時の泉庭園

小説は、基本、ハッピーエンド。
話は、最後まで出来上がってからUPなので、全部完結済み。

(^◇^)・・・みん兎

空に物思いするかな 15

2009-02-25 11:30:33 | 空に物思うかな
 目的の場所についた。
 角に柳の木が生えていたが、何のことはないふつうの四辻である。ここは、四方が築地の土の壁の角がつくっている辻だ。道は、四方向とも、ずっと、高い壁が道の向うまで続いている。大小いろんな家が雑多にならんでいるほうが、圧倒的に京の風景としては多いので、これだけすっきりとどっちも、同じ眺めというのも少ないのではないか・・・。
条件が整ってる。
通りを吹き抜けていった風。思ったよりも、強い風が吹き抜ける。風が、横合いから、車にあたれば、止める原因になりはしまいか・・・?周子は、姿を隠すための虫の垂れ衣がまくれあがらないように、風を避けて、場所を移動した。
牛車の車輪が刻んだ轍がくっきり浮かんでいた。この間の、雨でぬかるんでいたから、こんなふうにくっきり一つに集約されていたのだろうか。ぬかるんだ道を楽に進むには、すでにある轍の上を通るほうが車の負担も軽いだろう。
 あまりにも、何もないので、三人ともしばらくじっと佇んでいた。
 春風が周子(あまねこ)の姿を隠している薄い紗をやわらかく揺らしていく。ゆらゆら揺れる、布が少し鬱陶しくて、手で押さえる。もう一度、よく辺りを見回してみる。?辻に入る手前に、目を留めて、つかつかと近寄っていく。
「姉上?」
「知則どの。車が必ず揺れるところって、ここではないの?」
 後ろを振り返って、周子(あまねこ)が指差す。指差した先は、轍が一層深く、土が削り取られていた。
「上を通ると言っても、夜だもの。きっちりとこの上をなぞって行くことなど不可能だわ。ここの土、他のところより柔らかくない?」
 ぽんぽんと足で少し削り取ると、ちょっと粘土質の土が変わりに顔を出した。
「なるほど、轍を刻みやすくなっているんだ。乾いてくると、ぼこぼこのままだな。ここで、車が揺れるのか。」
弦月が、興味深かそうに、辺りを見ている。
「うむ、それをいうなら、あっちも微妙に段差があるような。待てよ、止めて降りるとしたら、あの辺りだ。いやはや。出る出ると思っているから、転んだだけで、大騒ぎになるわけだ。最初に、言い出した肝の小さい奴のせいですな。」
 その時、辻をいっきに強い風が吹きぬけた・・・・・・!
 ざああ・・・・!ばさっ・・・!
「きゃあっ。」
「うわっ。」
「うっ!」
 同時に驚きの声があがる。
 柳だ。柳のしなる長い枝が、風にあおられて、急に、近くに立っていた彼らの方へ。
 柳の緑の葉っぱが、頭や頬、肩を打っていく。
 治まって、ほっと一息。
「場合によっては、これも効果的ですなあ・・・。京の辻というのは、風が駆けやすくなっとりますから・・・。」
 と、弦月。
 知則も、周子(あまねこ)も肯定するように、頷いた。それから、三人とも、くすくす笑い出して、ひとしきり笑い終えると。
「帰りましょうか。姉上。」
「ええ。」
 連れだって、道を引き返す途中で、人だかりがしている。
 大きな屋敷が隣り合って建っている一角で、立派な門前に、人が集まってわいのわいのやっている。集まっているのは、大半は、手足のむき出しになっている衣を身につけた人が多い。中には、こざっぱりとした水干烏帽子姿で、どこかの雑色か、お屋敷のご用をつとめる職人、あるいは商い人といった感じの人も混じってはいるが、これは面白半分といったところ。
 弦月が、首を横に振って、近付かないようにと示す。
「どうも、いけますんな。後ろからもまだ、人が来る。知則どの。姉君を、人波に連れてかれないように、気をつけて。壁際ぎりぎりのところで、やりすごしましょう。」
「何だ。これは・・・。」
 どうにか、人波にさらわれることもなく、彼らのいるあたりに人はいなくなったけれど、押し寄せて行った人は、視線の先で、人だかりが倍に膨れ上がっている。
 弦月が、難しい顔になった。
「扇動している奴がいますな。こりゃ、一騒動起きそうだ。」
「どこに?」
 伸び上がって確かめることもなく、前のほうに、一際声の大きい連中がいるのがわかる。周子(あまねこ)は、それよりも、何気なく見た、騒いでいる連中の側で、面白そうに見ていた人物にが目にとまる。周りの熱のはいった連中とは対照的に、冷たい笑いを浮かべていたからだ。なのに、彼が一言、二言、言葉を発すると、騒いでいる連中がそれに反応して、ますます過熱していく。それにつれて、まわりも、面白いくらいに、反応していく。
「道を戻りましょう。巻き込まれでもしたら、大変だ。」
 弦月の言葉に、頷いて、じっと前の方に気をとられている周子(あまねこ)を促す知則。
 そこを離れた直後だった。
門前を守っていた武者たちが、いきなり表れた、その数に圧倒されているうちに、どやどやと、群集が中へ入って行く。
その後どうなったのか、確かめることも出来ず、係わりにならないように二人に急かされて、周子(あまねこ)は、家に戻った。
後で、ことのあらましは知ることが出来た。
その日、花見の宴の行われていた屋敷へ、何を思ったのか、民衆が乱入してきて、大騒動だったということだ。わっと、沢山の人々が屋敷の庭中に溢れて駆けまわり、庭中を踏み荒らして、追い立てられる間にあっという間に、外へ駆け抜けて行ってしまった。庭は、ぐちゃぐちゃ。幸いにも、盗まれた金品はなく、失なったのはせいぜい、宴に供された酒と肴ぐらいのものだ。その日のうちに、京中に噂がめぐり、周子(あまねこ)も、それを耳にした家の者たちが面白おかしく語ってくれるのを聞いたのだった。

空に物思いするかな 14

2009-02-25 11:26:48 | 空に物思うかな
怪異の話などするからだろうか。また、おかしな話を聞くことになった。
 内裏を退出して、昼に、帰宅した伯父が、伯母に世話を焼かれながら、渋い顔でぼやいた。周子(あまねこ)も、呼ばれていたので、ともにいた。
「まったく、近頃さぼりの多いこと。道で転んだくらいで、物の怪の仕業だなどと。だったら、その場所を通らねばいいのに。昨日も、わざわざ肝試しに行った若い連中がいて、今日は、軒並みさぼりだ。」
 祈祷師など呼んで、家で震えているとのことだが。
 夜に行くと必ず、転ぶという辻がある。牛車が不自然に揺れて、止めて、降りてみると必ずといっていいほど、足をとられる者が出るのだそうだ。
「夜にでございますか?徒歩の者は?」
「そう言えば、徒歩では、聞かないな。うむ。周子(あまねこ)、何か、わかったのか?」
「いいえ。さすがに、その場所へ行ってみなければわかりません。でも、外出は、駄目ですわよね?」
 伯父は、面白そうに、周子(あまねこ)を見ている。ぽんと手を打ち、思いついてどこかへ使いをだした。待っていると、初老の男が尋ねて来、話をしている間に、まだ、少年といっていいくらいな直衣姿の男がやって来た。初老の男は、伯父と懇意の陰陽師だ。
「すっかり、お元気になられたようで、何よりでございますな。・・それで、怪異には仕掛けがあるとおっしゃいますか。いや、なかなか、面白いお方でございますな。」
 柔和な表情。祈祷師や、それに順ずることをするものなど、皆、厳しい顔つきだったり、やたらこちらに迫って決め付けたような話方をすると思っていた。とりたてて、胡散臭さは感じず、それだけ、ふつうの爺さんと言った感じ。
 周子(あまねこ)の経験を聞くと、うんと頷き。
「それでは、その場所にも何かあるはずだと?」
「ええ。陰陽師の方に、こんなことを申すのも何ですが。」
「いえ。仕掛けのあるものも、また、物の怪のたたりも、皆、人の仕業でございますからな。調べてみなければ、わかりません。お調べになりますか?」
 たたりの原因をつくったのさえも、人。又、それは、言われなき恨みを向ける場合も同じで、皆、人が因果を生じていると、一括りにした。含みはなく、さらりとしている。
「ただの好奇心ですが。」
「好奇心ですか。まあ、それも、よろしいでしょう。ちょっと転ぶだけで、取り立てて、危険はなさそうですからな。」
 同行することを承知してくれた。それから、もう一人の、年若い男が紹介される。
「知則だ。会ったことはなかろうが、周子(あまねこ)には異母弟になる。存在は、聞いているか?」
 子は、母のもとで育つ。男の兄弟ならともかく、姫は屋敷の内深く過ごすものなので、母が違えば、会うことがなくても、おかしくはない。
「存じています。松寿どのでしょう?小さい頃に、何度か家に遊びに来ていました。」
 おっかない北の方の子ではなく、別のところの弟なので、幼いころは行き来していた。彼の母が、他の男と再婚したので、それからは、消息が絶えていた。元服して、出仕するにあたって、条件を整えるために、子どものいない伯父の、養子となっていた。
「周子(あまねこ)の調子が戻るまでと思ってな。引き合わせるのが、遅くなってしまった。あと、もう一人、後見を引き受けた姫がいるが、これは元の屋敷にいるから、また後日。周子(あまねこ)より二つ上だ。皆、協力して仲良くやっていくといい。」
 伯父が簡単に説明した。
「さっそくだが、知則。姉について行ってやれ。」
「え・・その怪異の正体を探りにですか?」
「うむ。そなたの姉は、なかなか、観察力もあるし、知恵もまわるようだ。そなたとも。気が合うと思う。誰か、身内と一緒に行ったほうがいいから、ついていけ。」
 周子(あまねこ)は、徒歩で、と言った。伯父の中納言が行ったのでは目立ちすぎる。
 知則は、心の中で首を捻る。
 周子のような姫が、気軽に外出するなんて、普通は有り得ない。出たいという姉も姉だが、それを、面白がって、許す伯父も伯父だ。まあ、別にいいけど・・と、受け入れてしまう自分も、やっぱり変わり者なのかもしれない。
「姉上のことなら、少しは覚えています。優しかったけれど、とっても活発だった。なるほど、三つ子の魂ってやつですねえ。・・・・・それじゃあ、参りましょうか。」
 さりげなく失礼とも取れる言葉を吐きながらも、気軽に応じてくれた。
 周子(あまねこ)が、外出用の市女傘をかぶり、虫の垂れ衣ですっぽりと膝まで姿を隠す。着ているものは、袿の裾は床を掃くほど長いので、今の着物のおはしょりのように、腰の辺りで長さを調節して、落ちてこないように細帯を結ぶのだ。切り袴という踝丈の短い袴を穿いているので、今の着物のように裾の乱れを気にすることもなく、楽に歩ける。
知則も、陰陽師、弦月といったが、彼らは、狩衣といった袴に上衣を着込めた元は、狩をするときの服装で普段着の、動きやすい姿でついてくる。


