時の泉庭園

小説は、基本、ハッピーエンド。
話は、最後まで出来上がってからUPなので、全部完結済み。

(^◇^)・・・みん兎

短夜の 20

2009-06-17 10:13:31 | 短夜の
作品懺悔
 ううっ・・・生活感がつかめない。平安時代の夫婦って、昼間顔をあわせることは、あるのか・・?夫婦でも、女は顔は見せないとか。そもそも、旦那がいるのは夜だけで・・とか。食事なども、一緒にとらないだとか。それじゃ、着替えは?旦那は、自分の実家へ一旦帰宅して、身支度を済ませてから、奥さんのもとへ?帰るコールならぬ、帰ります(いや、寄りますか?)お手紙は、毎日でも必須なのか?それで、朝に書く日記とかは、どっちで書いてたんだろう。朝早い出勤なので、帰ってたんじゃ不便だよな。それは、どこへ保管されて・・・?え~っと、物忌みのときは、どこで???他にも、沢山日常生活の疑問はあります。それに、通ってるだけの状態と、ほぼ、同居してる状態では、状況設定も違ってくるよね・・・と。頭の中がこんがらがってきます。
 しかし、あんまり突き詰めていくと、出来あがるのは、遠くの現実をみているような・・・。現代人の、一般庶民の身には、感情移入しにくい日常になるんだよね。ある程度は、生身の人間が生活している感じを出したい。その生活感の延長線上にいる登場人物に、ちゃんと生身の人としての感情をのせられか。なので、当時の生活習慣をどの程度、描くか、兼ね合いが難しいです。結局、いつもの如く、なんとなく平安でいくことに・・・なりましたです、はい。

以下、冒頭で予告した、作中の和歌です。

 思いやる心も空になりにけり 独り有明の月をながめて   藤原高遠
(あの人のことばかり想っているうちに、僕の心はからっぱになってしまったよ。ひとりぼっちで、有明の月をながめてさぁ・・・。) 訳 サイト 千人万首


思いあらば袖に蛍をつつみても いわばやものを 問う人はなし  寂蓮
(夏ごろもの袖に蛍を包む、ぽっと小さな灯りが薄絹を透かして、簡単にもれてしまうこの灯りのように、恋しいと思ってしまう心を あの方が問うて下さるわけでもなく・・・)
                  角川ソフィア文庫 新古今和歌集を参考。


 末の露 本の雫や世の中の おくれ先立つためしなるらむ  僧正遍昭
(はすの、葉末の露や根元に落ちる雫の、速度は遅い早いはあっても、この世ではいつかほろびるというのは、世の習いであろうか。)
                   角川ソフィア文庫 新古今集を参考。


道知らばつみにもゆかむすみのえの岸におふてふ恋忘れ草  紀貫之
(道を知っていればつみにも行こうものを
 住之江に生えているという恋忘れ草。)古今集より
  これのみ、訳はすみません適当です。
  間違ってたら、コメントにて、教えていただければ、幸いです。

短夜の 19

2009-06-17 10:11:34 | 短夜の
雨に濡れて、湿って緑の葉の輝く庭。
廂から、その庭を眺めながめている周子(あまねこ)と頼子の話し声がしている。
「ああ。暑いこと・・・。」
 雨は降ったけれど、夕立ならともかく、朝、ちょっとお湿りがあっただけなので、どんよりと曇った雲間から、日差しが復活すると、反って、蒸し暑さが増す。
蝙蝠扇(かわほりおうぎ)で扇ぎながら、頼子が呟く。
「本当に、夕立なら一気に涼しくなりましたのにね。でも、お姉さまは、明日から、嵯峨の山荘へ行かれるのでしょう?」
「ええ。ねえ、あなたも一緒に行かない?」
「ふふ。止めておきますわ。お邪魔虫ですもの。ね?」
「そんなことはないわよ。でも、嵯峨は京中から通ってくるには遠いから、忙しいお婿さまは来れないかもしれないし、周子(あまねこ)はきっと寂しいわね。」
「あら、ほんのちょっとの間ぐらいなら・・・。でも、明日はお約束が。美子姫と、寺へ詣でるの。日帰りですけれど。ね。知則、明日は、お願いね。」
 縁側の端に座って、扇でばたばたと扇いでいた彼が、こちらを見る。めんどくさそうに。
「はい。はい。お供しますよ。姉上。」
 頼子が、くすっと笑う。
「うふふ。持つべきものは、よく言うことを聞いてくださるかわいい弟ね。暇があったら、山荘へもおいでなさいな。あの人が、この間の囲碁の続きをやりたいって、言っていたわ。」
「あ、それなら、暇をつくって顔を出しますよ。ところで、・・・かの姫のお供を私がして、恨みを買うようなことはないでしょうね。姉上?」
「そんなことはないと思うけれど・・・。」
 首を傾げる周子(あまねこ)に、頼子が、興味深々といった顔をしている。
「そういえば、彼の姫に思いを寄せていた方はどうなったの?」
「あ、それならば・・・。」
 今、二人から、熱心に文が送られてくるという。自宅に宛ててだから、まだ、母親のところで止まっていて、彼女の目にふれるわけでもないが、文が届いていることは、どうやら耳に入っているらしい。
「悪くは思われていないみたい。お二人のどちらなのかは、わからないけれど。でもね。今は、物詣だとか、ゆっくり女どうしで楽しく過ごして、ともかく周りを見ることにしたんですって。」
「なるほど。それは、周子(あまねこ)にとっても、出かける口実が出来て、うれしいことね。」
「あら・・・、そうね。」
 くすっと、笑う。周子(あまねこ)は、知則のほうをちらっと見遣って。
「美子姫は、ありがとうって言ってくださったけれど、私も、気付かされることがあって、良い事もあったのよ。父上がね。」
 と言って、そこで周子(あまねこ)は言葉を途切れさせた。すでに、父母を亡くしている頼子のことを気にする。彼女が、「平気。どうぞ、遠慮なく。」と、すぐに応じてくれたので、なかなか機会もないことだし、思い切って続ける。
 行平から聞いたことを話す。
同時に、どうやら仕事で、彼を気にかけてくれていることも。
知則が、わかってるという顔。
「そうか、姉さんは、顔を合わす機会がないからな。私も、伯父上がいるからいいのに、やはり気にかけてくれていて、それなり、親の恩を思うこともあるから。」
「そうなの・・・。」
「だから、よけい気になるんだろうな。それなら、会いにくればいいのに。伯父上は、別に気にはなさらない。意外と不器用なんだな。今度、言ってみようっと。」
「そうね。言ってみて。」
 ふわん。周子(あまねこ)のほうへ、扇の風が送られる。頼子だ。
「人の縁って、不思議ねえ。」
 ぱたぱた・・・と、自分を扇ぐ。良い方も、悪い方も。こうして、風を送ってくれる時がある。今は、きっと、良い風だ。
「外の暑さも翳ってきたようだし、そろそろ、お暇するわ。また、お話きかせてね。」
 扇で扇ぎながら、外へちょっと注意を向けて、頼子が言う。
「ええ。また。・・といっても、問題ごとばかりは起こらないと思いますけれど。」
「ふふ。性分だわよ。周子(あまねこ)さん、その好奇心おさえられまして?」
「そうね。大人しくしている・・・とは、断言しかねますわ。」
「まあ。ほどほどにね。」
「ええ。ほどほどに。」
 見送られて、頼子は、帰って行った。知則も送って行くため、部屋には、一人。今は、とても静か。行平の早い帰宅を知らせる女房が、やって来る。
今日は、もう、この間のような怪しい騒ぎは起こらないだろう。
周子(あまねこ)は、生気に満ち溢れた、夏の午後の空を見上げ、まぶしげに目を細めた。
                おわり


