時の泉庭園

小説は、基本、ハッピーエンド。
話は、最後まで出来上がってからUPなので、全部完結済み。

(^◇^)・・・みん兎

花ぬすびと 15

2010-07-16 06:45:07 | 花ぬすびと
                  十

 そろそろ秋めいて来た内裏の一角で、いち早く赤く色付いた葉っぱを見ながら、梨花が朋輩の雪柳と紅梅と、話していると、女五の宮が、また、一人でうろうろやって来、当然のように話しに加わり、そこへ、兵衛佐がやって来た。
 楽しく話していると、権大納言もいそいそと廊下を渡って来る。
御簾の前に、陣取って、いつも、兵衛佐と張り合って、梨花の気をひこうと角突合せているのは、ちょっとした名物となりつつある。今日も顔見るなり、一戦、嫌みに近い社交辞令の応酬を始めたふたりを、御簾内の梨花は、ため息をついて見ている。
女五の宮が、そばの雪柳と紅梅に、
「あの海千山千の権大納言をあいてに、意外にも兵衛佐が善戦しているな。互角とまでいかないでも、おされっぱなしじゃないぞ?これなら、勝てるかな。」
「宮さま、兵衛佐どのを応援しているのですか?」
と、雪柳が囁く。紅梅が、
「それで、よろしいのですか・・宮さまのお気持ちは・・・。」
と案じ顔。女五の宮は首を横にふり、
「わらわは、ずっと独身だけど、わたしのお花さんたちには幸せになって欲しいの。ね。紅梅?」
雪柳は。
「まあ。ちょっと感動しましたわ。」
紅梅は、何か言いたそうだったが、女五の宮に目で制されて黙る。
 こそこそと話してる三人を、梨花が、もの問いたげな顔でみているので、女五の宮が、
「今日は、どっちが有利かのう?・・どっちみち、もうすぐ、三条の中納言が追い払いにやってくるだろうけれど。」
 梨花は、ますます困惑の表情をうかべる。
 いつもなら、けんけん二人で、争っているのだが、権大納言が、矛先を先に引っ込め、
今日は、思い出したように、御簾のむこうにいる女房のひとりが紅梅であることを確認すると、訊ねた。
「あの扇に書かれた歌ですが・・・あの歌は、女御さまがお好きだったのですかな?」
 紅梅も、事件からあまりにも時がかけ離れていたので、気付かなかったことがある。
「さあ・・でも、そのことで、少し思い当たることがあります。まだ、入内なさる前の頃のお話ですが・・その時は、確かとても蒸し暑い年で、郊外へ避暑にいかれました。その折のことでございますが」
 紅梅が、考えながら遠くを見遣る。
 故女御は、もちろん、深窓の令嬢なので、当然、外出などは珍しく、お付きの女房達も浮かれていた。暗くなって来て、姿が丸見えにならないからと、故女御が外へでると言い、まわりの者も解放感から咎める者もいなかった。
 蛍が舞い飛び、水の流れる心地よい音。浮かれて、あちこち歩いた為か、かなり、屋敷から離れてしまっていた。山荘が沢山ある場所で、迷っても難儀することはないだろうけれど・・・。たまたま、通りがかった男がいた。
「あの時は、暗がりでこちらからは、顔も確認できませんでしたけれど。」
 紅梅は、そう前置きして続ける。
 身なりも悪くないので、盗賊ではなかろうと、安心し行き過ぎようとした一向を、その男は、ぼんやりと佇んで見ている。
 月の光のもと、浮かび上がった美しい女を。男は、そばに咲いていた花をとっさに折りとり、故女御にささげた。彼女は、何も考えずに差し出されたそれを受け取ってしまったのだ。普段なら、やんわりと断るだろうに、その時は、浮かれていた。「きれいね。ありがとう。さようなら。」そう言って、すぐに立ち去ったのだが・・・。
「・・・本当にそれだけだったんですが・・ちょうど、その後でした。蛍が舞い飛ぶ光景を見て、故女御さまが、例の歌を私たちに教えてくれました。恋に身をやく女房の昔話。もしも、あのあと付けられていたなら、それも聞かれていたかもしれません。」

 思えばその時教えてもらった歌をついこの間、自分で呟いていたのに・・・。山荘の付近を当たれば、もっと早くその人物にいき当たっていたかもしれない。突き止めたからといって、紅梅の立場でどうこう出来たわけではないだろうが・・・。
そっれきり、故女御のもとに連絡があったとか、そういうものはなかったので、忘れていたと、紅梅は言った。その話に、頷きつつ。
 そう言えば・・梨花の父が廊下で恋文を拾った一件を話していた時、紅梅はそばにいなかったから、昔の出来事と結びつけることもなかった・・・・と、女五の宮が、心の中で頷く。
「勘違い男の、暴走か・・・。」
 女五の宮の言葉に、そっと首を横に振る権大納言。
「あの男は、自分に甘い方向へ走ったのでしょうな。勘違いから始まったとて、誰もが暴走するわけではありません。恋の他でも、苦しい思いを抱いていても、誰かを殺めるなど、人として越えてはならぬ線を越える者は少ない。心の中の線引きは、消えそうになっても、何度でも引き直す事は出来る。また、簡単に消えてしまうようなことも有りうるのです。鬼に憑かれる時とは、そんな時でしょうから・・。苦しい時でも、越えない気持ちを保ち続ける努力は誰にでもできるはずなのに。」
「簡単に自分が楽になれる方を選んだと・・?選んだつもりが、却って破滅の道を行くことになったのか。それでは、ちっとも満たされないし、楽にはなれないじゃないか。」
 権大納言が頷く。

 あれから、彼女たちには、事件の顛末詳細などは一切語られていない。恐ろしい思いを再びさせることはないとの配慮だろうが・・全く関わらせないというのも、不自然なことだと、彼は思っている。子供や、心の弱い者なら別だが・・・。
「常習性のある幻を見る薬を服用していたようですからな・・。尚更、現実と区別がつかなくなっていたのでしょう・・。兵衛佐が調べて来た内容では、十年程前にも、同じような場所がありまして、そこへ、源大納言は、足しげく出入りしていたらしいと、それは証言が得られたそうですから・・。一時は、断っていたらしいですが・・・、一見普通には見えていたが、昔の事件の辺りからずっとおかしかったのでしょう。うまく隠していたが、今に至って、源大納言は、もう後戻りできなくなるくらい、充分狂っていたのでしょうな。女五の宮さまをどうやら母君と混同していたらしいから、どこかで、宮さまの姿を垣間見て、代わりにと思っていた矢先、宰相の中将との婚儀の話が聞こえて来て、毒を盛る為に、昔の薬を手に入れたのが、当人にとっても、運のつきだったのでしょう・・・。」
「・・・・・・・・・。」
 さすがに、女達の前なので、始めは、客をとる女を身代わりにしていた・・・という話は、省いたが、権大納言は。
「さっき、左大臣どのから、聞かされたのですが、源大納言が酒席で、その歌を、ぼんやり口にしたのへ、居合わせた例のお方が、あまりにも珍しい光景で、興にのり、手持ちの扇に書きとめたのだが、それを源大納言に無心されて、その場で与えたとか。それから、これ・・・梨花どのが、藤の香りとか言っていたものですが・・。」
 懐から出した小箱の蓋を開けて、手で仰いで、御簾の向こうに香りを押しやる。
「あ、この香り・・・文に焚き締められていた?」
 雪柳と女五の宮が鼻をくんとさせ、互いに顔を見合わせる。
「これ・・藤?」
 紅梅と雪柳が、首を傾げ、女五の宮が、
「荷葉・・・か?」
 蓮の花を連想する、だいたい夏に用いられる香の種類だ。
「え・・?あら・・検めてかぐと、違うような・・何で、藤と思ったのかしら?」
 う~んと考えて、あっと思い出す。
「そうだわ。母が、受け取ってるのを最初に見た時に、藤の花が添えてあって、甘い匂いがしたからだわ。」
 権大納言が、頷く。
「なるほど・・夏場に藤はおかしい気がしてずっと気になっていた・・。この香については、私が、例のお方に贈ったものです。どうやら、かのお方、恋愛指南までしたらしく、その時に、この香を譲ったらしくって・・・その香をあわせるときに、注文がありまして・・・ま、その、女の気を惹けるような物がいいと言われて、夏向けでしたから、甘みも抑え気味で、無難に、蓮の花といった感じを表現してみましたが・・・。」
 使用人である女房と親しくなり、その後、本命のところへ手引きさせるつもりであったかと、権大納言は考えた。彼の君は、勘の悪い女ではない・・梨花の母は、相手の男の目的にも勘づいていたのではないか、と。そんなことを呟くと。
「でも、手引きしたのは彼女ではありませんわ・・。」
 紅梅は、昔の朋輩たちから聞きだしているうちに、何となくではあるが見当がついていたので、否定はしておく。
 権大納言が頷いた。貴船云々は、おそらく人物の名をぼかしたのか・・あの扇をじっくり見る機会があったということは、もしかして、近しい関係だったかもしれない。その日手引きした女房は別人だが・・・。
ちらりと横に視線を移すと、兵衛佐が何か言いたそうな顔をしているのと目があった。
彼は、御簾の向こうのようすを伺い、口を開くのを止めたようだ。
 なぜ、名をぼかして言ったのか?恋心から、相手をとっさに庇ったのか。それとも、口を噤まざるを得ない危機を感じたのか。
それは、口にせず、権大納言も、心の中の呟きにとどめておく。
「おそらく、文を貰っていた為に、闇夜ですれ違っても気付いたのでしょうな・・。それは、向こうも同じ・・。」
 身の危険を感じた梨花の母は、そのまま、逃げようとした。あとは、梨花の話した記憶のとうり・・・。
「これも、何か、怪しい薬でも入ってるんじゃないのか?あの夜、源大納言がおかしくなった香だって・・」
 女五の宮が、ふんと鼻を鳴らす。
「これは、あれと、同じ香ですぞ?勝手に、妙な薬を加えたのは、源大納言だ。別物がひとつ加えられて、違う物になってましたが、あの時は、だから、おかしいとすぐに気付けたのですぞ。」
「え・・うそ!ぜんぜん違うじゃない!」
「まったくもって心外な・・・力作を台無しにしおって。」
 御簾の中の女たちは、くんくん匂いをもう一度、嗅いでいる。権大納言は、手で掃うように、縁先に立つ兵衛佐の方へも、香りを送る。兵衛佐が、眉を顰め。「言われてみれば、そんな気もするが・・・。」と呟いている。梨花が、「・・これは、嫌な感じしません・・。」と、言ったのが耳に届き、権大納言が、機嫌良く頷いている。
「脈がありそうな方に贈るのでしたら、自分が普段焚き締めてるのと同じ香りを忍ばせておくだけで、思い出してもらえる。印象に残るでしょう?・・本来、その香りを私が贈った方は、その後の手順は慣れたお方だったから、そのぐらいでいいんですよ。」
「ふ~ん。・・さすが・・というか、浮気者の言いようだ。ま、その浮気者の地位のお陰で、梨花に言い寄る不届き者も、他には現れないが・・・良いのか、悪いのか・・。」
 女五の宮が立ちあがった。
「兵衛佐も、血なまぐさい刃傷沙汰は、我がもとでは起こしてくれるなよ。ま、ふたりとも、せいぜいがんばれ。言っとくが、梨花を不幸にしたら、わらわがどんな手段にでるかわからぬぞえ?」
 兵衛佐は、肩を竦めたが、権大納言は、あの夜の折、口を塞がれて仰いだ、女五の宮の鬼気迫る笑い顔を思い出し、ぞっと背筋に寒気が走った。
「そう言えば・・あの夜、りん。りん。・・という鉦の音を聞いた気がしたけれど・・。あの香りのせいで、幻覚だったのかしら・・」
 夕刻に、法師の影に呟いた。梨花と紅梅は、顔を見合わせた。源大納言が、捕まったあの夜、幻を見たのは梨花と、駆けつけた女房たちの中にいた紅梅と雪柳だけだ。自分一人だけではなかった・・だから、おそらくあれが真相なんだと判断することが出来るものの、それが、どうして見えたのか。死者の思いだったのか・・・。それとも。真実を知りたいと・・もしかして、手を貸してくれたのかしら・・と、頭の片隅で思ったが、彼女たちは首を横に振る。
「・・そうね、不思議なめぐりあわせだったから、そう思っただけ。空耳だったのね・・・。」
 梨花の言葉に、庭に佇む兵衛佐は、何とも言えないような顔して頷いた。
権大納言は、香そのものを源大納言が細工していたと言って、憤慨していた。あの妙な煙は何だったのだろうと思う・・・。小さな香炉は、衣に香りを燻らす為の物ではなかったし・・・、ということは、衣に染みていた匂いは、あの日、源大納言の袖の釣香炉からのものだ。あんな変な煙が出てたら、袖に釣るそうなどと思わないのではないか?
異臭騒ぎは、あまりにも偶然が過ぎて。壺が倒れていたから、それが毒だと気付けたのもしかり。あ。そう言えば、満春が餅を奴のところへ置いて来たとかいってたぞ。もしかして、報酬になっていたりして?次々、嫌な連想してしまう。
りん。りん。と、また、その音を聞いたようで、背筋をぞっと振るわせたのだった。

 りん。りん。・・鉦の音が、京大路を清めるように過ぎ去って行く。
りん。りん。・・夕闇のそれは、光と影のはざまで、妖しく揺れ動く物語。

               おわり



作品懺悔 

え~・・・香のことを書いたけれど、実はよく知りません・・・。
ネットで、調べはしたのですが。
一応、舞台設定は、平安時代なので、当時のお香が、練り香と言われる物で、蜂蜜とかあまづらなどを用いて、香の材料を練り合わせ、固形のものを造るそうです。湿気がはいらないように、壺などにいれて保管してあるようです。制作は、梅の木のそばの土中に埋めておくとかいうのもあるそうで・・・。銀製のつぼとか、相性がいいとか書いてあったような・・・。乾燥させて作った物に、液体を染みさせたら台無しやん。使えなくない?・・あり得ない設定だな・・・。
どうしよう・・・。(汗)とりあえず、自分のミスにつっこみ。

以下の引用は、

『世の中の人の心は花ぞめの うつろいやすき色にぞありける 』 よみ人知らず

『かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとは世人定めよ』    在原業平

『物おもへば沢の蛍も我が身より あくがれいづる魂(たま)かとぞみる』 和泉式部
貴船の神の返歌と伝えられる、
『奥山にたぎりておつる滝の瀬の たまちるばかり物な思いそ』

『会わなくに夕占を問ふと幣に置く 我が衣手はまたぞ継ぐべき』 (万葉集)

『梨花一枝 春雨を帯ぶ』
 白楽天の長恨歌の後半の方の一行、長いので全文は省略します。

『七十にて致仕するは、礼法に明文あり。何ぞ乃ち栄貪る者、斯言 聞かざるが如くする。』
 以下延々と、いつまでも辞めない偉い役人の老いの姿を皮肉ってます・・。
白楽天の致死せずという作品です。


写真のミニチュア模型や人形さんたちは、京都風俗博物館さんで、
写させていただいたものを貼っちゃいました・・
京都風俗博物館さんは、古典やこの時代が好きな方には楽しい場所ですよ~

