しばらくは、何事もなかったかのように、穏やかな日常が続く。
小燕子は、愛玲や明霞たちと、連日のように町を見物に行っていた。
ある日、同じように彼女たちと出かけて、小燕子が、身の周りの品々や、食料や水なんかを手に入れて、通常とは違う買い物をしているのでおかしいな・・と思っていると。彼女たちを連れて、その日、鍛冶屋を訪ねると言っていた子牙のところへ引っ張って行った。
子牙が驚いた顔をしている。
「どうしたのだ。まるで、旅支度だな。」
「うん。このまま、ずっと西の方へ、砂の花を身に行こうと思って。さよならを言いに来たのさ。子牙。明霞さんや愛玲を家まで、連れて帰ってあげてね。」
明霞と愛玲がおどろいて、騒ぐ。
「そんな、何も急に出発しなくても。」
「間にある山道が冬になって凍る前に越えなきゃ、難儀するから。これでも、引き延ばしてたんだ。淑人さまたちが落ち着くまでと思ってたから。でも、もう随分、風が冷たくなってきた。」
「私は、ずっと小燕子さんと一緒かと思ってました・・。」
明霞が言葉を詰まらせる。愛玲が。
「ねえ。明日では、駄目なの?」
小燕子が首を振る。
「皆といるの、楽しかった。ありがとう。」
愛玲がぎゅっと彼女に抱きついて。
「友達だもの。また、会いに来てくれるわよね?」
「うん。」
「・・そう、きっとよ。きっとね?」
頷きながら、繰り返す。子牙が。
「そうか、行ってしまうのか・・・。いや、何となく予測していたのかもしれないな・・・。小燕子には、世話になった。もしも、困ったことがあったら、連絡しろよ。いつでも、手を貸す。・・・我らの旅は終わってしまったが、小燕子は、ずっと旅の空なのだな。」
子牙が、名残惜しそうに一瞬、目を眇める。
「違う。旅は、終わってないよ。ただ、先の道が分かれてるだけだよ。」
行く道が違う?というよりも、留めておくことが出来ない渡り鳥なのだ、彼女は。子牙は思う。自分も主の淑人も羽ばたける翼は、持っているが、飛ぶ空を選ぶ。小燕子は、どこまでも行けるとりわけ強い翼なのかもしれない。本当に留めて置けないのだろうか・・・・・?ふいに湧いた疑問は、柄にもなく感傷的で、すぐに、それを振り払う。
小燕子のことだ。気が向けばきっと、元気な顔を見せてくれるだろう。
「・・・・・なら、また、会うこともあるかもしれないな。小燕子、息災でな。」
「うん。子牙どのも。」
ばいばいと手を振って、小燕子は、立ち去る。明霞が、突然「あっ。」と言って、子牙を促した。
「淑人さまは?淑人さまはご存知なの?早く、知らせて。」
黙って行くはずがないと、子牙は思ったが、明霞の気迫に圧されて、淑人を呼びに走った。彼から知らされて、淑人は、西の町へ向かう道のある町はずれへと急いだ。
風にひらひらと二つに結んだ髪が揺れている。背中に、剣と荷物を背負った小燕子は、頬に乾いた冷たい風を感じながら、前方に建つあづまやのような建物を見つめる。そろそろ、山道に差し掛かる。ここは、街道の一本道で、その前方のあずまやのようなのは、旅人に、簡素な飯や茶を振舞う店で、ここを通る人は大概ここに立ち寄る。
小燕子も、以前に来たことがあり、入って行くと、店の女将は、やはり同じ顔だ。
「お茶と、少し甘い物あるかな?山道に入るから、それと、万頭を包んでくれる?」
「はいよ。甘い物は、干した果物ぐらいしかないけど、いいかい?」
「じゃ、それで。」
「はい。はい。」
女将は、いそいそと茶を入れる為、奥にある厨房のところへ行く。
旅人は、ひっきりなしに出たり入ったり、小さいけれど、活気のある店だ。
どさっ。小燕子の後ろの席に、客が荷物を置く音がした。
「小燕子・・・。」
驚きで、目を見開いたままの小燕子の顔が振りむくと、淑人が、腰に手をやり仁王立ちといった感じで立ってる。
