時の泉庭園

小説は、基本、ハッピーエンド。
話は、最後まで出来上がってからUPなので、全部完結済み。

(^◇^)・・・みん兎

陰陽姫 7

2008-03-28 17:28:58 | 陰陽姫
 清盛は、暗躍したことで、美福門院の信頼をさらに深めた。そのことは、彼女が押した後白河天皇との結びつきに繋がり、出世の糸口を得た。
 泰親も、派手に退魔をやってみせたおかげで、高い評価を受ける陰陽師としての伝説を得て、その後の活躍の一助となる。
 けれど一官人としては、かなり僭越な行為で、後で、陰陽頭の賀茂在憲に陳謝したが。
 在憲は、好々爺然として肯きながら、聞いていた。
 今、泰親は、廂に座って杯を傾けながら、杯に映った月を見ている。あの時、話を聞き終わって、在憲は細い目を開けて視線をじっと、泰親にあてて言った。
「わしの面子のことなら構わんよ。動いたのは、泰親だけだったな・・・。」
 にやりと笑い。子供が悪戯をしたあとのような顔をした。それから、さも、今思いついたかのように、話題を変えた。
「ところで、わしの親戚に、年ごろの良い娘がいるのじゃが・・・・。父親も陰陽師をやっておったのだが、出家してしまってのう。母御が亡くなられているので、頼りない身の上なのだ。それで、しっかりした人にもらって欲しいと思っているのだが・・。」
「・・・・・・・・。」
「誰でも、というわけにはいかんのだ。その娘、少々お転婆でのう。今回は、迷惑をかけたようだな。」
「!」
 もしかして、仕組んだのは彼ではないか。そう思ったくらい、泰親は驚かされた。人の良い笑いを浮かべる在憲の顔を見つめながら、もしかして、最初から、ある程度見通していたのではないかと、疑った。さすがに、そんなこともないだろうが、この人の良い顔は、意外と食えぬ。
 ざざあ・・・・・。風の音が思考を遮った。
「風の音がしますわね。この風変わりな瓶子。」
 彩が、酒の肴を運んできて、隣に座り、酒の入った瓶子を面白そうに傾けて、音に聞き入っている。
「清盛どのは、波の音だと言っていた。」
 割れもせず、浜に流れ着いた瓶子は、清盛の手に渡った。
 清盛は、鳥羽上皇が崩じたあと、保元・平治と立て続けに起こった乱で勝ち残って、今や藤氏を差し置いて、破竹の勢いだ。
 泰親は、杯を差し出す。彩が酒を注ぐと、瓶子は傾き、何ともいえぬ音が渦巻く。
「・・・それは、清盛どのへの、海の神からの気まぐれな贈り物かもしれないな。」
「そうなのかしら・・・風の音に聞こえますけど。」
 目を瞑って、音に聞き入りながら、彩が答える。
 泰親は、うすい笑みを浮かべて、杯に映った月を指でちょっと弾いた。
 今、泰親が始めて携わった護身剣は、清盛のもとにある。
                   