花ぬすびと 24

2010-07-16 06:43:32 | 花ぬすびと
「やれやれ・・鈍いわい。そういうことは、源大納言を確認できた時点で、もう少し早く思い出せ。」
 権大納言が、渋い顔をしている。左大臣が、頷き。
「なるほど・・。といって、検非違使に引き渡すのに、あまり見苦しい格好をさせていては、当方も詮索を受ける。ともかく、着がえを取りにやるから、隔離しておくことにしようか・・。」
 左大臣が指示を出したあとで、傍らの三条の中納言に。
「はて。源大納言が女御殺害の犯人だったとは・・・。故右大臣も、とんでもない勘違いをしたものよ・・。どう処理したものか・・。」
「今さら、殺害だったと明かしてみても、却っていらぬ勘繰りを免れないでしょう。亡くなられた方の身の潔白も、あらぬ憶測で汚されるでしょうし・・・あの折は、中宮さまも疑われた。こんなに時間が経って、呪詛ということを覆せば、左大臣家が、疑われるかもしれません・・。家宅捜索をして、何か、証拠が出て来たということにしては?」
「ふん・・・では、あの折、亡くなった乳母は偶然呪詛の事実を知って殺されたことにして、それをどこかに匿われて生きていた娘ごが、女五の宮に訴え、今夜、囮になって捕えたことにしておこうか。罪状は、あとで決まるであろうが・・・問わずとも、もう、本人は何もわからない状態だがな・・・。」
 左大臣は、ひとまず、女五の宮たちを、西の対に移らせて、連れて来た護衛たちを、寝殿のまわりに立たせ、兵衛佐と彼が連れて来た者たちを、源大納言の近くに配置して、検非違使が到着するまで、見張っているように命令する。権大納言や、三条の中納言を連れて、西の対へ移る左大臣に、兵衛佐が、持って来た扇を渡し。
「不思議な話でございますが、自宅で、こちらへ来る支度をしていたところ、りん、という鉦の音が聞こえたかと思ったら、これが投げ込まれまして・・。古い扇でございます。何やら、そのままにしておけない気がしまして、持って来てしまいましたが・・」
 差し出した扇を、三条の中納言が先に拾い、中を開けた。
「・・これは、やはりあのお方の手蹟かな・・故右大臣はこれを拾い、勘違いなさったのかもしれない・・。しかし、故右大臣が言っていた証拠の品とはこれか・・。それにしても、誰が・・・。」
 開いた、扇には、和歌が書きつけてある。
「あくがれいづる蛍・・・恋多き女といわれた女房の和歌だな・・確か、捨てきれぬ思いを抱いて、貴船に詣でた折に詠ったのではなかったか・・この歌と亡き女御の関係がわからぬが・・この手蹟は、あのお方に訊けば、何かご存知かもしれない。訊ねてみて・・そうだな、一役かってもらい、たまには、役に立っていただくか。」
 左大臣が、扇を閉じて、
「兵衛佐。こちらのことは、検非違使に引き渡すまで、頼むぞ。」
「はい。」
「三条の中納言。行方不明の娘ごが、見つかったうえに、こんなしっかりした婿まで、よかったのう。」
 ぽんと肩を叩かれ、
「だ、誰が婿ですか。まだ、婿と認めたわけじゃありません。誤解です。娘を助けてくれたことは感謝しておりますが・・。」
「ほう、そうであったか。兵衛佐、まあ、がんばりなさい。」
 三条の中納言の言葉を、鷹揚に受け止めて、左大臣はゆっくり歩を進める。そのあとに従う三条の中納言に、まとわりつくように、権大納言が、顔をのぞかせ。
「どうだ。私も、婿候補に立候補するぞ。・・そうか、やっぱり麗しの彼の君の娘ごか・・。私は、あの手の顔が好みで・・わ、そんな怖い顔するなよ。三条の中納言どの。」
 じろりと睨まれ、
「言っとくが、彼の君には、相手にもされなかったぞ。その形見に傍におこうなんて、狭い了見で言っているのではない。梨花どののういういしい感じは、違うものだからな。婿として、私なら、金も地位も、申し分ないだろう?妻として、大切に屋敷に迎え入れますぞ。」
「な・・。」
 そのやりとりを見て、左大臣がくっくっと、笑いをこらえかねている。
「なるほど、貴殿は、今は、決まった妻がいない。一応、独身ではあるな・・・しかし、年が離れすぎているではないか。見目も整っていたし、三条の中納言の娘ともなれば、他にもたくさん、若い公達がすぐに手をあげるだろう。妻にしても、おちおち、外出もできなくなるんじゃないか?有能な臣下が、ひとり減ったら帝もお困りになろう。」
 半ばあきれた目をしているから、いい年をしてやめておけよ・・と、思ってるのだ。
 三条の中納言が、こほんと咳払いをして。
「婿として、条件は悪くはないが・・。娘はまだ、子供子供したところがあるから、いきなり、寝所に忍び込んで迫るなんてことはなさるなよ。いつも、相手になさってる訳知りの女房たちと違って、そんなことしたら、思いっきり嫌われますぞ?それに、あの兵衛佐と鉢合わせして、刃傷沙汰ということになれば、うちの娘の評判がガタ落ちになりますから、それだけは、やめて下さいよ。」
「・・おや、文は送ってもかまわんのか?意思表示ぐらいは許すと?」
「出来れば、自分より年上の男を婿と呼びたくないですが・・それは、娘の意思にまかせます。あの子は、苦労しているから、人を見る目もありそうだ。誰が、真心をくれるのか、見抜くでしょう・・。」
「・・まるで、私が不誠実みたいに言うが、これでも、これと思った相手は大事にするぞ?」
「それは、わかっております・・・。しょっちゅう角突合せているわけですから・・。」
「ま、お互い様か・・・・・。さても、源大納言はまじめで善人だと思っていたが、まるで、鬼にでもとり憑かれたようでもあったな。・・その、梨花どのの母御のことは、胸が痛むのう。三条の中納言、あまり思い悩むなよ。」
 ずっと密かにいなくなった彼女たちを、人を使って探していたことを、権大納言は知っていた。意外な思いやりの言葉に、三条の中納言は、黙って頷く。
 そのまま、左大臣とともに、二人は、女五の宮のもとに向かい、居合わせた女房たちにも、昔の女御が亡くなられたのが、呪詛ではなく、捕えた源大納言による殺害だったと真実を告げた。女五の宮の乳母の容疑も晴らし、梨花が彼女の娘だったことも付け加えておく。けれども、事をうまく処理する為に、女五の宮から、女房たちに、左大臣に口裏をあわせることを厳命し、ともかく、一件落着した。

花ぬすびと 23

2010-07-16 06:37:32 | 花ぬすびと
りん。・・・涼しげな音に、梨花は瞬きをした。
 幻・・・というにはあまりにも、生々しい夢だ。今、梨花の目の前で、男は、何事かわめいて、振り払うように右へ左へ、舞うように、よろよろと動いている。
 あれは、殺された女御と・・・お母さまの最期・・・。梨花は、唇を咬む。お母さま。心の中で、呼ぶと、ふわりと、また、紅い煙が浮かび上がる。
 甘く咽ぶ香りは、梨花のほうを・・・ではなく、男の方へ寄って行く。
 男の耳に、聞き覚えのある声が届く。
オマエノ末路ヲ見届ケテヤロウ・・・。この声は?冷たい瞳は、誰だ・・・・?
「うおおお・・・・。」
 男は、叫び、それを振り払おうと懸命になる・・・・・・!


男が、いきなり反転して、梨花にもう一度襲いかかろうとした時、左右から、その腕を掴まれ、ぐいっと取り押さえられた。
梨花にはそれまでが、ひどく長い時のように感じていたが、本当は、ほんの束の間の出来事だ。
「そこまでだ。梨花どのに、危害を加えたら、その場で斬って捨てる。」
 右側で押さえている人物が、かちっと男の首に充てられた太刀の鞘を少しだけはらい、刃を目に映るように見せる。兵衛佐だ。
「・・仔細が読めぬが、兵衛佐、それは使わぬがよいぞ?」
 権大納言がつぶやく。反対側を取り押さえているのは、彼だ。もう、すでに女房達が出て来て、ここを囲んでいる。男が、右へ左へとうろうろしている段階で、人が集まって来て、ぼうぜんとそれを見ていたのだ。その人垣を掻き分け、ようやく駆けつけた兵衛佐が梨花の傍に行こうとしたとき、男が反転して襲ってこようとしたのだ。
兵衛佐よりも先に、一番近くにいた権大納言が、動いた。兵衛佐は、彼の反対側に飛び出て、同じように、腕を掴んで動けないようにしていた。
 権大納言が、
「しかし・・あなたなら、何も、忍んで来なくても、降嫁を願い出ればよかったのに・・いや、何か、おかしなことを言っていたな?」
 男の正体には気付いているようだ。状況が常とは違うようで、しきりにきょろきょろと、周りの人物の顔を見るようにしている。暗くて、表情もわからないが・・・。
 女五の宮が「誰ぞ。灯りを。そろそろ、左大臣も来るだろう。」と、女房たちに申しつける。慌てて、明かりを取りに行ったり来たり、ばたばたしているところへ、左大臣が庭先から警護の者を連れてやって来た。
 ぽつ。ぽつ。ぽつ・・と、一斉に部屋中の明かりが点る。
「あ、あなたは・・・。」
 驚いていないのは、権大納言と兵衛佐だけだ。やはりという顔をしている。あの屋敷は、彼のものだ。当面の敵である宰相の中将に具合が悪くなるよう毒をもったのも納得できると言うもの。だから、兵衛佐にも、見当はついていた・・が。
「源大納言・・・・。」
 梨花達の事情を呑みこめてない女房は、どうなることかと、はらはらしている。
 左大臣とともに、階をあがってきた三条の中納言の姿を見て、はっと、気をとりなおした梨花は、源大納言を指さし。
「お父様。この人、この人が、お母さまを殺めたの。きっと、女御さまもよ!あの藤の香りの人よ!」
 その一言に、女五の宮ががくぜんとなり、源大納言をじろりと睨む。突然、手をあげて、その頬を打つ、
「お前が、母上をっ!乳母やをっ!このっ!なぜじゃ、なぜっ・・・!言えっ!」
 何度も、女五の宮は、頬を打つ。
「なぜっ・・・!」
 赤くはれ上がった頬を、さらにまた打とうとするその手を側にいた、権大納言の手が止めた。首を横にふり。
「女五の宮さま。お気持ちは、お察ししますが・・もう、訊いても無駄でしょう・・・。」
 止められて、権大納言をきっと睨みつける彼女の目には、涙が盛り上がっていた。涙の滲んだ目で、示された源大納言の姿を写すと、彼は、呆けたように宙を見つめるばかり。
「・・・どこを見ているのじゃ・・・。」
 女五の宮は呟く。権大納言が彼を押さえていた手を離す。兵衛佐も、太刀をしまい、手を離した。
「いやはや、夢うつつの状態ですな。心の闇に惑うて、もはや戻っては来れぬか・・・。」
 権大納言がすんと鼻を鳴らし、匂いに気付き、源大納言の袖の袂に手を突っ込む。
小さな手のひらにおさまる竹を編んだ丸い香炉を取りだす。袖に釣りさげる香を楽しむためのものだが、外に出て来ると、嫌みなくらい甘い匂いが凝縮して香り、そばの梨花は、眉をしかめた。
「早く蓋のある箱を持って来なさい。この香りを閉じ込められるものを」
「は、はい。」
 言われて、梨花はともかく目についた箱を中身を抜いて持って来た。権大納言は、それと、もう片方の袖からも同じものを取り出し、箱に蓋をする。
「おそらく、少々吸ったところで何ともあるまいが・・香りが衣服に染みてしまってる源大納言はおかしくなってしまったのではないか?押し込めておくにしても、他の者は近寄らん方がいいかもしれない。」
近くへ、寄って来た左大臣が、
「権大納言。貴殿が良く香りをかぎわけるのは知っているが、どういうことだ?」
「・・香に使われるものではない匂いが混じっているような気がしました。源大納言は、気がふれてしまったようだ・・もしかしてと思い。匂いのもとを取り除いたのです。他に被害が及んではなりませんし、この男、着がえさせたほうがいいのではないですか?」
 と言っている横で、兵衛佐が「あっ。」と、間の抜けた声を出す。
「忘れていた。源大納言は、兄、宰相中将にどうやら毒をもっていたらしいことがわかったのです。・・・この香り・・。」
 兵衛佐は、ここへ来るまでに起こったことを話した。


花ぬすびと 22

2010-07-16 06:21:17 | 花ぬすびと
文を受け取ってくださいましたね?・・貴船の神のお導きだ・・こんどこそ、裏切らないあなたを手に入れられる。庭にたくさん蛍を放しましたね。あの時、私に歌を呟いて微笑んで下さった・・思い出させてしまったあなたが、悪いのですからね・・。」
 りん。どこかで、鉦の音を聞いた気がした・・・。
梨花は、忍んで来た男の様子がおかしいので、中をのぞきこもうと、そっと立ちあがる。
絹ずれの音がして、男が髪に顔をうずめる。ふわっと、その男の焚きしめている香りが広がる。それが、梨花の鼻先をかすめ、足を竦ませる。甘い・・・絡め取ろうとするようなこの香り・・・藤の・・・少し違う・・けど、あの時漂っていた香りだ。危険だと、女五の宮に告げようとした、その時、女五の宮が、思いっきり手に持った紐を引っ張っている。
ぐいっ。ひっぱると、顔をうずめていた男の頬を撫でて、髪は、逃げて行く。男は、驚き、顔を上げた。ばさっ。何かが頬を打ち、尻もちをついて、戸惑っている目に映ったのは、宙に浮いている女の影。風もないのに、袿の裾が、宙でゆらゆら揺れた。
「ひ・・・あ・・・責めておられるのか・・・。」
見開いた目には何が映っているのか・・。ずりずりと後ずさり、そこで、茫然とそのようすを見ていた女房にぶつかる。
男は、現実に戻りかけ、その女房の顔を見上げる。
「お。お前は・・生きていたのかっ。」
 がばっと立ちあがり、もっと近くで確かめようと、男が顔を寄せて来る。
 怖い・・!梨花は、思い、一歩後ずさる。・・・でも、皆が、駆けつけてくれるし、ここには女五の宮さまと権大納言さまもいるし・・・と、勇気を奮い起す。
 じりじりと後ろへ下がって行く梨花と同じ速度で、男がにじり寄る。長く裾を引いた艶やかな黒髪の女が、おそれおののき、立ち退く。烏帽子をかぶった直衣姿の男が追いつめていくが・・・・・余裕というには、足取りが少し怪しい。
 外からの月明かりが、その姿を黒く輪郭だけ浮かび上がらせ、床に長く影を引いた。まるで一幕の影絵のようだ。男の影が揺らいで、威嚇するように、ひときわ大きく見える。
 時が永遠にも近い、長すぎるもののように、梨花には感じられた。
「何をおっしゃいますの?」
 ごくりと唾を飲み込む。相手に留めを差すような言葉を急いで考えを巡らせる。

             


 りん。りん。・・と、また、鉦の響きが聞こえた気がした。どこか、冷たい響きは、梨花のどくどく脈打っていた心臓の音を沈め、落ち着かせた。
「ここは、冷たい川の底ですのに・・・?あら、女御さまが、遊びに来て下さいましたわ。」
「な、何だと!」
 怒気を含んで、襲いかかろうとしたとき、それより一歩早く梨花が、叫ぶ。
「ほら、あなたに、恨みごとを言いにやってこられたわ!」
 梨花が指さす方向を、反射的に見て、そこに、宙に浮いた人影を見て、男はわっと叫ぶ。
暗い闇の中で、りん。りん・・という音を聞いた。
この嫌な香りのせいかしら・・・?梨花は、暗い闇の中に、一瞬幻を見た気がした・・。


                                    


几帳の奥の暗がりで泣き伏す女・・。愛しげに頬を寄せて、もう一度、その耳に愛を囁こうとする男・・。パシリッ!頬を打つ音が響く。「なぜ・・・なぜだ?篤子どの。思いを寄せる歌を呟いたではないか・・。」「何のこと?知らぬ。」「あなたは、こうして何度も頬笑みかけてくれたではないか・・さ、私と共に参りましょう。なぜ。そのように拒否されるのだ?私は、あなたと一緒なら、この身はどうなってもよい・・。」「知らぬ。・・このことは、誰にも言わぬ。早く出て行って!」「篤子どの・・。」女は、肩の辺りに再び伸びてきた男の手をぴしゃりと払い除ける。「お前など、知らぬ。汚らわしいっ。早くどこかへ行って!」にべもない拒絶に、男は、動きを止める。「汚らわしい。」その一言が、頭の中で何度も繰り返される。・・・ああ、あんなに何度も誓い合ったではないか・・これは、夢?現?・・あれは・・・?衣に焚き締めてある、甘い香りが、男を絡め取る。
ぐるぐる・・と夢と現が交差する。夢の中で、自分に微笑みかける女が、愛しい人であったり、全く似ても似つかない遊女の媚びた笑いだったり・・・。ぐるぐると、男を取り囲むように回る。う・・・あれは、夢・・・違う!違う!違う・・!
男は、女の裏切りを許さなかった。気がつくと、血に染まった我が手に、我に返り、おそれおののきながら、暗闇を駆け去った・・・。


暗い闇の中を、狂気の舞を舞うように、叫び続ける男・・。
梨花は、食い入るように瞬きをした。
りん。という音に、甘い香りが闇夜に紅く舞い上がる。
どうして、香りが見えるのかしら・・?頭の片隅で思ったが、その幻から目が離せない。
お母さま・・・・・・・・!
「奥山にたぎりておつる滝つ瀬のたまちるばかり物な思ひそ・・・怒りに変わるなんて。
貴船明神は、心を鎮めるように返歌を返して下さった・・と。どうして、教養あるあなたが、思い出さなかったのですか?」
 何者かが、梨花の口を借りて、叫んでいる。

                                    



一人逃げるのを諦めた女が、橋の袂で立ち止まり懇願する。「お願いだから・・。一度は、お慕いするようになったあなたを訴えたりなどいたしません。どうか、見逃して・・。」男は、拒絶した。女には、手引きさせるために、言い寄っただけだったので、一片の迷いもない。惜しいと思うくらいの愛情は女に対して待っていなかった。手をかける気配を察すると、女は、相手の不実をなじる。そして、「わかっていた。」と、言った。ちらりと、後ろを気にしいる。「このまま、逃げおおせるなんて思わないことね。私を殺したって無駄よ!」そうだ。女には、娘がいた。娘はまだ幼いが、その世話をする大人がいるはず。ここに追って来るまでに、女の家を探してみたが、家人たちは誰もいなかった・・と、はっと気付き、男が詰め寄る。それには頑として口を割らず、怯えていた目が急に開き直り、女は、馬鹿にしたような視線を投げかける。「わたしも、あなたなんてお断り。私のような身分の者だって、心はあるのよ。人を対等に愛し愛せない人なんか、嫌い。」刺される瞬間、女は嫣然とした笑みを浮かべていた。・・・その時、どこからか、牛を追う先ばらいの声が流れて来た。男の気が殺がれ、手を緩めたせいで、止めを刺した女の体が、ずるりと橋の下に落ちて行く。近づいて来る先ばらいの声にせかされるように、慌ててその場を立ち去る男・・・。
男の脳裡は、暗い闇で押しつぶされそうだ・・・。
甘い香りが、また、ひとつ枷を増していく。




