時の泉庭園

小説は、基本、ハッピーエンド。
話は、最後まで出来上がってからUPなので、全部完結済み。

(^◇^)・・・みん兎

中華ファンタジー 27

2010-03-05 10:50:43 | 中華ファンタジー
しばらくは、何事もなかったかのように、穏やかな日常が続く。
小燕子は、愛玲や明霞たちと、連日のように町を見物に行っていた。
ある日、同じように彼女たちと出かけて、小燕子が、身の周りの品々や、食料や水なんかを手に入れて、通常とは違う買い物をしているのでおかしいな・・と思っていると。彼女たちを連れて、その日、鍛冶屋を訪ねると言っていた子牙のところへ引っ張って行った。
 子牙が驚いた顔をしている。
「どうしたのだ。まるで、旅支度だな。」
「うん。このまま、ずっと西の方へ、砂の花を身に行こうと思って。さよならを言いに来たのさ。子牙。明霞さんや愛玲を家まで、連れて帰ってあげてね。」
 明霞と愛玲がおどろいて、騒ぐ。
「そんな、何も急に出発しなくても。」
「間にある山道が冬になって凍る前に越えなきゃ、難儀するから。これでも、引き延ばしてたんだ。淑人さまたちが落ち着くまでと思ってたから。でも、もう随分、風が冷たくなってきた。」
「私は、ずっと小燕子さんと一緒かと思ってました・・。」
 明霞が言葉を詰まらせる。愛玲が。
「ねえ。明日では、駄目なの?」
 小燕子が首を振る。
「皆といるの、楽しかった。ありがとう。」
 愛玲がぎゅっと彼女に抱きついて。
「友達だもの。また、会いに来てくれるわよね?」
「うん。」
「・・そう、きっとよ。きっとね?」
 頷きながら、繰り返す。子牙が。
「そうか、行ってしまうのか・・・。いや、何となく予測していたのかもしれないな・・・。小燕子には、世話になった。もしも、困ったことがあったら、連絡しろよ。いつでも、手を貸す。・・・我らの旅は終わってしまったが、小燕子は、ずっと旅の空なのだな。」
 子牙が、名残惜しそうに一瞬、目を眇める。
「違う。旅は、終わってないよ。ただ、先の道が分かれてるだけだよ。」
 行く道が違う?というよりも、留めておくことが出来ない渡り鳥なのだ、彼女は。子牙は思う。自分も主の淑人も羽ばたける翼は、持っているが、飛ぶ空を選ぶ。小燕子は、どこまでも行けるとりわけ強い翼なのかもしれない。本当に留めて置けないのだろうか・・・・・?ふいに湧いた疑問は、柄にもなく感傷的で、すぐに、それを振り払う。
 小燕子のことだ。気が向けばきっと、元気な顔を見せてくれるだろう。
「・・・・・なら、また、会うこともあるかもしれないな。小燕子、息災でな。」
「うん。子牙どのも。」
 ばいばいと手を振って、小燕子は、立ち去る。明霞が、突然「あっ。」と言って、子牙を促した。
「淑人さまは?淑人さまはご存知なの?早く、知らせて。」
 黙って行くはずがないと、子牙は思ったが、明霞の気迫に圧されて、淑人を呼びに走った。彼から知らされて、淑人は、西の町へ向かう道のある町はずれへと急いだ。

 風にひらひらと二つに結んだ髪が揺れている。背中に、剣と荷物を背負った小燕子は、頬に乾いた冷たい風を感じながら、前方に建つあづまやのような建物を見つめる。そろそろ、山道に差し掛かる。ここは、街道の一本道で、その前方のあずまやのようなのは、旅人に、簡素な飯や茶を振舞う店で、ここを通る人は大概ここに立ち寄る。
 小燕子も、以前に来たことがあり、入って行くと、店の女将は、やはり同じ顔だ。
「お茶と、少し甘い物あるかな?山道に入るから、それと、万頭を包んでくれる?」
「はいよ。甘い物は、干した果物ぐらいしかないけど、いいかい?」
「じゃ、それで。」
「はい。はい。」
 女将は、いそいそと茶を入れる為、奥にある厨房のところへ行く。
 旅人は、ひっきりなしに出たり入ったり、小さいけれど、活気のある店だ。
 どさっ。小燕子の後ろの席に、客が荷物を置く音がした。
「小燕子・・・。」
 驚きで、目を見開いたままの小燕子の顔が振りむくと、淑人が、腰に手をやり仁王立ちといった感じで立ってる。
 小燕子は、何も告げずに立ち去ろうとした詫びを口にする。
「ごめん・・・。」
「行くな・・・と言っても、無理なんだな。」
 小燕子がこくりと頷く。
「風が呼んでるから・・・。」
 小燕子の言葉を聞き、ふうと、淑人がため息をつく。
ごそごそ・・と懐をさぐり、淑人の手が、小燕子の手に何かを握らせた。玉で出来た腰から吊り下げる飾りだ。平べったい丸い形のそれは、鳥たちが枝に止まり戯れている絵が彫ってある。
「これを、明霞から託って来た。」
 玉で出来たそれは、魔を避けるともいわれ、淑人たちの故郷では、恋人や、親しい人に無事を祈り、贈ったりするものだ。飾り紐で、帯から垂らして身につけて持っていられる。
「あ・・ありがとう・・届けてくれたんだ・・あの、ごめんね。黙ってて・・でも・・。」
 小燕子が珍しくぐずぐずいい訳をしていると、淑人が、にっと笑い。こちらの席にどさっと、陣取り、奥へ聞こえるように。
「女将。こちら追加だ。もうひとつ同じものを。万頭も包んでくれ。」
「は~い。ただいま。」
 愛想良く答える声。淑人は、一緒に、運ばれてきた、茶を小燕子の椀にも注いでやりながら、人の悪い笑みを浮かべている。小燕子が、ぽかんと口をあけてこちらを見ていた。
「淑人さま・・・まさか・・・。」
「さまは、よせ、小燕子。もう、公子でも何でもないんだ。」
「え・・うん?」
「さ、休憩しながら、これからの予定を聞こうか。」
「・・・・・・・。」
「恩を返すあてもないのに、雛氏にいつまでも世話になるわけにもいかないしな。旅に出るにしたって慣れない私が、いきなり漂泊の生活が出来るとも思えん。しばらくは、小燕子にくっついて行こうと思って、あわてて追って来たのさ。かまわないか?」
 小燕子は、こくんと頷く。あっと、気がついて。
「それじゃ、この飾りは、本当は、淑人が持ってたほうがいいんじゃないの?」
「どうして?明霞は、小燕子に、と言っていたぞ?」
 ゆるやかに首を横に振るが、彼女の何か言いたそうな顔を見て頷いたから、淑人も意味はわかっているのだと、小燕子にも分る。
「応えることは出来ないのだから・・持つことはできないよ。小燕子は、彼女と、友達だろう?だから、持っていてやってくれ。」
 呟くように言って、茶をすする。
「うん・・・。」
 それから、行く先の話をした。
 店を出ると、大柄な人影が傍の木にもたれて二人を待っていた。
「遅い。」
「え?」
「え~?」
 二人同時に叫ぶ。子牙だ。
「私を置いて行くなんて酷いじゃないですか。主に置いてかれた居候なんて、肩身がせまいですからね。ついて行きますよ。」
「いいのか?」
「当然です。」
 うんうんと頷いている子牙。自分の後方を差し、馬車を示す。小燕子は、目を輝かせて。
「じゃあ、また、いっしょに前みたいな、旅が出来るんだね。」
「ああ。」
 いそいそと御者台に上がって、小燕子が手綱を持ち、早く早くと二人を促す。彼らが乗り込むと、元気よく。
「出発っ!」
 馬を走らせる。
 軽快に、どこかを目指して行く。
 風が呼ぶままに・・・。天も地も、広く・・・。

                       終わり


作者懺悔 
 あ~、長かった・・・。
 中国の武侠ドラマを見て、何となくそれっぽいものをと思ったけれど、肝心の武器や、武術の専門用語がさっぱりなので、ただの、中華風世界を彷徨う冒険の話になってしまった・・・。

 後半の碑文の中にあった「飄飄何所似。天地一沙鷗。」は、杜甫の詩から。

全文は。

 『旅夜書懐』杜甫

細草微風岸  危檣独夜舟   細草 微風の岸  危檣 独夜の船
星垂平野闊  月湧大江流   星垂れて平野ひろく 月湧いて大江流る
名豈文章著  官因老病休   名は豈に文章にて著れんや 官は老病に因り休む
飄飄何所似  天地一沙鷗   飄飄 何の似たる所ぞ 天地の一沙鷗

中華ファンタジー 26

2010-03-05 10:48:07 | 中華ファンタジー
                五
 洞窟は、しばらく行くと崖と崖の、深い谷間の間にあいた出口にでる。そこから、向こうの山の崖に開いた穴の入口まで、細い吊り橋を渡り、そこからまた、次の洞窟へ入る。しばらく行くと、また、同じように吊り橋のある所へ出、また、洞窟へ。そんなことを幾度も繰り返し、最後に潜った洞窟は長かった。深く深く地の底へと沈んでいくかと思うくらい下って行き、それがある地点で上へ上へと上がって行く。くるくると螺旋を描いて上まであがって、ようやく外の明かりが見えたと思い、皆、駆け足で外へ出た。
「!」
 雲の上にいる・・・・。
「ここは・・・。」
 淑人も、皆も、目を見開いて、茫然としている。空しか見えない森の中に出、どこだろうと辺りを捜索して、驚いた。
 小燕子は、遥かかなた外界を見降ろし、
「うわあ。黒瀧の滝のある山の上だ・・・。登れたんだね。」
 どうやって降りるんだ・・・・。全員が、思った時、カサッと、木の茂みが動く。
「誰だっ。」
 木の茂みをかき分け、姿を現したのは白い山羊髭のじいさん。痩せて干からびて、少々、浮世離れしているが、ただの、人間のじいさんだ。
「ほい。誰と問われれば、わしゃ、杢草という老人じゃよ。」
 ほっほっほっ。微笑みながら、そこに身構えている人を見回す。
「なんじゃ、そのように、身構えて、獣ののようなお人たちじゃ。わしは、ここでしばらく生活しとった先客じゃよ。全員剣を佩いとるのお。修行でもしに来たか?」
 とっさのことに頭がついていかず、全員、頭をぶんぶんと横に振って答える。小燕子が、ふっと弾かれたように。
「杢草って言ったの?おじいさん。もしかして、夏狼一を知っている?」
「ん?お前さんは?」
「あたしは、夏燕。皆からは小燕子って呼ばれてる。狼一の孫だ。」
「おお。それじゃ、採雲さんは息災か?夏の奴は、どうでもいいけれど、ま、一応昔馴染みじゃ、奴も元気にしているかの?」
「う~ん。たぶん、元気だよ。この前会ったのは、半年前だからね。ばあちゃんから、聞いた話、本当だったんだ。昔、ばあちゃんをじいちゃんと取り合った人があるって。こんな皺皺のばあちゃんをって、思ったけど・・・。」
 杢草は、呆れたように。
「始めから、皺皺の年寄の人などあるわけがなかろう。採雲さんは、そりゃあ美人だったんだぞ。気はきつかったがの。どれ・・・。」
 小燕子の顔をしげしげと、眺めながら。
「かわいい娘さんだが。う・・ん。面影が似ているところもあるかのお。まあ、昔馴染みが元気そうだと、噂を聞けてよかった。」
「ねえ。何でここにいるの?どうやって、ここに登って来たの?」
「お前さんたちも、登って来たのではないか?」
 小燕子が自分たちが出て来た穴を指さす。ついでに、ここまでのいきさつを話す。
「ほう?これが、針華山まで?なるほど、仙人伝説はあながち嘘ではなかったわけか。」
「何?」
「知らんか?仙人たちは、ここと針華山を雲に乗って行き来していたっていう。」
「子供のおとぎ話じゃない。」
「だから、抜け道を知ってた者が、作った話かもしれないと思ったまでじゃ。ところで、下へ行く道を訊いておったが、ほれ。」
 杢草が、滝とは逆の方向を指さす。よく見ると、岩の影に階段らしきものがちらりと見えた。確認して、皆、呻った。
「上り降りが出来たのかあ・・・。」
 感心して、ため息が出た皆に。上までずっと、岩の影に隠れて、下からは伺えないが、と、杢草がほくほくと笑ってる。
「まったく人が現れんというわけでもない。登り降りして足腰や心肺を鍛えるにはもってこいの場所だから、武林の人間では、知っている者もいるぞ?」
 道を教えてくれた杢草に礼を言い、下界への道を行く。
 雲の上を行くように、道は続いていた。
 視界の先には、大海原のように青い空が広がっている。
 小燕子は、頬に風が当たる感覚に、わあっと顔を綻ばせる。少し、歩調がゆるくなった彼女に、何と、前を歩いていた淑人が振りかえる。ううん・・と、首を横に振り、答えの代わりに、質問を前の淑人に追いついて、ささやいた。
「まだ、何とも言えないなあ・・。」
 目を細めて、こくりと頷き、小声で。
「このまま、気ままにやっていきたいと思うのだけどな。子牙一人なら、それでも、付いて来そうだが・・・・・」
 淑人が下を見、前の方を行く雛氏の後ろ姿を見ている。
「・・・・・・・・・・・。」
 今度は、小燕子がこくりと頷く。
「後悔のないように・・とは思ってる。とりあえず、呉淑人と名乗ることになるな。」
「・・・・・。」
「姓を捨てるのは、身内の安全の為ということもあるが・・一から、自分の力でやれるとこまでやってみたいからだ。」
「・・・そっか・・・。」
 淑人がにやっと笑い。
「もう、他力はこりごりだからな。」
 本当のところは、それほど信じていたわけではないけれど、自分も詰めが甘い。やっきになって横やりを入れて来る者に惑わされて、それなら、敵の邪魔をしてやるという欲も出て、判断を誤ってしまった。対決するつもりなら、きちんとそのつもりで、旅になど出てはいけなかったのだし、ただ身軽になりたいだけなら、伝説に拘らずに、旅を続ければよかった・・。あれでよかったのか・・とか、頭の中で何度も渦巻き、今、ここに来て、すべての思いを捨て去ることにした。
 淑人は、今、ふっきれた表情をしている。
 ちょうど、彼の眼差しの先で、青い空に大きな鳥が力強く羽根を広げて旋回した。きゅっと、目を細めて、淑人が憧憬を示す。
小燕子は、一度、瞬きをして。
「うん。がんばりなよ。」
 小燕子の言葉に、淑人は、何か言いかけたけれど、うんと頷き、また、黙って、山道を降りる。やっとのことで、山を降り、川を下って、黒瀧の国に一行は、落ち着いた。
一行は、国境の町で、雛氏の娘明霞やその家人、林兄妹たちと無事、落ち合い、雛氏が用意していた屋敷で、皆、生活し始める。淑人は、一度、王に面会を求め、多大な配慮をしてもらった感謝をのべに行ったが、そのまま雛氏の屋敷に戻って来た。李鷹は、淑人について行ったが、そのまま、自分の村へ帰ってしまった。

