戻って来た彼と、目が合う。
 ちょうど、中将と家の主の会話が耳に飛び込んで来た。
「こんな童で大丈夫なんやろか。」
「大丈夫と、お墨付きですよ。私の連れてきた雨水(うすい)どのと、顔見知りらしいから。」
「う~ん。怪異さえ、おさまったら何でもええ。何人も、術師を呼んだのに、ち~っとも、おさまらへん。どないなっとるのんや・・・。」
「それは、その辺の辻にいる陰陽師を適当に選ぶから・・・。」
 あきれた声の中将のつっこみに、ゆりが振り向く。
「そんなに、お呼びになったんですか・・・。」
「もお、三人も呼んでおる。」
 ゆりの質問に、がくりと頭を垂れる、家の主。
 となりにやって来た雨水(うすい)と、目を見交わす。二人、こくりと頷くと。
「お気の毒に。」
 うっかり、ゆりは笑ってしまわないように苦労した。親指と人差し指を広げて、前に突き出す。ぴっ。袂がゆれる。両の手で、合わせて四角の箱をつくって、それを室内の方にむけて翳すようにしている。
「ねえ、雨水(うすい)どの。建物のようす、確認できた?」
「ええ、目で見てわかるほど・・・。」
 雨水(うすい)も、手で四角をつくる。それを傾けた。ゆりがうんうんと、難しい顔して頷く。
 中将の不審げな顔と、ぶつかって、ゆりは、口を開く。
「あの。怪異のせいじゃないです。建物が歪んでいるんですよ。この建物、いつから建っているものですか?古いからと。それに、さっき、床に顔を近づけたとき、泥のような、水のような匂いがかすかにしたんです。地盤を、もう一度、確認したほうがいいでしょう。」
 京は、もともと湿地帯だったところを人の手で整備して、人が住めるようになった。今も地下には、水を湛えている。ゆりの住む右京などは、造営当初の京とは違い、整地しても水はけが悪く、住むには向かなくなって、朽ち果てたお屋敷や、完全に野っ原に戻ってしまったところ、住める場所にこちょこちょと庶民の小家や、下級官吏が住んでいるようなところだ。この家のような上級貴族たちが住む左京は、比較的乾いているが、それでも知らない間に、水が染み出て来るなど、有り得るのだ。
「え?じゃあ、あの三人の陰陽師が調伏できなかったといって、帰って行った怪異は。」
 そりゃ、そうだ。退治しようがないもん。ゆりは、心の中で言った。
これだけ、ぎいぎいなる床板。目で見てわかるほど、傾いているのに、最初、がたりと家が揺れたときに、隣家も、敷地内に建つほかの建物も揺れず、よほどびっくりしたのだろう。怪異の仕業と、思い込んでしまった。
「ございません。ここ、場所的には、きれいな気が満ちているところですよ。念のため。」
 懐をごそごそ。算木を取り出し、何度か打ち合わせる。全く、何にもなし。きれいなものだ。ゆりは、重ねて、怪異を否定した。
 見ていた中将が、雨水(うすい)を伺う。彼が軽く首を縦に振ったのを確認して、家の主を慰める。
「そんなあ。奴ら、見料だけは受け取って行きおった。これだから、坊主と陰陽師なんて、怪しい輩なんだ。」
 ぶつぶつと、つぶやく主。
「・・・・お気の毒・・・です。」
 と、ゆり。それでも、気をとりなおした主は、早々に必要な手配を控えている家司に指示する。
「いや。文月どの。ありがとう。雨水(うすい)どのも。また、今度、何かあったら、よろしく頼む。」
「いいえ。それより、いきなり倒壊ということはないかとは思いますが、出来れば、ここを離れていたほうが良いかと思います。危険のないように、過ごしてくださいね。」
 ゆりはそう言った。ゆり達は、見送られて門を出る。



待っていた平太と、雨水(うすい)が立ち話している。
中将が、興味深そうに、ゆりを見ている。
「ふ~ん。君は、あんなにはっきりと否定してよかったのか?陰陽師や、修験者のたぐいは、もっともったいぶった返事が返って来るものではないのかと、思っていた。」
「結果を曲げて言うことなんて、出来ません。あの陰陽博士だって、違うなら否とおっしゃるはずですよ。もちろん、伝え方は違うかもしれませんが。あ、でも、前の三人は、いんちきかもしれませんが。」
「しかし、あの家の主も、途中でいい加減気がつかんものか。」
 腕を組み、彼の眉根を寄せているその様子が、面白かったので、ゆりがくすっ。紅葉葉(もみじば)を思わせるような重ねの直衣。風流な姿が似合う外見に似合わず、ひょうきんな仕草。
「思い込みって、そんなものですよ。思い込みが引き起こしていた怪もあるのです。そんなときは、否と言って、魔法を解いてあげるの。」
 じっと、こっちを見ている中将に、首を傾げたゆり。
「君、お姉さんいないか?どっかで、見た気がするんだが・・・。」
「いませんけど?」
「いや、気のせいだよな・・・。」
 中将は、腑に落ちないと言った顔をしている。もしかして、桔梗御前、ゆりの母とどこかですれ違ったのかもしれないと、ゆりは思った。彼女の母も、同じ仕事をしている。それならば、どこかで見かけていたとしても不思議ではない。
「いや。気に入った文月とやら。これから、雨水(うすい)どのとこの近くの我が家で、秋の月を愛でながら、一献やろうと思っていた。そなたも、ついて来ると良い。雨水(うすい)どのとも、久しぶりだろう?ゆっくり、話が出来るぞ。」
「え。あの。家に帰らないと、父上が・・・・。」
「何言ってるんだ。年頃の男の子が、一晩ぐらい、家を空けるくらいあることさ。ああ、でもまだ、童形をしているが・・・。ずいぶん、ゆっくりしているんだな。」
 元服のことを言っているのだ。15歳ぐらいまでに、髪を肩ぐらいまで短くして、髻を結って、烏帽子を被るようになる。これで、成人した証になるのだ。これは、貴族だけでなく、庶民だってかわらない。いつまでも、童形のままなのは、牛飼いくらいのものだ。
 中将の目から見た、ゆりは、ずいぶんその成人の儀式を引き伸ばしているようにみえたのだろう。当世、なるべく早くという傾向があるので、雨水(うすい)のように、事情があったならともかく、15というのは結構、すれすれのラインだ。
「あ、えっと、それじゃ、あつかましく、お邪魔させてもらっちゃいます。」
 中将のそれ以上の追及を避けるため、ゆりは思わず叫んでいた。その声で、雨水(うすい)と、平太がぎょっとした顔。
移動の途中の「ひっ、姫さま、さすがにそれは、拙いかと思います~。」と、平太の諌め。「これ以上詮索されたら、まずいじゃない。大丈夫。男の子だと思われてるから。」と言うゆりの囁きに、くるりと雨水(うすい)に顔を向けて、「雨水(うすい)どの。頼みますぞ。」「私も、反対ですが。」
「じゃ、いまさらどう断るの?それに、雨水(うすい)もいるし、ね?」「・・・・・。」と、ひそひそ話が続く。怪しまれるので、結局、雨水(うすい)も平太も反対できぬまま、中将の邸宅に来てしまった。

空蝉の心 3

2009-10-23 09:11:42 | やらへども鬼
 家へ帰ると、日の暮れるまで大人しく姫らしく、部屋の中で過ごし、夜になるとまとのに水干を用意してもらって、出かけることにする。
 長い髪をふたつにわけて、両サイドで、ふたつ輪っかを作って結う。裾まで、まるめこまずに、房のように垂らして背に流す。髪を纏めていると。
 ちょうど、紫野といわれる侍女が入ってきた。彼女は、こちらの家にいる時にゆりの世話をしてくれる女房だ。まとのと違って、いつも一緒というわけではないけれど、幼い時からずっとこちらにいるから、安心して接することの出来る一人だ。
ゆりは、父が帰宅しているのかどうかを確かめる。貴族の館というものは、大抵、いくつかの建物を外縁に繋がる廊下でつなげて、存在しているので、家族の気配は薄い。
「お戻りになっておられますが。ゆりさま、その格好・・・。」
「うん。ちょっと頼まれちゃって。ちゃんと、父上には断って行くから。」
「ご承知なさるでしょうか・・・。」
「う~ん。明日はもう、向こうの屋敷に帰っちゃうけれど・・・そうねえ。今日は、父上と過ごせなかったから、もう少し泊まってくとか、何とか言って、ご機嫌とるから。」
「・・・それは、喜ばれますわね。でも、こんな夜中に、危なくありません?」
「それを言ったら、仕事にならないわ。式神付だから、盗賊に出くわしても、大丈夫よ。」
「そのようなものですか・・・。」
「うん。」
 以前に、内緒で抜け出して、大騒ぎになった。なので、一言断ってから行くことにする。
 止められるかと思ったが、ゆりの父は渋い顔をしたものの、あっさりと送り出してくれた。警護を一人つけてだったが。



