時の泉庭園

小説は、基本、ハッピーエンド。
話は、最後まで出来上がってからUPなので、全部完結済み。

(^◇^)・・・みん兎

浜千鳥 4

2008-10-31 13:08:47 | 王朝妖の百景 
「ちょうど、翌々日の朝だっけね、烏から、取り上げたのさ。中に、字が書いてあってね、そういうので仰いだら、なかなか優雅な気分になれるんじゃないかってね・・・。」
 広げられた白い扇には、和歌が記されている。・・・恋の別れの歌?男手で書かれている。実資(さねすけ)にも、見覚えのある字だった。・・・通雅か・・・三位の中将、藤原通雅。故関白道隆の孫で、その道隆の嫡男、伊周(これもすでに故人)の息子。伊周が、今の関白道長に政争で負けなければ、もっと日のあたる人生を歩めたかもしれなかった人物だ。三位の位ではあるが、ある意味、政治からは干されたような日々を送っており、これからも、ずっと変わらないだろう。道長の娘の産んだ皇子が即位しており、嫡男の頼道が左大臣についている。すでに、同じ摂関家九条流の権力闘争も勝負はついていた。屈折した思いのせいか、通雅は、荒三位といわれるほど、暴力沙汰を起こしたり、人々が眉をひそめる人物だ。
 しかし、それもここのところ、あまり噂も聞かなくなったはずだが・・・・・。
「荒三位は、かの女房と、付き合いがあったのか・・・。」
 わざわざ、扇に恋歌を書いて女に与えるのだから、それなりに、遣り取りのあったと見なすべきだろう。
「・・・今はただ思ひ絶えなんとばかりを・・・なぜ、別れの歌なぞを?」
 他に特徴はないかと、扇を月明かりに照らして、掲げてみたりして、よく見る。裏返したり、表を向けたり、白い扇面が闇夜にひらひらと舞う。すると、優雅な香がふわり、ふわりと、風に浮かび上がる。実資(さねすけ)が首を傾げる横で、月冴えがくんくんと、その匂いを嗅いでいる。その月冴えが。
「ここに、落ちてたってことは、そいつが犯人ってことか?・・・それにしても、これ、男が持つには甘過ぎる香りが混じっているね。」
 月冴えは、この扇が男物だと思っているから、単純にそう思っているようだ。
 実資(さねすけ)は、広げた扇をバサッと煽る。薫香の香りが強くなり、風に流れた。扇を閉じる。
 何で、別れの歌なんか大事に持っていたのだろう。
持っていたからには、まだ、心が残っているからで・・・・。
しかし、歌の内容から、男の方も未練たらたらだ。刃傷沙汰に発展しそうな要素はなさそうだが・・・・。無理心中?いやいや、別に二人を引き裂く要素も見当たらない。
「人づてならで言ふよしもがな・・・この歌、どこかで・・・?」
 使いまわしか?歌の不得手の者ならば、古歌や、代作の歌をちょっとひねくって送るということもあるだろうが・・・。同じ自分の歌をまんまじゃないか。・・・普通は、やらん。使われていた歌が、わりと有名になった恋愛沙汰だったのですぐ思い出した。別の女との別れの歌を扇に書いて男が与え、女はそれを持っていた?一体、どういう仲なのだ。
実資(さねすけ)が、閉じた扇を手の中でぽんぽんと打ち鳴らしながら。
「いや、これを持っていたのは、かの女房・・・。香りが染みているということは、長く彼女の持ち物だったのではないか?・・・・荒三位のものではなかろう。」
 月冴えが、眉を寄せた。
「じゃあ、亡くなった時に持ってた物ってことか。・・・いいのかい?あんた達、死人の持ち物だったら、穢れに触れたとか、大騒ぎするんじゃないのかい?」
 実資(さねすけ)は、しっかりと閉じられた扇の柄を握っている。
「亡くなる前に落としたのかもしれん。それだと、穢れの程度が違ってくるとか、陰陽師達は色々いうが、まあ、目撃者がいるわけでなし、これが、死者の物だといって騒ぎ立てる者も今ここにいない。それに・・・年のせいか、すぐ物忘れするからのう。明日になって、どうしても気になったら、鉦(かね)でも打たせておけばいいだろう。」
