時の泉庭園

小説は、基本、ハッピーエンド。
話は、最後まで出来上がってからUPなので、全部完結済み。

(^◇^)・・・みん兎

とうとうたらり・・・波の巫女21

2008-03-31 17:10:43 | とうとうたらり・・波の巫女
 外へ出ると、静かな庭の片隅で、暁と鈴音はほっと一息ついた。ずぶぬれだ。
「あ・・。姉さまは・・・?」
 鈴音の首から下げた白玉が、ゆっくりと融けて消えていく。何も無くなって心配そうに呟いた。
「大丈夫、戻ったみたいだ・・・。きっと今頃、目覚めてる。彼女は、鈴音にこの役目を負わせたことを心配してもいた。・・・だから、竜神の目論見も気づくことができたんだ。一瞬心配そうに、彷徨っている彼女を見なければ、俺はもう一度、先視をしようと思わなかっただろうからな。」
 空を見上げて、遠くを見ながら言った暁は、こちらを向いた時、常とは違い、片方の目が赤く染まっていた。暁は、彼にしてはめずらしく頼りなく笑う。鈴音は不思議とそれをおかしいとも思わず、ありのまま受け止めていた。きれいな夕焼けみたい。つぶやきが聞こえたのか、それとも、鈴音の態度がいつもと変らないからなのか・・・そのことに少しほっとしているような暁の顔があった。しばらくすると、もとの黒い瞳に戻る。鏡があるわけでもないのに暁には、それがわかるようだ。元に戻ってから、説明してくれた。
彷徨っていた魂は、そのまま元に戻せばよかったようなものだが、体に戻ることはあのままでは不可能だった。その魂は、完全に竜神のもとに囚われていたというより、体に戻ることを邪魔されていた。鈴音や他の身内から、遠ざけて、逢えないようにしていた。鈴音の姉と直接、係わりのない暁だから、竜神の力も及ばない。隙をついて迷い込んできたとき、竜神の意図にも気付くことが出来た・・・・・と。
「そうなんだ・・・。」
 近くの地面で何か光った。ばばさまの石のひとつだ。鈴音はそれを拾ってぎゅっと大事そうに握り締めた。京ではたった、ひとりだと思っていた。でも、違った。傍にいない人の思いや、鈴音が京へ来て知り合った人たちに助けられて、生かされている・・・。胸の中が暖かい思いでいっぱいになる。
「暁どの。ありがとう。助けてくれて・・・。」
 思いがつまって、言葉が途切れてしまう。暁が、鈴音の髪を撫でた。
「がんばったな。・・・これで、自由だ。どこへでも、行けるぞ。」
「もう、少しくらい寂しそうにしたらどうなの・・・。」
 鈴音の甲高い拗ねたような声が響いた。屋敷の建物の方の人の気配を気にして慌てて、暁が鈴音の口を押さえ、そばの木の陰に隠れて辺りを伺う。
 建物の方は、人がばたばたと行き来し、ごったかえしているので、多少の物音がしても気がつくものはいなかった。
「・・・行こうか・・。」
 暁と鈴音は、互いに顔を見合わせ、頷く。そっと、その場を離れる。
 待たせてあった馬の所まで行き、まだ、明けない夜空の下を去ってゆく。
 鈴音は、疲れがたまり、力なく暁に寄りかかっている。
 少し熱があるかもしれない・・・と、暁が思っていると、鈴音が訊いた。
「ねえ。あんな鬼を式神として使っているなんて、気がつかなかったわ。」
「・・・それは、今日俺の式神になったからな。あれらが封印されていた場所を知っていたから、勝手にもらってしまった。大きな助け手の暗示があったから、必要になるかと思って・・・・。」
「もしかして、それで、汚れていたの?」
「・・・・足元がぬかるんでいたから。うっかりしていた。・・・必要はなかったかもしれない。まあ、便利だし、貰っておくが。」
 くすくす・・と、鈴音が笑う。暁が彼女の額に手を当てて、熱の有無をはかる。やっぱり、熱があるな。かなり体に負担がかかったようだから・・と、思う。
「・・・とうとうたらり・・・。それにしても、思わぬ助け手だったな。」
「私・・・院の御所でそれを聞いていたときは、何だか呪いの呪文のように聞こえていたのだけれど、違ったのね・・・。」
 なるほどあの法皇なら、そんなふうに思えるかもしれない。暁はそれを聞いて、笑ってしまった。鈴音が目を瞑って、うとうとし始めたので、心の中で、今度は安心して意識を手放していいよと、言う。
 暁たちの姿が京中へ消えて行った頃、西八条で炎があがった。平氏の屋敷の密集するあたりだ。六波羅の屋敷が、葬送のためごったかえすなかで、そちらには、人もほとんど詰めていなかったが、清盛が一代で築いた西八条の屋敷が焼けた。
 とうとうたらり、とうたらり・・・。
うれしや水、鳴るは滝の水・・・日は照るとも絶えずとうたへ・・・・・
 とうとうたらり・・・とうたらり・・・・・。
 唄はくるくると回り続ける。のちに炎上する屋敷の付近で、法師たちが酒に酔って、しきりと囃し立て唄う声がしていたという噂がのぼった。この、とうとうたらり・・・は、果たして、炎上する炎に降り注ぐ水の恵みを願うものだったのか。それとも、平氏を呪う禍唄だったのか・・・。いずれにしろ屋敷は、すっかり焼け落ちたのだった。
              おわり
 作中の今様は「滝は多かれど、うれしやと思う、鳴るは滝の水、日は照るとも絶えずとふたへ、やれことつとう」は梁塵秘抄より。

とうとうたらり・・・波の巫女20

2008-03-31 16:59:30 | とうとうたらり・・波の巫女
突然、天から、声が降って来る。
 『滝は多かれど、うれしやと思う・・・・鳴るは滝の水、・・・・日は照るとも絶えずとふたへ・・・やれことつとう・・・とうとうたらり、とうたらり・・・・。』
 ざぶんと水の絶えないことを言祝ぐ唄が降ってきた。同じ今様がずっと響き渡り、それにつれて、滝の水の恵みのように、あとからあとから雨がふる。いささか迷惑なくらい、唄は飛び回り、滝の雨を降らせた。清盛には、その声に聞き覚えがある。
「これは・・・法皇の今様か・・?」
 それにしても面妖な・・・。あれほど、反発している相手に、恩恵をあたえるとは・・。
 首を傾げる清盛に、暁が言った。
「ご本人にはその気がないと思いますが、彼の言葉には言霊が宿っている。ずっと今様を極めてこられたのでしょう?白拍子でも、唄や舞の上手なものは、神聖なものを宿すことが出来るといいますから・・。たまたま、唄を唄われていたときに、相国のことを考えられていたのでしょう。」
「そういえば、気まぐれなお方だからな・・・そのお蔭で、わしも取り立てていただいた。これも、その恩恵か。」
 清盛が複雑な表情をしている。それを尻目に、鈴音は、ちょうど式神から扇を返してもらって、雨を受け止めていた。
 扇に雨が跳ねて、その上で、とうとうたらり、とうたらりと唄が踊っている。今は、業火の燃え盛る異様な光景は一変し、まるで滝の辺のようなすがすがしい空気が漂っていた。
「今のうちにもどるがよい。」
 清盛が声をかける。竜神が跳ねて邪魔をしようとするのを、手で制した。静かに告げる。
「竜神。気持ちは有難いが、この先はわしに与えられた道だ。」
『この娘を連れて行けば、この先楽だといいたいが、そうか。清盛よ。この地獄を渡って、我が宮へ来るが良い。』
 竜神が波の息を吐く。豪華な唐船が現れた。清盛が頷き、足を向けようとする。
 何故だか、去りがたく思い、鈴音の方を振り向くと、彼女の胸のあたりで白い玉が寂しそうに輝いた。
「初音だ・・・。娘の名は。では、そなたは?」
 ふいに記憶を蘇らせた清盛。鈴音は、感嘆の声をあげた。ほっとした声で告げる。
「姉は、たった一度会ったことのあるあなたに、とても会いたがっていました。幼い頃、舞を練習していて、たまたま、訪ねてきた人が自分の父親だと知って・・・。あの時、人がいるのに気づいて、姉の舞の手を止めて知らせたのは私です。黙っていれば、よかった・・。
彼女を自分を守ってくれる神の巫女のようだと、おっしゃったのは覚えていますか?」
 清盛が頷く。
「そのせいで、捉えられてしまったのか・・・。すまないことをした。」
 鈴音が首に掛けていた白玉を清盛の手に触れさせる。清盛は手でそっと白玉を撫でてやった。白玉が満足したように満ち足りた輝きをみせる。
「大事に連れて戻ってくれ。鈴音・・・そなたには、迷惑をかけたな。その刀はそなたが持っていてくれ。神聖な護身剣だ。そなたが持つ方が相応しい。」
 腰に差した刀を指差す。さっき、大蜘蛛を退治したあと、とっさに失くさない様にと、鞘に納めて袴の紐にさして置いたのだ。
 鈴音は頷き、代わりに手に持った扇を差し出す。
「これは、あの時姉さまが持っていた扇。落としたのを拾って、その時あなたが、巫女姫と呟いたの。姉さまがとても大事にしていたわ。代わりにこれを、持って行って。さっき、唄を拾っておいたから役に立つと思います。」
 扇の上で、とうとうたらりの唄が踊っている。水の粒が、生き物のように跳ねている。
 それを、清盛が受け取ると、扇が輝きとともに、矛に転じた。
 清盛は、矛を持って、竜神のくれた船に乗り込む。
「さらばだ!」
合戦の時のような、鬨の声をあげ、手にした矛をどすんと舳先へ突き刺した。
水があふれ出て、波が立つ。それに、押し出されるように船出していった。
 とうとうたらり・・・の唄は、鳴り続け、あふれた波が、鈴音と暁をも押し流した。
 逆巻く水の中でもがき、暁は鈴音の手を離さないように、懸命に泳ぐ。意識化で、式神に先に外へ行かせ、縄を投げるよう命じる。
 縄を伝って外へ出た。