中華ファンタジー 25

2010-03-05 10:39:28 | 中華ファンタジー
碑文の前に、鏡を納めるところがある。その横になぜか剣が突き立っていた。
淑人は首を傾げたが、それを引き抜くことはせず、そのままにしておくことにした。
そこに座り込んでいた淑人が立ちあがる。腰の剣の柄に手を添える。
「この言葉、兄上に伝えられそうもないかもな。なあ、子牙。」
 兵の気配が近づいて来る。こちらへ、近づいて来るのは、やり過ごせたとしても、ここで存在に気づかれれば、まだ、下を捜索している者たちが感付いて押し掛けてくるかもしれない。二人では、どこまでもつか、時間の問題という気がする。
「どこまでも、お伴しますよ。一暴れしましょう。」
「ああ。それなり、面白い旅だった・・悪くない時も過ごせた。間抜けな結末だがな・・さて。行こうか。」
 すらりと、剣を抜き放ち、供に、構える。
「いたぞっ!」
 槍を構え迫る兵たちの中へ、剣を持ち突っ込んでいく。白銀にきらめく、剣の刃が。二転三転と、縦横に切り結んでいく。淑人のまわりにも、子牙のまわりにも、鮮血が舞った。
 はじめにやって来た兵たちは、彼らのまわりに倒れている。だが、次にやって来た集団と切り結びつつ、少しずつだが、動きのキレが悪くなっていっているのを淑人は感じていた。ザッ・・・!槍の穂先が彼の腕をかする。袖が破れて舞い。傷に血がにじむ。
「淑人さま。」
 向こうで取り囲む兵と戦う子牙が、駆けつけようと足掻く。
「来るなっ!まだ、いける!」
 勢いのまま、一閃して近づく敵を斬り伏せる。
 じりじり・・と、にじり寄る敵。一斉に、槍をつきたてようと前に押し出されようとしたその時。シュッ・・・!バラバラ・・・・ッ!矢が、雨のように兵たちに降り注ぐ。取り巻く敵の後ろの方から、ばたばたと倒れて行った。まだ、少しばかり、敵が残っている。
「やあっ・・・!」
 敵の後ろから、シュッ・・と、風を切るような呻りが聞こえ、銀色の刃が一閃するのを淑人は、見た。ばらばらと、敵が倒れていなくなる。はっと気づき、子牙を確認すると、彼のまわりも同じように敵が倒れている。
 かわりに、見知った顔が数人、取り巻いていた。
「小燕子。李鷹お頭・・・?それに・・・。」
 驚いている淑人の前に、拱手して現れたのは、明霞の父。雛詠。
「遅くなりました。淑人さま。手勢を引き連れて、こちらへ向かう途中、公子の危機を知らせに、家へ向かう途中の小燕子と遭いまして、詳しい位置を確認出来たから、ともかくも、間に合いました。いやはや、この李鷹を里で拾っていなかったら、小燕子とも、互いに、知らずに見過ごしていたかもしれません。」
 雛詠は、詳しく理由を話す。彼が、遠方へ出かけていたのは、家人たちと川を下って、黒瀧側へ逃がす手はずを整えていたからだ。彼の郷里ではあるが、かなり、絽氏の圧力が厳しくなってきていて、逃亡する決断をしていた。密かに国境を越え、向こう側の国に住む場所を確保し、戻って来て、家族の乗る船の準備を整え、一旦、家へ帰る途中、太子の不例の報を入手した。続いて、王が位をおりて、宰相に王位が渡ったことも。親しくしていた第四公子の消息が案じられたが、ともかくも、王族が、他に害されたという報は聞かなかったので、自分達一族を避難させるほうを優先させることにし、急いで、事に当たるべく、家へ戻ってみれば、明霞から、公子たちが逗留していたと聞いたのだった。女たち足手まといになりそうな者たちは、先に船で逃げるよう指示し、慌てて、残った手勢を連れてこちらへ向かった。
「旅から戻る途中ひろった報がありまして、公子の身の上が危ないと、慌ててあとを、追うつもりで参りました。」
「私の身が、危ないとどうして言える・・・?」
 聞き返しながらも、最悪の事態を考えていなかったわけではないので、返事は予想出来た。
「無念にございますが、王が位を絽氏にお譲りなさいました・・。太子がその前に、急な病にお倒れになってお亡くなりに・・・それで、気落ちなさった王が、位を放り投げたと、民たちの間に噂が流れております。太子が病でと申しましたが、それについては疑問もあります。おそらくは、害されたのではないかと・・・。お力になりたいのですが、私はすでに職を辞しておりますし、中央にはもはや忠義の者はなくなっております。太子の次に、狙われるのは、淑人さまでしょう。他の公子がたは、覇気のない、大人しい方が多い。他は、捨て置いても絽氏には、どうということもないかと思われます。」
「父上・・・陛下は、太子が亡くなられて、黙って位を譲られたのか。」
「そのようでございますが・・・。」
「・・・・・そうか。」
 淑人は、碑の傍に立ち、しばらく見つめている。
「伝説の力を得られたのですか?それでは、なおさら、ここは一旦、国外へ逃れて再起をはからねば。」
 淑人が、黙って首を横に振る。碑を示しているので、雛氏たちが、近寄って、それを読む。
「これは・・・・・。」
「とんだまやかしだろう?しかし、ここまで保ったんだから、伝説の軍師もだてじゃないな。」
 淑人が自嘲の笑みを見せる。
「そなたたちを巻き込んですまない。本当なら今頃逃げられたかもしれないのに。再興の旗頭にはなれぬ私の為に・・・・・。」
「何をおっしゃいますか。あなたさまが、生きている限り、絽の奴は、安心出来ないのですよ。再興うんぬんはともかく、これは、中央を追われた、私にとっても、ちょっとした意趣返しになるのですよ。さあ。早くここから、立ち去りましょう。あなたを、心良く迎えると言って下さる方もいらっしゃるのですから。」
 李鷹を示す。実は、彼に、黒瀧の王の側近から、急報が来た。どうやら、いち早く鈞のようすを知った黒瀧は、国境付近に人を派遣して情報を集めていた。やって来た商人たちから、どうも太子が亡くなり、なぜか兵が多く、針華山へ向かったという。命令を下したのは、もちろん宰相の絽だが、黒瀧の王は、鈞の国情を知っているだけにきな臭さを感じて、防備に神経を傾ける一方。ふと、針華山へ向かうといった淑人のことを思い出した。巻き込まれれば、危険ではあるので、その側近に言い含めて、淑人たちを知る李鷹に鈞の国を早く出るように伝言を頼む。何なら、国境兵に保護してもらえ・・と、付け加えた。
「あの王さま、早馬まで手配してくれたぜ。」
 李鷹は、川を上ってやって来たので、雛氏の館のある里で、道を訊ね、人を救出しにいく彼らに、自分もこっちに向かった知人たちが巻き込まれていないかと心配で同行したいと、ついて来たのだ。途中、小燕子を拾い、李鷹との会話から、すべて繋がったのだ。
 頷きながら、碑を眺めていた淑人は、ふと、そこに置いた鏡を、碑の真ん中辺りにくぼみがあるのを見つけ、置いてみた。

ドーン・・・ッ!ドーン・・・ッ!ドン・・・ッ!さっきより、揺れはきつくないが、崖が振動している。壁のような崖から、つぎつぎ、岩が突き出て来、あのきのこ岩のところまで階段が出現した。
「そうか・・・。落ち延びる時の為の仕掛けか。人を生かすための策・・・。」
 驚いている皆を促し、一気に上まで駆けのぼる。
 きのこ岩のところには、洞窟への入り口があった。
下の方にまた、兵が沢山現れた。
洞窟の入り口に入りかけ、下を覗く。
「もう、次の奴が来ちゃったよ~!」
 小燕子が、叫ぶ。
「そりゃ、あんな大きな物音がすりゃあ、やって来るだろうな。奴らも、ここまでは、上がって来れる。仕掛けは凄いと思ったけど、味方以外にも使える階段じゃ意味ねえな。」
 李鷹が、淑人に向かって言った。
「・・そう言えば、退路としては、方手落ちだな・・・それとも、まだ、何かあるのか?」
「?」
 淑人が答える横で、子牙が、耳を済ませている。
「子牙?」
「・・・何か、かすかに音が近づいているような・・・・・・。」
 金属のこすれ合う音・・。兵たちの持つ剣や、身につけている武器の音か・・・。遠くから近付いて来る。おそらく、もっと多くの兵が、この谷を見つけられるのは、時間の問題だ。
「・・・うん・・・。」
 淑人が、目を瞑り、耳を澄まし、微かな異変を感じて、頷く。小燕子も、李鷹もうんうんと頷いている。雛詠は、首を捻り、代わりに下を確認して、驚きの声を上げた。
「淑人さま。あれは・・!」
 絽氏だ。
「・・・・・・。」
 彼らが、上にいるのに気づき、絽が叫ぶ。
「いたぞ。第四公子だ。あそこだ。捉えよっ!」
 指を指し、兵がわらわらと、石の階段に近づくよりも早く、子牙が駆け下りる。小燕子も、李鷹も止める間もなく、続いて駆け下りる。
子牙が、上がって来た敵を倒し、下まで駆けて行く。彼らの、気迫に圧され、兵は剣や槍を構えたまま、じりじり・・と後退していく。それを、目にとめつつ、淑人は、続いて攻撃のために降りようとしていた雛氏とその配下に。
「少し気になることがある。もしかしたら、まだ、仕掛けがあるのかもしれない。階段は一気に皆があがれないから、ここで待っていてくれ。」
 そう言い残し、自分も駆け下りる。本当のところは、巻き込みたくなかっただけで、先に逃げよと言いたかった。けれど、すなおに聞きいれられないだろう。
 淑人は、ともかくも、対決したかった・・。
考えてみれば、今まで、一度も、真正面から、対峙したことがない。
三分の一ほども行くと、絽の顔と、淑人の顔、互いの表情がよくわかる。
のっぺりとした目も口も細い、絽が、ますます目を細め、薄笑いを浮かべて、淑人をみている。
「不穏な動きをする、元、公子を早く捉えよ。早くっ。生死は問わぬ。謀反を企む奴を捉えよ!」
 兵は、その声に叱咤されて、また、ばたばたとこちらへ詰めかけようとする。
 淑人が。
「慮外者っ!王族に剣を向けるかっ!」
 大きな声で一喝すると、兵たちの動きが止まる。 
「謀反などと、どの面下げて言えるのだっ。国を奪ったのは、お前の方ではないかっ!この淑人、不忠者どもに、呉れてやる命などないっ。絽っ!」
 じろりと睨みを利かせると、兵たちは一歩、また一歩と下って行く。さすがに、絽は、表情も変えず。
「今は、私が、王です。元、公子・・。怪しげな力を手に入れ、反旗を翻そうとしているのは、あなたですぞ?」
「さすがに、厚顔無恥だな。絽。私は、ここへ、先祖のご遺志を確かめに来ただけである。よく、そこの碑を見てみろ。」
「ほう・・。」
 絽が、すぐ傍らの碑を読む。読み終わって、碑と公子の顔を交互に見比べている。
「奇しくも、お前も、自ら出向いたわけだ。読む資格はあるだろう。」
 ふんと鼻をならし、絽は。
「なるほど・・・で、公子は、ご遺言どうり、身分を捨て、市井に混じって生きていかれると・・・。全く、王家の方々は、奇特な・・・というより、無責任な。国を奪ったなどと、大げさなことを申されますが、今までもずっと、国政を執っていたのは、私ですからな。やる気のない方に降りていただいて、あるべき、姿に戻しただけでございますよ。」
「王である父上がそう決められたんなら、息子の私は、逆らわない。だが、陰湿な手で、次々と人を陥れ、今の地位を気づいた、お前などに、仕えるつもりはない。」
 淑人が、いきなり石の階段から、絽のところまで、タタっと跳躍する。剣を突き出し、目にも止まらぬ速さで絽の背後に着地すると、絽の腕から鮮血が飛び散る。今、敵の腕から流れている血。淑人の脳裡を、祁の国であった老師の歌っていた歌が占めている。王事止まず。止まなければ、多くの人が・・・。それが、淑人の心にも、血を流す。
「私は国外へ出る。だが、よく覚えておけ。陰湿なお前が狭量な行いで、民を苦しめることがあれば、必ずその首貰いに、舞い戻るっ。」
 ぷつっと、絽の首元の衣が裂ける。だが、一筋も赤い線はなかった。
ぷつっ。ばらばら・・・。髪を纏めている冠が落ち、絽の髪は、肩の辺りで広がっている。彼を始末しても、おそらく、国を放りだした王が戻って上手くいくことなどない。腹立たしいことに、この敵のお陰で、すべてがまわっていたのだから・・・。いなくなれば、国の混乱に乗じて、他国の格好の餌となるだろう。
心の内で、命を落とした兄に詫びる。
「本当なら、その命、兄の敵として貰うところだが、王が突然いなくなれば、この国は災厄に見舞われる。その腕の傷は、兄上の無念だ。消えない思いを抱えていけ。」
「・・・・・・。」
 淑人が去ろうとしたその時、絽が碑の前に突き立っている剣を抜いて、淑人を狙う!それに気付いた子牙が、横合から、その剣を叩き落とす。
絽の胸倉を掴み、思いっきり、殴り飛ばした。地面に叩きつけられた絽。それに、さらに、殴りかかろうとした子牙の拳を淑人が止める。首を横に振る淑人。子牙は、諦めて、拳を降ろしたが、絽を睨みつけたままだ。
李鷹が、なぜか、谷の坂の道をあがっていくほうを見つめている。小燕子は、絽の取り落とした剣を拾い、ぶんと振った。
「へえ。良い剣じゃないか・・。持っていこうよ。」
 淑人に話しかける。淑人は、そんな小燕子のほうを向き、ちょうど、その視線の近くに李鷹が耳を済ませているのに、気付く。自分も、そちらに意識を凝らしてみて、はっとなる。遠くから聞こえていた沢の水の流れのような音は、考えてみれば、この道を上がって行った所に位置するのではないか?
つかつかっと、倒れている絽のところへ近寄り、体を起してやる。
「兵たちをここから、退くように言え。避難させろ。もうすぐ、ここは・・・!」
 轟音が近づいて来た。淑人は、すぐそばの兵のところへ、絽を突き飛ばし、
「行け。お前たち、早く逃げろ。」
 促し、自分は、仲間とともに石の階段を駆け上がりながら、目の端に、絽を連れた兵たちがここから、立ち去りかけているのを確認する。
「淑人さま。早く!」
 すでにだいぶ上まで駆けあがった小燕子が、一番あとから、上がってくる淑人に顔を覗かせて叫ぶ。
 轟・・・!山の上の方の道を通って、水が雪崩打ってこちらへやって来る。勢いは激しく、崖が揺れて、足元が揺れ、思うように駆けあがれないっ・・・!
「うわっ!」
 小燕子が落ちかける。
「!」
 淑人がとっさに、手を伸ばし、それを防ぐ。子牙と、李鷹が同時に動き、子牙が淑人を、李鷹が小燕子を、押さえる。
あと少しで洞窟の入り口の最上段なのに、これじゃ、動けない・・・。
がたがた・・・!揺れるので一歩も動けず、そのままの姿勢で、やり過ごした。やがて、一変して辺りが静けさに、やっと顔を上げ。
「!」
「嘘だろう!?」
「うわっ!」
「水が・・・・。」
 崖の半分ぐらいまで水が溜まっている。
「すっげ~!一体どうなってんだ?」
 李鷹の言葉に。淑人が。
「再び、剣を取り戦うつもりならば、滅ぼすつもりだった・・・・のか?」
 おそらくは、急に水が流れて来たのは、碑の前にある剣を抜いたからだ。伝説にまでなった軍師その人の、心の在りように、淑人は、ぞくっとなる。
「まさか。追って来る奴よけじゃないか?」
 李鷹が、軽い調子で否定した。そうかもしれないが・・・。淑人の戸惑う顔をよそに。
「しっかし、このままじゃ、一気に水が下まで流れて、注ぐ場所によっちゃ、近くの村にまで、損害を与えないか・・?」
 言われて、よく見る。水が溜まって、大きな池のようにはなっているけれど、下に滝のように水が押し寄せていくというようなことはない。
「そうか・・・・。碑が流されて、崖と崖のあの、狭くなってる道を塞いでる。一気に下へ流れ出ることはないようになってるんだ・・・。」
 あれも、計算のうちか?はんぱじゃない人となりを見せつけられた気分だ。淑人の隣で、同じように、下の方向を見ていた子牙が。
「連中は、どうなったんでしょうか?」
 淑人が目を凝らして、下の池を見ている。小燕子は。
「誰も浮いてないから、上手く逃げられたんじゃない?さ、また、性懲りもなく追手をかけないうちに、早く、行こう。」
 始めに斃した連中は、岩でせき止められる前に、ここから流れて行ったのか・・・・。
「ああ。」
 洞窟へ足を踏み入れる。そこで、待っていた雛氏が、いきなり跪き、
「淑人さま、これからお仕えさせていただきます。絽の奴に睨みを利かせるのでしたら、それなりに手勢を引き連れて、第四公子ここにありと示す必要もあるでしょう。お手伝いしますぞ。」
 上から、遣りとりを聞いていた筈だが、彼は彼で、抱えている気持ちもあるのだろう。苦い思いをして、敵をとるのを諦めた。今更、国を二つに分けて、争うようなことにはしたくない。注意深く、淑人は。
「雛どの。私はもう、公子ではありません。若造に臣下の礼など・・・。跪かないで下さい。有難いお申し出ですが、少し考えたいことがありますから。」
「・・・・・・・・。」
 きっぱりとそれまでの口調を変えて、断られては、雛氏も頷かざるを得ない。いくつも洞窟を抜けて、黒瀧の国に入るまで、淑人は、あまり話もせず、黙って歩き続けた。