 鉦は、邪気を祓うために打たせるのだ。つまり、気が変わって、怖くなりでもしたら、適当にお祓いっぽく済ませておけばいいか、ということだ。
「あたしが言うのもなんだけど、いいのかねえ・・・。」
「構わんさ。それに、これに、悪い感じはしないしなあ。」
「・・・そう言えば、たまに見えたりすることあったっけ・・・。」
「ほっ。見えるだけなら、ごくたまに見えるぞ。特に、人の悪意の塊なんかはな。白昼堂々、道長殿の膝に無数の呪いの矢が刺さって見えた時は、さすがに驚いたが。」
「何だかねえ・・・・・。あたしら物の怪より、性質(たち)の悪い奴がいるよ。お貴族さまって。」
 月冴えが、肩を竦めている。
 実資(さねすけ)が、ふと注意を逸らし、首を傾げる。
「変だ。誰かに呼ばれた気がしたが・・・。」
「やばっ。時間を食っちまった。部屋に戻るよ。」
「何?」
 実資(さねすけ)は、月冴えに、また手首を持たれたと思ったら、行きと同じように体の重みが感じられなくなり、眼下に京の大路小路の碁盤の目を見た。目に飛び込んで来た月はもう、山の端に沈もうとしている。来た時と逆回し、しかも、数倍速い速度。目がまわる・・・っ。
「ああ、結局勝負がつかなかった。唐(から)菓子(かし)は、お預けだねえ。」
 くらりと、眩暈がして、朦朧とした意識の頭に月冴えの声がする。実資(さねすけ)の口元が、笑っていた。
また、今夜にでも来ればよいではないか。」
「さあね。次はいつになるか、わからないよ。じゃあね、小野宮殿。」
 どこかで、夜が明ける気配を感じた。実資(さねすけ)は、そのまま眠りに落ちる。はっと、目が覚めると、朝の仕度をするために身の回りの世話を任せている女房の声がする。主が、起きているのか、もう、朝の仕度を始めても良いかどうか、伺いを立てる声に、返事をする。
 実資(さねすけ)は、きちんと臥所(ふしど)に横になっていた。昨夜着ていたものは、さすがにそのままだが、上げられた格子戸は、閉まっている。碁盤も、その位置には見当たらない。
「・・・夢・・・・?」
 大儀そうに体を起こすと、額に手を当てて、ほっと息を吐いた。近付いてきた女房が、心配そうに見ている。それに気付くと、苦笑いしつつ、実資(さねすけ)は体をしゃんとさせる。手に、扇の柄の角があたり、目をぱちぱちさせた。
「昨夜は、書見の途中でどうにも眠くなって、そのまま眠ってしまった・・。」
「左様でございますか。いつも殿様は、すぐにお目覚めになるのに、お返事がございませんでしたから、具合でも悪いのかと思いましたわ。」
「うむ。具合が悪いわけではない。・・・少し、庭を歩いて来るから、その間に、粥を用意しておいてくれぬか。それから、参内する。」
「いつもはお食べにならぬのに?かしこまりました。用意いたします。」
 めずらしいこともあるものだという顔の女房は、それでも腹がすくぐらいだから、お元気なのだと勝手に納得して、準備を整えるために部屋を退出して行く。
するするする・・・と廊下を長い裾を引いて、彼女が出て行くと、実資(さねすけ)は、扇を取りあえず文箱の中にしまう。それから、部屋に置いてあった入り豆を懐紙に包んで、庭に出た。昨日あたり、月冴えが出てきそうだと、つまむものを本当に用意してあったのだ。見た目は、ちょいと好い女なのに、あの物の怪は、いつも腹をすかしている。美味そうに食うので、予感がするときは、用意してやるのだ。
 お気に入りの泉のそばに、懐紙に包まれたそれを置いておく。
その日は、いつもよりかは、ゆっくりの時間に、実資(さねすけ)は出勤した。
 月冴えが、いり豆に気付いたのかどうか・・・・・。それは、わからない。
 ただ、帰って来て確かめて見ると、いり豆は無くなっていた。豆だから、鳥が食べたのかもしれないが、懐紙ごとなくなっていたから、おそらく、月冴えの仕業だろう。鳥が紙ごと持っていくはずがないではないか。きっと、月冴えが持って行ったのだ。