空に物思いするかな 13

2009-02-25 11:23:51 | 空に物思うかな
体も回復して元気になった周子(あまねこ)の話に、伯母は、しきりと頷いていた。病が癒えるまで、滞在していた命婦(みょうぶ)も、側に侍っている。
「なぜ。そのときに、私を頼ってくださらなかったの。水臭いわ。」
「ごめんなさい。その時は、誰に相談していいのか、わからなかったの。乳母も、もう亡くなっていますし、家で雇っている者がやっていたこともあって、誰も信用出来ないと思い込んでいたのかもしれません。母には、一度訴えてはみたんですけれど、怪異より、そのほうが、却って心労の増す結果になってしまって・・・。それからは、もう言いませんでした。」
「・・・そうでしょうねえ。あの子は、気が弱かったから・・・。でも、その後も、よく、怪異の原因を調べてみようと、思いましたね。あなたが、気性のしっかりした子でよかったわ。こうして、無事だったんだもの。」
 周子(あまねこ)の手を握り。
「今度からは、ちゃんと話してくださいね。さっ、辛いお話はこのくらいにして、新しい衣装を仕立てるのに、布を選びましょうね。そうそう、命婦(みょうぶ)どのにも、世話になったから、お礼をしなくちゃね。」
 赤いの、黄色いの、緑や青、紫など。薄いの、濃いの。
色とりどりの色鮮やかな布が、沢山運ばれて来ると同時に、命婦(みょうぶ)に似合いそうな、緑を基調とした柳の重ねが運ばれて来、それを伯母は、命婦(みょうぶ)に送った。
彼女も、そろそろ、主の元に返らねばならない。
「いえ。主の御息所さまからも、行平さまからも、病が癒えるまで、姫さまに尽くしてくるようにと承ってますので・・・。まあ、綺麗な染めですわね。ほほほ。過分な褒美をありがとうございます。」
 そう言って、受け取る。そのまま、周子(あまねこ)が布を選ぶのを見ていく。
 沢山の色目を、表と裏にする布の組み合わせをいくつか作り、周子の肩に充ててみたりして合わせてみる。彼女の好みも考慮し、黄色い色、紅い色、裏山吹という名の、一番上に着る衣が決まり、それに合わせて、重ねる色もともに、仕立てるために、女房がその布を持って去っていく。部屋がとりかたずけられたころに、庭先から、文使いの童子が命婦(みょうぶ)に声をかける。彼女が遠慮がちに、戻って来て、文を周子(あまねこ)に渡しても良いかと、伯母の許可をもらう。
 桜の枝に結び文。
 周子が文を開いてみると。


待つ人のかわりに、折りてけるかな。
とても、心残りがあるようだったので、ちょっと寄ってきました。鶯は鳴いていなかったけれど、桜が、主の姿を見せるのを、寂しそうに待っているように見受けられましたよ。過日の非礼のお詫びと、お見舞いをかねて。一枝、進呈。      

文に添えられた桜の枝。周子(あまねこ)の家の一枝だ。
待つひとも来ぬものゆゑに鶯のなきつる花ををりてけるかな。よみ人知らずの、古今集の歌に、ひっかけて、待っているのが桜であるかのように書いてあった。
くすりと、笑った周子(あまねこ)に見せられて、伯母が。
「あらあら、待っていたのは、本当はどなたやら。あの家は、これから使えるように、修理が始まりますからね。当分、周子(あまねこ)が姿を見せることはありませんよ。・・・そうですね。それでは、周子(あまねこ)が寂しいかもしれないから、時々は、様子を話しに、庭先に訪ねて下さるくらいなら、いいかもしれませんね。周子(あまねこ)次第ですが。」
 伯母に、訊ねられて、周子(あまねこ)が首をちょっと傾げる。
「・・・・・・。あの一件が、結局どうなったのか、聞いていませんし、それは少し気になっています。伯父さまから、伺ってもいいのかもしれないけれど・・・。」
 そう言って、命婦(みょうぶ)に。
「花をありがとうございました。あの桜には、楽しい思い出があるから、とても、元気づけられました。って、伝えて下さい。」
「かしこまりました。そう、申し伝えます。」
 あとは、伯母の言葉を行平がどうとるのか。どういう行動をとるのかは、伝え聞いた本人次第。「若いって、いいわあ。」と、命婦(みょうぶ)は、一人うれしげに、暇を告げて帰って行った。

空に物思いするかな 12

2009-02-25 11:20:38 | 空に物思うかな
 周子(あまねこ)の見た夢。
 あの時も、確か熱を出して寝ていた。もう、随分快くなっていたけれど、大事をとって無理やり一日寝かせられていた為に、夜中に目を醒ましてしまった。雨が止んだ気配がしたのに、水のこぼれるような音を聞いたと思って、不思議に思い、起きて外を伺った。
 ひらひらと、白い袖が闇夜に揺れている。
びっくりして、声も出ず、そのまま尻餅をついてしまった。
それは、遠く、対の屋の廊下に、蠢いていた。
しばらくは、近くの柱にしがみつくようにしていたが、人の話し声を聞いたような気がして、ふと顔を上げたのだ。よく見ると、女房の白っぽい小袿だった。
庭先に、誰か立っている。
水干を身に付けていて、その女房の恋人なのかもしれないが、それにしても様子がおかしい。廊下のあんな目立つところで、ずっといるなんて・・・。
そこからでは、話が聞き取れず、周子(あまねこ)はこっそりと足音を忍ばせて、庭に飛び降りて、廊下沿いに、その対の屋の近くまで行き、縁の下に隠れて、様子を伺った。
「頼むわよ。ちゃんと、次のお屋敷を世話してよね。こっちは、ばれたらどうしよって、内心びくびくしてるんだから・・・。」
「もちろんさ。あと、証拠隠滅も頼む。そしたら、ここを止めればいい。有能な女房の引き抜きも、頼まれてるんでね。」
 男は、そう言って、手に持っている竹筒のようなものから、つつっと、廊下に何か垂らしている。そうして、帰っていくと、そこにいた女房も、辺りを確かめて、自分の寝起きしている場所へ戻っていく。
 周子(あまねこ)は、首を傾げた。何をしたのだろう・・・。近付いてみたかったが、誰かがこちらへやってくる気配がして、慌てて自分の部屋のある対の廊下へ戻り、それが去っていくまで隠れていようと思った。
「きゃあ。」
 悲鳴が上がり、どすんと床に倒れる音が響き渡る。寝入っていた他の女房たちがどやどやと起き上がってきた。「まあ。また?」「大変。祈祷師を。」「何もないところで、転ぶなんて、物の怪の仕業だわ。」と、女たちは大騒ぎをしている。
騒ぎに、呼ばれて来た祈祷師がまた、この家筋のものを恨んで死んでいった何々とか、周子(あまねこ)も、周子(あまねこ)の母も会ったことも、生まれた時から生きてさえいない人物の名前であったが、熾烈な出世争いを繰り返す公卿の家なら、身に覚えのある、もっともらしい名をあげて、「この家は、呪われている。わしの力では、この騒ぎを収めることくらいしか・・・。」とか言って、とりあえずお祓いらしき所作を繰り返し、帰って行く。それは、ここのところ、しょっちゅうあることだ。
 先に、目撃したことがあったので、周子(あまねこ)は、おやと小首を傾げる。注意深く、観察していると、声が・・・・。祈祷師の声が、さっき庭先で、こそこそ話していた者と似ている。着ているものが・・・。水干の色も、背格好もまんま、ではないか。そうして、祈祷の場に集まる人の中に、あの女房の姿がないことに気づき、周子(あまねこ)は廊下に出た。廊下に、彼女がしゃがんだところを、後ろから声をかける。
「ひ、姫さま。お熱を出して寝てらしたんじゃ・・・。」
 そう言いながら、慌てて、振り返り、右手の袖で、こっそり床を拭う。それには、気付かぬふりをしながら。
「何だか、騒がしくて、起きたの。あなたは、祈祷師さまの側にいかなくてもいいの?」
「ああ。ええ。私も今、向かうところだったんですよ。参りましょうか。」
「うん・・・。」
 周子(あまねこ)は、わざと子どもっぽく返事をし、手を差し出す。
「怖いの。手つないで?」
 返事も待たず、きゅっと手をつなぐ。
 その女房も、子どものすることと、気にも留めなかったようだ。
 周子(あまねこ)の手をひいて、皆の集まる場所へ連れて行った。周子(あまねこ)に近付いた袖口からは、油の匂いがした。
 油だ。廊下に油を垂らしておいたのだ。
 暗ければ、そこだけテカッていても、気がつかない。
 そんなことがあって、怪異だ何だと、騒ぎがあるたびに、こっそり、仕掛けを見つけ、次にそんなことが起きないように、処理していた。件の女房も、難癖をつけて、早々に辞めさせた。


空に物思いするかな 11

2009-02-25 11:13:55 | 空に物思うかな
 雨の音がする・・・。
 周子(あまねこ)は、薄く目を開けた。
床に横になっている。
辺りは、まだ宵闇の中。
ふと、近くに人の気配がして、そちらを見ようと体を起こそうとする。
体が重い。
くらりと眩暈を感じ、起き上がれず、仕方なく顔だけを人のいる方へ向ける。ここは・・・。
周子(あまねこ)は、部屋の奥の御簾で仕切られた場所に寝かされている。灯火がひとつ、向こう側に見える。そこに人が、二人ばかり控えていて、寝所になるこちら側にも、二人。一人は、周子(あまねこ)の枕元に、顔を寄せるようにして、眠ってしまっていた。どこだっけ?熱で、上手く思考がまわらない。ああ、そう熱があるんだっけ・・・。
そばに、ついていた起きている方の人物が様子を伺うように、そっと周子(あまねこ)に話しかけた。
「気がつかれましたか?」
「あ、命婦(みょうぶ)さん。」
「まあ、さんはお止めくださいまし。公卿のお宅の姫君に、そんなふうに呼ばれたら、返って恐縮してしまいますからって、申し上げましたでしょう。」
「そうね・・・。頭が、ぼっとしていて・・・。」
「失礼致します。・・・ああ、少し熱が下がってきたみたいですね。」
 命婦(みょうぶ)が、周子(あまねこ)の額に手を充てて、ほっとしている。頭を冷やしている布を替えてくれた。
「ここへ、着くなり熱で三日もうなされて・・・。無理もありません。色々ありましたものね。」
 そうだ。思い出したわ・・・と、周子(あまねこ)はやっと、状況を思い出した。
ここは、周子(あまねこ)の伯父の家。
隣りに、つっぷしているのは、疲れて寝入ってしまっている伯母。
ここは、父の兄の家だけれども、この伯母とも周子(あまねこ)は血がつながっているから、よく遊びに来ていて、幼い頃はずいぶんかわいがってもらったのだった。伯母と、母は、叔母と姪の関係になるので、周子(あまねこ)がこの家の子になると、連れてこられると、いきなりであったにも係わらず、大歓迎されたのだった。
周子(あまねこ)は、緊張を解き、ほっと一息つくと、熱を出して寝込んでしまったのだ。
 情けない。そんなに、無理をしているつもりはなかったのにと、溜息をつく。
 伯母が目を覚ました。
「ああ、よかった。気がついたのね。」
 心底ほっとしたように、呟く。御簾の向こうのほうで、人が動く気配がして、出て行ったかと思うと、転がるように伯父がやって来た。
 腰を下ろすと、御簾の向こうから、心配そうな声がした。
「周子(あまねこ)。大丈夫か?」
「ええ。まだ、少しくらくらするけれど、大丈夫みたいです。伯父さま。伯母さま・・・いえ、義父上(ちちうえ)、義母上(ははうえ)には、ご心配おかけしました。」
 ここの家の子になったので、周子は、義父、義母と言い直したのだが、ぎこちない。御簾の向うで、伯父が微かに笑う気配がした。
「無理して、呼び方を変えなくても、よいぞ。ここの家の子になったからと言って、生みの母と父との縁が切れたわけではないのだから。縁があって、家へ来てくれた。それだけで、良いのだ。」
 その言葉に、周子の隣りに座っていた伯母が頷いた。
「そうですよ。子のいない私のもとへ、幼い時からかわいがっていたあなたが、来てくれるなんて、それだけでも、うれしいことなんですよ。でも、気持ちは、父や母に甘えるつもりでいらしてね。」
「ありがとうございます。私も、孝養を尽くしますわ。伯父さま。伯母さま。」
 起き上がろうとしたところを、伯母に止められ。
「まだ、休んでいなくては駄目よ。本当、高い熱だったんだから。呼んでも、意識は朦朧としているし、陰陽師を呼んで、ご祈祷やら、一時はどうなることかと思ったくらいなんだから・・・。」
「陰陽師・・・・・。」
 心もとない目つきに。
「あら、ふふ。そういえば、周子(あまねこ)は、そういうものを信じないのでしたっけ・・・。でも、此度呼んだ方は、きっとあなたも納得すると思うわ。心労や、疲れがたまっただけだから、薬湯を飲んで、ゆっくりと休ませることが肝心と言って、帰っていかれたもの。」
「そんな方もいるのですね・・・。そう言えば、その信じなくなったきっかけの夢を見ていました。この、雨のせいかしら・・・・。」
「そうなの。では、熱が下がって元気になったら、聞かせてくださいね。今は、無理はしないほうがいいと思うから。そう、それから、この間までの冒険も、楽しみにしていますからね。」
 周子(あまねこ)の唇が、ぽかんと開いたままになる。
悪戯っぽい瞳が、肯定するように頷くと、周子(あまねこ)は安心して、目をつぶる。
 心が少し軽くなったからだろうか。暖かいものに包まれた気分で、もう一度同じ夢を繰り返して見ることになっても、重苦しい時に支配されることはなかった。