              おわり

陰陽姫 6

2008-03-28 17:25:46 | 陰陽姫
 炊かれた護摩の火の前に立つと、梁の上の暗がりにもやもやと蠢くものがある。刺すような目線が泰親に注がれている。
 泰親は、それを無視して、手で印を結び、呪を唱え始めた。
「オンバサラ・・・・・。」
 静まり返ったその場に、呪を唱える低い声だけが響き渡る。
 かさかさ・・・。蠢くもののあざ笑う声が聞こえる。呪を唱えながら、ちらりと視線を飛ばすと、静かになる。
「臨、兵、闘、者、開、陳、列、在、前!」
 九字を切る。その時、突然火がぼっと勢いを増した。梁の上の視線がふっと姿を消した。
 ちりっ。泰親の腕が痛んだ。すでに治っているはずだが、彩に手あてをして貰っ
たところだ。・・・・・・・・。研ぎ澄まされた感覚が、梁の上の気配を追う。森の中の、おそらくはその気配の主の住処だろう・・・頭の中に、その光景が浮かぶ。
そこへ、彩の気配が重なる。彩は、ずっと前からその気配を探して、住処を見つけていた。鳥羽離宮のそばの森で見かけたあの夜見かけた彩は、その気配の主を追っていたところだったのだ。彼女から訊いた話によると、どうやら、住処の方も何かありそうである。こちらの方も、一緒に始末しておかないといけないと推測していて、泰親は、こちらの鳥羽法皇のそばの女の正体を暴き、森の住処に追い込んで一気に始末するつもりだったのだが・・・・。住処の主が留守中ならば、自分でも何とかなると思ったのか、彩は、森へ行ったようだ。手を引けと言っておいたのにあのお転婆め、と。
心の中で、あせりながら、急いで、作戦をかえ、妖のものを避ける手を打つ。
 見ている女房たちは、何もわからぬが、突然息巻いた火におびえて身を硬くして見守っている。
 泰親は、平静を装いつつ、呪を唱え続けた。
 外で、物音がした。ばさばさ・・・。飛ぶはずのない鳥が、一斉に飛び立つ音がし、ちかくの森の方角へ飛び去って行く。式を飛ばした。ここにいる人達にはもちろん、見えないので、突如起こった外の森を揺らす轟音に声もなく怯えている。これで、彩の助けになるだろう。巣を失って、敵も慌てる・・・・。額に、汗がにじんだ。
 ばさばさ・・・・・。再度、音が移動し、森の樹が轟と揺れた。これは、ちょうど良い効果音だ・・・・。
 見守る人々の緊張が頂点に達した時、
「いかん。これは・・・。」
 泰親は、わざと焦った声を出し、呪を途中で中断し、駆け出した。追いかけて来る者はいないが、すでに、このことは院の御所中に知れ渡っていたから、息をつめて見守る人々の間を塗って走り、法皇の御座所へ駆け込んだ。
「火急の時にございます。無礼をお許しくだされ。」
「な、何事じゃ・・・。」
 鳥羽法皇が、腕に美しい女を抱いたまま、振り返った。法皇の顔はげっそりと頬が扱けている。女は、気を失っていた。息をしていない。泰親が室に踏み入ると、ふっと息を吹き返し、目を開ける。
「その女を近づけてはなりません。妖狐、でございます。」
 叫び声をあげる泰親。
 目を開けた女の妖しい目の輝きに、さすがに、法皇も腕を弛めて後ずさってゆく。
「まあ。酷い、冗談・・・法皇さま、お信じにならないで。」
 濡れたような瞳が迫る。金色に光った。・・・・法皇の肢体が不自然にゆれ、ふらりと引き戻されそうになる。
「金毛九尾の狐。古くは、唐土の帝を滅ぼした妖しのもの!とく去れ!」
 ぱんぱんと、拍手を打って、上皇の意識を取り戻し、叫ぶ。
「臨、兵、闘、者、開、陳、列、在、前!」
 泰親が晴明印を宙に刻んで、妖狐に投げつける。
 ぎゃっと、妖狐が叫んで、姿を現す。
妖狐がその九尾のしっぽをぱしっと振って、印の追求を逃れる。ざざっ。風が、室のものをなぎ倒し、妖狐は外へ逃げ去る。
 泰親も、後を追って外へ飛び出す。
 追いかけながら、庭のどこかに、待機している清盛を探す。
「泰親どの、こっちだ。」
 妖狐の行く方向に、清盛は立ちはだかっている。手に、泰親の預けた太刀を持っていた。
 妖狐は、清盛の方が近い。
尻尾だ。清盛どの、その太刀でしっぽを斬ってくれ!」
 自分が受け取っていたのでは間に合わない。泰親は、叫ぶ。
 聞くが早いか、清盛はきらりと太刀を抜き放って、妖狐へ向かって行く。太刀が、妖狐に追いついて振り落とされる瞬間、泰親も、晴明印を宙に刻み投げつける。
「砕!」
 太刀が光るのと、晴明印が輝くのと、妖狐の断末魔の声とが、しっぽが切り落とされる瞬間同時に起こった。
 ぱんと、白い輝きが起こり、消えると何も無くなった。