 今度はいつやって来るのだろう。そう思った実資(さねすけ)も、しばらくの間、忙しさに取り紛れて、忘れていた。扇のことも、調べるべく動くこともなかった。何しろ、正月だ。それでなくとも、儀式や何やかや、年中行事で、下手すると一年中、貴族たちは忙しいのだ。上が、そんな感じだからか、捜査が進まないのはいつものことなのか、犯人らしき男は捕まったが、検非違使から、目新しい進展も聞こえてこなかった。

浜千鳥 3

2008-10-31 12:59:21 | 王朝妖の百景 
左右に長い築地塀(ついじべい)のつくる黒い陰が立っている。その間に、佇んでいる。どこか、遠くで野犬の遠吠えがしていた。
「ここは、女院御所の側か。」
 先々帝、一条天皇の中宮彰子、今上後一条の母、上東門院邸の近くにいた。
「皇・・・いや、女院御所の女房・・が亡くなられた場所からは、遠いな・・・。」
 実資(さねすけ)が、ゆっくりと月冴えを振り返った。
「遺体の見つかったのは、もっと遠くだけど、難にあったのはこの辺りのはずだよ。小野宮殿、とぼけてるんか?色んな筋から、情報を得ているだろう。」
 今は、右大臣であるが、若い頃は円融、花山、一条の三代の天皇の蔵人頭(くろうどのとう)、天皇の秘書官の束ねを勤め、検非違使(けびいし)の別当と、これまた警察機関の長も務めていたこともある彼には、有力な筋から情報を得る人脈があり、自家で得る情報以外にも、確かな情報を耳にすることもできるはずだと、月冴えは、言っている。
 世間には、上東門院に仕える女房が、急な宿下がりの最中に屋敷に入った強盗に連れ去られ、真冬の寒空に置き去りにされ、為すすべもなく死んだ。
その遺骸を野犬が食ったのだ。
道に転がったぼろぼろの無残な姿に変わり果てた骸が、辛うじて、残っていた衣装で彼女だと知れた。そんなふうに、噂が出回っている。
件(くだん)の女房は、実は院の姫君だった。
今上から遡ること三代、先帝の三条の異母兄、先々帝一条とは従兄弟の先々々帝花山院の娘だった。わけ有りで、生まれてすぐに、花山院に仕えていた女房に託されて、その女房の娘として育った。
長じてからも、皇女として認められることもなく、今上の母上東門院に女房として仕えていた。
だが、彼女の出自は知れ渡っており、公然の秘密にはなっていた。
そんな彼女の、宿下がり先は、やはり自分を引き取って育ててくれた女房の家だろうか・・・。
噂と違い、当夜、彼女は女院御所にいるはずだったのだ。
 実のところ、夜盗の類に命を奪われるなんて、京では珍しいことでもない。
たまたま、どこかを襲った不幸な事件に人々は驚きつつも、そんなに強く感心を寄せたりはしない。しかし、皇統につながる皇女の死となれば、また別だ。
しかも、女院御所から、誰かに呼び出されたのでは、という声が一部で早くから聞かれていた。
遺骸は、衣装を纏っていた。
発見された時、彼女と判ったのは、着ていた衣からだ。
重ねて着る衣(きぬ)は、何枚も重ねてあるが一番上だけが、模様が入っていて、下は鮮やかな色であっても無地のものだ。
下に重ねた衣(きぬ)や袴だと、本人だと断定するのは難しいのではないか。
ということは、一番上の高価な衣(きぬ)が残っていたのだ。
その下も盗られていないとみなすべきである。
強盗ならば、中身の彼女に関心はなくとも着ている衣にはあるはずなのだ。
売れば高価な品物をどうして残して行ったのか。
となると、彼女を狙った犯行かということになる。大罪を犯した犯人は、皇女殺しの罪で・・・・。
けれども、公には、女院に仕える女房にすぎない人物なのだ。
どう対応していいか判断に困るというので、必要以上に人々から関心を持たれてる事件だ。
「情報はまだ、検討中だ。・・が、まあ、この辺りで、夜中に一度、女の高い声が響くのを聞いたというのも、あるにはある。激しく言い争うような声は、聞いてないそうだが。」
「そうかい、じゃあ、ここで、刺されたか、拉致されたかと仮定しよう。」
「うむ・・・・。」