短夜の 18

2009-06-17 10:08:25 | 短夜の
去って行く彼女を新参議が、じっと見つめている。姿が、消えたあと、後ろを振り向き。
「君たちは、一体、どうしてここに・・・。」
 訊ねられて、行平は、周子(あまねこ)が文を取り戻す約束をしたこと、ついでに彼女にどうしても自分で渡すとねだられ、ここに連れてきたことを白状した。
「なるほど、恋しい人の為には、つい甘くなるとみえる。・・・判断に迷いが生まれることもあるか・・。人のことは言えんな。」
 自嘲の笑みを見せた。
 新参議には、行平は、ちょっと笑って答え、それから、さっきから厳しい顔つきで一点を見つめている弦月を見た。
「弦月どの。」
「あ・・・ここを去るのが、少し、遅くなってしまいましたな。その、名がわかっても決して呼ばないでくだされ。呼べば、呪が生じ、この世に繋ぎ止めるかもしれません。」
 しっと、人差し指を立てて静かにと示す。
 空の細い月が、流れる雲に隠れたその時。
 ゆらゆらと、闇の中で、影が浮かび上がる。一つは、先導する小さな影。もう一つは。
徐々に黒い影がしっかりと人の輪郭になって・・・・。暗いのに、どうして見えるんだ。
 はっきりと人の顔が判別できる。
「!」
 新参議。行平。益治が、息を飲む。周子(あまねこ)だけが、皆の様子を見て、不思議そうな顔をしている。行平が、彼女をそばに引き寄せた。新参議が口を開きそうになっている。弦月が首を横に振って静かにしているようにと、言っている。
 影は、辺りをゆっくりと見回す。目を細めて、じっと西の対の方向を見つめている。一緒に連れている小さな影が、きょろきょろと忙しなく周りを気にしている。人影が、一歩足を前に踏み出したので、慌てたように。
「あ、待て、待て。それ以上は、駄目だ。遠くから、様子を見るだけだと、言ったじゃないか。賭けの内容に反するぞ。・・・まったく、閻魔さまに見つかったら、大目玉だ。もう姿を垣間見たんだ。終わりだ。帰るぞ。」
 と、小さい影が、ぎゃぎゃあ喚く。どうやら、言動から推測するに、冥府の小役人であるらしい。神聖な役職といえども、色々あるものなのか。誘惑に弱い奴であるのは、確か。賭けに負けた代償として、条件はあるが、死者をこの世に連れて来たのだから。
小さい影は、必死で、帰りを促す。
だが、人影の方は、聞いてはいない。一歩、また、一歩。ふらふらと引き寄せられるように、足を踏み出した。
「・・・まだ、泣いていた・・・・。いっそのこと、連れていこうか・・・。」
 そう呟いて、また、一歩前に出た彼の前に、弦月が立った。
「それは、あなた様に都合の良い解釈ですな。」
「どこから・・・。」
「先ほどから、すべてご覧になっていたはずだ。それとも、彼の姫君しか目に入らなかったとでも?」
 穏やかな風貌と反し、弦月の口調は厳しい。
「・・・・・・・・。」
「残念ながら、人にえられた時はそれぞれ、違うものでしてな。どんなに惹かれあっても、どんなに孤独であっても、この世を去るときは一人。」
「・・・・・・・・・。」
 動きをとめて、人影がじっと弦月を見ている。
「それ以上は、前に進んではなりません。戻るのです。理を乱すことは、災禍をもたらすこと。怨霊と化した方々と、同じです。そんなことをしては、もう西方浄土へ行くことはかないますまい。それを、愛しい方にも強いるのですか?」
「・・・・・・・・。」
「それよりは、あちらで蓮の台(うてな)の片方を空けて、待っていられるほうが良い。儚き人の世のこと、待つのも長すぎる時ではないでしょうて。それに、心配はいりません。彼の姫には、助け手があることを、あなたもご覧になられたでしょう?」
「しかし・・・。」
「まだ、ご自分から、その手を掴む気になれないのは仕方のないことです。けれど、随分、表情が変られた。きっと、もう心配ない。さ、早く。その案内人に連れて帰ってもらいなさい。」
 その言葉に呼応して、小さい影が。
「そ、そうだ。早く、戻るぞ。」
 と、叫ぶ。人影は、もう一度、惜しむように西の対の辺りをじっと見ている。
 頷いた。
「迷惑をかけた・・・。」
 ぺこりと皆のいる方へ、頭を下げる。きびすを返すと、小さい影が、飛び跳ね、飛び跳ねて地面に落ちたと思ったら、人影も同時に消えた。
 消えた後、全員から、ほっと大きな溜息が洩れる。
「あれは、彼の姫の亡くなられた夫なのね・・・・。」
 周子(あまねこ)が呟く。彼女が、気を失わないかと、行平が抱き寄せて、支えようとする。「大丈夫です。」と、周子(あまねこ)が、首をふる。
 弦月が、振り返り。
「姫君は、信じられませんかな?」
「いいえ。さすがに、この目で確かに見たあとでは・・・。」
「そうですか・・・・。まあ、こんなことは、普通の人は、めったに遭うことではありませんからな。たまには、こんなこともあると、気に留めて置いてくだされ。そんな時は、頼って下さればよい。恐ろしゅうございましたかな?」
「いいえ。不思議と・・・哀しくはございますけれど。」
「左様。人というものは、迷いの多い生き物。その迷いが、時に、哀しい間違いを引き起こすこともございます。かの方も、かの姫君も、今、やっと迷いを手放すことを決めたところ。姫君については、どうか、暖かい目で見守ってあげてくださいませ。」
 弦月が、頭を下げて、去ろうとする。他の二人に、挨拶して、行平が、周子(あまねこ)の手を引き、後を追う。二人も、別々に、そのまま時を置かずに、立ち去ったようだった。

短夜の 17

2009-06-17 10:06:00 | 短夜の
西門のところに、弦月と、美子姫付きの女房が待っていた。当然、話が通っているので、門を守っていた警護の侍も、あっさりと通してくれる。
 弦月が、行平たちの連れている益治にちらりと視線をやったが、何も訊かず、先を急がせる。姫の部屋のある西の対の、庭先に案内される。
木立の中に立ち、見上げれば、糸のような月。
行平が、ぐるりと辺りを見回すと、斜め右を見たまま視線を止めてしまった。手前には、周子(あまねこ)を待っていた美子姫らしき人影。向うの木陰に、隠れているのは・・・・あれは。
「新参議どの?」
「え?」
 周子(あまねこ)が、聞き返す。益治にもわかったようだ。その隣りで、弦月があからさまに、ほっと力を抜いたのがわかる。
「弦月どの?わざわざ、家人に話を通してくれたのだが、何か、あるのですか。」
「あ・・・否。私の、思い違いなら、いいのだが。念の為。」
 弦月の脳裏には、昼間の、燃え残った焚き火の火に、飛び込むようにして消えた数枚の文が浮かんでいる。自分の老婆心ならいいが・・・・。
「?」
「こういうことを言うと、姫の信頼を失いそうですがな・・・。世の中には、稀に、不思議なことも降って湧いたりするものです。・・・ともかく、その文の束を彼の方に渡してご覧なさい。」
 促されて、訳がわからないまま、周子(あまねこ)は、美子のところへ寄って行って、文を渡す。
大事そうに文の束を両手で抱きしめて、彼女は。
「ありがとう。・・・・・。」
 涙が落ちていく。きらりと光り、頬を伝い、ぽたりと地面に落ちる。
 そのまま、崩れ落ちそうな風情の彼女の耳に、周子(あまねこ)が。
「約束よ。お願い・・・・」
 そばで案じる周子(あまねこ)の瞳に、ちょっと頷いた美子。
「何だか。あなたまで、泣きそうな顔しているわ・・・。」
「・・・そうかしら・・・・。」
「ありがとう・・・でも、きっとこれは、本当は誰か、他の人が書いたものなのね。」
「・・・・・・・・。」
 言葉に詰まった周子(あまねこ)に、軽く肯定するように頷き、ちょっと離れて立っている行平のとなりの、益治を見ている。
「心のどこかで、わかってはいても、縋りたい時もあるのよ・・・・。」
 美子の呟きに、押されるように、向うの木の陰に隠れていた人陰が転がり出た。
「そ、その文は、良かれと、思ってやっていたことなんだ。すまない。かえって、悲しみに留めてしまう結果になってしまった。」
 大の男が、額を地につけんばかりに、頭を垂れて、謝る。すなおに、経緯を話した。
その様子に、美子は目を見張って、じっと聞いている。他に、聞いている周子(あまねこ)も行平も、ここまで案内してくれた女房も、驚いている。
 成り行きから、こうなってしまったことと、素直に、彼女を思う気持ちを打ち明ける。それを聞いていた益治が一人、大きく頷く。
「相手を思いやる気持ち、わかりますよ・・・。私も、姫をずっと思っていたのですから。」
 ぽつりと言った一言に、新参議が顔をあげて、ぽかんとする。
「源の蔵人か・・・。」
 と呟き、
「想っているとは言っても、今は、気持ちを押し付けるつもりはないのです。これ以上、追い詰めないように、ただ、謝りたくて、名乗り出たのです。どうか、あなたを想う気持ちに免じて許してください・・・。」
 新参議は、目を眇めて、美子を見上げた。所在なげなようすだ。
 ずっと黙って聞いていた美子は、目を瞬く。側の周子(あまねこ)の手を取る。
「・・・・今の私は、まだ、目の前のこのお友達と、楽しく過ごすこととか、これまで心配してくれた家族とともに、普通の日常を繰り返していくことぐらいしか、思いつけませんが、・・・でも、お気持ちはありがとう。亡くなったあの人から、頼んだこと・・・いえ、あの人の心を伝えて下さっていたのだもの。そのことには、感謝します。」
「・・・・・・・・。」
答えた美子の瞳には、しっかりと確かな落ち着きが戻っている。それでも、今は、それで手一杯らしく、手が震えているので、周子(あまねこ)が、彼女を自分たちを案内してきた女房に預け、休ませることにした。

短夜の16

2009-06-17 10:01:19 | 短夜の
 夜。細い上弦の月が出ている。
 築地塀の連なる角の一角を一両の牛車が曲がり、人目のない影になった場所に、静かにとまる。従者の一人が、松明を持って御簾の近くへ寄り、松明りの灯りに照らされた外へ、公達が姿を現した。通りがかりの人がいたら、女のもとへ忍んで行くところに見えただろう。実際、そう思って、猛烈な勢いで、向うの方から、駆け寄ってきた者がいる。
「行平どの。ひどいではないか。私の話を聞いて、興味を持たれたのは分るが、遊び心で、ちょっかいかけようなんて。」
 源益治だ。行平は、ぎょっと後ろを振り返って。
「なんだ。諦めずに、がんばることにしたのか・・・。」
 ちらりと、牛車の中を気にする。益治が、その仕草に首を捻り。
「連れがいるのか?まさか。その連れと誰があの人を落とせるかなんていう遊びをしようと、思っているのじゃ・・・。」
「とんだ濡れ衣だ。そうじゃなくて、これには事情が・・・。」
 益治の言葉に、重ねるように慌てて取り消す、行平は、まだ、牛車の中を気にしていて、諦めたように、溜息をつく。
「くれぐれも、吹聴しないでくれよ。」
 念を押し、それから、松明の灯りに明々と照らされないように、従者に少し、車から離れるように指示する。
益治がじっと見つめる。薄暗い中で、御簾をあげて現われたのは、女。
益治の目の前で、行平は、その女を壊れ物を扱うように大切に、抱き上げて、地に下ろした。女の被きを、目深く下ろさせて、顔を見られないようにしてやっている。
身につけている上質の衣といい、彼の態度も、女が、あきらかに、どこかの姫君だと、益治にも分る。女は、もちろん、周子(あまねこ)だ。
「妻だ。その・・・この姫君は、少々じゃじゃ馬でな。」
 行平の言葉に、反論するように周子(あまねこ)は、顔を上げかけたが、彼の知り合いの前なので、抑える。益治は、あっけにとられた顔をしている。
「奥方と、なぜ、こんなところに・・・いや、こんな夜更けに出かける。えっと・・・ん?」
 非常識も甚だしい話なので、混乱している。
「ま、そこはもう、あえて考えないでくれ、目の前にある現象をそのまま、受け入れてくれないか。俺だって、代わりに持っていってやると言ったのに、聞かなくてな。」
「・・・・・・。」
 周子(あまねこ)が、益治に、あの文の束をそれとわかるように掲げて示す。彼は、その薄様の紙の束に、じっと視線を注いでいる。
 行平が、ことの仔細を話した。周子(あまねこ)のもとに、間違って届いた文から、ここの姫と知り合い、文を取り上げられて、鬱々としていた彼女に取り戻してあげると約束してしまったこと。それが、亡くなった夫からの物だと信じ込んでいたのだが、もう、一方で、行平が益治から聞いた話とつながって、本当は、彼の姫を励まそうと、文を交わしていたのが、その夫の友人だった新参議に行き着いたこと。
それで、今夜、陰陽師のところにあった文を受け取って、渡しに来たと説明する。
「なるほど、そんなことが・・・・。繊細そうな方だったものな。いきなり現実を受けとめろと強制されても、無理そうだ。」
 益治が、しきりと頷いている。
「まあ。そう言う事だから、変な誤解をしないでくれ。」
 という行平の袖の端を周子(あまねこ)が引いている。何か、話をしたいらしい。しぶしぶ、行平が承知する。益治の耳に、高い澄んだ声が響いた。
「あの、さっきの言葉を聞いて、無理強いなどなさる方じゃないと、思いました。だから、本当に、彼の姫を思う気持ちがおありならば、ここにも、あなたを思う人がいるのだということを示してみて下さい。」
「しかし、新参議が・・・。」
「その方だって、彼の姫はご存知ありません。それに、恋を打ち明けたって、受け入れてもらえるかどうかも、わからないのですもの。でも、今、彼の姫の時は、止まったままなのです。何が、あの方の止まった時を動かすことになるのか、恋じゃないかもしれないけれど、出来れば、選択肢は多いほうがいいもの。」
「・・・・・・・・。」
 益治が、息も忘れたように、動きを止めている。行平が、周子(あまねこ)の言葉に頷く。
「恋しい人の為を思う気持ちがあるなら・・・か。それに、伝えなければ、気持ちが伝わらないのは当然じゃないか。」
 じゃあなと言って、彼を置いて、立ち去ろうとする行平たちを、益治は追いかけてきた。
 自分も連れて行ってくれと頼む。けれども、いきなりでは、反って彼の姫の状態には良くないかもしれないからと、断るのに食い下がる。
「心配なんだ。お願いだ。伝える云々は、もっとゆっくりかまえてやるから。」
 と、頼まれては仕方がない。彼も、後ろからついて来ることになった。