小燕子は、何も告げずに立ち去ろうとした詫びを口にする。
「ごめん・・・。」
「行くな・・・と言っても、無理なんだな。」
小燕子がこくりと頷く。
「風が呼んでるから・・・。」
小燕子の言葉を聞き、ふうと、淑人がため息をつく。
ごそごそ・・と懐をさぐり、淑人の手が、小燕子の手に何かを握らせた。玉で出来た腰から吊り下げる飾りだ。平べったい丸い形のそれは、鳥たちが枝に止まり戯れている絵が彫ってある。
「これを、明霞から託って来た。」
玉で出来たそれは、魔を避けるともいわれ、淑人たちの故郷では、恋人や、親しい人に無事を祈り、贈ったりするものだ。飾り紐で、帯から垂らして身につけて持っていられる。
「あ・・ありがとう・・届けてくれたんだ・・あの、ごめんね。黙ってて・・でも・・。」
小燕子が珍しくぐずぐずいい訳をしていると、淑人が、にっと笑い。こちらの席にどさっと、陣取り、奥へ聞こえるように。
「女将。こちら追加だ。もうひとつ同じものを。万頭も包んでくれ。」
「は~い。ただいま。」
愛想良く答える声。淑人は、一緒に、運ばれてきた、茶を小燕子の椀にも注いでやりながら、人の悪い笑みを浮かべている。小燕子が、ぽかんと口をあけてこちらを見ていた。
「淑人さま・・・まさか・・・。」
「さまは、よせ、小燕子。もう、公子でも何でもないんだ。」
「え・・うん?」
「さ、休憩しながら、これからの予定を聞こうか。」
「・・・・・・・。」
「恩を返すあてもないのに、雛氏にいつまでも世話になるわけにもいかないしな。旅に出るにしたって慣れない私が、いきなり漂泊の生活が出来るとも思えん。しばらくは、小燕子にくっついて行こうと思って、あわてて追って来たのさ。かまわないか?」
小燕子は、こくんと頷く。あっと、気がついて。
「それじゃ、この飾りは、本当は、淑人が持ってたほうがいいんじゃないの?」
「どうして?明霞は、小燕子に、と言っていたぞ?」
ゆるやかに首を横に振るが、彼女の何か言いたそうな顔を見て頷いたから、淑人も意味はわかっているのだと、小燕子にも分る。
「応えることは出来ないのだから・・持つことはできないよ。小燕子は、彼女と、友達だろう?だから、持っていてやってくれ。」
呟くように言って、茶をすする。
「うん・・・。」
それから、行く先の話をした。
店を出ると、大柄な人影が傍の木にもたれて二人を待っていた。
「遅い。」
「え?」
「え~?」
二人同時に叫ぶ。子牙だ。
「私を置いて行くなんて酷いじゃないですか。主に置いてかれた居候なんて、肩身がせまいですからね。ついて行きますよ。」
「いいのか?」
「当然です。」
うんうんと頷いている子牙。自分の後方を差し、馬車を示す。小燕子は、目を輝かせて。
「じゃあ、また、いっしょに前みたいな、旅が出来るんだね。」
「ああ。」
いそいそと御者台に上がって、小燕子が手綱を持ち、早く早くと二人を促す。彼らが乗り込むと、元気よく。
「出発っ!」
馬を走らせる。
軽快に、どこかを目指して行く。
風が呼ぶままに・・・。天も地も、広く・・・。
終わり
作者懺悔
あ~、長かった・・・。
中国の武侠ドラマを見て、何となくそれっぽいものをと思ったけれど、肝心の武器や、武術の専門用語がさっぱりなので、ただの、中華風世界を彷徨う冒険の話になってしまった・・・。
後半の碑文の中にあった「飄飄何所似。天地一沙鷗。」は、杜甫の詩から。
全文は。
『旅夜書懐』杜甫
細草微風岸 危檣独夜舟 細草 微風の岸 危檣 独夜の船
星垂平野闊 月湧大江流 星垂れて平野ひろく 月湧いて大江流る
名豈文章著 官因老病休 名は豈に文章にて著れんや 官は老病に因り休む