「ここからなら、中宮のもとに勤めていた件の皇女(ひめみこ)さんが、夜こっそり抜け出してもおかしくない場所だと思うけど?」
 平安京は、その名のとおりの、平和で安全な京ではない。
女院御所のような権力者の屋敷の付近なら、警備も整ってるはずだろうが、昼ならともかく夜の闇に取り紛れて、その他は、物騒な道と化す。
盗賊など不敬の輩はうろうろしている。そんな所へ、誰かに呼び出されたとしても、女一人でこっそり出て行こうとするだろうか。
「・・・・真夜中に、女の一人歩きなど、おかしな話だものなあ。」
 彼女が何者かに呼び出されたのは、確かなのだ。
 実資(さねすけ)は辺りをぐるりと見回した。
暗がりではあるが、少し離れたところに自衛の為の篝火の灯りが見える。
ふと、にやにやして、手を頭の後ろで組んでいる月冴えに気付いた。
実資(さねすけ)の右の直衣の袖の袂が揺れる。
彼は、無言で、手を突き出し、月冴えに厳しい視線を投げた。
ここが犯行現場だと断じた彼女の根拠は何なのか。
こいつは、ぜったい証拠の品か何かを持っているだろう。
差し出した手に、白い扇がぽんと載せられる。
 女の持ち物ではなさそうだ。蝙蝠(かわほり)扇という細い骨に紙を貼った扇、紙が片面しか張られていないが、現代の扇子と似た物(大きさは、能などで使われるような感じのものを想像するといいだろう)だ。閉じた扇には、白い紙が貼られていて、華やかな色味もなく、一見すると男の持つ物のようだ。

浜千鳥 2

2008-10-24 14:03:40 | 王朝妖の百景 
「勝ったら、夢を見せてくれる・・だったな。」
 この時代では、囲碁と賭けはセットのようになっていた。掛け物を決めて、勝負をする。月冴えが、白の碁石をつまみ、にっと目を細めて応じる。
「うん。唐菓子をたんまりもらうよ。」
 彼女が勝ったら、唐菓子を翌日、指定の場所にそっと置いておくのだ。この間は、勝負がつかず、続きをやっている。勝負は一晩でついたりつかなかったり、つかなかった時は次に持ち越す。いつも、月冴えは、突然現われる。物の怪のくせに、昼間、大路を堂々と歩いていたりすることもあった。
 ぱちん。白い碁石が置かれ、黒い碁石が置かれようとしている。
 月冴えが、じっと碁石のように目を丸くしてみてる。
「相変わらず、会いたい人の夢かい。・・・欲があるんだか、ないんだか。摂政・・いや、位を退いて今はただの入道殿(道長)だっけ・・と左大臣(頼通)殿を呪ってほしいとか、言わないんだね。」
 ただの入道とは言ったが、もちろん実権は道長にある。実資(さねすけ)と道長とは、同じ藤原北家の嫡流摂関家だが、系統が違う。曽祖父の代でひとつになる、はとこの関係なのだが、祖父の代からの、実資(さねすけ)は兄実頼の小野宮流、道長は弟師(もろ)輔の九条流、というと小野宮のほうが主流のように聞こえるが、後宮政策で遅れをとり、主流は九条流に持っていかれた状態だ。参議以上の重要なポストについているものは少ない。今、朝廷を牛耳っているのは、九条流道長で、その跡は子の頼通、彼らが急にいなくなれば、混乱に乗じて、小野宮流の実資(さねすけ)が浮かび上がれるのではないかと、物の怪の月冴えが言う。
 物の怪の誘惑の言葉に、実資(さねすけ)は動じるふうもなく、淡々としている。
「物の怪に付け込まれそうな願いなど、するものか。・・・・この年になると、会いたい人は皆、鬼籍の人が多いんじゃ。」
「なるほど・・・。寂しいってか・・・。」
「・・・・・・・・。」
 そうかもしれない。親や兄弟は、末っ子だから置いて逝かれるのは仕方がないことだとしても、沿うた妻たちにも死に別れ、幼い子にも先立たれた。七十に手が届きそうな今、人より長生きしている分、友人たちも考えてみれば、あの世へ旅立ったほうが多い。
 碁石を握ったまま、実資(さねすけ)は、ぼんやりと考えていた。
