庭の木はすっかり木の葉を落としていた。庭は、常緑樹のみが葉を繁らせていて、花もなく、そんなに間を空けていないのに、ちょっと見ない間に様変わりしていた。ゆりは、階の一番上のところに腰掛けて、柱にもたれて座っている。こちらにつくとすぐ、まとのが着せ付けてくれた衣装を着たまま、ぼんやりとしていた。
そばにいるのは、まとののみで、他の侍女たちは用がない限り下がっているのが常なので、ここには人目がない。ゆりの部屋のあるあたりは、庭も目隠しがしてあり、他の建物に訪ねてくる人があっても、うっかり見咎められることはないようにはしてある。
廊下を渡ってくる気配に、顔をあげる。
「兄上。」
兄の時貞だ。
「ゆり姫、久しぶり。珍しいなあ。女の子らしい格好してる。」
「うん。あ、やっぱり几帳に、隠れてた方がいいかな。」
「そのままでも、いいよと言いたいけれど、父上が来る前に、姿を隠そうな。雨水(うすい)どのも、構わないだろう?」
時貞が、一緒に連れてきた雨水(うすい)を振り返る。
「はい。」
雨水(うすい)が頷く。
それから、しばらく、話していた。久しぶりに、雨水(うすい)の笛を聞かせてもらい、ゆりも琴を弾いた。
そこへ、奥から紫野がやって来る。
「父上、お帰りになったの?」
「いいえ。まだ、お戻りではございません。お文が届きましたので、お届けに参ったのです。」
「文とは?」
時貞が、横合いから訊く。
「正親町の、ゆりさまのお友達の姫君からです。もちろん、兄君がご心配なさるような方からのものではございませんよ。」
ゆりの不思議そうな瞳に出会い、時貞は、軽く首を横に振る。
「ゆり姫も、本当なら、降るように恋文が来てても、おかしくないんだが。父上が、噂がたたないように、苦慮しているからな・・・・。」
可愛がられてはいるが、家を継がない姫君。後ろ盾が、磐石ではないので、目端のきく若い貴公子の関心が向かない。たまたま、ゆり本人が・・という、場合もあるので、警戒はしてるらしい。
「姫って、単語だけで、憧れたりするものかしら?」
たまたま雨水(うすい)の方を見た。雨水(うすい)は、慌てて首を横に振る。そのようすを、時貞が見て笑う。実は、懐の中に持っているのだが、彼はそれを握りつぶすつもりなのだ。
「さあな。少なくとも、雨水(うすい)どのは、そうではないらしいな。ところで、お友達は、一体何を書き送って来たのかな?」
「あ、今、読んでもいいかしら。」
時貞と雨水(うすい)は、少し離れたところに座って話している。ゆりは、手紙を開き、読み始める。読みすすんで、ぱっと顔を輝かせる。読み終わって、文をたたみ、まとのに、紙を用意してくれるようにたのむ。
灯火を灯すような時間でもないので、文机を端に持ってきて、墨をする。筆を、さらさらっと走らせた後、雨水(うすい)を手招きする。
「えっと、安産祈願の符って、これでよかったっけ。」
「あ、それであってます。」
目の前に来た雨水(うすい)が頷く。時貞が、興味深々と言った顔で、近寄って見ている。
「早速、返事を書いて送ってあげなくちゃ。どのみち、高名な方に頼まれるのかもしれないけれど。」
「気持ちがこもっている方が、効きますよ。」
「ふうん、なるほど。ご懐妊ですか。」
そんなやり取りをしていて、うっかり庭先の気配に気付かなかった。まとのや紫野も、それぞれ立ち働いていて、注意を怠っていた。
「雨水(うすい)どの?・・・と、どうして、姫君が・・・。」
聞き覚えがある声だ。
皆、一瞬、固まってしまう。
「え?」
顔をあげようとしたゆりを、慌てて、近くの時貞が止めようとした。紫野がいち早く動いて、自分の体を盾にゆりを隠す。「まとの、早く。」「はい。」促されるまでもなく、まとのが、簾をざっと下ろす。一瞬で、廊下と室内に区切りが出来る。一枚下ろしただけで、庭からの視線は避けられる。
けれども、遅かったようだ。顔をあげたゆりを見られている。それに、侍女のまとのの姿は、何よりの証拠だ。
気まずい沈黙が流れる。・・・・・・・。中将は、しばらく考えていた。
「・・・・そうか。やはり、最初に会った時に、会った気がするというのは勘違いじゃなかったのか・・・・。ゆりどの、直子(なおいこ)姫のところに遊びに来ていたな?」