短夜の 15

2009-06-10 10:12:06 | 短夜の
行平は、ちょっと笑って、周子(あまねこ)に伝える。
「本当に伝えなければわからないのに、案外、人は不器用だな。」
 その言葉に、こくり、周子(あまねこ)が頷く。
 思えばそれなりに気にかけてももらっていたのだ。たまたま、美子姫に係わって、泣いている彼女を見て、母の亡くなった時のことを思い出した。いろいろあって、頑なになっていたから、そんな思い出があったことすら、忘れていた。周子(あまねこ)が、行方を晦まして戻って来た時も、心配をかけていたことを知った。あんなに取り乱した父は、見たことがなかった。今なら、行平から伝え聞いたことを、素直に信じられる。
するすると、他にも忘れている思い出が蘇る。
気付かなかっただけで、周子(あまねこ)はちゃんと愛情を受け取っていた。ゆらゆらと、周子(あまねこ)の瞳が、心地良さそうに揺れる。
ふわりと、極上の笑みを浮かべ、「ありがとう。」と、行平に伝える。
 ちょうど、そこへ、従者が戻って来て、弦月は在宅していたようだ。「どうぞ。中へお入りくだされ。とのことです。」と言ったので、そのまま、、二人は、車を降りて行く。
 さほど、大きな屋敷でもないので、客を通す部屋へはすぐに、着いた。
 見ると、弦月が庭から、上がって来る。
 真夏なのに、焚き火のあとがある・・・・・。火はまだ、灰の間にちらちらと赤い色が残っている。階から上がってくる弦月は、もう頭髪が真っ白くなっている年だというのに、足取りは確かだ。おだやかな風貌は、学者風で、とても、普段怪異だの退魔だの、相手にしている者とも思えない感じだ。廂の間に座っている行平の前に、落ち着く。
「お初にお目にかかります。衛門の佐さま。懇意にしていただいている中納言さまからは、お人柄も好い方だと伺っております。今後は、衛門の佐さまに置かれましても、どうぞ良しなに。お引き立てください。・・・ところで、急なお越しでございますな。奥方まで、お連れになって。」
 それから、雑草を刈り取り、庭で焼いて処分した火を消したところで、暑いのによけい暑気が増して、申し訳ないと付け加える。
「いや。頼みがあって。呼びつけるのもどうかと思い、こうして訪ねて参った次第だ。本来は、頼める筋のものでもない。理由を聞くだけは聞いてもらい、あとは、弦月どのの胸の内に収めてもらえるかどうかということなのだ。」
「それは、先に奥方さまからの頼みに関係することですな?」
「そうだ。ともかくも、聞いてはくれぬか?」
「・・・・・ものは言いようでございまするな。理由を伺えば、恐らく、頼みをお断りすることは出来ないでしょう。中納言家の姫君さまのことです。依頼主の方に良かれと思って動かれていることでしょうから・・・・。人の情を無視することは、なかなか後味の悪いことでございます。それは、承知いたしておることなのです。」
「うむ。すまない。依頼の内容を違えては、弦月どのの面目も立たぬ。今後の仕事にも差し支えあるかも知れねぬと分っていて頼むのだから、もし、断るつもりなら、聞かずにこのまま断ってくれていい。他に方法がないわけではないから。もっとも、今弦月どののもとにある文を返してもらう方が好いのだが。」
「・・・・・・・・。」
 弦月は、しばらく黙って、行平を見ていた。上品な物腰。眉がしっかりとした表情を刻んでいて、柔和ないかにものらりくらりといった多くの公達とは、少し違う印象を与える。
 かと言って、人にきついという印象を持たせるほどではない。
のらりくらりとしていても、身分が下の者には、容赦ない人種がいるのと比べると、彼は、まだ、こちらの立場を分っていると言っただけましだ。逃げ道をつくってくれてはいる。とは言え、ここまで言われてしまっては、話を詳しく聞かないことは、人情として、どうかと、思うのだが。
「さてさて・・・ものには、匙加減というものがございます。受けた依頼についても、解釈の仕様は、つくれますから。どうやら、文について、何か、情報を持っておられるご様子。」
「聞いていただけるか。ありがとう。」
 行平の言葉に、弦月が目許を緩める。
 話は、まず、行平の後ろに几帳を隔てて座っている周子(あまねこ)の口から、文の持ち主の美子姫のようすから、心の拠り所を返してあげたほうが良いと思って、約束をしたことを話す。それから、行平が、その文がちゃんと、送り主がこの世に存在するのだということを説明する。
「そういうことでございますか・・・。気鬱から、立ち直るということは、なかなか難しいことでございますからな。文を奥方のような人から、返してもらい、話し相手をつくり、ゆっくりとまわりを見るようになるのも、良い事なのかもしれません。くれぐれも、事を急がれませんように。」
 といって、奥から、蓋のない箱に入った文の束を持って来た。風に、飛ばされないように小さな石が上に置かれていた。その小石を取り、床に置いて、行平たちへ、弦月が、箱ごと向うへ押しやろうとした時、一陣の風が吹く。
夏の暑い時期であり、清涼感に気を緩める。
ふわりと、数枚が風に舞い、あっと思ったときには、まだ、燻っていた焚き火の中へ、飛び込んでしまった。
「これは・・・・。私から、詫びておきますかな。」
 弦月が、溜息をつく。まだ、文は沢山あるので、仕方がないと、周子(あまねこ)もそれは諦めることにした。それを貰い、礼を言って戻ろうと、立ち上がりかける。返すに当たって、弦月が、同行させてくれと言った。
「少し、思うところがありまして。何、今後間違いのないように、家族の方にも、姫にも、布石しておかねばなりませんから。」
 何か思うところがありそうだ。訊ねかけた周子(あまねこ)を、首を横に振って、行平は、止める。
「それでは、いったん、戻りまして、あちらに文を返すあたりをつけてから、連絡します。」
「今夜にでも、返したほうがいい・・・。」
「今夜・・・。」
 何とか、しましょうと言って、行平は、約束する。周子(あまねこ)とふたり、弦月の家を出た。

短夜の 14

2009-06-10 10:09:55 | 短夜の
 新参議に、文を渡したのは、仕事の合間に、たまたま、廊下ですれ違う機会に恵まれたからだ。でなければ、午後から、帰りの時を狙って彼を、探さなければならなかった。自分の妻のもとに間違って届いた文を持ってきた怪しい使者の現われ方といい、普通の恋ではなさそうなので、「どういうお知り合いですか?」というふうなことを訊いたと思う。
ちょっと、困ったような新参議が開きかけた口を閉じ、首を振って、行平の後ろの方を示した。周子(あまねこ)の父の宰相が、すぐ近くまで来ている。
用があるみたいで、行平を呼び止める機会を伺っているみたいだ。
なので、「あとで、話すから。」と言い、新参議は、立ち去って行った。
周子(あまねこ)の父は、今朝提出された報告書を持っている。彼は、実務に長けているので、不都合があった時など、たまにこっそり教えてくれるようになった。
今も、報告書を持っている。行平の作成したやつだ。「これでも十分ではあるが、ここのところは、こうした方がいい。」「ああ。なるほど。・・ご指導ありがとうございます。」「うむ。」そのまま立ち去ろうとした行平を留める。
ぱしっと、後ろ身頃の一部をつかまれ、行平は、困惑の表情を浮かべる。
「今朝、兄上から聞いた。また、妻が、周子(あまねこ)に何かしたとか・・・。あの子は、傷ついていないか?」
「え・・?一体、どんなふうに伝わってるんだか。」
 行平は、事の顛末を話して聞かせた。こちらでは、文の行き違いと、はっきりさっきわかったばかりだから、中納言家では、まだ、半信半疑の状態だったのかもしれない。
周子(あまねこ)の父は、うんうん、頷いて、ほっとしている。それから、自分の記憶を手繰って。
「その間違いの文の主が、新参議か・・・。あのな、確か、その姫、物の怪付とかで有名な女だろう?」
「え?」
「まあ、気鬱の病ってところだろうが・・・噂はたまに残酷に変化していくからな。」
「そうですね・・・。」
「その姫の亡き夫と、あの新参議は、かなり仲がよかったのではないか。」
「そういう繋がり・・・ですか。」
「うむ。」
 教えてくれ、立ち去りかけて、ちょっと振り向く。
「・・・・・言えた義理ではないが、あの子のこと、頼むな。」
「父君が案じていたと、姫に伝えておきますよ。」
 立ち去る背中に、声をかけたのだが、周子(あまねこ)の父は首を横に振って、行ってしまった。