空に物思いするかな 10

2009-02-18 12:25:30 | 空に物思うかな
 血相変えて、駆け込んできた二人の人物。ゆったりした直衣の袖は翻り、烏帽子が転げおちそうなくらい、ばたばたとやって来た。そばの衛門の佐(すけ)の姿は目に留めず、真っ直ぐに周子(あまねこ)のもとに駆け寄る。
「このっ、馬鹿娘っ!」
「痛いっ。お父様。」
 周子(あまねこ)の長い髪をつかんだまま、ぐらぐらと揺する。
「無事か?あ、足はついてるな。」
「お父様。私、命を絶ったりいたしませんわ。」
 幽霊になって、戻って来たとでも思ったのだろうか。混乱して、脈絡のない心配をしている。ぎゅっと、周子(あまねこ)は抱きしめられて、目を見張る。
「よかった。どんなに、心配したことか・・・・。これも、御仏のご加護。」
 父は、涙目で、何やら念仏も唱えている。
「・・・・・・・・。」
 父の隣りから、のぞいてる顔に。
「伯父さま?」
「おお。よう覚えていたな。子供の頃は、よく家へも遊びに来ていたが、うん。面影が残っておるわ。まあ、ひとまず無事で何より。さて、事情を説明してもらおうか。」
 くるりと、厳しい顔で振り返る。
「中納言どの・・・。」
 急に、矛先を向けられて、行平は、冷やりとしながら、自分の知っているかぎりのことを話した。
「下仕えをやっていたと・・・。」
「はい。姉のところで働いていたから、気軽に頼んでしまったのですが、まさか、参議どのの姫だったとは、夢にも思いませんでした。そう言われてみれば、振舞いにも合点がいく気がいたします。身の上についても、少しだけ、話してくれたことが・・・・。」
 中納言が頷いたので、遠慮がちにしながらも、周子(あまねこ)の母が向うの女君から、かなりの嫌がらせを受けていたことを付け加える。それを嫌って、今回の周子(あまねこ)が家出まがいのことをしたことをしでかしたのだと、話してやった。
 聞いていた周子(あまねこ)の父は、真っ青な顔で、呆然としている。
中納言が、あたりを見回すと、
溜息をつき。
「多少の嫌がらせは、あったみたいなことは、わしも、妻から聞いておった。これ程とは・・・・。いや。一度、祖父(じじ)どのが亡くなられたときに、周子(あまねこ)を家の養女にという話があったんだが、あの時、強引にでも貰い受けておけばよかった。」
「そんなお話が・・・・。」
「母君が手放すのを嫌がられてな。もっともなことだ。」
「そうですか。」
「そなたが、出て行った気持ちも分る気がするが・・・。ちと、考えが浅すぎたのではないか?」
 周子(あまねこ)の隣りの、悄然としている父を示す中納言。
周子は、小さな消え入るような声で、
「周子(あまねこ)は、消えたほうが良いのだと思っていました・・・・。」
それから、何か責め言葉を付け加えてみようかと、言いかけたけれど、首を横に振って。
「・・・お父さま。心配してくださったのですね。」
 うんと頷く周子(あまねこ)の仕草。
「お父さま・・・伯父さまにも、ご心配をおかけしました。ごめんなさい。私の、浅慮でした。」
 手を突いて、謝る。
「うん。よし、よし。それじゃ、戻って来て、うちの子になれ。このまま、ここに残ることも、同じことを繰り返すことになるし、かといって、あの北の方のおるそなたの父のもとへ参るわけにいかぬからな。」
「あの・・・でも。」
 周子(あまねこ)がちらりと、父のようすを伺った。
「弟よ。たまには、かわいい子のために、決断せい。」
 はっと気付いた、周子(あまねこ)の父が、懐から紙を取り出す。
「あの寺に収められていたそなたの字で書かれた経だ。これを、見つけたので、慌てて追いかけてきたのだ。そなたの母の遺志かもしれぬ。守ってやってくれと・・・。それに、こんな形で見つかったそなたには、運があったのだ。兄上のとところで、かわいがってもらえ。」
 周子(あまねこ)が承知すると、慌しく、ここを立ち去ることになる。ちょうど、呼びにやった命婦(みょうぶ)が到着したので、彼女に、まだ、具合の悪そうな周子(あまねこ)に付き添うように頼み、行平も、短い挨拶を交わし、立ち上がる。
「結局、桜を見そびれてしまったわ・・・。」
という、周子(あまねこ)の呟き。先に、彼女が去っていくのを見送り、行平は、庭をまわって、桜の枝をぽきりと折り取って、持ち帰った。


空に物思いするかな 9

2009-02-18 12:22:06 | 空に物思うかな
「俺が、射た矢は足にあたったはずだぞ?」
「頭のは、向こうからかな・・・?」
 指差しながら、言う。賊の亡骸は、一緒に、とりあえず運ばれていく。急いで、附近を捜索したが、怪しい人物は見当たらない。
「どうする?」
「結局、物忌みか・・・。どちらにしろ、調べた限りのことは上に報告してある。これ以上は、俺は外されるだろうから、危険もないだろう。知っていることも、少ないとわかりきっているから、向こうも深追いはしないとみるのが打倒なんじゃないか?」
「そうか・・・。念の為、警護をつけるよ。」
「う~ん。出来れば、目立たないようについてきてくれないか。」
 ちらりと、行平が、となりの女を気にしたので、検非違使の大尉がうんうんと頷き、
「早く。帰してやれ。かわいそうに、このままじゃ、倒れそうだ。」
走ったのでまだ、肩で息をしている。近くの川原でのんびりと、草を食っている牛を、ちょいちょいと指して、行平を見た。
牛をそこから、動かせるのには、一苦労した。牛飼いは、やっと、もとの道に戻った車に主たちを乗せて、京中へ戻る道をたどる。
「大丈夫か?命婦(みょうぶ)の家は、すぐそこだから。」
 気遣う行平の眼に映る女は、格段に怯えて見えはしなかったけれど・・・。
「・・・少し、疲れました。ひとつ、我がままを聞いてもらっていいですか?家へ・・。」
 女が何と思っているのか、見た目は平静だ。
けれど、心もとなくも感じるのは気のせいか。
「家?」
「もう、人手に渡っているかもしれないけれど、庭の桜を今年は、見ていないなあと思って・・・。寄ってもらえませんか?あの、近くで、降ろしてもらえれば、後は、自分で命婦(みょうぶ)さんの家へ行きますから。」
「かまわぬが・・・・。」
 言われるまま、道筋を辿り、目的の場所についた。
「ここが?」
訝しげな顔の衛門の佐(すけ)に、周子(あまねこ)はひとつ会釈すると、車を降りた。長い袿の裾に土がつかないように、衣の前を片手でつまみ、上へひっぱるようにして裾の長さを調節している。衣を摘んだまま、胸のあたりに片手を掲げるようにして、歩いて行く。
後ろ姿を見送りながら、その女の家を観察する。
ところどころ、塀は、崩れてはいるが立派な門地じゃないか・・・。行平も降りて、じっと、中をうかがうように、そこで、呆然と立っている。門のところで、一度振り返って会釈した女を見送る。
「・・・・・・・・・。」
 足元が少しふらついていた・・・・。気になって、追いかける。行平が、門を潜ると、すぐそばで、女がうずくまっている。
「おい。しっかりしろ、大丈夫か?」
 抱えて、中へ入ったが、静かなものだ。人が見つからない。とりあえず、比較的きれいになっていた南の寝殿へ、休ませて、屋敷中を探し回った。数少ない家人をみつけ、女主人が戻ったことを告げた。あまりにも、人が少ないので、行き届かない。何で、こんな家の娘が人の家で下仕えなんかやってたんだ。それくらい、逼迫していた状況だから、一人の女房もいないのは当たり前か。まだ、少しばかり下働きの人間が残っていてよかった。連れてきた牛飼いに、命婦(みょうぶ)を呼びに行くように連絡を頼む。ばたばたと、乱暴に屋敷の廊下を歩く。普段なら、しないことだ。足早に戻る行平の後ろから、老いた厨女がついて来た。
 部屋へ戻ってみると、柱に寄りかかるようにして座っている女が目に入る。
「横になっていたほうがいいぞ。」
 行平の言葉に、
「いいえ。走ったのでちょっと、眩暈がしただけです。もう、楽になりました。すみません。手をわずらわせてしまいました。」
 まだ、声には元気がない。後から、ついてきた厨女が周子(あまねこ)の姿をみると、駆け寄って来る。
「姫さま。よく、お戻りなさいました。」
「あなたたち、まだ残っていたの?」
「はい。ここに住みついたままでも、かまわないと許可をいただいておりましたので・・。」
 ちらりと、庭先をみると、五人ばかりの男も女も似たような年寄りが、心配そうに覗いている。周子(あまねこ)が手放した、馬を引き取ってくれた人がタダではどうもといって対価をくれた。周子(あまねこ)は、それを給金がわりに、残っていた者に分け与えて、どうにかして次を見つけてくれと、言ってあった。彼らにとっては、十分すぎる額で、それでまだ、しばらくはやっていけるはずだと、厨女が答えた。
「今は、春でございますからね。食べられる物も、そこらへんに生えていますし、お庭の池にも・・・。」
 にこにこと、庭先から声があがった。手で、魚を釣り上げる仕草をしている。
「まあ。」
「それよりも、姫さまがお戻りになったら、連絡しないと・・・。」
「?」
「書置きを確かに、お渡ししましたよ。姫さまが、お勤め先を教えてくださらなかったので、随分おしかりを受けました。いえ、もう、大変なお嘆きようで・・・。」
 勤め先を何とか探してくれたのは、昔、ここに勤めていた一人だ。
「うそ・・・。」
 周子(あまねこ)が目を見張ったとき、車がごろごろ、物凄い速さで、門をくぐる音が響いてきた。人の足音がばたばたと近付いてくる。