        天地一沙鷗 五へ
        

中華ファンタジー 24

2010-03-05 10:21:25 | 中華ファンタジー
『伝説を信じて、怪しげな力を得ようと思って来たのなら、残念でした、じゃよ。』

「あはは・・・。」
「しゅ、淑人さま。」
 淑人は、茫然としながらも、首を横に振り、子牙に自分が正気であることを示した。
「御先祖は、なるほど大した軍師さまだよ。確かに、伝説のおかげで、王家は予想以上に長持ちした・・。」
 実際のところ、実権が浮いた形で、王が、政務を取らなくなって長い。そうなっても、あまり不都合に感じず、過ごしていた王が続いていた。
「確かに、国を動かしているのは、今、宰相の絽氏だ。王は、国の実態など知らない。正直な話、省みない。・・・これじゃあ、民からみれば、どちらが王でも変わらないないじゃないか。」
「しかし、絽宰相のように、邪な形で、国を乗っ取ろうとする奴が、果して、良政を布くでしょうか・・・。」
「・・・・・・そうだな・・・。ともかく、この言葉を、兄には伝えられればなあ・・・。」
 淑人が碑を見上げているので、子牙も見上げる。

『役目を終えた者は、それを返上し、速やかにそこから去るべし。

見苦しくしがみついたとて、それがお前に何をもたらしてくれるというのだ。
子孫よ。ここへ、来たということは、おそらく権力の座を不本意なかたちで追われて、辿りついたのだろう。そうでなく、穏やかな状況のもとでここへやって来たというのなら、お前の子孫へ伝えるがよい。
 失ったと思っているその座は、もともと、王のために働いた私への功績の賜物。人が安寧に住める世を・・という志を受け入れて下さったのは、我が王だ。封地を受け取ったが、それが己が死んだ後の世も永遠に有効とは思わない。当初、そこは、広がる自然があるばかり、人の住める城市は何も無く、そこを開墾し、人々が住める所とし、点在する城市に人のつくる社会に必要な秩序をもたらす為に、旗頭となるものはしばらくの間、変らぬほうがよいと考えた。安定するまで、権力闘争などという無駄な努力が起きないようにと、私が人ではなく、仙人だという陰口をたたかれていたのを利用したのだ。だが、時の流れは、おおよそ途切れることなく続き、容赦なく、世の中も巡って行くもの。永遠に続く命などないように、権力の座も永久に保持することなど叶わない。移ろい行く世の中の流れに逆らわず潔く鉾を置け、子孫。
ここへ来たのは、我が家が、その役目を終えたからじゃと心得よ。
正直に言おう。私は、天地の間に生を受けた一介の人であって、仙人などではない。
だからこそ、こう思うのだ。一介の塵として過ごせ。我が愛する子孫よ。

鏡も役目を終えた。この下に置いて去れ。

飄飄何所似。天地一沙鷗。(この漂泊の身は・・天地の間をゆく一羽の鷗のようだ)

人にはそれが、寂しい絵を思い抱かされるだろうが・・・。
天地の間をカモメは、彷徨っているように見えるが、その実、彼らは何も思ってなどいなかろうよ。ただ、己の生を生きるのみ。だが、この広い天地、カモメが舞い降りる一片の地は、どこかに存在するだろうさ。飄飄と、力強く生きて行け。

己の命のあることを感謝し、再び、この剣を取ることのなきよう願う。』

 
 手の中にある鏡を見つめる。瞬時、回想が浮かぶ。
そこには、かつての幼い自分の姿が映っていた。


父王をひどく詰った自分。間に入って、宥めた兄は、あとで、伝説へとつながる書庫の鍵である鏡をくれた。「お前が持っているほうがいいかもしれない。」
書庫の、中身は、期待したようなものではなかったけれど・・・力をつけて、王宮を飛び出す決心をした時、ここから出たいと強く願うきっかけになったそれが、思い浮かび、目的にすることにした。兄にだけは行き先を話したのだ。
どんなものが出て来るか、必ず結果を持ち帰ると、約束した・・・・。
 滅びの時をまっているような静かな笑顔から、目を逸らしたくて、淑人は飛び出してきた。信じているようで、信じていない約束。今にして思えば、ただ、自分だけがやみくもにあがいていたのか。まるで、子供だ。こんなものに、すがろうとしていたなんて・・・。結果は、惨敗だ。けれど、後悔はしていない。淑人は、鏡を置いた。


中華ファンタジー 23

2010-02-26 10:13:34 | 中華ファンタジー
 奇景色が目に映っていた。
 頭の方は雲の上。裾野を引いて、聳え立つ、複数の切り立った頂きがみえる。
 それらのすべてを称して、針華山という。
 時に崖をよじ登り、駆け下りて、沢を渡り、濃い山の裾の林の中を彷徨う。この山に入る前に、淑人が示した絵に似た頂の岩を探して、すべての山を駆けずり回った。
もう、あとこれで他に山はない・・という所まで来て、どうも大勢の気配がするこことに気付いた。物影に身を潜めて、目を凝らすと、鈞国の兵らしき者たちがうろうろしている。
「急げ。第四公子を捉えろと、宰相閣下の御命令だ。この山にいるとのことだ。」
 隊長がそう叫びながら、兵たちを指揮している。
 彼らの姿が見えなくなると。
「まさか、書庫の資料は始末して来たはずなのに・・・・。この場所が漏れるなんて。」
 一瞬の疑惑。ここを目指すと知っていた人物の顔がいくつか浮かぶ。茫然としていると、
小燕子が、ふるふると首を横に振り。
「もしかすると、黒瀧から国境を越える前に、馬車を置いて来た町で、姿を見られたのかも。ほんの小さな町だけど、あそこは、商人たちがいっぱい行き来するからね。」
 ふうっと、息を吐き出し、淑人は。
「・・そなたの方が、よほど人を見る目があるようだ。私は、一瞬、関わった人たちを疑ってしまった。恥ずかしい。」
「でも、その後、ちゃんと否定出来る材料が思い浮かんだんでしょう。淑人さま。」
「!」
 小燕子にそう言われて、大きく目を見開く。心の内を読まれて、ふ・・と、淑人は唇に笑みを滲ませた。
「まあ、宝探しには、邪魔はつきものだから。でも、宰相閣下だって、金持ちなのに、欲張りだね。淑人さまは、違うみたいだけど・・・。」
「宝か・・・。確かに、王族にとって、宝とは言ったが、金銭に換えられるものじゃない。」
「え?違うの?」
「実は、王族にまつわる言い伝えがあって・・・。国を失い、我らに何かある時には、初代の不思議な力を得られる方法があるという伝説があるんだ。初代を・・知っているか?」
「え?あの仙人だったかもしれないという?」
 正しくは、初代王ではない。今は、様々な国に分かれてしまったけれど、過去には一度、大きなひとつの国だったことがある。その時に、大陸を統べた覇王の軍師だった彼は、王の偉業を助け、この国を領地としてもらったという。当時は、人も住まない未開の地。そこを立派に多くの人が住めるように、治め、臨終の際に天へ登っていった巷間に伝わる逸話の持ち主だ。もともと、仙人だったのではないか・・・と言われているが、彼の子孫にもその素質は受け継がれていると思いこまれていて、祟りがあるかもとかそんな理由で、その為に、一時期、政治を壟断するものが現れても、王家が、廃されることもなく続いて来た所以だ。
 しかし、時は多く流れ、その伝説の効力も切れかかっていた。
淑人のみるところ、時間の問題ではないかと思っている。
「場所を示す物は、王か太子しかわからないところへ仕舞われていた。必ず、自力で取りに来るようにと書かれていた。私は、こられない兄のかわりに、取りに来たんだ。」
 淑人も、ことの信憑性を疑ってはいたが・・・。これだけ、宰相のやつがやっきになっているんだ。これは、本物かもしれない。ここへ来て、そう思うようになった。
「え・・でも、自力でしょ?その人が、王さまになれるとかじゃないの?」
「そうかもしれないが、その時は、一旦登極して絽氏を遠ざけてから、王の座を返せばいい。それに・・私は、不思議な力なら、補佐するのに使っても良い筈だ・・・・・。」
「う~ん。よく、わからないけれど、じゃあ早く辿りつけばいいんだね。」
 淑人は、首を横に振り。
「小燕子、そなたは一人でここから、逃げろ。子牙には申し訳ないが、ここからは、私たちで行く。そなたの存在は知られてはいないだろうから、巻き込むわけにはいかない。」
 こんなに数が多くては、帰りも困難が予想される。諦めて確かめずに逃げてもいいのだろうが、確かめなくてはならないと、淑人は思っている。
不確かなことだ。それに、彼女を巻き込みたくはない。
「嫌だ。あたしも行く。ここまで来て、仲間を見捨てて逃げられないよ。」
「小燕子。お願いだ。敵は、そこいらの賊とは違う。」
「だって、李鷹お頭の村では、隣国の軍も相手に一緒に、戦ったじゃないか。」
「あの時は、退路もあったし、李鷹たち他にも戦える者はいた。それとは、一緒に出来ないんだ。兵たちに囲まれれば、女のそなたの負担ははげしくなる。誰だって、見た目、弱いところから、攻めようと思うだろう?」
「嫌だ。」
「小燕子・・!」
「・・・!」
 ぎゅっと、淑人の手が、小燕子の手を握る。
「そなたに傷ついて欲しくない気持ち・・わかってくれ。」
「・・・・・・・・・・。」
 小燕子の頬に涙が伝う。あ、あれ・・・?どうして?小燕子は、それ以上、食い下がる事も出来ず、頷いてしまう。
「見つからないようにはするから、大丈夫だ。ここまで、ありがとう。戻ってくることが出来たら、国を取り戻す事が出来る。そうすれば、大手を振って、いつでも、王都に会いに来い。待ってるぞ。」
「・・・本当?きっと、無事にやり過ごせる?・・・そうだね。淑人さまは、かしこいもん、二人の方がいいって、策があるんだよね。きっと、大丈夫だよね?」
「・・・小燕子。」
「わかった。じゃあ、会いにいくから、またね。子牙どのも。」
 子牙は少し、驚いた顔で、涙の乾いていない小燕子の顔を見ている。
「心配するな。淑人さまには、私が、ついている。それより、小燕子も、姿を見られないように逃げろよ。兵たちと悶着を起こすと面倒になるぞ。」
「うん。大丈夫。じゃあ。」
 小燕子が、木の茂みに身を隠し、どこかへ姿を消して行く。淑人たちも、山の頂をめざすべく、追っての追及を避けて、上へ登っていった。
はやく・・・。はやく・・・。どうにかして、助けを連れて来なくっちゃ・・・!
 淑人たちと、分かれたあと、小燕子は、走る。山裾を、見つからないように、駆け、目指すのは頭に浮かんだ数日到来した雛氏の館・・・・!それしか、思い浮かばず、藁をもつかむ思いで、駆けていた。



 捜索の兵たちに見つかることもなく、山の中ほどまで来た時、見覚えのあるその岩のかたちに淑人と子牙は、足を止めた。岩のある、その山は、他の山ほど針の山のようには細く尖った形ではなく、その分、広がった地形で、道もぐるぐると迷路のように存在している。こんな山奥の人も来ないところに、不自然に作られた道が存在していた。道が木の枝や雑草に隠れて、よく見ないと入り口が見えない分岐点がいくつかあり、ぐるぐると、幾度となく迷いながら辿りついた。切り立った崖に挟まれたようなその場所は道が少し広くなっていて、広場のようになっている。がけの、中腹のほうにまるで木の幹になる平らなきのこのように、三枚の岩が突き出ている。三枚の岩の位置は、高低差があり、少しずつ、ずれて、階段のような趣すらある。
「淑人さま。ここのようですが、何もありませんね。あの、目印の岩には、仙人でもなければあがれそうもありませんし・・・。」
「そうだな。あの岩のあたりの下をともかく、探ってみよう。」
 そう言って、がけのほうに近寄る。
 崖に刻まれた模様のようなものを見つけ、淑人の足がとまる。鯉が水しぶきをあげて、滝を登っている絵。よく見ると、その鯉の目は、細い穴が開いている。
 しばらく覗いて見ていたが、首を振ってため息をつく。懐から、あの目印の岩の絵が描かれた掌に入るほどの小さな鏡。針華山と書かれ、それは、王宮の書庫の扉の奥に、ほんの数行の文字の書かれた書簡とともに、置かれていた。

『必ず自ら訪れよ。
王家の滅びる時、この鏡を持って、この見覚えのある場所を探せ。』


そう記されてあったので、大事に懐にしまって持って来た。何か、鍵になるかも知れないと思い出してみたのだが、何も、この絵と一致するものはない。
絵の前で、くるくる表裏を返す。ちかっ。鯉の目に、光をみたような気がして、淑人は、首を傾げ、鏡を傾け、太陽の位置を測り、鯉の目にちょうど反射する光が来るようにしてやる。ちかっ。赤く輝き、次は、どうしようかと考えて、しばらく、そうしていると、突然、轟音が辺りに反響した。
「しゅ、淑人さまっ。崖が・・!」
「わっ。」
 足元が揺れる。
 ばらばらと、崖のあちこちから、崩れた土が降り注ぐ。
 淑人も、子牙も、慌てて、真ん中の方に移動する。
 揺れが収まる。用心して、崖を見上げると、壁に開いた穴のように、無数の穴が開いている。そこから、水が流れおちて来た。流れて来る水は、勢いがあるわけではないけれど、下に落ちると、皆、中央へ向かって来る。
「子牙、中央がどうやら、低くなっている。少し離れよう。」
 水はどんどん流れて来て、渦を巻き、回転する力が、ぐんぐん勢いを増す。
 ドーンという音がして、渦が巻いている真ん中から、大きな石の碑が浮き上がって来た。
「これは・・・・。」
 淑人は、瞬きも忘れて、その書を最後まで読む。トスン。水の中に、力なく座りこんでしまった。

中華ファンタジー 22

2010-02-26 10:10:15 | 中華ファンタジー
 淑人の体調は、すぐに回復し、明日早々に出立だという、夜。
 邸内にながれる琴の美しい調べ。今まで、聞いたこともないような、哀切な調べに、小燕子は、ふらふらと自室を出て、琴の音のする方へ向かった。
 ひらひらと部屋の仕切りの薄い帳が、風に揺れる向こうで、結った髪に花を飾った明霞が琴を奏でている。伏せたまつ毛の長さや、透き通るような白さの肌が、佳人という言葉を連想させる。明霞が、人の気配に気づいて、手を止める。
「あら。小燕子さんじゃないの。」
「綺麗な音色だね。」
 でも、悲しそうだ・・・と、心の中で思った。小燕子は、手招きされて、室に入る。きょろきょろ・・と見回して、あれ?と首を捻る。てっきり淑人の姿もあると思っていたのだ。明霞が、少し小首を傾げ、それと気づきほのかに微笑した。彼女が、ちょっと首を横に振ると。
「淑人さまと、一緒にいなくていいの?許婚なんでしょ?しばらく、また、会えなくなっちゃうよ。」
「いいえ。お話は流れてしまったから・・・。父は、半ば政争に敗れて、郷里に籠っているのだから、普通に第四公子さまが、ここを訪れることはもうないでしょう。それに、このお話は、淑人さまが望まれたわけではないから・・。」
「・・でも、明霞さんの気持ちは?」
「え・・?私の・・・。」
「うん。どうしたいとか、ないの?」
 明霞は、目を見開く。小燕子をほんの少し羨むような目をして。
「どこへでも、自分の力で行ける小燕子さんらしい、質問ね。・・あなたが羨ましいわ。」
「何で?」
 明霞はそれには答えず。
「・・・きっと、私は自分に自信がないのね・・・。」
 と、呟く。
「明霞さんって、綺麗な人じゃない。男の人のいう、あこがれの女って感じだなあって。お姫さまだもの。さっき琴を弾いている所を見てて、思ってたの。」
「まあ。ふふ・・。」
 小燕子の話し方が面白かったので、明霞も少し、微笑んだ。名家の美人で有名な彼女は、人の賛辞には慣れている。けれど、淑人さまにとっては、すぐに忘れてしまえる程の存在だった。それに比べて、小燕子は、剣を携えて、供に行くことを望まれる。それが、男女の情ではなくても、明霞には羨ましく思える。それに・・・・淑人さまが、本当にどう思ってらっしゃるかは、分らないのだわ。でも、それは、敢えて口にしない。だって、小燕子さんは、一緒に行けるのだもの。明霞は、小燕子の手を取り。
「どうか、無茶をなさらないで、無事にお戻りになってね。」
 小燕子は言葉もなく、頷いた。それは、淑人に向けられた言葉だったから。
いつもなら、「何言ってるの。自分で言っておいで。」とか、「よし、わかった、必ず、あんたの所へ、無事に連れて帰るから。」という言葉が出て来ただろう。けれど、何故か、言葉を紡いではいけないような気がしたのだ。明霞も、それ以上は、話をしなくなり、黙々と、琴を弾き続ける。小燕子は、外へ出て、月を見ながら、その音を聞いている。言葉以外のものが、心を語たることもあるのだと・・めずらしく、しんみりしながら・・。


