時の泉庭園

小説は、基本、ハッピーエンド。
話は、最後まで出来上がってからUPなので、全部完結済み。

(^◇^)・・・みん兎

空き家の怪 20

2008-05-30 16:49:24 | 別名分室陰陽寮利休庵
夕方。明月は、晩飯を利休庵で食べようと思って、店じまいして、外に出ようと建物の中を歩いていた。ふいに、掠めた香りに顔を顰める。莉々の残していったハーブの香り?
あいつ、あっちもこっちも、もの珍しげに、覗いてみて歩いて帰ったな・・・。あちこち、ぐるぐるとまわった形跡がある。明月が通り過ぎて来たところの中でも、ちょっと毛色の変った演出をする占いの店の前で、いくつか、微かに残り香があった。それにしても、こんなに長く残っているものなのか・・・?彼女が、それほど強く香りをつけているようには思えなかったが。魔よけでもあると言っていたから、不思議な効力でも発揮しているのだろうか・・・・。・・・・・?また、立ち止まる。
 ここは、幽斎の所だ。けれど、幽斎のところは、はやってはいるが、明月と同じ、ありきたりな占いである。足が止まる。
「やあ。明月君。」
 幽斎が出てきた。
「こんにちは。幽斎さん、今日はもう、終わりですか?」
「うん。今日はなんだか、疲れてしまって・・・。」
 幽斎が答える。明月が鼻をくんとさせ、瞳を泳がせたのを見て、幽斎が穏やかに頷きながら、中を指さした。あ・・・リースだ。幽斎の机にのっている。明月が幽斎の方を見た。
「今朝、君が連れていた子だろう?あちこちの看板をおもしろそうに眺めていて、たまたま目があってしまってねえ。声をかけたら、そのハーブのリースをくれた。」
「・・・・・何か、ご迷惑おかけしませんでしたか。」
 明月が、恐縮する謂われはないのだが、ここまで連れてきてしまったのは確かだ。彼女独特のペースに、振り回される人もいるだろうと、思う。
「いや、そんなことはないよ。どんな所が集客力があるのか、興味があるみたいだった。彼女かい?いや、大人になった・・・あの、けんかして道に転がっていた、やんちゃ坊主が、なあ。」
 幽斎は目を細めた。明月は居心地の悪そうな、ばつの悪い表情をしている。疲れたと言っていたので、具合が悪いのかと話題を変えようと明月は訊いた。年寄りだからなと、返事が返ってきた。夕飯を一緒に食べに行くことになる。幽斎が中から、コートをとって来る。その時、明月の鼻をかすめたものがある。ふわんと、ハーブの・・・・。しかしこれは、有り得ないことだ。仕舞われてあったコート。それに、香の煙を燻らしたように立ち昇った気配・・・・。明月の頭に忘れていた記憶が浮かび上がった。昼と夜とを行ったり来たりしているような瞳を思い出す。

空家の怪 19

2008-05-30 16:43:41 | 別名分室陰陽寮利休庵
莉々は、莉々で興味深そうにじっくりと、部屋を見回している。物を置くのが嫌いな明月は、テーブルと占いに使う道具の他は、ほとんど、飾りもなく、殺風景な部屋だ。隅の方に、もう一つ小さなテーブルがあり、電気ポットが置いてある。そばに、カップめんがいくつか積んであった。あとは、手荷物のデイバッグ。
「ねえ。ここって、どっちかっていうと、遊びでやって来るところよね?女子高生とかが、多いんじゃないの?」
「ああ。」
「それで、こんな殺風景なの?四柱推命・・・は、ともかく。もうちょっと、怪しげな雰囲気あったほうが、お客さんくるんじゃない?」
「あほか。ぱぱっとオルガン弾き鳴らしぃとか、色水が沢山おいてあったりとか、インチキくさいのは、主義じゃねえ。」
「何?オルガン鳴らす人がいるのね。見世物としては、小鳥におみくじを引かせるほうが、良心的な感じ。・・そうじゃなくて、えっと。」
 莉々が、小鳥のように小首を傾げて考えてる。まず、机の上を指し、筮竹、表を指差し、提灯、といった。
「?」
「だから、使わなくても、なんとなく、知らない人にも目で見て、東洋的な雰囲気の小物を置くの。算木とか、持ってるでしょう?」
「・・・・・・。」
 ちょうど、表ががやがや騒がしくなってきた。女の子たちが、わいわい言っているのが聞こえる。
「ねえ。ハーブの香りしない?」
「あ、ほんと、アロマだっけ。そんな、占いあるのかなあ?」
「おもしろそう。」
 声に反応するように、その部屋の扉の代わりのカーテンがしゃっと開いた。女の子たちは、いきなり開いたカーテンにきゃっと、驚きながら、こちらを向く。莉々が、カーテンを開けたのだ。
「あら、ごめんなさい。びっくりしちゃったかしら。」
 莉々が、女の子たちに詫びる。ちょうど、開けようと思っていたところと、彼女たちの通るのと、同時だったのねと、言った。
「いえ。あの、ここの占い師さんですか?」
 莉々の何を考えているのかわからない、どことなく、ふわふわした表情は、独特の雰囲気を持っている。控えめに、微笑むと人形めいた感じで、場所が場所だけに、女の子たちの興味を惹いた。
「いいえ。ここの先生を訪ねてきたの。クリスマスのリースを差し上げたかったから。」
 莉々は、中のテーブルにのってるリースを指差す。緑の小さなリースが、女の子たちの目に映る。
「きゃあ。かわいいっ。さっきから、漂ってたのは、この匂いかあ。」
「今から、体の温まるハーブティを先生に淹れてあげようと思ってるのだけど、よかったら、あなたたちも飲んでいかない?外寒かったでしょう?」
「ええっ、でもぉ・・・。」
 女の子の反応に、莉々がやっと気付いたというふうに。
「あ、そうだった。ここ、私のお店じゃなかったんだ。先生ごめんなさい。ここで、営業をするところだったわ。」
 莉々が、振り返って、明月に告げる。
「霊感商法とかで、訴えられたらこまるから、やめてね。莉々。」
 苦笑しつつ、冗談めかして答える明月。
「莉々さんっていうのね。ハーブティって、茶店の人?」
「いいえ。ハーブのお店よ。紅茶の葉とかも、扱ってるわ。北山のほうにある魔女の店って名前の・・・よかったら、いらしてね。」
「ここの占い師さんと知り合いなんだね。占い見てもらいに来たわけじゃないんだ。」
「ええ。私用で会いに来ただけ。・・あ、でも、気さくでいい先生だから、ちょっと軽い気持ちで見てもらうのもいいかもね。」
 にっこり笑って答えた莉々が身動ぎするから、ふわんと、髪から、ハーブのいい香りが広がる。女の子たちが、ちょっと顔を見合わせる。
「なあ。今、見てもらったら、そのお茶飲める?」
「そうそう、北山まで、今からいくの遠いし。」
「うん。そうそう。」
 女の子たちが言った。
「ええ。たぶん。・・・いいわよね。先生。」
 はいはい・・・。明月が、おざなりに頷き、手招きする。
 莉々が、手荷物から、ポットとティセットの入った箱を取り出し、ポットの湯を注いでお客の女の子たちに振舞う。
「じゃ、私はこれで、あとで器は回収しに来るから、置いておいて。」
 ばいばいと、手を振って出ていく。
 明月は、客がいるので、後を追うどころではなかった。