 待っているのに飽きたのか、月冴えが姿勢を崩し、ごろんと床に横になった。肘を床について掌を枕に、くわっと大口を開けて欠伸をひとつする。物思いに耽る実資(さねすけ)の姿を見て、悪戯を思いついたように目をきらんと輝かせる。ほんの一瞬でその姿を変えて、だらしなく寝っ転がっている。
「うふん。寂しいなら、この姿はいかがあ・・?」
「!」
 声がして、顔をあげた実資(さねすけ)の目に飛び込んできたのは、麗しの亡き我が妻の姿。ただし、中身が月冴えなので、なんとなくだらしなく、行儀の悪い格好をしている。肘をついて頭を乗せているので、重ねた袿(うちき)の袖がまくれて腕が丸見え、足元にある碁石入れを手元に引き寄せようと、つま先でちょいちょいと動かそうとしている。長いはずの緋の袴がめくれて、足の指が見えかかった。
「う・・・・。」
 懐かしさに目を奪われたのは、認識するまでの一瞬の間で・・・。みるみる凍ったような微笑を浮かべ、怒っている。怒っているのに、笑うとはどういうことか。長年の習慣で、感情を露わにせぬ訓練のたまもの。京の貴族なら当たり前のことだが、こんな時でも板についている習慣に、物の怪の月冴えは内心感嘆の声をあげた。大したもんやな、物の怪より分りにくいわと、感心している。
「婉子(よしこ)の麗しい姿が・・・。」
 実資(さねすけ)は、懐から扇をとりだすと、その先で、月冴えの肘、足、尻を打つ。パシッ、パシッと音を立てるごとに鞠のように、物の怪がころころ姿勢を変えていく。続いて金魚すくいのようにくるっとどうやったものか、掬い取るようにすると、月冴えは正座させられていた。膝に両手を置き、目を真ん丸くあけている、その片方の膝を仕上げに、軽く叩かれる。
「膝っ。」
 元のように肩膝をたて、流した衣の裾も黒髪の乱れもなく、美しい女性が座っているのに、満足したのか、うんとひとつ頷くと、黒い碁石を自分の思ったとおりのところに置く。
「小野宮殿。怒るところがちょっと、ずれてやしないかい?」
「言葉づかい。・・・・何にせよ、姿を見れるのはうれしいが、その顔で、品のない、みっともないまねは止めてくれ。・・・いつも見ている姿が月冴えの本当の姿なのかどうかわからぬが、そなたはそなたのままの方が良いのと違うのか。それならば、別にどんなふうにしていても、かまわん。その方が、月冴えらしいであろう。」
「うわっ。ちょっと、感動・・・かも。」
 月冴えは、えへっと単純に気を良くして、元の姿にかえり、石を置こうとする。あらあら・・・ぜんぜん、動揺してへんやん。やっぱり、あそこに、置かはったわと、置いたばかりの黒石を確かめる。月冴えの反応に、実資(さねすけ)が、ほんのわずか口の端をあげて、満足げな顔を浮かべている。そうして、仕返しをしてやろうと、何気なく、口を開いた。
「小腹が空いたら、いり豆が部屋に取り置いてあるぞ。」
「えっ?どこ?どこに?」
 月冴えがすばやく反応し、きょろきょろと辺りを見回す。うっかり、手を下ろして、とんでもないところに白石が置かれる。はっと、気付いたがもう遅い。
「ずっるう・・・っ!」
「こんな手にひっかかるとは・・・。食い意地は変わらんな。」
「う・・・、も一回、やりなおし、お願い。」
「うむ・・・。」
 実資(さねすけ)はにやにやしながら、勿体ぶっている。月冴えが、脱力してはあっと溜息をついた。
「仕様がないね・・。何が、見たい。何が知りたいんだい?」
「言うまでも、なかろう。それで、出てきたのではないか?」
 京を騒がした事件。事件が続く時に、なぜか出現することが多い。知りたいと思っているとき、あるいは、政局で迷っている時などにも、よく、月冴えは姿を現す。こいつは、一体、どういう物の怪なのか。馴れ合っているのも、不思議な存在だと、実資(さねすけ)。
「うふふ。強い意思を持った魂を頂く機会なんざ、なかなか、ないさ。迷っているときもそうだけど、好奇心を強めている時もつけいる隙はありそうだからね。・・でも、これまで一度も付け入れなかった。あんたみたいな奴は、そういない。このまま、逃げ切られて天寿を全うするのをみるのも、たまにはいいさ。」