短夜の 13

2009-06-10 10:00:21 | 短夜の
 牛車の中で、行平にぴったりと寄り添いながら、周子(あまねこ)は、彼の話を聞いている。内容は、もちろん、細々と詳細を語ったのではなく、たまたま、同僚の失恋話から、文の宛て先が、新参議に行き着いたということ。かい摘んで、必要なことだけ、彼は、話した。
「それでは、その方が、手紙の送り主なの?あの、気味の悪い使者も・・・。どうして、そんなややこしいことを。」
「うん。それについては、その時は、仕事があるので詳しくは聞けなかったのだが、たまたま、周子(あまねこ)の父上・・・宰相どのに、別件でだが、呼び止められてな。その・・・会話を聞かれてしまったらしくて、ついでに、新参議がその女の亡くなった夫と親しかったと聞いた。それで、あらかた想像は、していたんだが。」
 確かに文が彼への物だと、わかってから、抗議する口調ではなかったが、文がこちらへ来た経緯を話すと、怯えさせたお詫びにと、後で仕事が一段落した時に、新参議本人が教えてくれた。亡くなる前に、親友から、一通の文を託されたのだと。もしも、彼女が、いつまでも自分を思って泣いているなら、それを届けてくれと。
 周子(あまねこ)が、身動ぎした。動くと、袖に焚き染められた香りが、ふわりと広がる。行平から、視線を外して、前の方を見つめてる。また、空を見ているのかな。まだ、日は傾いていない。御簾ごしに透けて見える真っ直ぐに伸びた道の先に空は見える。彼女は、何か考えることがあるとき、そうしていることが多い。行平は、ふと、それを邪魔して見たくなり、彼女の白い面に手を延ばす。周子(あまねこ)が、いきなりこちらを向く。目をぱちぱちさせる。
「内容は、自分のことは忘れても、君の幸せを祈っている・・・。あの文にあった一文。」
 それに、行平が頷く。
「ああ。その勘違いのきっかけもあの粗忽者のせいだ。もうひとつ、それを託された理由と、労わりの言葉をかけた文もあったんだが、どうやら、それを落としてしまったらしい。」
 なぜ、そんな文使いをと思ってしまうが、彼は、呆れた粗忽者だが、身軽で、塀をも越えて楽々中へ進入することが出来るので、使い続けたらしい。
秘密も守ることが出来、その点の信用度は高かった。
迷惑な。それも、考えものだわね。と、周子(あまねこ)は考えたが。
「それで勘違いなさったのね。すがりたい気持ちがおありだったから、思い込んだ。」
「返事がついてきて、それを読んだ、新参議が、同情から、つい、次の文を捏造することになって・・・。けれど、内容は、そのうち気付くように、思い出話などは最初のうちだけで、あとは、季節の話題や、返事に答えた内容だったらしい。そのうち、同情から、本当に慕う気持ちにすり替わってしまったらしい。」
「それじゃあ、そんな紛らわしいことを続けずに、打ち明ければよろしかったのに。男の方なのに、意気地がありませんわ。そのせいで、反って、悲しみにすがる結果になってしまったのかもしれないのに・・・。」
 ちょっと、つんとした顔。勢い目の前の、行平に怒っているような形になり。
「俺に、怒るなよ。それに、本気であればこそ、あれこれ考えてしまうのもわかる。相手に、どんなふうに、思われるか、嫌われないかと、結構どきどきするもんだぞ?」
「・・・・・そうなんですか?」
 周子(あまねこ)の丸くなった茶色い目がみてる。互いの瞳が、同時に微笑む。行平が彼女をもっと近くに引き寄せようと頬に手をのばす。それよりも、早く、周子(あまねこ)の方から、胸に飛び込んで来た。
「伝えなければ、わかりませんわね。わかっていても、どうして、躊躇ってしまうのかしら・・・。」
 そっと、行平の袖が周子(あまねこ)を包む。しばらくすると、牛車が止まった。
 訪問を伝えに、従者が中へ取次ぎを頼みに入っていく。その間、道の隅に止められた牛車で待つ。行平は、思い出したように。
「伝えるで、思い出した。さっき、宰相どのに、呼び止められたと言っただろう?」

短夜の 12

2009-06-10 09:54:21 | 短夜の
まだ、夜の明けないうちに、行平は、何食わぬ顔で、内裏の内へと戻った。
靴を脱いで、上に上がろうと思い近付こうとすると、先客がいる。
内緒で抜け出した、お互い、同じ穴の狢というわけだが、顔を合わせれば、気まずいに決まってる。そいつが、去るまで、身を隠す。そいつは、靴を奥に放り投げ、何食わぬ顔で、上に上がって行った。出ようと、思っていると、また、一人。
その人影は、しばらく、靴の並びに首を傾げ考えていたあと、何と一番奥の靴を一番手前にどけ、自分の靴を空いた奥に入れていく。場所は、限られているので、どけなければ自分のが置けない道理なのだが、こうして見ると滑稽だ。と、わかってはみても、都合の悪い事実を隠すために、ついつい、小細工を弄したくなるのも、人の常。
考えていたのがいけなかったのか、行平は、あと何人かの行動を見守ってしまうことになった。なるほど、ああしてほぼ毎日、置いていたはずの辺りに自分の靴が見当たらないのか・・・。しかし、面白いのは、人間心理というか、手前からいくつめとか、奥からいくつめだとか、動かすのは大抵端に近い部分だ。じゃ、なるべく真ん中に割り込ますか・・・と出て行きかけて、また、人がやって来た。
今度の奴は、行動が遅い。
 勘弁してくれよ、もう・・・・。早くしないと、時間が経ってしまう。入り口で、のろのろ溜息なんかつくな。どけ。心の中で、いらいらと悪態をつく。それでも、なかなか、退かないようなので、行平は、とうとう諦めて、その人物の後ろに立ち、ぽんと肩を叩く。
 さすがに、もう戻らないと、ばればれだ。その人物が、自分より下位の源の蔵人だったので、バツは悪いが、背に腹は変えられない。
「益治(ますはる)。後朝(きぬぎぬ)の別れが、つらいのはわかるが、いい加減、戻んないと、ばれるぞ。」
 益治がぎょっとしたように、顔を向ける。行平だと、わかると、ちょっと意外そうな目を向けたが、頷き。
「行平どの・・・あ、そう言えば、新婚でしたっけ・・・。」
 年は、益治の方が、いくつか上だが、上下関係が逆転しているので、幾分、丁寧な物言いだ。俺、そんなまじめじゃないけれど、と、首を捻りながらも、急ぐので、行平は、靴を脱いで、上に上がることを急いだ。
「あ・・駄目だって、この辺に、割り込ませた方がいいぞ。」
 やっぱり法則通り、奥へ放り投げようとしていたので、行平は、真ん中辺りを指差す。要領よく、隙間を調節しておくと、同じように、益治も置く。
不思議そうに見ているので、にやっと笑って、「内緒な。」と言って。
さっきまで、見物していたことを、教えてやった。
 へえと、益治が感心している。まだ、幾分顔色は、優れないが、少し浮上したようだ。
 恋人との別れが辛いというよりも、失恋でもしたような顔だな。
行平は、ちらりと、となりの彼の表情を見て取る。
「顔色悪いぞ。具合が悪いなら、あと少しくらいなら間がある。横にでもなっていたほうがいいのではないか?」
「はあ。そんなに、酷い顔してますか・・・。」
「まあな・・・。」
 行平の返事に、益治が、はあ・・・と情けなさそうに溜息をつく。
「失恋決定かなというところですからね。といっても、私は、忍んで行く勇気もなく、彼女の家の辺りをうろうろしていただけなんですがね。」
 半ば、自分にあきれているような表情。歌を送り、あの手、この手で、その女に、恋をしているという意思表示をすることも出来ず、垣間見という偶然を期待し、うろうろしているばかり。
 もしかして、余程、権門の家の娘にでも懸想しているのか・・・。それならば、文を送ってみても、本人には届かない場合もあるから、始めから、諦めているのもわかる。しかし、両親の目を盗んで届ける方法がないとも言いきれないが・・・。
 従者の一人に、その家に仕える女と親しくさせて、文を届けるとか。あまりお勧めではないが、まず、姫の身辺の侍女を篭絡して、手引きさせるとか・・・。成就しても、その後、気まずい立場になることも容易に想像できることなので、やったことはないが。他にも、あの手、この手。と、これは、周子(あまねこ)には聞かせられないなと(事実、ちゃっかりこのあたりの都合の悪い話は、周子(あまねこ)には話さず省いたが)、彼女の機嫌を損ねた表情が、頭に浮かび、行平は、ちょっと頬を引きつらせながら、益治に、言ってみる。
「文の一つでも送って、意思表示しないと、始まらないのではないか?」
「それも、重々、考えたけれど・・・もう、遅いんです。」
 もちろん、行平が言ったことは、酒を飲みながら、出てくるような話題でもあるので、益治も知っている。けれど、遅いのだ。すでに、通う人がいるようだと。
たまたま、母と妹の物詣に付き合わされて、寺へ参詣に行った時、夫の冥福を祈る為に来ていた彼女の一行とかち合い、姿を垣間見てしまった。夫を亡くして以来、時々具合を悪くするほど、気落ちして、もう随分経つというのにまだ、時々、寝込んだりすることがあるというのを聞き、さもありなんと納得したものだ。
華奢で、儚げな姿は、風にも耐えないといった風情だったから。
以来、ずっと憧れ続けていたが、夫を慕って泣いていた、か細い、繊細そうなようすに、声をかけそびれて、とうとう、昨日、失恋が決定した。
「新参議どのの姿を見かけたのです。」
 参議は、もちろん複数いるので、周子(あまねこ)の父ではない。この春、参議に昇格した人物のことだ。彼が、こっそり、屋敷から出てくるのを見てしまったので、決定的だ。
益治とは違い、身分も高い彼ならば、姫の家も拒む理由はないだろう。益治だって、そんなに悪くはないが、比べれば一目瞭然だ。
 そう思って、はあと、溜息をつく益治。
こっそりねえ・・・。行平は、心の中で呟く。なら、まだ、婿に迎えられたってわけでもないのではないか。競ってみても、間に合うかもしれないとは、この勇気のない男に、掛ける言葉ではない。と、そこまで、考えて、ふと、新参議も、昨日は宿直(とのい)だったなあ・・と思い出す。
「昨日、新参議も、宿直(とのい)だったではないか。結構、さぼり魔はいるもんだな。」
 あきれ声が、少し、ひょうきんな感じで、それに、益治が気を取り直して、救われたような顔になる。
「元気だせ。もしかしたら、そこの家の女房が目当てかもしれないし、確かめるぐらいはしたほうが、いいんじゃないか?」
 益治が、ちょっと笑ったようだったが、行平は、用を思い出したと言い、すぐに、立ち去ってしまったから、確かではないが・・・・。
左小弁を探した。まだ、あの文を持っているなら、中を見てみる。
新参議なら、行平と同じくらいの身長だ。まだ、こっそり、忍ぶような関係なのだとしたら、極秘に文のやり取りもあり得る。彼だとしたら、相手の家から認められないというのが、少し変な気がするが。
暗闇で何となく立っている人の輪郭だけで言うなら、間違えられる可能性はある。武芸が得意な行平はとにかく、姿勢がいい。新参議も、弓が得意なので、姿勢が良い。
文がまだあるなら、持って行って、確かめてみる。
それから、あの不気味だけれど、粗忽な使者のことを訊いてみれば、良い。
 左小弁・・・敦時は、捨てておくのを忘れて、やはり、まだ持っていた。
中を改め、内容的にも、益治の話した女の身の上と一致しそうだったので、一か八か、新参議にと、言付かったと言って、反応を見てみることにした。



