信康の自刃のあと、世間には彼が命を落としたのは、信長が徳川の優秀な後継者を恐れたため姦計をめぐらしたのだと、噂が流れた。
信長が、その噂を黙殺していることもあって、真実味を帯びてもきていた。
もちろん、事実はそうではないが、事の真相を知る人間は口をつぐんでいた。あまりに人間離れした印象は、これから大きなものを得る為には、足をひっぱりかねない諸刃の剣だ。正室を失った時、ちらりと浮かんだあの喜色・・・。我が子を家を二分する危険分子とみなし早々に処分した、というのは、世が乱れた下克上の今の世の中、在りうることだが・・・・・。大きなものを得ようとするなら、人の心を掴む必要がある。
正道が一番なのだ。薄気味の悪い恐さよりも、突然自分をみまった悲運に嘆きつつも、耐えて乗り越える誠実な人柄の方が多くの共感を得られる。
それが家康にとっての武器になり得ると。
全貌をしっている自分は、不都合な存在だ。まして、忍びに一目をおかれる半蔵は、影響力も大きい。家康にとって危険な存在になりかねない。
但し、忍びは忍びとして使いものにならなくなれば、別だ。実力のないものに従うものなどないから・・・。半蔵は、その名も返上して、この山間の地で昔を捨てて生きなければならない。片田舎に暮らす、普通の百姓ともなれば、家康にしても忘れてしまってもいい存在だ。身についた忍びの業を忘れることが出来たら、半蔵は安泰だ。半蔵は、その為の猶予をもらった。
家康にしてもこの猶予は、半蔵のこれまでの功績に報いるつもりもあったのだと。
そう、度量が広いのか、狭量なのか、図りがたい人柄であったと、半蔵は思う。
「いい景色だろう。」
視線の先には、野や畑、広がる田んぼがあった。
里人が、時々、往来しているのが見える。忍びの里ではあるが、平時は普通ののどかな田舎の風景と変わらない。
これを守るために、動いていたのだと思った。
死ぬことで黙るという手もあるのだが、それは、除けた。白刃のもと、多くの者を屠って来た身には、綺麗過ぎる終わり方だ。
「俺自身の振るってきた刃にかけて、生き抜こうと思った。刀を持たなくても、まだ、終わってはいけないんだ。」
殺気を落としきれなかったら、自分が屠られるだけなのだ。そのほうが、らしい生き方だと思う。家康の目が、彼を危険と判断したら、その時点でそうなるだろう。・・・半蔵は、あの時そう判断したのだ。
「ふ。じゃあ。今度会ったときは、確実にぶんなぐれるな。」
「それはどうかな・・。まあ、いつでも遊びに来い。」
兵庫は、わずかに目をすがめて言う。
家の奥から運ばれてきた、酒の肴と、空の持ってきた酒を味わいながら、しみじみと里の風景を楽しむ。
風がゆっくりと通り抜けて行くのを感じる。
また、どこかで、新たな戦いが始まる・・・。遠くの山を見つめた。
おわり
信長が、その噂を黙殺していることもあって、真実味を帯びてもきていた。
もちろん、事実はそうではないが、事の真相を知る人間は口をつぐんでいた。あまりに人間離れした印象は、これから大きなものを得る為には、足をひっぱりかねない諸刃の剣だ。正室を失った時、ちらりと浮かんだあの喜色・・・。我が子を家を二分する危険分子とみなし早々に処分した、というのは、世が乱れた下克上の今の世の中、在りうることだが・・・・・。大きなものを得ようとするなら、人の心を掴む必要がある。
正道が一番なのだ。薄気味の悪い恐さよりも、突然自分をみまった悲運に嘆きつつも、耐えて乗り越える誠実な人柄の方が多くの共感を得られる。
それが家康にとっての武器になり得ると。
全貌をしっている自分は、不都合な存在だ。まして、忍びに一目をおかれる半蔵は、影響力も大きい。家康にとって危険な存在になりかねない。
但し、忍びは忍びとして使いものにならなくなれば、別だ。実力のないものに従うものなどないから・・・。半蔵は、その名も返上して、この山間の地で昔を捨てて生きなければならない。片田舎に暮らす、普通の百姓ともなれば、家康にしても忘れてしまってもいい存在だ。身についた忍びの業を忘れることが出来たら、半蔵は安泰だ。半蔵は、その為の猶予をもらった。
家康にしてもこの猶予は、半蔵のこれまでの功績に報いるつもりもあったのだと。
そう、度量が広いのか、狭量なのか、図りがたい人柄であったと、半蔵は思う。
「いい景色だろう。」
視線の先には、野や畑、広がる田んぼがあった。
里人が、時々、往来しているのが見える。忍びの里ではあるが、平時は普通ののどかな田舎の風景と変わらない。
これを守るために、動いていたのだと思った。
死ぬことで黙るという手もあるのだが、それは、除けた。白刃のもと、多くの者を屠って来た身には、綺麗過ぎる終わり方だ。
「俺自身の振るってきた刃にかけて、生き抜こうと思った。刀を持たなくても、まだ、終わってはいけないんだ。」
殺気を落としきれなかったら、自分が屠られるだけなのだ。そのほうが、らしい生き方だと思う。家康の目が、彼を危険と判断したら、その時点でそうなるだろう。・・・半蔵は、あの時そう判断したのだ。
「ふ。じゃあ。今度会ったときは、確実にぶんなぐれるな。」
「それはどうかな・・。まあ、いつでも遊びに来い。」
兵庫は、わずかに目をすがめて言う。
家の奥から運ばれてきた、酒の肴と、空の持ってきた酒を味わいながら、しみじみと里の風景を楽しむ。
風がゆっくりと通り抜けて行くのを感じる。
また、どこかで、新たな戦いが始まる・・・。遠くの山を見つめた。
おわり