花ぬすびと 20

2010-07-09 05:22:04 | 花ぬすびと
               九
兵衛佐は夜道を急いでいた。
まっすぐに延びた京の道を、数人の供を連れた、騎乗の男が駆ける。
どうして、こんな時に、次々と予定が入るんだか・・。
急ぎながら、さっき起こったことを頭に浮かべながら、目的の場所へと、先を急ぐ。
まあ、ひとつは、片付いたからいいか・・・・と、半分だけ安堵しつつ。
ただ、偶然の符徴が合いすぎると、嫌な予感が続いていた。この件が、関連していなければいいがと思う。
その遅れた理由の一件は。
家へ戻り、身軽に動ける狩衣に着がえ出かけようと思ったところで、満春がやって来た。そこへ、兄からも連絡が・・・。文など送っていないけれど、女五の宮さまの見舞いの文にはそんなふうなことが書いてあったが・・という内容に、首を捻る。
それで、満春とともに、使いの者に同行して、事情を聞いて来ようとしたら、ちょうど、そこへ、兄に一服持った犯人の見当がついたと報告があった。
右京の外れで、客をとる女たちのいる宿が、近ごろ評判になっていた。その宿では、怪しげな薬を飲んで、客を得も言われぬ夢見心地にさせてくれる・・・ということだったのだが、その後、通い詰めた客が廃人になったとか、亡くなったとかいう噂が絶えない。
その宿の女たちは、取り締まりの対象になってしまい、もうすでに宿には誰もいなくなってしまったが、たまたま、逃げたそこで働いていた女の話を聞くことができたと、兵衛佐の調べさせていた男が説明した。
そこで、女には目もくれず、薬だけを購入していった変な客がいたという。
逃げた女が、一緒に、持ち出した毒をまた、市の外れでこっそり売ったりしていた。
その彼女の顔を覚えていた者に声を掛けられ、女は、そのことを思い出したのだという。やはり、その者は、薬だけ買って行った。
女は、上客と見て、こっそり後をつけて屋敷に目星をつけておいたのだ。今度は、直接
持ち込んでやろう・・・と。それは、使いようによっては毒だということだ。
症状が、主の兄、宰相の中将のそれに似ていたので、調べていた男はこれだと思い、その屋敷を確認しに行った。
が、その屋敷の中のようすが変だというおまけまでついていたので、これは好機かもしれないと、主にお伺いをたてに急いでやってきたわけだ。
兵衛佐と、満春、兄の使いの者は、その屋敷まで急いだ。
その屋敷の外には、屋敷の使用人がたむろして、困った顔していた。
「寝殿の方で異臭がする。様子をみようと、近づいた男が、おかしくなって、その場にばたりと倒れてしまったので、皆逃げ出して来たのです。」
主人の姿も屋敷の中に見当たらず、助けを求めるような使用人たちの懇願する目につけ入り、兵衛佐たちは、中に入って確かめた。布を何重にも巻いて、口と鼻を塞いだ男たちが、寝殿に近づくと、角の部屋から、異様な色の煙があがっている。
火事ではなさそうだがと思い、検めると、その煙は香炉から出ているものだと分る。主の為に、部屋に香炉を焚いて置いたものだろうが、その作業をしたらしい女房が外縁のところで倒れていた。
その原因らしい香炉にその辺に目についた物を拾って来て、かぶせて蓋をし、煙が四散する間、家屋から外に出ようとした時、また、たおれている人を見つけた。
階の下でも、男が一人倒れている。
どうやら、二人とも、生きてはいたが話がきける状態ではなさそうで、しかたなく、きょろきょろとしていると、満春が、女房の傍におちていた香合を見つけ、中を確認して首を捻っている。
匂ってみても、甘みが強く感じられる気はするが、普通の香とかわらないようだ。
示されて、兵衛佐も確認し、首を振って、もう一度よく室内を見回すと、普段その香が置いてある場所を発見した。厨子棚の上に、それらしき跡がある。その横に、倒れていた陶器で、できた小さな手のひらに収まる油壺のような蓋のついた物を拾いあげる。中身は、何かの汁のようだが・・・。もちろん、香を練り上げるときに使う物でもなさそうだ。
中の液体は、この壺が倒れたために、ほとんどこぼれてしまっていた。
ぽたぽた・・と垂れて、おそらく、下にあった物を濡らしてしまったのではないか。
あ・・・さっきの香炉か。小さめの物だったものな、下の段に置いてあったんだ。香炉の中の灰を湿らせた?と。どうして、それに、香をたく為にやって来た女房が気付かなかったのは謎だが、そんなので、香を焚いたので、おかしな煙がでたのか・・・これ?何だろうな? 
厨子棚に液体は、すでに乾いた跡だけだったので、時間が経っていたので、気付かなかったのだろうと結論が出た。
いったんそこで、屋敷の外へ出て、持って出たその小さな壺を、往来に集まって来ていた見物人たちにもよくわかるように示し、見て来たことを告げ、この中身が怪しいと大きな声で告げる。
検非違使を呼んで来るように言って、兵衛佐は、自分は、女五の宮の屋敷へ急がなければならないので、満春たちに壺を渡し、検非違使へ説明しておいてくれと頼みその場をあとにした。
満春がおそらく、これがその毒だろうと言っていたから、主も屋敷のどこかで倒れているに違いない。あるいは、外出先から戻って、検非違使に事情を聞かれるだろうから、ともかく、ひとつ、安堵し、自分は、男手が必要となる、女五の宮の屋敷へ急ぐ。もちろん、人手はあるのだが、多いに越したことはないと思っていた。
満春も、兄のよこした従者も、自分の部下も、首を捻っていたが、しかし何であの人が・・・?何か二人の間に揉め事があったのか?疑問だらけだが、そちらは後で兄に確かめればいいと、兵衛佐は向かう途中でちらりと考える。
完全に辺りが闇に支配される頃、ようやく、屋敷の門までと辿りつく。
りん。りん。・・という音を聞いたと思い、兵衛佐は、一瞬ぎくりと今来た道を振り返る。こんな夜に、法師が・・。今から、帰りなのだろうか。旅支度といった装いだから、足を急がせているので、ほっとした。自分のふところに突っ込んで持って来た扇を、衣の上から触って確かめる。
満春の家にこれが投げ込まれた。
彼も、りん。りん。・・という音を聞いたような気がすると言っていたな・・。ぶるっと、暑い季節なのに、背筋が震える。携えて来た太刀に手をやり、すぐに、気持ちを奮い立たせて、気を引き締める。連絡はしてあったので、門から入れてもらい、女五の宮たちのいる寝殿へ向かった。

花ぬすびと 19

2010-07-02 05:31:38 | 花ぬすびと
 女五の宮が、中宮のところへ行っているので、梨花は局にさがって休憩していた。どこからか、読経の声が響いてくる。今日は、叡山の名のある僧都が来ているのだ。何となく沈んだ気分で、過ごしていると、いつのまにか、御読経も終わったらしい。静かになってしばらくしたら、誰かが廊下を渡って来る気配がして、格子の上部が上げられているところから顔がのぞく。権大納言だ。
「梨花どのは、いるかな?」
「・・・はい。ご用でございますか?」
 てっきり、女五の宮に取り次ぎかと思い、扇をかざして、格子の傍まで寄った。
「おお。いたいた。・・この間は、三条の中納言に邪魔されて・・いやいや。その、ゆっくり話も出来なかったのでな。」
「は?」
 梨花のほうに、ふいに香りが押し寄せて来る。甘い。まとわりつくように感じて・・。格子が邪魔をしているので、ぴたりと寄って来ることはないのだが、権大納言はかなりこちら側にはみ出すようにしている。じっと扇の向こうをすかして見るような視線。梨花は、どきまぎしている。どうしよう、この香り・・・。甘い香りがいっそう近寄って来る。
「これを。女五の宮さまに差し上げてくれ。盗賊が入ったとかで、恐ろしい思いをなさったと聞いた・・お見舞いだ。」
 彼が、手に包めるほどの小さな入れ物の蓋を開けると、ふわりと甘い香りが漂った。甘い纏わりつくような香り・・でも、権大納言が袖に燻らしているのとは少し、違うような・・・。藤の・・・?似てるんだけど。権大納言さまのもそうだけれど、少し印象が変わる。比べてみて、気付く。一瞬、あの文に焚き締められていたのかと思ってしまったけれど・・・。どちらとも、言えないんじゃ、違うわね・・。
「甘くて・・藤・・いえ、花のような香りですね・・権大納言さまの薫きしめている香りもそんなふうに感じます・・けれども、印象が違うような・・・。」
「藤?ああ。色々な種類を合わせてつくる物だから、傾向は同じでも、印象は変えられる。ほんのひと匙、加減が違うだけで、似たような違うものになってしまうのだ。たとえば、これは・・・」
 香に使われる材量は高価な物だけに、多くの種類を自由に調合できるのは、ほんの一握りの人間だけだ。同じ主題で何人かが香を合わせてみても、その匙加減で少しずつ印象が違った物が出来るといったことを訊いて、梨花は驚く。
「まあ。そんなに複雑な物ですの・・。あら、これは、ご自身で調合なさったのですか?」
「そうだ。同じものは、女五の宮さまに失礼だから、気に入ったのなら、梨花どのにも、ひとつ贈ろうか?」
「そんな高価なものを頂く訳には・・・。あの、藤の香りといったら、権大納言さまなら、どのような材料をお使いになりますか?」
「美人が、遠慮など、いらんよ。気にせず、受け取っておけばいいのだ。」
 権大納言は、女五の宮への贈り物を梨花の手に渡す。手渡して、そのまま、ぎゅっと手を握られてしまい、閉口しているところへ。
「権大納言どの。あちらで、あなたをお待ちの方がいましたぞ。こちらへ、来るまでにもう何人の女房たちに、訊かれたことか・・左衛門の君に、和泉の君・・・それから・・」
 三条の中納言だ。格子にぴったりくっついた状態の権大納言との間に、半ば強引に割って入るように、三条の中納言は、眉間に皺を寄せている。
「何をそのように、難しい顔をしている。」
「そりゃ、そうでしょうとも・・。お目当ての女房衆が、皆、あなたのことばかり訊くのですぞ。仕方が無いから、ここへ来て、慰めてもらおうと思ったら、また、あなたが。そりゃあ、もう、とっても残念な気持ちですよ。」
「ほほう。それはそれは・・。」
「さ、参りますよ。」
 三条の中納言は、がしっと、腕を掴んで、そのまま引きずっていかんばかりに、しっかりと権大納言を捕まえて。
「ん?何だ、何だ・・・。」
「逃がしませんよ。権大納言どのがいないと、女房達が寂しがっている。私も、その恩恵に与れますからね。付き合って下さいよ。」
 顔は、笑っているが腹立ちを抑えているのが、梨花には伝わった。
権大納言に分らないように、目配せされて、
「権大納言さま。さっそく、女五の宮さまに、見舞いのお品を渡して参りますわ。それでは。」
 そのまま、奥へと引っ込んだ。
「あ、梨花どの、興味があるなら、もうちょい詳しく教えてあげますぞ・・・あ、行ってしまった。」
 ちらりと、三条の中納言をうらめしそうに見て、ため息をつき。
「三条の中納言どの。しらじらしい真似を。こなたも狙っとるのであろうが・・・。」
「さて?何の事だか。どのみち、行ってしまわれたではないですか。こんなところで、立ち止まってないで、さ、綺麗どころの集まるところへ、移動しましょう。」
 すまして笑うと、権大納言があきらめたように、取り繕った笑顔で応え、にこやかに連れだって廊下を歩いて行く。完全に去っていったあと、ひょいっと格子のところから、顔を出して確かめ、梨花は、ほっと一息ついたのだった。



               八
 そんなことがあって、二三日後。三条の中納言は、毎日、梨花の局の前までやって来ていた。今日も、梨花は、権大納言が教えてくれた香の合わせ方について書きとめた紙を見つめ
て思案していたところへ、まず、女五の宮と雪柳がやって来て、何をしているのか訊かれ、答えようと思ったら、三条の中納言がやって来た。
それから、兵衛佐が、庭から、あたりを気にしながら近づいて来る。
 外縁に陣取って、上機嫌の三条の中納言を廊下との隔ての御簾の隙間から、女五の宮が顔を出して、呆れたように、見ている。
「全く毎日やって来るなんて、兵衛佐はともかく、三条の中納言では目立ちすぎる。いい加減、梨花に変な親父の虫がついたと皆に誤解されるぞ。」
「・・・ある程度、抑止力になるなら・・それも結構。隙あらばという連中が、多いですから。」
「三条の中納言、そなたが、それを言うか・・・。」
 女五の宮に、呆れられても、平気な顔の三条の中納言に、兵衛佐も何か言いたそうにしていたが、黙ってる。おそらく、同じ思いなのだろう。ぷぷっ・・・。雪柳が、忍び笑いをしている。梨花が目をしばたたいて、
「あの・・心配しなくても・・夜は、局の方にはいませんから。皆、女五の宮さまの許で、集団でいますから・・。ところで、その腕、どうなさったの?」
 手を動かした時に見えた、布で固定された手首のことを訊ねる。
「ああ、これか・・。昨日、やはりここで過ごした帰り、廊下で転びかけてなあ。慌てて、近くの柱に手をついたら、捻挫してしまった。・・・まったく。誰があんなところに水を垂らしておいたのか・・。まあ、しかし、そのおかげで、この文を拾ったけれど・・・。瓢箪から駒になるかもしれないぞ。」
 小さく結ばれた薄紫色の文には、恋歌が書きつけてある。
夏の情景である蛍を詠み込んではいたけれど、取り立てて上手い歌というわけでもない。
話しかけて、ふと、口をつぐみ。
「女五の宮さま、しばらく御座所へお戻りいただけませんか?ここからは、梨花と、兵衛佐だけに話しておきたいことです・・・。」
「なぜ?」
「・・お耳汚しになるような話でございましょうから・・。」
「・・わらわが聞くと都合が悪い話しか?乳母やの話であろう?あの時は、誰も何も詳しいことは教えてくれなかった。人の噂ばかり耳に入って・・三条の中納言、本当のことを教えて。」
「・・・・・生臭い話かもしれませんぞ。それでも?」
「かまわぬ。」
「・・・気はすすみませんが・・・。」
 三条の中納言は、話始める。
 彼は、廊下で躓いて、目の前の柱に手を支えたおかげで、転倒は避けられたが、その時に手を捻挫してしまった。
結果として、それはよかったのかもしれない。
痛む手を押さえて、その場にしばらく釘付けになったおかげで、柱のそばにおちていた文を見つけたのだ。中を開いて、恋文だったので、その辺に落としとけば、落とし主が探しにくるかとも思ったが、中宮方の女房部屋の辺りだったので、ちょっと訊ねてみるかと、年配の女房をつかまえて、それを渡した。
当然のことだが、無難に処理してくれそうな者だ。
彼女が、中を開いて、たぶん、あの人かしら・・と、考える。ふと、蛍で思い出して、そういえば、昔こんなことがあったわ・・と、声を潜めて教えてくれた。
あの、亡くなった女御のことだ。
 その女房は、もちろん、中宮方の女だ。
だが、妹が女御に仕えていた。あの日以来、妹が異様に塞ぎ込んでいるので、問いただしてみたところ、遺品を整理していたら、女御の文箱の隅にひっかっかって隠れていた文を見つけてしまった。文には、
 『・・・あくがれいづる魂かと思う・・そう呟いたあなたのもとへ、蛍のように飛んで行けたらいいのに・・魂が抜け出たように感じるのは、あなたではなく、私です・・。』
 そう書かれていた。内容を見て、その女は真っ青になった。もしかすると、噂の乳母が犯人ではなく、この文の主が・・?けれども、女御さまは、この人と・・・・。その為に、あの時、大臣は、人を近づけなかったとか・・?
それでも、ことの重大さに怖くて口をつぐんでいたのだと言う。
「あの時、中宮さまが疑われて、だいぶ迷惑をなさっていたから、すぐさま、妹から訊いた事実を申し上げたそうだ。だが、左大臣家も調べたはずなのに、故右大臣に同調したふしがある。おかしいと思うだろう?」
 中の、女連中は、反応が鈍かったので、三条の中納言は、縁先に立つ兵衛佐に同意を求める。
「隠さなくっちゃいけない人物って・・・。まさかな・・・。」
 兵衛佐は、父親が何をぶつぶつ言っていたのか、今頃になって思い至った。
「・・・東宮を降りられた方は、今、左大臣家の婿になってらっしゃいますね。・・・確か、故右大臣家の娘も・・・。姉妹じゃないか・・」
 現帝には、従兄弟の関係になる。
現帝の父にあたる人の東宮だったが、その帝が病に倒れいよいよ・・という時に東宮をおりてしまった人物がいる。左大臣家、右大臣家共に、結託してその座をおろしたようなものだが、ある程度穏便な形で東宮位を下りたのだが。その後、右大臣のもとから庶腹の娘が妻になっている。これは、生活の保障の為だ。
「・・その少し変わった方だったから、生母でさえも、そのまま帝になられるのを躊躇したくらいで、故右大臣は、先を見て、姉娘を今の帝が、親王であられるときに、差し上げたのだ。中宮さまも、おられたが・・・左大臣は、どちらかというと、当時の東宮に反りの合わないものを感じていたから・・どちらが、仕掛けたのか・・どっちにしても、都合の悪い方がいなくなってほっとしたようなものだ。当時の状況はそんなだったが、それで、すぐに現帝が即位なさって、中宮さまに、皇子が生まれなさったが、他の女御腹にも、皇女ばかりで、当時は男皇子は、お一人だ。そうすると、もし何かあると、その方が・・・ということになる。持ち駒として、確保した状態だったわけだ。隠すとしたら、理由は立つかもしれない・・。それに、」
 三条の中納言の説明に頷く兵衛佐。
左大臣家の婿になった経緯が、すでに有望な家の息子を婿に迎えることが決まっていた娘の一人を攫うように自邸に連れて行ってしまい、左大臣も揉み消しようのない事実で、あきらめて、婿とりしたのだ。
「あちこちに、通う女がいる・・というか、すぐに,あきてしまうらしいですが、次々、手の早いお方とききました。夫のいる女のもとで、その夫と刃傷沙汰になりかけたとか。喧嘩沙汰もよく耳にしますね。そんな方なら、逆上してなんてあり得ますね。」
 女五の宮は、すべての状況を知らされているわけではないので、兵衛佐が、真実を隠す言葉を添える。三条の中納言が、ちらりと御簾を見やり、
「・・・女御さまは、誇り高い方だったから、拒まれたので害したのではないか・・。文が文箱にあったのも、やり取りしていた結果なのかどうかも、はっきりせん。ちょっとした勘違いをして、言い寄った可能性もある。私は、大事に隠していたなら、他の文と一緒に雑に放りこむこともしないと思う。」
「・・・・・・・・・。」
「どちらにしろ、それなら、避ける目途も立つ。これから、私は、中宮さまに、娘のことを相談してこようと思う。たぶん、こっそり教えてくださるよ。」
 御簾の向こうに、気遣うような視線を送る。
「・・亡くなられた方の名誉のこともあるから、罪をあきらかにすることは諦めたほうがよさそうだが・・・。」
 唇を噛んで、女五の宮は、身じろぎした。
「・・・花盗人の罪は問えぬか・・・。思いを勝手に募らせて、自分勝手な・・。思えば、この間の侵入者もその類か。腹の虫がおさまらぬ。・・それならせめて、この間の者を捕えて、袋叩きにしてやろう。」
 不穏な言葉に、皆、ぎょっとなる。
「安心しろ。捕えて、突き出すようなことはせぬ。ただ、ちょっと痛い目にあえば、懲りるであろう。あっちにも、こっちにも、身勝手な奴はおるからのう。せめて、その者だけでも懲らしめてやろう。」
 三条の中納言は、絶句している。女五の宮が、梨花や雪柳に止められても、猶も、いい募っていたので。
「・・・それについては、ご存分に。しかし、あまり、評判を落とすようなことはなさるな。」
「かまわぬ。ひとつやふたつ、増えた所で、変らぬ。・・花ぞめのうつろいやすき色のように、噂をする者のこころなど、すぐに飽きてしまうわ。」
 世の中の人の心は花ぞめの うつろいやすき色にぞありける・・・。
すぐに飽きてしまう人と、よみ人しらずの古今集の歌からの引用だが・・・。
 人の噂なんて、いい加減なもの。一時おもしろおかしく語っても、すぐにあきてしまう。けれど、無責任な噂に傷ついた人は、どうなるのだろう?
何事もなく、もとの生活に戻れるならよいが、そうでない場合だってある。
女五の宮は、身内だが、それを利用した人にも、怒りを感じていた。乳母やの名誉はどうなるのだろう?その娘と世間に公言出来なくなった梨花は?・・・わらわのすることは、本当のことだも、かまわない。女五の宮は、半ば、敵打ちのような気持ちなのだ。
彼女が、きっぱりと、言い放ったので、もう皆諦めて、従う気分になる。
三条の中納言が、中宮のもとを訪ねると行って、そのまま去って行った。