空き家の怪 18

2008-05-30 16:36:05 | 別名分室陰陽寮利休庵
「その・・・名前はなんていうの?」
 不便なので聞いてみたが、内心聞かないほうがいいかもと、明月。
「名前?訊くの?」
 悪戯な表情が返って来る。
「え・・・・?」
「莉々で、いいわ。」
「リリィ?え?お水のお姉さんなの・・・。」
「違うわ。漢字。ジャスミンの方の莉よ。」
 ちょっと、むっとした莉々が勢いよく言い返す。言ってしまった瞬間、彼女は微妙に顔をしかめた。明月は、それを見て、おやと、思う。名は、その者を顕し、同時に縛ることも出来るので、多くの人に知られてはいけない。古くは、真名と言われる、親か、配偶者ぐらいにしか知らない名が存在した。悪用することも出来たから、そんな理由で、彼女が同じ術者なら、本名はなるべく隠すはずなのは、わかっていたが・・・・・。今の反応で、明月は想像がついてしまった。おいおい・・・どうせ、隠すなら、関連のない名にしろよ。案外にもろく本心を露呈してしまう。彼女のふわふわした表情は別に、韜晦にしらばっくれているわけではないらしい。
「ふうん。もしかして・・・・・・。」
「・・・・!どうして・・・。」
 明月は、昨日の煙に巻かれた気分をやり返してやるつもりで、莉々の耳に本当の名を囁いた。莉々が目を見開く。
「相手が術者の場合は、すかした顔で、リリィ?そうね。それでも、いいわってくらい、落ち着いてろよ。・・・って、ごめん。口外も、悪用もしません。」
 莉々が、困り果てたような顔をしているので、さすがに、明月も謝る。
「そうね・・お願いするわ・・・。」溜息とともに、莉々は、もとのどことなく、ふわふわした表情に戻る。気まずい沈黙が流れたが、幸いすぐに、占いの館についた。
 中は、色んな占い師たちがいるが、互いの間には薄くても壁があるので、落ち着いて話が出来る。明月のところは、ほとんど訪ねる人もいないので、休憩中とか、札も出す必要もない。とっとと、必要なことを聞き出すぞと、明月は、莉々に質問を重ねていく。
 莉々は、あの家の佇まいが気に入って、入り込んでいたのだという。クリスマスの飾りやなんかは、微妙なあの家の状態がこれ以上悪くならないようにと施しておいた彼女の仕掛けだった。だが、何度やっても2日ともたない。放っておいても、大丈夫そうではあったが、かといって長く放っておいてもいいのかわからない。それで、時間が空いているとき、来ていた。あの、指差した場所に、仕掛けがあって、おそらく、それがあの家の元の持ち主に向けられたものだろう。おかげで、別の沢山の霊を呼びこんだのだろうか・・・。
「丑三つ時になると、哀しげな女の人の姿が浮かびあがるの・・・。それ以外の時間は、沈黙しているわ。」
 息もきれぎれで、哀れな姿であるという。莉々の言葉に、明月が眉を寄せる。・・・丑三つ時。真夜中に、女が一人あの家に出入りしていた?本当に魔女かも・・・・。と、思いつつ、そこに至るまでの夜道の危険について、明月はついつい説教を始めてしまう。
 莉々は、大人しく椅子に座っている。動かない。彼女はまじめに聞いているのだが、みじろぎひとつしないので、ある意味不安になって、明月が彼女の顔の前で手をちょいちょいと振る。すると、莉々の顔が笑顔になった。それまでの、どこを見ているのかわからない顔つきではない。きちんと、焦点があってる。・・・・・・。
 話がそれていたのを元に戻し、明月がまた訊ねる。
「莉々。バイオリンも、君がやったの?」
「ええ。音につられて、ちょっと踊りだしちゃったけれど・・・。」
「じゃあ。あの道は?」
「あれは、もとからよ。」
「・・・・・・。本当?」
「本当よ。物件が安くなるの、待ってたんだから・・・。あんなややこしいことするわけないじゃない。」
「ああ。それで、ちゃちゃっと、原因を取り除かなかったんだ。」
「・・・・・ごめんなさい。」
 というほどには、莉々は、反省していなさそうだが・・・。莉々は、手に提げてきた紙袋の中身をごそごそとやって、中から、小さなビニールの包みを取り出す。お茶の葉のようなものが入っている。もうひとつ、ハーブを使った小さな手のひらに乗るリースを出す。
「これ、冬の新作なの。体があったまるハーブティ。それと、これは魔よけ。」
 莉々は、おわびのつもりなのか、机の上にそれを置き、くれると言った。ふわんと、ハーブのいい香りが鼻腔をくすぐる。・・・・?あの家にも、漂っていた香りだ。
「これ、あの家にも、同じ匂いがしていた。」
「ええ。リースも、そうだけど、私が持っていたキャンドルの香りもお揃いなの。特にセージは、古くから魔を寄せ付けないものとして家の庭に植えられたりした物なの。・・ハーブは、魔女の必須アイテムだもの。色々、研究してるの。」
「魔女・・・?じゃあ、あの壁の中身が怪しいと思っているのは、邪気を感じたからなのか。」
「壁の中身。厭魅の法のこと?」
 むっと、口をへの字にした明月。
「・・・・・おい。随分、古式ゆかしいものにも、詳しいじゃないか。あの、道の通り抜け方といい。」
「あ・・。」
 莉々は、悪戯が見つかった時のような顔。明月が剣呑な目で見る。
「君は、何者?」
「その・・・実家がそういう家なの。でも、古臭くて、嫌。アロマとか、華やかできれいだしいいじゃない?・・・ちょっとした反抗なの。」
 莉々が笑う。厳しい目を向けていた明月が視線をはずし、ふんと鼻をならす。
「どうして、その家に生まれただけで、家業をつがなきゃならない・・・か。」
「そうね。ま、継ぐのは、兄だけど・・・。いやでも、手伝わされるから、ふだんは、好きなことやってるの。」
「なるほど。」
 明月は、莉々のくれたリースを手の上に乗せて、うらがえしたり斜めから見たり、じっくりと見ている。リースの輪に、こよった和紙のようなものが絡まっている。これはきっと符だ。なるほど、和洋折衷か・・・。効くんかいな・・・と、うなる。


空き家の怪 17

2008-05-30 16:25:13 | 別名分室陰陽寮利休庵
冬の朝の空気は、乳白色にけむり、冷たく、睡眠不足の二人にはちょうど眠気覚ましに適していた。腹が減ったので、早朝から開いているその辺の喫茶店で、朝ごはんを食った。
 辻は、出勤時間が早いので、しばらくそこで休憩したあと、適当な時間に先に店を出て行く。明月は、11時に間に合えばいいので、10時ごろまで、そこでしっかり休んでから、出勤するため、移動する。
 四条通りを歩いて、河原町の交差点に差し掛かったところだった。赤いコートの女が眼に入る。あの女だ。明月は立ち止まり、彼女の行く先を目で追う。三条方面へ向かって歩いていく。交差点の信号は赤で、渡れない。明月は西側。その女は東側。明月は、並行するように西側の通りを行き追って行く。最初の信号が青に変ったので、渡って行き、その女に追いついた。
「おい。待て。」
 呼ばれて、怪訝そうな顔が振り返る。緩くカールした髪をきょうは、三つ編みにしているが、昨日のゴスロリ女に間違いなかった。
「あら・・・。」
「訊きたいことがあるんだ。」
「いいですけれど・・・ここでは、ちょっと・・・。」
 彼女は、すれ違っていく人が視線を向けていくのを目で示す。いつもは、人出が多く通行さえも困難になるほどなこの歩道も、平日のこの時間は、まだ人通りもまばらだ。二人が、立ち止まっていても、さすがに、通行を妨げることはなかった。若い男女が立ち止まって、ちょっと剣呑な雰囲気を醸し出しているので、痴話げんかか・・・・と、暇な人が横目で見ていく。・・・だけでは、あるが・・・・・。
 う~ん。往来で話すようなことじゃないか・・・と、明月はそこでの、追求を諦める。この時間は、落ち着いて話せる店は少なく、仕方なく、職場の方に誘った。占いの館って、聞いて、逃げられるかと思いきや、その女は素直に付いて来た。
 並んで歩きながら、明月がちらりと確認すると、興味津々といった顔がにっこり笑う。
変な女。思っていると、その女は、視線をじっと斜め前のお店に向けている。通り過ぎようとした時、とうとう立ち止まった。
 ハーゲンダッツ。店の表のメニューの載った看板を見ている。
 店の自動ドアがスイーッと開いて、彼女が中に入る。明月もつられて入る。ドアが、また、スイーッと開いて出てきた時には、ラムレーズンとチョコののったワッフルコーンが、その女の手に握られていた。
「おごって下さってありがとう。」
「いいけど・・・寒くないの?」
「?」
 こいつ、本当に人間だよなあ・・・と、明月。それは、確かだ。けれど、どこか、浮世離れしているような・・・。どことなくふわんと心もとない表情なのだ。明月の視線を感じてか、女が首を傾ける。にこにこと笑顔が返って来た。ん?このパターン・・・なんか、まずったかも。女の雰囲気に、ふと自分の式神うさぎの姿が頭に浮かぶ。明月はあさっての方向を向く。