 翌日、まだ、日の出る前に、出発する。「世話になった。」と、礼を述べる淑人に、家人を代表し、明霞も「この先の旅の平安を祈っております。」と、あっさりと、別れる。背を向けて歩き始めた淑人たちに、遅れて、小燕子がちょっとまごまごしている。明霞の顔と、淑人の後ろ姿をきょろきょろ見、ふと、傍らの愛玲がうんと、小燕子に頷く。私に任せて、あなたは、行ってと、身振りで合図しているので、任せて、自分も淑人たちのあとを追う。
 子牙が、どうしたのだという顔をしているので、小燕子がううん、何でもないと首をよこに振る。そのようすも目に入らぬようで、明霞は、じっと、立ちつくしていた。
 愛玲の兄、綜徐が。
「どうしたのだ?小燕子も、明霞さんも。」
 すると、愛玲はここぞとばかりに大仰にため息をついて。
「兄さん。はやく、お嫁さんもらいなさいな・・・。はあ、どうして、こう揃いも揃って、女心がわからない人たちばかりなのかしら・・・。」
「?・・・ああ、なるほど。でも、仕方ないじゃないか。果さねばならないものがあるならば。危険は避けては通れないし、そんなところへ、大事な人を連れてはいけないじゃないか。」
「まあね。ところで、兄さんは、恩人の為に、ついていかなくてもいいの?」
「そりゃ、私の体力じゃ、逆に迷惑をかけてしまうだろう。そのかわり、戻ってきたあとで、使って貰えるように、約束をしたぞ。体力仕事以外なら、私でも、役に立つこともできるだろう。」
「・・そう。ただの旅じゃないのかしら・・。無事にお帰りになるといいけれど。」
 愛玲は、そう言い、いつのまにか、こちらを向いていた明霞の手を握り、寄り添う。
「無事に目的を果されるかしら・・・。」
 と、呟く明霞に。
「きっと・・・。お戻りになって、ここへもお立ち寄りになりますよ。」
 慰めるように、静かに言う。小燕子も、どうか無事でいてね・・と、愛玲は、友達の為に、心の中で祈る。

 姿が見えなくなるまで、見送ってくれる彼らをあとに、淑人たちは、まっすぐに針華山へと歩いて行く・・・・。

中華ファンタジー 21

2010-02-26 10:06:33 | 中華ファンタジー
 あと、もうすぐ。そんなことを思ったのに、何故か、こんな人里にいる。
 確かに、大変な思いをしながら、針樺山へ向かう峠は越えた。けれど、さあ、山へ踏み込もうとした時、淑人が体調を崩し、熱を出してしまった。その辺りの、ふもとに、集落があることを知っていた小燕子に導かれて、子牙に背負われて、そこの村に足を踏み入れる。たまたま、そこには、淑人を知る者の屋敷があったのだ。
 淑人は、その屋敷の一室に寝かされている。
「ここは・・・?」
「気がつかれましたか。まだ、動かれてはいけません。だいぶ、熱に浮かされていたのですよ。」
「君は・・・確か、林綜徐・・だったか。それに、どうして、明霞がここにいるんだ。」
 明霞は、淑人の許婚だった女だ。その隣には、綜徐の妹の愛玲の姿も見える。
「私は、母方の遠縁を頼って、こちらへ身を寄せていたのです。明霞さんの父親が、一族を引き連れて、郷里に引きこもってしまっていることは、ご存じでしたよね?」
 表立ってではないが、政争に敗れた形で、王の許を潔く辞し、郷里に帰ってしまったのだ。国政を牛耳っているき絽氏と明霞の父、雛氏は揉めた。なかば。追い詰められて蟄居というふうに、衆人の目には映った。公子と明霞の婚儀の話もながれ、その時に、淑人と雛氏の連絡の糸は切れている。
「そういえば・・・このあたりだったのか・・・。」
 公子が望んだという婚約でもなく、自動的に重臣の娘を娶ることに決められたもので、普通なら、婚礼まで、相手の顔を見ることもなかっただろうが、雛氏は、この第四公子が気にいっていたので、自邸に招くこともあった。そんなわけで、明霞の顔は、覚えていた。
「今、父は所用で遠方へ出かけておりますが、どうぞ、気兼ねなく、ゆっくり療養下さい。
ご一緒の方々も、お客人として大切に応対させていますから、どうぞ、ご安心ください。」
 明霞がほのかに微笑む。どこか、さびしげな雰囲気・・・こんな、女だったか?淑人は、頷いた。
「けれど、ここに、迷惑をかけるわけにもいかぬ。すぐにここを発つから・・・」
 国に戻ったら、淑人は追われていることには違いない。おまけに、林もいる。
彼のそんな焦りを知らずに、林は。
「そんなお体では無理です。動けるようになってからでないと、針樺山などには登れませんよ。」
「・・・・・。」
 沈黙が満ち、そばで見守っていた愛玲が。
「あ、私。小燕子たちを、呼んで参りますね。お付きの方も、ずっとついてるって、がんばってらっしゃったんですけれど、お二人も、疲れてらっしゃるように見えたから、無理にでも休むようにと交替したんです。お待ちくださいね。」
 そう言って、ぱたぱた・・と室の外に、駆けて行った。



 子牙に声を掛け、愛玲が小燕子のもとにやってくると、何やら、声高に女たちと揉めている声がする。
「うぎゃー。そんな、ごちゃごちゃしたものなんか着れないよ~!お願いだから、もとのあたしの服返してよ!」
 小燕子は下着姿のまま、柱に隠れるようにして、ここの侍女たちとにらめっこの状態だ。
 愛玲が目を丸くする。「あら。大変。」同時に、入室しそうになっていた子牙を、戸の外で待っているように、押しとどめた。
 愛玲が入っていくと。
「ちょっと、愛玲。何とか言ってよ。」
「ねえ、どうして逃げ回ってるの?」
「愛玲。この人たちの誤解を解いて~。あたしは、淑人さまの愛人なんかじゃないって、ただの、旅の仲間だって、信じてくれないんだ~。」
 柱にへばり付いてる小燕子を、引きはがそうとしている中年の品の良い侍女が。
「また、そのようなことを。未婚の女子が一人で男の方たちと、旅を供にするなんて、そのようなこと許されるはずがありません。明霞さまは、ご一緒の、あなた方を賓客としてもてなすようにとおっしゃいました。きっと、あなたが公子さまの大切な方だからでございましょう。それとも、子牙さまの奥方ですか?あの方も、王都へ帰れば、それなりの家のご出身ですから、いずれにしろ、そんな、粗末な形でおられては、賓客としてとおっしゃった明霞さまに、申し訳がたちません。さ、子供みたいな駄々をこねないで、早く、装いを改めなさいませ。」
 他の人より、年配の彼女は、侍女頭だろうか?痩せてはいるけれど、どこか、重々しい感じだ。
「だから、違うって言ってるじゃん。愛玲~、助けてよ。」
 愛玲はくすりと笑って、侍女から、上質の軽い布地で出来た桾子(スカート)を受け取り、
「小燕子の着て来たのは、破れていたわよ。これなら、裾に少し刺繍がついてるけれど、下に、袴子(ズボン)を合わせても、動きが妨げられることはないんじゃない?上衣は、そうねえ、少し袖が広すぎるかしら。悪いけれど、筒袖のものを用意してあげて、下さらない?この方、剣をお使いになるの。それから、護衛なのよ。」
「え?女の・・・ですか?」
「ええ。私も、王都で助けていただいたの。身軽で、すごい腕なのよ。ですから、身動きの取れない格好は、困るのよ。」
「・・・そんな方も、いらっしゃるのですねえ。わかりました。お任せ下さい。」
 そう言って、侍女は何やら、ばたばたとどこかへ、走って行って、戻って来た。小燕子に、淡い空色に染めた筒袖の上衣を渡し、同じ色の袴子を渡す。その上から、先ほどの明るい菫色の桾子を身につけさせると、鮮やかな桃色の組みひもを小燕子の腰に帯どめのように、巻きつける。前で、かわいい花の形に止めた。
「いくら、護衛といっても、若い娘さんなんだから、このくらいは、許されるでしょう?それから、髪も梳かし直しましょう。」
「い、いいよ。自分でやる。」
「いけません。さっ。」
 愛玲に助けを求めたが、彼女はちょっと頭を振って。
「その方、髪を結うのが上手いのよ。やってもらいながら、覚えればいいわ。」
「・・・・・・。」
 動いた時に、くずれないようにと、いつもの両端で結んでいる髪型と基本的には同じ、だったが、みつあみの束をぐるりと回して、真っ直ぐに垂れている髪と、一緒に垂らす。みつあみの端に止めたかわいい紐が、かざりになって、見た目が華やかだ。
「あら、かわいい。」
 愛玲の言葉に、侍女は、満足そうに頷く。小燕子は、みつあみの端を、つまみ。
「変じゃない?」
「どうして、大丈夫よ。さ、公子さまのところへ、参りましょう。気がつかれたのよ。」
「・・・うん。」
 行きかけて、侍女に。
「綺麗に結ってくれて、ありがとう。くすぐったくて、久しぶりに、母さんといたみたいな気分だった。」
「まあ。」
 侍女が、頭を下げ見送る。
 愛玲に伴われて、小燕子は、淑人のもとへ急いだ。


 子牙や小燕子が室に入って来ると。
「すまん。肝心の私が足出まといになるなんて。」
 開口一番、淑人が言った。子牙は、首を横に振る。
「仕方ありません。淑人さまは、旅に出られることなど今までなかったのですから。まして、いくつも戦闘をこなして来られたんだから、疲労が貯まっていたのでしょう。」
「子牙だって、同じようなものだろう?」
「私は、淑人さまにお会いする前は、兵卒として戦闘も経験していますから・・・。そういえば、慣れなくて、ぶっ倒れる者がよくあるということを忘れていました。どうも、配慮に欠けていましたね。」
 横から、小燕子も言い添える。
「淑人さまが、旅が初めてなんだってこと、忘れてたよ。李鷹お頭の村での戦闘だって、ばしばし、指示をだしちゃってさ。ぜんぜん、平気な顔だったもん。ごめんね。案内人なのに、無理させちゃって。」
「いいや。女の小燕子にも出来ることだからと、思っていた。私も、油断があったのだ。すまない。」
 まだ、だるさが抜けない、そんな顔で笑みを見せた。
「ゆっくり休んで早く、快くなってね。」
「小燕子、ずいぶんかわいい格好させてもらっているじゃないか。そなたも、野宿の連続で、大変だったろう?子牙も、ここで、ゆっくり羽根を伸ばさせてもらうといい。雛氏は、絽氏の意のままになる人物ではない。安心して、二三日、世話になることにしよう。明霞、父君が留守中ですまぬが、よろしく頼む。」
 子牙たちの後ろに下がっていた明霞が、ふるふると頭を振る。
「どうか、そのようにおっしゃらないで下さい。・・・私、もう、淑人さまには会えないと思っておりましたから、こんなかたちでも、お会いできて、うれしいのです。淑人さまが大変な思いをなさっているというのに、すみません。」
 ぺこりと頭を下げて、言葉を詰まらせた。沈黙が広がり、明霞は、慌てて。
「薬湯を今、お持ちしますね。子牙どのも、小燕子さまも、もうお食事はお済みになったのかしら?」
 小燕子が首をちょっと傾けて、ぶんぶんと顔の前で手を振る。
「あ、明霞さんも、さっきの侍女たちみたいな勘違いしてないか?あたしは、ただの道案内だからね。さま、は、いらないから。おかしな気遣いはやめてよ。」
「え・・?そうですの?」
 子牙と淑人を交互に見る。子牙が、頷き、小燕子もここぞとばかり、ぶんぶんと首を振って頷く。
「ま、そういうことだし、ここに雁首揃えてても、ゆっくり眠れないだろうから、明霞さんに全部任せて、あたしたちは、ほら、朝ご飯食べに行こう。愛玲、綜徐さんも、行こう。」
「あ・・ああ。」
「そうね。」
 小燕子がふたりを連れて、さっさと部屋を出て行くと、
「今は、何も考えずにゆっくりお休みください。では。」
 子牙もそう言って、出て行く。残された明霞は、淑人をちらりと伺ったが、何も言えず、薬湯を取りに行くといい、自分も部屋を出て行った。