 物の怪には寿命のようなものはない。長い長い時が過ぎていく中で、ただの退屈しのぎになっても、かまわないのだと、月冴えが、実資(さねすけ)の胸の思いに答えをくれた。
「遊び半分、仕事半分か・・・。」
 月冴えの手が、実資(さねすけ)の手首を掴む。
「小野宮殿。それじゃ、行くよ。事件現場へ。」
「・・・・・。」
 実資(さねすけ)の視界が奇妙に揺れた。体から、重みが抜けたように軽くなり、このままでは宙に浮く・・と思った瞬間、夜空の上にいた。都の大路、小路が交わってつくる碁盤を視界の下に見るようだ・・・それも、つかの間、確かに認識したけれど、再び、足が土の上に立っている感覚がして、気がついたときには、あやふやな記憶になっていた。



浜千鳥 1

2008-10-24 13:56:52 | 王朝妖の百景 
 鏡の輝きのような鋭利な透明感を持つ闇空。月も冷たく、くっきりと白い面を顕にし、氷を砕いた欠片が飛び散ったような星が彩りを添える、冷たい冬の空。その夜空の下、寝殿造りの館の庭の泉から、パシャパシャッ・・・と、水に遊ぶ、水鳥の羽音のような音がしていた。
真夜中、静まり返った寝殿の一角には、まだ灯りがついて薄く開いた戸の隙間から、外縁へも灯りがもれていた。
その灯りのもとを辿っていくと、この家の主、小野宮(おのみや)殿こと、右大臣藤原実資(さねすけ)が、机に向かい白い紙とにらめっこしていた。もしも、その紙を覗いて見るならば、墨で細々(こまごま)と書き込まれ、箇条書きされたその上に丸やバツ、あるいは線を下まで引いて消された文章が、見えるはずだ。
文机のそばに置かれた燈台の灯りは、蜜柑のような灯りが灯ってる。暗い室内に、筆を持つ手元を照らす。同時にその表情も照らしていた。柔和な笑みを湛えたような顔。それでいて、眉間に縦の皺の痕がくっきりと刻まれて、この人物が見た目の印象とは違い、気難しい面があるのだと知らせている。
白く、薄くなった髪はきちんと結われ、烏帽子(えぼし)を載せている。身につけている直衣(のうし)も、年相応の地味な色目だが、織りも仕立てもよく、衣に焚き染められた香りもさっぱりと、品の良いじいさんだ。
私室で、真夜中に一人だというのに、着崩すこともなく、きちんと端座していた。腕を組み、考えこんでいたが、背筋がすっと伸びている。酒を飲んで、中身は酔っていても見た目は、常日頃から、あまり崩れない人物なのだ。
「いかんのう・・・。どうも、最近もの忘れがはげしくて・・・。さて、どういう見解を示したものか。」
 つい最近、京人(みやこびと)を震撼させた、さる事件について得た情報を頭の中で整理する作業をやっている。実資(さねすけ)自身が、色んな筋から集めた情報と、単に世上にながれている情報と、頭の中は、情報の欠片が虚実取り混ぜ、散らばっている状態だ。さながら、ジグソーパズルのようで、一枚の絵を完成させなければならないのに、違う絵のピースがたくさん混じっている。順番に遡って、いるものといらないものを取り分けて、絵を完成させようとしている。
 すう・・っと、薄く開いた戸の隙間から、冷たい空気が流れてきた。
実資(さねすけ)の眉間により深く、皺が刻まれた瞬間。
 影が中へ入って来た。
「月(つき)冴(さ)えか・・・。」
「こんばんはあ。遊びに来たえ。」
「いらんわ、阿呆。我が家の泉で水浴びなどやめてくれ。物の怪が出入りすると、妙な噂が立ったらどうしてくれる。」
「はあ、そういえば、あの泉お気に入りだっけ・・・。そやけど、こんな真夜中に水音を探って、わざわざ怖い思いをしようなんて奴はおらへんて。この間、盗賊に、皇女(ひめみこ)さんが殺害されたばっかりやん。」
 そう言って、物の怪はにっと笑う。実資(さねすけ)は、一瞬顔をひくつかせた。