 目的の場所についた。
「どこも似たようなものね。」
門の前で、中を覗きながら、ゆりが言った。
「そうですなあ。姫・・いや、若君のお家は、大きい邸宅の内に入りますが。規模はちがっても、基本は四角い敷地ですから。」
「平太の故郷なんかは、違うの?」
「ははは・・・。山に囲まれているのは同じですが、京のように人が沢山集まって住んでいるわけではありませんから・・・。田や畑のほうが多い。牛車なぞ、行きかうこともないから、こんなふうに、東西に道を固めて、まっすぐに整備する必要もない。」
 その結果、京には四角く区切られた空間がいっぱいある。
「そっか。洛外の風景みたいなんだね。」
「いやいや。もっと、鄙びていますって。」
「ふうん。・・・あのね、平太。若君っていうの、やめてくれる。とりあえず、文月って、言っといて。それと、一介の陰陽師だから、中までは連れてけないからね。」
「わかってますって。文月さまの仕事には、わしは役に立てませんし、門のところで待ってますから。」
「ごめんねえ。夜は冷えるのに。父上ったら、心配性で、警護なんか、いらないって言ったのに。」
「いえいえ。用心にこしたことは、ありませんから。それに、文月さまと一緒だと、なかなか出会えぬ出来事にも、出くわしますから、そこそこ、おもしろうございますし。」
 ゆりは、平太の腰に佩いた刀を見た。飾り太刀なんかでない、朱鞘の刀は、実用的なものだ。平太が、肝の据わった侍であることを思う。
「じゃあ。行ってきます。」
 ゆりは、門のところで中に案内を乞う。向こうも待っていたらしく、待たされることもなく、中へ通された。
 廊下を巡っているときに、庭先に、懐かしい人物に出会う。
「あれ?」
 雨水(うすい)だ。雨水(うすい)と、もう一人いる。直子(なおいこ)のところで会った中将だ。その中将が、雨水(うすい)とゆりの顔を見比べて、首を傾げる。
「知り合いかな?雨水(うすい)どの。」
「はい。お世話になった家の・・。」
「・・では、あなたの事情は、ご存知か。」
 雨水(うすい)がこくりと、頷く。ゆりが、廊下から、下を不思議そうに見ている。雨水(うすい)が、こちらを見て、にっこり笑う。
 中将が、ゆりに先にここにいる理由を訊ねた。相談を持ちかけられた親戚どうしが、互いに気を利かせて、ダブルブッキングというところか・・・。
「いくら、陰陽博士の親類でも、まだ、童ではないか。ここは、やはり雨水(うすい)どのに・・・。」
 じろじろ遠慮なく見ている。つぶやく中将を他所に、ゆりは廊下の先をちょっと走っていって、庭に降りる階の一番下まで降りていく。雨水(うすい)に、こっちこっちと手招きした。
 雨水(うすい)もやってくる。懐かしげに、目を細めてゆりを見ている。ゆりが首を傾げた。階の一番下だけど、彼よりは上の位置に立っているはずなのに。目線が、変わらない。
「もしかして、背伸びた?」
「ええ。もう、ゆ・・・えっと。」
 雨水(うすい)の視線がちらりと、中将を見た。彼は、無視されたことに気を悪くすることもなく、ゆっくりとこちらにやって来る。「文月だよ。」と、小声で、ゆりが囁く。
「文月どの・・には、久しぶりだね。相変わらず、お元気そうで。」
 雨水(うすい)は、記憶を失くして、ゆりの家にしばらくいたことがある。実は、院の皇子なのだが、いろいろあって、父君のもとに戻られたあと、身分を隠して、陰陽師をやっている。宮さまとして、出仕していないから、顔も世間に知られていなく、帝より特別の配慮をもらって、普段は陰陽寮の片隅で、働くごく官位の低い官人。表向きは、もう一人の恩人先輩陰陽師の薫風の従兄弟ということになっている。
「久しぶりじゃないよ!一年近く、顔も見せないで、もう。家出てってから、一回きりじゃない。」
「すいません。もう少し、一人前になってから・・と思ってたので、実は、先日、お邪魔したのですが、会わせてもらえなくて。」
「えっ?母上が?」
「いえ。父君のお屋敷だったので・・・。」
 雨水(うすい)は、平太のところには何度か来ていた。以前に、彼に簡単に腕をねじ伏せられた経験から、身を守る術を習いに来ていたのだ。刀も弓も、随分本格的に鍛えているのだという。ゆりは、目を丸くした。
「ええ~。何で、もう強くなる必要もないじゃない。」
「いつぞや、あなたを守れなかったのが、悔しかったですからね。」
 まるで、あなたを守るのは自分の役目だと言われているみたいな、瞳。
「え、と、あの・・・。」
 もう、家で雑色やってた頃と違うのだし、それに、自分には式神がいるから、大丈夫だよと思い、口にしようとして、ふと、横合いから、強い視線を感じる。中将だ。
「まるで、姫君にでもかける言葉のようだ。父君が会わせないというのも、奇妙なことだ。」
「それ、質問なのですか?えっと、と、特殊な家だから、ほら、色々事情があったりするのよ・・・。」
「陰陽師の家だから、潔斎でもしていたか・・・。」
 ゆりは、あはは・・と、笑ってごまかす。嘘は言ってないもんねと、心中で舌を出す。それにしても、この中将という人は、直子(なおいこ)姫のところで見たときと、印象が違う。あの時は、かなり軽薄な印象を受けた。
「中将さまでしたっけ?」
「ああ。」
「どうして、雨水(うすい)の事情を知ってるって訊いたの?」
「素性を存じ上げている。砕けた物言いをしているが、これは、ばれないように。得心いったか?」
「うん。」
 彼が、蔵人の頭を兼ねる中将と聞いて、びっくり。蔵人は、帝の秘書官たちで、その束ねの頭は二人で、側近中の側近だ。「げっ。こいつ、エリートじゃん。」と、心の中でゆり。ここが、最終地点の者もいるにはいるが、大抵は、何年か勤めたら、参議、つまり閣僚の仲間入りだ。他のコースから、出世する者と違って、まったく実務の出来ぬものとか、気働きのない者は、めったに叙されることのない、官職だ。まず、頭の中将と聞けば、切れ者が多い。もちろん、該当者がいなくて、不作の時期もあるだろうが・・・。不作?ゆりは、はじめの印象を思い浮かべる。
 雨水(うすい)のことは、やはりある程度、事情を知っている人間がいないと、ということで、帝の側近である彼には、知らされていた。
 説明を聞いて、ゆりがこくこくと頷く。
「それじゃあ。ここは、雨水(うすい)どのに任せて、子どもは帰れと言いたいところだが、仲が良いようだし、彼の仕事が終わるまで大人しく待っているか?」
「え、でも、私もくれぐれもと頼まれたのだし、何もしないなんて・・・。」
「では、あとで事の次第を報告しておけばいい。」
 中将の言葉を、雨水(うすい)がやんわりと遮った。
「文月どのなら、安心です。こちらは、中将どのの親戚を訪れるついでということで、今、ここにいる。私のほうは事前に連絡してあったわけではないでしょう?」
「・・・・。では、文月どのに任すか。しかし、同席させてもらうぞ。」
 中将は、ゆりのほうを見ている。ゆりが頷く。
 中将たちが、家人に断って、階を上がってきた。問題の建物の方へと向かう。