空き家の怪  16

2008-05-23 16:44:16 | 別名分室陰陽寮利休庵
相談者は、古式ゆかしい幽霊だった。
 暫バラ髪に、恨めしそうないかにも暗い顔。身につけている甲冑は、ぼろぼろ・・・・。落ち武者という言葉がぴったりだ。武士の姿をしていた。槍が何本も体に刺さっている。事情はわからないが、合戦で斃れた者だろう。
 どこかで、見たことがあるような・・・。辻が、首をひねっているうちに、明月はどんどん話を進めていく。はっとするともう、その武士の幽霊は、涙を流しているのが辻の目に映った。武士は、妙にさっぱりした顔をしている。
「・・・・さっきの話を聞いていて、成仏したくなった。輝くような笑顔を残して去って行く者たちを見て、どうにも羨ましくなってな・・・。」
 明月が頷く。
「そうだねえ。いつまでも、そのままでいても、つらいだけだし・・・。そこは、暗くて、じめじめしてるだろう?」
 まるで、目の前にいるのに遠くの人と電話で話しているようだ。明月の視線が相手と焦点を合わすように、じっと一点を探してしばらく彷徨う。
「さっきの話を聞いていたなら、わかると思うが・・・。今、こうなってしまった原因は、自分にもあると、反省する気はあるかい?」
 いきなり明月の視線の焦点が合い。ばちっと、それこそ電流が弾かれた音が聞こえそうな、瞬間。緊張が走る。ごつい、豪胆そうな武士が、射すくめられて、思わずたじろぐ。
「・・・・・・・・・。」
 冷汗というものが出るなら、出ていただろう。その瞬間の表情を捉えて、明月がふっと呼吸を静かにはきだし緊張を解いて、追及を緩める。
「じゃあねえ。思い出すと、心が温かくなるような思い出を浮かべてみて。」
「温かくなる・・・?」
「ないの?生きている間、ひとつも良い思い出はなかったの?」
「羽振りがよくて、ぱっと金を使って、綺麗どころに囲まれていた時とか・・・。」
「・・・う~ん。まあ、良い思いはしたのかもしれないけど、違うなあ。欲に直結するようなのはだめです。それだと、あんまり好い所へ往けないかもしれないからね。」
「さて・・・・言われている意図が解せぬが、もう少し純粋な心で、という意味か?では、童子の頃かのお・・。」
「・・・なるほど、子供時分のね・・・じゃあ、それ思い浮かべて、心の中が温かくなるかい?」
「うむ・・・。」
 心の中に、温かい思い出が浮かんだようだ。無念の形相が変る。
だが、そのあと、何も変化が起きない。ぽやんと、楽しそうな顔になっていた武士が突然、困ったような表情を浮かべる。
「どうした?」
「・・・いや、親兄弟や、親しい者の顔が浮かんで・・・・。」
「うん・・・?」
「わしが、斃した者達にもそんな思い出があったのだろうか・・・。」
「さあ。あんたの生きた時代なら、子供のころから、天涯孤独もあると思うけれど、それでも、彼らが亡くなって悲しむ人の一人や二人いたかもしれないね。」
「・・・・・・・・。」
 武士は暗い表情をしている。けれども、その顔は無念の表情ではなくて、後悔の念が浮かんでいた。
「もう、恨みの気持ちは手離せるね。」
「ああ。己の不覚悟の故だ。少なくとも、このような目に遭って、それを恨む資格はわしにはない。」
 武士が頷く。体に沢山刺さっていた槍が消えた。同時に、あたりが明るくなり、すうっと、その姿が解けるように消えていった。
 見送ったあと、明月ががくっと脱力。後ろに手をついて、体が斜めに傾いで、顔は上を向いている。はああっ・・・と、大きく息を吐いてぼうっとしている。
「・・・復讐かもな・・・。」
 何百年もああして、成仏出来なくて己の情けない姿を晒していた武士は、もう解放されてもいいだろうと明月は思う。この世に繋ぎとめられていたのは、ある種、あの男に向けられた復讐の念ともいえる。
「え?」
明月のつぶやきが聞き取れずそばにいた辻は、聞き返す。
「・・・さっきの奴。寂しい人生だよなあ・・・。」
「槍が何本も突き刺さってましたし、哀れな末路ってことですか?」
 明月が首を横に振る。生きた時代が違うし、比較出来るものなのかどうかわからなかったが、武士が亡くなるまでの決して短くはない人生のなかで、本能が先行するだけの、殺伐とした世界でただ生きていただけなのかと、想像していたのだ。
「結構いい年のおやじみたいだったし、あの年で、子供の頃しかいい思い出がないなんてなあ。心の温まるような、もしくは気の晴れるような話とか、期待して言ったんだが・・・。」
「子供の頃では、駄目ですか?」
「悪かないさ。悪かないけど・・・・。なんだかなあ・・・・・。」
「たまたま、思い浮かばなかっただけじゃないですか・・・?」
「・・・そうだな。どっちみち、死んでる奴のこと、あれこれ言っても仕方ないか。」
 話を聞きながら、辻は部屋の傍らに置いてあったポットから、急須に湯を注ぐ。明月に茶を淹れてやる。
こぽこぽ・・・。湯のみに茶を注ぐ音に気付き、明月が辻に礼を言った。
「なんだか、人生相談のようでしたねえ・・・。」
 辻の感想。はああと、明月が溜息をつく。
「本業で、あんだけ、客がくればなあ・・・。こんなバイト続けなくていいんだが。結構、この仕事、疲れるんだ・・・。」
「あはは・・・辞められると、困りますけど。本当重労働ですよね。危険だし。」
 ずず・・・。茶を啜りながら、一息つくと、夜が明けて来た。お寺の朝のお勤めの読経の声が流れてくる。辻が終了しましたと、告げに行き、寺の人に見送られて、帰って行く。

