外へ出ると、静かな庭の片隅で、暁と鈴音はほっと一息ついた。ずぶぬれだ。
「あ・・。姉さまは・・・?」
鈴音の首から下げた白玉が、ゆっくりと融けて消えていく。何も無くなって心配そうに呟いた。
「大丈夫、戻ったみたいだ・・・。きっと今頃、目覚めてる。彼女は、鈴音にこの役目を負わせたことを心配してもいた。・・・だから、竜神の目論見も気づくことができたんだ。一瞬心配そうに、彷徨っている彼女を見なければ、俺はもう一度、先視をしようと思わなかっただろうからな。」
空を見上げて、遠くを見ながら言った暁は、こちらを向いた時、常とは違い、片方の目が赤く染まっていた。暁は、彼にしてはめずらしく頼りなく笑う。鈴音は不思議とそれをおかしいとも思わず、ありのまま受け止めていた。きれいな夕焼けみたい。つぶやきが聞こえたのか、それとも、鈴音の態度がいつもと変らないからなのか・・・そのことに少しほっとしているような暁の顔があった。しばらくすると、もとの黒い瞳に戻る。鏡があるわけでもないのに暁には、それがわかるようだ。元に戻ってから、説明してくれた。
彷徨っていた魂は、そのまま元に戻せばよかったようなものだが、体に戻ることはあのままでは不可能だった。その魂は、完全に竜神のもとに囚われていたというより、体に戻ることを邪魔されていた。鈴音や他の身内から、遠ざけて、逢えないようにしていた。鈴音の姉と直接、係わりのない暁だから、竜神の力も及ばない。隙をついて迷い込んできたとき、竜神の意図にも気付くことが出来た・・・・・と。
「そうなんだ・・・。」
近くの地面で何か光った。ばばさまの石のひとつだ。鈴音はそれを拾ってぎゅっと大事そうに握り締めた。京ではたった、ひとりだと思っていた。でも、違った。傍にいない人の思いや、鈴音が京へ来て知り合った人たちに助けられて、生かされている・・・。胸の中が暖かい思いでいっぱいになる。
「暁どの。ありがとう。助けてくれて・・・。」
思いがつまって、言葉が途切れてしまう。暁が、鈴音の髪を撫でた。
「がんばったな。・・・これで、自由だ。どこへでも、行けるぞ。」
「もう、少しくらい寂しそうにしたらどうなの・・・。」
鈴音の甲高い拗ねたような声が響いた。屋敷の建物の方の人の気配を気にして慌てて、暁が鈴音の口を押さえ、そばの木の陰に隠れて辺りを伺う。
建物の方は、人がばたばたと行き来し、ごったかえしているので、多少の物音がしても気がつくものはいなかった。
「・・・行こうか・・。」
暁と鈴音は、互いに顔を見合わせ、頷く。そっと、その場を離れる。
待たせてあった馬の所まで行き、まだ、明けない夜空の下を去ってゆく。
鈴音は、疲れがたまり、力なく暁に寄りかかっている。
少し熱があるかもしれない・・・と、暁が思っていると、鈴音が訊いた。
「ねえ。あんな鬼を式神として使っているなんて、気がつかなかったわ。」
「・・・それは、今日俺の式神になったからな。あれらが封印されていた場所を知っていたから、勝手にもらってしまった。大きな助け手の暗示があったから、必要になるかと思って・・・・。」
「もしかして、それで、汚れていたの?」
「・・・・足元がぬかるんでいたから。うっかりしていた。・・・必要はなかったかもしれない。まあ、便利だし、貰っておくが。」
くすくす・・と、鈴音が笑う。暁が彼女の額に手を当てて、熱の有無をはかる。やっぱり、熱があるな。かなり体に負担がかかったようだから・・と、思う。
「・・・とうとうたらり・・・。それにしても、思わぬ助け手だったな。」
「私・・・院の御所でそれを聞いていたときは、何だか呪いの呪文のように聞こえていたのだけれど、違ったのね・・・。」
なるほどあの法皇なら、そんなふうに思えるかもしれない。暁はそれを聞いて、笑ってしまった。鈴音が目を瞑って、うとうとし始めたので、心の中で、今度は安心して意識を手放していいよと、言う。
暁たちの姿が京中へ消えて行った頃、西八条で炎があがった。平氏の屋敷の密集するあたりだ。六波羅の屋敷が、葬送のためごったかえすなかで、そちらには、人もほとんど詰めていなかったが、清盛が一代で築いた西八条の屋敷が焼けた。
とうとうたらり、とうたらり・・・。
うれしや水、鳴るは滝の水・・・日は照るとも絶えずとうたへ・・・・・
とうとうたらり・・・とうたらり・・・・・。
唄はくるくると回り続ける。のちに炎上する屋敷の付近で、法師たちが酒に酔って、しきりと囃し立て唄う声がしていたという噂がのぼった。この、とうとうたらり・・・は、果たして、炎上する炎に降り注ぐ水の恵みを願うものだったのか。それとも、平氏を呪う禍唄だったのか・・・。いずれにしろ屋敷は、すっかり焼け落ちたのだった。
おわり
作中の今様は「滝は多かれど、うれしやと思う、鳴るは滝の水、日は照るとも絶えずとふたへ、やれことつとう」は梁塵秘抄より。