とうとうたらり・・・波の巫女19

2008-03-31 16:51:18 | とうとうたらり・・波の巫女
 中心に黒い染みのような穴が開いて、どんどん大きくなっていく。周りをすべて巻き込んでしまいそうな勢いだ。遠のいた意識では体は重く、その穴に吸い込まれ・・・・・!
 暗い闇に包まれた空間に立っていた。気味の悪い声が時折なりひびく。突如として業火が巻き起こる。地獄のような光景だと鈴音は認識する。彼女が思っている通り、実際、地獄の入り口に立っていた。大蜘蛛が亡くなって開けた、地獄への扉。
「暑い・・!」
 叫んでいるのは鈴音ではない。鈴音のまわりは、水に守られていた。手を伸ばすとすぐのところに、清盛を見つけた。
 ああ、さっきの竜巻に巻き込まれたのだわ・・・。鈴音は遠い意識の向うで思った。本当のところは、清盛の魂が肉体から離れ、来るべくしてここにいるのだが、鈴音の思考は半分眠ったようにまわらず、そのことに気付かない。 そして、体が勝手に、彼に近付くと、取り巻いている水が大きくうねり、清盛のまわりの火を消した。袖を振り、舞うような仕草で、彼女はやすやすと水を操り、辺りを鎮火した。
 そのまま鈴音は手を差し伸べて、清盛を連れて行こうとする。
 どこへ・・・?鈴音の意識が遠くから、問いかける。
「それまでだ。竜神。厳島に祀られた海の神よ。鈴音を返してもらおう。」
 暁が現れる。水の幕がしばし跳ねて彼を近づけまいとする。
「鈴音。必ず、戻ってこいといっただろう。戻って来い鈴音。」
 名を繰り返されて、鈴音の意識が竜神に勝った。鈴音の意識を遠ざけていたのは、竜神だった。水の幕が解けて、暁が彼女を抱き寄せた。
「鈴音・・・。」
 耳元で、祈るような声に、鈴音は完全に元に戻る。意識下から、竜神が弾かれて、仕方なく、近くの空間にぼんやりと浮かんでいる。
「そなたは、巫女姫か・・・。」
 あたりの様子を気にしながら、ようやく清盛が口をきいた。
 暁が鈴音を庇うようにしているのを、おもしろそうに見ている。
「平相国。あなたの生縁はもう尽きています。この先は、御自身が成して来たことから出来た道です。この娘には関係ない。」
 暁の言葉を聞いて、清盛は自分が死んだのだと気づく。死んでいるからには、ここにいる彼は現身ではなく、竜神を意識化に抱えてやってきた鈴音は現身のままである。それを追ってきた暁もまた同じく現身だ。竜神は巫女である鈴音を使って、この先も清盛を助けようとしていた。鈴音と竜神との約束・・・大蜘蛛という妖のものから清盛の最期のときを守ったことで、約定は果たされているので、鈴音を獲り返すなら、今しかないと、暁は追ってきたのだ。戻るときのために、こちら側に連れてきた式神と置いてきた式神をそれぞれ、配置してきたのだった。
「・・・確かになあ。娘は連れていけぬ。」
 と、笑った。ほっとして、暁が肩の力を抜いた時、地獄の火がまた、燃え出した。
 轟と降りかかる火の粉。熱い火に焼かれることを覚悟した時、鈴音は暁と、清盛に同時に庇われていた。
 宙に浮いた竜神が必至で右往左往しながら、水を巻いていたが、勢いがなく。清盛達に火が襲い掛からないようにするのがやっとだった。式神のひとつが現れた。あの扇を手にした式神だ。式神も、懸命に主を守ろうと、扇を振り、水の滴を振りまくが、火を消すには至らない。
 暁がどうしようか、手段を考える。業火の勢いが徐々に盛り返し、その暑さがどうしようもなく迫り、飲み込まれそうになった。・・・・・。と、その時。