空蝉の心 2

2009-10-23 09:09:15 | やらへども鬼
 季節は秋。紅一色の時期には、まだ少し間があるが、前栽の紅葉の上部は、早や赤く染まっている。緑から、上へ徐々に濃い紅へと変わっていく衣を重ねているような、葉の色のグラデーションが美しい。小さな葉の重なりの隙間から、きらきらの、澄んだ光が差す。暖かい日で、庭の景色を眺められるように、几帳を廊下に仮に立てかけて目隠しをして、ゆり達はおしゃべりをしていた。
「ふふ・・・。それで、物語の女君のようにはなれないとお答えになったの?相変わらずねえ。やっぱり、陰陽師のお仕事は続けるのね。」
 正親町(おおぎまち)の姫は、ゆりの素性を知る数少ない一人だ。鬼に攫われたところを、ゆりに助けてもらったことを感謝していて、姫も姫の母君も秘密はずっと守っていてくれる。そればかりか、時々こうして話をしたり、筝を弾じたり、花見だの何だの、時々邸にゆりを誘ってくれたりするようになった。
「そうね。辞める気はないわ。そんな私でもいいと言ってくれる人があるなら考えてみてもいいけれど・・・。まとのが言ったような公達となんて、事情を理解してもらえることはないと思うし、すべてを隠してなんて嫌じゃない?」
「・・・真っ直ぐなゆり姫らしいわ。」
「うん。御簾の内深くに隠れて、ただ、趣深く、ゆかしい人柄のみを記憶している女君。つかのま触れ合っただけの恋なら、身元がわからなくてもいいのかもしれないけれど、それじゃ、私じゃないって感じだわ。そう思わない?直子(なおいこ)姫(ひめ)。」
 ゆりの言葉を聞いた直子(なおいこ)は、開いた扇で上手に口元だけ隠して、くすくす笑う。
「そうねえ。私を助けてくれた水干姿の少年の、ゆりさまはとってもかっこよかったもの。完全に女姿(おんなすがた)ばっかりになってしまうのは、惜しい気はするけれど・・・うふふ。あら、ごめんなさい。ちょっと、良い事思いついちゃったわ。いるじゃない。ゆりさまの素性をご存知の方。ほら。」
 からかうような直子の顔。どきっ。一瞬思い浮かんだ顔は、直子(なおいこ)の知らない事情のはずで、思い直すと首をふるふると横に振るゆり。
「誰?まさか、兄上とかじゃ、ないよね。」
 兄とは言っているが、血縁的には従兄妹の関係。けれど、父の養子で、幼い頃から兄として親しんでいるので、これは除外だ。
「あの、美形の陰陽師の・・・薫風って名乗ってらしたかしら。」
「え~!あんな変人やだっ。」
 薫風は、同業者でいわゆる悪人って奴じゃないけれど、ゆりには、ちょっと遠慮したい感じだ。
「そうよねえ・・・やっぱり、一応官職についてらしても、あの方では、父君がお許しにならないかしらね・・・。」
「いや、その前に、そんな関係にはならないから、向うもきっとそう思ってるよ。」
「さあ。それはどうかしら。」
 瞳を少し細めて、微笑んだ直子(なおいこ)の表情は、とても艶のある顔だ。ふうん、恋をしている女って、やっぱり綺麗になるのかしら・・・と、ゆりは思う。
 そんなやり取りをしているところに、人がくる気配がした。
 慌てて退がっていた直子(なおいこ)の侍女たちが、先に駆け込んで来て、几帳を設えなおす。
 直子(なおいこ)には、すでに親に認められて、通っている人がいるので、その人が戻って来たのかと思い、ゆりは、暇を告げて帰ろうと思った。
「あら、駄目よ。ゆり姫。今出ては、姿が・・・。」
 直子(なおいこ)の声に、侍女がゆりの姿を慌てて隠すのと、部屋に人が入って来るのと同時だった。
 季節に合わせた紅(くれない)の葉を思わせる色合いの、直衣(のうし)を着た人が、おやと首を傾げる。
 ゆりが、隣りを見ると、直子(なおいこ)も、几帳で姿を隠している。
 ほんの少し首を傾げるゆり。
「祖母どのから、叔母上に届け物を頼まれてね。久しぶりだから、こちらにもうかがわせてもらった・・・というか、君の夫君から伝言を頼まれてね。」
 やれやれ・・・といった顔で、座るなり言った。ばたばたしていたので、内と外を隔てる御簾も格子戸も除けられたままであり、当然のように外縁(そとべり)に落ち着くこともなく、中の廂まで来て陣取った。
「まあ。突然のお越しでしたけれど、中将さま?あちらで、止められませんでしたか。」
 普通は、直接声を聞かせないのだろうが、そこは幼いころからの気安さで、直子(なおいこ)は、侍女の制止を無視してやって来た中将に、ちくりと一言言ってやる。傍のゆりの耳に、彼が母方の従兄妹なのだと教える。
「うん。何だか、慌ててたようだねえ。・・いや、どなたかいらしていると知っていれば、頼まれたものを託けて、さっさとお暇したのだがね。」
 うそおっしゃいと、うろんな顔で見ている直子の様子を知ってか、知らずか。
 言いながら、懐紙と一緒に覗いている紅葉の枝を懐から、抜き取って、傍の侍女に渡す。侍女が、それを直子(なおいこ)に手渡した。
 中将の視線が、几帳の奥を興味深そうにじっと見ている。
「ところで、紹介はしていただけないのかな?」
「え?ああ・・・・。」
 受け取った紅葉の枝に結びつけられていた文に気をとられていた直子(なおいこ)の気のない返事。
「気もそぞろだね。」
「あら、ごめんなさい。うれしくて、つい、お話を聞いてませんでしたわ。」
「・・・どなたかは、教えてくれないか。やれやれ、この庭の秋を楽しみつつ、しみじみ物語りしようと思ったのだが・・・。」
「あら、友達と、女同士のおしゃべりを楽しんでいましたのよ。どこのどなたであるのかは、申し上げるわけにはいきませんわ。中将さまは、油断がならない方ですもの。」
「ちょっとしたきっかけで、恋におちるのは、誰にも止められないものだよ。」
 涼しい顔で、うけながす彼。
「親友と大事な従兄妹の恋を応援してあげたじゃないか。知恵をかしてあげたのは私だよ?少しは、考えてくれてもいいのじゃないかい。」
 すると、この人が薫風の依頼主だったかと、几帳の影に隠れてじっと黙ったままのゆりが、そっと外をうかがう。人騒がせな物の怪騒ぎは、こいつのせい。
 直子(なおいこ)が、困ったようにひとつ、溜息をつく。
「そのことは、感謝してますわ。でも、それとこれとは別です。こちらの姫は、私にとって大事なお友達。いきなり泡のように湧いた適当な恋心に、傷ついては大変ですもの。それに、彼女のお父様に知れたら、こちらへ遊びにも来れなくなってしまうかもしれないもの。本気の恋ならともかく・・・。」
「それこそ、几帳の影の気配だけじゃ、無理じゃないか。・・が、まあ、深追いはするまい。今日は退散するよ。」
 中将は、あっさり追及をやめて、立ち上がった。
 彼が去って行ったのを確かめてから、ゆりも暇を告げて出て行こうとした。
「待って。ゆり姫。まだ、その辺にいらっしゃるかもしれない。悪戯っけがあるというのか、悪い人じゃないんだけれど、そういうところがおありだから。侍女に見に行かせてみるわ。顔を見られるのは、嗜みのこともあるけれど、ゆり姫の仕事にも差し支えるでしょ?」
「う~ん。父の家の方で姿を見られることなんて、ないと思うから、大丈夫じゃないかな。」
「そう言われれば・・・大納言家で姫君に会うこともないかしら。」
「うん。せいぜい、右京の陰陽師の家の娘としか。普段は、そちらにしかいないし。」
「・・・そうかしら。・・・あっ。」
「?」
「忘れるところだったわ。そのお仕事、お続けになるのよね。」
「ええ。」
「じゃあ。ひとつ、うちからも依頼してもいいのかしら。」
「え?ここ、何もなさそうだけど・・・。」
 ゆりが、きょろきょろと、辺りを見回す。
「違うの。親戚のお宅なのだけれど・・・。」
 話の内容を聞いて、ゆりは頷く。
「それじゃ、早いほうがいいね。今夜うかがうと言っておいて。」
「え・・・。夜よ?」
「うん。男の子の格好して行くから。文月というものが来ると言っておいて。陰陽の博士の親戚だと言っておいてくれれば、向うも安心するんじゃない?」
「・・・・・わかったわ。」
 考えてみれば、助けられた時も夜だった。直子(なおいこ)は、思い直して、ゆりに「お願いね。」と言った。侍女が戻って来て、どうやら中将が素直に帰ったらしいことを確かめると、ゆりも見送られて帰って行く。