空き家の怪 15

2008-05-23 16:39:24 | 別名分室陰陽寮利休庵
朝まだき、庭の苔の湿ったような緑の匂いがしている。瓦屋根の下、木造の古い建物。畳敷きの部屋がいくつもある。回遊式の廊下を渡って行くと、小さな坪庭が、いくつか存在し、それぞれの部屋は心地よく隔てられていた。いくつも建物が折り重なって出来ているようには見えるが、敷地自体は小さい。坪庭のお陰で個々の部屋が独立を保っているように思えるからだ。
 まだ、辺りは暗い。お寺の中。線香の匂いが漂っていた。
「・・・なるほど、それは気の毒にねえ。」
 明月は、椿の木と緑の苔の広がる坪庭の見える部屋に、座っている。卓があり、茶が入った湯のみがふたつ、置かれている。明月のとなりには、辻。あくびをかみ殺して、明月たちの話を聞いて、眠気に耐えている。彼らは、夜中の二時に起きて、ここにいる。早起きというにもほどがある。明月さん、よくもつよなあ・・・と、辻は、それでも、まったく堪えてなさそうな彼のほうをちらり。また、欠伸が出てきそうになったので、卓の向うの方を辻は見る。一気に急冷凍、背筋が寒くなるのを感じた。
「でしょ。もう、私、悔しくて悔しくて・・・。」
 ずずっ。明月が湯のみのお茶を飲み干す音。話しているのは、頭から血を流して、青白い不健康そうな女性。彼女は、二股かけられて、結局ふられたその日に、交通事故に遭って亡くなったのだそうだ。・・・それは、気の毒なのだが、なんだか、ただの悩み相談室の様相を呈している。幽霊を相手に、人生相談なんて、滑稽な・・・辻は、思っていた。この女性で、何人目だろう・・・。午前二時から、ここに座って、色々な霊が列をなして、明月に恨みや心残りや告げていく。明月は、うんうんと聞きながら、相手を否定することなく、一言、二言、答えていって、最後には、なぜか、霊たちが納得して消えて行った。
 列は、この女性で最後のようだ。
顔に青筋のような影のある表情の女性を、明月が正面から見据えて、口を開く。
「けれど、君は本当は、もうそんなこと、どうでもよくなりかけているでしょ?」
「え?」
「ここには、どうして流れて来たの?亡くなった場所でもないし、君にとってこの寺は、縁も縁もないところでしょ。」
「ええ。そう・・・お線香の匂いの染み付いた人について来て・・・。」
「お線香の匂い、どう思った?」
「あの・・・良い匂いだから・・・。」
「邪悪なものは、この匂い、避けるものなんだ・・・。」
 明月が後ろの床の間に置いてある香炉にちょっと手を伸ばし、その上を仰ぐようにして、香炉の香りをふわりと、その女性の方へ押しやる。
 その女性は、明月の意図が分からなくて戸惑っている。
じっと射る様な視線を投げかけてくるその瞳に、たじろぎながら息を詰めている感じ。実際には、息はしていないのだが・・・・。
「君はね。成仏したがっているんだよ。だから、線香の匂いに惹かれてやって来た。悔しいとは言ったけれど、君は、その恨みを直接相手にぶつけることもなかったし、今ここで、もういいやって、思い切っちゃえば、ちゃんと浄土へ行けるよ。」
「・・・・・・・・。」
 その女性は、目を見張る。
「因果応報・・・。自分のなしてきた事は結局は自分に帰る。その相手の男、どっちみち碌なことにならないさ。余所見する癖のある奴は、又、同じこと繰り返すよ。誰かを泣かせているうちに、そいつの運も破綻するように出来てる。だから、もう、その男のことは忘れてしまったほうがいい。」
「え・・・?」
「君が流した涙・・・いつか、どこかで彼にしっぺ返しがくるはずだ。けれど、これ以上恨みを募らせて、呪うようなことになったら、君自身の魂を汚してしまう。因果応報。自分のなしてきたことは自分に帰るって、さっき言ったでしょう?」
 ごくり。あったら、唾を飲み込みそうな雰囲気だ。明月がにやりと笑う。
「嫌な奴に巻き込まれて、これ以上、君が不幸になることはない。・・・だろう?」
 こくり、幽霊が頷いた。頭から流していたはずの血が消えて、生前のきれいな笑顔が戻る。ぱっと、明るい顔になり、ゆっくりと煙のように消えて往った。
 ふう・・・。見届けた辻が、肩から力を抜いて脱力。いつもながら、ほとんど言いくるめているような技だ。ほっとしていた。
「あのう・・・・。」
 うわっ。まだ、残っていた。辻は、驚き、慌てて居住まいを正す。明月は、まだ、残っていることに気付いていたようだ。それほど、驚いていない。ただ、ほんのちょっと、目をしばたたかせ、この部屋より奥の別の部屋をちらりと見たのが、辻には気になったけれども、明月がすぐにこれまでどおりの話を聞くスタイルで進めていくので、問う間もない。

空き家の怪 14

2008-05-23 16:34:17 | 別名分室陰陽寮利休庵
ゆらゆらと蝋燭の灯りが、おいでおいでしている。待っているのか・・・。一定の距離をあけて、前をゆく女。
「どういうつもりで、こんなことをしているんだ!待て。」
「はい。」
 待てと言われて、その女が立ち止まった。緩くカールしてる長い髪がふわりと揺れて、彼女が振り向く。
「見つかっちゃったから、終りね。」
「こんなことして・・・人様の家の中に勝手に変な空間をつなげやがって、良いと思ってるのか?」
 明月が詰問する。彼女は、悪びれるふうでもなく、一指し指をなぜか、壁のほうへ向け、それから手に持っている蝋燭の灯りを銀の小皿の燭台ごと床に置いた。
「ここ、危ないから、夜間は入らないほうがいいかも・・・。迷ったら手を貸してあげてもいいかなって思ったけれど、必要なかったわね。あなたなら、自力で出られる。じゃあ、そういうことで、さよなら。」
「おいっ。」
 捉えようと手を伸ばす明月をかわし、するりとまた怪しげな道を通って消えてしまった。
「ちっ。なんだあいつ。」
 つぶやき、置いて行かれた灯りを拾う。拾って、ぐるりとこの部屋を見回す。
 ここは・・・北側の隅の部屋だ。軽い驚きとともに、明月はじっくりともう一度丹念に部屋の中をみまわし、一点を見つめる。さっき、あいつが指さしたところだ。明月は注意深く壁に近付く。付近に破れた符の落ちているのを見つける。
「ここか・・・。」
 こんこんと壁を叩いてみた。砕いてみようと思ったが、まわりを閉ざす微妙な状態を思い出し、あきらめる。仕切りなおしか・・・。明月は外へ出るために、またもとの道を戻って行く。外の庭へ出た時には、軽い疲労を覚えていた。
 明月が表へまわって、戻る。待っている辻と野々宮が、いっせいにどうだったかと訊く。
「段取りの目途は立ちました。明日は、他の仕事が入っているので明後日でいいですか?」
「ああ。なんとか、時間を空けるよ。」
 野々宮が答える。
 あらためて仕切りなおしということで、その家を後にした。