中華ファンタジー 20

2010-02-26 10:02:16 | 中華ファンタジー
 四
 暴爆と、天から落ちる水。目に飛び込んで来たのは、そんな景色だ。
 ざあ・・というよりも、轟。滝壺にたたきつける水の勢いは、豪快だ。それまで薄暗い山道を抜けて来たので、一瞬で明るく開けた地に踏み出し、一番に目に映ったのが、広がる林の向こうの、この長い滝だ。わあと、気持ちが高揚し、林を急いで通り抜け、近づけるとこまで行ってみると、圧倒されるこの景色に言葉も出ず眺めている。滝は、天まで登るかと思うくらい高い山の上から一気に落ちて来ている。滝のある山は、いきなり地面から隆起したような不自然な盛り上がり方で、頂上まで木も生えない崖が続いていて、人が登ることなど不可能だ。それでいて、遥か山のてっぺんだけは、丸く木や草が生えており、そこに神仙が住んでいる場所のようにさえ感じられる。この辺り一帯には、そんな山々が点在し、その下に濃い密林が裾野を彩っていて、道も川の両脇にあるものしかない。その川は、鈞の国に入る前に、二つに分かれ、一方は針樺山の方へは行かず、比較的低い山に守られた地の方へ行く。流れも穏やかで、こちらの方が、通常商人たちの使う道筋だ。小高い山を抜ければ、すぐに人の多く住む町へ出られる。通る時は、小燕子も、そちら側の道を採る。けれど、今回の目的は、針樺山だ。そちら側へは、船は使えず、人が一人通るのがやっとの道が続いているだけなので、荷車は当然通れない。
 馬車をどこに置いていこうとか、算段しなければならないのだろうが、そんなことはお構いなしに、無邪気に、滝から少し離れた水辺で、小燕子は、水と戯れて遊んでいる。
 釣り糸を垂れていた子牙が。
「おい。小燕子、静かにしてくれ、魚が逃げるだろう。今晩の飯がなくなるぞ。」
「え~、それは困るなあ・・。ね、その網、ちょと貸してよ。」
 子牙の座ってる所に置いてあった、魚を掬う網の持ち手に手を掛ける。
「まだ、釣れてないぞ。」
「違うよ。ちょっと、待っててね。」
 網を持って、川岸に立つ。向こう側は、大きな岩が突き出ていた。じっと水面を眺めていたが、急に、ぱっと跳躍して、その途中、さっと川面を掬い、くるりと器用にも網は固定したまま体だけ宙返りし、向こうの岩へ着地した。また、こちらへ戻って来ると、網の中には、魚が入っている。小燕子は、何度か、同じことを繰り返した。
「ほら、夕飯。」
「まるで、水鳥が餌を獲ってるみたいだな。お前さん、つばめじゃないか・・。そんな芸当が出来るなら、早く言ってくれ。」
 呆れた声を出し、釣り糸を垂れていた子牙が、竿をしまう。
「渡り鳥だって、餌を自力で獲って来なきゃ、旅なんか、続けられないじゃん。ここ、とっても水が澄んでるから、魚の姿も見えるんだもん。」
「それも、そうか・・・?」
 軽口をたたき合いながら、ふたり、たき火を熾し、調理するため、働いている。途中、子牙は後ろを振り返り、淑人がまだ、同じ場所で釣り糸を垂れているのをしばらく見ていたが、黙ってまた、作業に戻る。小燕子が。
「黒瀧国に入ってから、淑人さま、時々ようすがおかしいね。」
 淑人は、心ここにあらずといった顔で、ぼんやりと座りこんでいる。おそらく、こっちの会話は耳に入ってなかったのではないか・・。
「何か思うところがおありのようだ。少し、そっとしておいてあげてくれ。」
 主のようすがおかしいのは、正確には、あの国境の村を出てからだ。いや、あの戦いの後からからか・・・。付き合いが長いだけに、子牙の方が彼の変化には、早くから感付いていた。
「あ、おい。」
 子牙の言葉をよそに、小燕子が、とっととっと・・・もう、走り寄って行ってしまっている。
「ねえ。糸引いているよ?」
「え?あっ、ああっ!・・・重っ!」
 小燕子に促されて、慌てて魚を釣り上げようとした淑人は、その魚の勢いに、川に引きずりこまれそうになって、踏ん張る。
「がんばれっ。淑人さまっ。」
「ぐっ・・・・・」
 思い切ってぐっと、引き寄せる。
 ばしゃっっ・・・・・!滴を飛ばし、川面から、巨大な魚が自ら姿を現す。ぶちっ。糸を切って魚は宙を飛び跳ね、ざざっと大きく水面を叩いて、噴水のように水を空に舞い上がらせた。
「わあ・・・!」
 ばしゃっと、バランスを崩し、川にはまってしまった淑人。その頭に容赦なく、魚の尾が叩いた水面の水が降りかかる。
「淑人さま、大丈夫?」
「・・・・・・・。」
 びっくりして声もでない。そんな感じだ。びしょぬれで、川から上がると、同じように、水に濡れてしまった小燕子に笑いかける。
「びしょびしょだな。それにしても、大きな魚だったな。」
 どのみちあんな頼りない糸では釣れるはずもないか・・・。思っていると。小燕子は、水に濡れた顔を手でぬぐいながら。
「惜しかったね。あんな人の大きさほどもある魚だったら、干して保存食にでもしたら、しばらく食の心配はなくなったかも。あんな細い糸によく引っ掛かったと思うけど。魚が姿を見せた時は、何だか、わくわくしちゃったね。」
「・・・・・・・・!」
 そう、それだけのことなのだ・・・。無邪気に言った小燕子の言葉に、淑人はここ数日来のもの思いに、突然、思い当たって、心の中で頷く。たまたま、大きな魚が釣れそうだったので、わくわくしただけのことなのだ。ふっと、腹の底から爽快感が湧いて、笑いながら、小燕子の泥に汚れた頬を指で拭ってやった。
「汚れた袖で拭うから、頬にも汚れがついているぞ。」
「えっ。あ、そ、そうだね・・・・。水は沢山あるんだから川で、顔、洗ってこようっと。」
 そう言って、そそくさと、川の水で顔を洗い始めた。何だろう?ふと、感じたこともない気持ちが湧いたような気がして、小燕子は顔を洗う手をとめて、ちょっと首を傾げる。
「それより、早く着がえたほうがいいぞ。」
「あ、うん。淑人さまこそ、早く着がえた方が良いよ~。ついでに、それ、洗って乾かしたらいいかな?一緒に、洗ったげる。」
 戻ってきて、そう言うと、そばで子牙が、「私が。」と言ったので、淑人は首を横に振り。
「かまわん。自分でやる。」
 小燕子に、馬車で着がえるように促し、自分は、外で着がえた。洗いものも、自分ですませて、その辺りの木の枝に干し、戻って来ると、子牙を手伝い始めた。
 小燕子が。
「淑人さま。身の回りのことも大概自分で出来るようになったね。」
 武芸や学識があっても、公子の身分では、衣食住のことに関しては、用意されて当たり前なことばかりで、旅の始めの頃は、出来ないことが多かった。
「自分に必要なことは、出来たほうが格好いいだろう?それに、そなた達には、私の旅に付き合ってもらってるんだ、出来るだけ、個人の負担は軽くしなければ。」
「・・・あの、黒瀧の王さまも変わってるけど、淑人さまも、変わってるよね。無暗に威張らないし、偉い人って、周りの人の生活なんか、目に入らないのか・・って思ってた。淑人さまは、酷い目にあったのに、村の人助けたりなんかして。」
「あの場合は当然だろう?まあ、旅に出なければ、知らずにいたこともあって、同じ場面に出くわしても、山賊稼業なぞ、見下して終わりだったかもしれないが。」
「ふうん?でも、同じものを見ても、一生気づかない人もいるよ。きっと。それが、淑人さまだからじゃないの?」
「・・・・・・そうかもしれない。本当は、王族なんかやってるより、こうして、ばたばた走りまわってるのが、性に合ってるのかもな。」
「じゃ、目的を果たしたら、今度は、目的のない旅にでればいいじゃん。」
「それも、ありかもな。」
 焼けた魚の串を小燕子に渡してやり、あと二本を、たき火の傍から引き抜く。
「子牙。ほら。」
 黙ってこちらを見ていた彼にも、渡し。彼が物言いたげな顔をしていたので、首を傾げると、子牙は、何も言わず、笑って、首を横に振り、魚を食べ始める。淑人も魚を、ぱくっと齧り、たき火のそばで、談々と食べ始める。あと、もう、すぐだ。そんなことを思いながら・・・・。

中華ファンタジー 19

2010-02-19 10:05:00 | 中華ファンタジー
見晴らしのいい岸壁の上の岩に腰かけて、夜風に当たっている。
黒瀧の王のものとなった村の再生のために、ばたばたと、皆忙しく過ごしてきたけれど、ようやく、軌道にのせる為の線引きが出来て来た。あとは、村の人たちが、協力してやっていくのみだ。落ち着きを取り戻したせいか、村の人たちも、ようやく安堵し、今夜は集まって、飲んだり、しゃべったり、踊ったり、集まって、わいわいやっている。
淑人は、一人、その宴を中途で抜け出して、ここで風に当たっている。そこへ、小燕子が姿を現した。
「淑人、もしかして、宴会とか苦手なの?酒は・・・初めて会った飯やで、確か飲んでたよね?」
「ああ。あの飯やのとか・・・・こういうのは、別に苦手じゃない。活気がある。」
「?」
 淑人は、隣に座れよと、席を手で示す。
「王宮じゃ、毎日、酒宴みたいなものだった・・・。王や兄上たちの酩酊する姿は、昼間でも見かけた。それとは、違うから・・・こういう、楽しげな飲み方はいいんじゃないか?」
「・・・・・・・。」
 淑人の目は、遠くを見ている。
「思えば、姉上が無理やり、他国へ嫁ぐことが決まった時も、父王は、酔って、女達の嬌声のなかで、過ごしていたな・・。」
「決まったって・・・宴会の席で?」
「決めたのは、宰相さ。王は、政を顧みず、酒に酔って過ごしている。いや・・実権がないから、何も出来ず、あきらめて、酒におぼれて、何もかも見ないふりをしているのかもしれない。同じ王でも、黒瀧の王とは大違いだな。」
「淑人・・・。」
 小燕子が、瞳を曇らせる。淑人は、懐から何かを取りだした。鏡だ。
「幼い頃、それで父王を詰ったことがあるんだ。その時、私を止めて、宥めたのが、太子である兄。この鏡をくれたんだ。」
「鏡を?」
「そうこれが、ひとつの鍵になっていて、そこで見つけた文書が、この冒険のきっかけさ。」
「何が書かれていたの?」
「伝説を見つけにいくようなものかなあ・・・。」
「ふうん?」
「あるかないかもわからないものを、探すなんておかしいだろう?」
「別に、いいんじゃない?淑人さまは、それまで、つまらない思いをして来たんだろう?なら、そんなとこ出て来て、当たり前じゃないか。まあ、宝探しなら、あったほうがいいけど、伝説とか、そういうの、わくわくする。」
「つまらない・・・・ははは。」
 淑人は、小燕子の言葉を聞いて、大きな声で笑い出した。
「単純明快だな。小燕子は。」
 淑人の指が、小燕子の結わえた髪の一筋を掬って、すぐに離す。
 ゆらゆらと、髪が揺れた。
 嬌声に取り巻かれて、酩酊する人の姿・・・諦めて、滅びを待つ表情のようで、酒の席などは、嫌いだった・・。
 王宮を飛び出してから、淑人は、一度もそれを思い出すことともなかったと気付く。
ここには、楽しげに笑う活気に満ちた雰囲気が流れて来るばかりだ。
 思いついて、淑人は、鏡を懐にしまい、代わりに、笛を出す。
「笛?」
「ああ。立ちあがって戻るのも面倒だ。ささやかだが、ここで宴会に参加しよう。」
 そう言って、笛を奏でだす。
 淑人が笛を奏でたり、小燕子がお返しに、色んな所で聴いた歌を歌ったり、その夜は、世の更けるまで、そこで小さな宴会が続いた。

       (天地一砂鷗 四へ)

中華ファンタジー 18

2010-02-19 09:46:23 | 中華ファンタジー
もう、夕闇が迫る頃だ。やっと、使者が帰って、かわりに交渉にあたる者がやって来た。
諸将が左右に分かれて立ち、天幕を出て、王はその一番奥に立っている。兵が圧倒させるように整列する中を、二人の男は、憶することなく、悠々と歩いて来る。
黒瀧王は、少し離れたところで立礼のまま、こちらに向かって拱手した男を、じっと見つめている。・・・ずいぶんと、若いな。王が会見に応じてくれたことへ感謝を意を述べる為、ひとまず、先に村の代表だと言われる男が話すのを視界に入れながら、その隣に立つ若者を観察する。王も、三十路前だと言っても、二十代で、決して年をとっているとは言えないが、目の前の若者は、二十歳を超えているだろうか・・。歴戦の兵とは言えなさそうである。一重の短い上衣に、動きやすい、細身の袴。軽装ではあるが、それにそぐわない様な品がある。腰に剣を佩き、日に焼けて精悍な顔つきをしてはいたけれど、どこか文官のような雰囲気を持っていた。村の代表だと言った男も、自分と同じくらいの年格好だろうか。この男は、夜盗の親方といっても通りそうなくらい、しっかりした筋骨で、いかにも荒っぽそうな雰囲気だ。いったい、どういう集団なのだろう・・・。王は、少なからず、興味を持った。
「予が黒瀧王、班輝曜である。礼には及ばん。まだ、是といったわけではないからな。」
 頷くと、村の代表がひとつ礼をし。
「話を聞いてくれる気になってくれるだけでも、俺たちにゃ、驚きに値するもんでさぁ。
王さまや、国の偉い人ってのは、俺たちみたいな下々の者の言葉なんか、聞く耳も持たないって思ってましたから。俺たちなんか、生きる価値がないんだと考えているのではないかという目に遭って来ましたから。黒瀧の王様は、大したお方だ。」
 ふふっと、薄い笑みをもらし、王は。
「祁の国の王が、民たちを良く治めていないという話は聞いている。そうか、そんなに酷いか。」
「酷いなんてもんじゃねぇ。この辺りやこの先の丘陵地帯一帯は、別に飢饉にあったわけでも何でもない。それなのに、食っていけない集落ばかりなんだ。とっくの昔に逃げて、離散しちまった村が多い。」
 王は、村の代表の男から視線を外し、目を少し細めた。
「ほう。・・・・それで、そちらに連れている男は?あの書簡を書いた男はそなたか。」
 淑人が、拱手したままで、ひとつ頭を下げる。それから、王の方をちらりと伺い見、王が顎を引くと。
「・・呉・・淑人と申します。王にとって得になる策を言上しようとやって参りましたが、賢明な王は、この村の代表の李鷹の言葉を聞いて、もしかしたら、もう思いつかれたかもしれませんが・・・。」
「ふむ。」
「この辺りの民は、困窮しております。王の徳を施していただきたいのです。そうすれば、徒に兵を動かさずとも、次々と王の軍門に下る者たちが続出するでしょう。」
「なるほど。それで、条件を呑めと?」
「はい。もちろん、村人も、王の民として決められた税を納めるのは義務としてきちんと果たします。ただ、門を開いて、王の軍がお通りになる時、村人に、無体な真似をさせないように、命令を徹底させて欲しいのです。」
「言うは易し、行いは難しだな・・・。大軍だと、徹底させるのはなかなか大変だ。どうにも、網の目からこぼれる奴もいる。予も大変なのだ。」
「さようでございますか?私は、王の軍は、大変統制がとれていると聞きましたが。ここへ至るまで、あまり、村々を荒らし回ることもなかったと・・・。」
「そりゃあ、無茶をする奴もいないだろう。兵がこれまで通過して来たのは、自国の領内だ。大きな国ではないのだ。皆、なにがし、縁戚関係や、知り合いだったりと、どこかで繋がってることが多い。そんな中で、はみ出る者など、集団の中では使い物にならん。」
戦に勝つだけならば、そこまで考慮せずとも、ただ、強い者ばかりを求めて集めればいいだろうが、その後の、統治ということをきちんと視野に入れていたら、ある程度、秩序を守れる者が必要だろう。それは、王も分かっている。
ただ、軍令で禁じても、縁もゆかりもない土地に来た時、心理的に変化することもあるのではないか・・・というのは、未知数だ。
「それならば、なおさらでございます。兵たちにとっても、自分たちの国として愛着を持ってもらえばよろしいのではないかと・・。この先、すぐに使えそうな、空いている村も沢山ございます。家族を伴って、新しい土地に入植したい者を中心に軍を編成なさってはどうでしょう。もちろん、防備の為を考えて、置かれればいい。最前線で侵攻をのぞむ集団については、これも、また、土地は余っておりますから、別に配置出来ることと思います。」
「なるほど、耕す畑をいつのまにか広げていくのだな。それだけか?」
「いえ。ここからが肝心でございます。まず、これから門を開く村人に、兵役を免除してやって欲しいのです。」
「・・・・・・・・・・・。」
「この国の人間は、何年もうち続く戦に困窮しております。それは、祁の国の王が、他国と戦ばかりしていたからに、他なりません。今、また、新しい国の王の為に、侵攻の手先となって命を削るのだと思えば、それは、もう、村の全滅と他ならないと見るでしょう。どうせ首をくくることになるなら、軍門に下るよりはいっそのこと、最後まで反旗を翻して抵抗し・・という者たちが、この先も数多くでることは予想できます。まあ、大軍にとっては蚊に刺されたようなものでしょうが、数が多ければ、難儀なことには違いない。」
 地の理に恵まれているので、抵抗もしようと思えば可能だと、彼らが証明してみせた。早いうちに、この地方を手に入れて、戦好きの祁の国の王に対して、防衛線を張ろうと思っていた王にとっては、手古摺れば、ひどく不利になる。実は、今、祁の国の王が攻めている国は、落ちかかっているのだ。落ちれば、当面、攻める場所はなく、反転して、こちらへ向かって来るだろう。
王がそういった事情を抱えているのを知っていての、交渉なのだ。
「だが、我が国の者になったんだ。ここの連中にだけ、兵役を免除するなどすれば、他の民に対して不公平であろう。」
「いえ。何も、永久にと言っているわけではございません。この村の人たちは、人災でございますが、飢饉にあったようなもの。そういう場合、個々の土地を立てなおす為に優先させるのが、良政を布くということだと思うのです。」
「うむ。確かに、税や兵役の免除など、必要な処置を採ることもある。」
 王が頷いたのを見て、淑人は、目を見開いた。王が、顎をしゃくって、先を続けよと合図を送り、淑人は、慌てて続きを話す。
「では、早々に、王の民として、この村にも徳を施していただけますか?」
「よかろう。どうやら、労せずして、多くの土地が手に入りそうだからな。さっそく必要な物資も手に入るように、商人たちの往来も安全を確保してやろう。」
 往来する商人たちによって、王の政策は、諸国に伝わるのだ。淑人は、目を瞬いた。同時に、緊張してよけいに伸ばしすぎていた背筋から、そっと力を抜く。
それを、傍らの李鷹が。
「何だい。堂々と場慣れしてると思ってたのに、違ってたのかい。」
 さすがに小声で呟いたのだが、周りが水を打ったように静かなので、どうしても聞こえてしまう。気づかれないようにはったりをカマそうと思ってたので、淑人が慌てる。
 王が、こちらをじろりと見たので。
「は・・はは・・こういうことは初めてで、そんなつもりはなかったのですが、随分と無理をしていたようです。いっきに、緊張の糸が解けてしまいました。」
 ままよ。素直に白状しちゃえ・・そんな気持ちで、淑人は、少し情けない顔になった。
「そなたの年では、そうそうこんな経験はあるまい。まあ、これから経験を積んでいけば、慣れてくるだろう。呉淑人どの。」
 ん?何か雲行きが違わないか・・・。いぶかしく思っていると。
「そなたも、これから、やはり村を立てなおすのだな。一人くらいなら、抜けてもいいのではないか?どうだ、王都へ来て予の為に働かぬか?」
 淑人は目をぱちくりさせて。
「いえ。どのみち私は村の者ではありませんが・・。ありがたい、要請にお答えすることはかないません。すごく、魅力的な話ではありますが。」
「村の者ではない?」
「はい。実は、私は、鈞の国の者で、諸国を回って、もっと学びたいと家を出て来たのです。まだ、どこかに根を降ろすほど、学んではおりません。こちらには、たまたま遠い親戚がいるので、顔も見たことはなかったけれど、寄ってみただけです。そこで、今回のことに遭遇したわけです。日頃から、知識は、役立てるものだとは、思っておりますから、縁のある村の人の為に、一肌脱いだわけです。」
 我ながら、よく、滔々とこんなウソがつけるよなあと、淑人は思いながら、さっきよりは慣れてきたので、だいぶん肩の力が抜けて、その分真実味が増す。
「侠なるかな。なかなか出来ないことである。ぜひとも、我が許へ、来てほしいものだ。駄目か?このまま、すぐ、旅立ってしまうのか。」
 すると、そばの李鷹お頭が、すがるような目でこちらを見ている。何だか、捨てられた犬のような・・・淑人は、それには、ちょっと顔を顰めて、王には、微笑して。
「ここまで関わったわけですから、しばらくは、村に留まって、ようすを見てから旅立とうと思います。もしも、可能なら、目的を済ませたあとでもいいと言っていただければ、うれしいのですが・・・。」
「そうか・・。それで、これから、どこへ向かうのだ?」
「・・・黒瀧の名の基になった詩にもうたわれた大きな滝は見てみたいと思っておりました。ついでですので、鈞の国境の針樺山へも行ってみとうございます。」
「こちら側からは、難所だぞ?国へ戻ってから行った方がいいのではないか?」
「いえ。難所ではございますが、神仙の遊ぶ地のような絶景が見られるのは、黒瀧側からのほうがいいとか、聞きました。ぜひ、見聞いたしたく思っております。」
「・・・無事旅を終えて、我が許へ来ることを願うぞ。それから、細かい打ち合わせは、天幕にて、主だった諸将と、そなたらも加わり、詳細を聞いて行け。」
「重ね重ね、ご厚情ありがとうございます。」
 淑人は礼を述べる。李鷹お頭を促し、二人跪拝を行うと、李鷹が。
「こうして話を聞きいれて下さって、陛下の寛容なお心と、度量に感じ入りました。どうか、村を陛下の領地としてお納めください。村人を代表して、この李鷹、臥して感謝の意を述べます。そして、臣下としての礼を、お受け下さい。」
 李鷹は、三拝跪拝をくりかえすと、膝まづいたままで、王を見上げた。
 王は、鷹揚にうなずくと、二人に立つように促し、将軍たちに続いて、天幕の中へ、入るように言った。
ともかくも、何とか。最悪の事態は避けたようだ。