空蝉の心 1

2009-10-16 13:32:51 | やらへども鬼
お姫様の黒い髪を梳かすの。長く艶のある真っ直ぐな黒髪を丁寧に梳る。それから、季節に合わせた色目の重ねの衣を一枚一枚、重ね合わせて、お化粧をして・・・。
 床に広がる長い衣の裾は、花のよう。背に流れる黒髪は、滝のようで。優雅に仕上がったお姫様を見て、うんと頷く。ああ、でも何か足りない。・・・そう、そうよね。お雛様には、お内裏様。まあ、うちの姫様には、お内裏様というわけにもいかないから、どなたかすてきな公達が・・・・。まとのは、櫛を動かしながら、思い浮かべていた。前髪を上げて間もないまだ、幼く見える、ふっくらした頬がニマッと笑みをつくる。うふっ。リアル、雛遊びだわと、呟きながら、丁寧に己の主の仕度を手伝っている。
主のゆりは、きゅっと眉を寄せた。
「ちょっと、まとの。何ぶつぶつ言ってんの。にやにや笑って、気持ち悪いよ?」
「えっと・・・独り言言ってましたか?」
 うんうんと、ゆり。まとのの主人は、髪を梳かしていても、お化粧を施しても、前に置いてある鏡を覗いて、仕上がりをチェックしようともしない。必要にかられて、今、大人しく姫君らしい仕度を整えているだけなのだ。これじゃ、何か足りないどころじゃないなと、一つ上の御年15になる主の姫君を見て、溜息をつく。
「あ~あ。ゆりさま、おひなさまみたいに、綺麗に仕上げても、ちっともうきうきしたりとか、なさらないんだもの。楽しみが・・・。」
「?何なの、雛遊び?・・・あなただって、もう、そんな年でもないでしょ。」
「いえ。そうじゃなくってぇ。せっかく女らしくして下さったのに、もうちょっと、夢みたいなあとか。・・・あ、別に、ゆりさまに不満があるわけでは、ないんですよ。いつもの、水干姿もかっこいいし、素敵ですが。姫君に仕えてる楽しみというか、そういうの結構夢みて、お勤めを変えたもんですから・・・・。」
 まとのが、ゆりのもとに来た時は、まだ、女の童の格好をしていた。人に仕えるのは、はじめてかと思っていたが。
「そういえば、まとのって父上が雇い入れたんだっけ・・・。」
 普段、ゆりは母の家で暮らしている。ある日、屋敷にたった一人で紹介状を携えてえらくしっかりした女の童が、やって来た。ゆりの住む屋敷は、京でも治安の悪い右京にある。そこへ、年端もいかぬ女の子が一人やって来るとは・・・彼女は見も知らぬ場所で難にあうこともなく辿り着くことができたのだ。あたりを、平気であちこち駆け回っているゆりもびっくりの出来事だった。やって来た子・・・まとのは、なかなか物腰も雅で愛らしい女の子だった。姫らしくなく、男の子のようなゆりに、年の近い女の子を仕えさせて、少しは大人しくならないかという、ゆりの父の試みだったのだが・・・。
「最初に仕えていたのは、没落した宮家の姫君で・・・といっても、かなりなお年の方ででしたから、お亡くなりになって、次が、受領の奥方様。ここは、はぶりがよくって好い方だったんですけれど、だんなさまについて任国に下られることになって、連れていかない使用人は人員整理することになって、その時、その奥方さまのご親戚の姫様方に仕えることになったんですが、これがすっごい仕えにくい方たちで。辟易していたんです。」
 そこへ、ちょうどゆりの父が、娘のそばに仕えさせる女の童を探していた。何だがわからないが、随分人を介して探しているようだったが、なかなか見つからないらしい。
「私は、もともと、そんな権門の家の姫に仕えられるような出じゃないから、駄目もとでと思って、前のお屋敷を訪れていらしていたゆりさまの父君に直接、売り込みにいったんです。なんだか、面白がられてしまって・・・紹介状を下さったんです。」
 その時、頷きながら、「この子なら、やっていけるかもしれない・・・。」と呟いたゆりの父の言葉の意味は、まとのにはわからなかったが。
 まとのが、にまっと笑う。まだ丸みの残る頬にえくぼが、浮かんだ。
「ちょっと思ってたのと違う気はするけれど、ともかく、ゆりさまに仕えるのは楽しくって。これで、姫さまのまわりでもっと絵物語のような展開がくりひろげられたらなあ、っていう願望もあるんですけどね。」
 ゆりの父の目論見は、はずれた。まとのは、すっかりお屋敷に馴染んで、ゆりとはある意味よい主従だ。彼女の雇われたお屋敷の姫、ゆりの父は今大納言だけれど、母は陰陽師をしている家の出だった。ゆりの母自身も、陰陽師をしていて、それゆえにゆりの父との関係は秘密だった。ゆりは、ただ身分の低い母をもつゆえに、普段は郊外でひっそりと生母と暮らしているということになっている。大納言から、とても鍾愛されているたった一人の姫君とだけ聞いていて、まとのは、そのお屋敷に来て、はじめて、女の童一人つけるのに苦慮していた理由を理解した。ゆりも、母と同じ資質を受け継いでいて、当時は見習い、今は、ほとんど一人前の陰陽師だった。当節姫としては、破天荒だけど、ゆりの人柄に惹かれて、まとのも、お勤め自体には満足している。
「物語・・・。今昔物語とか。」
 これは、ゆりのお仕事柄、有り得る話である。まとのが、指折って数えるように。
「・・・・うつぼ物語とか、伊勢物語とか、源氏物語とかです。」
 なるほど、恋物語か・・・・。別に恋をしたくないと思っているわけじゃないけれど。物語りのシュチュエーションが瞬時頭の中に浮かぶ。目を大きく見開くゆり。
「無理。」
 同じようなまとのの丸い目と合って、互いにぱちぱちさせると、どちらからともなく笑い出す。
「うふふ・・・。ゆりさま、お友達のところでは、なるべく姫君らしくなさって下さいよお。ゆりさまのこと存じてらっしゃるとしても、向うは、ふつうのお屋敷ですからねえ。」
 行ってらっしゃいましと、まとのに送り出されて、ゆりは、正親町にある友達の家へ出かけた。