とうとうたらり・・・波の巫女 18

2008-03-31 16:47:06 | とうとうたらり・・波の巫女
オオオウン・・・・!めらめらと妖しい気に包まれ、大蜘蛛が現れる。太古の貶められた神の末裔・・・。大和朝廷に仇なした一族の怨念を表しているといわれるそれは、今は、他の怨念をも取り込んで、降り積もった瘴気の塊が、新たな鬼と化し、時々姿を現すのだ。しかし、武者というものは、魔を退ける武器を扱う一族だ。ふだんなら、狙えるものではない。とりわけ、清盛のような一代で常人のおよばぬようなことを成し遂げた人物ならば、精神力も一際強い。鬼など寄せ付けないのだ。彼が自身の病に気付かぬうちから、いちはやくその匂いに気付き、隙を狙っていたのだ。徐々に獲物に影響を与え侵食していく。鈴音が京へやって来たときには、少なからず影響下にあったけれど、清盛の病の影のほうが濃く、彼女はそれを見逃してしまっていた。大蜘蛛は、死の瞬間を待っていた。清盛の一際輝く魂を食らおうと、今このときとばかりに、姿を現し、襲いかかろうとしている。
 ダン・・・!蜘蛛の糸の塊が、鈴音の脇を掠めて、後ろの柱にぶつかった。
ダン!ダン!ダン!次々に塊が飛んできて、すんでのところで避ける鈴音の傍で音を立てている。付いて来た式神たちが、彼女を攻撃から守ろうと、蜘蛛に向かって飛んでいった。蜘蛛の周りを取り巻く妖しげな気が、ぼうっと燃え盛り、近付く式神を跳ね返した。
蜘蛛の意識が逸れた。りんと、鈴を投げてみたが、ぼとりと手前で落ちる。符も同じように跳ね返される。
「どうしよう・・?」
 蜘蛛の周りの妖しげな気が燃えて、火の粉がふり注ぎ、思わず袖で顔を隠す。手に持った扇が煌いた。閃いて。扇を開け,振る。きらきらと光の粒が水しぶきのように、降り注いで、火の粉を防ぐ。
 だが、水のしぶきは攻撃に転じることは出来なかった。
 今は、式神たちが果敢に近付こうとしてくれているので、こちらに、ゴム鞠のような糸の塊はとんでは来ない。火の粉を防ぎながら、どこかに隙はないかと進んでいく。
 オオオウン・・・!大蜘蛛が気づき、触手を伸ばした。
かわす。避ける時に鈴音の袴の紐に結びつけた巾着がおどり、結わえた紐がひとりでに解けて飛ぶ。袋が弾けて、無数の石が飛び散った。中のひとつが、眉間に命中する。
オオオウン・・・・!雄たけびが、苦しげな叫び声にも聞こえた。
「そこか・・・。」
 しかし、鈴も駄目。符も効かない。何か、ないか?鈴音はきょろきょろと辺りを見回した。寝殿の奥に、吸い寄せられるように目がいく。
 清盛が病臥する枕元に、刀が置いてある。
「あれだ。」
 ばたばたと走り寄って行く。刀を手に取る。
「う・・・・。」
 ふいに呻き声が聞こえた。みると、清盛が苦しげに顔をゆがめている。うっすらと目を開けてこちらを見た。
「借りるね。親父さま・・・。」
 苦しげな息の下で、瞳が応えた気がした。京へやって来て初めて、清盛という人に会った気がする。一度対面はしたけれど、どこか囚われた表情で、鈴音には親しみを覚えないという意味では法皇と変わりなかった。
「大丈夫。とっとと退治しちゃうから。その後は、巫女姫を探さないであげてね。」
 身を案じるような瞳の色に、そう言い置いて、駆け出した。
 階に出ると、式神に声をかける。
「お願い!これで、しばらく防いでいて。」
 片方の式神に扇を渡した。式神は、宙を扇をひらりひらりと降りながら、光の粒を撒き散らす。蜘蛛の意識がそちらへ向かった。
 もう、片方の式神に抱えられて、宙へ上がった鈴音は、蜘蛛の真上で叫んだ。
「ここで、落として!」
 言葉と同時に、刀を抜き、頭上めがけて落ちてゆく。
 グサッ・・・!眉間の一点に違わず、刀を突き立てる。
「・・・・ウン、アビラウンケンソワカ・・・砕!」
 刀が赤く輝いた。ずずっと、深く突き刺さり、そのまま落下する速度で大蜘蛛をまっぷたつに斬っていく。ばりばりっ・・と、硬い甲羅のような体をいとも簡単に割いていく。鈴音が地面に降り立った時、ふたつに割れた蜘蛛がバンと音を立てて地に転がった。
 ふうと息を吐いた時、意識がまた遠のいた。
「どう・・・して・・・?」
 ざざざ・・・・!倒れた大蜘蛛と鈴音を取り巻いて竜巻が起こった。

とうとうたらり・・・波の巫女17

2008-03-31 16:39:04 | とうとうたらり・・波の巫女
 六波羅の清盛の屋敷のまわりは、異様な暑さだった。
「!」
 妖たちがひしめいている。暑さにも増して、周囲の道は妖たちが大騒ぎして異常な興奮ぶりだ。どんどん、どんどん、吸い寄せられるようにやって来る。
 馬が門へ近付けず。暁は、中空に自分の鬼を呼び出した。普通の鬼ではなく、使役される鬼たちで式神の一種だ。
「四神将。力を貸せ。」
 ぼうっと、中空に直垂烏帽子姿の人が浮かんだ。洞のような目に燭火が燃えて、目の周りに刺青があり、人ではないとわかる。
「旧主の封印を解き、新たな名を与えたのはあなただ。御意のまま、命じられよ。」
「命じる。丑寅。辰巳は、鈴音を守り内へ。刻を待て。未申。戌亥は、我と共に、ここの妖たちを始末する。まず、門までの妖たちをどけよ。」
 未申と戊亥が宙を飛び回る。式神が薄く口を開けると、近くの妖がまるで液体を飲み込むように形を変え吸い込まれていく。どんどん、妖たちを飲み込んで片付けていく。恐れをなした妖たちが、潮のように退いて門までの道が開いた。
 馬から降りと、鈴音の意識がまた少し遠のく。まるで自分が自分でないようだ。このままでは、中までおぼつかない。
 ゆっくりと道を行く背に声がかかった。
「鈴音!必ず戻って来いよ!」
 鈴音と。名を呼ばれて、弾かれたように鈴音は意識を取り戻した。鈴音の顔に満面の笑みが広がる。こくりと、頷き、中へ駆け出した。
 俺もあとから行くという暁のつぶやきを残して・・・・。


 中は、時が止まったような光景が待っていた。異様な暑さに包まれ、物音ひとつしない。目指す建物まで廊下を走る鈴音の目に、あちこちで人が時を止めて固まっているのが映る。白い糸のようなものが捲きついていた。つんと鼻を、かび臭いような、土くさいような、匂いが掠めていった。
「糸?・・・・土蜘蛛・・か・・・?」
 ひらりと、切れた糸くずが鈴音を掠めていった。あと少しのところ、角を曲がって、寝殿の大きな階のところへ出たとたん、庭から瘴気が襲ってきた。

とうとうたらり・・・波の巫女17

2008-03-31 16:34:56 | とうとうたらり・・波の巫女
 馬に乗って六波羅へ向かう。鈴音は近くなったり、遠くなったりする意識のまま、半ばぼんやりと揺られていた。暁は鈴音を落っことさないよう腕に抱えて急いでいた。何かに気付き、ふいに、脇へ馬を寄せる。
 轟と大きな風が通り抜けた。暁は鈴音に覆いかぶさるようにそれを避け、通り過ぎるまでやり過ごす。前方の辻で、大きな竜巻があがった。
 ばんっ!と、爆発音のような音と共に、風が上へ吹き上げる。どんどんと、どこからか鬼やらいの太鼓の音が響くと、竜巻は小さくなり土の中に閉じ込められていく。
 気がつくと太鼓の音は、あちこちの方角から聞こえ、その辻からだけではないと分かる。
 辻を通り過ぎるとき、そこに立っていた人物と目があう。白い装束を身につけていた。あきらかに今、ここで辻の中に悪霊の起こした風を封じ込めた陰陽師だとわかる。通り過ぎる時、暁を見てにやりと笑った。暁がほんの少し顔を顰めるが、ぺこりと頭を下げて通り過ぎたので、知り合いなのだと、遠い意識のむこうで鈴音は思った。
 しばらくいくと、蘇芳にも出会った。彼は、手を振って見送ってくれた。
 ふと鈴音の意識が近くなる。鬼やらいの太鼓・・・以前に、言伝かった箱の中に入っていた。
「もしかして、指すの皇子って、陰陽師なの・・・?」
「そう・・指すの、神子、は彼の仇名だ。都には陰陽師たちの組合いのようなものがあるんだ。その中でも、一目を置かれる人を道の人と言う。彼はその一人でもある。辻辻に陰陽師たちがいるのは、彼に話しを通してもらったからだ。」
 院の御所のまわりだけではなく、ここのところ鬼や悪霊といった妖のものたちが京中のあちこちで活発になって来ていた。六波羅のことに、触発されてと見抜き、おそらく今日が一番活発になるとふんだ。六波羅へ移動するまでに消耗したくない暁は、助力を頼んだ。
 どうやら、向うにとっても都合のいい申し出だったようだ。一番手のかかる場所はこちらがやるのだから・・・。大きな借りも出来て、あとが怖いなあ・・と、暁は説明しながら、思っていた。
「陰陽師って、暮れに院の御所で見かけたあの方かしら・・・。穏やかだけど、独特の雰囲気をもっていたわ。」
 暁はちょっと眉を寄せた。
「・・・・かもな。・・・その玉の中身は、君の姉上なのか?」
 鈴音の首から下がった白い玉を指す。
「そうよ。体は、故郷で眠っているけれどね。大伯父・・・私の師が守っている。」
 とらわれていた姉なのだ。突然目覚めなくなった姉に、海の気配を感じ、問う為に、厳島で舞った。そして、声を聞いた。
 意識がまた遠のいて来たので、鈴音は手短に話した。
「暁どのが、海神の干渉があると言っていたし、影響があると困るから、これだけは黙っていたの。黙っていてごめんなさいね・・。」
「ま、お互いさまか・・・。」
 陰陽師たちのことを言っているのだろう。暁が首を振るのを、鈴音はぼんやりと見ていた。