 三条の中納言が、中宮へ信用出来る女房を介して、伺いを立てる。さすがに、左大臣も同席していないところで、人払いして聞いて貰うなどは出来ないことだった。
三条の中納言が、縁先で、女房部屋の御簾の前に座って待っていると、さきほど文の仲介を頼んだ女房が戻って来た。戻って来たが一人ではない。どうしたのだと思ってると。
「そのままで聞いてちょうだい。訊ねられたことについては、そうだと言っておくわ。その時、証拠の品・・扇を拾ったらしいの。女房たちはかなり動転していたから、彼女達がではないそうよ。父に相談に来たらしいから・・。当方も迷惑していたから、かなり必死になって調べてたのよ。だから、ばれる前に、自分から懐に飛び込んだということかしら。口をつぐむしかなかったのよ。かわりに、あちらにちょうどいなくなった女房がいるから、その人を犯人のように仕立てて、こちらの容疑をはらすことを約束したの。」
「・・・そうですか・・・いや、今更言いたてたところで、どうしようもないことですが、娘の身は心配だ。誰を、遠ざければいいのかわかれば、十分です。ありがとうございます。」
「いいえ。罪をかぶせられた女房には申しわけないと思ってるわ。・・・さっきの連絡の紙は燃やしたから、誰にも秘密はもれる心配はないわ・・娘さんも安全よ。では、ね。」
 ささっと、潮が引くように、その気配は消えた。
 取り次ぎの女房は、残っているので、
「中宮さまに、お礼を申し上げておいてください。」
 そう言って、三条の中納言は、立ちあがり、何事もなかったように廊下を歩いて行く。行き道で、若い女房たちが集まったところに、権大納言が楽しくおしゃべりしている。もう一人、困惑ぎみの顔で、座ってる人物がいて、彼は、所在なげだ。源大納言だ。三条の中納言は、珍しいこともあるものだと思う。
「これはこれは・・まじめで通ってる方が珍しい。もしかして、権大納言どのに、巻き込まれなさったのか・・・。」
「・・たまたま、通りかかっただけなのだがな・・ここで、足止めを食らってしまった。」
 三条の中納言が苦笑をもらす。
「ははあ、なるほど。光君のおかげで、今日は、とりわけたくさんの女房たちが集まってきたというわけか。権大納言どの。」
 源大納言は、光源氏のような、と。あだ名されたくらい美形なのだ。年齢は、自分たちと、同じくらいで、やはり、彼もおじさんの領域だが、美貌は失っていない。どこか影のある感じと、真面目で信用できそうな感じが、女性に受けている。
権大納言は、それを目当てに、源大納言をひきとめているのだ。
 三条の中納言を見て、やれやれとばかりに、源大納言が。
「私はどうも、楽しげな話術には恵まれなくてね。女房たちも気づまりだろうよ。ちょうど、三条の中納言が、来られたので、彼と変わるとしよう。」
 そそくさと、去って行った。女房たちが集まっているので、三条の中納言は、女五の宮に頼まれたことを実行した。さきほど、向こうで聞いて来たことだが、気持ちが落ち着いたので、女五の宮が今日にも、退出されるそうだと、噂を流しておく。
万が一のこともあるまいが・・頃合いをはかって、後見の左大臣家の者を連れていかねばならないか・・と、考えていた。

花ぬすびと 18

2010-06-25 05:26:56 | 花ぬすびと
                 七
 次の日、紅梅は、女五の宮のもとへ参上し、梨花の母が乳母で、無実だった、誰かに害されたのだということがわかったということを耳に入れた。女五の宮は、「そうだったのか・・。」と、つぶやき、じっと俯いて涙をこらえていた。二三日、ふさいでいたけれども、宮中を下り、女五の宮のもとへ、梨花が戻って来た時は、片時もそばを離さないほど上機嫌で、笑ってる。他にも、人はいるので、女五の宮は、何も言わない。けれど、ふと、人が御前から見えなくなった瞬間、大事なお人形を抱き締めるように、梨花を引きよせて。
 同じ名で、少し面差が似てる。方違え先ではじめてあった少女を気に入り、わがままを言って傍に仕えさせることにしたが、もしかして・・とも思わなくもなかった。
行方不明になった二人は、遺体が見つかったわけではなく、どこかで生きていると、ずっと会いたいと願って来た。女五の宮にとっては、血のつながった親兄弟よりも近しく感じる二人だと、教えてくれた。
梨花のようすから、別人かと諦めていたのだが、そばに置くことで気持ちは、慰められていた。その一方で、なお募る思いというものもあるというのも、自覚しつつ。
「よかった・・あなただけでも無事で・・。私、赤ちゃんだったあなたを抱っこしたことあるのよ。」
 出産で、自分のもとをしばらく去っていた乳母がようやく戻って来て、うれしかったことを覚えていると教えてくれた。早く戻ってほしいとだだをこねまくって、閉口した周囲が、子連れでもいいから、早く戻るようにと乳母に薦めたので、梨花は、少なくとも、伝い歩きしているくらいの頃は、女五の宮のもとにいたのだった。
「梨花の父が、人に仕えて育つ環境を嫌ったので、乳母やの実家で育てられることになったが、結局、乳母はその夫と、別れてしまったのは覚えてる。・・・・・乳母やは、わらわと同じ年の子は亡くしているから、わらわのことを実の子のように親身に世話をしてくれたと思う。実の母は、本当のこと言うと、わらわが女だったから、あまり関心がなかったから・・・・それよりもずっと、乳母やのほうが、真心をくれたと思う。だから、裏切られて哀しい気持ちでいたとき、雪柳の母が、そっと慰めるために言ってくれた言葉にすがって、信じてたけれど・・・。誤解が晴れてよかった・・・。」
 梨花が、目を瞑って頷く。自分は、母を失って大変な目に遭った不幸な子かもしれないけれど、思えば、ずっと守ってくれる強い存在には恵まれていた。必死で助けてくれた侍女親子や、あの女の人、それに、養母。ただ、頼ってればよかっただけの自分と違って、女五の宮さまは、ずっと一人で心を強くして、耐えていらしたんだわと思う。
 梨花は、初めて、他人の孤独に触れた気がした・・。
「それまであった温もりが、突然ある日を境に途切れてしまうのは、とても、辛くて、寂しくて・・・女五の宮さまの気持ちよくわかりますわ。亡くなった母のことずっと信じていただいてたんですね。感謝いたしていますわ。だから、私、戻って参りました。」
「・・・ありがとう・・・・。」
 女五の宮は、呟いたが、人が戻って来たので、梨花はそっと首を振っただけだ。ぎゅっと、お気に入りの女房に抱きついているのを見て、入って来た女房は、
「あらあら、梨花さんが戻って来てよかったこと。」
「梨花だけではなく、わらわには、そなたたちも、大事だぞー。おいで、おいで。」
「いえいえ、光栄ですけれど、お人形のように抱きつかれてるのでは、いつまでたっても、用がこなせませんわ。そうやって、女五の宮さまに足止めを食らって、皆、仕事が果せませんでしたのよ。しばらく、梨花さん、一人で、引き受けて下さいね。」
 そう言って、忙しそうに、立ち働く。他の女房たちも似たり寄ったりのことを言い、周りで働く姿に、梨花は、申しわけなさそうにしている。
「そなたは、妹のようなものじゃ。」
 耳許に、こっそり呟き、女五の宮は、
「やっと、梨花が戻って来てくれたんじゃ、ほんに、寂しかった~。決めた。しばらくは、兵衛佐なぞに、渡さぬぞ。邪魔してやる~。」
 不敵な笑みを浮かべる女五の宮に、まわりで働く女房たちが、一瞬、ぎょっとし、立ち止まる。
「あら、気の毒。」
「私でなくてよかったわ・・。」
「梨花さん、かわいそうだけど、また、女五の宮さまが、人前で、変わったところを見せないように、気を配ってあげて下さいね。」
 と口々に言い、
「え、そんな、どう気を配っていいのか、わかりません。どうしましょう・・。」
 と、心底困った顔の梨花。
「気にすることはないぞ。梨花。わらわは別に、何と言われてもかまわぬ。」
「宮様。もう少し、大人のふるまいをお心がけくださいませ。」
「そうそう、あまり、ひつこくては、意中の方に愛想つかされてしまいますよ?」
「う~ん。それは困った。」
 皆に言われ、真に受けて、梨花の顔をのぞき込み、本当に困った顔をしている女五の宮。
「そうそう、少しは、大目に見て上げてくださいまし。」
「それと、これは、別じゃ~。」
 女房の一人のとりなしに、はっと我に返って頭をふる。そんな姿を見て、まわりの女房たちは、あきれながらも、可笑しくて、つい笑いがもれた。
 こんなふうに、他愛もないやり取りで、数日間は、女五の宮の許も、何事もなく過ぎた。




女五の宮が宣言通りに、本当に二人の仲を邪魔するのを実行した。日が暮れると、兵衛佐が縁先に姿を現す頃合いを見計らって、悪戯に女房部屋を訪れたり、梨花に自分の傍で、今日は臥すようにと言ったり・・とは言え、少しは気が咎めるのか、同室の雪柳と、もう一人を巻き込んで、場所は、局ではあるけれど、箏を弾き、兵衛佐にも得意だと聞いていた琵琶を弾いて合奏に加わるように言い、彼にも花を持たせてやっている。
 そうして、今日も、邪魔しにやって来ていたが、その日は賑やかにやっていたわけではないので、女五の宮が足音を忍ばせて、自室を出たことに気付いた者が少なかった。
知らずに、まだ、御帳台にいると思っていた女房が行ってみると、そこにはいない女主にため息をつきながらも、いる場所はわかっているのでまあ、いいかと、そこをあとにしようとした時、背後から忍び寄った誰かに、羽交い絞めにされた。
ここには、高価な物が置いてある。泥棒か。
身の危険を感じた女房が、もごもごと、もがく。
ふと、思いのほか簡単に、塞いでいた手が離れ、怪しく思い後ろをふりむく。
暗闇で、外の明かりが逆光になりこちらからは見えなかったが、相手が驚いた様子で、「違う。」と、女房を突き飛ばす。
そのまま慌てて、庭へ駆け下り、どこかへ逃げて行った。
事態が呑みこめるまで、しばらく茫然としていた女房が、我に返り、闇夜を切り裂く声を上げた。
 慌てて駆けつけた警備の者、他の同僚の女房たち、女五の宮や、梨花も駆けつけて、屋敷中、しばらくは騒然としていた。
「あなたのことをずっと思い続けています。・・のように・・」と、その男は言ったと、その女房が証言した。
誰のもとに・・と言われれば、その部屋の主、女五の宮しかいない。
女五の宮のところへ、忍んで来た者がいるということになった。
先の穢れ騒ぎで、人手が、全部戻っているとは言えない。普段よりも、女五の宮の周囲は、手薄な感じだ。そこへ、いきなり降って湧いたようなこの一件。
一同、心当たりも全くない話で、不安がっていたところ、この話は当然ながら、母代である中宮へ伝わった。警備の行き届いたこちらへ来るようにと、すぐに取り計らわれ、場所を移ることになった。
女五の宮は、梨花に三条の中納言の家か、養母の家に身を寄せているように言ったが、心配で、結局、梨花も一緒に、宮中へと上がることになったのだった。

花ぬすびと 17

2010-06-18 09:37:11 | 花ぬすびと
 静かな読経が流れて来るのを聞きながら、兵衛佐は、紅梅から梨花の身に起こった出来事を聞かされた。てっきり、紅梅の家にもう移動しているだろうとそちらへ行ってみて、もぬけの殻だったので、まだ、三条の中納言の別邸にいるのかとようすを見に来た彼を待っていた紅梅が、なるべく感情的にならずに、見聞きしたことを淡々と話す。
聞き終わって、兵衛佐は、重苦しい心を、落ち着かせるために、辺りに漂っている静謐な香に意識を向ける。寝殿の西向きの廊下に座っているのだけれども、北向きの部屋から流れて来る読経の声が、波立たせずにはいられない感情を落ち着かせていく。
「・・まさか、そんなことがあったとは・・。」
 紅梅が気にしていた、女五の宮のいなくなった乳母の容疑が晴れてしまった。かといって、犯人が誰とも知れないので、どうどうと人に否定することもできないけれど・・。
 あとから駆けつけた、梨花の養母に確認をしたけれど、事件のことはわからず、知っているはずの親類の女に、確認をとるには、彼女が今、地方へ行っているので、時間がかかるということだった。預かった時、親戚の女が彼女がある事件の生き残りで、なるべく、過去がわからないように育ててくれるならと言われていた。何でそんなややこしい子を?と訊かれれば、顔を合わせたその子がとてもかわいくて、守ってやりたいとその時思ってしまったからだと、その養母は、語った。
梨花の様子から、両親が尋常な状態で亡くなったのではないことは感じていた。梨花の持っていた扇は、親の形見と聞いていたから、京では、盗賊に押し入られて、一家全員亡くなって・・という話は聞くことなので、そんなところだろうと思っていた。盗賊の顔を見ているから、前の家のことは、わからないようにしないといけないのかもしれない・・と勝手に思い込んでいたのだった。
もっと詳しく訊いていれば、父親のもとへこっそり引き合わせる手立てを考えたのに。苦労させることはなかったのに・・と言った養母の言葉を思い出し、紅梅は、少しばかり苦い思いを噛みしめながら、しみじみといった表情でいる。
「私、明日、女五の宮さまのもとへ参ります。女五の宮さまは、乳母どののことをずっと信じるとおっしゃってこられましたけれど・・・同時にお心も痛めておられましたもの。こっそりお耳にいれて、少しでも気が晴れるようにいたしたいと思いますの。」
「そうですか・・梨花どのの身は、ひとまず危険はなくなったから・・。それにしても、三条の中納言が父君だったとは・・。」
 言いながら、ずっと隣で、無言で書きつけられた名を見ている満春に、目を移す。満春が顔を上げる。
「・・名を記したものならともかく、役職名だけで省略してあるのは、さすがに、見当つかない。当時のままではないはずだろう・・。それに、・・何かひっかかる。紅梅どののように、二人にとって思いでの場所というなら、貴船明神云々・・の言葉の説明はつくだろうが、さすがに、女御がそこへ赴くことはないだろうし・・・。互いに誓い合ったとか、そんなのではないだろう?」
 勝手に思いを募らせて、拒否されたから、狂行に及んだのではないかと、満春が言う。
「裏切られた感・・・?でも、押し入って、思いを遂げてはいるんだよなあ・・・。女御の口から事が露見することを恐れて?自分の立場が悪くなるようなこと言いはしないよなあ・・。」
「そうなんだ。だから、もしかして、文か何か・・やっぱり以前に一度きりでも、接触があったのではないかと・・・。」
 満春と兵衛佐が、同時に、紅梅に注目する。紅梅は、うろたえながら、首を横に振る。
「人から見れば、ささいな出来事かもしれない。」
「・・・ささいな・・?思い出してみますわ。昔の女房仲間にも、確かめてはみますが、すぐには、無理ですわ。」
 ふいに、人の気配が近づいてきたので、三人が、そちらへ視線を向けると、三条の中納言と梨花だ。いつのまにか、読経はおわっていて、法師は帰って行ったようだ。
 三条の中納言は、梨花をまず、危険から遠ざけようとしてくれたことに対し、三人に礼をのべた。兵衛佐が。
「いえ、昨日は、事情がわからなかったとはいえ、三条の中納言どのを一時は疑ってしまったわけですから・・避けるようなことをして、事実から遠ざかってしまったことは、申し訳なかったです。梨花どのも、父君のもとなら、人目につかず、これから安心して過ごせるでしょう。」
「・・そのことなのだが・・・。」
 三条の中納言が、心底不服そうに告げた。梨花が、どうしても、女房勤めを辞めず、今までの生活を続けると言い張ったので、ひとまず、女五の宮が、宮中から退出したら、戻っても良いというところで折り合いがついた。
「ここへ、戻ると言っても、普段は私もここにいるわけではないから、不用心だ。女五の宮さまのもとなら、出入りするものも限られている。気をつけていれば、顔を見られることも少ないだろうから、承知することにした。」
 屋敷を見回して、顔を曇らせたあと。
「ここに戻してやりたかったが・・さすがに、ここに戻ってきたとあっては、梨花のことに気付かれるかもしれない。別の場所を用意して、ひとつふたつ年をごまかして、娘を引き取ったことにしておくことにしよう。その気になれば、梨花は、そこへ、帰って来るといい。」
 兵衛佐としては、出入りしにくい、父親のもとに居られるよりも、その方が、好都合だ。自分がそばについていれば、安全は確保できると思っているので、反対はしなかった。
 紅梅が、心配そうに、胸に手を充てている。
「わかりましたわ・・・。私も、梨花さんには、気をくばってみます。女五の宮さまは、そばに戻っていただけるなら、喜ばれるでしょうが・・。」
 とりあえず、少し事情を知っている雪柳や、摂津、小馬などにも、話しておくことの許可をもらう。犯人を見つけるといっても、今更、公にして罰することも出来ないだろうから、ともかく、梨花をどの視線から守ればいいのかだけは、知りたいところだったが。兵衛佐が、紅梅に昔の仲間たちに通っていた男のことを訊き出して欲しいと頼んだが、「訊いてみます。」とは頷いたものの、女五の宮のもとへ戻った彼女は、忙しさに取り紛れて、なかなか思うような事実が出て来ることがなかった。