鳴鏡 11

2009-10-09 11:47:47 | やらへども鬼
 それから、郊外のその元の家の庭に、塚を作って、二枚の鏡を埋めてやった。供養に、時々訪れてくれるように、知り合いの僧に頼んだ。桔梗が、姉姫のもとに、報告に行くと、姉姫は、その塚のある場所へ移って、自分が責任を持って祈りを捧げることを約束してくれた。事実、その数日後に、別邸住まいの療養中の左大臣家の姫が、世を儚んで、出家し、郊外の屋敷に引き移り、静かに祈りの日々を送っているらしいと、人の噂に聞き、桔梗は、少しほっとした。
 そして、いつもの日常に戻り、今日も、物の怪退治を頼まれて、あるお屋敷の縁に座って、冬枯れの庭を見ている。正確には、夜空の星を観察していたのだけれど、後ろから掛けられた声に気付き、ぶすっと機嫌の悪い表情で、庭の池に目を写したまま、黙っている。
 声をかけて来たのは、矩時。向こうから、ゆっくりと、近づいてきて、隣に座る。
「寒くはないのか?こんなところで、池なんか、眺めて。」
「気分良く星空を眺めていましたの。冬は、一番、鮮明に見えますもの。でも、一瞬で、気分が下を向いてしまいましたわ。何度、申し上げたら、よろしいのかしら?」
 人違いですわ・・と、あれから、何度目だろうか、桔梗は、矩時と顔を合わせていた。あまりにも、度々で、さすがに条件反射的に、嫌な顔を隠す事もしなくなった。これ以上続くと、手が出るかもしれない。
 そんな桔梗の心の内を知ってか知らずか、矩時は、当然のように隣に座っている。
「あの異形と化した者のことだが・・・遺体が見つかったぞ。」
「え?」
「いつまでも無断で休んでいるんで、様子を見に行った職場の者が見つけた。・・修理職の大進で、受領の息子だそうだ。」
「どうして、その人だと、わかったの?」
「ああ、あの陰陽得行生の東雲どのが、家へ訪ねてきてな。あの乳母どのに、その場所に連れて行って欲しいと頼まれたのだ。結局、私が、知人だったということにして、彼らを伴って、訪れた。花を手向けてきた。」
「あの鏡、どうして宮中にあったのかしら・・・。」
「普通なら、中宮が、その姫君だとわからずに、時が過ぎて行っただろう。だが、万が悪いことに、宿下りの折にでも、姿を垣間見られるようなことが起きたのだろう。けれど、彼には、近づくことさえも出来ない場所にいる・・・。鏡は、頼まれた者がいるんだ。その者は、小者だったから、どうやら、場所がわからなくて、適当な場所に置いたらしいが、庭の隅にでも落ちたのか、初め、誰の手にも渡らなかった。」
「・・・なぜ。そう言えるの?」
「伊予の使っていた者に確かめたのだが、あの欠片は、桔梗がよばれた前日の夕方、伊予が庭の片隅に光るものを見つけて拾ったのだそうだ。女御の拾われた物と細工が似ていたので、次の日、自分もついでに聞いてみると言っていたそうだ。欠けた理由は・・・おそらく、陰陽頭が鬼を退けたからだろう?刀で、鬼を斬った時も、割れていたものな。」
「ええ。たぶん。」
 そのまま、桔梗はまた、押し黙り、じっと池を見ている。矩時は、その横顔をしばらく、眺めていたが。
「うん。・・・ところで、桔梗。その不機嫌の理由のひとつは、乳母どのと、東雲どのの繋がりにもあるよな。東雲どのは、あれから、ちょくちょく、姫を見舞っているそうじゃないか。」
 桔梗は、ちろっと横目に鋭い視線を投げかける。反対に、機嫌のよさそうな矩時に、ふいとそっぽを向いて。
「鏡のことも気になっているのでしょ。東雲どのが、どうしようと、私には関係ありませんわ。」
「ふううん?」
 頬づえをついて、じっと池を眺める桔梗。同じように、矩時も池を眺めている。
「星を観るって言ってたが、自分のことでも占ってたか?」
「・・・どうして・・・?」
「いや、蒸し返して悪いが、東雲どのとのこととか・・・。恋占いとか、女は、よくやるだろう?」
「恋占いで、星見ですか?もっと、大局なことに使うものですが。・・それに、占者、自身のことはわかりません。近しい方のこともね。心が、平静に保てないから、占い巧者と言われる方の中にはいらっしゃるかも知れませんが。」
「そうか。じゃあ、私のことを占ってくれ。」
「え・・・。」
 桔梗は、何気なく夜空を見上げ、微妙な表情をした。
「・・・その、占わなくてもわかりますわよ。異形にもひるまなかった胆力といい、あの後の人の使い方といい、御出世なさるんじゃないですか・・・。」
 出来るだけ気のないふりで、桔梗は言った。矩時がこちらを覗きこむ。逃げるように、視線を外し、心持ち後ろに引く。
「ふうん?・・そうか、なら、玉の輿にのらないか?」
「・・嫌です、私、偉い方の召人なんて。」
 召人とは、妻の数にも入らない女のことだ。お互い情は通わせて、傍にいられても、あくまでも、表向きは、女房だ。身分高い人の身辺に侍す女房たちの中には、他に働く女房たちとも、立場が違う、周りからも微妙な目で見られている者たちがいる。桔梗は、そんなのはお断りだと、言った。
「ちゃんと、婿として通うぞ?」
「嘘おっしゃらないで、御実家の方々がどう思うか。あなた。おぼっちゃんじゃないの。」
「まあ、男兄弟は多いから、一人ぐらい、かわりもんがいても構わないさ。それに、無理して良いところの姫君に通わなくても、母方のばあさんから譲られた財産もあるし、たぶん、周りから、婿入りをせっつかれても逃げ切れると思う。」
「・・・・・・・・・・・。」
「それに、訂正しておくが、人違いは、二回目までだ。後は、だいたいあたりをつけて、わざわざ、会いに来てるんだ。気づけよ。」
「き、気づきようもありませんわ・・・・。」
 本当は、考えたくなかったから、今さらのように、桔梗は、胸の中に芽生えている思いに、あえて背を向けるように、目をつぶる。
 矩時の手が頬の近くまで、伸びて来て止まった。
 目を開ける。
「・・・・・・。」
 矩時が手に乗せているものを見て、桔梗は大きく目を見張る。小さな一つ目の、掌サイズの物の怪。
「これは、今日の収穫か?」
「ええ。かわいいでしょう?害もないのに、こんなものを怖がるなんて、おかしいわ。」
「本当に、趣味と実益を兼ねているんだな。」
「驚いた。矩時さまは、平気なのね。」
「う~ん。慣れたといおうか。害が無いというしな。」
 桔梗は、ひょいとそのひとつめの小さな物の怪をつまみ、大事に両手で押し包み、側に置いてある箱に仕舞う。そそくさと、その箱を持って、立ち上がる。
「物の怪はいなくなったと、この家の方に、ご報告しなくちゃ。ですから、矩時さま、今宵は、もう、失礼いたしますわ。ごきげんよう。」
 返事も待たずに、慌てて小走りに去って行く。
「桔梗。またな。」
 矩時の言葉に、桔梗は足を止める。振り返って、小さく首を横に振り、
「もう、会いませんわ。きっと。」
「いいや。また、会うさ。気長に待っているから。」
「・・・・・・・。」
 桔梗は、言葉を返せずに去って行った。め、いいさ、今日のところは・・・と、矩時も、しばらく、寒空を見上げて、その場を去って行った。
そんなようなことが、あと、何度か続くことになる・・・・・・。

                    おわり


 と、とりあえず終わったあ・・・・。みん兎



鳴鏡 10

2009-10-09 08:46:02 | やらへども鬼
まず、讃岐の局を訪ねて、そこで、女房装束を借りて、内裏の中をうろうろしてもいいような格好をさせてもらい、矩時について行く。ふと、矩時の着ている深緋の袍が目にとまり、あっと気づく。
「あの・・・姉姫さまたちは、あなた様のことを気づいていらしたのでは。」
 世間に出ることはないとは言っても、左大臣家の姫君。深緋の袍を身につけている人物が混じっていることは、理解していただろう。
「・・誰であるかまでは、わからぬだろうが、少なくとも、あの姉姫は、私が陰陽師ではないことに気づいていた。乳母どののほうは、気持ちに余裕がなかったようだから、わからぬが。」
「それでも、話して下さったのですね。・・必ず、妹姫を助けなくちゃ。」
 矩時は、振り向かずに、頷く。その視線の先に、頭の中将の姿を見とめ、呼びとめる。近くの人のいない局に入り、話をした。
「・・・そうか。その鏡だが、あまり大々的に動き回れなかったので、まだ、見つからない。ともかく、見つけなければ。」
「はい。」
 中将の言葉に、矩時が頷く。あとの言葉を待つ。
「・・・・私も矩時と同じ考えだ。だが・・・様子を見て、話せるようなら、真実を話してみようかと思う。いいな?」
「はい。」
 どこか、ほっとしたような後輩の顔を見て、中将は苦笑する。
「そなた、正直すぎるぞ。あからさまに、ほっとしたような顔しやがって・・・。どうせなら、私にも内緒にしておいて、いつか、それを切り札に、あの大臣と渡り合うくらいの気持ちをもったらどうだ。」
「・・・それは、良い考えかもしれませんが、果てしなく気力がいりますね・・・・。」
 正直な感想に、中将が噴き出す。笑いを止めて、必要な指示を出すべく、立ち上がったとき、闇を切り裂く、叫び声が上がった。続いて、鏡の出す、嫌な音が響き渡る。
「矩時、あれは、中宮の殿社だ。まずい、今日は、帝もお出でだぞ。」
 頷いて、二人は、駆けだす。「桔梗、ついて来い。」と、側に控えていた彼女も促し、中宮の住まう殿社へと向かう。
 悲鳴のもとは、中宮に仕える女房だった。
 帝と、中宮の御前にいる女房たちは、右往左往しながら、逃げ去ろうとしている。
騒ぎに駆け付けた衛侍たちが、棒立ちに近い状態で、遠巻きに構えているのは、近くの打ち橋の上の異形のため・・・・。
 ずる・・・ずる・・・と、重い足どりと、風を伴って、前に進んでいる。
 ふと、何かに気付いたように、中宮が、その場に縫いつけられたように座っていた体を浮かせて、ふらふらと立ちあがる。帝の前に、手を広げて、立っている。
 矩時は、その様子を見て。
「桔梗、異形を刀で斬れるものか?」
「可能でございますが。一時的でございましょう。原因の鏡は・・・あ、あれ、打ち橋のところ・・。」
「よし、ともかく、あいつを引きとめておくから、桔梗は、鏡を。」
「はいっ。」
 今にも、帝や中宮の傍に、襲いかかろうとしている。矩時は、手近な衛侍から、刀を一度鞘に納めたかたちで、奪うと勢いよく、走り出す。
 誰ひとり、縫いとめられたように動けず、静かな中で、矩時の足音が大きく響く。
「帝!どうか、抜刀の許可を!」
 物音に、はっと気付いた帝が。
「矩時!抜刀を許す。異形を斬り伏せよ!」
 許可が出ると同時に、矩時は、刀を抜き、渾身の力を込めて、異形に躍りかかる。
「やああああ・・・・・・っ!」
 刀は、異形の頭上で白銀にきらめき、そのまま下まで振り下ろされる。
 ばさり。刀が振り下ろされると、異形の姿が搔き消える。同時に、ガシャンと、硬い物が、何かを砕く音が響いた。打ち橋のところで、呪を唱えた桔梗の術が、鏡に封印を施す。硬い金属であるはずの鏡は、今、触れてもいないのに、まっぷたつに割れている。異形がまっぷたつに割られたせいかもしれない。
桔梗は、それを拾うと、静かにこちらに向かってくる。
 矩時は、すでに刀を鞘に納めている。
帝のそばに駆け寄っていた中将に、目で合図すると、中将が。
「帝。ひとまず、ここを御移りになって下さい。立てますか?」
「うん。・・・中宮。」
 帝は、后を振り返る。彼女は、首をふるふると横に振って、その場に力なく、座りこむ。
「私は、後から、参ります。体に・・・力が入りませんから。」
「先ほど、そなたは、我をかばってくれた。今度は、我が、運んでやろう。」
 帝が、中宮のそばまで来て、彼女を抱きあげようと、手を伸ばす。
その手を握り、中宮は下を向いて、いやいやと、首を横に振った。
「負担をかけるのは嫌でございます。・・・しばらくの間、心を落ち着かさせてくださりませ。・・・お願い・・・・。」
「・・・・・・・!」
 お願いと、小さく呟いたその声が耳に届いた時、帝は、手に涙のしずくが落ちたのを感じた。不思議な面持ちで、后の姿を見ている。
「・・・といって、女房たちは、残っておらぬし・・・。」
 傍の、頭の中将の顔を見た。中将は、桔梗が、すぐ近くまでやって来て、控えているのに気づくと、頷く。
「一人、残っているようですよ・・・。ともかく、お世話を、その者に任せてはどうですか?」
 女房装束を着て、平伏している女を見つけ、帝が頷く。
「では、その者にしばらくの間、任せよう。すぐに、他の女房たちをよこすように。・・それから、衛侍たちは、後片付けもあろうが、中宮がここを離れるまでは、退がっているように。矩時、さすがに、女房が一人では、心許なかろうから、縁に控えておれ。こちらの後片付けの指示は、そなたが出せ。」
「はっ。」
 帝は、中宮の髪を撫でて、
「時には、一人になるほうが、心落ち着くこともあるだろう・・・。」
 そう言って、手を離すと、すぐに踵を返して、その場を去って行った。