空に物思いするかな 8

2009-02-18 12:19:35 | 空に物思うかな
車の轍を刻む規則正しい音とともに、車は進んで行く。
 女物の袿の裾を出だした一両の牛車が、賀茂川の近くに差し掛かった。彼方に水面がきらきら輝く川の姿と、そこまで一本に延びた道。辺りに、人の住む小家などもなく、両脇に高くのびた木の密集する林。その間を進んでいた。
 車の中には、周子(あまねこ)がじっと押し黙って大人しく座っている。泣いてもいないし、震えてもいないが、衝撃を受けたのだろう。気には、かかるが、行平も、考えることがあり、黙っていた。いきなり、前触れもなく、カタッ。牛車が止まる。
「ゆ、行平さま。」
 牛飼いの怯えたような声。はじかれたように、片手に太刀を手にして、身構えた行平。周子(あまねこ)が外を伺おうとしているのを。「まだ。出るな。」と、制止する。
「菊王丸。車の後ろへ、身を隠せ。賊は?弓を持っているか。」
 後ろから、来るはずはないと知っているので、行平は、落ち着いた声で指示を出す。
「抜き身の刀は、持っているようですが、弓はないようです。」
 後ろの御簾から、声が聞こえる。
「千沙。そっと、後ろから、降りるぞ。」
 行平に促されるまま、周子(あまねこ)は、車の後ろの地面に降り立つ。こっそりと、前方のようすを伺い、続いて、するりと、出てきた行平。賊との距離は開いている。川の橋を渡る手前で、水干烏帽子を身につけてはいたが、だらしなく前をはだけたり、中には、小袖のみで、ところどころ綻びて、腕がむき出しのもいる。皆、痩せてはいても筋肉質の、日に焼けて、ぎらぎらと目つきの悪い、数人の男たちが屯して、こちらを見てにやにやしている。
牛飼いの菊王丸に。
「上出来だ。菊王丸。早めに気付いて止めたな。」
 にやりと笑った主の顔に、牛飼いも思わず、笑顔になって頷く。
 行平は、それから直衣の袷から、笛を取り出し、短い旋律を鳴らした。その優雅な音を聞いて、橋の袂では、いっせいに爆笑が起こる。
「ピ~ヒャララッ!ときたね。何考えてやがんだか、上つ方って奴ぁよ。お前たち、白川のはずれの寺から出てきたんだろ?そこに、いる女を置いて失せな。」
 大きな怒鳴り声が、あたりに響く。こちらを威喝するつもりなのか、やたら声が大きい。
「白川の寺だと?何のことだ。我らは、近江へ出かけて、大原のほうから、こちらへ回って来たんだ。金子は、幾ばくか所持している、それを置いていくから、そこを通してくれ。」
 すると、いっせいに笑い声が響く。
「出てくるのを見たんだ。言い逃れは出来ないぜ。」
「たっ、頼む。助けてくれっ!」
 行平がいかにも、軟弱な公達と言った声で、応じながら、ちらりと、後ろを確かめる。まだ、少し距離がある。一方、賊は、数人がこちらに近付こうとしている。
「菊王丸。車を進ませてくれ。十歩だ。それから、車はそのまま進ませて、そなたは逃げていい。後ろの道へ。」
「はっ。はい。」
 行平が、賊に声をかける。
「まっ、待て。命は惜しい、女は置いて行く。こちらから行くから、橋の袂で間をあけてくれ~!怖いから、こちらへ来て、取り囲まないでくれ~!」
「はあ~?怖いとな?馬鹿くせえ。まあいい、大人しくこっち来やがれ。」
 牛飼いが、おっかなびっくり車を進める。ごろごろごろ・・・重く車の轍を刻む音がする。数歩歩くと、牛飼いはとうとう耐えられないというように、車を離れて逃げていく。
 車は、こちらへゆっくりとやってくるので、賊たちは、気にも留めずにやにやと、こちらを見ている。ん?賊の一人が異変を感じて目を凝らす。
 ひらひらと、はためくうちきの袖が車の影から見える。?随分、車より向こうに見えるような・・・。はっと、する。向こうへ、女の手を引いて、走って逃げていく公達の直衣の背が見えた。賊は、口々に怒りの言葉を発し、刀を振り回しながら、追いかけて行く。
 追いつかれるか?そう思ったとき、後一歩のところを捕まえようとしていた賊の脚もとに、矢が突き刺さる。弓矢を手にした馬に乗った武装した集団が、現われる。傾城逆転だ。
「賊だ。捕らえよっ!」
 先頭の馬に乗った人物が叫ぶ。一気に、追い回される賊たち。そのほとんどが、捕らえられ、勝敗はすでに決したかと、見回した行平の目に、橋を渡って逃げようとしている賊の一人が目に入る。「あの使いの者だわ。」周子(あまねこ)のつぶやきが聞こえる。
 近くの賊を取り押さえ、縛っている者へ。
「借りるぞ。」
 弓矢をひったくるように、借り、右手に衣を裂いてくるくると巻き、矢を番え、きりりと弦を引き絞る。迷っている間はない。すばやく狙いをつけて、しゅっと矢を放つ。橋の中央付近の賊へむけて、矢が飛んでいく。どさっ。矢が命中し、賊が倒れた。
「おみごと。相変わらず、いい腕だな。」
 指揮を執っていた人物がやって来た。検非違使の大尉。行平の友人だ。捕縛した賊は、ぞろぞろと連行されていく。橋の中央の賊は息絶えていた。矢は、二本。






弓が出てきたので、かまえている写真を貼ってみました・・
    現代の弓と大きさは変わらないようです・・
    ちなみに、弓をかまえているのは、私ではありません。念の為。
    

空に物思いするかな 7

2009-02-18 12:13:03 | 空に物思うかな
 帰りの車の中で、文を開く。
 よい香りが立ち昇って、消える。文には。

 昨日は、思いもかけず楽しい一時を過ごしました。
 忍ぶれば苦しきものを・・・と申しましょうか。最近では、胸の晴れることがなく、ずっと閉じこもりがちで、御仏に祈りを捧げる毎日を過ごしておりました。
本当に、人の心というものはままならぬものですね。
一緒に過ごしました時間は短こうございましたけれど、何か、深い縁を感じましたわ。
ぬしやたれ とへど白玉 いはなくに さらば なべてや あわれとおもはむ
思ってみても、詮無いこと。思いを封じることにいたしました。けれど、切ない思いを誰かに聞いても欲しくて・・・。一番に忘れたいことのみを、ここに記してしまいました。すべてを語るわけでもなく、よくわからないことを・・とお思いでしょうが、これも、御仏に導かれた縁と、笑ってお捨て置きください。恋の悩みをお持ちの方ならば、それでも許してくださるのではないかと考えたのです。どなたかとひっそり 過ごしていらっしゃるのを存じておりました。ずっと、写経に励んでいらっしゃるのも・・・。かわいらしい女業平の君の、願いが叶うことをお祈り申し上げております。

手紙の内容は、別に、大したものではなさそうだ。
周子たちが、恋人同士だと勘違いしていたけれど、これは、そう見せていたのだから、仕方ない。初めの部分の、

忍ぶれば苦しきものを人知れず 思ふてふこと誰にかたらむ

よみ人しらずのこの歌は、思いを誰かに語りたいけど、語れないという悩みがあるのだと、ほのめかしているようにもとれる。
その悩みとは?
すなおに、文面通りなのかしら?「ぬしやたれ・・・」どうして、脈絡もなくこの歌なのかしら・・・。

ぬしやたれとへど 白玉いわなくに さらばなべてあわれとおもはむ 河原左大臣

 五節の舞姫の簪が落ちていたのを、持ち主は誰と聞いてもたが、答えない。それじゃあ、白玉のように美しい舞姫たちを、皆を私のいとしい人と思うとするか。歌は、そんな意味だ。落とし主を、問うから、女の名を問う、という求婚の意味合いのある事柄を連想した軽い戯れの歌だ。
周子は、小首を傾げた。それにしても、何でこの歌?忘れたいって言ってるから、あの人の馴れ初めの歌かしら・・・・・。
 逢わなければよかった、後悔しているとか?
 簪を拾ってもらったのかしら。あの人、綺麗だったから、五節の舞姫をつとめたことあったとか・・・?
 簪なんて、普通は使わないものね。
 髪は、周子のは勤めに出るため、今は、膝下ぐらいまでの長さになっているけれど、女の髪は、結わずに床をつくほど長い髪を垂らしているだけなのは変らない。簪などは、通常用いられないので、そんなふうに考えた。
 五節の舞姫は、古い時代の格好で、頭髪を結うから、簪なども必要だから。
 車に揺られながら、周子は考える。

空に物思いするかな 6

2009-02-18 12:09:05 | 空に物思うかな
 聞き終わって、何故か、衛門の佐(すけ)が唸っている。
周子(あまねこ)が、不安そうな目をしているので、軽く首を横に振って。
「千沙。女がナンパなんかするなよ・・・。それに、その歌は、雨も降ってないのに、用法が間違ってないか?」
 歌は、古今集の中の、在原業平のもの。
ぬれつつぞしひて折りつる 年のうちに春はいくかもあらじと思へば
業平は色男の代名詞のような人物だ。その彼から、雨に袖を濡らしながらも、春は短いので、あなたにと思って、花を折り取ってきたよと渡されれば、相手の心に響く、そんな場景が浮かぶ歌なのだ。
「そこは反論されても、よかったんです。話かける糸口がみつかれば。それに、女の私が使ったからこそ、気軽に返事が返ってきたんですもの。それより、その目つきの悪い男ですけれど・・・たぶん、衛門の佐(すけ)さまが探している者だと思って。教えてあげようと思ったら、ここへ、戻ってくるなり、ごろんと横になってしまわれるのですもの。」
 もちろん、盗賊探しに疑問を感じないでもなかったが、あまりにも、はまりすぎた者がいたので、これだとも思った。
「人の宿直を代わってやってたからな。まったく、出勤しないというわけにもいかない。」
「お仕事ですか・・・。」
 目つきが悪いだけでは、盗賊と決め付けるのもどうかと、指摘され、周子(あまねこ)がその根拠をのべた。手の甲を指差し。
「だって、甲に刀傷があるのですもの。目つきが悪すぎです。主人の思い人に対する態度も横柄でしたし、あんな雰囲気の人間を、対面を気にする家は、普通は雇いませんわ。」
「なるほど・・・。」
「あの・・・もう少し、話かけて、お探しの、証拠に行き着けないか、やってみましょうか?」
 思案しつつ答える行平は。
「まず。女にすべて打ちあけてもいまいが・・・そうだな、その女とは、話してみたい。千沙。そなたも共に、今から、いいか?」
 こくんと、頷く。
「あっ。ちょっと待って下さい。」
 部屋の文机の側に綺麗に折りたたんであった紙を取ってきて、戻って来る。ぺこりと頭を下げ。
「衛門の佐(すけ)さま。ひとつ、無心してもいいですか。これ、お経を写したものなのですけれど、今日は、亡き母の月命日なので、供養の為に、寺へ収めたいのですが・・・。」
 お布施が、出せない。
「ああ。じゃあ、先に、頼んできてやる。ちょっと、待ってろ。」
 そう言って、経を写した紙を受け取ると、行平は出て行った。