とうとうたらり・・・波の巫女16

2008-03-31 16:29:50 | とうとうたらり・・波の巫女
 それを。ちょうど、見ていたものがあった。
「や、やや。しまった動いてよし、見てよしの姫だったか・・・。」
 後白河院だ。向うの殿社の影から姿を現し、去って行ったあと呟いたのだ。何気なく、外を歩きたくなり、こっそり出てきたのだが、池殿に舞う人の姿を見つけた。その舞は、巫女の舞いにふさわしいものだったが、それが誰だったのか思い出すまで時を擁した。どこにでも居る見目の整った姫と思い、今まで忘れ去っていたあの巫女姫ではないか。
 してやられたな・・・と、法皇は後ろをちらりと見やる。丹後が後ろからやって来ていた。単衣一枚でうろつく彼に、羽織るものを持って来た。肩にそれを着せ掛けてやりながら、瞳が悪戯っぽく笑う。
ふふ・・と笑い、丹後が院の肩にもたれる。だが、すぐに身を離し、法皇と並んで姫の去って行った方を見ている。
「けれど、平氏の姫ですわ。本人は嫌がっていましたけれど、彼女を召されれば、また彼の一族が勢いづきましてよ?」
「むう・・・。いた仕方あるまい。諦めるか。」
ぽんっと、音をさせて手に持った扇をもう片方の手で包んだ。
「それに、もっていかれましたものね。」
 丹後の艶やかな唇が心底愉快そうに、開かれる。
「吾も無粋な真似はいやや。あれは、暁といったか・・・。たまに、御所の周りの妖のものを狩る。」
「ええ・・?」
「あれも、陰陽師の一族から、外れた子や。あの姫も一族から離れた存在で、共感するものでもあったのか・・・。どちらかというと、人と深く関わりを持たない性格のように思ったが。姫を包むように大事に扱っていた。そんなこともあるのか。」
「理屈じゃありませんわ。たまたま、知り合うきっかけがあったとしても、違う人間なら、そうはならなかったって、思いますわ。」
 あのふたりが互いの気持ちに気づいているかどうかは、わからないけれど・・・・。それに、暁は当人が構えているほど、人嫌いではない。丹後は、心の中で呟いた。
「似合いの一対じゃ。ふたり並べて、動いてよし、見てよし。それも、一興じゃのう。」
「でも、巫女姫は姿を消します。」
 呪縛が解かれたら、京を出て行くと言った。
「ほとぼりがさめて、暫くしたらあの外れの陰陽師の所へ行ってみるといい。」
「あら。居ますかしら・・・。」
「居る。必ずな・・・。丹後、その時は思いっきりからかってやれ。」
 丹後がふいに、まわりの暑さを気にして嘆息した。
「それにしてもこの暑さ・・。二月だというのに。」
「・・・相国を待つ、地獄の業火かな・・・・。」
 院は、呟いて、手にした扇を開く。清盛がすでに危篤状態で明日をも知れぬという報は、この院へももたらされていた。軽く舞うような仕草を加え、今様を口づさんだ。
「滝は多かれど、うれしやと思う・・・鳴るは滝の水、日は照るとも・・・・・絶えずとふたへ・・・・・やれことつとう。とうとうたらり、とうたらり・・・。」
 水の恵みを唄う今様をくちづさむ。吾からの選別じゃ、と後白河がつぶやく。彼には清盛を焼く地獄の業火が見えていた。
「お寂しゅうございますわね。」
 丹後は自分の思いは口にしない。
「・・・・そう・・・かもな・・・。」
 東の空が赤く染まっていた。法皇の目は、ぼおっとそれを映している。彼の虚無の瞳に、ほんの少し揺れが起こって、すぐに消えた。
 

とうとうたらり・・・波の巫女15

2008-03-31 16:25:38 | とうとうたらり・・波の巫女
 鈴音は、院の御所に戻り、しばらくはひっそりと暮らしながら、時々、妖退治をする生活に戻った。
正月に、高倉上皇が亡くなってから、後白河法皇の御所は政治の中枢となり、人の出入りも増した。ところが、おもしろいことに、巫女姫のことを覚えているものはいない。身内である平氏の人間でさえも、全く訪ねてこず、鈴音はすでに、ここに仕えている新参の女房のように思われている。都合がいいので、そのままそれで通していた。そうして時が過ぎる。
閏二月、寒い季節の夜なのにやけに暖かく、単衣の上に薄い衣を羽織っただけで充分だった。皆、寝静まっているので静かだ。
階に寄りかかって、空を眺めていた・・・。
「きれい・・・。」
 空に星が散らばってきらきら輝いている。その輝きは、厳島で巫女舞を舞った時、見えた波の合間に輝く欠片みたいだ・・・。
 ざざっと、波の音が聞こえる気がした。何かが、捉えられそうで、鈴音はもっと意識をこらしてみようとする。すると、庭先に、人影が射した。我に返って、そちらに注意を向ける。
「暁どの・・?どうしたの、その格好。」
 狩衣を身につけていたが、土に汚れてかなりぼろぼろの格好をしていた。退魔仕事のかえりかもしれないが、それにしても、鈴音の知るところでは、いつも涼しい顔で派手に立ち回ることもなくこなしている暁にしては珍しいことだった。
 暁が近付いてきた。格好を気にしている余裕はないらしく、汚れた衣をはたくことも忘れていた。
「迎えに来た。わかるか?今、だ。」
 差し伸べられた手を取ろうと伸ばした・・・すると、さっき聞いた波の音がまたきこえる。鈴音は、意識を凝らした。つかめそうで、つかめない・・・。ふいに、一点が気になって、遥か彼方の池殿が映った。
「ちょっとだけ、待って。」
 鈴音は言い置いて、室に入り、中から、古びた舞扇を取ってくると、そちらの方へ走った。ぱさりと、懐から、巾着に収められたばばさまの形見が落ちたのにも気づかず。走る。暁は、それを拾い、黙って鈴音のあとを追う。
 池殿の中央に立つと、広い池の水面が見えた。それまで、無かった風が水面をなでる。
 京へやって来るきっかけとなった厳島で舞った、あの場景が蘇る。
 空の星屑は、あの時の波間の輝き・・・。水に面したこの舞台は、海に臨んだ厳島の舞台。鈴音は、心の中で見立てを行った。 古びた扇を開け、ひらりと宙をなで、袖がはためいて、緩やかに舞い始める。
 ざっざっ・・・と、答える音。海神に問わねばならぬことがある。
「巫女姫よ・・・。」
 呼ぶ声に応え、くるりとまわる。
 望みは平清盛を助けることですか・・・。それを、なしたあとは、約束は守られるのですか・・・・。ひらり、ひらり、舞う。
「・・・鈴音・・・・。」
 ざああ・・・と一際激しく波の音が聞こえ、意識の中で白い波の向うに、やっと探していたものをみつける。懐かしい顔が微笑む。互いに手を伸ばす・・・。
「姉さま。」
 彼女の為に、鈴音は巫女姫としてやってきた。故郷でずっとねむりについたまま、目覚めない、彼女の魂を取り戻すために・・・。海神と約束した。
 懐かしい微笑みが、光る白い玉に変わる。受け取れと、鈴音は声を聞いた。
 ひらりと、扇を天に差し上げると、光る。すると、鈴音の首から、玉を貫いた首飾りが掛かっていた。
「約束を果たせ。果たした後には、玉はひとりでに解けもとに戻ろう。」
 海神の声・・・。
「承知。」
 呟く。潮の音が答え、きらきらと星の欠片のような煌きが降り注いだ。
 やがて、それが遠くなり始める。鈴音はくるりと、回転する。
 ダン!大きく床を踏み鳴らし、舞を止めた。
「準備は出来たようだな。」
 いつもと、少し様子が違う鈴音に、暁が声を掛ける。こくりと、頷いた。暁がさっき拾った婆さまの形見の入った袋の紐を鈴音の袴の紐のところにしっかりと結わえる。意識が遠いような近いような・・・鈴音は思いながら、応えた。暁に抱えられるようにして、庭に降りて、外へと向かう。