 残された中宮は、側に寄って来た桔梗から、割れた鏡を見せられて、ここへ来た事情を告げられ、じっと目をつぶって聞いている。
 聞き終わると、中宮は、割れた鏡に手を伸ばそうとする。桔梗は、封印を施しただけで、まだ、浄化されていないからと、止めたが、どうしても、と聞かないので、少しだけならと、桔梗がその鏡を持ったままで、そこに、中宮が、手をのばす。
 金属であるはずの鏡は、赤く染められている。
 そっと割れた鏡に手を触れる。
 後から、後から、あふれだす涙を止めもせずに、それでも、懸命に目を見開いて、鏡を見ようとしている。涙のつぶが、ひとつ、鏡に落ちて、きらりと光った。
 その時、辺りの静けさに溶けるような音が聞こえた。小さく微かな音。けれど、心に届く。澄んだ音が鳴り響く。あの姉姫のところへ置いてきた鏡の音だ。桔梗は、目を見開く。
「あのお持ちになっていた鏡は、どうして廊下何かに、放り出しておいたのですか?」
「いいえ。いつの間にか、手元から消えて、私も探していたの。そういえば、宮中で、騒ぎがあったのも、あの後、すぐだったわ・・・。何だか、泣いているみたいな音。」
「これは、あなたさまの心かも知れませんわね・・・・・。」
 桔梗の言葉に、中宮が頷く。彼女の目から、ぽつり・・ともうひとつ、滴が落ちて、再び、澄んだ音が響く。鏡から、赤い色が消えた。ともかく、この鏡に施した呪は、消えたのだと、桔梗は伝える。
「・・・あなたにお願いしてもいいかしら。この鏡と、私の持っていたほうの鏡を供に、葬って欲しいの。・・・ねえ。異形と化した者の魂は、どうなるの・・・かしら・・・。」
 桔梗は、涙を拭ってやりながら。
「それも、御供養申し上げますわね。お后さまも、心の奥で、願っていて下さい。いつか、きっと、救われるように、私が知り合いの僧に、よくよく供養を頼んでみますから。」
「ありがとう・・・。身うちでもないあなたに、こんなことを頼んでしまって、ごめんなさい。」
「いいえ。ここまで、関わってしまいましたもの。それに、辛い思いをなさったのですもの。たまには、人に頼っても好いではありませんか。」
 桔梗が心よく、請負うと、中宮は、不思議そうに彼女を見つめていた。随分経って、女房たちが、ぞろぞろとやって来たので、彼女たちに任せて、桔梗は、また、讃岐の局に戻って行った。矩時は、後片付けがあるからと、その場に居残り、残務に忙殺されているのか、朝になっても、讃岐の局までやって来ることもなく。結局、讃岐の計らいで、彼女の宿下りに紛れて、桔梗は外へ出してもらったのだった。


鳴鏡 9

2009-10-09 08:42:00 | やらへども鬼
 門の外で、待っていた少年を拾い、車を待たせている所まで行く。馬で付いてきた者から、馬を受け取り、矩時は桔梗を後ろに乗せて、騎乗した。
「三分の一は、車とともに置いておく。近頃は物騒だからな。一番近くの我が家の別邸へ、ひとまず車を置いてきてくれ。平太。馬の得意な者を寄り分けて、付いてきてくれ。」
 もともと、武装した者をいつもの警護より増やして連れて来た。平太は、どうやら、彼らを纏める者であるらしく、いわれたとおりに、早馬の巧みな者をすばやく、寄り分けて、自分も騎乗すると、矩時の脇を守る。
「いつでも、出立できます。どちらへ?」
「内裏に戻るが。目立たず、馬で行けるぎりぎりのところまでだ。大内裏の門は、抜けられまいし、権門の家の門前を駆け抜けるのはは出来るだけ避けたい。」
「かしこまりました。では、先導させていただきます。」
「頼む。」
 準備が整うと、間を置かず、矩時は馬を走らせた。先導の馬、平太の背を追いながら、後ろの桔梗に。
「桔梗。秘事は漏らさぬと言ったが・・・。」
「・・・まさか、入れ替わりのことを帝に知らせるのですか?」
「いや・・・それは、思うところがあって、上司の頭の中将と相談してからにする。それまでは、私に、話を適当に合わせてくれ。」
「どういうこと?」
「左大臣は、今のところ、娘がいるから、後見をしているが・・・実のところ、弟宮の東宮のほうが彼にとっては都合が良いんだ。この結果がどう転ぶかわからぬし、見極めぬうちは・・・・。」
「あなたは、あの乳姉弟の讃岐さんの仕える女御の身うちではないの?讃岐さんとの会話を聞いてて、何だか、そんな気がしたのだけれど・・あの、こんなこと言っていいのか・・・仲が悪くなったほうが、あなたにとってもいいことなのでは?」
「そういうわけでもないさ・・・。讃岐の主は、従兄妹だ。それに、亡くなった先の中宮は、姉だが・・・。うちの親父どのでは、あの腹黒大臣どのと渡りあえんのは、目にみえているし、女御の父君も、おっとりしているしなあ。もう一人の女御さまは、父君を亡くされて、兄上も参議に上ったばかりで、後見が頼りない。帝にとって、頼りになるのは、中宮さまの父御だけなのさ。どうも、はがゆい、ばかりだな。」
「・・・そうなのですか・・・。」
「今、話さないのは、忠信にもとるとか、思っただろう?」
 馬の走る速度が上がり、桔梗は、振り落とされそうに思い、慌てて、矩時の背にしがみつく。首を横に振るのを背中に感じて、矩時は。
「秘事は漏らさぬと言ったか・・・。もともと、左大臣とは、反りがあわぬというのか、賢君であらせられるが、何よりも公明正大を好まれる。そのせいもあって・・・私よりも、お若いから、きっと、本当のことを知ったら、許容して下さらない気がするのだ。もちろん、一番の側近である中将には、相談してみるが、同じ答えが返って来ると思う。」
「私には、わからぬことですが・・・でも、か弱い身の妹姫が、これ以上辛い思いをしないといいとは、思います。」
「・・それもある・・か。」
「・・・・・・・・・・。」
桔梗は、もしかすると、そちらの方もあまりしっくりいっていないのかもしれないと、思う。鏡をずっと今まで、隠し持っていた姫君。心を開かぬまま、ずっと后として添うてきたのかもしれない。それに・・・。
「前のお妃さま・・あなたの姉君のことを、お忘れになっていないのかもしれないわね。」
「姉上?それは、別の妃との間に影をつくるようなことはないと思うが・・・と。」
 かまを掛けられたのだと、矩時は、顔を顰める。
桔梗は、背中ごしに、その表情を伺い見て、やはりと思う。
「大人しすぎて、人形のような女だと、一度愚痴を聞いたことがある。たまたま、姉の思い出話に付き合っていた時だったから・・・。随分年上の后であったが、姉のことは、大事に思っていただいていたようだが、だからと言って、他の方を受け入れないという程でもない、と思う。だから、その一言に、何となく、違和感を感じたんだ。」
 しゃべりすぎだと、自覚はある。矩時は、不思議に思いながらも、事情を伝えている。
「・・・そうですか・・・。」
身代わりの妹姫は、無理強いされて、犠牲を払っているのに、幸せになれないなんて、巡り合わせの悪さなのだろうか。桔梗は、顔を曇らせる。矩時は、背後に気配を察したのか、頷く。