 寺のものを探して、頼む。お堂が騒がしい。行平が、さりげなく中を見ると、経をあげる声に、頭を垂れて、何やら、すがるように手を合わせる人物がいた。
「?」
 参議の惟仲どの?隣は・・・・。何で、あの人まで?兄弟だから、有り得ないわけじゃないが。まずいだろう。ここへ来るなんて。心の中で舌打ちする行平。視線を感じたのか、目を上げて、行平を見つけると、そっと、こちらへやって来る。中納言だ。
「すまんな、弟を止められなくて。この寺が霊験あらたかだと聞き及んで、どうしてもと言い張るので、わしも付いて来た。邪魔にならぬように、早々に退散するようにするよ。」
「あの。何か?」
「いや。ちょっとした私事だ。まったく、普段はほったらかしのくせに・・・。ああ、いや、身内の為の供養だよ。」
「そうですか・・・。私のほうは、協力者のおかげで、少しは成果がありました。けれど、時間切れです。今日はもう、引き上げようと思っていたところですから。」
「そうか。ご苦労だな。」
 あまり深くは、訊かずに、行平もその場を立ち去る。
 宿坊に戻る途中で、突っ立ていた周子(あまねこ)を見つける。
「千沙?」
 青ざめて、返事をしない彼女に、近寄り、もう一度、強く呼ぶ。
「千沙。」
 やっと、それが自分の名だと気付いて、こくりと頷くと、今にも泣きそうな声で告げる。
「はかなくなってしまったの。」
「え?」
「今、常盤さまが、亡くなられたって、聞いたの。」
 静かだった宿坊がばたばたと、騒がしくなったので、部屋を出て、人をつかまえて確かめた。部屋で血まみれで、倒れていたそうだ。
 さすがに周子(あまねこ)が、震えているので。
「大丈夫だ。そなたは、もう何もしなくてもいい。怖い思いをさせたな。戻る準備をして、寺をでよう。送っていってやるから。」
 小さくこくんと頷く周子(あまねこ)。うながして、部屋へ戻ると。寺の、宿坊の客の世話をやいている若い僧が、やって来て、周子(あまねこ)に文を渡した。亡くなった常盤から、預かったものだという。
「今朝、預かって、少し時間が経ってしまいましたが、手の空いている時でいいと言われましたもので・・・。いろいろ、ありましたから、忘れないうちにと思いまして。」
 すまなそうに渡す。そわそわしているのは、向うの宿坊の後片付けなどに、戻らなければならないからだろう。
「私たちも、そろそろ、家へ戻ろうと思っていたところだ。穢れにふれると、出仕にさしさわりがある。忙しいところ、申し訳ないが・・・。」
「はい。」
 伝えて、そのまま、早々に寺を出た。

空に物思いするかな 5

2009-02-11 14:50:42 | 空に物思うかな
「そなたの父は?通っていたのなら、邸内のようすは気付いていたのだろう?」
「うすうすは・・・。でも、母が直接訴えることもなかったので。もちろん、ご祈祷などは手配してはくれましたけれど・・・。そんなもの、効くわけありませんわよね。それに、祖父もなくなっていましたし、あちらの実家の力のほうが、勝っていて、面倒なことは避けたかったのではないかしら。母が亡くなったあとは、もう、家は、見る影もない状態で、だから、働きに出ることにしたんです。」
「娘を引き取らなかったのか・・・・。」
「それは、私が拒んだのです。嫌な女の顔色を伺って、びくびく生活するなど考えられませんわ。思い出のある家を出るのは嫌だからと、しばらく抵抗し続けました。その間に、とっとと働きに出てしまえば、もう諦めるかと。」
「ちょっと、待て。そなた、家出してきたのか?・・・じゃ、そなたのほうが、ややこしいことになりそうではないか。」
「大丈夫です。もう随分経っているのに、連絡のひとつもありませんわ。」
「・・・それ、本当か?」
 思いつきでやって、人選を誤ったか。行平が、思わず渋い顔になったのを、周子(あまねこ)はくすっと笑って。
「私の事情なんか、どうでもいいでしょう。すみません。話が逸れてしまいました。行平さまは、この寺にやってくる人を吟味しているみたい。」
 笑った。初めて、こちらに向けて笑顔を見せた。それに、少しほっとしている心に、行平は苦笑しながら。
「そうだな。正確に言えば、ここにしばしば参篭する方に、接触する者をだな。」
「それは。盗賊と・・・。」
 言いかけた言葉を途中で止めた。行平が、しっと、人差し指を立てたからだ。
周子は黙り、ちらりと頭の片隅で、先ほどの行平の言葉を反芻する。方って、言ったわよね?疑問を抱えながら、少し離れたところで、人の歩く気配が伝わり、静かになるまで、耳をすましている。
「関係はあるんだ。検非違使の大尉(だいしょう)を勤める、幼馴染に相談されてな。いつも、そのあたりで見失う屋敷があるんだ。さすがに、彼の権限では踏み込めない屋敷だ。けれど、確たる証拠があれば、別だろう?そう、思って、調べるのを協力してたんだが、これがどうも、きな臭くなってきて、一度、別当どのに打ち明けた。彼は、係わっていなそうだったから。」
 始めは、軽い気持ちで手伝っていた。大尉の上司、検非違使の佐とも、行平は、親しかったので、もちろん了解のもとであったのだが、話がただの盗賊騒ぎが、どんどん違う方向へ転がっていき・・・・・。偉い人に報告するのが、妥当なのだが、うっかり相談できない感じだ。検討の末、一番妥当な人物に話を持って行った。その時点で、行平の手を離れたと思っていたら、結局、手伝うはめになった。
「別当どの・・・・・。」
周子の表情が、少し揺れる。無理もない、話が大きくなっていきそうなのだから。行平は、思う。とはいっても、ここで、説明を終わりにするわけにもいかず、続きを話す。
 誰に、どのように相談を持ちかけるかは、難しいところだった。検非違使の別当は、今は一の中納言が兼ねており、彼は、調べている人物とは何ら関わりがなかったので、まず、スジとして相談してみた。
「兵部卿の宮を知っているか?」
「いいえ。確か、数年前に、お年を召した宮さまが亡くなられて、替わられたぐらいしか。」
 式部卿の宮、中務卿の宮、兵部卿の宮。皆、長官職には違いないが、ほとんど名誉職のようなもので、親王とか、皇族がなる役職だ。それでも、世に捨てられたような皇子よりかは、生活も安泰で対面も保てるから、なり手には困らない。たまたま、高齢の兵部卿に続き、中務、式部と、あいついで亡くなった。すべて、今の帝の伯父たちがついていたが、今の帝には兄弟はいない。皇子も、三人のうち、一人は亡くなり、一人は東宮。残りの皇子が、中務卿に決まり、式部卿には、そのまま子息がついた。兵部卿の宮のあとには、そんな方がいらっしゃったのか、という認識の、ずっと廃れたままになっていた先先帝の皇子の息子という方がなった。
「あの時は、高位の公卿たちも、流行り病でばたばたと亡くなり、人事がころころ変わっていたから、無名の皇孫の一人が、兵部卿について、評判がたたなくて、知らなくてもおかしくないさ。」
「・・・・・・・。」
「人当たりの良い性格ということだが・・・。」
「逃げ込んだ先が、その兵部卿の宮の屋敷なの?」
 行平が頷いた。
「単に、知らずに雇っているか。あるいは・・・。」
「それと、このお寺とどういう関係が・・あら?二、三日前に、来たのはその宮さま?」
「頻繁に出入りしている。それに、必ず居合わせている特定の者たちがいる。その面子を調べるのが、本当の役目だ。」
「ちょっと、待って。盗賊を捕まえるのじゃないの?」
「それも、後で捕まえるさ。けれど、今は・・・。」
「標的は、兵部卿の宮?」
 こんな所で、密議を重ねているのだから、事は、盗賊を匿っているとか、うっかり雇っていたとかいう話ではないだろう。陰謀?周子は、ごくりと唾を飲み込んだ。
 行平は、いたって平静に見えるが。
「本当は、確たる証拠があればいいけれど。今回は、まあ、面子だけでもいいか。お籠もりにも限界があるだろう。」
「・・・・では、私のは、あまり、益の無い話なのかもしれませんわ。」
「言ってみろ。」
「ええ。同じくらいここに長く逗留している女の方がいるでしょう?常盤さまという名だそうですわ。内裏にお勤めの女官だと、聞いたわ。その、宮さまと会っていたの。」
「・・・・・女官。」
 たまたま、庭を散策していた。夜だったけれど、坊さんたちは朝が早いのでもう寝入ってしまっている頃だし、明るくないから、うっかり誰かに見咎められることもないと思い、外を歩いていたのだ。座って写経していて、集中力が切れかけていたので、気分転換をしたかったから。ちょっと開放された気分で浮かれてしまっていたから、うっかり、人の宿坊に近付いてしまった。風雅な香りに、気をとられて見た先に、寄り添うようにしている二人が見えた。周子(あまねこ)は、そっと、回れ右して、恋人たちの逢瀬の邪魔にならないようにそこを離れようとした。
「本当に、たまたま目にはいっただけで、どうしてって訊かれても答えられないけれど。何だか、その常盤さまが幸せそうに見えなかったから、印象に残っていて・・・。それに、いつも一心に、お堂で手を合わせていらっしゃるの。」
 思い切って、翌日、声をかけてみようと思った。




何気ないふうを装い、周子(あまねこ)は、常盤の逗留する部屋の前を通り、近くに咲いている桜を見て言った。「まあ。綺麗に咲いているわ。華やかで。見ている間は、浮きことの多い世も、忘れてしまいますわねえ。」中に、話しかけるように言ったのだけど、やはり、答えはなく。ぽきりと、枝の一つを折り取って、紙に「春は幾日(いくか)もあらねば。」と書いて添えて、御簾の下から、中へ滑り込ませた。「業平でなくて、申し訳ないけれど、よかったら、一緒にお花見いたしません?」その声を聞くと、中からくすくすと忍び笑いが聞こえ、御簾をあげて人が出てきた。「あらあら、かわいらしい業平だこと。」そう言って出てきた女は、昨夜見かけた憂い顔など似つかわしくない美しい人だった。そこで、花を見ながらしばらく、話していたのだが、使いの者だという男がやって来て、周子(あまねこ)はその場を立ち去ることになってしまった。常盤の顔が曇り、会話が突然途切れてしまったのだ。それにもまして、使いの男の詮索するような視線が気になった。何だか、とても柄の悪いふうに見えたのだ。周子(あまねこ)は、慌てて、その場を立ち去った。