とうとうたらり・・・波の巫女14

2008-03-31 16:19:10 | とうとうたらり・・波の巫女
 目を開けた鈴音を局が心配そうに覗き込んでいる。
「こんなところで居眠りするなんて、誰かに見られたらどうするんです・・・。」
 とお小言をいいながらも、局がほっとしているのが分かる。鈴音にどこにも異常がないのが分かると、彼女に使いを頼んだ。局の侍女を装って、鈴音は院の御所を出る。
 右京の暁のもとへやって来た。
 応対に出てきたのは、ここに預けてある狸童子だ。今日はちゃんとしっぽも隠して出て来た。鈴音を見て一度飛び跳ねるような仕草をする。
「朽葉。暁どのは、どうしている?」
「あ、はい。今、お客様がおみえになっていて、もし、他の方がみえたら、上がって待ってもらうように言われてますけれど・・・。鈴音さまなら、どこへお通しすればいいのだろう・・。」
「どうせなら、何か用を見つけて待っているわ。適当に過ごすから。」
 廊下を通って行くと、ちょうど薬を取りに行く暁にばったり出くわした。
 局から預かってきた物があることと、しばらくここに居るようにと言われて来たのだと言う。年末から年明けは行事が続く。人の出入りもひんぱんで、人目につくので暁の家にいろということなのだ。暁は絶句した。鈴音の様子があまりにも気楽そうなので、暁は眉を寄せただけで、深く言及しないことにする・・・。
 暁は、自分のかわりに薬を煎じて持ってきてくれるよう鈴音に頼む。暁は暁で、傷に塗る薬を持って、引き返していった。
 客を見送ってから、局に頼まれた用件を暁に伝えた。
 言伝てと、預かった箱を渡す。黒い箱の中を検めると、干し柿やら菓子やらが入っていて、その上に小さな太鼓のおもちゃが乗っていた。でんでんとなる棒付のそれは、棒の部分に赤い紐が二本結わえてあった。
「局からではなくて、指すの皇子って方からだって。準備を整えて待っています。二月の鬼やらい参加お願いします。これは、お正月にでも召し上がって下さいって。皇族のかたかしら?」
「・・・・・・・。」
 正月と、二つ目の二月で閏二月か・・・。暁は、頭の中でちらりと思い浮かべる。狸童子たちが、涎を垂らさんばかりにこちらを見ているので、暁がおかしそうに笑う。
「食べるか?」
 こくこくとうれしそうに頷いている。手渡してやると、一口食べて幸せそうに、ぱたり、ぱたり、ぱたりと倒れている。やがて、がつがつ・・とむさぼるように食べる。
「ちょっと、いいの?食べさせちゃっても・・・。」
「構わないさ。干し柿はともかく、他のものは正月までもたない。」
「そうね・・・。」
 何か変だなあと思いいつつも、教えてくれそうもないので鈴音は口をつぐんだ。
半月近くもそのまま暁の家で過ごした。
 ある日の黄昏時、竹で編んだ丸い玉のような籠の中に、香を燻らし、それを軒先に吊るして楽しむ・・・・。良い香があたりを包み、流れ出す。廂に出て、小袿姿で柱に寄りかかり、鈴音は庭を眺めていた。小さな草木が何気なく生えている感じが見ていると落ち着く・・・。夕暮れの赤が次第に濃い藍色に染まって、変わってゆくのを見ていた。
 暁は、彼女を呼ぶ為に、廊下を渡っていてふと足を止める。その光景を見ていた。
 ふわりとそこへ、辺りの闇にぼうっと小さな明かりが浮かぶ。ふわふわと、暁の目の前に漂って来て、人の姿になる。若い女のようだ。暁は、目を眇めた。
「戻れなくなるぞ・・・。」
 声を掛け、出口を示してやる。どんなに呪をかけても、時々こんな風に迷い込むものがいる。まだ、そこに留まっているそれに手ででていくように再度示す。
 それに、逆らうように、もとの明かりの玉に戻り、ふわふわと庭を彷徨って向こうへ行こうとしている。顕かに、向うへ行こうとしているのに引き返し、途中で迷っている。
 香が邪魔しているんだなと、暁は思った。それにしても何故、あちらに拘るんだろう。
 そう考えた瞬間、目の中に星が飛び込んで来た。
 またか・・・。たまにある。それは、彼が感じる感覚のみの世界だ。慣れたもので暁はやすやすと機を捉え、彼だけに見える星宿図を映す。暁には視るともなくみてしまう瞬間がある。沢山の星の中に赤い星が一際輝く。その星を映しているからなのか、片方の目が赤くなっていた・・・。
 目を凝らしていたのはほんの暫くの間だ。
「そうか・・・。」
 呟いて。ふっと溜息をついた時には元に戻っていた。
「・・・言いたいことはわかった。心配しなくても、今更突き放すことはないよ。手は尽くす。」
 明かりはくるくるとうれしそうに舞った後、暁の示した方向へ戻っていった。それを見送りながら、考える。
 ちょっとした疑問があったのだが、それは今ので解けた。あとは、もうひとつ。大きな助け手ってなんだ・・・・?助力を意味する星が見えた。必要なのか、それともあるのか・・。
 考えてみたが、答えは出ない。刻限が迫ってきたので、仕方なく思考を止めて、鈴音を呼びに行った。


写真は、釣り香炉

とうとうたらり・・・波の巫女13

2008-03-31 16:13:21 | とうとうたらり・・波の巫女
 鈴音は真っ暗な空間に立っていた。
 よく見ると、鈴音の前には道が存在し、ぼんやりと白く光っている。不思議な光り輝く星の群れが飛来し、体を通り抜けて行ってしまった。
 夢なのか・・・。ぼんやりと、思う。今は、夜ではないはずなのに。頭がはっきりとしない。目の前にいくつも存在する道に、うっかりと足を進めてしまった。
 歩いていくと、その先に明かりが見える。近付くにつれ、その先の情景がはっきりと目に飛び込んで来た。火が轟々と燃え盛っている。
 辺りを焼き尽くしている。大きな寺院だ。火がすべてを飲み込もうとしていた。赤い旗がしきりとはためいている。
 戦の光景なのか・・・。甲冑に身を包んだ武者たちがしきりと何か大声で叫んでいる。逃げ惑う人々・・・。火は、その武者たちも飲み込もうとしていた。
 あ、あの人、危ない・・。間近まで迫った火に気づかず刀を振るっている武者がいる。鈴音は、一歩踏み出そうとした。
 ああ、足元の道が・・・・・。
「危ない。」
 後ろから伸びてきた手に抱きとめられた。よく見ると、鈴音は元の暗闇に立っている。暁の顔がすぐ近くにある。
「暁どの?」
 暁は厳しい表情だ。
「その先は、君の手の及ぶところじゃない。」
 夢なのに変な具合である。みょうに、現実感のある様子だ。
「夢の中では、迷うんだな・・・。」
 暁の口角が上がり、笑った。鈴音はもっとよく確かめようとして、暁に触れてみる。
 景色が変わった・・・。
「・・・ここは・・・・六波羅?」
 暗い夜の庭に佇んでいた。静かだが、建物の方には沢山の人の気配があるのがわかる。
 鈴音が建物の方へ行きそうになったので、暁が自分の方へ引き寄せる。口元に人差し指を立て、声を立てないようにと言っていた。
 突然、かび臭い匂いが漂って来て、薄暗い闇の気配が屋敷を覆ってしまいそうになった。
 暁に引き止められているので、鈴音は動けなかった。
 ふと、渡り廊下を渡って来る足音がした、と思ったら、闇の気配も、黴の匂いも消えてしまった。廊下を渡って行く人には、見覚えがあった。清盛の奥方だ。疲れた顔をしていたが、背筋をぴんと伸ばして、快活な彼女の雰囲気が一瞬で闇を祓ったのだ。
「あの方がいる限り、その時までは大丈夫だな。」
「その時って?妖が姿を現す瞬間ってことかしら・・・。」
「・・・時が満つまで待てといっただろう?これは、夢なのだから、さっきの気配も追えないよ。」
「じゃあ。まだって事なのね。」
 暁が肯く。その瞳がもの問いたげで、鈴音は小首を傾げる。
「鈴音というのは、母君のつけてくれた名か。」
「ええ。巫女姫は、こちらの人が呼ぶ名だもの。郷里では誰もその名では呼ばない。」
 暁の瞳が曖昧に揺れて、微笑んだ。暁は、水盤を覗き、占いの最中だった。ふいに、引き込まれるように、この空間に鈴音を見つけてしまった。
「迷っているのは・・・俺か・・・。」
 と、呟いた。暁のもう戻るようにという声とともに、鈴音は背中を押されて、そちらの方に踏み出すと、あの星の大群がまた駆け抜けて行く。
 不意に、目覚めた。