弓矢の写真を貼ってみました・・・。


短夜の 11

2009-06-10 09:48:01 | 短夜の
 家へ帰ってから、弦月へ使いをやり、手紙を見せてくれるように頼む。
すると、やはり依頼主以外の他者に、お見せするわけにはいかないから、懇意の姫君の頼みでも、今回は諦めてくれという返事が来た。
 やっぱり、駄目か・・・。う~んと、周子(あまねこ)は、考える。
おそらく大事な物なので、自分で持ってくると思い、手間を省いたのがいけなかった。詳しい経緯は、弦月に会って直接、聞いてもらうつもりだったので、それなら、別件で、来てもらうほうがよかったか・・・。
 こちらから出向くしかないわね、と。さすがに、女一人で訪ねて行くことは家の者にも止められるから、弟の知則について来てもらおうと、彼を呼びにやるように、頼もうと思い、近くに控えている侍女に、口を開きかけたその時。
 寝殿の方に、人の気配がしているのに気付く。控えていた侍女も気がつく。
「婿君が、お戻りのようですね?」
向うがばたばたという感じでもなく、それでいて、忙しく立ち働く人の気配がしていたから。半ば、供住に近い状態ではあるが、まだ、新婚で、行平も自分の自宅に帰っていることもあるので、妻の養父母から、寝殿でもてなしを受けたりもする。通ってくる婿の足が遠のかないようにと、妻方が様々に心配りをするのは、どこの家でも見かける風景だ。
 そう言った侍女は、ちょっと廊下へ出て行って、しばらくして戻ってくる。他にも、周子(あまねこ)付の女房たちを連れている。彼女たちは、入ってくると、同時に、室礼を整える。
「お衣装を改めている暇はありませんね。姫さま。せめて、お髪を梳いて、整えましょうか?」
「そうね。衣装は、出かけていてそのままだし、みっともないものを着ているわけではないから、気にすることないわ。髪は、お願い。」
「では。」
 手早く、櫛箱から、櫛を取り出し、長い髪を梳いていく。ぼさぼさになっているわけではないが、気持ちの問題なので、髪を梳いてくれる侍女もその辺は心得ていて、一通り櫛をさっと通して、それから、周子(あまねこ)の衣装が着崩れがないか確かめる。襟の袷を、ちょっと引っ張って直す。真夏なので、本来なら、袴に上は、薄物の単衣をちょっとひっかけているだけなので、露出度が高く、不用意に人前に出られない格好なのだが、外から帰ってきて、また出かける気まんまんだったので、衣は、きっちりと着重ねられている。
「今日、お戻りになれるとは思わなかったわ。」
 周子(あまねこ)の言葉に、その裾を整えていた侍女が、顔を上げる。
「何でも、夏ばてで、このところ休んでいた同僚の方たちが出てこられるようになったとかで、その分、少し、休養をとれるようになったと、おっしゃってましたよ。中納言さまとお話なさっていました。」
「まあ、それで、このところ、宿直(とのい)が続いていたのね。それで、今、伯父さまと、お話なさってるのね。」
「はい。でも、酒(ささ)など召し上がるわけでもなく、世間話をしているだけみたいでしたから、すぐにこちらへ、お渡りになられるようでしたけれど。」
「そう、じゃあ、もうそろそろね。」
 そう言っていると、もう、廊下の角を曲がって、向うから、やってくるのが伺える。
 廂の間から、中へ、行平が入ってきた。
「おかえりなさいませ。」
 周子(あまねこ)がにっこり、迎える。着替えなど、一斉に、侍女たちが、婿君の世話に取り掛かる。本当は、姫君はこういう時、世話は、周りの者にまかせてしまえばよいのだが、性分から、周子(あまねこ)もついつい手を添えて、指示をしつつ、勢い侍女頭のような感じで、世話を焼いてしまっている。甲斐甲斐しいのはいいが、姫君らしくないと、ちょっと反省しながらも、伯母さまだって、自分でおやりになっているもの、いいわよねっと、半ば、肯定しつつ、と言ったところ。
 行平は、退出して、真っ直ぐこちらへ帰ってきたのだろう。
束帯を解いて、普段着の直衣に着替る。夏らしく、二藍の直衣だ。
落ち着き、寛いで、周子(あまねこ)のそばに、座ると、彼女が今日、近くの伯母の友人宅へ出かけていたことを訊ねた。周子(あまねこ)は、見舞いと称して、文を届けに行った先で出会った出来事を語る。彼女が取り上げられた文を取り戻してあげると約束したことも、素直に話す。
もちろん、控えている侍女たちの口から、間接的に伯母の耳に入ることは、分っていてである。やたら、他所に吹聴して回る者は、周子(あまねこ)のそばには仕えていないし、伯母も、それは同じだろう。ただ、何をしているかぐらいは、何となく伝わるようには、しておいたほうがいいと思って、人払いはしなかった。
 弟の知則を呼んで、弦月のところへ、頼みに行こうと思っていたと、聞いて、行平は頷いた。
「お願いする人が間違っているよ。」
 にっと、いたづらっぽく口角が上がる。
「え・・・。連れて行って下さるの?」
「どうしようか?」
 じっと見つめてくる行平の瞳に、周子(あまねこ)の顔にぱああっと、笑顔が広がるのが映る。
「行平さま。お願い。連れて行ってくださいませ。」
 この笑顔、凶悪・・・。何でも言うことを聞いてしまいそうだ。
気付いているのか、いないのか、普段は不器用なのかと思うくらい、自分の気持ちを表すことがへたなのに、時々、ここぞという時に、周子(あまねこ)は、お願い上手だ。茶色みがかった瞳、真夏でもぬけるように白い頬を輝かせている周子(あまねこ)を見つめ、行平は、思う。
控えている侍女たちに、視線を移し。
「その弦月という陰陽師の宅は、ここから遠いのか?」
「いいえ。近いです。歩いていけるほど・・・同じ通りを、東へ、賀茂川に近いところまで行きますが。その辺りは、垣根もないような小さい家ばかりで、塀に囲まれて見栄えのする家は、弦月どののお宅だけですから、すぐ分ると思います。」
 そう聞くと、行平は、周子(あまねこ)に。
「夏の日は、暮れるのが遅い。これから、出かけていっても差し支えないだろう。」
 何か含みがありそうな目をしている。周子(あまねこ)が、ちょっと不思議そうな顔をしていたが、頷き、侍女たちに、「出かける準備を。」と言う。
 牛車を仕立て、供は少なめに出かける。
 行く道の途中で、行平が、今朝からの出来事を、周子(あまねこ)に話して聞かせた。





短夜の 10

2009-06-03 11:21:27 | 短夜の
いつまでも、泣いていた私。あの時、父が。
「いつまでも涙で曇った目をしていると、大切な母上との楽しい思い出も、全部、涙で湿ったものになってしまうぞ。」
ああそう、あの時は、しばらく、父も呆けたように座っていた。珍しく、向うの家にも行かず長く、こちらで過ごしていた。
「末の露、本の雫や世の中の おくれ先立つためしなるらむ 」
と、古歌を呟き。遅くても、早くても、いつかは、皆、あの世へ旅立つ。
その理は、どんな人でも変らない。
その時が来るまで、人は、生きるのだ。
周子(あまねこ)には周子(あまねこ)の、母には母の、父には父の、それぞれの時がある。
別れは辛くて寂しい。
でも、どうせなら、自分のための時を大切に生きて欲しい。
母ならば、きっと、周子(あまねこ)の笑顔を望むだろうと。
「いつか、会えるから、その時まで、鮮やかな思い出は胸の中にそっとしまっておくんだ。どうせなら、薄情にも私を置いて逝った人に、やきもちを焼かせるくらい、楽しい思い出のひとつも増やして、きっと、あの世に行ったら、一番に、恨み言をいいにやってくるくらいなのもいいかもしれない。そしたら、捕まえて、もう、離さないんだ。」
そんなことを言って・・・後半は、娘の為というよりも、自分の為の言葉だけど。不覚にも、そういうのも、ありかなと、思った。