空き家の怪 13

2008-05-23 16:32:49 | 別名分室陰陽寮利休庵
玄関ポーチで、立ち止まって、明月は下に落ちていた葉っぱのようなものを拾う。
 葉っぱは、はらりと落ちたというより、繋がっていたものから弾けて千切れて飛んだというような切り目をしている。もう少し探ると、木の蔓の破片のようなものも見つかった。
 爆弾ではじけ飛んだような、そんな欠片だ。
 明月は、覗きこんでいる辻と野々宮にそれを見せた。
「野々宮さんが、最初にこの家の怪を目撃した時、クリスマスリースを見つけられたんでしたっけ?」
「ええ。」
 たぶんこれがそのなれの果てだろう。
「これが、何か?撤去されたとき、千切れたんじゃないですか?」
 辻が訊く。
 明月の返事はない。彼はドアの前に立ち、中を透かして見るように目を眇めて、しばし無言でいた。何か考えているのかと思い、辻も野々宮も、じっと待っている。やがて、ふうっと、大きく息を吐くと、明月が振り返る。
「これは、この家の怪に耐えられなくて壊れたものだ。美夜の符と同じ。」
 明月には、さっきから気になっていることがある。確信がないが・・。
「野々宮さん。ここの家は施錠は頑丈なの?」
「いや。セキュリティって意味でなら、あまり万全じゃない。庭をまわっていけば、庭から出入り出来るガラス窓もあるし、古いから、裏口も簡単に開くよ。おそらく。」
 ガラス窓も、隙間にどうにかして針金をいれて、ロックを下げれば開く。それを防止するボタンはついていない。
「ひょっとして、やはり人が入っているのか?」
 何の目的でこんなお化け屋敷に・・・。自分が体験したあの怪現象は、人の手で作られたものではない。悪戯するにしても、ここに入るには勇気がいる。野々宮は、眉を寄せた。
「いる・・かも。」
 明月は、野々宮と辻にここにいてくれと、言い残して、庭を回って居間の方に回って行く。敷石が庭に小道を造っている。周りに植えられた芝生は、冬なので枯れていたが、所々、小さな草花が似合うような花壇が配置されていて、真ん中に石組みの池がある。その池の石組みの淵に座って、春になれば、滴るような緑と花のあふれる美しい景色を望めば、外国の古い屋敷の庭に迷い込んだような気持ちになるだろう。今は、冬なので、その美は抑え気味だが、それでも、十分異国情緒あふれる庭だ。京都の和的な空間を目にする機会の多い明月にとって、どこか、知らないところへふらりと迷い込んだような錯覚を覚える景色。明月は、庭から、二階の窓を見上げた。
「・・・・。」
 二階の窓に、蝋燭の灯りが頼りなく映っている。それが、あちこちの窓を行ったり来たり、ゆらゆらゆれて、やがて階下のこの庭とつながる大きな窓に寄ってくる。
人影が浮かび上がった。
 月の光も照らし出す。人影の輪郭が露わになる。くるくると緩くカールした長い髪。ひらひらがついた、今時、こんなワンピースの女・・・。まっ黒だ。薄い光沢のある生地。袖が膨らんで、袖にも身頃にも細部にあちこち同系色の黒で繊細なひらひらの飾りがついてる。スカートは長めだが、Aラインの広がった裾からぺチコートのレースが何十にも重なって見えてる。編み上げのブーツ。・・・・なるほど、ゴスロリ。まるで、アニメのキャラクターのような存在感だ。

 明月がじっと見ている。向うも、気付いた。明月の視線を受け止めて、黒い瞳が一度大きく見開かれる。その瞳が笑った。まるで、知り合いにあったかのように・・・。
 くるりと背を向けて、廊下へ家の内部へ去ろうとする。
 生きた人間だ・・・。何のためにここにいるのか、確かめる。明月は、走り出した。出入りできるガラス窓は、薄く開いている。明月はそこを開けて進入する時、瞬時躊躇した。
ほんの少し中の空間に違和感を感じる。迷っていたのは、ほんの数秒だ。
「おい!待て!」
入ってしまってから、やはりと思う。この微妙な怪屋敷の中をあちこち繋がる道が存在している。明月は、ゴスロリ女の持つ灯りを見失わないように追っていく。数センチずれただけで、全く違うところに出てしまう、道がいくつも存在する。
 一階にいた筈の明月は、二階にいたり、裏口のところに立っていたり・・・家の間取りを無視して、矛盾に満ちた追いかけっこだ。

空き家の怪 12

2008-05-23 16:27:18 | 別名分室陰陽寮利休庵
現場に向かった明月たちは・・・・・。
夕景の赤い空がすでに半分、にび色に変わり始めている。冬の日は傾くのも早く、それを意識したと思ったらすぐに、あたりは真っ暗になってしまった。
 日が暮れてすぐの、薄暗がりは、くだんの家を不気味に包み込んでいた。
 車を少し離れたところに置いて、ここまでやって来た三人と、向こうから走って来た子供の数人がすれ違う。子供たちは、わあっと歓声をあげて行く。楽しげだなと、すれ違った三人は同時に思う。遊びの帰りか、塾の帰りか、どちらにしてもこの辺りの子だろう。遅くなったので、家路を急いでいるように見える。知らず目を細める。これまでの緊張が解かれる光景だ。
 けれども、耳に飛び込んで来る会話。えっと、聞きとがめる。
「早く。早く。ここを通りすぎなきゃ!」
「怖い。怖い。ここ、魔女の館なんだぜ!」
 明月が子供たちを呼び止めた。
「魔女の館って、何かな?」
「うん。ここ、変なもの音がしたり、誰もいないのに夜中に笑い声とかするんだって・・・。」
「灯りのようなものが飛んでたりするって。」
 おいおい、それじゃただの幽霊屋敷でいいんじゃないかよ・・・と、明月は心の中で突っ込む。一人の子が得意そうな顔で、どこから聞きかじってきたのか、とっておきの情報を披露する。
「長い髪で、黒いドレス・・・えっと、ゴスロリ?みたいな女の人が、蝋燭を持ってこの家の二階に立っていったって、うちの兄ちゃんの友達が塾の帰りに見たって。」
 ゴスロリ・・・今、ものすごい映像が浮かんだぞ。苦笑しつつ、明月はここから見える二階の窓を指さした。
「二階って、あの辺の部屋かな?」
「うん?わからない。」
「その子は、ここの通りを通っていたんだよね?ここから、よく見えるのはあの辺りだと思うんだけど・・・。」
「じゃあ。そうかも。」
 他の部屋の窓は、通りからは庭木の陰になったりしていて、窓に立っている人の様子がはっきりとそれとわかるほど、見えない。子供の情報なのでどこまで、信用出来るかわからないが・・・・。
「ああ。じゃあ、そういう格好したお姉さんがたまたま、お家を見にきていたんじゃないかなあ。ここ、売り家だろう?」
 明月の言葉に、子供がぷっと頬を膨らませる。
「違わい。こっちをその女の人が見てにやって、笑ったって。ふっと、蝋燭の火が消えて、真っ暗になったから、よく目を凝らして見てみたら誰もいなかったって。それに、あそこは前からお化け屋敷って有名だったんだ。」
「そっか、だから魔女も住みついたんだね。」
 話を聞いていた他の子が納得している。小学校低学年くらいの子たちだから、空想のような内容にも理解を示すのか・・・。今の情報が溢れた社会に育つ子たちが、そんなメルヘンチックな設定を現実にあるものと信じ込むか?あるいは、それを裏付けるほど、幽霊屋敷として有名だったのだろうか。
 子供たちと別れて、先に近所の人を捕まえて、聞いてみる。彼らには、この家を買おうかと思って、こっそり下見に来て、評判を聞いて回っているのだと言う。
 一様に同じような反応がかえって来た。え?あの家?やめとき、あかんあかん・・・というよな始まりで、身振り手振りで自分の体験談を話し出すのだ。
 誰もいない家から、騒音が聞こえたり、家鳴りが外まで聞こえるという。
「そら、空家は物騒やさかい。誰か、入居しはったらええねんけど・・・。」
 黙っているのは良心が咎めるほどなのか・・・と、明月と辻は顔を見合わせた。野々宮の顔が青ざめている。その人を最後に、聞き込みを止め、目的の怪談屋敷まで戻ってくる。