とうとうたらり・・・波の巫女12

2008-03-31 16:09:16 | とうとうたらり・・波の巫女
「あら、こんな所に邪気・・・。」
 さっきの公卿たち。誰かについてきて落として行ったのかしら。廊下にひっくり返ってばたばたともがいていた。鈴音は近づいて、指でぴんと弾いてやる。小さな子鬼の姿をした邪気はすぐに消えた。
 師走なのに、みょうに暖かいせいかしら・・と、立ち去る為に立ち上がりながら思う。
「!」
 人が立っていた。鈴音のことをとても興味深そうに見ている。慌てて、扇を開いて顔を隠す。
「女房どのは、見鬼かな?」
 とっさには答えが浮かばず、返事に窮する鈴音に、その人物は微笑を寄こし、頷くと答えを要求しないことを示してくれた。
 誰なのだろう・・・。他の公卿たちとは違う白い装束を身につけている。神職なのか、それとも・・・陰陽寮の人?そういえば、師走は、一年の祓いの時期だ。そのために、呼ばれてきた人なのだろうか。思っていると。
「師走は我等も忙しくてな。」
「!」
 余程不審な目で見ていたのだろうか。鈴音は、心を読まれたのかと思った。絶妙な間で、言葉を発した。外からの日差しが、こちらを向いているので、どんな表情をしているのかも分かりにくい。
「ふむ。新参の女房どのは世慣れぬ感じだな・・・。私は、陰陽寮に属するもの。」
「ああ・・陰陽師の方なのですね。」
 無難な答えを返す。
 彼は肯くと、位置をずらして、外の方を向いた。鈴音のすぐ斜め前ぐらいのところに彼はいた。日差しが顔に当たって、顔の表情が顕かになる。彼は、笑っていた。
「さて、我等の仕事を軽くしてくれたお礼に・・・といってはなんだが。この先を行くのは止めておかれた方がいい。」
「え?」
「・・・あまり、性質のよくない公達が集まっていたからな。目にとまって、浮名を流すようなことになれば、お身内が心配されるであろう。お若い方、名を・・・大切になされよ。」
 わかったような、わからないような忠告だ。その様子から、真意はわからない。彼は庭先からこちらに視線を向けた。
 ああ・・・左右の目の色が少し違うような・・・。光の加減か、僅かに左の目の方が茶色味がかっている気がする。余程、注意してみなければ、わからないほど・・・。
「・・・・ご忠告ありがとうございます・・・・。」
 鈴音をじっと観察するような視線をどう受け止めていいのか、迷いながら礼を述べる。
 彼は薄く微笑すると、立ち去って行った。その背を見送ってしばらく立ち尽くしていた。
 御簾を上げて、中へ入ろうとする。
 ちょうど、法皇の今様がここまではっきりと、聞こえてきた。
 嬉や水、鳴るは滝の水、日は照るとも絶えずと唄え・・・とうとうたらり、とうたらり・・・。
「また、あの唄?」
 嫌だと思っているせいか、呪いの呪文のようにすら聞こえる。
 鈴音の耳にふいに、水の音が・・・。首を振ると、すぐに何も聞こえなくなる。
 御簾で、外の光の遮られたその空間は、薄暗く。急に、そこが無限の闇にたちつくしているような心地に襲われる。ふらりと、足元が揺れた、と思った。


とうとうたらり・・・波の巫女11

2008-03-31 16:04:54 | とうとうたらり・・波の巫女
 後白河法皇の許に、平清盛の娘、巫女姫と呼ばれる姫君が参上した。後白河の最後のねばりで、妃としての入内ではなく、猷子として預かるという名目で、姫君には付き従うものもなく、ひっそりと御所の内に入った。法皇は、案の定、一度対面しただけで、姫君は御所の内に忘れ去られ、人の噂にもほとんどのぼらなくなった。
 師走も差し迫った頃、院の御所の廊下をいつものように公卿たちが噂をしながら通りすぐて行く。冬にしては、暖かい日差しが庭の草木を照らしていた。
「さてさて、お上の許を照らす明かりのお陰でありましょう・・・。」
「ほんに暖かな・・・そのあおりで、かの一族には影がさしたのう。」
「そう言えば。例のあの女御はなんと申しましたか、どうしておられるのやら・・・。」
「さて・・・早々に退出されたのではないかな?彼の一族は今、それどころではないであろう。」
 近頃とみに増えた院の御所に伺候する公卿たちの、甲高いやけに間延びした声が響く。人の少ない殿社のあたりとあって、のんびり声を潜めるでもなく会話している。
 かの一族とは、平氏のこと。巫女姫を女御と、わざと意地悪く妃と称しているのだ。
「あれは、お上の勝ちでしたかな・・・。」
「しっ。方々、彼の一族に聞こえたらどうする。」
「知らぬのか?彼らそれどころでは、あるまいよ。」
「戦支度で忙しかろうて・・・。」
「戦か、恐ろしいのう。」
「いやいや、あれは東国の話であろう?」
 源氏を名乗る者があいついで旗揚げした。東国では、平氏を除く勢いであるという。平氏は、それを防ぎあぐねている。つい最近も、清盛の息子の知盛、弟で知盛には叔父にあたる忠度が総大将として近江へ出陣していった。東国への足ががりを築くためだ。
「東夷と申すか・・・。東国の武者たちは恐ろしげなるさまだとか。」
 彼らは戦時には親兄弟の屍も踏み越えて戦うという。だが、この東国武者たちも、都の主だった公家や朝廷に、大番と称して、賦役をこなし、彼らに仕えてきたはずなのだが、彼らはそのことは失念している。
「そんな恐ろしい奴らなのか・・・。京はどうなるのであろう。」
「先だって出陣された平知盛どの、忠度どのが、近江源氏の一党を退けて東国へ進出されたそうな。しばらくは、大丈夫であろう?」
「それよりも、南都と平氏の揉め事の方が、京に近いではないか。」
 南都とは、奈良の興福寺一党のことだ。すでに亡くなっていたが平氏に弓を引いて源氏に担がれた以仁王を、庇おうとした興福寺と、平氏は今、にらみ合いが一触即発だ。奈良は京にも近く、間を隔てる大きな山もない。戦になり、火の粉がこちらにも及ぶ可能性はある。
 公卿たちが、身を震わせた。彼らはそれに、対してどうしようとか、対策をねるようなことはしない。明確な答えをもたぬ、あくまでもただの噂話なのだ。
 そこに、法皇の日課の今様が聞こえてくると、すぐに話題は変わる。その唄いっぷりを賛美した。その許へと、廂の廊下をいそいそと歩いて行く。
 廂と内を隔てている御簾のうちを、ふわりと良い香が反対側へ通り過ぎていった・・・。
 彼らは今様に気をとられているので、それには、気づかない。彼らが、角を曲がって、遠くへ姿を消すと、そっと御簾を押し上げて、中から人影が現れた。