花ぬすびと 16

2010-06-18 09:34:38 | 花ぬすびと
 その頃、兵衛佐は、自宅に戻っていた。梨花のことも気になっていたが、ひとまず紅梅が付いていてくれるので、今頃は、もう、彼女の家に移動しているだろうからと、安心して、先にこちらを優先した。満春が、仕事を終えた頃やって来て、昨日のことを報告にやって来たのだが、往来でやりとりするわけにもいかず、家へ戻って聞くほうが安全だったから。
 数日間留守にしていたが、もう、いい年なので、さすがに、家人たちは気にも留めず、友人を連れてきまぐれに、帰宅してきた若さまの為に、自分付きの女房たちが慌ててあたりを整えているのを横目に、はやく、部屋を出て行ってくれと兵衛佐は思っていた。
早々に人払いして、昨夜の話を聞き、
「それじゃ、あの紅梅どのの写して来た名簿をみれば、もしかすると該当する者があるかもな。それにしても、故右大臣が躊躇するほどの人物って、誰なんだ・・・?」
「うん。私のような、一般庶民には、そもそも対面を気にするってことの感覚が、よくわからないが・・。それについては、兵衛佐どのなら、わかるのではないか?」
「いいや。わからない。私なら、太刀をひっさげて、即、犯人の首根っこ捕まえて、敵をとってやるが・・・と、それくらい憎しみは持つと思うけれど、偉くなると、人は変わるのかもしれないな。あ・・そうだ。」
 兵衛佐は、人を呼び、自邸に居る筈の父のもとへ、これから訪ねると伝えてくれと言う。致仕の大臣とよばれる彼は、すでに政界を引退して、出家して、自邸で念仏よろしく、風流に親しみ、のんびり悠々自適の毎日を送っている。
「あの人も、一応偉い人だったっけ・・。その、白だよな?」
「兵衛佐どの、身内を疑うの?致仕の大臣さまは、思いつめる性格ではなさそうだなあ。」
「じゃ、白だな。考えてみれば、十年前ぐらいだったら、父上の様子が、そんなにおかしけりゃ、私だって、幼心にも憶えているはずだ・・。」
 返事が返って来て、兵衛佐は、父親の部屋へ向かう。
 法衣姿で座って、筆を持ち、季節の和歌でもひねっているのか、広廂から空を見ている。
「元気そうだな。母上が、あとで自分のところにも顔を出すようにと拗ねとったぞ。」
 振り向いた顔は、相変わらずうらうらと春の日差しのように、のんきだ。
「父上、もし仮に、うちの姉上か妹が、婿とりせずに、入内していたとしてだよ。もしも、物語の妃のように、不義密通とかがあったとして、誰も知らないなんてこと、無理だよな?」
「何だと?お前は、子供以下か。質問の意図がよくわからんぞ。もし、もし・・って、そんな具体的に・・・。伏せたい事実があるなら、もっと遠まわしに、話し始めて、事実を探るものだ。」
 はあっと大きくため息をつく。物語って何だ、女子供みたいに。この息子大丈夫だろうか・・・と、内心心配になりつつも、眉を一瞬顰めただけで、気を取り直し。
「あー。家の不器量な娘たちがか・・ないない、まず、無理だから、早々にあきらめたことだ。う~む、不義密通?物語じゃあるまいし・・・そんな深窓の娘に行きつくまでに、どれだけの女房どもの目を騙くらかして近づかなきゃならんと思ってる。まず、無理だな。確かに、おおっぴらに口にするかしないかは、周りに仕えている者の質の問題だろうが・・。あまり、期待はせんことだ。秘密は、どこからか漏れるものだ。」
 やっぱりそうだよなあ。う~んと、呻る兵衛佐。紅梅は、ほんの一瞬、誰もいない時が存在したというけれど、それを知り得る位置に犯人はいたということだ。偶然というよりも、やはりそれ以前から、屋敷内の女房に通っていたとか・・・・?そこんとこは、落とし所だよなあ・・満春の訊いて来た名があるかどうか・・。紅梅どのに、訊いてもらうか?
過去の参籠の記録よりも、確かなのじゃないか・・・?
それと、噂の法師を利用したのは、誰か・・・・・・。
「・・・それじゃ、秘密は自然ともれて・・・勝手な想像が加わって変化したのか。噂は、流したのではなく・・・?」
 兵衛佐の独り言に、父親が首を捻ったが。
「人の口に戸は建てられん。非常時なら、めくらましとして、他のもっともらしい違う事実を造って噂を流すことも、あるかも知れんが・・。」
 その瞬間のぞいた父の目が、見開いたままの目に何ものも感情を伺わせない闇が映ってる気がして、兵衛佐は、ぞっとした。
ただの風流親父じゃなかったんだ・・と、上つ方の怖さを垣間見る思いだ。
割合早くに出世して、内大臣までなったのに、還暦にはまだ遠いというのに、早々に引退を決め込んで、出仕をやめてしまった。『七十にて致仕するは、礼法に明文あり』・・・とは言うけれど、七十まで生きられるか、わからんだろうが~!余生も十分楽しんでからあの世へ行きたい・・・!と、いうのが、父の辞めた言い分だったが。ずっと以前の怪我で、足をわずかに引きずっているのを、年々、隠せなくなって来たからというのが本当の所だろうが、とぼけた親父だと、兵衛佐はずっと思って来た。
「ということは、やっぱり噂を故意に流したのは、故右大臣か・・。」
ちょうど、いなくなった女五の宮さまの乳母を利用したのか・・?もしかして、犯人がとも思ったんだが・・今更出所を探ることは無理か。満春が、怪しい法師から聞いてきたことからも、緘口令を布いたことは確かなのだが、噂は何処から出たのかまでは聞いていない。でも、何かひっかかるんだよなあ・・・と、心の中でつぶやいてると、兵衛佐のほうをじっと見つめている父の目と目があった。
「あのさ。親父は、白だよな・・?」
「?」
「思い出して欲しいんですが・・昔、女五の宮さまの母君が亡くなられた時のこと。呪詛の証拠は、結局、出て来たのでしたか?」
「いいや・・。あの時、呪詛をかけたのは、中宮さまじゃないかとも、言われていて、大分めいわくなさったようだが・・・急な病で亡くなるようなこともあるから、もしかして、本当は、女御の死を利用して、右大臣が、左大臣家に勝負をかけたのではないかと思ったりもしたが・・・右大臣も手持ちの駒はまだ、持ってる段階だったし・・・。」
「・・・・・・。」
「ああ。いや・・噂の出方がどうもへんでなあ・・・。そう勘繰ったりもした。が、あの日頃鼻もちならない故右大臣が、異様な憔悴ぶりで・・そのあと、ぽっくり逝ってしまったから、それは有りえんと思いなおしたが・・・そうか、あの女御がなあ・・・。」
 じっと見つめる目に、兵衛佐が嫌な顔をしているのが映っている。
「かなり誇り高い性格で、妃の座以外に満足するような人柄ではなかったような気がするが・・・そうか・・・ん・・?でも、なぜ、故右大臣は、手のうちを読まれないようなことをしたんだろう・・・噂をながせば、意図があると勘繰る者もいるのに。」
「・・・まさかと思うけど・・・誰かに知らせたくて・・とか・・。」
 ふうと、兵衛佐がため息をついた。それから、実際に起こったことを話す。
「・・・あるとすれば、誰かのう・・・・その話の向きでは、故右大臣が、庇わなければならない人物で、でも、腹の虫は収まらなかった・・というところかもしれぬ。」
「庇わなければならない・・・?」
「・・は、さすがにないか・・・。事を明らかにすると憶測が飛び交って、当方ばかりが傷ついて、相手が、裁けない・・・?だいたい、そんな奴いるのか・・女御との接点がなあ・・・。その、乳姉妹だった紅梅どのに、もう一度、よく思い出してもらえ。外出の機会だとか、顔を見られただとか・・取り次がなかったけれど、文が舞い込んだとか・・。」
「・・そうですね。どうもありがとうございました。」
 兵衛佐は、思い立つと、そそくさと去りかける。
「今から、その紅梅どののところへ行くのか?」
「はい。そのつもりですけれど。」
「・・そうか・・・わしも、色々考えておこう。」
「あ、ところで、兄上の様子は?」
 犯人を突き止めるのに探索を出して協力はしているが、兄は守る者も多くいるので、兵衛佐も、そこのところは安心している。
「そなたのお陰で、他所へ身を隠してすぐに回復したようだぞ。やっぱり、毒だったのかな・・・。」
 一体誰に狙われたのか、見当がつかなかったので、すぐに、自邸で籠って寝ているように装って、本人は、別の場所に移った。自分が訪ねて行くと、ばれる可能性があるかもしれないので、連絡はとってない。向こうから、連絡が来ない限りようすを訊ねることが出来ない。父のもとへは、定期的に連絡してくるようなので、訊いてみた。
「それじゃ、父上にこの言伝をお願いしてもいいだろうか・・。」
 文を渡す。女五の宮からの、見舞いの文だ。本当なら、気が無ければ、返事などするものではないのだが、宰相の中将が尋常ではない状況にあるので、さすがに無下にも出来ず、それで、見舞いの文なのだ。たびたび、宰相中将から、文をもらっていたので・・と、言っていた。それを託けて、兵衛佐は家を出た。

花ぬすびと 15

2010-06-18 09:24:20 | 花ぬすびと
 偶然という幸運が重ならなければ、幼かった自分が、あの日、起こったこと、それまで過ごした家のこと、もどかしいながらも、今こうして、思い出すことなどできなかっただろう。断片的にしか覚えていない幼子の記憶を保てたのも、その後、飢えることもなく、生きて行ける環境にあったからだ。
それまでぬくぬくと育てられた子供が、たった一人、京の河原辺に取り残されて彷徨っていたら、間違いなく、数日のうちに死んでいただろう。庇護されてしか、生きて行く術をもたない子供には、京の底辺でもまれて生き抜くことなど、不可能に近い。
万一、助かったとしても、その日一日、食うや食わずの生活をしていたら、ここにこうして紛れ込むこともなく、思い出すこともなかったかもしれない。
 偶然なのだ。養母のもとに行くことになったのも。あの時、血に染まって倒れた母が、そのまま息絶えてしまわずに、数日の間生きていられたというのも・・・。
 梨花は、母が誰かに仕える女房だったのは覚えてる。その誰かは、わからないが、普段は、梨花の世話をしてくれる女と一緒に、たまさか母が宿下りで戻って来るのを待っているから、外の知識は皆無だった。
 母のことで憶えているといったら、家に居ても、きれいな花に添えられた文などが、色んな人から、しょっちゅう舞いこんで来たことぐらいだろうか・・・。
それが、あの藤の花の香りのしみついた文が舞い込むようになって、しばらくして・・・。ああ、そう、母さまは、その人の気持ちを受け入れる気になっていたのだわ、たぶん。



ここまで、皆に話して、梨花は、ひとつ深呼吸した。
あの日、勤め先から夜中に突然舞い戻った母に、叩き起こされ、ほんの数日の荷物を纏め、梨花の世話をしてくれる侍女と、その息子である、当時十歳ぐらいの童とを連れて、家を出た。童が、荷物を持ってくれ、梨花は世話をしてくれる侍女に抱っこされ、皆、母のあとに急ぎ足でついていく。
母が、歩きながら、侍女に今自分達に迫る危機について、緊迫した状況で、説明している。幼い梨花は、内容を憶えていないが、その時、侍女が張り詰めた顔でいたのは印象に残ってる。
遥か後ろの方で牛車が近づいてくる気配を察し、母がぎょっと後ろを振り返り、観念したような表情になり、侍女に、走って逃げるようにと言った。
「お願い。今、頼れるのは、あなたしかいないの。ここで私が引きとめて、うまく誤魔化して置くから、梨花を連れて逃げて。ほとぼりが冷めたことに、その子の父親のところへ、こっそり連れて行けば、あなたのことも悪いようにはしないだろうから。今、この子が、難を逃れるのに手を貸して。」
 侍女は、頷いた。
一緒にいた童を促し、出来る限り早く駆けて、その場を離れる。その後、自分達を探しに来た形跡がないので、梨花達がいたことは、牛車の位置からまだ、見えなかったのだと思う。
 侍女も、童も機転が利く人たちだった。
ばたばたと長く走って、姿を見られる危険を冒すよりも、近くの草むらに隠れていた方がいいと判断したらしい。そこは、賀茂川に近い河原で、人の背丈よりも高い雑草が生い茂っていたから、茂みに入ってしまえば、見つけにくい。
隠れてじっとしていた。
かなり離れたところだったけれど、そこから、母の姿が見えた。
賀茂川に架かる橋の上に、橋姫のように佇むその姿。牛車から、降りて来た男をずっと待っていたかのように、走り寄る。すがりついて、懇願する姿。
やがて、自分を捕えていた腕から逃れるように、もがき、一度は、逃れ、橋の欄干にのけ反るその背が乗ったかと思ったとき、再び、男が迫る。
男がいきなり手を離すと、そのまま、橋の下へずるりと落ちて行った母の姿。
男は、ちょうど、その時、通りかかる人の気配がしなかったら、落ちたあたりまで確認しにきただろうが、人の気配に気づき、慌てて乗って来た牛車に乗り込み、立ち去った。
 男が完全に立ち去った気配を確かめたあと、侍女は、梨花の口を塞いでいた手をどけ、橋の下あたりに、駆けつける。
その時、侍女が、もし、情のない人だったら?あるいは、腹のすわった人ではなかったら?関わり合いになるのを恐れて、梨花もろとも、その場に打ち捨てて彼女は、逃げていただろう。
 落ちた母は、下草が生い茂った辺りに落ちたおかげで、まだ、息があった。
胸の辺りから肩、それを抑えている袖にかけて、血に染まって、真っ赤になっている。通りかかった人のおかげで、刃物で差したものの、狙いが少しずれていた。
「お方さまを今、お助けしますから。」そう言って、声を上げて泣くことも出来ず、怯えている梨花を一度、ぎゅっと抱きしめて離した。おそらくは、不安そうな顔をしている自分を手当の間、抱っこしていてくれたのは、彼女の息子の童だ。
 抱っこされて、震えている自分の方へ、あの甘い香りがした。藤の文の人だと、思ったのは、憶えている。怖くて、誰にも訴えることはなかったけれど・・。




 藤の・・・?ううん、少し違う。同じだけれど、違う。もっと甘ったるい嫌な香りだ。
 血にうろたえることもなく、侍女が、手際良く、応急処置をしていく。
それから、袿を脱がせて、川に捨てた。それが、ちょうどいい具合に、いかにも流れて行く時に、衣だけ、岩にひっかかったという感じで止まったのを見て、「これで、流れて行ってしまったと思ってくれる。」と、呟いた。「姫さまの為です。お方さま、しばらくの間、目をあけて。」ぺしぺしっと、母の顔を手で軽く叩いて、意識を呼び起こし、「荷物をしっかりもって、姫さまの手をひいて付いて来るのです。」と、童にそう言うと、目を開けた母を背におぶった。
母は、小柄で、侍女は大柄だったけれど、女の力で、ゆうゆうと運ぶなんてことは出来ず。初めはなんとか、おぶっていたが、途中で、疲れて来て、背負っているというよりも、背に寄り掛かる人を、何とかずりずりという感じで、ともかく、そこから少し離れた所まで来た。そこに、小さな庵を見つけ、助けを請うた。
日頃から、暴力をふるう男のもとから、ようよう逃げ出したのだが、途中で見つかり、こうなってしまったと、侍女は説明し、その庵の法師も、良い人で、それならばと、隠してくれたのだ。

「そこで、母は、数日持ちこたえました。」
 梨花は、目に溜めた涙を袖で拭う。三条の中納言が、ごくりとつばを飲み込み、先をせかす。
「それで、そなたはその後、どこで匿われていたのだ。」
「庵に、たった一人駆けつけてくれた人がいました。古い知り合いだと言っていた女の方です。母さまが、呼んだのです。おそらく、その方は、もっと詳しい事情を御存じかもしれませんが、私を安全な場所に移す為に、遠い親類で、ちょうど、子供を欲しがっていた養母に託したのです。養母の勤めていたのは、あまり人の訪れのない屋敷でしたから、遠縁から貰った子といって、母子で仕えていれば取り立てて不信がられることもありませんから・・。」
 怖い人の目から逃げるために、何があったかは誰にも話してはいけないよと、養母に預けられる前に、その女の人と、約束した。
たぶん、彼女の立場ではどうしようもないことだったのだ・・。彼女なりに、ともかく、遺された梨花の身を安全に生かす手立てをとってくれた。
「それでは、その養母に訊けば、もっと詳しいことがわかるのだな?」
「詳しいことは聞かされていないようですけれども・・・事情があるのは察していたみたいです。私の過去がわかるような言動は控えるように、たびたび、窘められましたから。でも、あの時の女の人と、連絡は取れるかもしれません。侍女の行方も知っているかもしれませんし・・。」
 頷いて、人を呼び、梨花の養母をここへ連れて来るように、三条の中納言が指示する。
「よくぞ、無事で・・・。それにしても、そなたは、母者が、誰に仕えておったのか、知らぬのか・・・。」
「?」
 それまで黙って聞いていた紅梅が、はっと気付く。
「まさか・・・女五の宮さまの乳母どの・・?」
 つながったふたつの事実・・・。紅梅の青ざめた顔。梨花の驚いた顔。
梨花が、悪夢と思いこんできたことが・・・・。なぜ、疑問にも思わなかったのか。違和感なく悪夢としてそれは存在し、考えてみれば、どうして親が亡くなったのか、不思議にも思わなかった。意識的に避けたい気持ちも存在したのだろうけれど。
梨花は、その前と後の生活の激変にも、あまり注意を払わなかった、その後の生活は・・・養母との生活が穏やかで、自分にとって安心出来るものだったからだと、気付く。
安住の中で、ずっと忘れていた。それが崩れ始めたのは、三条の中納言と初めてあった日、権大納言の身につけた甘ったるい香りのせいだ・・・。たぶん。梨花は、瞬きする。
「そうだわ・・・私の憶えている家の記憶。ふつうの女房が住めるような家ではないもの。どうして、大きくなって、おかしいと思わなかったのかしら・・。もっと詳しく訊いておけば・・・。」
 三条の中納言が、紅梅から手短に説明された。彼が、頷いているそばで、梨花が体から力が抜けたように崩ず折れる。慌てて、それを支える三条の中納言が、「医者を呼ぶように。」と言ったが、「ちょっと疲れただけ、大丈夫。」と、梨花は首を横に振って懸命に否定する。
遠慮し続ける、彼女に。
「この家は、祖父の代からここに住んでると言ってたのじゃなかったかな・・・確か、父親も早くなくなったけれど、受領だったらしいから、蓄えも残っていたらしいが、さすがに、目減りしていくばかりで、そうしていても仕方ないので、勤めに出たのだと聞いたが。私が通い始めた頃は、庭も荒れて、あちこち傷んでいた。梨花がここを出る前には、使用人も、ほとんどいなかったのじゃないかな。それで、華やかな内裏の女房とは結び付かなかったのかもしれない・・・。」
 ため息をつく、三条の中納言。
「・・それにしても・・そうか・・・。誰の仕業か調べるのなら、手伝うが、今は、勘弁してくれ。気が沈んでならない。今日の所は、いつもの法師を呼んで、ここで、冥福を祈って過ごしたい。」
 梨花には、「疲れたのなら、少し横になっていなさい。」と言い、三条の中納言は、美吉野に、法師に連絡をとるようにいうと、念じ仏の置いてある部屋へ籠ってしまった。
 残されて静かになった室内で、横になるでもなく、ぼんやりとしている梨花の手をとり、紅梅は。
「気持ちが落ち着かないのね?巡り会えた父君といっしょに、母君の冥福をお祈りしてらした方がいいかもしれないわね・・・。」
 梨花が頷くと、そこに残っていた初音が、
「さ、こちらです。」
 そこに忘れられていた唐撫子を拾い、梨花は、付いて行く。
 念じ仏の前に、呆けたように座っている三条の中納言の背に、おずおずと近づき、唐撫子の花を差しだした。薄紅色は、ごく淡い色合いで、かわいらしい感じの花だった。唐唐撫子は、真っ赤な花や、もっと濃いめの薄紅色だってあるのに・・。
「あ、あの・・あのね。文も何もついてなかったけれど、それが誰からのものか、お母さまはわかっていたみたい・・・。この私に、こんな可愛らしい花をくれるのは、あの人ぐらいねって、確かに笑ったわ・・・。あの時、頼るつもりだったのはお父様・・それは、確か・・・」
 言葉が途切れる。泣きそうな顔でこらえている。三条の中納言が、その頭を撫で。
「慰めてくれるのか・・。そなたこそ、辛い思いをしたのに、私は、何もしてやれなかったな。」
 涙をこらえているような歪んだ笑顔で、
「安心しろ。もう、時も経っている。今更、追ってくることもないだろうが、この父が守ってやる。今日は、いっしょに、母者のために祈ろうな・・・。」
 静かに流れた涙。それから、しばらくの間、言葉もなく、念じ仏の前に座って、時を過ごした。