「あ・・。姉さまは・・・?」
鈴音の首から下げた白玉が、ゆっくりと融けて消えていく。何も無くなって心配そうに呟いた。
「大丈夫、戻ったみたいだ・・・。きっと今頃、目覚めてる。彼女は、鈴音にこの役目を負わせたことを心配してもいた。・・・だから、竜神の目論見も気づくことができたんだ。一瞬心配そうに、彷徨っている彼女を見なければ、俺はもう一度、先視をしようと思わなかっただろうからな。」
空を見上げて、遠くを見ながら言った暁は、こちらを向いた時、常とは違い、片方の目が赤く染まっていた。暁は、彼にしてはめずらしく頼りなく笑う。鈴音は不思議とそれをおかしいとも思わず、ありのまま受け止めていた。きれいな夕焼けみたい。つぶやきが聞こえたのか、それとも、鈴音の態度がいつもと変らないからなのか・・・そのことに少しほっとしているような暁の顔があった。しばらくすると、もとの黒い瞳に戻る。鏡があるわけでもないのに暁には、それがわかるようだ。元に戻ってから、説明してくれた。
彷徨っていた魂は、そのまま元に戻せばよかったようなものだが、体に戻ることはあのままでは不可能だった。その魂は、完全に竜神のもとに囚われていたというより、体に戻ることを邪魔されていた。鈴音や他の身内から、遠ざけて、逢えないようにしていた。鈴音の姉と直接、係わりのない暁だから、竜神の力も及ばない。隙をついて迷い込んできたとき、竜神の意図にも気付くことが出来た・・・・・と。
「そうなんだ・・・。」
近くの地面で何か光った。ばばさまの石のひとつだ。鈴音はそれを拾ってぎゅっと大事そうに握り締めた。京ではたった、ひとりだと思っていた。でも、違った。傍にいない人の思いや、鈴音が京へ来て知り合った人たちに助けられて、生かされている・・・。胸の中が暖かい思いでいっぱいになる。
「暁どの。ありがとう。助けてくれて・・・。」
思いがつまって、言葉が途切れてしまう。暁が、鈴音の髪を撫でた。
「がんばったな。・・・これで、自由だ。どこへでも、行けるぞ。」
「もう、少しくらい寂しそうにしたらどうなの・・・。」
鈴音の甲高い拗ねたような声が響いた。屋敷の建物の方の人の気配を気にして慌てて、暁が鈴音の口を押さえ、そばの木の陰に隠れて辺りを伺う。
建物の方は、人がばたばたと行き来し、ごったかえしているので、多少の物音がしても気がつくものはいなかった。
「・・・行こうか・・。」
暁と鈴音は、互いに顔を見合わせ、頷く。そっと、その場を離れる。
待たせてあった馬の所まで行き、まだ、明けない夜空の下を去ってゆく。
鈴音は、疲れがたまり、力なく暁に寄りかかっている。
少し熱があるかもしれない・・・と、暁が思っていると、鈴音が訊いた。
「ねえ。あんな鬼を式神として使っているなんて、気がつかなかったわ。」
「・・・それは、今日俺の式神になったからな。あれらが封印されていた場所を知っていたから、勝手にもらってしまった。大きな助け手の暗示があったから、必要になるかと思って・・・・。」
「もしかして、それで、汚れていたの?」
「・・・・足元がぬかるんでいたから。うっかりしていた。・・・必要はなかったかもしれない。まあ、便利だし、貰っておくが。」
くすくす・・と、鈴音が笑う。暁が彼女の額に手を当てて、熱の有無をはかる。やっぱり、熱があるな。かなり体に負担がかかったようだから・・と、思う。
「・・・とうとうたらり・・・。それにしても、思わぬ助け手だったな。」
「私・・・院の御所でそれを聞いていたときは、何だか呪いの呪文のように聞こえていたのだけれど、違ったのね・・・。」
なるほどあの法皇なら、そんなふうに思えるかもしれない。暁はそれを聞いて、笑ってしまった。鈴音が目を瞑って、うとうとし始めたので、心の中で、今度は安心して意識を手放していいよと、言う。
暁たちの姿が京中へ消えて行った頃、西八条で炎があがった。平氏の屋敷の密集するあたりだ。六波羅の屋敷が、葬送のためごったかえすなかで、そちらには、人もほとんど詰めていなかったが、清盛が一代で築いた西八条の屋敷が焼けた。
とうとうたらり、とうたらり・・・。
うれしや水、鳴るは滝の水・・・日は照るとも絶えずとうたへ・・・・・
とうとうたらり・・・とうたらり・・・・・。
唄はくるくると回り続ける。のちに炎上する屋敷の付近で、法師たちが酒に酔って、しきりと囃し立て唄う声がしていたという噂がのぼった。この、とうとうたらり・・・は、果たして、炎上する炎に降り注ぐ水の恵みを願うものだったのか。それとも、平氏を呪う禍唄だったのか・・・。いずれにしろ屋敷は、すっかり焼け落ちたのだった。
おわり
作中の今様は「滝は多かれど、うれしやと思う、鳴るは滝の水、日は照るとも絶えずとふたへ、やれことつとう」は梁塵秘抄より。