空に物思いするかな 4

2009-02-11 14:47:18 | 空に物思うかな
「きちんと答えてくださらなければ、お探しのものかどうか、わかりませんわよ。」
「む?」
 瞬間、表情が引き締まって、値踏みをするような視線が、周子(あまねこ)を見ている。彼女は、相変わらず柱にしがみつかんばかりにしているが、もう、怒った顔はしていない。
「夜は、盗賊たちは市中へ出ているはずです。住処は、もぬけの殻。それに、知らない場所を闇雲に探し回ったって、運よく、その場所を突き止められるなんて、お気楽な考えの持ち主とは思いませんもの。いえ、言葉が過ぎました。すみません。市中の道筋ならともかく、この辺りは、整った道も少ない。足元のおぼつかない木々の間を夜に歩き回るなんて、危なくないのかしらと、それから、ずっと考えていたんです。」
「それで?」
 行平は、腕を組んで聞いている。
「このお寺に居続けるわけ。不思議なのは、通う女のお供で、参篭に付き合うにしても、衛門の佐(すけ)さま、ご自身の知り合いに会う確立が高いのですわ。ひっそりとした山寺ならともかく、ここは随分人気のあるお寺。先日も、何宮さまだったかしら、私はよく存じませんが、いらっしゃっていたし、ご身分のある方も、結構来ていらっっしゃったから、あなたさまでは目立ちすぎてしまいます。それなのに、昼間もひっそりなさらずに、参篭中の方とお話なさっていたり・・・ぜったい、変ですもの。目的が、他にあるのでしょう?あと・・・。」
「あと?」
「・・・いえ、これは本題とは関係ない話です・・・。」
「言ってみろ。」
「・・・名門のご子弟がどこの女ともわからぬ者と、お寺に篭ってるなんて噂がながれたら困るのではないのですか?」
「そんなものは、そのうち消える類のものだ。」
 こういう噂は、女にとって不利になることがあるかもしれないが。噂がたち、不名誉になることもあるかもしれないが、通い婚で成立する夫婦が大多数なので、ずっと一人に添い遂げるのが良しみたいな、もっと後の世のようには、世間の評価も厳しくはない。良家の姫というなら別だろうが、女も、とりたてて咎めたてられることもないくらいの関係じゃないかと、彼は思っている。
「・・・そうじゃなくて・・・。」
「?」
 溜息をつく周子(あまねこ)。
「まさか、ここに北の方さまが乗り込んでくるなんて惨事にならなければいいけれど・・・。」
 ああっ?と、虚をつかれたように、ぽかんと口を開けた行平。彼を、じっと見上げていた瞳が逸らされる。
「人の恨みは、恐ろしいですから。」
 下を向いて言った。黒い艶やかな髪が頬にかかって、その表情がよく見えない。行平は、その髪を思わず払いのけてみたい衝動にかられ、手を延ばしかけてやめた。ぎゅっと袖口を握って、肩に力の入った女の姿が全身で、人を拒絶しているみたいに見えた。気付かぬふりして、軽口をたたく。
「恨み?呪いでもかけられたことがあるような口ぶりだな。まあ、それは怖いだろうな。」
「呪いなど、怖くはありません。怖いのは、呪う人のほうだわ。」
「・・・・・・。」
 袖口を握っている手が震えている。泣いているのかと思った。けれど、こちらを見た女の目はぬれてはいない。行平がこくりと、頷く。
新参の彼女は、主家の事情に疎いのだと思い出す。
「特定の女は、今のところいない。だから、ややこしいことになることはないだろう。それより・・・。」
「え?」
「恐ろしければ、泣いてもいいのだぞ。少しくらいなら、頼って寄りかかってもいいのだと思う。泣いて喚いて、相手の男に訴えてやれ。そなた、黙って、その男と別れたのではないか?」
 周子(あまねこ)が、軽く目を見開く。
「違います。私のことじゃ、ありません。母の・・・。家に、執拗な嫌がらせをされたことがあるんです。それを見ていたから、嫌だなあって、思っただけです。」
 何で話しているんだろう。そう思いながら。こんな話、どこにでもありそうだから、まあいいかと、気がつくと周子(あまねこ)は、話していた。妻とはいっても、一人と決まったわけではなく、それが普通に認識される世で、誰が正妻で、誰が妾だとか、はっきりとした区別はされない。しかし、現実問題、同等に扱われるかというと、それは別だ。女の実家の力や、その女の魅力や、場合によっては、人柄なんかも影響してくるかもしれない。それでも、周子(あまねこ)の母も、別段、ひけを感じるほどの差はなかったとは思うのだ。けれど・・・。
元から、小さな嫌がらせは、ちょくちょくあった。祖父がいた頃は、あからさまな実害のあるようなものではなかった。本格化したのは、庇護してくれる祖父がいなくなってからだ。気味の悪いことが続き、家人たちがやめていく。母は、そのことで気弱になって、臥せりがちになってしまった。けれど、それにはすべて、仕掛けがあったのだ。あきらかに、人が仕掛けたものであるのに、訴えても、母は寂しそうに俯くだけで、対抗しようともしなかった。

空に物思いするかな 3

2009-02-11 14:32:45 | 空に物思うかな
 読経の音が聞こえてくる。宿坊で、文机に向かって、写経をしている手を止めて、周子(あまねこ)は、耳を澄ます。さっき、牛を追う声と、沢山の人がやって来た気配がしていたから、また、新たな参詣者が到着したのだろう。想像していたのと違い、大きな寺で、人の出入りも多い。白川のはずれではあるが、京中からは賀茂川を越えてやってくる道筋は、楽にやってこられるので、当たり前といえば言えるか・・・。
 そっと、筆を置く。ちらりと後ろを振り返る。部屋の隅に、こちらへ背を向けて、正体なく眠りこけている衛門の佐(すけ)を確かめる。べっと、舌をだしてみる。べろべろ・・・・。続いて、イーッ!・・と歯をむき出し、とても誉められた行為じゃない顔をし、それでも、全く、無反応なのを確かめると、肩を竦めて、ふふと笑みを浮かべた。
こっそり、縁の近くへ移動する。
外に人の気配のないのを確かめてから、廊下と室内を隔てている御簾と柱の隙間から、外を伺う。さすがに、今やってきた一行までは、見えない。
 寺の者が通りかかったら、誰が着いたのか訊けるのに・・と、身を乗り出すようにしている周子(あまねこ)の後ろから、声が掛かる。
「誰か、また、着いたのか。」
 びくっと、肩を強張らせて振り返った周子(あまねこ)の目に、今、起き上がって眠そうに欠伸をしている行平が映る。駄目貴公子だわと決め付けて。彼が連日、夜はどこかへ出かけて、疲れがたまっているからなのだが、理由など無視だ。直衣の首の括りを緩め、着くずして、だるそうにしているその姿に、軽く冷たい視線をそそぐ。
「起きてらっしゃったんですか・・・・。ふぎゃっ。」
「態度悪すぎだぞ、千沙。」
 周子(あまねこ)は、鼻をきゅっと摘まれ、つぶれた猫の子のような声を出した。緩慢なのは、欠伸をしていた直後だけで、ささっとこちらへ寄ってきたかと思うと、行平は、してやったりという顔をしている。
「これで、お返しだ。」
 得意げな顔。
「子どもですか、あなたは。」
「そなたもな。さっき、あかんべをしていただろう。」
「・・・・・・・。」
 後ろに目でもついてるんですか?と、心の中で悪態をつきながらも、行平が神経を尖らせていることに気付いた。休んでいても、太刀はずっと、すぐに手に取ることができる所に置いているのだ。飾り太刀ではない、黒塗りの実用的な刀。
「太刀なんて、使えるのですか。」
 相手によっては、長い刃物を抜くだけで効果あるだろうが、実践経験のある者ならば、別だ。戦う力量も必要だ。太刀など、持っていても、まったく使えない公達は多い。
「自分と、女一人ぐらい守ってやるくらいには、使える。常に連絡の者は潜ませてあるし、何かあれば、すぐに大勢かけつけられるようにはしてある。それまでぐらいは、もつさ。この寺で騒動は起こらんと思うが。念の為。」
 不安そうに見えたのだろうか。周子(あまねこ)が、こちらを伺うように上目遣いに見ているので、行平が安心させるように、大きく笑って見せた。変な人。心の中で、周子(あまねこ)は呟き、ぷいと横を向く。変と言えば、他にもある。すぐ目の前の御簾を押して、身を乗り出すように外を覗く。静かな寺の庭先と、その向うに青い空が見えた。
「そんなに身を乗り出したら、外から、姿が見えてしまうぞ。」
 行平が注意を促す。身分のある女性は、人前に顔を晒さず、御簾の内に大人しくしているものだ。はあとわざとらしく溜息をつき、周子(あまねこ)は、手に持っていた檜扇をざっと音をさせて広げる。行平からの視線を避けるように、間を塞いで掲げている。
 空の青を映したまま、ぼそりと呟く。
「変ですわね・・・・。」
「変?外の様子がか?」
「・・・・・いえ、それは普通の参詣者のようですわ。お供の人数が多いから、身分の高い方か、はぶりのよろしい家の方かしら。」
「何が気になるんだ。」
 行平も、周子(あまねこ)のつくった御簾の隙間から外を覗く。一体、どこを見ているのか。檜扇が邪魔で女の視線の先が読めない。ひょいと、手で、檜扇をつまみあげる。斜め上?
「さっきから、何を見ている?」
「空ですわ。」
「空?」
 何故?理解不能だ。行平は、眉を顰める。
「今日も、よく晴れて、綺麗な青・・・は、ともかく、考えることがあるときは、こうして空を見上げますの。余計なものがなくていいでしょう?」
「・・・・・・・・・。」
 ちらりとこちらを見た視線は、強い輝きを持っていた。この女の甘い顔立ちには似合わぬ視線だ。唇が動く。
「どうして、衛門の佐(すけ)さまご本人が、ここにいるかということ。おかしなことですわね?」
「・・・・・・・・。」
「権門の、しかもご身分のある方自らが潜入なさらなくても・・・その、潜入も少し気になる点がございますけど、これは、あとにしましょう。配下の方にやらせればいいのではないでしょうか。さっき、手の者は忍せてあると、おっしゃいましたよね?衛門の佐(すけ)さまは、連絡を待って指示するだけでいいのではないですか?」
 じっとこちらを見つめてる目は、小さな変化も見逃さないと言っているようだ。
「性分でな、大事なところは自分でやらねば気がすまないのだ・・・・。」
 と、答えた彼も、落ち着いたもので、真意など覗かせぬ温顔で、ちょっとおもしろいものを見つけたかのような表情も見せた。
「・・・・そうですか。」
 幾分、甲高い音を含んだ女の、まだ、幼さを残している声。問い詰められて、行平が曖昧な微笑を浮かべる。そうですかとは言ったが、まったく納得していないのは、伝わる。
「それに、連日、夜中にどこに行ってらっしゃるのやら。」
 きっと、その視線をあげて見つめてくる。行平が、微妙に目を細めた。ふうん?盗賊の住処を探しに行っていないことには気付いているって、わけか。
口角が上がる。
ぽんぽん。女の肩を軽く撫でる。
「何だか、浮気を問い詰められている気分だな。」
「ちょっと、近付きすぎですっ。離れて下さい!」
 ぱしっと手を掃われ、行平と反対側の柱にしがみつくようにしている。ぷっと、頬を膨らませる。まるで、小動物のようだ。おかしくなって、行平がくすくす笑い出す。