花ぬすびと 14

2010-06-11 08:46:08 | 花ぬすびと
               六
庭につくられた築山の小さな高低差がつくる、滝の音。きらきら、水の粒が跳ねて、きらりと日の光にあたって光る。音が、耳に心地よく響き、楽しげな笑い声が上がる。きらきら、泉に湧いた水は、足に冷たく。きゃっきゃっと、輝く水のように、声を立てる。それから、何の香だったかしら・・あれは・・・あら?誰の香?違うわ、誰?
目を開けると、薄暗い外の御簾からは遠い場所に、寝かされていることに気付く。一瞬、状況が分らなくて、起き上る。梨花の肩から、単衣がずり落ちた。さらさら・・・と衣ずれの音。自分の物ではない衣に、やっと現実に戻る。





「あ・・風邪をひくことなんかないのに・・・。」
 泣き疲れて、寝入ってしまった梨花に、兵衛佐が自分の衣を脱いで、かけて置いてくれたのだろう。夏なので、そのまま横になってても、むしろ暑いくらいなので、掛け物はいらないと思うが・・・。それにしても、微妙ね。単衣を置いて行くなんて。単衣は、肌に直接接している衣。袖口から下の衣がのぞいたりしているが、下着に相当する物で、男女がお互いに身につけてる物を交換するなんて、深い仲ということだ。
 梨花は、ちょっと唇の端を上げて、笑う。これのお陰で、怖い過去の夢を見なくて済んだのかも。
「ありがとう・・・。」
 誰もいない室内でそっとつぶやく。大事に、その単衣を畳み、あとで忘れないように、持ち出せるようにと思い、脇に置いておく。
 辺りを伺うように、御簾をそっと押し上げ、外縁へ出る。屋敷は、人の気配がないように静まり帰っている。普段は使っていないと言っていたから、使用人も、女房とかは置いていないのね・・と、きょろきょろしていると。
「梨花さん。」
 紅梅が、寝殿の廊下からこちらへ渡って来る途中で、遠慮がちに声をかける。後ろに、ここの女房らしき人が二人ついている。
「もう、大丈夫?」
「はい。昨日は、皆さまに迷惑をかけました・・。」
 紅梅は、ゆっくりと首を横に振るが、後ろを気にしていた。紅梅を押しのけるように、前にささっと進み出た女房二人が。
「美吉野と申します。」
「初音でございます。」
 梨花が、対応出来ないでいると、二人のうちの美吉野が、
「昨夜は、お世話出来るものがいなくて、失礼いたしました。こちらは、使われない別邸にて普段は、下仕えの者ぐらいしかおりません。急遽、今朝、三条の中納言さまの本邸より参りました。」
「いいえ。もう具合もよくなったので、お暇いたしたいと思います。ね。紅梅どの?」
「ええ。」
 少し戸惑い気味の紅梅の声。初音が、そんな声など耳にはいらぬかのように、梨花の傍に寄って来る。
「あら、いけませんわ。衣が汗ばんで、さあ・・あちらでお召し変えを。」
「あの、そんなにしていただくわけには参りません。」
 初音という名の割には、ういういしくなく、白い髪が混じった年配の女だ。聞き分けのない子をあやすように、さあさあと、まるでこちらの言い分を聞いていない。美吉野も、それなりに年をとったおばさん女房だ。ぽっちゃり、馴染みやすい顔に、笑顔を浮かべているわりには、訳知り顔で、どこか含みがある雰囲気。梨花のことを丁重に扱う。
「殿は今、参内しておりますが、戻ったら、うかがいたいことがあるからと、それまで、あなたさまをおもてなしするようにと、私ども、申しつかっております。あの・・何とお呼び申し上げたらよろしいのでしょう?」
「え、梨花です・・。」
「梨花さま。」
 美吉野は、少し首を傾げたがすぐに頷き、梨花が戸惑ってるうちに、彼女の手を取って寝殿の方へいざなって行く。え~っと、大声をあげて、途中で立ち止まり後ろの紅梅に助けを求める。美吉野が。
「ああ。こちらの女房どのも、お側に。その方が、安心出来るでしょうから。」
「違います。訂正して下さいっ。紅梅どのは、私の侍女ではありません。ぞんざいに扱わないで下さい。」
 理由がわからず、梨花は、腹が立って来て、ぷっと頬を膨らませて、怒る。美吉野が大きく目を開けて、ぽかんとしている。初音が彼女に耳打ちしている。「ね。どちらかしら・・?」
 初音の言葉にうなずいたけれど、こちらを見たまま、美吉野は、にっこり取りつく島もない笑顔で告げる。
「わかりました。では、ご友人の方も、ご一緒に、さあ。」
「・・・・・・・・。」
 内裏女房たちより怖いかも・・・。女五の宮に仕えるようになって、取り澄ました人たちに接することがあるけれど、梨花のような軽い身分の者はそもそも相手にもされていないので、ここまで能面のように取り繕った顔で、対峙するようなことはない。
うむを言わせぬ雰囲気。
梨花は、ごくりと唾を飲み込み、大人しく彼女たちに従う。仕方が無い。三条の中納言が戻って来て、誤解を解いてくれるのを待つことにしよう。梨花にとって、それは、気が重いことだったけれど・・・。






 寝殿の御帳台に入るように、薦められたけれど、さすがに、それは何とか断り、代わりに暑いからと言って、東南の池に面した廂のところに、几帳を立てかけてもらい、そちらで寛ぐ。
「ありがとうございます。紅梅どのといっしょに、お話でもしながら、三条の中納言さまをお待ちしていますから、どうか、お気づかい無用に。」
 と言って、追い払ったつもりが、食事だの、あつければ仰ぎましょうかだの、何だかんだと、世話を焼きにやって来る。落ち着いて、紅梅と話も出来ない。耳をそばだてているようで、当たり障りない世間話しか出来ず、おやつを・・と言って、来た時には、一瞬いらっとしてしまった。梨花は、美吉野達がやって来た方向へ、顔を上げて、ふと、漂ってきた香を不思議に思う。
「何か、仏事でもあるんですか・・?」
 静謐な香りは、あたりを清めてくれるような感じ。仏事に使われるものを想像し、訊いてみた。美吉野が、
「北向きの部屋に、仏様が置かれてあるのですよ。時々、三条の中納言さまのお知り合いの法師が経を上げて下さいますが、普段から、香を絶やさないように、指示なさっておられます。」
「・・・どうして?」
 美吉野が、言いにくそうに。
「本邸の奥方さまには、内緒ですよ?・・昔、殿が、お通いになっていた方が、この家にお住みになっていて・・・結局、別れておしまいになったのだそうですけれど、何だか、突然行き方知れずになったとかで・・・困ったことがあったのなら、相談してくれてもよかったのにとおっしゃっていました・・。荒れ果てていたこのお屋敷を数年前から手を入れて、保っていらっしゃるのです。あれは、ご無事を祈る為のものです。」
 さすがに、おおっぴらには出来ないからと、密かにここで、祈ってるのだと教えてくれた。
「私どもは、殿の若い頃から仕えておりますものですから、時々、ここの設えの目配りなど、任されておりますの。」
 初音が、付け加える。じっと、梨花の顔を見つめているが、彼女は何か考えているふうで。
「ねえ。ここにある池の向こう築山になっているじゃないですか・・。」
 初音が、首をちょっと傾げる。
「はい・・・。」
「それで、東の対の屋がないように見えるけれど、もしかして、小さな建物は存在するんじゃないの?」
「はい。月見などに使っておられたそうですが、対の屋として使えるほど広くはありません。どうして、それを?」
 目の端に、紅梅がようすのおかしい梨花を案じているのが映る。
「そう・・・・・・・・。あの築山の裏側に、小さい泉が湧き出ていて、そこから、わざと落差を造って滝があって、屋敷を巡る鑓水に合流できるように、流れが造ってある。泉の近くの木に藤蔓が巻き付いてた・・・・。」




 呟いていると、人が近づく気配がして、外縁から、廂の方へ、人が入って来る。三条の中納言だ。薄紅色の小さな花を一本、梨花に差し出す。
「あ・・・。」
 ふいに、記憶が舞い戻る。薄紅の花、唐撫子。・・・・・・。
「仏前に手向けておこうかと、持って来たのだが、覚えているか?」
 梨花は目を見開く。同時に、ふっと緊張が解かれる。違うこの人じゃない。母の衣を朱に染めたのは・・・。
「もしかして、お父さま・・・・?」
「やはり姫か・・・。」
 二人の言葉に、そこにいた紅梅と、美吉野、初音は、ぎょっと驚き、言葉もなく、ただ、見つめている。薄紅の小さな花。今朝方見た幸福な夢が、すらすらと口をついて出て来る。
「唐撫子ですね。確か、私、あの時、一人で泉のところで遊んでいた。うっかり、はまってしまっておぼれるところだったのだわ。」
 ぼちゃん・・とはまった瞬間、もう駄目、息が出来なくなってしまうわ、と、思ったら、勢いよく上に引き上げられた。それは、子猫が親猫に首根っこ掴まれて運ばれるような格好で、とても丁寧とは言えない感じだったけど。首を巡らせて、「あら、知らない人がいるわ」と、言ったのだっけ。「こりゃ、父を忘れるな。ずいぶん会いに来ていないけれど。」情けない顔で呟き、片手で拾ったみたいに持ち上げていた幼子を、きちんと抱き直し、顔を覗き込んだ。頬を自分の袖の端でごしごしとこする。顔についた泥の汚れを拭ってくれたのだ。しばらく、水辺で遊んでくれたが、築山の影から、向こうの寝殿を伺うように見て、小さな手に薄紅色の唐撫子を渡し、向こうにぼんやりと座っている母に渡すようにと頼んだ。その時、確か・・。嫌だわ、はっきり覚えてる。梨花の唇が笑みを形造り、くすっと笑ってしまう。子供に聞かせる科白じゃない。・・そう。こう言っていたのだわ。「やっぱ、いい女だよなあ・・。まあ、いまさら縁りは戻せんだろうが・・・。いや、実に惜しいが。そなたの母は、あんなふうに塞いでる姿は似合わん。元気が出るように、お花を渡してこい。」と、半ば、独り言にも近い言葉だった。その花が唐撫子だ。
 すらすらとよどみなく思い出せる。話してしまって、あの時以来ずっと会うこともなかった父の顔を、じっと見つめてみる。やはり、はっきりと顔まではわからない。梨花が、首を傾げたので、三条の中納言は。
「まだ、五つだったか。さすがに、顔までは、覚えててくれなかったな。」
 花を渡したのが誰だか内緒だよと、それは、梨花とふたりだけの秘密なのだ。だから、今、話したことは、確かな証明だ。
 三条の中納言は、胸を撫でおろし、この間、扇を拾ったときに、それを見て、そうではないかと思ったのだと教えてくれた。梨花の母のことを伏せているようだったので、世情に流れていた昔の噂のこともあるかと考え、こっそり聞き出す機会を待っていた。
「扇には、梨の花が描かれているだろう?添えてある書は、私の手蹟だ。間違いあるはずないと思っていた。そなたが生まれたときに、今度は、元気に育ちそうだったので、うれしくて、はやばやと与えたものだ。むつきの赤子にだぞ?そなたの母には、呆れられたが。」
「・・・そうですか。これだけは、大事に持っていなさいと、言われていたから・・。」
 梨花の顔をじろじろと見て。
「いや、よかった。幼い頃は、うちのおたふく顔の妹にそっくりだったから、あれでは婿の来てが・・と、心配してたんだが、大きくなって母者に似て、一安心といったところだな。」
 からからと、三条の中納言が心地よげに笑う。「妹君が耳にしたら、気を悪くなさいますよ。」と、横合いから、美吉野が窘める。それから、かしこまって、梨花に向き直り。
「初音が、もしかしたら、姫さまかも知れないと言っていたのですが、どのような関係の方か、殿から伺っておりませんでしたから、てっき愛人かと・・・。ずいぶんとお若いのに、最近の娘は、などと失礼なことを思ってしまって、申し訳なかったですわ。」
 美吉野が謝る。今はもう、能面のような表情は去り、梨花に親しみを感じているようだ。ここへ寄るきっかけとなった偶然を、三条の中納言から聞き、
「それにしても、知らずに、ここへお戻りになったなんて、ご運がよかったとしか申し上げられませんわね。」
「そなたたち、ここに人が揃うまでしばらく、梨花の世話をするように。そなたの母にも、帰ってくるように知らせるといい。あ・・いや、誰かと一緒になっていなければの話だろうが・・。」
 三条の中納言が言うと、梨花は首を横に振る。
「母は、亡くなりましたから・・。」
「・・・そうか・・・・。」




 三条の中納言が、驚きを抑えつつも、娘が女房仕えしていたのはそんな訳があったのかと納得している。亡くなっても、父親を頼って来なかったのは、きっと、娘に事情を詳しく語っていなかったに違いない。しんみりとしている三条の中納言へ、梨花は。
「あの。私、ここにずっといるつもりはありません。女五の宮さまのもとへ、戻らなくてはならないし、私を育ててくれた養母がおりますもの。そちらへ、戻ります。姫君って柄じゃないですから。」
 あえて母のことを語らなかったのは、梨花にそれを語る勇気がわかなかったから。
「そう言うてくれるな。行方不明になって、どんなに心配して、後悔したことか。」
 おろおろと、ようすを伺う三条の中納言。梨花の目に、大粒の涙が盛り上がる。同時にせき止めることの出来ない感情も浮かび上がって来た。
「それなら、どうしてあの時、その花を、自分からと言って渡さなかったのです。歌を添えて、もう一度、よりを戻す努力をなさらなかったの。もし、あの時、戻って来て下さっていたら、母は、あんな人選びはしなかったかもしれないのに・・・。」
 あんな人って・・・?ああ、また、何か思い出せそう。梨花は、父を責める言葉を連ねながら、ふと、意識を別に向けた。
「すまん。やっぱりあの時、引き取っておけばよかった・・・寄りを戻したかったが、そうは言うても、子供にはわからんこともあるのだ。・・いや、や、うん。すまん。だが、ここはもともと、そなたの母者の持ち物だ。大きな顔して戻ってくるといいのだぞ。」
 責められて、うろたえてる三条の中納言をよそに、梨花は、思い出せそうで思い出せない何かを懸命に、引き出そうとする。
「あ、そう藤だわ。」
 思い出すと、急に不安感を誘う甘い香りが、梨花のまわりを取り巻く。
「え?藤?泉のところの藤か?確か、あの時も、咲いていない藤を指さして、このお花の香りの人ぐらい、まめに文を送らなくちゃ、勝ち目がないとか、なんとか言ってたな・・・。ん?ということは、通ってたのか・・・。」
 三条の中納言の微妙な表情に、一瞬きょとんとした梨花だが。
「ううん。たぶん、来てはいなかったわ。あの頃、藤の花の香りに似た香が・・ついた文が頻繁に届くようになってた・・そう、あの日も・・。」
「あの日とは?」
「お母さまが、殺された日・・・。」
「なっ!何だと?・・・・。」
 三条の中納言も、その部屋にいた紅梅や、美吉野、初音も、衝撃的な言葉に皆、腰を浮かして、絶句している。梨花も、しばらく黙っていたが、やがて、観念したように恐ろしい記憶をたぐり、話し始めた。