飄飄何所似 天地一沙鷗 飄飄 何の似たる所ぞ 天地の一沙鷗
小燕子は、愛玲や明霞たちと、連日のように町を見物に行っていた。
ある日、同じように彼女たちと出かけて、小燕子が、身の周りの品々や、食料や水なんかを手に入れて、通常とは違う買い物をしているのでおかしいな・・と思っていると。彼女たちを連れて、その日、鍛冶屋を訪ねると言っていた子牙のところへ引っ張って行った。
子牙が驚いた顔をしている。
「どうしたのだ。まるで、旅支度だな。」
「うん。このまま、ずっと西の方へ、砂の花を身に行こうと思って。さよならを言いに来たのさ。子牙。明霞さんや愛玲を家まで、連れて帰ってあげてね。」
明霞と愛玲がおどろいて、騒ぐ。
「そんな、何も急に出発しなくても。」
「間にある山道が冬になって凍る前に越えなきゃ、難儀するから。これでも、引き延ばしてたんだ。淑人さまたちが落ち着くまでと思ってたから。でも、もう随分、風が冷たくなってきた。」
「私は、ずっと小燕子さんと一緒かと思ってました・・。」
明霞が言葉を詰まらせる。愛玲が。
「ねえ。明日では、駄目なの?」
小燕子が首を振る。
「皆といるの、楽しかった。ありがとう。」
愛玲がぎゅっと彼女に抱きついて。
「友達だもの。また、会いに来てくれるわよね?」
「うん。」
「・・そう、きっとよ。きっとね?」
頷きながら、繰り返す。子牙が。
「そうか、行ってしまうのか・・・。いや、何となく予測していたのかもしれないな・・・。小燕子には、世話になった。もしも、困ったことがあったら、連絡しろよ。いつでも、手を貸す。・・・我らの旅は終わってしまったが、小燕子は、ずっと旅の空なのだな。」
子牙が、名残惜しそうに一瞬、目を眇める。
「違う。旅は、終わってないよ。ただ、先の道が分かれてるだけだよ。」
行く道が違う?というよりも、留めておくことが出来ない渡り鳥なのだ、彼女は。子牙は思う。自分も主の淑人も羽ばたける翼は、持っているが、飛ぶ空を選ぶ。小燕子は、どこまでも行けるとりわけ強い翼なのかもしれない。本当に留めて置けないのだろうか・・・・・?ふいに湧いた疑問は、柄にもなく感傷的で、すぐに、それを振り払う。
小燕子のことだ。気が向けばきっと、元気な顔を見せてくれるだろう。
「・・・・・なら、また、会うこともあるかもしれないな。小燕子、息災でな。」
「うん。子牙どのも。」
ばいばいと手を振って、小燕子は、立ち去る。明霞が、突然「あっ。」と言って、子牙を促した。
「淑人さまは?淑人さまはご存知なの?早く、知らせて。」
黙って行くはずがないと、子牙は思ったが、明霞の気迫に圧されて、淑人を呼びに走った。彼から知らされて、淑人は、西の町へ向かう道のある町はずれへと急いだ。
風にひらひらと二つに結んだ髪が揺れている。背中に、剣と荷物を背負った小燕子は、頬に乾いた冷たい風を感じながら、前方に建つあづまやのような建物を見つめる。そろそろ、山道に差し掛かる。ここは、街道の一本道で、その前方のあずまやのようなのは、旅人に、簡素な飯や茶を振舞う店で、ここを通る人は大概ここに立ち寄る。
小燕子も、以前に来たことがあり、入って行くと、店の女将は、やはり同じ顔だ。
「お茶と、少し甘い物あるかな?山道に入るから、それと、万頭を包んでくれる?」
「はいよ。甘い物は、干した果物ぐらいしかないけど、いいかい?」
「じゃ、それで。」
「はい。はい。」
女将は、いそいそと茶を入れる為、奥にある厨房のところへ行く。
旅人は、ひっきりなしに出たり入ったり、小さいけれど、活気のある店だ。
どさっ。小燕子の後ろの席に、客が荷物を置く音がした。
「小燕子・・・。」
驚きで、目を見開いたままの小燕子の顔が振りむくと、淑人が、腰に手をやり仁王立ちといった感じで立ってる。