「そろそろ。馬を降りる場所に近づいてきた。内裏の門を潜るところから、訊かれたら、そなたは、内裏に仕える女房のふりをしろよ。あとで、つじつまを合わせるから、なるべく顔を見られないように。」
「はい。」
 桔梗には、陰陽師として、裏から入れてもらえる方法がある。けれども、目立たない方が良いのなら、矩時のいうことに従うのが良いのかもしれない。桔梗は、彼の手引きで、内裏の内へ入ることが出来た。

鳴鏡 8

2009-10-09 08:39:05 | やらへども鬼
 姫君付きの女房たちが、ばたばたとこちらへ駆けつけてくる。姫君の指示で、それを乳母がしばらくの間、局に退がっているように言って、人を遠ざけている。主の仰せだというので、大人しく皆引き下がって行った。乳母が、戻って来ると、姫は、母屋の褥に横たえられ、無事だった部屋の隅の几帳を持って来て、姿が露わになるのを隠されていた。
 乳母が姫のすぐ傍まで来ると、姫が口を開く。
「あなた方は、陰陽師なの?」
 桔梗は、矩時のことを話すか、逡巡する。けれども、他家の者に知られるとなると、正直に話してもらえるかどうかわからない。罪悪感を感じつつも、あえて、言わないことにする。
「ええ・・・・。実は、宮中で、その割れた鏡を拾った方が気味悪がって、私が処分を頼まれたのですけれど・・・時を同じくして、宴の松原で、宮中の女房が亡くなる事件があって・・・それが、どうも異形の仕業のようなのです。現場で見つけた、鏡の欠片が、この鏡と同じものだと気づいて、もしや、何か関係があるかも知れないと、ここまでやって来たのです。」
「そう・・・・。その鏡の持ち主が、疑われていたのですね・・・。」
「すみません。でも、危険が迫っていたのだから、慌てて、押し掛けて来てよかったのかも知れません。」
「・・・・助けて下さってありがとう・・・・。まだ、危険は、去っていないということなのね?」
「ええ。」
「・・・・・でも、ここにはもう来ないと思うわ・・・・・・。」
 姫君が、つらそうに息を吐いた。傍で見ていた乳母が、腰を浮かして、口を開きかける。姫君が首を横に振り、手を伸ばし、乳母の手を握る。
「この方は、危険が去っていないと言っていた。だから、お話することにするわ。あなたも、心配でしょう?」
「姫さま・・・。」
 乳母が、途方に暮れた顔をしている。桔梗が、頷いて。
「人さまの秘密は、漏らさぬのが、私どもの鉄則でございます。御安心くださいませ。姫君のおっしゃったあの子とは、誰のことでございます?」
 乳母がぎくりと身を強張らせる。姫君がぎゅっと、握っている手に力を込める。
「ありがとう・・・これまで、親身に世話を続けてくれて、礼を言います。あなたも、秘密を抱えて、辛かったわね。何もかも、私が、病にかかって、こんな体になってしまったせい・・・。あの子に・・・いえ、中宮さまには、何と詫びればいいのか・・・。」
 乳母の目から、涙が流れた。桔梗は、目を見張る。
「どうして、中宮さまが出てくるの・・・。」
「大病をしたのは、本当は正妻腹の姫君・・私なの。入内の話が持ち上がった時、私はすでに、明日をも知れぬ状態に陥っていました。もちろん、大姫の私ということではなく、左大臣の姫という段階でしたから、異腹とは言え、別に、偽らなくてもよかったのですよ。けれども、妹の母の身分は低くて・・・、もともと、郊外で、誰の姫とも明かさずひっそりとお暮らしでしたから、万にひとつでも出自に疑いをもたれぬようにということもあって、体裁を整えたい父が、私たちの立場を入れ替えたの。」
「・・・・・・・では、この乳母どのは・・・?」
「乳母が育ての姫の傍を離れるわけに、いかないでしょう。以来、ずっと私に仕えています。立場を入れ替えた、だけならば、妹の栄光を、我が身にかえて、陰ながら、心慰める日々が続いていたのでしょうけれど・・・。晴れぬ思いを・・・どうして、あんなことを頼んでしまったのかしら・・・。」
 病床に臥した姉から、手を握られて、代わりにとお願いされて、否と言えるはずがない妹の性格を知りながら、その時は、手にしかけた栄誉が遠のくのが無念と思っていたから、頼んでしまった。
 姫君の呟きに、桔梗は。
「あの、異形は、かつて恋仲の方ですか・・・。でも、なぜ、そのような方がいるのに、入内を承諾されたのですか。」
 姫君が、頼りない笑みを浮かべて、首を横に振る。
「公卿の姫というのはね。幼い時から、后がね・・・あるいは、相応の身分の方の妻となる為に、育てられるの。否・・ということは、思いつかないものなの。私も、このような身になって、鬱屈した思いを抱くまではそうだったもの。妹も、そうだと思うわ。逆らうということが出来ない・・・いいえ、思いつかないのかも知れません。」
「・・・・・・・・・。」
「もっとも、初めは、抵抗しようとしたらしいから・・・妹の思いは、本物だったのだと思います。あの異形は、あんなになるほど、妹のことを思って・・・妹も、かわいそう。願いを果たしたら、あの異形は、成仏できるのかしら・・・・。ならば、代わりに、私を連れていけばいい。勘違いさせることは、出来ないの?」
「・・・それは・・・・。」
 本願を果たしたところで、異形と化した者が戻れるのかどうか・・・。それに、桔梗は、犠牲者を出すことを呑むつもりは、毛頭ない。
「姫さまも、辛かったですわね・・・。でも、もう異形にはあなたが、探している者でないことは分かっていますから、二度騙すことは、出来ません。妹君の身も、私が守らせていただきますから、安心なさって。あの、割れた鏡は、妹君のもの。欠片のほうは、おそらくあの異形のもとに、あったもの・・・でございますわね?」
「おそらく・・。」
 姫が、そばにいる乳母を見る。
「どうしても・・・と、二つ急いで造らせて、姫から頼まれて、私が、そのひとつを、元の住まいに置いてきたのですよ。形見の品にという、おつもりだったのでしょう。無人の何もない屋敷にあれがあったら、もしも、訊ねて来たら、気づくでしょうから・・・。」
「もうひとつは、お手元に大事に持っていた。どういうわけか、持ち出されてしまったけれど、それは、あとで、調べてみるとして、私は、中宮さまのもとへ戻ります。鏡の欠片があったということは、どこか、宮中にもうひとつも、置かれているのだと思います。鏡に呪いをかけて、その鏡のある場所に出没できるのだとしたら、理屈は通りますもの。」
 宮中で、物の怪騒ぎがあったと、矩時が言っていた。宮中には、退魔を行う者が誰か、常時いるはずなので、容易に目的は遂げられなかったのではないかと、推測する。
 桔梗が立ち掛ける。乳母が、慌てて。
「姫さまと、あの方は、お約束はありましたけれど、まだ、通わせていたわけではありませんよ。姫さまが、どこかの身分の高い家の娘だと、うすうすわかっていた、あの方も、出世して、きちんと認めてもらってからと、お勤めに励まれていたわ。・・・だから、姫さまの身は・・・。」
 姫の中宮としての立場が揺らぐことのないように、
「心に一応留めておきますが、さっきも言ったように、人さまの秘事を明かす事はいたしません。それから、念のため、そちらの東雲どのを、守りに置いて行きます。東雲どの、お願いしますね。」
 振り向いて、相手の返事も待たずに、すたすた、外へ出ようとする桔梗の背に、東雲が苦笑しながら。
「あいかわらずだな。君と関わると、ただ働きが多い。まあ、このまま放っておくのも、気になるから、構わぬが・・。」
 桔梗は、にこっと花のように笑い。早口で、呪文のような書名を言った。東雲が、目を見開く。
「書き写して参りましたの。見たいでしょ?」
 こくこく・・と、頷く東雲。
「まったくどういう繋がりがあってそんなレアものばかりを書写出来るんだか。同僚たちが羨ましがるな。」
「あら、私からと言って、回覧してもよくってよ?」
「う~ん。そうやって、皆、借りが増えて行くというわけか・・・。じゃ、ありがたく、こちらも写させてもらおう。こちらは、心配なく。戻るなら、その方も連れて行ったほうがいいぞ。」
 東雲が、矩時を示す。矩時は、桔梗の返事も聞かずに、黙って、庭に降り、振り返り、彼女を促す。桔梗は、少し迷っていたが、後に続いた。