空に物思いするかな 2

2009-02-04 15:53:39 | 空に物思うかな
 騒がしい。浮き足立った、女たちの声が、邸内のあちこちでしている。周子(あまねこ)は、呼ばれて、このお屋敷に仕える女房の局へ顔を出す。室に足を踏み入れると、ふわりと華やかな香が鼻孔をくすぐる。衣に香を焚き染めるために、伏籠の上に広げられた紅梅の衣がめに入る。側に置かれた几帳の布地も美しく、なぜか、引き出されていた硯箱の細工も、黒地に螺鈿の花もようの入った上質なものだ。どれも、古びた物はなく、この女房の局だけでも、周子(あまねこ)の家とは比べ物にならないくらい、行き届いている。
ここは、すでに亡くなった先の東宮の妃だった四条の御息所の屋敷。
周子(あまねこ)は、素性を隠して、勤めに出た。自力で探すのは、さすがに出来るはずもなく、昔、家に勤めていた女房を頼った。その女房は、はじめ躊躇していたが、それでも、彼女の境遇に同情してくれたから、勤め先を探してくれた。お目見え出来るような、上臈女房ではなく、彼女たちの指図を受ける下仕えとしてではあったが。いい条件でというのは、あるはずもなく、それでも、無難なところを紹介して貰ったのだから、文句は言えない。
 周子(あまねこ)を呼んだ女房が、膝に広げていた文から顔をあげて、こちらを向く。命婦(みょうぶ)というわれる、もう随分、おばあちゃんな女房だ。
「ああ、千沙。お前、字がきれいだったわよね。代筆してちょうだいな。」
「・・・文のお返事ですか?」
 千沙というのは、もちろん偽名だ。
少し、目を丸くしながら言われたとおり、硯箱を引き寄せ、筆を走らせる周子(あまねこ)へ。
「うふふ。こんな、おばあちゃんに、なんて不思議でしょう?文を交わすだけなら、昔のように色めいたことも可能なのよ。」
 薄様の紙をすてきに重ねた文は、なんとも艶めいた内容で、周子(あまねこ)が首を捻りながら、筆の速度を緩めたので、命婦(みょうぶ)が答える。
文通だけなら、若い娘を装うことなども、可能だ。文だけに留めて、昔のいけいけだったころの気分を味わっているのだと、あっさりと教えてくれた。
「・・・・・・・。」
 それ・・・さぎだから。とは、口に出せず。周子(あまねこ)は、微妙に頷きながら、言われたとおり筆を動かしていく。
 写し終えて、命婦(みょうぶ)に文を渡すと、隅から隅まで、目を通して点検し終わると、満足そうに頷く。
「下仕えなんて、もったいないねえ。こんな特技があるのだもの。それに、そこそこ教養もあるようだし・・・。ここへは、親戚のつてだったかしら。でも、もとは、お勤めにでなくてもいいような家の娘ではないのではなくて?」
「えっ。」
 経験豊富な女房だけあって、沢山の人を見てきている。周子(あまねこ)は、少し、どきっとしながら、あいまいに微笑む。
「あの・・・そこそこでは、ございましたけど。親が、いなくなったら、あっという間に、食べていくのにも困ってしまいました。親戚に身を寄せて転がり込むのもどうかと思い。つてを頼って条件のよさそうなところを、探して貰ったのです。」
 誰もいなくなったあばら家で、野垂れ死によりかは、ましだろう。今、彼女がやっている仕事は、女房たちの雑用係で、必ずしも、きつい仕事とは言えない。もっと直接的に体を使って、朝から晩まで働く、仕事に従事する人もあるのだ。寒い日の水仕事とか、本当に辛そうだ。そんなふうに、答えると、命婦(みょうぶ)は、細い目をさらに細めて、頷いた。
「そうでしたか・・・。千沙は、いい子ですね。このまま、一生懸命お勤めするのですよ。人柄も良いし、手書きというのは女でも、とても重宝されますからね。いずれ、今より引き上げてもらえますよ。」
 頻繁に文を交わすこの時代、手書きといわれる字の上手い者はとても重宝された。ちょっとした文でも、やはり体裁を整えたいと思うのが人の心というものだ。
「はい・・・・。」
 周子(あまねこ)が頷くと、ちょうど、すぐ近くの女房たちが雑居している局から、黄色い声があがる。何事かと、外を伺う。
「ああ。御息所さまの弟君がお出でになったのですよ。」
「弟君・・・。」
「ええ。衛門の佐(すけ)さま。でもね。かの方も、格好いい方でございますけれど、皆の色めきたった様子では、おそらく、お友達を連れていらっしゃったのでしょう。」
「へえ。では、その方が、この黄色い声の原因なのですね。」
 人の歩いてくる気配が近いことを知っていながら、そんな会話をしていると、入り口の木戸のところで、その気配が止まった。
「ひどいなあ。まるで、私が全く、もてないみたいじゃないか。」
「まあ。そんなことを申し上げたつもりはございません。衛門の佐(すけ)さま、お一人でも、こちらが華やぎます。けれど、お友達の、左(さ)小弁(しょうべん)さまも、加わると華やぎが増しますもの。」
 戸口附近に座り、檜扇で顔を隠して、命婦(みょうぶ)は、ほほほ・・といった感じ。(衛門の佐も左小弁も、役職名、直接名を呼ぶことは少なかった。)周子(あまねこ)は、大人しく隅に控えて、手をついて頭を下げている。女たちが騒ぐ、左(さ)小弁(しょうべん)とは、どんな容貌をしているのだろうと気になって、ちらりと盗み見る。桜の直衣(のうし)という白い衣の下に、赤の衣を重ね(下の赤が透けて、白の直衣が微妙に桜の薄い紅色に見えるから桜。)。この季節の、貴公子がよく着る格好をした公達が二人。二十歳前後と、年恰好も似た二人がいる。
命婦(みょうぶ)と話していたから、手前が衛門の佐(すけ)。その後ろから、二人の会話を面白そうに眺めているのが、左小弁だろう。わっ、格好良い。色白で、柔和な造りは育ちのよさそうな公達らしい。柔和というと、うっかりぼんやりと平凡に納まってしまいそうだが、高い鼻梁と、聡明そうな目が印象に残り、すっきりと清潔感漂う感じは、多くの女の好むところだろう。  思わず、顔を上げすぎてしまい、近付いてきた衛門の佐(すけ)の視線に気づき、慌てて下を向く。衛門の佐(すけ)が、周子(あまねこ)の手元に、折りたたんだ文があるのを目ざとくみつけ、それを拾う。
「相変わらず、口の減らぬ。もう、引退したかと思ったが。命婦(みょうぶ)、こっちのほうも、現役か。」
 無遠慮に、文を見つめ、衛門の佐(すけ)がいう。
「まあ。そのように、意地悪を。年をとっていても、女は女。優しくない男は、もてませんよ。若様。行平さま。」
 長く御息所につかえる命婦(みょうぶ)は、当然、昔から、彼を知っている。主家の若君をそう呼んだ。命婦(みょうぶ)のいっきに若やいだような、艶を含んだ声に、苦笑しながらも、衛門の佐(すけ)、行平は、文に書き付けられた字をじっと見つめている。
「随分、若々しい感じだが、命婦(みょうぶ)、そなたの字か?」
「いいえ。代筆でございますよ。近頃、文字を書くのは、随分つらくなって・・・いえ、あの。その字は、この者が書いたんでございますよ。」
 行平は、命婦(みょうぶ)が示した傍らに平伏している下仕えの女に目をやる。
「手書きだな。」
 隣りの、左小弁も、行平の持つ文を覗き込んで、頷く。
「まあ。お褒めいただいてよかったですね。」
 命婦(みょうぶ)が、隅に控えている周子(あまねこ)に声をかけると、彼女はますます、身を縮めるようにしている。
「ふむ・・・。」
 思いがけず、低い声が頭を下げている周子(あまねこ)の上から、降ってくる。不安になって、少し、上をのぞき見る。目と目があった。
周子(あまねこ)を見ている顔。やや、眉がしっかりした表情を刻んでいるが、まず、整った貴公子らしい造りといえよう。桜の直衣。白い衣の首元から、下に重ねている衣の赤が覗いている。上質な絹の衣も、着慣れた感じだ。
周子(あまねこ)の頤に手が伸びてくる。くいっと、上を向かせて、女の顔を覗き込む、限りなく無作法な仕草も、赦されるくらいな優雅な雰囲気を持っているのに、その目は、鋭い。って、何で観察しているのよ、私。周子(あまねこ)も突然のことに、思考が上手く回らないで、心の中で、あせりながら自分に言った。
一方、相手の行平も、彼女を観察している。あまやかな雰囲気の顔立ち。主の前に出ることのない下仕えとあって、さすがに命婦たちのように白く顔を造っていないが、健康そうな肌は白く、この階層の者としては垢抜けている。女たちは、基本的に美白、それも白ければ白いほど良いというので、真っ白に塗りこめて顔を造ると表現される化粧をするから、そうでなければ、もっとやぼったいと感じてもいいはずなのだが、目の前の女は、そうでもない。こちらを見つめてくる瞳が、一瞬、こちらの視線を跳ね返すように反発した。気も強そうだ。何事か、こちらの出方を計りながら、どうしようか考えているその目が、理知的な輝きを宿している。
「決めた。」
「えっ?」
「命婦(みょうぶ)。この者を借りるぞ。」
 行平に手首を捉まれて、連れて行かれそうになる。
「やだっ。」
 思わず叫んで、尻餅をついて力いっぱい、後ろへ下がる。ばたばた、と抵抗され、目を丸くしている行平。命婦(みょうぶ)が、止めにはいる。
「お待ちくださいまし。ここの女房たちなら、お相手にも不足はございませんが、下仕えの者とあっては、別でございましょう。それに、このことが、姉君さまのもとに耳に入れば、お叱りを受けましょう。」
「?」
 ふいに、手を離して、不審な顔で命婦(みょうぶ)の方を向く。行平は、それから、後ろの友人の左小弁を振り返り、首を傾げながら訊いた。
「ひょっとして、俺、今、嫌がる娘を無理強いする悪者になってる?」
「みたいだね。・・・付き合い長いから、君が何考えてるか、私にはわかるけど、説明しなければね。騒ぎを見ている者がいると、あとあと、困るかもしれないだろ。それに、姉上の御息所にも了承をいただかなければ。」
 友人の言葉に、ひとつ首を縦に振ると。
「・・・・そっか。すまん。」
 行平は、手を放すと、ぺこりと頭を下げた。酷い目にあったとばかりに、一目散に逃げようと思っていた周子(あまねこ)も、これには意表をつかれた。何?何で、下仕えの者に、すなおに謝ってるの。この人、変。そのせいで、逃げそびれてしまった。
「実は、大事なお役目があって、その為に、女の信用の置ける協力者が必要なんだ。」
 盗賊が、どうやらその辺りを住みかにしているらしいという情報がある。さりげなく、探る必要があり、女連れの用を装い、探りを入れるつもりなのだ。
 今、京を騒がす盗賊団の住処を突き止める為に、寺へ参篭する女君役の者が必要なのだと、説明する。寺に写経をする為、篭る女と、その夫。もちろん、それらしい理由をつけて、夫役の男は、そこを拠点に動けるようにする。
 説明を聞いて、周子は、目を見張る。何てこと、思いっきり危険ではないの。
「私、命が惜しゅうございますから、お断り申し上げますわ。わざわざ、寺というからには、そのお寺が怪しいのではないでしょうか。そこへ、篭るのは危険でございましょう。」
 きっぱりと、頭をあげて、断る女に、行平も、目を見張る。
「いや。その寺の辺りで、いつも見失うというものでな。先に、寺の坊主どもはちゃんと身元は調査済みだ。その辺りをうろうろするためだ。そなたは、写経をしていてくれるだけでいい。」
「本当に?」
「ああ。」
 周子(あまねこ)が、探るように行平を見た。ちょっと、首を振り。
「でも、やっぱり、嫌です。せっかく、やっと探したお勤め先を、離れてしまえば、失ってしまいます。」
「いや。それならば、ちゃんと戻してやるから。後の仕事にはあぶれぬようにすると、約束する。」
「いえ。信頼おけるというなら、新参者の私なんかより、もっと古くから勤めている方がいるでしょう。それに、盗賊といえば、検非違使のお仕事ではありませんの?衛門の佐(すけ)さまが、どうしてです?」
 衛門の佐(すけ)といえば、武官だが、通常は宮城の警護が役目だ。一方、検非違使は、市中を取り締まる警察のような役目。
「その別当殿に、頼まれた。いろいろ、めんどくさい人間関係があるんだよ。」
 側で、聞いていた命婦(みょうぶ)が得心いったように、頷く。
「検非違使の別当というと、今は、町尻の中納言さまが兼ねておいでですわね。かの、お方、最近、弟君の宰相の姫の一人を養女になさったとか聞きました。」
 町尻とは、地名。中納言は、一人ではないので、役職の上に、住んでいる邸宅の場所や名前などつけて、区別していた。
「・・・・・・・。養女の話は、知らないな。」
「左様でございますか。小耳に挟んだだけでございます。ご縁談のお話でもあったのかと、邪推してしまいましたの。それならば、この、千沙の身も安全かと、思いましたけれど。」
 くすくすと、後ろで小弁が笑う。
「確かに。浮気などできる器用な男ではない。たとえ、相手が身分の軽い者であろうとも、姫に義理立てしそうだものな。」
「私も、差し出たことを申しあげるのもどうかと思ったのですが、他のものならともかく、真面目な娘です。よく働くし、よい子です。もし、主家の衛門の佐(すけ)さまのお情けを・・・なんてことになったら、たちまち、他の女房のいじめにあって働きにくくなりましょうから。」
「なるほど・・・。では、姉上の代参で、しばらく寺に篭るのはそなただ命婦(みょうぶ)。字の上手い、この女も連れてな。ここを出た後は、そなたは、宿下がりしてゆっくりしていてくれ。」
 命婦(みょうぶ)は、周子(あまねこ)を気にしながらも、承知する。周子(あまねこ)も、これ以上は、逆らえないと観念した。行平は、姉の御息所に許可をもらって来るからと、その場を立ち去って行った。
 辺りが静かになって。命婦(みょうぶ)が独り言のように呟く。
「写経中は、精進潔斎しなければならないですからね。心配することはありませんよ。それに、危ないと思ったら、さっさと放棄して逃げたって、女の身で、強く叱責されることはありません。」
 不安そうな目に、命婦(みょうぶ)が頷いてみせ、周子(あまねこ)の茶色みがかった目に、少しだけ明るさが戻った。しばらくして、命婦(みょうぶ)が、主の御息所のもとに呼ばれていき、戻って来ると、周子(あまねこ)を連れて屋敷を出た。そこから着替えをするため、周子(あまねこ)は、一旦命婦(みょうぶ)の家へ寄って、美麗な小袿を着せられ、車に乗せられて、目的のお寺へと向かう。
のどかな郊外の道を寺へ向かう牛車からは、女物の袿の裾が覗いている。出だし衣という、美しい重ねの色合いを覗かせる優雅な習慣だ。時折それが、ひらひらと揺れて、普通なら、晴れがましい気分にもなるものだろうが、周子(あまねこ)は、そんな気分にも浸れない。ずっと、体を強張らせて、同乗する衛門の佐(すけ)を恨めしそうに睨みつけている。
「そんなに、緊張しなくても、そなたには、危険はない。頼むから、人前では、それらしく振舞ってくれ。」
 周子(あまねこ)は、睨みつけているつもりだったのだが、通じていない。ただ緊張しているだけと、思われている。車が、寺に到着する。車から降りる彼女を支えようと、行平は、手を延べる。手を捉まれて、周子(あまねこ)は、慌てて逃げるように後ろへ下がり、車の隅に蹲る。人に慣れない小動物のように警戒を露わに、隅に留まってでようとしない彼女に、あっけにとられたようにぽかんと口を開けた行平。かくりと、頭を垂れて、両手を合わせ、頼むといったポーズをとる。
「場所柄は、わきまえてるさ。何もしない。だから、頼む。人目のあるところだけ、それらしくしててくれ、な?」
 行平の言葉に、溜息をついた周子(あまねこ)。立ち上がって、こっちに来た時の彼女は、もう、腹を据えたような表情をしていた。
 首をしゃんとのばして、行平の手を借りた彼女の瞳が一瞬念を押すように、こちらを見た。これが、下仕えをしていた者なのかと、思うくらい、へりくだりも、怯えも感じられない。これは、拾い物をしたなと思う。彼女を選んだのは、ほとんど思いつきだったが。家に仕えている女房たちの中からでは、その彼女の顔見知りと会ってしまったらまずい。寺に篭ることなどないその下の階層で、探していたのだが、それらしく振舞えるというと、無理があったので、困っていたのだ。今、後ろから、優雅に裾を捌いてついてくる女は、慣れた足取りで、これ以上ないほど、女君の役をこなしている。その振舞いを、宿坊に落ち着くまでに、行平は、ひとしきり感心していた。
 