空き家の怪11

2008-05-16 14:01:37 | 別名分室陰陽寮利休庵
コトッ。自分の前に、カップが置かれる。あ、ココア・・・。美夜は顔をあげた。
「ありがとう。お父さん。」
 美夜の好きなマシュマロ入りのココア。マスターが、少し目を細める。あつあつの湯気が立っているので、飲み干すには時間がかかる。その間に、ゆっくり心の中も整理できるのだ。ふうっと、ココアの入ったカップに息をひとつ吐いてみて、つんつんとスプーンで溶けかけのマシュマロをつつく。それから、まだ、残っていた鴨居の方を見る。
 鴨居は、熱いほうじ茶を味わっていた。何、と鴨居の視線が美夜をみる。
「鴨居さん。今日はごめんなさい。力不足で・・・。」
 悔しい・・・という、美夜の心の声が伝わってきそうだった。
「力不足なのは、別に気にしなくて、いいんだよ。美夜ちゃんは、ちゃんと自分に出来ることと、出来ないことがわかってる。いつも、ここまでって思ったら、代わりを見つけて、放りだしたりしないだろう?」
「でも・・・。」
「自分で何とか出来ない、もどかしい気持ちはわかるよ。だけど、仕事だからね。ま、若いから、仕方ないか。いずれ、自分の力量と折り合いつけられる。」
「・・・・・・。」
 鴨居が穏やかにこたえる。美夜が、目を見開いている。体から力を抜くように息を吐いた。
「もしかして、経験不足って、そっちの意味・・・。」
 明月の言葉を思い出した。少し、急ぎすぎたのもあるかもしれない。突発的なことに対処出来るすべも少ないなら、下見はするべきだった。それでも、分かったかどうかわからないが、簡単に流しすぎてもいけない。同行者の安全を確保しなくてはならないから・・・。美夜は、カップのココアを飲みながら、思う。
 それにしても、自分とあまり年の変らない明月に言われるなんて・・・。あれ?美夜は、父親の顔を見る。
「経験不足って、明月だって、そんな年変らないよね?」
 マスターが、ちょっと笑って、首を横に振る。
「・・・明月君は、子供のころから、やってるから・・・。」
「え?」
 マスターの言葉に、目がにゅっと細められ、おもしろいものを思い出した鴨居の顔。
「ははあ。そういえば、始めて会ったのは、中坊だっけか・・。みょうに、ふてくされたがきだったな。そのくせ、敬語はちゃんと使えてた。今の方が言葉遣いがいい加減なくらいだね。どういう経緯で、仕事についてるのか、僕はきかなかったが。マスター、どういうつてだったんだい?」
「彼の父親と面識があってね。手が足りなかったんで、応援を頼んだら、好きにこき使ってやってくれって、息子の明月君を寄こしてくれた。」
「親父さん?も、同じ、お祓い師だよねえ・・・。辻君は、お寺の子だと思ってるけれど。」
 美夜が、鴨居のその言葉を聞いてくすりと笑う。
「・・・説教とか、説得とか、そういうのばっかりだから、そう思うかも。」
「何ていうか・・・陰陽師とか、そういう種類の人間だろう?使っている術が、そうだと中原が言っていた。」
 鴨居が指摘した。中原は、過労が祟って、長期療養中の彼の同僚だ。その中原は、少しなら、お祓いも出来た。
「まあね。」
 マスターはふふっと笑って、それだけ答えた。鴨居も世間話のような感覚で話しているので、会話を切り上げて、立ち上がる。マスターと美夜に見送られて、帰っていった。


空き家の怪 10

2008-05-16 13:56:39 | 別名分室陰陽寮利休庵
カラン。カラン。ベルの音を聞きながら、ドアを開けて利休庵へ入って行く。
「おかえりなさい。ああ。鴨居さん、美夜、ふたりとも怪我の具合は?」
 入ってきたとき、意外に元気な姿を見て、マスターはほっと胸を撫で下ろしながら聞く。野々宮は、鴨居から美夜が、ここのマスターの娘だと聞く。
「大丈夫。飛んできた物に当たって、打ち身になっているだけだから。」
「あ、これ、美夜・・・・。」
 美夜は、すたすたと奥の中庭に面した席に座っている明月の前の席にどんと座る。珈琲を飲みながら、のんびりと構えていた明月が、ちょっと片方の眉を上げた。
「あたしでは、適わないし、しょうがないから、バトンタッチするわ。詳細は、何でも訊いてちょうだい。」
「ま、経験不足もあるかな・・・。」
 明月の視線が美夜の手の甲に張られた絆創膏にそそがれる。美夜も、つられて視線を自分の手に落とした。これが、何かと言いかけて、目をぱちぱちさせる。
「どっち側の符が駄目になったんだ?わかるか?」
「あ・・えっと、たぶん北側のどれか。風は、向うからしか流れてなかった。」
「そうか。特定できないのか・・・。」
 傷は、符が破られた時、術も返されてその反動で出来たと、明月は、あとからやって来た事情のわからない野々宮たちに説明した。
「符はおそらく北側のどれかが、破れているか、まったく粉々になっているかしていると思う。美夜の傷は、術がはじかれて出来たものだから、偶然の出来事で符が駄目になったんじゃない。たぶん、そこの場所に何かあるんだ。」
「まさか・・・死体が埋まってるとか、推理ドラマみたいなことはないですよね?」
 野々宮が、青ざめて言う。
「いや・・そこまではないと思います。そんな事情なら、集まってくる愉快なやつらは説明つかない。」
 明月も、その時の状況を辻から連絡をもらって訊いている。それと、重ね合わせて話しているのだ。明月が野々宮に向き直る。
「ともかく、下見はしてきます。それから、連絡をいれます。」
「最後まで責任持って見届けたいんだ。付いて行っては駄目かな・・・?」
「・・・・・。」
「あ、それなら、私が車出します。」
 辻が気を利かせたのか、沈黙している明月に言い添えた。別に、足がどうのと、しぶっているわけではないのだが・・・・。明月は、ほんの少しだけ目を細めて、野々宮に視線をあてた。
「ま、いいですけど。今日は本当に様子見だけですよ。」
「ああ。」
 野々宮が頷く。話のなりゆきに美夜が自分も行くと言い出した。
「責任を感じてるなら、今日はこのまま休んだほうがいい。後日、手伝ってもらえることがあれば言うから。」
「・・・・わかった。」
 明月が強い調子できっぱりと断る。美夜も、さすがに食い下がることも出来ず引き下がる。はあ・・と肩を落とす美夜に、辻が慰めの言葉をかける。
「大丈夫だよ、美夜ちゃん。そのうち、活躍の場がまわってくるさ。」
「ありがとう。辻さん。今度、おいしいお茶を淹れてあげるね。」
 美夜がゆるく笑い、いってらっしゃいと手を振る。けが人の鴨居を残して、明月にくっついて野々宮と辻が利休庵を出て行く。彼らが去って行ったあと、美夜はぼんやりと、テーブルに座っていた。