花ぬすびと 13

2010-06-11 08:40:06 | 花ぬすびと
 何刻だろうか。もうそろそろ、起きている人も少なくなりかけた時、庭先から、遠慮がちに声がかかる。
「兵衛佐どの。」
 満春だ。呼ばれた兵衛佐は、彼にすがり泣いていた梨花は、眠ってしまったので、そっと足音を忍ばせ、外縁に姿を見せる。
「すまないが、ちょっと出て来る。気になることがあって、声をかけずに行こうかと思ったんだが・・。」
「気にするな。それより、こんな夜中に一人で出歩いて、盗賊に出くわさないか?」
「物持ちには、見えないし大丈夫さ。それに、効くか効かないかはっきりしないんだが、伯父貴特製の護符を使うから・・。」
「隠行の術とかいうやつ?」
「・・いや、たぶん、難に遭う前に、何となく、自分で道を違えてしまうというものだと思う。見えてないって、わけじゃないのは立証済みだけど、どういうわけか、やたら遠回りしてしまったりすることがあるから、たぶんそうじゃないかと・・。」
「ふ~ん、なるほど。」
「私は、その道を選ばなかったが、伯父貴は、引退してしまったけれど、相変わらず怪しい術は使えるから・・何か、役に立ちそうな護符でも貰ってこようかと思う。」
「何のために・・。」
「いや、兄上の宰相の中将さまのも、呪詛は関係ないとは今でも思うよ。けれど、用心に越したことはないかなと思って。上手く説明できないので、今は詳しく言えないが、紅梅どのの方の件で、その怪しげな法師と接触できないかと思ってる。」
「満春の伯父上が、何か、知っているのか?」
「いいや。でも、怪しげな連中のことも結構耳に入って来るみたいだし、直接は無理でも、人を介していけば、何とか、話をできそうかもしれない。」
「・・・・・・。」
 兵衛佐が頷く。
「じゃ、明日。」
 満春は、その屋敷を出て、夜道を急いだ。
 難に遭うこともなく、こんな夜中に訪ねても、伯父の家は、門が空いている。門と言っても、出家して、侘び住まいなので、小さな木戸の上にちょっと形ばかり、朝顔のつるの巻き付いた横木が上に、一本あるだけだけど・・。入ってすぐの、小さな家屋には、まだ、明かりが点いていた。
「伯父上。」
 灯火に浮かび上がった人影が動く。机の前に、座していた影が、こちらを向く。
「満春か。こんな遅くどうした?」
「はい。実は・・・。」
 巷に流れる噂の法師に会いたいのだと告げる。正直に、今自分が見聞きした事情を話す。今、起こってること、過去の事件のこと。
 伯父は、聞きながら、紙に筆を走らせている。
「呪詛に対処するなら・・やはり、身代わりがよいかの・・。息を吹きかけて同じ部屋に、置いておくといい。それと・・・、その法師だが、会えば、己の命を失うぞ?」
「ええ。ですから、そうならないで、話しができないかと、方法がないですかね?」
 ちらりと、伺うような満春の視線に、苦笑を浮かべ。
「・・・そうだなあ。たぶん・・・。」
 満春の前に、どさっといくつか餅が置かれる。右京のこれこれこういう屋敷と、言い。
「それ持っていけ。荒れた屋敷だが、中には上がるな。外から、声をかけ、姿も見るな。噂の恨みを晴らしてくれる影法師どのか?と聞いてみろ。」
「・・どうして、その場所を?」
「今も、いるのか、いないのか・・・。昔、あの辺りに住んでた奴が怪しいのではないかと、同業者のあいだで密かに語られていたのだ。夜しかいないそうだから、もし、今も住んでいるのなら、今時分はいるのではないかな?・・確実ではないぞ。」
「・・・はい。」
 礼を述べ、満春は、夜道を急ぐ。
 築地の崩れた、荒れ放題の庭に入って行くと、屋敷の方も、何とか形を保ってるという感じの場所だ。対の屋もいくつか、あった形跡もある。もとは、結構なお屋敷だったところが無人となり、荒れ果てたものだろう。京、特に右京では、こんな場所には事欠かない。ほとんどが、盗賊や浮浪者が入り込み、勝手に住みついて、近づくのも危うい場所だが、そんな彼らの姿さえない、場所は、さらに、危ない場所なのだ。人に恐れられる、いわく付きの場所というわけだ。そこで、生活している、来歴のわからない法師など、確かに怪しいかもしれない・・・。
 満春が、建物のほうを伺う。
 声をかけると、いきなり、中の明かりが灯る。
蝋燭のあかりが、燭台の上で揺れる。
人影が、映る。え?ちょっと待てよ。何で、影だけなんだ?
外が暗いので、当然灯りを点せば中の人の姿のほうがあきらかになるはず。だが、影絵のように、法衣らしきものを身に付けた人の輪郭が浮かび上がっただけだ。
満春は、目を凝らす。ああ、何だ。布がかけてあるのか・・・。
日が暮れてもねっとりと熱気を帯びた季節だというのに、格子戸の閉まった向こうは、冬の寒さ対策のための、壁代にされる布が、吊るされている。だから、はっきりと姿がわからないのだ。それが分って、ほっとすると同時に、気を張る。
「懐かしい呼び名を、どこで訊ねた?」
 影が揺れて、声が響く。不思議な人ではない声のように聞こえる。どちらにしろ、作り声はしているだろうが、何か仕掛けを施してあるのかもしれない。
「お訊ねしたいことがあるのです。もう、十年ぐらい前になりますか、京を騒がせたさる女御さまが呪詛でお亡くなりになった件について、関わりになりましたか?」
「知らんな。」
「そうですよね。あれは、名を語ったものだった。同業者の噂を拾ってみると、あなたは、依頼者が、不当な思いを抱いているのだと思ったら、手を貸さないということだ。それでは、断ったけれど、依頼に来た者はいませんでしたか?」
「・・・いちいち覚えてはいないが・・・思いのほか、たくさんの人が頼みを申すのでのう。さて・・・さすがに、相手の名が、女御となると、印象が残っていると思うが・・・。」
 ゆらゆらと、帳の向こうで影が揺れる。
「それだけわかれば、結構です。自力で計画したのなら、どこかに手掛かりは残ってるはずだ。・・それと、念のため、宰相の中将のことは?」
「何のことだ?知らん。もう、ずっと人の頼みは聞いてない・・・。」
「ありがとうございます。・・・・・そうですか。やはり、昔の噂を流して、利用したのかも・・・・・。当時のことを見聞きした年齢の人物かも知れませんね。」
「たったそれだけのことを聞く為に、わざわざ、こんな所に、やって来たのか?まともな奴に見えるが、こんな怪しげな者には近づかないほうがいいぞ・・。」
 帳に映る影が、一瞬大きく膨らんだように見えて、満春は、目を凝らした。
どうやら、体を揺すって、笑っているようで、小刻みに影が振れるので、大きく見えたようだ。目の錯覚かと、思うと同時に、言い知れない緊張感、指を一本動かすのさえ出来ない状態に陥っているのに、今更ながら気付く。
「あの・・あなたの姿を見たら始末すると言うことですが、それでは、名を利用すると、どうなるのですか?確かめて、制裁を加えるとか・・は。」
「あるわけがないだろう。馬鹿者。関係のないことに足を突っ込むいわれはない。」
「けれど、名を利用されたあなたにも、責任があるのでは?」
「・・・・・・・。」
 シュッ!満春の頬を傷つけ風が通りぬける。かまいたち。
けれども、ひるまず問い続ける。
「用意周到に、姿を隠すあなただ。念の為、己のことを知る者ではないかと、調べたのではないですか?お願いです。もし、何か知っているようなことがあるのなら、教えて下さい。」
 しばらく沈黙が満ちた。満春は、待ったが返事がないので、諦めて帰ろうと足を動かしかける。
「呪詛なのではないが、恨みには違いない。その女御は、害されたのだ。どんなに、ひた隠しにしても、証拠になる衣や血の付いた刃を始末したのは、屋敷に勤めるといっても、下仕えの者だ。訊き出すことは可能だった。いくら対面があるといっても、盗賊が押し入ってなど、この京ではある話だ。身分の高い者でも、難に遭わないという保証はないのさ。軽い身分の者の強硬というのだったら、女御の身持ちも疑われにくいだろう?隠すなど、おかしなことだ・・と思って、少し調べてみた。右大臣家でも、手の出しにくい者。捉えても、裁けるのかどうかわからない者。右大臣家というと、手が出せないような人物などなさそうに思えるだろう?名が出たら、一時の浮名は覚悟しなくてはならない人物だとか。いずれにしろ、都合の悪い男なんて、数える程しかいない。その、誰かは確定できなかったが・・・・。」
 幾人かの名をあげる。
「ありがとうございます。調べてみます・・・・・・。」
「・・・・・・・・。」
 影は、揺れ続ける。目がおかしくなりそうだ。
「あの・・今日の夕方、りんという鉦の音を道で、聞いたような気がしたのですが・・・。」
「・・・・・・・。」
「あ、いえ・・勘違い・・・ですよね。」
 躊躇しつつ、尚も向こうを伺ってると。ふっと、いきなり灯火が消えた。
「知っていることはもうない。往ね。」
 真っ暗になり、荒れた屋敷は静まりかえる。そこに、まだ、法師がいるはずだが、人がいる気配がない。教えちゃくれないか。関わって欲しくない、これが本題だが。満春は、肩に重い疲労を感じ、そこに持ってきた餅を置く。のろのろと、その場をあとにした。

花ぬすびと 12

2010-06-11 08:27:00 | 花ぬすびと
                  五

 どうせ、手伝うのだから・・と、紅梅のところに滞在することになり、先に、梨花の家に戻っている養母に伝えてから、彼女の家へ行くこととなる。京中へ入るまでは、皆と一緒だったが、小馬達の家とは方向が違うので、そうそう甘えてもいられないと、便利のいいところで、紅梅と梨花は牛車を降りた。そこから、梨花の家の方が近いので、紅梅も一緒について来た。もちろん、兵衛佐も満春もついて来る。
家へ寄って、紅梅の家へ向かう、たまたま、通った道筋だったから。
そこで、彼に会ったのは、おそらく偶然だったと思う・・・。
 偶然、道を歩いていると、梨花は、道に延びた法師の影を見て、身を竦めた。
といっても、他に人影が途絶えたということもなく、りん、りんと、音をさせているけれども、それは、法師の手に持つ鉦が歩くたびに揺れるからだ。傘を被っているので、顔は見えないが、京の大路小路なら、普通に見かける法師のようだ。経を唱えながら、向こうへ歩いてく。
「あ、いえ。あれは、何でしょう?」
 不安そうな顔に気付き、隣の紅梅の目が梨花をのぞき、慌てて、梨花は、取り繕うように、近くの家の前で、女が袖をやぶり、人に渡しているのが見える。渡されたのは、託宣をする占い巫女のようだが、かなり薄汚れて汚い感じだ。法師の影のことは、言うべきことではない気がして、まったく違うことを言ってしまう。
「夕占を占ってるのじゃないかしら?もう時期、日が傾くし・・」
「夕占?」
 梨花が、立ち止まってしまったので、後ろからついて来た兵衛佐と、満春も立ち止まり、そちらを見ている。
 兵衛佐が頷き。
「会わなくに夕占を問ふと幣に置くに我が衣手はまたぞ継ぐべき・・って、歌があった。袖を引きちぎって、夕占の神に手向けたのか・・?」
 打ち撒き(米をまく)で、場所を区切って櫛の歯をならす・・などというのもあるが、夕方行われるだけで、辻占と同じく、辻や橋の上で、偶然通りかかった人の声に耳を傾け、その言葉から、占いの答えを得るというので、あくまで、個人が行うもののはず・・。
満春が、いぶかしげに眉をしかめている。
「今夜、通う男の訪れがあるかどうか、占うというのだろう?当たるのかなあ。・・素人が占うより当たりそうだという気持ちはわかるが・・。」
「満春。お前が、それを言っていいのか?」
 兵衛佐があきれた声を出す。満春は、彼自身がそうではないけれど、親類には、陰陽師と言われる占いに携わる人たちがいる。
「占いを否定するわけじゃないけど、占者は千差万別さ。ああいうのは、怪しい連中も多いぞ?」
 声が聞こえたのか、その歩き巫女がこちらを振り返り、じろりと睨む。さすがに、こちらへきて怒鳴り散らすようなことはなく、すぐに、結果を伝えるため、依頼主の女に向き直ったが、腹立ちを抑えたような顔をしている。
 兵衛佐と満春が肩を竦める。満春は。
「梨花どのは、法師の影を見ていたような気がしたが・・・。」
「え・・あの・・そうですね。それも、噂を思い出して、びくっとしちゃったりして・・。違うのに。」
「もしそうでも、何もなければ、関係ないよ。顔を伏せておけば良いって話だし。」
「ええ。もちろん、苦しいことがあっても、きっとそんなものには、頼っちゃ駄目って気がするわ。」
「・・・・・。」
 満春が目を丸くしている。紅梅が。
「そうね。代わりに呪うって言っても、自分も同罪だもの。そこまでやってしまっては、胸を張ってられないような気がするわね。」
「てっきり・・。女御さまの無念をはらしたいと思ってるとか、じゃないんですね。
「おい。満春。」
 兵衛佐の厳しい顔つきを見て気付く。
「あ・・すみません。」
 兵衛佐に促され、うっかり口にしてしまったことを、満春が謝る。かなり、うろたえているので、おもしろく、紅梅は、優しく首を横に振る。
「いいえ。そんなことをしても、元には戻らないもの。でも、真相は知りたいかしら・・もし、そんな頼みが出来るなら・・・なんて、あくまで噂で、幻の存在ですものね。その代わり、協力してくださる方も得たことだし、欲張ってはいけないわね・・あら?梨花さん?どうしたの?」



辺りが夕闇に染まり出す頃合い。
 あ・・・・・・。また、だわ。
 立ち止まって、夕占を見つめる梨花の目が大きく見開く。ちらりと、覗いている何か。蓋が開く・・・・・そんな感覚。
傾いて行く日が、大空を赤く染め、周りのものも同時に同じ色にしていく。
今、目に映っている袖に、夕焼けの色が落ちて、どんどん朱に染まっていく。
あ・・これは、夕日の色じゃない・・思い出した。母の衣が朱に染まったその色を。・・どうして、そんな大事なことを忘れていたんだろう。母は、誰かに害されたのだ。
ああ、どうしてそんなことを・・・忘れていたなんて・・・。
毎夜のようにうなされて泣く幼い自分に、「怖いことは忘れてしまいましょう。忘れてしまえばもう大丈夫だから・・。」誰かが、ずっと優しく背を撫でてくれていた。その手に、安心して委ねられ、いつしかそれは、ただの悪夢に変わった。ああ、そう、養母の心配そうに夜中に寝顔をのぞきこむ顔を覚えてる・・・・。
 その朱色が自分まで染めてしまいそうな気がして、梨花は、気分が悪くなり、そこに蹲る。紅梅が、心配そうにしている声が、遠くで聞こえるようだ。
 体が重い・・・。蹲る。それが、ふいに軽くなる。
 兵衛佐が、梨花を抱きあげて。
「紅梅どのの家まで、しばらくあるけれど、がまんできるか?」
「・・ごめんなさい。少し、ここでじっとしていれば大丈夫だと思うから・・。」
「いいから、気を使うな。」
 ちょうどそこへ、どこかへ出かけて帰る途中の、三条の中納言が現れる。兵衛佐も見覚えのある従者が従う牛車が、近くで停まり、中から、三条の中納言が降りて来た。具合が悪そうな梨花の様子を見て、「ちょうど、すぐ近くに、自分の別邸があるから、そこで休んでいくといい。」と、親切に言ってくれた。兵衛佐は、その親切にすがることにし、紅梅や満春も一緒についてくる。
 そこで出会ったのは偶然で・・。暗くなって行くあたりを見つめながら、遠くの方で、またひとつ、りん。りん。・・という音が聞こえた気がした。




 その屋敷は、しんと静まりかえり人の気配がなかったが、庭も建物もきちんと手入れしてあった。三条の中納言は、「あまり、ここは使ったことがないのだが・・。」と、言っていたが、小奇麗に整えられていた。青い顔で広々とした庭を眺め、ますます元気を失くしてく・・梨花は、兵衛佐に抱えられて、ひとまず、用意された場所に横たえられたが、そのまま、兵衛佐が、部屋を出ようと立ち上がろうとすると、梨花がその手を引きとめる。
「ここにいて・・・。怖い。」
「え・・。」
「・・・どうして、三条の中納言さまは、この家を・・・。私・・・。」
 暑い夏だというのに、震えている、血の気の引いた顔色。
「梨花どの?何が?」
「・・怖い・・・。」
 大粒の涙が盛り上がり、梨花の目から溢れて流れてく。怖いといったきり、言葉を紡ぐことが出来ず、声を殺して泣くだけの彼女を置いても行けず、兵衛佐は戸惑いながら、その場に座り直す。ちらりと、傍らを気にすると紅梅が頷き、外縁で待ってる満春を促し、
「私たちは、三条の中納言さまのところへ行っていますわ。事情がわからないから、今、梨花さんが言ったことは申しません。お礼と、落ち着いたとだけ報告してきます。恋人の兵衛佐どのがついてるから・・ということにしておきます。そうすれば、こちらを伺うようなこともないでしょうし・・。」
 兵衛佐が、頷くのを見て、では・・と、二人が、三条の中納言のいる寝殿の方へ向かう。
 兵衛佐は、ただ、泣いている梨花に戸惑いながら、付き添っていただけだった。