小燕子は、何も告げずに立ち去ろうとした詫びを口にする。
「ごめん・・・。」
「行くな・・・と言っても、無理なんだな。」
小燕子がこくりと頷く。
「風が呼んでるから・・・。」
小燕子の言葉を聞き、ふうと、淑人がため息をつく。
ごそごそ・・と懐をさぐり、淑人の手が、小燕子の手に何かを握らせた。玉で出来た腰から吊り下げる飾りだ。平べったい丸い形のそれは、鳥たちが枝に止まり戯れている絵が彫ってある。
「これを、明霞から託って来た。」
玉で出来たそれは、魔を避けるともいわれ、淑人たちの故郷では、恋人や、親しい人に無事を祈り、贈ったりするものだ。飾り紐で、帯から垂らして身につけて持っていられる。
「あ・・ありがとう・・届けてくれたんだ・・あの、ごめんね。黙ってて・・でも・・。」
小燕子が珍しくぐずぐずいい訳をしていると、淑人が、にっと笑い。こちらの席にどさっと、陣取り、奥へ聞こえるように。
「女将。こちら追加だ。もうひとつ同じものを。万頭も包んでくれ。」
「は~い。ただいま。」
愛想良く答える声。淑人は、一緒に、運ばれてきた、茶を小燕子の椀にも注いでやりながら、人の悪い笑みを浮かべている。小燕子が、ぽかんと口をあけてこちらを見ていた。
「淑人さま・・・まさか・・・。」
「さまは、よせ、小燕子。もう、公子でも何でもないんだ。」
「え・・うん?」
「さ、休憩しながら、これからの予定を聞こうか。」
「・・・・・・・。」
「恩を返すあてもないのに、雛氏にいつまでも世話になるわけにもいかないしな。旅に出るにしたって慣れない私が、いきなり漂泊の生活が出来るとも思えん。しばらくは、小燕子にくっついて行こうと思って、あわてて追って来たのさ。かまわないか?」
小燕子は、こくんと頷く。あっと、気がついて。
「それじゃ、この飾りは、本当は、淑人が持ってたほうがいいんじゃないの?」
「どうして?明霞は、小燕子に、と言っていたぞ?」
ゆるやかに首を横に振るが、彼女の何か言いたそうな顔を見て頷いたから、淑人も意味はわかっているのだと、小燕子にも分る。
「応えることは出来ないのだから・・持つことはできないよ。小燕子は、彼女と、友達だろう?だから、持っていてやってくれ。」
呟くように言って、茶をすする。
「うん・・・。」
それから、行く先の話をした。
店を出ると、大柄な人影が傍の木にもたれて二人を待っていた。
「遅い。」
「え?」
「え~?」
二人同時に叫ぶ。子牙だ。
「私を置いて行くなんて酷いじゃないですか。主に置いてかれた居候なんて、肩身がせまいですからね。ついて行きますよ。」
「いいのか?」
「当然です。」
うんうんと頷いている子牙。自分の後方を差し、馬車を示す。小燕子は、目を輝かせて。
「じゃあ、また、いっしょに前みたいな、旅が出来るんだね。」
「ああ。」
いそいそと御者台に上がって、小燕子が手綱を持ち、早く早くと二人を促す。彼らが乗り込むと、元気よく。
「出発っ!」
馬を走らせる。
軽快に、どこかを目指して行く。
風が呼ぶままに・・・。天も地も、広く・・・。
終わり
作者懺悔
あ~、長かった・・・。
中国の武侠ドラマを見て、何となくそれっぽいものをと思ったけれど、肝心の武器や、武術の専門用語がさっぱりなので、ただの、中華風世界を彷徨う冒険の話になってしまった・・・。
後半の碑文の中にあった「飄飄何所似。天地一沙鷗。」は、杜甫の詩から。
全文は。
『旅夜書懐』杜甫
細草微風岸 危檣独夜舟 細草 微風の岸 危檣 独夜の船
星垂平野闊 月湧大江流 星垂れて平野ひろく 月湧いて大江流る
名豈文章著 官因老病休 名は豈に文章にて著れんや 官は老病に因り休む
飄飄何所似 天地一沙鷗 飄飄 何の似たる所ぞ 天地の一沙鷗