とうとうたらり・・・波の巫女 10

2008-03-31 15:59:33 | とうとうたらり・・波の巫女
暗闇に響きわたる人の声・・・。
 女のもとへ通う途中だった男は、院の御所の築地のあたりでうろうろとしている市女笠の美しい女に興味をそそられ、ふらふらとついて行った。市女笠を被って、虫の垂れ衣に遮られているのに、なぜ、美しいと思ったのか。そして、こんな明かりのない夜に浮かび上がるようにはっきりと姿を見ることが出来るのか、という疑問は湧かなかった。
 魅入られるようについて行き、大きな松の根元で立ち止まった女が行き成り振り返って市女笠を剥ぎ取った。
 暗闇に男の絶叫が響いた。
 熾火を宿したような目。笠を剥ぎ取ったときに見えた長く鋭い爪。
 赤いくちびるは・・・・・・・。多きく頭のてっぺんが割けていた。
 今、ぱっくりと開いて男を狙う。
 突如、鈴の音が響いて、その動きを止めた。どこからか飛んで来た鈴がくるくると、その女の妖の周りを廻り、頭上の中空で留まっている。
「これは・・・憑かれているだけなの?」
 走ってきた鈴音が、その妖を見て呟いた。懐から、符を取り出し、開いている大口に投げ込んだ。
「開!」
 リンと鈴がなり、地面に落ちた。
 ぐううおおおお・・・・!呪縛がとけると、妖女は苦しそうにもがいた。
「・・・・急々如日令・・。」
 鈴音が口の中で、呪を唱える。ぴかっと、飲み込まれた符が妖の腹のあたりで、光った。
「う・・。」
 妖がばたりとその場に倒れた。
 駆け寄ろうとする鈴音を暁の手が制す。
 暁は前の木の林を見ている。手をそっと差し出すと、手のひらに白い鳥が乗っていた。
「行け。」
 ばさばさ・・・。鳥の形をした式を飛ばす。鳥は大きく羽音を立てて林の中を飛び回った。その音に、追いたてられるように、あちこちで怪しい色の火が灯る。次々に火が灯っていった。
 無数の目が光っている・・・。
「あれは、もう元には戻らない。」
 暁が首を横に振る。鈴音が符を用意していたからだ。
「大人しく地獄へ行け。」
 暁が言う。ふわりと、狩衣の袖を舞うように降る。開いた両の手が合わさった時、赤い光が辺りを覆った。
 鈴音は眩しくて目を覆う。
 ばさばさ・・・・と、鳥の一斉に羽ばたく大きな音がしたと、思うと、赤い光も、林の無数の光る目も消滅した。
 鈴音は、呆然と目を見張った。暁がとっとと帰ろうとしているので、慌てて声を掛ける。
「ねえ。この気絶している人たちは?」
「そのうち目を覚ますさ。物音がしたので、院の衛侍たちが駆けつけて来る。今日は局が足止めしといてくれないからな。早く。逃げるぞ。」
「誰か来るなら大丈夫ね・・・。」
 鈴音が暁の後を追う。少し速度を落としてくれたので、待ってくれているのだ。
 夜の闇の中を走り抜ける。
 少し行ったところで、道端に法師たちが眠りこけていた。
 酒器を抱え、腹を出し、だらしない格好で眠りこけていた。ふいに、起き上がった一人がご機嫌よく唄う。
 うれしや水、鳴るは滝の水、日は照るとも絶えずとうたえ・・・とうとうたらり・・・。
 唄い終わると、ばたりと倒れる。とうたらり・・・むにゃむにゃ、寝ながら唄い続ける。
 暁が道を塞ぐ彼らを見て、眉間に皺を寄せた。鈴音の腕を引き、近くに庇うように引き寄せると、彼らを起こさないように、通りすぎた。
「ねえ。さっきの、今様かしら・・・。」
「ああ。法皇のお気に入りのひとつ・・かな。」
 居汚く道端に眠りこけた僧侶の中に、見覚えがあるような顔が混じっていたような気がして、暁はしばらく考えていた。気のせいか・・・。しばらく、考えても思い当たるものはなく、暁は思考を遮った。
 もう、鈴音と別れる道まで来ている。
「これから気をつけていけよ。じゃな。」
「ええ。また、会えるわね、暁どの。」
 鈴音は一度立ち止まって、振り返って訊いた。暗闇に佇む暁が頷く気配が伝わってきた。鈴音も頷いて、走り去る。暁も帰って行った。

とうとうたらり・・・波の巫女 9

2008-03-31 00:18:55 | とうとうたらり・・波の巫女
丹後局のわざとらしい軽口に、暁は肩を竦める。内心ではどこまで聞かれたのだろうと、焦っていた。
「丹後どの。このような時間に出歩かれてよいのですか。」
 暁の問いに丹後も、同じように肩を竦めた。宿下がりの途中に寄ったのだという。従者たちは、外に待たせてあるのだ。
「ああ。山科の家とは方向が違うとかは聞かないで。・・・この間からずっと気になっていたの。」
 言いながらも、鈴音をじっと見ていた。暁には、誰も出てこないのはわかっていたから、勝手に上がらせてもらったのと、言い、目は好奇心いっぱいで鈴音に視線を注いでいる。
 ふわりと、香のよい匂いが鈴音に近付く。丹後が、するすると袿の裾を優雅に捌いて、しかしそれに反して素早い動作。鈴音の目の前に座る。
「変わっているのね。入内というと、女にとって名誉なことではないの?」
 思わず鈴音が後ろにさがりそうになる。じっと注がれる丹後の有無を言わせぬ雰囲気に、負けそうになりながら、首を振る。すでに、先ほどの会話は聞かれ、事情もすべて察しているのだ。丹後は頭がきれそうだった。優雅な挙措のなかでも、ぴりっとひとつ、線の通ったような感があった。必要な時はとても視線が鋭い。
 丹後が、後白河法皇の寵妃なのだと知った。
「良いわ。取引しましょう。あなたが、院へ上がられても、法皇さまと顔を合わせないようにしましょう。」
 ただの寵妃の自負心なのか、それとも、それだけの何かがあるのか。鈴音は、黙って丹後を見つめた。丹後がこれまでの真顔を一変させる。ころころと楽しそうに笑った。
「ふふ・・・。あなた、本当に17なの?」
「・・・ええ・・・。」
 彼女は随分情報通のようだ。
「では、本当にご実子なのね・・・。何だか、幼く見えたから。突然現れた感じでもあるし、慌ててどこかから娘を都合してきたのかと思っていたわ。」
「・・・・・・・・。」
 笑ってはいたが、じっと視線だけが鋭い。彼女は占い師ではないはずだが、じっと相手を見透かすような目だ。
「院に上がられるなら、人の少ない今があなたにとって都合がよいと思うけれど。」
 高倉上皇が執政をとっているので、今は法皇の許にはまだ人が少ない。だが、もういよいよという時が迫っている今、しかないのだ。人の目に触れる機会を減らし、密かに、院の御所に潜んでいれば、出て行く時も都合が良い。ときめかない妃のご機嫌など、伺う者はいないから・・・。
「・・・・・・・・・・・・・。」
「幼い女の子が好きという趣味はないし・・・・。若すぎる方も、好みの範囲ではないみたい。だから、大丈夫。お人形のように飾り立てられて、大人しくしていればいいのよ。ただ一度、対面されるだけで済みます。」
「そんなことが出来るの?」
「そう。姫が夜の御寝に侍ることはないし、機を見て、こっそりと出て行けばいいわ。」
 と、何やら思惑ありげだ。丹後が肯く。
「院は好みに煩い方なの。特に今回は、平氏から無理やり押し付けられたようで、内心快くは思ってらっしゃらないから。一目みて、気に入らなければ、御所の隅にでも放っておかれるでしょう。」
 おそらくは、すでに準備万端整えて、待ち構えていたのだろう。ここへ来て、変更はあったが、鈴音を味方にすれば、丹後にとってさらに都合がいい。傍で、暁は会話を聞いていて思った。しかし、丹後はある程度信用が出来る。鈴音にとっても、危険はなさそうだと、思う。鈴音はどう返事をするだろうと、見守った。
「そうね。じつは、暁どのにそっくりな式を出して貰って、代わりを務めてもらおうとか、考えていたのだけど・・。」
「そんなことを考えていたのか。長時間は無理だぞ・・・。」
 暁が呆れた声を出す。そのやり取りを丹後がおもしろそうに見て。
「ああ。それは駄目。反って目に留まってしまう。そういう変なものには、敏感なな方だから。とりわけ見目がよければ、なおさらかしら。」
「では、他に手はないのですね・・・。でも、局さまには利点が少ないように思いますけど。他に女のひとりやふたり、増えても大丈夫そう・・・。」
 妃がひとり増えたところで、寵妃の座は揺るがなさそうだ。
「あら?随分、欲張りに見られたのね。そうね。他にもあるの。」
 あっけらかんと肯定して、先を続ける。御所の周りの妖が以前にもまして、活発になって来たのだ。何日かに一遍、暁に頼んでいたのだが、追いつかないかもしれない。正規の陰陽師を雇って、院の事情が平氏に筒抜けでも困る。緊急の時用に雇っておこうというのだ。暁の来れない時にも、代わりをしてもらう。
「わかりました。では、以後ご協力お願いします。」
 了承し、鈴音はぺこりと頭を下げた。
「そういうわけで、今夜はとりあえずふたりで退治していらしてね?実は、昨夜、端女がひとり食われてしまったみたいなの。行方不明になっているけれど。怪しげなのがうろうろしていたから・・・・。」
 暁が無言で仕度し始めた。
「局さまは、見鬼なの?」
 妖や人外のものが見えてしまう人のことを見鬼という。不思議そうにしている鈴音に、丹後がころころと笑って言った。
「そうね。何故か見えるわ。恐ろしくはないけれど・・・。気を強く持って、寄せ付けないようにしていれば、出くわしても平気。あちらが避けて行くから。でも。あなた達のように退治は出来ないし、する気もないけれど。」
 丹後は透けるように白い肌をしているけれど、雀斑が散り、赤みがさした髪で、茶色い瞳。いわゆる王朝美人ではない。けれど、力のある瞳の表情といい、快活な雰囲気といい。少し背を逸らすように活き活きとしているその姿を、鈴音は美しいと思った。
「私は、彼の一族は嫌いなの。でも、あなたの心は、彼の一族にはないから、違うとみなすわ。だから、協力するの。人物も好ましいしね。人を見る目はあるつもりよ。それから。」
 つけつけときついことを言う彼女の双眸が輝いていた。目を見張る鈴音に。
「あなたは嫌っているようだけれど・・・。私は、院のことを大事に思っているの。これから、しばらくよろしくね。」
 言いたいことを一気に言い、胸を張っている。だが、不思議と、受け入れてしまう雰囲気がある。魅了されるってこういうことかしら・・・と、鈴音は思う。こういう人も、美人というのだろうか・・・。
 鈴音はこくりと勢いよく首を縦に振る。にっこりと笑った。
 準備の整った暁とふたり、丹後局を見送る。
「丹後どのは、きつい意思を見せる時・・・何故だか美人だよな。人の心を掴むのもうまい。・・・・だけど、権力の中枢にいても、輝いていられる人なんだ。それを掴むために努力も惜しまない。だから、あまり信用しすぎるなよ。」
「?・・・さっきのが嘘ってことじゃないよね。」
「ああ。敵にまわらなければな。今のところ。だけど、状況は日々変化する。」
「そうね。気をつけて過ごすわ。色々ありがとう暁どの。しばらく、協力関係だからよろしくね。」
 暁が少しだけ、きつい眼差しを緩めて頷いた。