陰陽姫 5

2008-03-28 17:16:55 | 陰陽姫
 空に月が出ている。泰親の自宅の、南の廂の間から眺めは、月と星と空の様子がわかりやすいようになっていた。人影がふたつ酒盛りをしている。
「・・・なるほど。で、疑いは晴れたのか。」
 やはり、清盛は何かを知っているようである。泰親の家で、酒を酌み交わしていた。次の日、清盛は、良い瓶子があるから、差し上げようと思って持って来たと言って、ひょっこり訪ねてきた。
 素焼きの瓶子は、管につながれて二つ連なったみたこともない形をしていた。浜で、拾ったのだという。酒を淹れて、杯に注ぐ時、傾けると、風の音が聞こえた。
「ああ。気になったので、やはり家を訪ねたのだ。・・・清盛どの、その様子では何か知っていると見える。」
 あの後、彩を見かけて声を掛けた話をすると、清盛は、泰親の表情をじっと眺めながめていた。にやりと、確信を持った調子で、訊いたのだった。
 話ながら、明るい表情に見えたのだろう。我ながら、加冠したてのガキのようではないかと、泰親は苦笑し、話を進める為、清盛に先に矛先を向ける。
「実はな・・・陰陽姫は、ふたりいるのだ。彩どのは、前から良く見かけるのだが、近頃、出入りし始めた女も、女房達の間で、そう呼ばれていてな。これが、えらく美形でな・・」
 美人であるという割りに、清盛は含みのある調子だ。
「清盛どのの、口説き落とした女ではあるまいな。」
「まさか。俺の好みではないよ。・・・その、通っている女から、陰陽姫を調べるように頼まれたのだ。はっきり言うと、彼女を通じて、美福門院さまの意向なのだ。」
 美福門院は、鳥羽上皇の寵妃だ。清盛は、陰陽姫の素性を探るようにと、頼まれ、町で噂を拾ってもみた。だが、彼女を知るものは皆無だった。あれだけ、目立つ美貌で、評判の退魔師ともなれば、例え、流民の如き生活をしていても、噂のひとつやふたつ、拾えるはずだ。院に出入りするようになった経緯も不確だった。
「そうか・・・。では、彩どのの探していた気配と繋がるかもしれぬな。」
「彩どのの?」
「・・・その陰陽姫は、今も院の御所か。」
「ああ。上皇さまがお傍を離さぬとかで、后妃のごとく扱われている。」
「では、遇って確かめるということは、かなわぬな・・・。我らは、お召しがなければ、参上することが出来ぬ。」
 面倒な手順を踏めば、それも適う。しかし、それでは遅いかもしれない。泰親は、先日清盛に左道を行えば、衰退と言った言葉を思い浮かべた。大抵は、事は緊急だ。しかし、事態が切迫していたとして、事が起こる事前に、阻止することは難しい。宮中で、陰陽師の地位は低く、耳を貸すものがいるだろうか。何か怪しい気配があったとしても、そうだ。権威がものをいう社会で、不確かなことで先走れば、どのようなことになるか・・・。
「泰親どの。会えば確かに判るか。自信はあるか。」
「ある。」
「それならば、なんとかしよう。・・・それで、どのくらい急ぐ?」
「法皇さまが、その女を近づけるようになって、どのくらい経つ?」
「半月・・・。初めから、ずっとという訳ではないが、美福門院さまがお加減を悪くして、ここ四五日はべったりではないか。」
「では、今すぐにでも。」
 清盛が立ち上がった。ついて来いと、泰親を促した。泰親は、ふと、思いついて、飾ったまま置き忘れていた太刀を取って来て、腰に差しす。それから、家人を呼んで、走り書きした手紙を使いするよう命じて、清盛と共に馬に跨った。
「乗れるのか?」
「ああ。この方が速いし、便利だからな。」
 牛車を飛ばしても、速まる時間は知れている。
 馬を走らせ、院の御所まで急いだ。
 ほどなく、御垣守の衛士の焚く火が見えてきた。
 院の御所の門前で馬を降りる。
「泰親どの。ここで、少し待って居てくれ。」
 清盛はそういうと、顔見知りの門前を守っていた武者と話をつけて、中に駆け入る。
 多くは待たず、清盛本人が呼びに来て、泰親も中へ入った。
 始めに、連れていかれたのは、美福門院の御前だ。美福門院は、落ち着いた美を持つ妃である。静かな美を湛えるその容貌に、今日はあせりが浮かんでいる。顔色も悪く、ひどく具合が悪そうでもある。それでも、長押に寄りかかりながら、毅然と美しく装って座っていた。
 普通なら、御簾の内か、几帳を隔てるのだが、陰陽師は特別なので、美福門院は姿を現していた。
「これは・・・・。恐れながら、何者かの妖気に中てられたようですな。」
 泰親は、おおげさに驚いたように言った。参上の挨拶も忘れたかのように、広間に入り美福門院の姿を見るなり、声をあげる。
 並み居る女房たちがざわつく。
「夜分ご苦労であります。泰親どの。それは、何の妖気か、わかるか。」
「左様。この御所の内に、立ち込めておりますから、特定するのに、時間を下さい。」
 護摩壇を用意させた。
「泰親どの。これでよいか。」
「結構でございます。おそらく、見つけるだけで、退散いたすでしょうが、もしも、去らぬ時は、このまま退魔にも役立ちましょう。」
 泰親は、訊かれて大仰に答えた。美福門院は、あらかじめ、院の傍にいる女が怪しいので確かめたいと聞いていたので、何の意味があるのだろうと、心のなかで首を傾げてみた。
 居並ぶ女房たちは、事情を知らぬので、何が起こるのかと緊張している。
 この先、地位がどうのと足をひっぱるなら、泰親自信の言に耳を貸すようにするまでだ。わざと大掛かりにやって、誰の目にも分かるようにしてやる。失敗は許されない。と、腹を決めた。