京都風俗博物館展示からです。
   夏の茅の輪くぐりとか、祓いの時のですが・・
   打ち撒きは、こんな入れ物に入れて米を撒いてたんですね。




花ぬすびと 11

2010-06-04 08:47:10 | 花ぬすびと
 真っ暗な夜の闇の中、寝返りを打つ衣ずれの音がしている。何度も何度も、聞こえ、やがてため息がひとつ。
「眠れないの?」
 雪柳の声。
「ええ。さすがに、あんな重い話をきいちゃったあとでは・・・。」
 と、摂津。
「紅梅どの・・。乳母どのにも、申し訳ないことしたっておっしゃってたけれど・・・。」
「仕方がないわね。事情を知らないんじゃ、どうしようもないもの。けれど、もう少し、調べてみるって・・自責の念かしら・・・紅梅どのの責任じゃないのに。」
「そうね。でも、それで、気が晴れるんなら、私たちが早く先に戻って、しばらくがんばらなくちゃね。梨花さんは、まだ、戻れないから、お手伝いするんでしょ?」
 それまで、黙っていた梨花に話をふる。いつもならある隔ての几帳はなく。同じ部屋に休んでいるので、互いの様子はよくわかる。さすがに、田舎家で、そんなに広くないので、間仕切りを置かず、三人は身を寄せ合うように横になっていた。
「ええ。紅梅どの・・もう、お休みになったかしら?」
 紅梅は、違うところに滞在しているので、そちらへ戻っている。
「たぶん。」
 ふうっと、ため息をつく雪柳。
摂津が、横を向き、はらりと落ちて来た前髪を指でかきやる。
「ね。梨花さんは、兵衛佐どのと一緒じゃなくてよかったの?」
「そうね。小馬は、さっさと愛しの旦那さまのところへ行っちゃったものね。きっと今頃、甘えてるわよ。丑の刻参りを見たかと思って、怖い思いをしたあ~って。」
 摂津の言葉を追いかけるように、雪柳が寝返りを打ち、梨花の方を向いて言う。
「兵衛佐どのとは、まだ、そんな仲じゃないもの・・。それより、紅梅どのの話してくれた事実を、小馬さんのお相手に伝えても大丈夫かしら?」
「ああ。そのことなら、話さないわよ。昔の恋の思い出に浸ってたのを、勘違いして大騒ぎしちゃった。ごめんなさ~い。・・までしか、言わないわよ?対面がどうこうという話には、敏感だもの私たち。よけいなことはしゃべらない方が身のためだってことは、身にしみてるでしょ?そういうところは、きっちりしてるから、信用していいと思うわ。」
「そうなんですか・・・。」
 ほっとしている声がきこえて、雪柳は、誤解されやすい幼馴染の人となりに苦笑する。
「ね。もしかして、迷ってるの?」
「え・・・。」
 何がと聞き返すこともない。兵衛佐とのことを聞いているのだ。
「迷ってる・・・・そうね、そうかもしれない・・・・。」
 暗闇を見つめる梨花の胸に、ふいに、湧き上がって来た疑問。迷ってる・・・・?何に?という言葉を言いかけて、それが釣られて出た古い記憶だと思い出す。そう言えば、生きていた頃母も、同じ言葉をつぶやいたっけ・・その後に、今度こそ最後の恋。幼い梨花にそう言ったあと、他にも何か言ってたような・・・。何だっけ?思い出せそうで思い出せない。・・それにしても、子供に言うには、大人げない言葉ねと思う。
けれど、美しさが、こぼれるような笑顔が目に焼き付いてる。
初めて、親しくなるきっかけになった雪柳のところへ駆けこんできた小馬のあの、顔に似てる。それから、紅梅のような表情も憶えがある。あの時の互いの思いは、確かなのですから・・・・。そうだ、それから、安心させるように、幼い梨花を抱き寄せてくれた。髪を撫でてくれる、大好きな香り。ああ、何だか、このまま眠れそう・・・。梨花は、目を閉じる。
 雪柳と摂津は、突然寝息を立てて、眠り始めた梨花に気付き、少しだけ身をおこしてその顔をのぞく。
「あら、かわいい。迷ってるなんて言って、兵衛佐どののこと思い出して、安心して眠ってしまったのね。」
「本当。ゲンキンね。私も、何か良いこと思い出して目を瞑ってようかしら。」
「付き合ってる人のこと?思い出したら、眠れなくなるんじゃない?」
「あ、そういう冗談いうと、突いちゃうぞ。えいっ。」
「ふふ・・。でも、話して、少しすっきりしたわね。もう、眠よっと。おやすみ。」
「おやすみ。」
 そして再び、静寂の闇が訪れ、静かになる。その夜、梨花は久しぶりに、晴れやかな姿の母を思い出し、おおらかな気持ちでぐっすり眠る。翌朝、目を醒ましても、しばらくは幸せな気持ちに浸っていられた・・・。

花ぬすびと 10

2010-06-04 08:42:25 | 花ぬすびと
 宿の近くを流れる沢の音が心地よく聞こえてくる。
 暑い夏場だ。人が沢山集まるならと、涼む為につくられた川の上の床に、女たちが座っている。
「わあ。気持ちいい。風が爽やかね。」
「冷たい水に足を浸してみたいわね。はしたないかしら?」
 ちらりと、近くに立っている兵衛佐たちを見る。満春が困ったように笑う。
「あ、どうぞ。気にしませんから・・。」
「几帳を持ってくるように宿の者に言っておいた。どうせなら、寛げるほうがいいでしょう?」
 兵衛佐が付け加える。
 しばらくして、几帳が立てかけられ、女たちの姿が隠れると、空いた反対側の場所に、座した。
「きゃあ、つめたい。」
「うわあ。これなら、また来たいわ。」
 きゃっきゃっと、しばらく他愛もなく若い四人がじゃれている。梨花は、水に足をつけ、ぶらぶらさせて、笑い声を立てる。笑い声?ふと、既視感を覚え、大きく目を見開く。
「どうしたの?」
「あ、ううん。何でもない。私たち、集まると、よくこんな感じだなって思って。」
 心の奥底の蓋が空きそうな感じ。声を掛けられて、跳ねるように意識が他を向き、掴み損ねた。梨花にも、それが何だったかわからなくなってしまった。
「本当ね。一緒に出かけるなんてことなかったけれど、いつもと変わらない風景みたいだわね。」
 紅梅が、そんな彼女たちを微笑みながら、見ている。それに気付いた摂津が、
「紅梅どのも、昔こちらにいらっしゃった時は、避暑にいらっしゃったの?」
 たたみ掛けるように、小馬が。
「蛍が一斉に輝きだすところを一緒に・・だなんて、素敵。ね。その時、どんなお話をなさっていたの?」
 雪柳も、梨花も目を輝かせてる。緊張感にかける雰囲気だが、楽しげで軽やかなせいだろうか・・・紅梅も暗い表情はしていない。話はじめた。
「そうね。その時は、一番盛り上がっていた時だから、ああ、この方とずっと・・なんて、しみじみと幸せに浸っていましたよ。思えば、無知な小娘だったわ。」
 紅梅は、亡くなった女御の乳姉妹だった縁で、後宮の女房として勤めていた。けれど、女御に仕える女房の多くは、父である故右大臣が娘に箔をつける為に選んだ選りすぐりの者たちだ。学のある女だとか、何か諸芸に秀でた者だとか、あるいは、受領やそこそこ家柄のある娘たちとかとは違い、紅梅は、ただ、乳母の娘という縁故だけで、召し抱えられた者だった。普通なら、形見のせまい思いをするところだろうが、幼い時から仕えている気安さで、女主からも重宝されたので、嫌な思いをすることもなく過ごしてきた。そのせいだろうか。あまり、身分というものを重く受け止めたことはなかった。そんな気安さから、後宮を訪れる上達部の一人と、恋に落ちた。
「中には、頼りない身の上の女を世話してくれる人もあると聞きますが、そんな話は、稀なことでしょう。位の高い方たちにとって、後宮の女房たちとの恋は一時のものというのが、常識。それが身に付いたお方たちは、先のない恋が、相手を傷つけ、重荷を背負わせるなんて、考える必要のない方たちなのです。・・・・いいえ。別に、恨めしいとか、そんなふうには思っておりません。あの時の、互いの思いは、確かなのですから・・。」
 紅梅は、几帳のむこうの兵衛佐を気遣うように話す。彼も、宰相中将の弟ということは、名門のはずで、彼が今、思いを寄せている女がこちら側にいる。微妙な雰囲気の話題をしているので、今は、自分の話をしているのだと、強調するためだろうか・・・。
 兵衛佐は、頷き。
「あこがれ出ずる魂かとぞ思うとは・・・まだ、その方のことが忘れられないということですか?」
「いいえ・・それは、違います。今は、もう、そっと眠らせて置きたい思い出ですもの。ちょうど、ここで蛍を見て、至福の時を過ごしたあとでございます。その年が明けて、私、男の子を産みましたの。」
「お子が・・・。では、どこかに仕えて・・いや、上達部って言ったな。ひょっとして、私も知っている人なのかな・・それとも・・・僧侶に・・・。」
 兵衛佐が、言い難くそうに語尾を濁す。
庶出の子を僧侶にして、身が立つようにしてやるという話はよくある。僧は、公式な存在で、国家から給料も出る。形見の狭い思いをして、表の世界で生きて行くよりも・・という配慮かもしれないが、自らの意思で出家した者以外にとって、捨てられた感がぬぐいきれないのではないか。
どう考えても、紅梅の子供が幸せになってそうには思えず、兵衛佐は、そっと溜息をもらす。隣で、満春が、何かに気をとられて、川面を見ているのが目に入る。魚だ。
子供のように、観察している横顔を見て、ほっとしている兵衛佐。
聞いているんだか、聞いてないんだか・・。
そんな風に思うと、満春が顔を少しこちらへ向けて、頷く。何だ、ちゃんと聞いてたのか。気持ちが逸れたお陰で、続きを聞く気になる。
「そうですわね。僧になれば、生活は保障されますもの。ひどい扱いとはいえないのかもしれませんわね。・・でも、私の子は、手放してしまいましたの。酷いことをしたのは、私かもしれませんわ。」
 紅梅の相手の男は、当然上級貴族の常で、相応の家の娘を妻としていた。一人ではなく、他にも、妻として世間に認められる女も。そっちの女には、子があったが、正妻にあたる女には、子はなかった。正妻は、紅梅よりもずっと年上で、もう一人の妻よりは少し若かったけれど・・・子がなく、年を重ねていく自分に焦りを感じていたのだろうか。かなりの高齢だったが、やっと身ごもり、周囲も安心して出産を待っていた。ところが、そんな彼女は出産を間近にして、病に罹ってしまった。命を左右する流行り病だ。何とか、持ちこたえていたものの、早産となり、子供は死産。とはいえ、弱りきった者に追い打ちをかけることなど出来ず、周囲の者も困り果てていた。そこへ、ちょうど、同じころに、紅梅の出産が重なったのだ。
「もううつる心配がないけれど、衰弱がはなはだしく、奥方さまの命も、そんなに長くはないだろうと・・。子を少しの間だけ、貸してくれと。死んだとは知らず、生まれた我が子の顔を見せてくれとせがむ、その姿があまりにも哀れだからと・・・。その時、子供は、取り替えられたのです。」
「・・・・・・・。」
「あの時、手放したのが、子にとって良いことだったのかどうか・・・今でも、わかりません。何も知らずに他人の子を抱いた奥方さまには、酷いことをしたと思っています。でも、その時、奥方さまが亡くなっても、そのまま、手元で嫡流の子として、扱うからと、言われて、迷いましたが・・・・。私のことも、このまま、捨て置かれるということはあるまいと、つまらない、打算をしたばっかりに、何もかも失ってしまった。」
 紅梅が、黙りこむ。傍で、足を水に浸して聞いていた梨花が、そっと水から上がり、気遣うそぶりで、彼女を見ている。他の子たちも、同じだ。
「もしかして、その奥方は、命が、助かったのですね。子は、返して貰えなかった。我が子として、引き合わせた周囲も、撤回することができなかった。」
 几帳の向こうで、満春が、川面に目を充てて、静かな声で訊ねる。パシャ、川面で魚が跳ねる。
「ええ。母というのは、強いものですね。赤子の泣き声を聞いて、生への執着心が湧いたのか、『子のために、元気にならなくては。この子を母無し子にすることは出来ませんもの。』と当時、病床で言っていたと人づてに聞きました。・・見事本復なさいましたの。私は、そんなに強くなれませんでしたわ。同じ女房仲間には、一人になってもたくましく子育てしている方もいましたのに・・・。失格ですわ。ですから、なるようになっただけかもしれません。」
 相手の男とは、それっきりだと紅梅は言った。別に関係を続けたとしても、世間から、咎められることもないが、彼女の中で、その時、何かが終わってしまった気がしたという。
「けれども、子のことは、時々、気になりますの。どうしているのか。幸せなのか・・。それで、本題でございますけれど、時々、あの辺りをうろついている浮浪児にいくばくか、礼をやって、出かける姿や帰って来る姿を見たら教えてといってあるのです。どんな表情でいたかとか、そんな他愛もないことですが・・・報告に来る子たちには、私のお仕えする姫さまの、憧れの人なので、ちょっとした様子が知りたいのだと教えてあります。もちろん、姫君は、架空の方ですよ。」
「では、それを、我が家の家人が見間違えたのか。」
「おそらく。あ、どうか、このことはご内密に。あちらは、知らぬことでございます。」
「わかっている。だが・・・。」
 この話が作り話だという可能性もあることを考えると、兵衛佐は言いかけた。
 紅梅が首を横にふり、傍らに置いてあった紙の束を、几帳の向こうへ押しやる。
「これは?」
 めくってみると、名前がずらっと書き連ねてある。
「兵衛佐どのと、満春どのは、先に貴船明神の社に、最近、丑の刻参りをした者がいないか、確かめにいかれましたね?人里離れたとはいっても、まったく誰も住んでいないというわけでもないもの。せまい峡谷になってますでしょ?静かな夜中に、釘を打ち付ける音がしたら、響きます。この辺りに、住む者が気がつく可能性も高いでしょ?」
「ええ。」
「その丑の刻参りですが・・いえ、正確には、参籠した者について調べにきましたのよ。それは、名を記したものを、写したものです。十年以上前のもので、残っているかどうか、自信ありませんでしたけど・・・。」
「十年以上前?」
「ええ。女五の宮さまの母君の女御さま・・が、亡くなられた以前の・・何年分かです。」
 ぱしゃ。魚が跳ねる音が響き、満春が水面を見ていた顔をあげる。
「昔の女御さまの呪詛の事件と、今回の件が関係するのですか?」
「いいえ。女五の宮さまや、今、兵衛佐どのの調べておられる件とは関係が無いと思われます。ただ、今回、私、ありもしない噂で傷ついてはじめて気付きました。もしかしたら、昔のあの事件もそうではないかと・・。あの後、女五の宮さまは、ずっと乳母どのの無実を信じていらっしゃってもしかしたら・・と、ふと気になりだして。昔の仲間から、当夜のことを聞きだしたのです。」
「聞きだした?あなたは、お側についていなくても、同じ屋敷にいたでしょう?確か、お里で、亡くなられたのでしたっけ・・・。」
「はい。その日、私は、お休みをいただいていましたので・・でなければ、口封じのために、そのあとすぐ、解雇されていたでしょうね。私が、駆けつけた時には、呪詛という創られた事件になっていたあとだった・・。」
 紅梅は、ぼんやりと宙を見つめた。
「確か、亡くなられた日、ちょうどその時刻に廊下を移動中だった女房がいて、それが乳母どの。また、それを見た人がいた。『貴船明神の天罰だわ』とか呟いていた。というのでしたね?」
「いいえ。正しくは『怒りに変わるなんて。貴船明神の・・・』。残りの言葉はわかりません。『怒り』を『天罰』と捉えることもできるでしょうが、『変るなんて』ならば、乳母どのへの印象も変わって来ます。耳にした女房に、真っ先に確かめたら、こちらが真ですわ。」
 それから、当時の仲間に会って、疑問を投げかけて見ると、決まりが悪そうな顔で、口止めされていたことを話し始めた、と、紅梅が説明する。
「この話は、女五の宮さまの耳にはいれたくないこともあるのですが・・・。」
 と、前置きする。
「女御さまは、本当は、血まみれで倒れていた。たまたま、その日は、お側に人がいない時間が存在したのです。ほんの、少しの隙間の時間。おそらく、手引きした者がいるはずです。」
「手引き・・・どういうことです?」
 兵衛佐が弾かれたように後ろを振り返る。もちろん、几帳の向こうに、人の気配がするだけで、姿は見えない。
「・・やはり、言わなければなりませんか・・・。最初に亡くなられた状態の女御さまを発見した女房が見たお姿は、身に着けておられる物がなかったと・・。あまりにも、惨いお姿でしたと言っておりました。いち早く駆けつけて見てしまった数人の女達以外は、故右大臣さま、つまり女御さまの父君が、他の者は、近づけさせるなと、事実を隠しておしまいになったので、その時、遠巻きに見ていた者は、何が起こったのか、わかっておりません。」
 紅梅の話を、息をのんで見守っていた女たち。
「なぜ、そのように、隠してしまわれたのでしょう。呪詛だなんて、嘘をついて・・。」
 梨花が、ため息のように、ぽつりと漏らす。
 摂津が、おそるおそる、想像出来る答えを言ってみる。
「おそらく、醜聞になるのを避けたかったのではないかしら・・。私たち、女房も主に不利になるようなことは申しませんが、亡くなられたということは、その後までは、女房たちの口にもふたは出来ない。密通していたなんて・・・。」
 梨花は、ちょっと考えて。
「でも、それなら、乳姉妹の紅梅さまがお相手をご存知なのじゃありませんか?状況は、わからなくても、もしかしたら呪詛の相手は・・とその時に、思いあたるのじゃありません?・・今まで、噂になったその乳母だと思ってらっしゃったのでしょう?あら?その乳母が手引きしたの?でも・・・。」
 雪柳が、頷き。
「女御さまご自身の乳母じゃないもの。無理よね?女御さまも、知らないような相手だったのじゃないですか?紅梅どの。」
「ええ。もし、そうなら、その時、思い当たっていたはず・・でなくても、他に忠義の者はいたので・・・駆けつけて女御さまの最期の姿を目にしたのは、いずれもそういう人たちでしたの。誰も知らなかった。」
「それは、確かめられたのですか?」
「ええ。皆連絡はとれましたから・・・。」
「それで、調べているうちに、ここへ?なぜ?」
「乳母どのは、もしかして、誰かとすれ違って、その誰かに、気付いたんじゃないかと思いました。貴船明神うんぬんと呟いていたそうなので、単純な理由で・・・関係あるかどうかもわからないのですが・・・何から手をつけたらよいのか、判断がつかない状態だったので、ともかくも、無駄に終わっても、どんな人が訪れていたか、調べてみようかと思いました。何て言っていいのか・・・帝の妃とわかっていても、忍んで行こうなどど、よほど思いを募らせていた者でしょう?思いつめてたのなら、あの木に彫ってあった歌のように、もしかしたら、ここにも通い詰めているかもしれませんものね。」
 疲れた顔で、弱弱しく紅梅が無理に微笑む。梨花も雪柳も、摂津も小馬も彼女すぐ近くまで寄って来て、心配そうにしている。小馬が、彼女の背をそっと優しくさする。
 紅梅は、手で顔を覆い、背をふるわせる。
「女御さま。さぞかし、無念でしたでしょう・・・。」
 ざざっ・・と、沢の流れの反響するなか、紅梅の細い泣き声だけが、あたりに満ちている沈黙と寂寥感、空気を震わせて静かに響く・・・。