   





周子を下仕えをやっていると書いたけれど、違うかも・・・。
女童的な仕事をこなしている人を、かなり年がいっていても、
女童と言っていたらしいけれど、う~ん。
下仕えという表記は、正しくないかも。  みん兎

空に物思いするかな 1

2009-02-04 15:33:23 | 空に物思うかな
はじめに
 ちょっと、言い訳しとこうっと・・・

 次も、平安時代が、舞台です。が、
 当時の習慣、有職故実など、とっても浅い知識で書かれてあります。
 ここは、違うじゃないかと、思われるかもしれませんが、
 そこは、物語・・作り話だからと、目をつぶってくださいませ。

 何となく、御伽噺的な話を作ってみたかったんです。

 モデルになる人物はいません。
 ついでに、今回は、物の怪は出てきません。

 物の怪のでるお話、「やらへども鬼」の続編は、
 下のブックマークにある「空より花の散りくるは」HP内にて、こっそり公開中。
 よろしければ、そちらもご覧下さい。

                       BY みん兎


「空に物思いするかな」

 目の前を、枯葉が一枚、くるくると舞って落ちて行く。
 庭の木も、ほとんど葉っぱが散ってしまった。晩秋・・というより、もう冬だと、感じさせる冷たい空気。ぼんやりと、上を向くと、空はどこまでも高く、青く澄んでいる。
周子(あまねこ)は、よく空を見上げながら、物思いに耽る。
本当は、こんなふうに姿を露わにして、あまつさえ、顔さえ晒しているのは、誉められた行為ではない。けれど、そんなものは無視。それに、もう、咎めだてする者もいない・・。
青空から、暖かい日差しが降り注ぎ、ほんの少しだけ、冷たい頬を暖めてくれる。
ここは、南の池のある庭。木立が林のように感じられる。
築地塀という土を固めて形作られた築地に囲まれた四角い敷地内の、対の屋といわれるそれぞれ独立した建物が東西南北と配置され、それが廊下で繋がれた典型的な建て方の平安貴族の館。
その南に広がった庭を臨む廊下に、なぜか、葡萄の重ねの袿がぱさりと置かれ広がっている。周子(あまねこ)は、袿を頭から引き被って、寝転んでいたので、遠めに見たら、そんなふうに見えただろう。
葡萄は、四季通用の色目で、蘇芳色(紫がかった赤)の衣の襟や袖、裾を縁取るように標色(青)がのぞいている。
 もぞもぞ・・・・。衣が動いた。続いて、切ない溜息が聞こえ、白い顔がのぞき、床に頬杖をついて、空を見上げている。艶やかな、黒髪。化粧もせぬのに、雪のように白い肌に、あまやかな雰囲気の顔立ち。頬がりんごのように赤く、健康的すぎる印象をうけたが、それなりに、年頃の姫君の魅力を備えている。
「・・・ひもじい・・・・。」
 呟くと、もそもそと起き上がる。重ねた絹の衣が、さらさらとなり、言葉とは裏腹に、優雅な香りが立ち昇る。もちろん、屋敷の寝殿で、こんなふうに気ままに過ごしているからには、彼女はこの家の女主人だ。華やかな模様のついた衣は、着古して蘇芳色が少し薄れている。
 起き上がり、細い指が、襟の袷(あわせ)を整える。視線は、前を見ていた。広く、美しかった庭は、今や雑草が繁り、荒れ放題の有様。耳をすませても、自然の気配以外、人の気配はしない。世間では、きちんと後見してくれる親がいなくなった姫の、あわれな様というのを聞いたことがあったけれど・・・・。まさか、自分の身の上にも起こるとは、幼い頃は思いもしなかった。祖父が亡くなり、三年。それでも、あのおっとり、ぼんやりの母にしてはもった方だと思う。その母も亡くなり、はや、一年が過ぎ、今は、このありさまだ。
屋敷に、残っている少ない家人は、年をとって次が見つからないだとか、仕える屋敷を掛け持ちしているだとかだ。その、彼らを抱えているのも、そろそろ限界だ。
「冬が来る。」
 このままでは、餓死する。
つぶやいて、空を見上げた。庭の木の天辺から、鳥が、羽ばたいて、どこかの空に飛んで行った。いいなあ・・・・と、鳥の飛んで行った遠くを見つめる。
 冬がくれば、無駄に広い庭を一部畑に流用していた作物が、取れなくなる。まさか、目の前に広がる雑草を食らって、生き延びようとまでは、さすがに思えない。
 そろそろ、決断しなくては・・・・。
周子には、この状況を打開する手立てはある。それならば、残った家人たちも、行く先を失うことがないよう口ぞえすることも出来る。・・・・・・・・・・・。嫌。やっぱり、嫌だ。ああ、自らの力で生きていくことは出来ないか。
姫さま育ちの女には、有り得ない考えが、ふっと心に浮かぶ。
ふうと、溜息をついて立ち上がり、空腹を紛らわす為に読んでいた書物を床から拾い、それをしまいに書庫にしている塗(ぬり)籠(ごめ)に向かおうとする。
 かさ・・・と、草を踏む音がして、雑草を食む栗毛の馬が、目に映った。それを、追いかけてきた厩番の爺が、姫に気付いて、すまなそうに頭を下げる。
「申し訳ありません。飼葉のかわりに、敷地内に生えている雑草を食わせてたんですが、姫様の御座所まで、来てしまって・・・。」
「いいのよ。好きなだけ、食べさせておやり。それに、こんな有様ですもの。保たねばならない対面なんて、ないのよ。」
 言って、周子(あまねこ)は少し、首を傾げるような仕草をした。
 保たねばならない対面は、ないのよね・・・と、心の中で繰り返す。さっき、鳥の飛んで行った空をもう一度みあげると、澄んだ青が目に沁み、胸いっぱいに広がる。思考もなにもかもが停止し、自分自身が空に上がったような、鳥になったような気分を味わう。停止していたのは、ほんの少しの間だ。周子(あまねこ)の茶色みがかった瞳が輝く。視線を庭の草を一心に食む馬の姿に注いだ。
「波早。」
 周子(あまねこ)が、馬の名を呼ぶと、それまで草を食むのに夢中だった馬が顔をあげて、彼女の立っていた外縁の近くまでやって来て、何?と言わんばかりのようすで、顔を寄せて来る。頭を撫でられて、うれしそうにしている。
「ごめんね。十分に食べさせてやれなくて。それに、家ではもうお前の乗り手はいないものね。いい馬なのに・・・。今までありがとうね。」
 祖父が可愛がっていたので、この馬だけは今まで手放さずにいた。けど、もう、この馬が活躍できるところへ行くべき時だ。
「姫様・・・?」
 厩番の爺が、訝しげに見ている。
「今から、通りへ出て、そこであった身分のありそうな人に声をかけて、この馬を貰ってもらって来なさい。」
「そんな、いきなり、見ず知らずの者から、貰ってくださるでしょうか?」
「そうね。・・・それならば、親が亡くなって、親戚の養女になる姫君の仰せで、この馬までは、連れていけないから、せめて、新しく大事にしてくれる人に託したいと願ったからで、この馬は、両親の結婚のときの引き出物で、とても思い入れがあるから、市でどこの誰ともわからないものになるのは、嫌だからと。いいこと?なるべく、人のよさそうなぼっちゃんぽい人を狙うのよ?」
「は、はい。わかりました。」
 厩番の爺に引かれて、去っていく栗毛の馬を見送りながら。
「大丈夫。きっと、うまくやれるわ。」
 自信たっぷりに、笑ってみせ、周子(あまねこ)(あまねこ)は、姫君をやめた。