空き家の怪 9

2008-05-16 13:52:13 | 別名分室陰陽寮利休庵
「なんか、大変だったね。」
 辻が、車のキーを鴨居から受け取り、美夜に話しかける。
「うん。あそこにいたのは単純に消せたんだけど・・・。まさか、反発があるなんて。それに、あの箒いったいどこから飛んできたのかしら。」
「反発?」
 美夜が、後部座席へ車の中へ入る。二つ向うの車のドアが開いて、人が降りて来たのを見ていたので、人の出入りのある駐車場であるのを気にしたのか、声高に説明するのを避けたみたいだ。バタン。バタンともう一度ドアを閉める音が続き、皆が車に乗り込んだ。辻がキーをまわして、パブリカのエンジン音が響き、車が駐車場を出ると、美夜はその続きを説明した。
「野々宮さん。あの家の持ち主は、亡くなってるんでしょう?」
「ああ、亡くなってる。あの家は、遺族が相続税のかわりに物納というかたちで、今は競売にかかっている。」
「亡くなった人に、特に執着があったとかは?」
「さあ。詳しい事柄までは・・・。辻さんに電話した時、分かる範囲で事情は調べてくれと言われたから、調べてみたけれど、大した事情はわからなかった。遺族はみな、地元にいないし、それぞれ資産家だ。執着があったなら、あそこを維持するくらいは出来たと思うけれど・・・。そもそも、自宅にはなっていたけれど、持ち主は便利な町中のマンション暮らしだったそうだから・・・。」
「ふうん。だったら、持ち主は関係ないのかなあ。あそこ、いろいろな霊が流れて来ていたようなので、それがどこから湧いてきたのかもちょっとわからないけれど。」
「わからない?」
「うん。立地条件からみても、ああなるはずないと思うんだけどなあ。」
 悪意や、独特の暗さは感じられなかった。侵入者を嫌い、沈黙をする例もあるけれど、入った時からすでに賑やかな状況だった。こちらの出方に、態度を変えたのか。それともあの中に隠れていたのか・・・?美夜が、反発といった意味を説明した。
「なるほど、すると怒っていたってことなのかな・・・。」
野々宮のつぶやきに、美夜が目を見開く。くすくす。笑う。
「野々宮さんって、いい感性してるねえ。」
「・・・・・。」
 誉められてるのか、貶されているのか、美夜は楽しげに笑っている。それまで彼女が、少し落ち込んでいるのが、野々宮にも見てわかったから、まあいいかと気にとめないでおく。ハンドルを握っている辻が美夜に。
「そういえば、美夜ちゃん。駐車場で人がいるので話の続きをするの気をつかったろう?」
「あたりまえやん。こんな話、変な目で見られたくないでしょ。そっち関係の話って、あたし、知らない人の前でしないもん。うそくさい目でみられるか、良いとこオタクにみられるだけやん。」
 意外。一応、人目は気にすることもあるのか・・・。普段のあの格好なら注目を集めてもいいわけだ。辻は、心の中でつっこむ。
「ああ。もう、あたしの手に負えないから、バトンタッチするかあ。誰に頼むのがいいかな・・・。」
「それなら、明月さんに連絡しときました。」
「・・・・・・・。」
 辻は、野々宮に美夜と交代するお祓い師、明月について軽く説明をする。
 話しているうちに、戻って来てしまった。車は、庁舎の方へ止める。利休庵で、明月が待っているので、歩いてそちらへ向かった。

空き家の怪 8

2008-05-16 13:47:58 | 別名分室陰陽寮利休庵
 終わった・・・。何も見えなくなり、野々宮はふうっと肩の力を抜く。隣りの鴨居も動いた。
「浄化はしたけれど、この建物集まってきやすいみたいだから、出来れば建物は壊して更地にして売ったほうがいいかもしれない。」
 美夜が言った。紐を回収してバックに入れる。
 ピシリ・・・!何かが、割ける音が美夜の耳に届く。
「え?」
 シュッ!美夜の手の甲に切られたような赤い線が走る。
「まず!早く、外へ出て・・!」
 美夜が真っ青になって叫び、その声に押されるように転げるように玄関に向かって走る。
 轟と、家中が家鳴りで揺れだす。床がぼこぼこゆがみ、突風のような風が家中を駆け巡る。
「え?」
玄関を出るところで野々宮が急に足を止め、振り向く。声を聞いたような気がした。
「野々宮さん!あぶない!」
 鴨居と美夜が、立ち止まった野々宮に覆いかぶさる。
 ビュン・・・・!家の中から、箒が飛ばされてきた。
「きゃあ!」
「うわあ!」
 風に飛ばされて来た感じの箒の柄は縦に斜めに、野々宮に左右から覆いかぶさった鴨居と美夜の肩をバシンと打つ。痛みに気をとられている暇はあるはずもなく、二人は野々宮の背を押し出し、自分たちも玄関を出る。
建物から少し離れたところで、地べたにへたり込む。
「痛ったあい・・。」
 呆然と立ちすくんでいた野々宮だが、美夜の声にはっとし、箒に打たれた美夜と鴨居の具合を尋ねる。かなり、打ち身がひどく、病院へ行くことになった。
 鴨居のパブリカは、野々宮が運転して、病院まで行き、美夜と鴨居は診てもらった。幸い骨には異常はなかったが、かなり打ち身がひどく、腫れ上がって、しばらくは腕が上がらないだろう。美夜のお祓いが、失敗したのだと野々宮にもわかった。手あてを終え病院の待合室で一息ついていると、辻が駆けつけて来た。
 事情は、病院に入る手前で鴨居が彼に連絡をいれ、説明がなされていた。


空き家の怪 7

2008-05-16 13:45:38 | 別名分室陰陽寮利休庵
「わあ。すごい・・・。」
 先頭に立って入っていく美夜が声をあげる。彼女の目には、普通の人には見えないものが映っていた。無人の筈であるこの家には、沢山の気配が満ちている。
 一番広い、リビングに集って興じる人々。着飾った人々の幻影が行き来している。リビングは大きく、特に庭に面した部分が広くとってある。出窓があり、その横には庭から出入りできる大きな窓もある。つるりと光沢のある床にその窓の枠が現実の影を落としていた。するすると、白い影が、あちこちの部屋を往来し、バタンバタンと、どこかで悪戯な音を立てる霊たち・・・。
 美夜は、持ってきた布のカバンのファスナーを開け、中から、方位磁石をとりだした。家のほぼ中央あたりで、手のひらのそれを見ている。
「・・・すごいね。これ、パーティでもしているのかな。」
「・・・うん。なんだか、おかしな具合だわ。すべての部屋を見て回ったわけじゃないけれど、悪意も敵意も感じられない。この霊たち、ここに執着とか、なさそうなんだもの。」
 鴨居の感想に、美夜がマジックで白い符に何か書き込みながら答える。野々宮は、無言で呆然と前方を見つめているので、彼らと同じものが見えているのだろう。青ざめている。
「どこかから、流れこんで集まって来ているみたい。」
 美夜が目を僅かにすがめてあたりを見回している。
 野々宮が、ごくりと唾を飲み込み、やっと言葉を発した。
「ここに、進入した形跡のあったクリスマスの飾りつけがない・・・。」
「クリスマスの飾り?」
 美夜が眉をひそめる。野々宮が頷く。
「ドアのところにリース。庭にも、ツリーの飾りのような・・・あ、すべての扉にリースは飾られていたな・・・。交番に侵入者のこと、一応言っておいたから、撤去してくれたのかも・・・。」
美夜は、首を少し傾げている。クリスマスのリースは、もともと精霊を迎えるための物だ。時期的に悪戯かもしれないが、知ってやってたのなら、この状況を悪くしないためのものかもしれない。・・・そんなことを考えたが、首を横に振って、美夜は自分の考えを否定する。
「悪戯でも、よかったのかもしれないわ。お陰で、悪意のあるのは寄って来ていないみたいだから。」
「?」
「クリスマスリースって、精霊を歓迎するものだから・・。お正月の注連縄とは、少し違うけれど、神聖なものの為だから、悪意を持ったものが入り込みにくかったのかも。」
「へえ・・・。」
 美夜がこれもまたバックの中から細い紐を取り出して、それを床に丸く円を描くように置く。野々宮は、美夜に促されて、その円の中に入る。鴨居は慣れたもので言われずとも、その中に入ってじっと立っている。
「じゃあ。符を貼って来るから、その中から出ないで待っていて下さい。」
 美夜がばたばたと部屋を出て行く。
 取り残された野々宮は、不安そうに鴨居のほうを見る。この紐は何なんだと、視線がぐるりと床に周回を描いた。鴨居が口を開く。
「これは、結界なんだそうだよ。」
「結界・・・?」
 聞きなれない言葉だ。バリアーみたいなものだよなと、意味はなんとなくではあるがわかるが、この紐一本の丸い小さな空間が自分たちを周りの幽霊達から隔てて守ってくれているなんて、不安だ。
 野々宮は、スーツのポケットをごそごそさぐり、タバコの包みをだす。吸ってもかまわないかと、鴨居に示す。鴨居は、どうぞと頷いた。
 ライターで火を点け、タバコを銜える。ふうっと、煙を吐き出す。
「すみません。落ち着かなくって・・・。」
「ああ。別にいいよ。」
「でも、鴨居さん吸わない人でしょ?」
「え?」
「車には、タバコの匂いがしなかったし、職場にも、来客用のテーブルしか灰皿がなかった。」
「ははあ。なるほど、よく見てますねえ。」
 鴨居ののんびりとかまえて待っている様子が、野々宮の気持ちを落ち着かせた。
 目を前方に転じると、白いシルクのドレスを着た女性が横切って行くのが見えた。
真珠の長い二連のネックレス。ノースリーブでローウエストのすとんとした薄いシルクのドレス。髪はおかっぱ、片方の耳が見えていて、そちらに蝶の髪飾りがついている。モガという言葉が浮かんだ。そうかと思うと、羽織袴で帯刀の人物。あきらかに、生きていた時代が違う。だが、現代の新しい幽霊らしきものはいなかった。彼らは、お互い目があっても、互いの存在が見えていないのか、干渉しあうこともない。色々な時代のドラマを一度に見ているような気がした。
「なんだかなあ・・・。仮装パーティに参加しているみたいだ・・・。」
 と、野々宮の言葉。鴨居も、もの珍しげに、仮装パーティを見ている。
 美夜が部屋に戻って来た。
「まだ、そこから出ないでね。」
 そう言うと、美夜は手を前に、組む。指が独特の形をかたどり、野々宮にはわからなかったが、呪文のようなものを唱え、それに合わせて、指の形も変化しているようだ。
 シーンと、静まり返り、空気がそれまでと変ったと感じる。凍りついたように、そこに満ちていた気配たちは止まり、美夜が呪文を唱えおわった時には、静かに、まわりの空気に溶けていった。