直子(なおいこ)姫はあの時、気をきかせて中将が帰ったかどうか、確かめに行かせたはずだ。
「頭の中将どの。どうして、ここにお出でになるのですか。」
時貞が、少し詰問するような調子で問う。簾の向こうから身動ぎする気配が伝わって、ゆりが顔を出した。兄に首を横に振りながら。
「兄上。もうばれてるから、ごまかすのは無理よ。」
「・・・・・・・。」
するすると、裾を引いて中から出てきて、廂に座りなおす。明るい日差しの中で、ゆりの真っ直ぐな瞳が、中将を見ている。
「直子(なおいこ)姫は確か、人をやって、中将さまがお帰りになったのを確かめさせたはず。」
「うん。侍女たちは、そう思ったろうな。よく知っている家だ。隠れる場所くらい見当つくさ。車やどりのところで、車に乗り込む時、ちらっと見た。」
「それでは、次に会った時どうして、わからなかったのですか?」
「間近ではなかったし、ほんの一瞬だったから。それに、車についていた家人は、大納言家の者だった。はじめに、違う人と認識しているから、似ている程度にしか、思っていなかった。思い込みというのは、存外影響するな。」
「そうですか・・・・。ところで、どうしてこちらへ?」
「ああ。少将に頼みがあったのでな。ちゃんと案内を乞うて、東北へ通されたのだが、来た時に聞こえていた、管弦の音が気になって・・・。」
姫君は、ここの屋敷には住んでいないと聞いていたから、ここの家の女房たちかと思い、覗いてみることにしたのだ。
「いや。何となく思っていた疑問が、これで繋がったよ。」
雨水(うすい)と大納言の関係。院の御所に、捕縛に行った時係わっただけにしては、親身すぎるかと思っていた。
「ゆりどの。心配しなくても、他に吹聴してまわったりしないから。」
「頼みます。私はいいけれど、父や兄が、おかしな目でみられるのは心が痛みます。中将さま、どうかお願いします。」
ゆりは、頭を下げた。
「ああ。わかってるさ。・・・私は、ゆりどのの人柄を知っているから、何とも思わないが、家族が奇異な目でみられるのは、やはり耐えられないだろうからね。」
ちらりと、そばの時貞を見て言う。中将の真意が伝わり、時貞が頷く。
「ところで、私に用とは?」
「あ、それなんだが・・・・・。雨水(うすい)どのにも、頼もうか。それに、ゆりどの・・・は、出られぬかな・・・。」
中将は、ここに来た用向きを話しだした。ある、お屋敷を訪問してほしいという。
「梅壷の女御さまのお里・・・。なぜ?右大臣家の姫の麗景殿さまではなく?」
「そこは、あえて突っ込むなよ。今、御所を退出なさって、お里にいらっしゃるのだが、相変わらず寂しい状態でな。先日、物の怪騒ぎがあったのだ。」
もちろん、陰陽師は呼ばれたが、何もなかった。中将が見たところ、女御のまわりには人少なく、心寂しい心理状態から出たものではないかと判断した。それで、宿直を頼みに来たのだ。
「大納言さまは、中立のお方だし、少将なら迷惑がらずに引き受けてくれるかと思ったんだ。他にも、何人か頼んである。二、三日の間だ。」
「構いませんが、頭の中将のあなたからということは・・・・・。」
時貞が、お上のご意思であるのかと問う。
「そうだな。だが、お一方だけ、特別に気にかけられるということは、あとあと風当たりもきつくなる。内々に、というご意向だ。」
「なるほど、女御の父君の先の内大臣さまがすでに亡くなられてますしね。頼りになる男兄弟もいらっしゃいませんし・・・。」
このあたりの事情を繰り返したのは、雨水(うすい)に聞かせるためだ。後見の頼りない女御が、後宮で何事もなく過ごすつもりならば、ひたすら目立たなくしているほうが無難だ。しかし、難儀があっても、面倒を見てくれる人のない暮らしは、こういう時不便だ。
「梅壷さまは、口止めなさっていたのだが、伴っていかれた皇女さまから、御文が届いてな。お上も、心配なさっている。」
「なるほど。」
では、仕度を整えて、参りましょうかと、時貞が答えた。
庭から見たら、部屋の様子は、
こんな感じでしょうか・・・ってことで、写真を貼ってみました。