 けれど、それは、今のこの方には、言えないこと・・・・。
 美子は、もう泣いてはいないけれど、黙って宙を見つめたままだ。
涼しげな二藍の青い袿が、裾が床に広がり、波打つ滝のような黒髪も・・・動かない彼女は、まるで、等身大のお人形。
小柄で、顔も肩もつくりが華奢なだけに、痛々しく感じる。
周子(あまねこ)が、溜息を漏らす。
もう、この方、今にも折れそうだわ。心が、俯いたままだと、そのまま床について、本当に病になって亡くなってしまいかねない。
 どうすれば、元気になるのだろう・・・・・。周子(あまねこ)は、ちらりと、部屋の隅に控える女房たちを見る。彼女たちは、姫のこの様子にはなれているのか、表情を崩すこともなく、じっと座っている。周子(あまねこ)は、
「ここは、とりあえず落ち着いているから、お方さまのところへ、報告に行って下さい。」
「はい。」
「私がついているから。」
と言って、残ろうとしていた美子姫付の侍女も、一緒に行かせる。
彼女達が、対の屋から、遠く去っていく気配を確かめ、思い切って周子(あまねこ)は話しかける。
「大事な文を、取り戻しましょう?」
 肩を揺さぶり、注意を惹きながら、言った。
何となく、文は、生きている人が書いているのだと思った。
だったら、持っていても、大丈夫だ。もしも、それが、この方の、新しい縁につながるのだとしたら、もっと安心出来るのだが。贅沢は、この際言わない。心の拠り所を失くしてしまい、それで駄目になってしまってはいけない。
とにかく、心を慰めるものが必要なのだ。
周子(あまねこ)の言葉に、動かない人形のようだった美子が反応する。
「・・・どうやって?」
「方法は、まかせて?まず、預けた陰陽師の名を教えて頂戴。」
「おそらく、いつも出入りしている弦月という名の方だとおもいますけれど・・・。」
「弦月どのなら、私顔見知りなの。頼んでみる。いいえ、駄目でも、押しかけて、どうでも取り返すわ。そのかわり・・・。」
「そのかわり?」
「もう、泣いてばっかりいないで。この文には、あなたの幸せを願っているってあるでしょ?少なくとも、幸せなら、涙で曇った目でまわりをみていないわ。あなたを、思うこれ程までの気持ち、受け止めてあげなくてはいけないわ。」
「・・・・・・・・・。」
「末の露、本の滴や世の中の・・って、お歌あるでしょ。皆、それぞれ与えられた時を生きたら、あちらで会えるのよ。その時、胸を張ってちゃんと、幸せになるように生きたわよって。あなたのお気持ちを受け止めたわって、誇らしげに告げたいじゃない?その時は、ちょっとだけ、会えなかった寂しさも、文句も言ってみるといいわ。どんなふうに、生きるのがいいか、ちょっとづつでもいいから、考えてみて?」
 美子は、ぽかんと目を見開いて、こちらを見ている。
こんな言葉じゃ駄目かしら。
それまでとは違い目に、不安そうなかげりが生まれる。
その周子(あまねこ)の目を覗いて。
美子がこくりと頷くのが映る。うれしくなって、周子(あまねこ)は、ぱっと顔を輝かせ、大きく頷く。なるべく、早く、連絡するからと言い、ちょうど、報告に行った侍女が一人戻ってくる気配がしたので、「これは、内緒ね。」と言うと、美子がほのかに微笑む。
戻って来た侍女は、そのようすに目を丸くして驚いている。
「それでは、また、お邪魔させてもらうわね。美子姫。」
「ええ。御待ちしているわ。周子(あまねこ)姫。」
 まだ少し寂しげな表情ではあったが、微笑んでいる。周子(あまねこ)が、立ち上がる瞬間、
「・・・・・ありがとう。」
小さな囁きが、耳に入る。小さく頷いて、周子(あまねこ)は、部屋を出る。
伯母と二人、そのお屋敷をお暇することになった。
 帰りの車の中で、伯母は。
「周子(あまねこ)ったら、どんな魔法を使ったの?」
「まだ、完成していないから・・・伯母さま。しばらく、黙って、成り行きを見ていてくださいませんか?うまくいくかどうか・・・。」
「そう、あの姫の様子ではねえ・・・・。うまくいかなくても、仕方がないわよねえ。気の病ばかりは・・・・。周子(あまねこ)の負担にならないか心配。でも、放っておけないのね?」
「はい。」
「ではね。助けが要るときはちゃんと言うのよ?やれるだけのことをやってみなさいな。」
 励ましてくれたので、周子(あまねこ)は少なからず、ほっとした。
 あとは、事が良い方へ転がるのを祈るばかりだ。

短夜の 9

2009-06-03 11:19:25 | 短夜の
ここの女房たちも異変に気付いて、ばたばたと、周子(あまねこ)に付いて来る。取り乱したようすの姫君が、自分の部屋に閉じこもるのを心配して、彼女付きの女房たちも、部屋に入ってきて、美子の部屋は、一時、人がたくさん詰まっていた。とりあえず、早まったことをするのではなさそうなので、周子(あまねこ)は、お方さま付と、美子付の女房を一人づつ残し、あとは退くように言った。二人の女房たちには、部屋の隅で控えていて欲しいと頼む。
 周子(あまねこ)は、美子が座っているところへ近寄る。
美子は、文を胸に抱きしめたまま、ぎゅっと、目を閉じている。
 そろそろと裾を引いて、静かにその隣りに座り、周子(あまねこ)は、しばらく、黙って座っていた。あまりにも動かないので、大丈夫か、そう思って、そっと身動ぎをすると、衣の重ねがさらっと音を立ててしまう。さらっという音が、間近で聞こえ、美子が目を開けた。
 周子(あまねこ)が、手を差し伸べる。
「恋しい方のお文だったのね。ごめんなさい。昨夜、私、それを開けてしまって、見てしまったのよ。」
「え?」
「使いが、私の家に間違って置いて行ったの。目を顰めていたから、お使いの方って、かなりの近眼よね?」
「ああ。そう、いつもそんな感じね。」
「心当たりがなかったから、そのまま、捨ててしまうつもりだったけれど、でも、そのまま散じてしまうのも、どうかと思いなおして・・・薄様の恋文のようだったから。恋しい方からの文は、待ち遠しいものでしょう?中を改めなくては、誰宛なのか推量することも出来なくて。」
 文が散じるとは、どこに行ったかわからなくなること。人の手で運ばれるので、落としたり、届け間違いなど、間違いは数多い。周子(あまねこ)は、注意深く、文が間違って届いたことを伝える。美子は、ぽかんとしている。
「どの道、近くのお宅に違いないから、伯母さまに相談したの。それで、伯母さまのお友達の美子姫の母君のところに行き着いたのよ。私達の手前だったから、きっと後で、渡すつもりで、とって置いておかれたんだわ。」
 美子の目許がさびしげに微笑む。
「母を庇って下さるの?周子(あまねこ)姫は、優しいのね。・・・・いいのよ。隠したのは、分っているんだから、文は皆、取り上げられたの。だから、ね。」
「・・・・・・・反対なさっているの?思う方と、会えないのね。」
「もし、反対されてなくても、文は、交わせても、会えないのは同じ。あの人は、黄泉の国。黄泉比良坂を超える力など、普通の人にはないものだもの。」
 そのまま、また押し黙ってしまう。
「・・・・・・・。」
 周子(あまねこ)は、事情がわからず、隅に控えている女房を振り向く。
どちらが口を開くか、迷っていたが、美子付きの女房が、事情を説明する。
文は、皆、まとめて陰陽師の手元へ持って行ったのだという。
もちろん、文の相手は、亡くなった美子の夫。筆跡もそのものだから、信じがたいことだが、気味の悪いことでもあるので、祓ってもらうことになった。
「筆跡?真似ることもできるのでは・・・・。」
 美子を気にしながら、周子(あまねこ)は、遠慮がちに反論する。
「ええ。ですが、その使者も、どこから屋敷に紛れ込んだのか、わかりません。はじめは、悪戯か、あるいは、姫さまに思いを寄せる方の文が、たまたま、亡くなられた婿君のお書きになる文のように思えただけかと、思われていたのですが、内容が・・・。」
 内容が、二人の思い出につながることを知っていたりするのだ。
「まあ、それで、お祓いに?」
 女房たちが、頷いた。周子(あまねこ)は、ちょっと小首を傾げ、美子を見つめ。
「そのお文。もう一度、見せてくださらない?」
 美子が、弾かれたように顔を上げる。
「大丈夫。取り上げたりしないわ。人の恋文を拝見したいなんて、誉められた話ではないけれど。きっと、伯母さまや頼子姉さま・・あ、縁があって同じように養女になった方なの。良い方でね。お二人に、知られたら、窘められるかもしれないけれど。」
 わざと、明るく無邪気に装う。こういう時は、生き生きとした茶色みがかった瞳が、好奇心いっぱいの子どもっぽく映り、幼く見られて、便利だ。相手の警戒心が揺らいだ。
ほんの少し美子の瞳が、微笑む。
年上で、しっとり落ち着いて芯の強い女性。そう思っていた美子が、今は、どこか、うつろで、固執する姿は、すぐにも切れてしまいそうな糸のようだ。
周子(あまねこ)は、傷つけてしまわないように、そっと、手を差し伸べる。
かさっ。周子(あまねこ)の手に、文が乗せられる。
「・・どう?あなたも、悪戯だと思う?」
 一読し、文を広げて、美子の前に捧げる周子(あまねこ)。彼女の手を取り、墨の痕の上にその手を重ねるように、もって行き、その手と紙を周子(あまねこ)の両手が包む。
 やっぱり、生きている人の心が安らかになれるのを願うよね。その人の幸せを。違う幸せをつかんでもいいのよね・・・と、周子(あまねこ)は、思う。
「わからないけれど・・・悪戯ではないと思うの。文は、恋しい人への思いで満ちている。恋しい人が幸せになれるように、願っているの。美子姫?」
「会えないのなら、ずっと幸せにはなれない・・・・。」
 泣き出した美子を、抱きとめて、子どもをあやすように、背中をよしよしと撫でる。周子(あまねこ)は、頷く。「苦しいの・・・。」という呟きが聞こえ、周子(あまねこ)は何度も、頷きながら、彼女が落ち着くまで、待つ。
 残念ながら、周子(あまねこ)は、自分の経験から、彼女にかけてあげる言葉を持たない。連れ合いを亡くした時の気持ち、それは、想像すれば、辛くて・・・・でも。悲しみの受け止め方も、人によって違うのかもしれない。周子(あまねこ)の母が亡くなった時を思い出す。