中華ファンタジー 17

2010-02-12 12:44:22 | 中華ファンタジー
遠くの方から、兵をかき分けて、白い布をひらひらさせながら、こちらへ向かって来る者がいる。
「投降の使者だよ~!通しておくれ~!わっ。槍なんか向けるなっ。あたしは、使者なんだからね!使者を傷つけたって世間様に広まったら、困んの、あんたたちの王さまなんだからねっ。はいはい、そこ、どいたどいたっ!」
 ふいに、天幕の帳があげられて、そこに偉そうな人物がいると見とめると、小燕子は、ひらりと跳躍し一気に歩を縮める。
 ふわり・・・。王の目には、白い布をひらひらさせて、襦桾を身に付けた愛らしい少女が目の前に舞い降りて来た・・そんなふうに映った。
 あっけにとられている王たちの反応をよそに、彼に向ってぱしっと元気よく拱手する。少女の頭の両端に結んだ髪が揺れた。
「村から、使者として参りました。条件を受け入れていただければ、投降をいたしたく、王さまにとりついで頂きたく、司令官さまへ、ここに書簡を持って参りましたっ。」
 小燕子は、言われたとうり口上を述べる。立礼のままである。はっと、気づいた側近が。
「無礼者。ならず者ごときが。膝まずかんかっ。」
「あたしは、あんたの家来じゃないもんっ。」
「礼をわきまえぬ者など、使者として役目を果たさん。この慮外者めっ!」
「何だよっ。礼義をわきまえないのは、そっちじゃないかっ。いいかい、一生懸命肩を寄せ合って、生きてるこの土地にいる人たちの生活をいきなり、踏み荒らそうとしているのはどっちだいっ!いきなり軍隊が現れた時のあの人たちの恐怖を考えてみなよ!道を通してもらいたきゃ、話を通してからにするもんだろうが!」
 袖をまくって喧嘩腰・・・。そんな光景が浮かびそうな啖呵をきる。王が、手をちょっと振り、側近を制する。
「随分元気な娘だ。使者として敵陣の中へやって来るだけ、勇気があるのだな。」
「え・・いや、そんな。よく、無鉄砲って言われるけどね・・・。」
 娘の素直な反応に、王が笑みをもらす。
「確かに、まだ、投降していないのだから、臣下ではないな。」
「あ・・・と、そうだ。司令官さまっていうのは、あなたですか?」
 王は、頷きながら。
「そなたは、書簡を持っていると言ったな?」
 手を伸ばして、書簡を受け取る。竹を編んだ書簡を、その場で、ざっと目を通し、近くの側近へ渡す。渡された彼も、一読して、王の顔を伺う。
「王と直接交渉したいと、そなたがか?」
「いえ。それを書いた者です。」
「王にとっても、損になることはないと書かれてあるが。あんな小さな村を条件付きで手に入れたところで何になるというのか?」
「説明するのは、それを書いた者です。村の代表と二人で、やって来ます。ぜひとも、王さまに、お取次下さい。司令官さま。」
「予が王だ。」
「え~!司令官って言ったら、頷いたじゃん。」
 小燕子は、素っ頓狂な声を出して驚く。
「王自らが軍を率いてやって来た。総司令官と言えば、予のことであろう?」
 王が、小燕子のあまりにも裏表のない反応に、相好を崩し、言った。
「そう言えば、そうか・・。でも、王様って、もっと年取って、太った感じなのかと思ってた。王様は、うちの父さんよか、ずっと、若いや。」
「王が皆、年寄りであるはずがなかろう。」
「う・・ん。でも、ほら。宮殿の中から、出てこないっていうか。戦にでてっても、後ろの方で守られてる感じだから、よたよたした、年寄りを思い浮かべちゃって。」
「おかしな想像だな。」
 王の機嫌は悪くはなさそうなので、小燕子は黙って返事を待っている。
「よかろう。話は聞くだけは聞いてやろう。その者を連れて来るがいい。」
「ありがとう!王様。では。」
 小燕子は、王に拱手して、くるりと踵を返し、出て行く。王が、そこにいた将軍に、使者が無事帰れるように送ってやれと命じる。将軍が出て行くと、傍らの側近に向かい。
「どうやら、智者に会えそうだぞ。」
「・・・王。先ほどの娘が気に入られましたかな?」
側近は一抹の不安を感じつつ、おそるおそる訊ねる。
「まあ、予の周りにはいない感じの娘だ。腹の内を忖度する必要もなさそうだから、さっきの娘が、交渉に来たんなら、楽だったろう。この書簡を書いた者は、小才が聞く分、どういうつもりなのか、読みづらいだろうな。」
 側近が、胸に手をあて、眉を寄せて、こちらを伺うような仕草をしているのが、目に入り、王は、にやりと笑った。
「そなた。まさか、予が、あんな乳臭い娘の色香に迷ったなどと思っていたのではないか?」
「・・・・・条件を聞くつもりはなかったのですか。安心しました。」
 王は、確か、智者に会えると、機嫌よさそうな顔をさせていた。人材集めは、王の趣味なのに気づき、側近ははたと思い当たる。それから、こちらを見ている王と視線が合い、失礼な勘違いに気付き、慌てて否定した。
「いえ。めっそうもございません。ごほんっ。」
 ふるふると、慌てて側近が首を振る。王は、別段気分を害しているふうでもなく、書簡にもう一度目を通しながら。
「ま、いずれにしろ、あの場所は落とす。話が真に聞くに値するようなものであれば、聞いてやってもいいというだけだ。」
 王の言葉に、側近が頭を下げた。彼が天幕を出て行くと、王は一人になり、椅子に腰かけて、もう一度書簡に目を落とす。
 今は、交渉に訪れる者を待つだけだ。


中華ファンタジー 16

2010-02-12 12:38:46 | 中華ファンタジー
細い山道を整然と隊列を乱さず進む兵たち。
その場所は、両脇が高い崖が聳え立とつところだった。そこを越え、しばらくいくと、今度は一気に両脇が落ち、まるで橋のように見える道がめざす砦に辿り着くだが。いわば壺の口のようになったその道は、両脇が壁のようになっていて、兵がいきなり横から飛び出してくることもない。出口はともかく・・・その出口も、この祁の国の軍は、王に率いられてここから遠い地の別の国と戦っている最中だ。しばらくは、動く気配もないのを確かめて進軍したので、崖の間の道を行く黒瀧軍は、油断しきっていた。
突如として、降って湧いた大きな銅鑼(どら)の音が。
続いて鐘の音がかんかんと、せまい崖に挟まれた道に響き渡る。
いったい何万の兵が隠れているんだというくらいに音が響く。
石がばらばらと兵士めがけて振って来た・・・・!
石は、道を通り抜けようとしていた兵士たちの、顔や手やむき出しになっている肌に小さな傷をつくり、容赦なく降り注ぐ。
小さな小石ばかりではあったけれども、雨のように降ってくる石を避けるのは困難だ。それに加えて、鳴り響く音が石の雨を振り払おうと必死の兵たちに、焦りをもたらし、判断力を鈍らせる。焦った兵たちの頭上で、ひときわ大きく音がなり、実際よりも大きく聞こえた。狭い道で、兵士たちは混乱し、やがて兵を率いていた将の制止もきかず、隊列を乱して逃げ始める。
ここは、道が狭く、体制も整えるのが一苦労だ。いったいどのくらいの兵が伏せてあるのかも、気になる。隊を率いていた将は、仕方なく、一旦は様子を見る為、昨日駐屯したところまで退却した。
それから、様子を探りに来た黒瀧の斥候は、この辺りの山々に点在して、兵の煮炊きする煙の立ち昇るのを確認した。煙は、かなり、あちこちの場所から上がってい、その数からそこにいる兵の数を推定すると、かなりの兵数になる。別の国の国境にいるはずの祁の国軍というのは偽の情報で、もしかすると、こちらに全軍をぶつけて来たのかも知れない。
斥候の報告に、司令官は、慌てて王都へ援軍を乞う。祁の国の王が戦好きであるのは、知られており、王都の首脳陣は、そのまま祁の軍がこちらへ攻めて来るものと思い、王自ら援軍を連れて、国境沿いに到着した。


しばらくは、そこで陣を構え静観の形を取ったのだが、もちろん何もしないで座していたのではない。時々、兵を動かしては反応を見ていたのだ。
黒瀧軍の本陣では。天幕の中で、王の輝曜が行ったり来たりしながら、側近の翰呈と話している。
王は、このまま軍をすすめてしまおうかと、思っているのだが、黒瀧軍は、実のところ全軍合わせても、祁の国の三分の一程だ。
「どうも、様子がおかしいと思わないか?我軍は、姿の見えぬ敵と戦っている。」
「はい。それも、奇妙な・・というべきでしょうか・・・策にはまって逃げ帰ってくるものばかりですなあ・・・。」
 天幕の外が騒がしくなり、王が不機嫌に少し眉を顰める。理由はわかっているのだ。おそらく、林をいくつかの隊に分けて進ませた兵が逃げ戻って来たのだろう。
 天幕の外で、中に入る許しを請う声がし、その人物が姿を現した。肩膝をついて拱手し、そのまま、退却してしまったことを陳謝した。
「かまわん。もともと、相手の出方を見る為の出動だ。・・・それにしても、どうしたのだ。その姿は・・・。」
「は・・それが、泥が木の上から降って参りまして・・・それでも、先へ進もうとしたのですが、例の崖のところで、怪しげな匂いを伴って、色のついた煙が漂って来まして、もしや、毒かもしれないと思い、退却してまいりました。」
 体格のいいその将は、前身泥が半分乾き白く塗り固められ、石像のように見えた。王と側近は、互いに顔を見合わせる。
「まるで、子供の悪戯ですなあ・・・。」
「どう考えても、正規の兵の為す事とは思えん。」
「ですな・・・。」
 王と側近の会話を跪いたままぽかんと口をあけていた将が。
「それについてでございますが・・いくかの隊に分けた兵のうち、先に舞い戻った隊が実際に敵に遭遇したということでございます。それが、数人でございましたが、かなりの腕のたつ者であったとか。もちろん、あちらに地の利がございます。それに、敵を見たら、一旦報告をしに戻れというお達しでしたから、その者たちも、退却したのでございますが。」
 王から奇妙な、命令を受けていた。彼らも当惑しつつ、出て行ったので、あまり戦わずに戻ったのだろう。
「で、その者たちは、他にどんな様子だった?」
「どう見ても、正規軍には見えなかったとのことです。夜盗まがいの連中と、中には女もいたとか。」
「それで、我が方は、どのくらいの損害があった?」
「幸いなことに、命に関わるような重症者は出ませんでした。」
「なるほど・・・。」
 王がにやりと笑った。
「どうやら、向こうには智者がいるようだな・・・。」
「は?」
 騙されたと知って王の機嫌が悪くなるかと思いきや、何やら楽しそうな顔をしているので、将は首を捻る。傍らの側近を伺い見る。彼は、それに頷くと。
「そこに祁の軍はいないということでしょうが、時間稼ぎをしているのでしょうか?」
「それも少しひっかかるのだがな。それなら、我が軍にもっと手痛い打撃を与えておこうと思わないか?いくら、向こうに余裕がないのだとしても、何やら、兵の損害が少なすぎる。」
「そうですなあ。では、いかがします?」
「いずれにしろ、兵は明日、進軍させる。全軍をすすめることになれば、さすがに向こうも持ちこたえられまい。」
 王がそう言い、側近と、将軍は頷く。
 天幕の外がまた、騒がしくなった。将軍が天幕の布を巻くって外を確かめる。
 そこに舞い降りた人影を見て、王が目を大きく見開く。