いつも出てくるときは、若い女の姿をしているので、月(つき)冴(さ)えと呼んでいるが、何者であるのかはわからない。物の怪であることは、確かなのだが、(女の姿をしているのでとりあえず)彼女は、どうやら実資(さねすけ)を気にいっているらしく、時々、こんなふうに、やって来る。出会ったときから、変わらない姿。
そう、もう数十年が経つのに、若いままの姿だ。・・・・羽がついている。
 ぽたっ、ぽたっ・・・と、羽の下方から、滴が木の床に垂れている。
 月(つき)冴(さ)えは、羽を一度バサッと広げると、滴を掃い、折りたたむと羽の姿を見えなくした。
「月(つき)冴(さ)え。汚した床は拭けよ。でないと、遊んでやらぬぞ・・。」
「ええ?・・・細かい奴、朝までには乾くって?」
「駄目。」
 物の怪は、ぶうぶう文句を言いながらも、どこから出したのか、乾いた布で、床を拭く。元通り、つやつやした乾いた床に戻ると、実資(さねすけ)がうんうんと頷いている。
 月冴えは、格子戸の方へ片手を指し指し示すように手を、掲げる。手の動きにつれて、衣(きぬ)の袂(たもと)がしゃらっと鳴った。すると、音も立てずに、二枚格子の上部があがり、外の月明かりが差し込む。
「よっこらしょっと・・・。」
 月冴えは、先ほどまで机の横に置かれていた灯火を移動させ、端かに行き、両手を捧げるように下へおろす。ふわりと、宙に現われた重いはずの碁盤がゆっくりと沈んで下へ降りて行き、床に置かれた。白と黒のそれぞれの碁石容れ、碁盤を挟み、相対して、藁座(わろうざ)が容易された。
 ぱちん。ぱちん。碁石を打つ音が室に響く。ひとりでに、白と黒の碁石が次々置かれていく。碁石は同じ速度で、一定の音を響かせ、しばらくすると、その音が止まった。
「うんっと・・・だいたい、こんな感じじゃなかったかな。」
 月冴えは手をもむもむと合わせて、席につく。片方を立て膝にして座っている。平安朝では、正座ではなく、このスタイルだ。実資(さねすけ)が、向いの席に座る。
「うむ。」
 おもむろに、幾つかの碁石の位置をなおす。月冴えが、顔をしかめる。
「ほんまに、覚えてなさるんかいの?随分、前のことやし・・・。さっき、年のせいで物忘れはげしいって、言ってたやん?」
「そなたに、年のことを言われたくないわい。・・・ところで。月冴え、その格好、ちとえずくろしないか?」
 物の怪だから、いくつなのかとか、数えることがあるのかもわからないが、見た目は若い女性の姿をしており、それも、どちらかというと、出るところのきっちりでた、大人の雰囲気を漂わせている。なのに、月冴えは、汗衫(かざみ)姿(すがた)をしていた。汗衫姿とは、童女の着るものだ。種類があるのだが、彼女の着ているのは、袖をしぼれるように、先に紐を通してあるものだ。下に短い切袴、単衣、重ね衵のうえにその汗衫をはおる。汗衫は、袿(うちき)のように上に羽織るだけだが、印象は、袖の感じが水干に似ている。袖と肩口のあいだのスリットを結ぶ紐があり、それぞれ飾り結びが付いていた。丈は、短く、その分、身動きしやすい。
それに合わせたものか、月冴えの長い髪は、頭の両端に結ばれ、組みひもで派手に飾られている。はっきり言ってその格好は、童女のかわいらしさを見せるものなので、その盛りを過ぎたものが着ると、服装ばかりが悪目立ちする。えずくろしい・・とは、派手すぎるとかいう意味に使われる言葉だが、ある意味悪目立ちして見えたので実資(さねすけ)は、そう言ったのだ。ちょっと、月冴え、その格好どやねん・・・みたいな感じか。
「え?ああ、これ?衣が短いと動きやすいしな・・・。変かな、やっぱり・・・?」
 実資(さねすけ)の視線が一瞬、月冴えの姿を上から下まで辿った。
 物の怪だから、人の常識が通じるものかと、自らの質問に疑問を感じないでもないが、ともかく、見た目はアンバランスだ。無言の一瞥を受け取り、「そうかい。」と、月冴えが、何のこだわりもなくぱっと姿を変えた。袿姿になる。
「こんなもんで。」
「・・・・うむ。」
 どういう仕掛けになっとるのだと、思いながら碁石入れから黒い石をひとつつまみ、碁盤に置く。