短夜の 8

2009-06-03 11:16:33 | 短夜の
目的の家に着き、案内の女房について、廊下を歩きながら、周子(あまねこ)は、開いた扇の陰から、こっそり庭や、対の屋の位置などを見ていた。
 ぜんぜん、違うじゃないの・・・と。
地形の関係から、東の対の屋が、小さい。西は、ここからは望めないが、高い樹木を多く抱えた林のような庭の様子といい、中納言家とは、まったく似ていない造りの屋敷。中納言家は、花の咲く木が多いが、桜も大木になるような種類のではない。必要な所に、目隠しの垣根ぐらいはあるが、鬱陶しくなるほどの大木は死角になるし警備上却って無用心だと、中納言が嫌うので、広い割に、どこも明るい。ここは、杉の香が漂い、落ち着けそうだけど、どこか、暗い印象。
もしも、ここだったとしたら、やっぱり、あの文使いは、粗忽者だわ。周子(あまねこ)は、心の中で、あきれた声を出していた。
通された部屋で、まずは、几帳ごしに対面。女同士でも、身分のある者ならば、一応は礼儀として姿を露わにしないように、設えるのが習慣だが、伯母とこの家のお方様は、親しい間柄なので、すぐに必要なくなり、姫の周子(あまねこ)の前の几帳も遠ざけられた。
紹介されて、型どおりの口上を述べる。
「まあまあ、かわいらしい。血がつながっているだけあって、目元の感じが、似てるわ。よかったこと。あのね、周子(あまねこ)姫。この人ね。姫を着飾って、甲斐があるだの。今年は行事を娘と過ごせて楽しかっただの、何かにつけて、文に書いて来るのよ。もう、どんなに、喜んでることかって、よくわかることったら。」
 そんなふうに周子(あまねこ)に教えてくれた。ふっくらした顔が、微笑むととても、安心できる感じの人だ。
「まあ。そんなに書いていたかしら?今まで、そんな機会にも恵まれなかったから、ちょっとはしゃぎすぎかしらね。」
「あら、いいじゃない。ずっと、心待ちにしてらした機会ですもの。十分、楽しまなくっちゃね。良い婿も迎えられて、それについては、家も頭を悩ませているから、羨ましいわ。」
「てっきり落ち着いていると思っていたけれど、また、具合を悪くされているの?」
「そういうわけではないけれど・・。最近では、ずいぶん普通にしているけれど、それが反って気になるのよ。もともと内気な子なのに、妙にうきうきして明るく振舞っていて・・・。かと思うと、塞ぎ込んでいたり・・心配で・・・。」
「・・・そうだったの。」
「お友達でもいれば、少しは変わってくるのかしら。ねえ。よろしければ、周子(あまねこ)姫、あの子に会ってやって下さらない?」
 少し顔を曇らせて話す。だいぶ、悩みの種のようだ。周子(あまねこ)は、そっと、伯母のようすを伺う。あなたの好きなように。伯母の目が、言っていた。
「私でよければ・・・あ、そうだわ。その前に、この文を。お方さまにお見せしたほうがいいのかしら。それとも、姫に?」
 昨夜の文を懐から、取り出すと渡す。慌てて、それを広げるお方さまは、文面に目を走らせた。文を閉じたその顔は、少し青ざめている。ふうっと、溜息が出そうだ。無理に、微笑みながら。
「これは、姫には内緒にしてくださる?」
「え・・ええ。」
 交際を反対されているのだろうか・・・。こういった家の姫君では、親が認めない限り、関係を続けることは難しいわねと、周子(あまねこ)は頭の片隅で思う。少し、腑に落ちないこともあるが・・・。その姫に会ってみればわかるかしら。
 お方さまは、気を取り直して、女房を呼び、姫を呼んでくるように言い、文を慌てて、自分のお尻の下の敷物に隠す。あら、あんなところに隠して、大丈夫かしら?と、周子(あまねこ)が、ちらりとそれを目にとめる。忠告するべきか、それとも、いっそ姫が見つけてしまったら、腑に落ちない原因も分るかもしれない。やっぱり、黙っていようっと。周子(あまねこ)が、座りなおすと、側の伯母と目が合った。何かしら?こちらに注意が向く。いえ。何でもありません。と、ちょっとだけ頭を振る。伯母は、何かありそうだと思ったらしいが、久しぶりに、顔を合わせた友人同士が世間話などし始めたので、そちらに気を取られて、追及はしてこなかった。
 室内に、明るいおしゃべりの声が響いている。そこへ、お方様の娘が、裳裾を引いて入ってきた。小柄な、物静かな姫だ。二藍(ふたあい)の小袿は、夏用の薄い紗で重くはないが、下の単が白と、色味の少ないものを着ているので、清楚ではあるが、寂しい感じ。小柄で、顔も小っさくて、長い黒髪が重たげで、美しい姫とは言えるが、いかにも繊細そうだ。
「美子と言いますの。姫、こちらは、中納言家の養女になられた周子(あまねこ)姫よ。仲良くしていただきなさい。」
「周子(あまねこ)姫とおっしゃるの。美子です。よろしくね。」
「いいえ、こちらこそ、美子さま。」
「さまは、お止しになってね。年は、私のほうが上ですけれど、あまり堅苦しいのも、話が弾みませんわ。ね?」
「・・・・・・・・。」
 控えめではあるけれど、微笑む。優しい感じの人だ。ここのお方さまは、内気と言っていたけれど、芯はしっかりしているように思える。周子(あまねこ)は、返事のかわりに、にっこりと笑って頷く。周子(あまねこ)の茶色みがかった瞳が、明るく引き立ち、親しみやすい感じになる。向うも、高感を持ってくれたようで、それから、ちょっとづつではあったが、会話もし易くなった。
 しばらく、女四人で、話に花が咲いて、室内が華やぐ。
何だ。ふつうじゃないと思っていると、伯母もそう思ってほっとしているのか、周子(あまねこ)とちらりと目をあわせ、彼女にだけわかるように小さく頷く。
 そのまま、何事もなければよかったのだが・・・・・・。
 ふと、お方様が身動ぎしたその時に、隣りの美子が首を傾げた。
「この香り・・・・。」
 文にも香りが焚き染めてあるから・・・。文に気付いた?周子(あまねこ)は、ごくりとつばを飲み込んだ。それから、美子が険しい表情になり、母親に詰め寄る。
「お母様。どこに、お隠しになったの?あの人からの文を返して!」
「なっ、何のことなの?文って、誰からの物なのか・・・。」
「隠しても駄目よ。香りが、立ったもの。身近に持っているんでしょう?夫からの文よ。返して!」
 夫?周子(あまねこ)は、不思議に思った。目の前の、美子は、人が変わったように取り乱して、母親に掴みかからんばかりに詰め寄る。「これ以上邪魔をするなら、死んでやる」とまで言い出したので、しぶしぶ、お方さまは、敷物の下から文を取り出し、渡す。
「だけど姫、亡くなっている方から文なんて来るはずが・・・ないのよ。」
 お方さまは、小さな声で呟き、最後の言葉を飲み込んだ。
 文を広げた美子の顔に、これ以上もないほどの幸福な笑顔が浮かんで、消えた。表情の無くなった顔に、涙が一筋流れる。
それから、きっと母親を睨み、立ち上がり、荒々しく裾を捌いて、部屋を出て行く。
「あっ、待って。」
 周子(あまねこ)は、続いて出て行こうとして、後ろを振り返る。
「伯母さまは、お友達のそばに居てあげて、下さい。私、取り成して参りますわ。」
 伯母に言い置いて、慌てて後を追う。