中華ファンタジー 15

2010-02-05 10:59:17 | 中華ファンタジー
大声で、頭にターバンのように布を巻き付けたがっしりした男が、集まった人を見回している。集まった中には、年寄りや女子供も多く含まれる。
「いいかあ。今の内に腹一杯食べて、体を休ませておけよ。連中がやって来たら、言われた通りに配置につけ。それでやつらを追い返すんだ。」
 おお・・・と、集団の声が答える。なかの一人が。
「でも、どうすんだい。今度は、本格的だよ~。あんな沢山、どうするんだい?」
 不安そうな声。
「もしも、山門が破られそうになったら、年寄りと子供たちから逃がすんだ。山への抜け道は狭いから、女どもはそのあと。山へはいっちまえば、慣れたもんだ。山伝いに逃げるのも易いものさ。」
 一人の年寄りがよろよろと前に進み出る。それにつられて、他の年寄りも続く。
「李鷹お頭、わしゃ、もう老い先も短い。ここを逃げ延びたとしても、生きて行く算段をするのにも難儀するだろう。子供や女たちだけでも、どうなることかわからんが、先のあるもんが生き残るべきじゃ。いざとなったら、枯れ木のわしらでも、時間は稼げる。女子供をあとあと守っていける若い者も一緒に逃がすべきだろう?」
「そうじゃ、国中何処へ行ったって、安全なとこはない。わしらのことは、いい。」
 口々に、彼らはいい。それに、頷きながらも。
「もちろん、何人かは守りにつけるさ。残る奴だって、混乱に乗じて、最後まで逃げることを諦めないさ。俺だって、いざとなりゃ、この崖を下り降りても逃げるつもりさ。」
 安心させるように、大声で笑ってみせながら。
「だがな、俺たちゃ、こんな世の中を身を寄せ合って、何とか切り抜けて村を守り続けて来たんだ。悪い事とは知りながら、山賊稼業までして、来た。それは、何の為だったか。生き延びる為だ。いいか。非常事態にびびって、間違えるな。犠牲になっていい命なんか、この村には一人もいねえ。だから、これは、要領よく撤退する算段だ。」
「しかし、実際には、残るものもいるだろう?」
「男共の中でも、残るのは腕のたつ奴だ。逃げる奴が、速やかに姿を消せば、それだけ、逃げ延びる可能性もある。それに、少しばかり、時間稼ぎの知恵もある。安心しろ。」
「じゃ、頭は、必ず後から来るんだな?」
「約束する。」
「わかった・・それじゃ、食事を取りながら、役割や順番をそれぞれに徹底させておこう。」
 頭は、頷く。
「さあ。皆、飯だ飯だあ・・!」
 わあっと、皆の間から声が上がり、女たちが鍋から椀に湯気の上がった汁をよそう。早く並んでいた者から、食べ始め、それを横目に、頭は、何人かの男を名指しし、近くに呼んで話をしている。
 物影からようすを伺っている小燕子たちは。
「何だか、心底悪人ってわけでもなさそうだね。しっかし、子供まで、盗賊稼業やってるなんて・・。」
「この国の事情では仕方がないのかもしれない。どうやら、敵が攻めて来るようだが、一体、どんな敵だろう?・・・あ、おい。小燕子。」
 小声でやりとりしていたのだが、小燕子が、何かを見つけこそこそとそっちに向かって動き出した。淑人は、引き留めようとする。
「あれ、あたしの剣だ。あれ、爺さんが賭けに負けて、しぶしぶ譲ってくれた一品物なんだよ~。」
「諦めろ。気づかれる。」
「そうだ。逃げるのが先だ。」
 淑人と子牙が同時に言葉を発した。少し、声が大きすぎたのか。小燕子も、半ば向こうへ行きかけている。地面をこそこそ背をかがめて進むまぬけな姿で見つかった。


「おい!逃げるぞ!」
 誰かが、叫ぶ。一斉に視線がこちらを向く。
 小燕子の腕を掴んで、反対側へ逃げ出そうと手をのばした淑人を振りきり。
「こうなったら、あの頭を人質に取ってやる。」
 あちらの反応がある前に、小燕子が一歩踏み出す。さっと、跳躍して、駆け抜ける瞬間、隙のある奴の腰にぶら下がった剣を鞘から抜き取り、剣の柄でいっぱつお見舞いし、そいつを眠らせ、ひらりと頭の近くに舞い降りる。
「小燕子っ。」
 ちっ。まったく行き当たりばったりだな、あの娘は。制止も聞かず、さすがに淑人は、毒づきながら、それでも、道をひらくべく、動き出す。
「淑人さまっ。」
 淑人も、徒手で小燕子の近くで、敵と戦ってる。そばで、子牙も、左腕一本で、何とか持ちこたえて戦っている。背中あわせになった時、淑人が。
「子牙っ。適当に相手を往なしてろ。先にここを離れててもいいっ。」
「大丈夫。それほど、骨のある奴はいません。だいたい、逃げるに逃げれんでしょう。」
 右手から襲ってきた敵を軽くかわしながら、左手で思いっきり横っ面に拳を見舞い、相手をのす。
「なら。小燕子が戦いやすいように、こいつらを近づけないようにするぞっ。」
「はいっ。」
 子牙が頷き、淑人も近づく男に睨みを利かせる。途中何かが、ぷつっとふっきれる形で、拳を繰り出し、相手の攻撃を避けながら、次から次へともの凄い早さで倒していく。逃げ腰の男を、こちらから近づき、投げ飛ばすと、あとは、凍りついたように手出しするものが絶える。
「このまま、人相が悪くなってしまいそうだ。」
 淑人は、そのまま辺りをぐるりと睨む。シーンと静まり返る。
「そうですね。」
 と、子牙。ついでに、おおっ!と、吠えるように声を発すると、ひいっと、戦闘に参加していなかった人たちが、後ろへ逃げた。
 その間、小燕子は。
 キンッ・・・!何度目かの剣を跳ね飛ばされた。
 ガシッ。諦めずに組みついて行く。重いっ。まともにぶつかれば、小燕子の細腕とでは、比べ物にならないくらい力の差がある。
「なかなか、やるじゃないか。小娘。」
「っ・・!悪いけど、あんたを人質にさせてもらうよ。」
「ふん。大口を。」
 頭の腕にぐっと力が入り、小燕子を後ろへ跳ね飛ばす。そのまま、地面に叩きつけられるかと思いきや、くるりとトンボをきって、後方に着地する。跳ね飛ばされる瞬間、彼女の方が先に引いたのだ。勢い余って、前につんのめる頭。だが、そのままの姿勢で、衝きを繰り出す。シャー・・・ッ。切っ先をかわし、前へ出る、小燕子の剣が頭の剣を削るようにすべる。前へ飛び込んできた彼女に、後を取られまいと、頭がどんと横に剣をなぎ、横合いから彼女を突き飛ばそうとする。小燕子は無理に力に逆らわず、そのまま横に跳び退って、その先の物見台の壁を半分までタタタ・・・と駆け上がる。その勢いを借りて、駆け下りる。渾身の力を込めて、体当たりを繰り出そうと衝きをくりだす。
 もはや、人質うんぬんよりも、勝つことに執着していた。小燕子が、勢いよく、頭のほうへ剣を衝きだそうとした時、小さな子供がふらふらと間に入って倒れて来た。
「!」
 慌てて持っていた剣を離し、勢いが止まらないので倒れた子供の上を何とか飛び越え、そのまま、前の地面に転がってしまう。
「痛たた・・・。」
 すりむいた手を叩き、慌てておきあがろうとしたところを、頭に抑えられた。ぐっと襟首を持たれて持ちあげられる。
「終わりだな。」
「子供を使うなんて卑怯だよ。」
「んなことしなくても、お前には負けん。さっきのは偶然だ。」
「そうかいっ。」
 小燕子もまだ、負けてはいない。にっと笑うと、思いっきり、膝で急所を蹴る。
「ぐっ。」
 痛みに思わず蹲る頭。そこをすかさず、容赦なく、剣を取り上げそのまま相手の首筋に充てる。
「あたしの勝ち!」
「こ、これは・・・ひ、卑怯じゃないのか・・・・・。」
 頭がまだ、痛みをこらえて、顔を歪める。
「男と女で、力の差があるからね。このくらいは、想定の範囲内じゃないか。だいたい、あの子供が飛び出してこなけりゃ、勝てんだからね。」
「そりゃ、おみそれしやした・・・でも、若い女のすることじゃないぞ?恥じらいってもんがねえ。」
「しのごの言うな。馬車と中の荷物。それと、剣。門を開けるように言え。」
「・・・是と言ってやりてえが、門を開けてこの先の道を行くのは無理だ。」
「じゃあ、他の道は?」
「荷車や、馬なんかが通れる道はその門からでないと駄目だ。」
 なおも小燕子が食い下がろうとしたところへ、淑人が割って入った。
「小燕子。村の人たちのようすがおかしい。」
 村の半数ほどの人が腹を抱えてうなっている。さっきの倒れた子供も、小さな声で、腹を押さえている。
「え?」
「ん?」
 小燕子と、頭が同時に反応する。淑人が、そこに転がっていた朝食の椀を拾い、中を確かめる。キノコ汁・・・?そばで、青ざめて突っ立てる人に向かい。
「このきのこに、あたたったんじゃないか?考えられるのは、あと、食中毒ぐらいだが。」
 その言葉を聞いて、まだ、食事を取ってなかった年寄りが、物影から這うように走り出て、椀の中を確かめる。「こりゃ、毒きのこじゃ。皆、食べてしもうたんか。」ああ・・と、手を顔に当てて、茫然としている。
「ど、毒きのこ~?」
 小燕子が、思わず剣の刃を頭の喉から離す。けれども、頭も反撃にはでず、近くに身近に倒れている子供を抱き、揺する。
「おいっ。しっかりしろっ!」
 小燕子が困ったように、淑人を見る。
「頭。無事な村の人たちと手分けして介抱するように、命じろ。そなたが、指揮しなければこの人たちは、助からんぞ。ともかく吐かせろ。」
「?」
「食べてから、まだ、間がない。吐かせれば助かるかもしれない。口に指を突っ込むのでも、大量の水を飲ませるのでもかまわん。とにかく、吐かせろ。」
「わかった。」
「それから、吐いて、容体が落ち着いて来た者は、しばらく、こちらへ寝かせて全員の様子がわかるようにしておくんだ。」
 頭が頷くと、指示を出した。皆、彼の声に押されて、目が覚めたようにあたふたと、動き始める。小燕子は、さっさと動いてる。
淑人も、手近な人を拾って、吐かせる為に、移動させる時、
「子牙。お前は腕が利かないだろう。馬車にある薬の中から、使えそうなのを持って来て煎じて貰ってくれ。」
「わかりました。」
 子牙は、そこにいた女性に。
「我らの荷物の中に、薬があった。もしかすると、使えるのもあるかもしれない。どこにあるか、教えてくれ。」
「あ、はい。それなら、一緒に来てください。」
「ああ。」
 子牙は、馬車の車ごと保管してある場所に案内され、その中の荷物を探り、使えそうなものを引っ掴んで、案内してきた女とともに、煎じ薬を作る為に、かまどの方へ走って行く。苦い薬独特の匂いが広場に漂う頃には、その薬を待って横たわる人たちが戻っていた
 比較的食べた量も少なく、軽傷の者は、起こして貰って、自分で飲んでいる。子牙とその女で、手分けして飲ませて回っているうちに、吐かせるのも終わって、人手が戻って来た。起き上れぬ者もいたが、ともかく、命を落とす者はいなかった。
 病人のようすを見ていた頭が、ほっと安堵して。
「有難い。奇跡的に皆、助かった・・。この恩義に感謝する。」
 ぱしっと音をさせて、淑人たちに拱手する。
「いや。来る途中、老師(せんせい)に、薬を沢山いただいてなかったら、どうなっていたかはわからない。運がよかったのだ。」
「老師?」
 淑人が、いきさつを少し話してやった。聞くと、頭ががばっと土下座し、頭を地面に圧しつけるようにして誤り出した。
「崔老師のお知り合いに。申し訳ない、何てことをしちまったんだ。とんだ、失礼を、どうぞお許しください。俺は、崔老師には、命を助けて貰ったことがあるんで、その大恩ある人の知り合いに、何て事を・・・。」
「もう、いいさ。我らも、無事だったし。それより、先へ行かねばならないのだが、道はないのか?どこからか、敵が攻めてくるとか言っていたが。」
「隣国の兵です。この辺りは、黒瀧国との境にあたるから、度々、国境を越えてやって来る。」
「では、この祁の国の王都から、兵がやって来るのはいつだ?どのくらい、かかる?」
「この国の王様はなあ・・・別の国との戦いで忙しいんだ。もともと、黒瀧国は田舎の国で、あんまり分捕ってもうま味がねえんで、こっち方面はほったらかしに近いのさ。それを知ってるから、国境兵が、時々、ここいらを荒らしまわってやがったんだ。だが、今度のは、どうやら本格的なようだ。けど、道が狭くて、一度に沢山の兵は通れない。地の利には恵まれているから、一度は追い返したんだが・・・。どうにも、多くて。援軍を待ってるようなことを聞いてたが、どっちみち、この村は、王様の地図にはない。あんまり、搾取が酷いんで、離散したように見せかけて、戻って来た。俺たちの守って来た、俺たちの土地だ。まともな王様なら、本当は、黒瀧のでもいいんだがな・・。安心して暮らせるなら。」
「それならなぜ、早々に降伏しなかったんだ。」
「その後、兵がここを通るんだろう?男手は、おそらく兵としてそのまま駆り出される。
残った者がどうなる?通過していく兵なぞ、ろくな奴がいねえ。女どもは、無事ではいられないだろう・・・。俺たちが言うのも何だが、手癖の悪いやつらもいるだろう?」
「そうか・・・・。」
 事情を呑みこみ、淑人が考え込む。しばらくして。
「私に考えがあるのだが、どうだ、策にのる気はあるか?」
 ごくりと、頭が唾を飲み込む。淑人が、
「安心して暮らせるならと、さっき言ったな?」
 こくりと頷く頭。
「まさか。降伏しろってんですか?」
「形的には、そうなるかな?だが、そうなった時、あとで、祁の国から今度は攻められるかもしれない。どちらを選ぶかはそなたたち次第だ。策は・・・。」
 ともかく、二、三度は、耐えて追い返す。それから、こちらから降伏に持ち掛けて、良い条件を引き出す。戦うのはあくまで、相手に一目を置かせる為だ。
「なるほど、それから、降伏するわけですね。」
 頭と、そこに寄って来た元気でいる仲間が頷いている。
「ああ。ともかく、この病人たちが動けるまでは時間稼ぎもしなければならない。」
「そうだな・・逃げることも出来ねえ。選択はできないわけか・・・。」
「いや。もし、逃げるつもりなら、話し合いの間、こっそり村人を逃がせばいい。時間稼ぎにもなる。ただ、どっちの国につくのかは、話し合いに行く前に、決めておかなければならないが。」
 逃げ込むに幸いな、老師のいる無人の村もあることだし、決めてくれと淑人に言われて、頭は首を横に振り。
「その場所に移動しても、あの大群がここを通過して追ってくる可能性もある。もう、どうせなら、黒瀧についた方が良いと俺は思うが、皆はどう思う?」
「頭・・うまく話合いになってこっちの言うことを聞いてくれるかなあ?」
 頭と、淑人をかわるがわる見ている。淑人が。
「黒瀧国の王は、仁に厚く、なかなか賢明な人柄だと聞く。彼の許には良い人材もいるらしいから、噂通りなら、軍を率いている者もそれなり、占領したあとのことを考えて選抜しているだろう。ようは、話の持って行き方だ。・・・そうだな。万一、失敗に終わりそうなら、何か合図を送る方法を考えて、おいて、失敗に終わりそうなら、いち早く、逃げる。」
 淑人の言に。
「どのみち、他に策はないか・・・。じゃ、俺もあんたの策にかける。」
「うん。そうだ。それしか、あるまい。」
 他の皆も、異口同音で頷いている。
 それから、病人を隠し、介抱する者と、守りに回る者とを決め、守りに回る者を集め、淑人の策で、いくつか、仕掛けをする為に、大急ぎで作戦を展開する。
 戦いは避けられないけれども、助かる道を求めて、動ける者は、大忙しだった。