とうとうたらり・・・波の巫女 8

2008-03-31 00:12:39 | とうとうたらり・・波の巫女
「何だか変わった方ねえ。」
「・・・・。俺に、薬草の知識を教えてくれた人だ。普段は、陰陽師で通っているが、蘇芳どのは呪禁道の継承者なんだ。都で廃れてしまったのを惜しまれていたから、今日は思いがけず他で伝わっているのに出会って、よほど嬉しかったのだろう。」
 暁が答える。彼には蘇芳の残した謎賭けの意味は、解ったが、それまでも口にする気はなかった。
「そうなの・・・。」
 鈴音はそういうと、また、何か用事を見つけに奥へ消えていった。

 夕暮れ時。暁が占いを頼みにきた客が帰ったあと、占術の為の道具類を片付けていると、美味そうな匂いが漂って来た。暖かい羹の匂い。人がやって来る気配。こちらの棟には、家人たちは近付かないから、鈴音だろうと思う。
 折敷の上に椀を載せて、鈴音が室に入ってきた・・・。
「放っておいたら、食べるのを忘れてしまうからって聞いたから、持ってきたわ。」
「・・・すまない。」
 一人で食すのも気詰まりで、鈴音にも食べないかと言った。彼女は頷き、自分の分も持ってくる。無言の食事だ。がつがつ食べる暁。空になり、差し出された椀におかわりをいれて、椀を受け取る。暁は、食べながら考えていた。
 彼女の事情に巻き込まれてやるつもりはない、はずなのだ・・・・・。ぱたぱたと一日用を探してこなす鈴音にとって、大きなお屋敷の姫君をやっているのは苦痛だろう。毎日やって来ていたから、様子を見ていれば分かる。まして、入内など・・・。内裏の女御ほどではないが、法皇の御所でもやはり格式や作法など、彼女にとって足かせになるものでしかないだろう。けれども、決まってしまったからにはどうすることも出来ないではないか・・・。ずっと、暁の家に隠しておくことなど不可能だ。
 暁が、折敷に椀を置き、箸を置く。
「この前も言ったが、神を退けるなど無理だ。」
「うん。それは、分かっている。」
「第一、大物の妖の潜んでいる場所より、院の御所の方がましじゃないか?」
 住まいのことなら、そうだろう・・・。鈴音の肩がびくりと震えた。入内といったら、妃になることなのだ・・・。暁を見た。すました顔をしていたが、それも分かって言っているのだと、鈴音はうらめしそうに睨む。
「どのみち大きな家の姫君は相手を選べないじゃないか・・・。」
 言いながら、暁も酷なことを言っていると自覚する。
「いや・・・。あの、じいさんが相手なんてぜったい、嫌。」
「じいさんって・・・。」
 暁はさすがに、鈴音の物言いに絶句した。鈴音がきっと、暁を見る。
「暁は見たことある?私は、たまたま六波羅で、遠目からだけど見る機会があったの・・・。華やかな雰囲気に彩られていたけれど、あの目・・・何もないのよ。ただ、暗いんじゃなくて空虚なの。気持ち悪くなってしまって・・・。毎日、顔を合わすなんて、考えただけでもいや。」
 巫女姫は、普段は人の出入りの少ない西八条の平氏の屋敷が集中する一角にいるのだが。
 六波羅の清盛を見舞った法皇を、たまたま、屋敷を訪れていた鈴音が遠くから見かけたのだと言った。
 広い殿社に住まわっているのだ。別に、妃は一人ではないし、毎日顔をあわせることもないのだろうが・・・・。
 さすがに、そのことは暁も口にしなかった。
 暁と鈴音が出遭った妖退治の場所は、院の御所の周りだ。その周辺は最近やけに妖の出現が多く、時々その退治を彼に頼みに来るのは、丹後局なのだが、それは表向きのことで法皇の内々の依頼なのだ。始めて依頼された時は、非公式ではあったが顔を拝む機会はあった。
 法皇の姿を思い浮かべて、なるほど、と思った。当たっていなくもない。鈴音はそんなふうに思うのか・・・・。
 鈴音は、くるくると一日中動き回って、色んなところへ視線が飛ぶ。一見して、退魔師であるとわからないほど、話し方も、生き生きしている。そんな彼女には苦手な人種かもしれない。
法皇は今様という唄を愛し、一日として唄わない日はないという。その為に遊び女や、白拍子といった素性の怪しい女たちを常に近く招き、今様や舞、様々な遊びに日がな浸って生きている彼は、世間の人から見れば、恐ろしく現実感のない生活を送っている人物だ。
 鈴音の言葉・・・空虚な目というのは、法皇の人となりを感じ取った、おそらく彼女の直感だろう。
 彼には性格の核となるものがない。とはいえ、感情のないものではないし、おそろしく生命力にあふれている。長く生きている間に環境から、色んなものに左右され身につけたもの、それらが皆違和感なく同居して、きまぐれにそれぞれが自己主張している。よく判らない人物にしていた。人によっては、捉えどころのない怪物のような印象を与えてしまう。それが、彼を当代一の王者に仕立て上げてもいる。
 暁はそんなふうに見た。彼にとっては別段気持ちの悪くなるような拒絶感はなかったが。依頼主の特徴としてしかみていない。
 鈴音にかける言葉に困っていると、突然、よく知った女の声が室に響く。気をとられていたので、人がやって来たことにも気付かなかった。
「まあ。めずらしいこと。ここで、生活の匂いがするなんて。」