空き家の怪 6

2008-05-16 13:38:51 | 別名分室陰陽寮利休庵
 一方、庁舎を出たばかりの鴨居と野々宮は、駐車場で鴨居の車に乗り込み、河原町通りに出る。出町を通り過ぎ、もうすぐ、賀茂川に架かる葵橋というところで、歩道から手を振っている女の子を見つける。美夜だ。今日はさすがに、彼女がいつも着ているようなちょっと行き過ぎかもしれないチラ見せファッションはしていない。コートは前を開けて、羽織っている。中には、同じ長さの長いミニワンピとしても着れるセーター。下に細身のジーンズを合わせている。セーターはかなり襟ぐりが深く開いていたけれど、いつもの彼女の格好からしたら控えめだ。この間、鴨居が利休庵で見かけたときは、へそだしTシャツを着ていた。仕事なので、それなりに考えているのか・・・・。大きなエコバッグを二つ肩にかけていた。
 車を脇に寄せる。バタン。この車、2ドアで、シートを倒さないと後部座席にいけない。荷物をいっぱい抱えた美夜が後ろに座り、いったん外に出ていた野々宮が、助手席におさまるとドアを閉めた。
「鴨居さんの車って、昔の映画とかに出てきそう。右ハンドルだから、外車じゃないよね?」
「ああ。トヨタのパブリカって言うんだ。これを買ったのはもう随分昔だ。」
 昭和40年代ぐらいの話だ。小さくて、四角い車体、ライトは丸くてカエルの目みたい。どこか、古い洋画に出てきそうなイメージの車だ。美夜は、もの珍しそうにしている。助手席に乗った野々宮は、この車のことを知っていたが、二十歳ぐらいの女の子だから知らないのだろうと思う。それにしても、よく走っているよな、この車。野々宮は、駐車場で始めこの車を見たとき、思わず「この車走るの?」と口走ってしまいそうになった。「随分、年代物に乗ってますねえ・・・。」という感嘆にとどめておいたのだが、鴨居はうれしそうに、この車のことを説明した。自分で、手入れもするようだ。その話のおかげで、初対面であるにも拘わらず、会話がはずみ、野々宮も気まずい沈黙にさらされずに済んだ。美夜という女の子も、気軽に話しかけられるタイプのようだ。
鴨居が、野々宮と美夜の双方に、簡単に紹介する。
「はじめまして野々宮さん。美夜です。」
美夜がにっこり笑う。マスカラで濃く、大きく目を描いた目力を強調した今風の化粧。迫力がでて、ちょっぴり強い感じだが、もともと素の顔は可愛い顔立ちなので、笑うと親しみやすさが出る。野々宮は、おじさんなので、若い女の子と話すのはちょっと照れくさそうだ。
「きょうは、よろしくお願いします。・・・すごい、荷物がたくさんだね・・・。」
 後部座席に座る美夜の横には、中身のいっぱい詰まったエコバックが二つ。お祓い家と聞いていたから、てっきりその道具かと思い、野々宮が訊ねる。
「これ、お買い物の帰りだから。珈琲豆。お店用じゃないですけど。出町にある輸入食品店へよく行くんです。それと、パン屋さんもお気に入りがあって、たくさん買って来ちゃった。」
「・・・・・・・・。」
 目を丸くしている野々宮。運転席でハンドルを握っている鴨居の目が笑う。
「野々宮さん。今、なあんだって思ったでしょう?お祓いの道具じゃないんで・・。」
「はは・・・。」
 答えようもなくて、愛想笑いでごまかす。
野々宮の反応に、美夜が目をぱちぱちさせてる。
「ちゃんと、必要な物は持って来てます。ほら。」
 エコバックの荷物の上にちょこんと小さなカバンが乗っている。布製のファスナーのついた四角い小さな手提げを持ち上げて、野々宮に示す。
「お祓いって・・・祭壇とか、木の枝・・・えっとなんて言ったけ?榊?そんなのが、いるんじゃないの?」
「え?神道じゃないから・・・。祭壇は、どんなのを想像しているのかしらないけれど、大掛かりなことをやらなければならないなら、現地行って見てからですけど・・・私では無理なので、誰かに交代させてもらいます。」
「へえ・・・。じゃあ、その中身は?」
 美夜が中身を見せてくれた。白い短冊のようなものに、墨で何か文字のようなものが書かれた、おそらくは御札だろう。まだ真っ白なままの何も書かれてない紙もいく枚か含まれていた。黒い油性ペンが一本。何に使われるのだろうと、野々宮は思う。
「これは、符が足りなくなった時、この何も書かれていないほうに書いて使うんです。墨なんか磨ってる暇ないから。」
「なんか、ありがたみないなあ・・・。」
「そうですか?あ、そうだ。これをお持ちください。」
 ちょうど目的地についたので、車が止まる。鴨居は、その家の敷地内にはとめず、手前の道路の脇に駐車する。美夜は、野々宮と鴨居に護符を渡す。
「身につけておいて下さいね。やばいと思ったら、外に逃げて。」
 目的の洋館、野々宮が勝手に恐怖の館と心の中で名付けてた家の前に、立つ。
 ガチャリ。キキ・・・。古いドアが重苦しい音を響かせた。
 ぐっと、体に力が入り、一歩前へ踏み出す。鍵を開けて、中へ入った。