中華ファンタジー 14

2010-02-05 10:50:15 | 中華ファンタジー
    三
雨の日もあれば、晴れの日もある。ここへ至るまで、旅の間、天候には恵まれて来たが、酷い土砂降りに見舞われて、悪路に馬の体力の消耗を防ぐ為、一旦雨宿りをしようと、壊れかけたお堂を見つけ、そこで雨をやり過ごそうとした。
 丘陵地帯を行き、ほとんど隣接する国の境までは来ている。隣接している国に入り、そこから、境を接している針樺山まで、もうすぐだ。ここまでの道筋は、老人に忠告された通りに来たので、何事もなく来ることが出来た。
 丘陵地帯に点在する村の中には、困窮した状態に、やむを得ず、村ぐるみで山賊をしている所などもあるから、人家の煙を見たら、まず、確認してから先に進めと言われた。言われたとおり、やはりいくつか怪しげな場所はあった。騒動を避けるため、迂回路を取って進んで、平穏が続いたせいだろうか・・・。気の緩みが、あったのかもしれない。
 轟という、激しい雨の音。馬を屋根のあるところへ移動させるために、お堂の入り口に繋ぐ。堂は、思ったよりも広く、広々とした奥でゆっくり休もうと、薄暗い中へと進む。
 雨音はきつく、叩きつけるように、堂全体に音が響いていた。その為、注意力が欠けていたのか・・・・。バリバリ・・・・ッ!ドスン!雷が轟音とともに、近くへ落ちた音がする。三人の一瞬の注意が逸れ、ほとんど無意識に歩を進めた。
「!」
 いきなり、足元がぐらりと揺れ、体制を取り直す暇もなく、網に絡め取られて、三人は宙に浮く。網の中に行けどられてしまった!手元の剣で網を切って出ればいいのだが、宙に浮いた網がいきなり落下し、地面に落ちた衝撃のあと、いきなり物影から現れた人々に、袋叩きにあい、皆、気を失ってしまった。
 目を開けた時は、見知らぬ小屋に縛られて、転がっていた。

 小燕子が、目を開けると、太い天井の梁が目に映る。クモの糸がぶらさがっていて、つつつ・・・とこちらに延びて来て、ぽとりと蜘蛛がそばに落ちる。
 ぎょっとなって、体を強張らせる。毒を持っているものではなさそうだったが、気持ち悪くて、避けようとして、体に自由が利かないのに気がついた。
 あれ、そう言えばここどこ?確か、お堂で・・・・!
「小燕子・・気がついたか?」
 声はすぐ近くで聞こえる。淑人だ。部屋は、明かりが点いていて明るく、見渡せば、状況はよくわかる。彼女のすぐそばの壁に凭れて座っている淑人と子牙がいる。やはり彼らも、縛られて自由には動けない状態だ。
「あたしたち、捕まっちゃったの?」
 ともかく、身を起こすぐらいは出来そうだ。小燕子が、座る。
「のようだ・・・。状況はわからない。どうも、移動させられたようだということだけが、確かだ。」
「じゃあ、この縄を解いて逃げなくちゃ。あれ・・?」
 その時、子牙のようすに気付き、小燕子が首を傾げた。
「どうしたの?顔色悪いよ。」
「面目ない・・少し、肩や腕を強く打ってしまったようだ。縄を解いて、ここから抜け出せたとしても、賊たちとやり合うのは無理なようだ。」
 無理やり笑顔をつくり答える。淑人が心配そうに、伺いながら。
「子牙が、おそらく、私たちを庇って一番打たれたのだ。」
「え・・・。」
「小燕子は、落ちた時にすでに、気を失っていた。引き寄せて、縄を切って逃れようとしたのだが、誰かが棒を振りおろそうとしているのを合図に一斉に、人が沢山でてきて、沢山の足に蹴られたんだ。最初の棒の一撃を子牙が肩で受け止めて庇ってくれたおかげで、気を失いはしたものの、私たちは、大した傷はない。」
「・・・・そうだったの。ありがとう。子牙どの。」
「いや、主を守るのが私の務めだ。小燕子は、主が腕にかばっていたからな。」
 小燕子は、目を瞬く。
「じゃ、淑人さまにもお礼を言わなきゃ。ありがとう。」
「かまわぬ。道案内のそなたを損なう訳には、いかないからな。」
「・・・・・・・・。」
 淑人は、外のようすが気になるようでちらりと戸の向こう側を見る。子牙に。
「賊どもが言っていた。荷はすべて戴いて、我らを人買いへ売るのだとか。今は、夜明け前ぐらいだろう?急いでここを出られたとしても、剣も取り返さねばならないし、外のようすがなあ・・。」
 子牙がふと耳をすませて。
「明け方前にしては、人が沢山動き回っているようすです・・何だか、慌てている?」
「ああ。見張りもいない。我らも、ずいぶん見縊られたものだ。」
「賊たちに何か起きたのでしょうか?」
「わからない。だとしたら、混乱している今が、絶好の機会だ。」
 淑人が何か言おうとして口を閉じる。小燕子が、座ったまま、こっちへずりずりと移動して近寄って来たからだ。
「淑人さま。背中向けて、結び目を。」
「あ?ああ・・・。」
こっそりと、物影を伝って移動しながら、あたりを確認する。
 両脇が崖後方は、山で登って行けばどこかへ出られそうだが、ごつごつした岩の突き出た登るのも非常に困難な場所だ。残る一方は、硬い木で組まれた楼閣と城壁があり、門を潜らねば通過することは不可能だ。
 選択肢は、山の方しかなさそうだ。行きかけて、ふと楼閣の前の広くなった辺りに人が集まって、中心で何か叫んでいる声に注意を向ける。


言われるままに背を向けると、小燕子が口で手を縛ってる縄の結び目をほどこうとしている。
「噛み切るつもりか・・?出来るのか。」
 答えはもちろん返って来るはずもないが、彼女が懸命なのが伝わってくる。
 やがて、ふっと淑人の手首のまわりが楽になり、縄目が緩んだことに気づく。それから、胴に巻きついていた縄がばらばらといっきに緩み、地面に落ちる。
「結び目を解くのさ。ちょっとしたこつはいるけれどね。」
「大したものだな・・・。」
 ゆっくりしている暇はない。まず、小燕子の縄を解き、彼女が扉の外を伺う間に、子牙の縄も解く。
「動けるか?子牙。」
「ありがとうございます。左腕は比較的動きそうですから、多少なら、格闘も出来るでしょう。戦力にはなりませんが。」
「十分だ。行こう。」
 淑人が頷く。扉を薄く開けて外をのぞいた小燕子が、早く早くと、手招きしている。彼らが近づくと。
「何か中央のかがり火のあたりに、人が沢山集まっているみたい。」
 物音を立てないように、そっと外へ滑り出す。


中華ファンタジー 13

2010-02-05 10:46:15 | 中華ファンタジー
 丘陵地帯の狭い道を行く。
 途中、民家らしきものは、数件あったけれど、どれも空き家になって久しいようだった。
「人が住んでいる気配はない。この辺りも荒れ果ててるなあ。」
 両脇に平らにならした土地は続いていたけれど、小石が混じり、赤い土。もともと、土壌は恵まれていない感じではある。
開墾したものの、収穫が少な過ぎて、放置されたものだろうか・・・・。
 小燕子は、御者台に座っている。さっき、子牙と、交替したばかりだ。丘陵地帯に入り、目に映る景色も変化するので、時々、淑人が後ろの幕をめくって様子を見ている。
「さっきの盗賊たちのせいかも知れないぞ?ここから、そんなに離れてはいないだろう。」
「ああ。それもあるね。」
 ずっと、先の方に、人がいる。小燕子が指を指すと、淑人もその先を見る。
 少し速度を上げて、そこまで行って、ゆっくりと馬車を止める。
 赤い土を鍬を持って耕している老人がいる。足元の小石を拾い、こちらを見る。
「おじいさん。この辺りの人だよね?来る途中、空き家がいっぱいあったけど、みんなどこへ行っちゃったの?」
 小燕子の問いに、老人はにこりともせず、無視して拾った小石を捨てる場所へ移動していく。
「なんだ、聞こえないのかな・・・・。」
 老人が再び、鍬を持ち土地をならす。途中、小石を拾っては捨てに行きを繰り返すのだが、その動作があまり、慣れた者じゃないのに気が付き、淑人は、車から降りた。
「手伝いましょう。」
 そう言って、手近なところから、小石を拾っていく。
「淑人さま。どうしちゃったの?」
「ご老人が、慣れぬようすで、畑を耕そうとしているのだ。少し、手伝うくらいは、寄り道してもいいだろう。」
 小燕子が、首を捻る。子牙も訳がわからぬふうであったが、主に従って。
「ご老人。私のほうが力はある。差し支えなければ、鍬をお貸しください。」
「あなた方は他国の人だろう。酔狂な旅人だな。この国を通り抜けるのに、そんなのんきな様子でいいのかね。」
「私は、主に従っているだけですから。」
 と、小石を一生懸命拾い集めてる淑人を示す。淑人が手を止めて。
「実は、この国のことを知らずに来たんだが、道々、散々な目にあいどうしだった。まともに、畑を耕す人を見て、ほっとしました。出来れば、作業しながら、この先の情報でも、話していただけたら、助かります。」
「ふ・・ん。なるほど。この先しばらくは、村もない。日没後は、狼なども出るから、何なら、泊まって行くといい。手伝ってもらえれば、助かるよ。」
「はい。ぜひ。」
 そう言うと、黙々と作業が始まる。出遅れた小燕子も。
「あ、あたしも手伝う。ところで、何を植えるの?」
 小石を拾いながら、訊く。
「いや、何を植えるとも決まっとらんが、とりあえずは、薬草を栽培するのに使わせてもらおうと思っておる。畑は、ここの連中が戻って来た時に、使えるようにしておこうと思っただけで、空けたままなのももったいない話だ。」
「え?ここ、おじいさんのじゃないの?」
「ああ。この辺りは、ちょっとした集落だったんだよ。先立たれてしまったが、妻の縁で、この村に住んでおった。村の人には、良くしてもらった。わしは、学問を教えて生計を立ててきたのだが、乞われれば出向いて行ってしばらくぶりに、ここへ帰って来ても、村の人は、いつも、あたたかく接してくれた。恩を感じておるのじゃよ。」
 今度も、随分離れていて、ここが恋しくなり戻って来た。が、村は荒れ果てた姿で、どこにも彼の知る顔は見当たらなかった。
 老人が、土をひとつ掬う。土を握った掌を開くと、さらさらと赤い土が下に流れる。
「ここの土は、決して、恵まれたとは言えんが・・・・・。手入れを欠かさなければ、十分収穫は、望める。」
「でも、村の人たちは、飢饉か何かで諦めてどっか行っちゃたんでしょ?」
「いいや。この辺りは、ここ数年、天候に恵まれとったはずじゃ。おそらく、村の働き手の男たちが、戦に連れて行かれたのだろう。」
 働き手が減れば、それだけ残された者の負担も増える。それでも、何年かして、戻って来るなら、がんばりもきくが。
「お前さんたちは、剣を携えている。我が身を守る方法が身についているのだろう?村の男は、訓練された兵士じゃない。」
「帰って来れなかったんだ・・・・・。」
「税の取り立ても厳しくなる一方だ。払えなければ、逃げるくらいしか、手立てはなかろう。国中、どこへ行ってもそんな話ばかりだよ。」
 それでも、もし戻って来る人があれば、と思い、慣れない農作業をはじめたのだ。そう説明して、また、ひとつ石を拾う。ふいに、詩を口ずさむ。

 四牡(しぼ) 騑騑(ひひ)たり 周道 倭遅(いち)たり 
 豈(あに)帰るを懐(おも)わざらんや 王事監(おうじや)むこと靡し
 我が心傷悲す

((車を引く為の)四つの馬は馳せやまず、大道は遠く続く。郷里への思いは絶えないが、まだ、戦争は終わらない。私の心は痛み悲しむ。)

 四牡(しぼ) 騑騑(ひひ)たり 嘽嘽(たんたん)たる駱馬(らくば)
 豈帰るを懐(おも)わざらんや 王事監(おうじや)むこと靡(な)し
 啓処するに遑(いとま)あらず

((車を引く為の)四つの馬は馳せ止まず、黒毛の馬はひた走る。郷里への思いは絶えないが、まだ、戦争は終わらない。安らぎ休む暇もない。)

 翩翩(へんべん)たるは鵻(すい) 戴ち(すなわち)飛び戴ち(すなわち)下り
 苞(ほう)たる栩(く)に集う(うどう) 王事監(おうじや)むこと靡(な)し
父を将う(やしなう)に遑(いとま)あらず

(パタパタと羽ばたく子鳩。飛び上がる、舞い降りる。茂ったくぬぎの木に集う。戦がまだ、終わらない。父を養う暇もない。)

翩翩(へんべん)たるは鵻(すい) 戴ち(すなわち)飛び戴ち(すなわち)止まり
苞(ほう)たる杞に集う 王事監(おうじや)むこと靡(な)し
母を将う(やしなう)に遑(いとま)あらず

(パタパタと羽ばたく子鳩、飛び上がり、枝に止まり。茂ったクコの木に集う。戦争が終わらない。母を養う暇もない。)

 彼の四駱に駕し 戴ち(すなわち)驟すこと駸駸(しんしん)たり
 豈帰るを懐(おも)わざらんや 是(ここ)を用て歌を作り
 母を将う(やしなう)を来(ここ)に(言+念)つぐ

(四つの馬が引く車に乗って、(戦の為に)ひた走りはせ駆けまわる。郷里への思いは絶えることない。こうして歌を作り、思いのたけを祖霊に告げよう。母を早く養えるようにと。)

      ※詩経 四牡より 訳の参考は、明治書院新書漢文大系「詩経」より

 戦に駆り出された兵士の気持ちを歌った古い詩だ。
「・・・・・・・・。」
 適切な言葉は、紡ぎだせず、その後は、皆、黙々と作業を続けた。



 数日の間、ここに滞在して、作業を手伝い。合間合間に、会話が交わされる。交わされる内容の中で、老人の知識が半端ではないことが窺われる。淑人は、もっと滞在して、学びたいとは思ったが、時間が無限にあるというわけではない。諦めて、出発することにした。馬車に乗り込む際、老人が処方した薬をいくつか手渡された。
「旅先で役に立つかもしれん。傷薬と、いくつか病に利く煎じ薬をこの袋に入れておいた。それぞれ小分けになっているから、効能も記してある。」
「ありがとうございます。老師には、もっと教えを乞いたい思いはありますが、先へ行きたい気持ち・・・もっと見聞を広めたい気持ちもあって、ここに留まることはしません。後ろ髪を引かれる気持ちですが。」
「いや。まだ、若いのだから、何かしらはやる気持ちを抑えかねる時期もあるじゃろう。それも、悪くはないさ。知識だけじゃなく、体験も人をつくる。目を見開いて、しっかり自分のものとするといい。わしが、ずっとここに留まると決めたのは、それが、自分に課せられたものだと思えるからだ・・・。日々精進と、人にものをずっと教えてきたからには、途中で投げ出さず、自ら行動で示すこともせにゃいかんだろう。気が向いたら、また、ここに来るといい。あなた方の旅の無事を祈っております。」
 淑人は、一度車を降りて、師に対する礼のように、老人に膝拝する。にこりと頷く老人。
淑人が、車に乗り込むと、手綱を持つ子牙が、手を高く掲げて拱手し、別れを告げる。小燕子だけが、
「じゃあね。おじいさん。元気でね。あんまり、無理しちゃだめだよ。」
と、手を振る。
「ああ。嬢ちゃんも、あんまりお転婆が過ぎると、嫁の貰い手が無くなるぞ。元気でな。」
 大爆笑が起こり、頬を膨らまし、ふくれる小燕子をよそに、ひとしきり、皆が笑うと、少しばかり別れの寂しさが和らぐ。
「ま、いっか。」
 気を取り直した小燕子に。
「安心しろ。売れ残ったら貰ってやる。」
 子牙がぼそりと呟く。
「え?遠慮しきます。」
 その返事に、後ろから顔を出した淑人がぽんと、子牙の肩を叩く。
「あっさりふられてしまったな、子牙。さっ、行くぞ。」
「残念です。」
 冗談のつもりだったのか・・・。残念だと、本当にそう思っているようには見えない平静な態度。子牙は、気さくに話はするがこの手の冗談は言わないので、淑人と小燕子は目を丸くして、互いに顔を見合わせる。子牙の唇の端が上がり、にっと笑い顔になる。そのまま、馬に一鞭くれて、ようやく馬車が走り出した。

     (天地一砂鷗 三へ)