鳴鏡 7

2009-10-02 09:54:11 | やらへども鬼
乗って来た牛車や、従ってきた供人たちは、目立つと困るので、通りをいくつか行ったところで待たせて、そこから、矩時は、桔梗と東雲と、一人だけ、年若い従者を連れて目的の別邸へ向かう。目的の屋敷の高い塀は、やはりどこにも崩れはなく、どうやって、中に入り込むか、しばし、迷っている。
 矩時が懐から、文を出す。おそらくそうだろうと、先に文を書いて用意してきたのだ。年若い従者を振り返る。
「平太。下屋の方から回って、姫君の傍仕えの誰でもいいから、その女に言付かって来たと、この文を渡してこい。」
「はい。駄目だった時のために、ついでに、中の様子を見て来ます。」
 返事と同時に、主が、どうしてもこの家に招かれる必要の用があるのを察して、駄目だった時、忍びこむ為の手はずを整えて来る心得があることを、伝えた。色恋沙汰なら、こんなに性急にしないでもいいけれど、主は、同行者を二人も連れている。しかも、一人は、陰陽師だと聞いたので、急がなくてはならないのだと、少年は思っている。勢いよくかけて行く彼は、太刀を身につけていた。彼が、武者といわれる者で、わざわざ、供人の中から、少年の彼だけを選んだからには、矩時の信任が厚いことは、桔梗や東雲にも分かった。
 彼に任せて、しばらく待つ。
 戻って来ると同時に、一人の女房を伴って来る。彼女は、待っている者たちを見とめると、会釈をして、「中へどうぞ。」と言う。彼女について行くと、門を守っていた者たちが、彼らが通り過ぎるほんの少しの時間だけ、遠ざけられていた。少しばかり、変だなと、思いつつ、寝殿の庭先まで案内された。
 寝殿の庇の間には、灯りが点され、奥の母屋との間には御簾が降り、その奥に几帳が立てかけてあり、人の気配がする。階近くに控えていた、中年の女房が、手招きする。
上品で、物腰も優雅な女房だ。
 落ちついて、寛いだふうに見える。
庭先に女主を訪問する公達を普通に応対する場面のようだ・・。矩時が、その女房と会話している横で、桔梗が内心首を傾げている。
 先に取り次いだ文には、もちろん鏡を拾ったことは正直に書いておいた。たまたま職人に確かめられたから、こちらへ辿り着いた。拾った場所が普通では、考えられないようなところだったので、もしや盗品だったのかもしれない。早急に確かめて欲しいとも。
 ここは、敷地は広いが、点す灯火も少ない、静かで薄暗い屋敷だ。
女房たちは、始めから遠ざけられていたから、ひっそりとしているのは仕方がないが、もともと、ここには人が少ないようだ。人目を避けるようにして、住まう姫君には、もちろん、訪う公達などはいない。ここへ、通されたのは、身元の確かな者が訪ねて来たというのもあるが、寂しい暮らしについ軽々しく姫のいる庭先に通してしまったというのが、本当のところかもしれない。
桔梗が、あたりのようすをそれとなく観察しているのに気付いたのか、矩時がやっと本題に入る。彼も不思議に思っていたのか、「怪しいそぶりは、なさそうだな。」と桔梗にだけ聞こえるようにそっと囁く。その女房は。
「・・・その、こちらの失せ物かもしれない物とは?確かめさせてもらえますか。」
「これに。」
桔梗が、懐から鏡を包みを解いて渡す。裏の意匠を確かめた時に女房の指先が微かに震えたように見える。その中年の女房は、乳母だと名乗った。
「これを・・・どこで?」
 乳母は、矩時と桔梗、それに東雲の三人を交互に見ている。桔梗が。
「その・・・後宮の打ち橋の辺りで、みつけましたの。割れた物をなんて、不吉だけれども、随分良い品でございましょう?やはり、持ち主を探すべきかとも思って、知り合いの方に協力していただいたのです。あの・・これはやはり。」
 桔梗は、どこの、殿社とは言わなかった。打ち橋に落ちていたのを偶然、そこを通るはずの女御が気づき、気味が悪く思い、側仕えの女房を通じて、桔梗に依頼があったのだ。
「ええ。二つのうちのひとつは、女御さまの・・・。大事に仕舞われてあるはずなのに、それにしても、どうして、そんなところに。」
「大事に仕舞われてあるって、どうして、わかるんですか?失礼ですが、こちらの姫君とは異腹の方でございましょう?仲が、よろしいから?」
「え・・あ、はい。その・・・・。」
 乳母は、瞬時視線をさまよわせた。もっと、突っ込んで聞いてみようと思った時、異変が起こった。また、あの音だ。ギーッ・・・と音がし、風がいきなり起こり、今度は、ざわざわと黒い渦がまいて、人のような形を造る。闇夜にぎょろりと光る眼。ずるずる・・と、重く足を地面に引きずる音。どんどん、こちらに近づいて来る。
「あな、憎し・・・。我を裏切りし者・・・。」
 呟きが聞こえる。うわあ・・と言って、乳母が腰を抜かして、後ずさる。
 ずる・・・ずる・・・近づいて来る。低い声は、男のものか?それとも・・・。見た目は、どこからどう見ても、異形だ。矩時は、傍らの桔梗を見る。
「異形に転じた者ですわ。鏡の欠片を、まだ、東雲どのが持っているから。それに、導かれてやって来たのですわ。もうひとつの鏡・・・。」
「もうひとつの、かっ、鏡ですって・・・。」
 乳母のうわずるような声が聞こえる。矩時たちのするどい視線が集まる。そこへ、ずるずると足音も間近に迫って来る。乳母は、怯えたように手をすり合わせぎゅっと目をつっぶって叫ぶ。
「後生でございます。姫さまは、お悪くない。わた、・・・・・私のお育てした姫さまを助けて!姫さまは、決して性悪女ではございません。どうか、怒りを解いてどっかへ消えて下さいましっ。」
 拝みように、異形に向かって叫ぶ。矩時が。
「どういうことだ?」
「矩時さま。東雲どのの、側にいて下さい。東雲どのっ、二人を。」
「任せておけ。」
 東雲がこちらに襲いかかろうとしている異形と、二人の間に割って入る。桔梗は、急いで階を上がって、おそらく、姫君の臥しているであろう、母屋へ駆け寄ろうとする。
 キエ・・・・ッ!鳥の叫びのような声が響き、異形が、ざっと風を伴って、東雲たちの、頭の上を飛び越える。
「しまった!」
 桔梗は、間に合わず、異形の作る風が、母屋に掛っていた御簾がばっさりと真横に切られ、その向こうの几帳を引きちぎり、中に臥していた姫君の首をつかんで異形が持ち上げる。
「臨、兵、闘、者・・・・・悪鬼、退散!」
 桔梗は、異形の背へ向かって、呪を放つ。
 バシッ・・と、鋭い音が、異形の背に突き刺さり、異形が停止する。
「ご、ごめんなさい。あの子は、悪くないの・・・皆、私のせい。かわりに、私の命を獲って怒りを鎮めて・・・・。」
 異形の手元から、その声が聞こえた。途切れ、途切れに、静かな諦めたような声。
 同時に、澄んだ金の音がクォーン、クォーン・・と、鳴り響く。
 細く高く。
 世にも悲しげな音・・・そう表現したほうがいいだろうか。
 しくしく・・と、女の泣き声が聞こえ、すぐに静まりかえる。この音か?桔梗は、階近くの矩時を振り返る。彼が、頷くのが見えた。
 異形が姫君を突然離すと、姫君は、そのまま床に、力なく臥した。
「違う!」
 うおおお・・・・・!桔梗が放った呪にやられた背の痛みに、異形が苦しみ、それに加え得て、心の痛みにも耐えかねるように、胸を叩いて、暴れまわりながら、庭へ駆け下りる。そのまま、闇の中へ消えて行った。
 床に倒れた姫君が必死で、手で、体を支え、這いずって、外へ、その背を追うように動こうとしている。桔梗は、助け起こそうと、姫の背に手をまわし、起こそうとするが、姫の体は、ふにゃりと力が入らず、ぐったりと人の重みを感じる。目を見開いて。
「姫君。あなたは・・・。」
「ごめんなさい・・。私、体が起こせないの。足が・・・・。」
「そうですか・・。ひとまず、難は去ったようですから、奥へ。私だけの力では無理ですから、連れの方にこちらへ上がって来て貰って、手伝ってもらってもいいでしょうか?それから、事情を伺ってもいいでしょうか。姫君に危険が迫っていることは、確かなのですから。」
 姫君は、苦い物を呑んだような表情で、応える。
「ええ。構いません。」
 硬い表情のまま、何かを決意したような顔で、姫君が頷いた。