短夜の 7

2009-06-03 11:13:45 | 短夜の
 返事を待っている間、手持ち無沙汰だ。それまで、口を挟まなかった頼子が、伯母の方を見て、口を開けたり閉めたり・・・。
伯母の視線が、何?と、問うと、頼子が、首を捻りながら。
「私、かねがね不思議に思っていたのですけれど・・・。なぜ、周子(あまねこ)さんの父君の北の方は、母君がお亡くなりになったあとも周子(あまねこ)さんに嫌がらせしていたのかしら。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いって・・・あら、失礼。口さがない物言いですわね。」
 その言葉に、伯母がはげしく首を振る。身内の欲目ではないのよ、と念を押し。
「別に、あちらが一の妻ってわけでもなかったのですけれどね。たまたま娘が三人ばかり、子どもを一番多くお生みになっただけですよ。どちらかというと姪の方を気にかけていたから・・・それも、気位が高いと聞いている、あの方には、我慢できないことなのかもしれませんね。それに、・・・・おそらく、周子(あまねこ)のほうが、あちらの娘より、出来がいいのでしょう。」
 姪といったのは、ややこしいが周子(あまねこ)の母。周子(あまねこ)は、父の兄、伯父の養女になったので、その妻である彼女を伯母といっているが、母方のつながりで言えば大叔母なのだ。
「ああ、それなら、事情はわかりますわ。かわいい娘たちの将来の為ですわね?」
「そうです。宰相どのは、仕事はお出来になるのにねえ。家のことは、うっかりしていらっしゃることが、多いみたいだから。」
「なるほど・・・でも、結局、最悪のかたちで夫の耳に入ったってことですわね。」
「表向きは、治まってるけれどね・・。宰相どのが、どのようにお思いなのかまでは、わかりません。でもねえ、このままの状態でいったとしても、女君の方も幸せなのかどうか。それで納得できて、過去のことを忘れることが出来るのかどうか・・・。現実は、どこか、欠けたところのあるような幸せね。」
 伯母の言葉に、周子(あまねこ)が目をぱちりと瞬く。頼子が頷く。周子(あまねこ)が。
「欠けたところのある・・・まるで、お月さまね。」
 手に持っていたすぼんだ扇をゆっくりと開く。夏用の片側に紙を貼った蝙蝠扇(かわほりおうぎ)。ちょうど、薄い黄色をしている。それを、横合いから、頼子がひょいっと摘んで取り上げて、開いたり、閉じたりする。
「満ちたり欠けたり・・・・。月は、欠けた三日月でも美しいのにね。周子(あまねこ)さんの例えた月は、満ちたり欠けたり、いなくなったり、順番なんてないの。とっても、忙しい時もあるのよ。」
 くるくる・・・・くるり。黄色い扇が回っている。開いた扇を、上から下へ、沈む月のように回す。頼子の口元だけが、微笑む。そうしているだけで、彼女のまわりに華やかな、雰囲気が取り巻く。周子(あまねこ)が、どこか心もとなさそうな瞳で、笑う。いつもの、強い光を映す瞳ではなく、甘い顔立ちをしているだけに、か弱く見え、どこか守ってやりたくなるような気になる。強いのか、弱いのかよくわからない。こういうところが、何となくかまいたくなってしまうのよね・・と、頼子は、思う。
「見ることの叶う月。叶わない月。空の月のごとく、あれば・・・って、感じ。姿が見えれば、心持も違うのかしら。」
 周子(あまねこ)は、ちょっと肩を竦めて、仕方なさそうな顔をする。
 まだ、扇を持っていた頼子が、それをきちんと広げて、周子(あまねこ)の膝に乗せる。
「別に余所見をなさる男の方の肩を持つわけではないのよ。夫が忙しくて、他にも女君がいて、すごく不安な気持ちは、かわいそうではあるけれど、自分でやったことに、自分自身が傷ついていたとしたら、周子(あまねこ)さんの味方としては、いい気味って思ってしまいますけれどね。」
 伯母が、口元を袖で隠し、目をきゅっと細める。そう、心情は想像出来ても、同情してやるいわれはない。狭量のままで良いのだ。
「まあ・・ふふ。そうね。男の方は、宿直(とのい)やら何やらで、宮中に詰めていらっしゃることも多いでしょう?出世して偉くなっても、忙しくなるばかり。お顔を見せてくださることもなくって、不安ですものね。そんな時、頼りに出来る相手がいると思うと、少しは孤独がまぎれるもの。頼子さんも、周子(あまねこ)さんも、ずっと仲良しでいらしてね?」
「ええ。はい。」
「もちろんですわ。」
 声が、同時に重なり、周子(あまねこ)と頼子が、袖を口もとに寄せて、うふふと笑う。
 ほのぼのとした空気の中、使いがもう戻って来たとかで、取次ぎの女房が、報告にやって来た。返事は、使いの者に口頭のみで、急なことで申し訳ないが、その文を見せてもらいに、これから伺ってもいいかという旨だった。
 行き来もある友人でもあるので、拒む理由もないけれどと、伯母が、前置きして。
「ずいぶん慌しい感じね。珍しいこと。どちらかというと、腰が重い方なのに。それで、文を見せてくれと、言ったのね?」
 取次ぎの女房に訊く。
「はい。その文が、我が家に関係あるかもしれないから、どうか、このことはあちこちでお話なさらないでと。」
「そう言えば、あちらにも娘がいたわね。」
 その女房が、頷く。
「確か、姫君方よりはずっと、年嵩ですけれど、いらっしゃいますね。三年前に婿君が、お亡くなりになって・・・。その・・・お方さまの前でなんですが・・・・。」
 言いよどむ。
「何なの?」
「物の怪つきだとか、噂があるのです。屋敷の下々の者が噂していたとか。それで、再婚も出来ないのだとか・・・。」
「まあ、何てことを。気落ちして、寝込んだりしてらしただけよ。今は、そんなことはないはず。・・・・。」
 伯母が、ちらりと周子(あまねこ)の顔を見た。
「伯母さま。そのお宅に、文を持って行ってみても、いいですか?」
「そうねえ・・・。」
 考えている伯母に、側から、頼子が口ぞえする。
「お見舞いと称して、あちらを訪問することにすれば、文のことを詮索するものも、却ってでないのでは?娘を連れて行くと、伝えれば、名目も立ちますわね。」
 伯母は、頼子の言葉に頷くと、取次ぎの女房に、もう一度、使いを出すように言う。
 返事は、矢のように帰って来て、ぜひと言う事だ。
 準備を整えるなり、車を仕立てて乗り込む。
 車のところまで、頼子は見送ってくれて、周子(あまねこ)に。
「午後は、夫が帰ってくるから、私は、このまま家に戻ってしまうわ。残念だけどご一緒出来ないから、あとで、どうなったか、教えてね。」
 ぱちんと片目をつぶって見せた。頼子に、頷きながら、軽く手を振る周子(あまねこ)。さらさら。薄い衣の重ねの袖が音を立てる。
「どんな顛末になるか、わからないけれど、必ず、お話するわ。・・・昨日は、ありがとう。あの歌を書いた紙を使いの者に託してくださって・・・。お姉さまも、今日は早く帰って、綺麗に、お仕度を整えなくちゃね?」
 あら、うふふ・・と、めずらしく頼子がはにかむ。互いに、ちょっと手を振り、周子(あまねこ)は、伯母に続いて、車に乗り込む。
 牛車が轍を刻む重い音を聞きながら、すぐ近くの目指すお宅へと、向かった。

短夜の 6

2009-06-03 11:10:25 | 短夜の
 朝早く、周子(あまねこ)は、対の廊下を渡って、伯母の居室へと呼ばれて行く。昨夜の一件は、もちろん即、伯母の耳に入っていた。室へ入る前に一度立ち止まると、「周子(あまねこ)ね。お入りなさい。」という声が聞こえ、床の上で、薄い紗の黄色い小袿の裾がくるりと跳ねる。向きを変えて、周子(あまねこ)は、裳裾を引いて静かに伯母の居室へ入っていく。
「昨夜のこと、聞きました。大事無くてよかった・・・。」
 伯母は、胸に手を当てて、ほっとしている。
「それにしても、我が家の子になったというのに、あちらもしつこいこと。」
 どうやら、小鷺たち女房たちの口から、例の嫌がらせとして報告されてしまったらしい。
「あ、いいえ。行平さまが・・あっ。えっと、お出でになったことも・・・・?」
 彼は、抜け出してやって来ていたのだ。伯父の耳に入って、あとで、叱られるのではないかと、周子(あまねこ)は心配した。
「もう、ご存知です。朝お出かけになる前に、小鷺たちが報告に参りましたから。塀でも越えてお出でになったのならともかく、人の出入りがあれば、黙っていても分りますよ。」
「そうですわよね・・・。」
「それについては、仕様のない奴だと、笑っておいででしたから、叱られることもないでしょう。でも、あまりおおっぴらには言えない話だから、女房たちにも口止めはしておきました。」
 ほっとした顔になった周子(あまねこ)に。伯母が、目を細める。
「仲のいいこと。・・・・きれいになったわ。これで一安心ね。本当なら、修理も住んだ、もとの屋敷に独立してもいいのだろうけれど・・・周子(あまねこ)がいなくなると寂しいもの。まだ、しばらくそばにいらしてね。頼子姫も、何かと頼りにして下さるし、私うれしくって。」
 周子(あまねこ)の髪をそっと撫でながら、微笑む。
「出来れば、孫の世話もしてみたいわ・・・。」
「・・・甘えさせていただける私は、幸運ですわ。伯父様にも伯母さまにも、知則や血はつながらないけれど縁あって姉となった頼子お姉さま。このお家に来て、安心して人を頼ることも出来るようになりましたもの。」
 伯母が、うんうんと頷いている。
「そうそう、では、昨日のことは?」
「それなんですが。嫌がらせについては、女房たちの勘違いじゃないかと。行平さまが、文の行き違いだと言ってらしたの。」
 彼が宮中であった気味の悪い使いと奇妙に特徴が一致する点と、嫌がらせではない根拠を周子(あまねこ)は、説明した。話している途中で、義姉の頼子がやって来たので、彼女も交えて、また、一から話すはめになった。
 部屋の中は、眉間に皺を寄せてしまいそうな話であるにも係わらず、女三人の色取り取りの衣装に彩られ、薄暗い室内が、ぱっと明るく花が咲いているようだ。周子の、緑色、蘇芳色と重ねて、黄色に緑が透けて見える小袿の萩経青(はぎたてあお)の単重(ひとえかさね)。頼子の、蘇芳色に、黄色、赤い紗の小袿を重ねた萩の単重。伯母のは、蘇芳色に黄色と重ねて、一番上の小袿が、二藍と一番上を落ち着いた色目でおさえた蘇芳の単重。
爽やかな花。艶やかな花。しっとり落ち着いた花。
それぞれが、主張しすぎることなく、調和を保っている部屋の中。
「そうなの・・・。」
「ええ。あの、伯父さまは?もしも・・・。」
 周子(あまねこ)が、顔を曇らせる。
「宰相どのの耳には、それとは言わずに、こんなことがあったという世間話程度で、話しておけば、あとは、宰相どのが、自分でお確かめになるだろうからって、言ってましたよ。家と拗れるようなことはありませんよ。」
「そうですか。」
「それより、その文を届ける、お宅だけれど・・・。お隣は小さな娘さんばかり。向いは、確か、婿君が供住みなされているから、このような文だけの関係には当てはまらないわね。少し離れて考えて見てもいいかしら。若い独り身の女君ねえ。」
 伯母が、この附近の情報を頭に思い浮かべ、考えている。
「・・・そうだわ。通りを二つほど行ったところに、親しくしている方がいるの。その方にも、訊いてみるわね。」
 そう言って、側付きの侍女に、手紙を書かせて、使いをやる。