陰陽姫 4

2008-03-28 17:08:45 | 陰陽姫
 翌日、都を噂が駆け抜けた。
 鳥羽の離宮の敷地内で、公達の死体が発見される。ひからびた死体は、もとは、若者で、ことは、怪異として報告され、陰陽寮にも届いた。
 知らせはもたらされたが、呼ばれることはなかった。
「・・・それでは、ご贔屓にしていらっしゃる陰陽師がいるから、我らには来るには及ばずと、おっしゃったのですか。」
 泰親は、思わず陰陽頭に聞き返す。
「うむ。院ご自身のご意向だ。いたしかたあるまい。」
 確かに、無い話ではないが、・・・・・。何かが、勘に触れる。泰親には、たまにそんなことがあるから、気になった。
「どこから紹介されたのか。何でも、後宮に出入りしていた女の術師が祓いを行ったとかで、院がいたく気に入られて、お傍から離されぬとか・・・。」
 陰陽頭は、余分な風聞も付け加える。
「陰陽寮で管理しておらぬ陰陽師ということですか・・・。」
「うむ。」
 都の町の呪術師、占い師たちの名前も陰陽寮がその多くを把握していた。その中には、ないようだ。
 ふと、彩の顔が浮かんだ。院の傍に侍る姿は彼女の様子からは、想像もつかないが・・・。
 それにしても、気になることが続いていた。口実を設けて、探ってみるかと、泰親は思った。
 その日のうちに、死体の置かれていたところへ行ってみる。
 穢れのあった場所なので、誰も近付かない。
 すでに片付けられていたその一角に近付くと、草むらに短い金色の糸を見つける。拾おうと、指で摘んだ瞬間、脳裏に映像が浮かんだ。
 生きづく獣たちの気配、木々の呼吸、深い深い森の中・・・・。
「・・・・・・・・。」
 金色の糸がすうっと、まるで空気に溶けるように消えた。
 泰親は、院の御所の女房たちのいる所へ向かうことにした。
 薄闇時、闇に紛れて、女のもとを訪ねる者の如く、しばらく辺りを伺っていた。
 この時間は、勤めを終えて自室に退ってゆっくりしている女房が多い。仲のいい女房の局でおしゃべりをしたりする為に、廂の廊下を歩いて来る者がないかと、待ってみた。
 うろうろしていると、後ろから、呼び止められた。
「清盛殿・・・。」
 そういえば、通う女がいるのだったな。彼を捕まえて、訊いてもよかったのだと、今更ながら、気付く。
「陰陽姫について?俺も、そんなに詳しくは知らぬが・・・彩どのを疑っているのか。」
 清盛が、眉を上下させている。訊きたいことは、他にもあるのだ。
「その・・・祓いを行った者については、どうだ。」
「お主は、陰陽寮に属するものだろう?」
「今回は、全く携わっていない。それも、少し気にかかるのだが。ままよくある話だ。」
 泰親は、その時、また、刺すような視線を感じる。
 清盛が口を開きかけて止めた。何かを気にして、集中力を欠いている。彼も、気がついているのだ。数多くの建物が重なり、人の気配が充満しているので、はっきりとここからと、特定できないのだが、そちらの方向をしきりと気にしているのがわかる。
「残念だが、わしも良くは知らぬよ。」
「そうか・・・。私の気のせいかもしれない。今日は、このまま家へ帰るとします。」
「うん。すまぬな。役に立てなくて。」
 清盛は、この男にしてはめずらしく、歯切れの悪い口調で、答えた。泰親も、今日はこれまでと、打ち切って帰って行く。
 広い院の御所の庭を回って、帰る途中、泰親はまた、彩を見かけた。
 きょろきょろと、辺りを伺う彼女に、後ろから声を掛ける。
「彩どの。」
「!」
 彩は、一瞬体をびくりとさせて、振り返る。
「あ・・・ああ。泰親さま。」
「このような所で何をしておられる。」
「何って、夢占のかえりですわ。」
「今頃・・・・。」
「お話が長引いたのですわ。それより、泰親さまこそ・・・・。あ、ごめんなさい。どなたかのもとへ行かれるのですわね・・・。」
 彩は、声の調子を落とした。落ち着かない瞳で、ほんの少しの間、迷うようなそぶりを見せたが、すぐに表情を消して、泰親の追及を逃れるように、去って行こうとする。
「待て。」
 泰親がその手を捉える。振り向いた彩の顔が、びっくりして泣きそうな表情をしたので、思わず力を弛めてしまう。彩は、すり抜けて行ってしまった。
 これでは、恋の愁嘆場ではないか・・・。泰親は、苦い表情になる。何故、問い詰めなかったのか。いや、きちんと視なかったのか。自分の心に躊躇いが含まれていたのだということに、愕然とした。彩が、妖のものであるのか、ないのか、きちんと視ることは出来た筈なのだ・・・・・。
 しかし、それでも確かめねばなるまい。



陰陽姫 3

2008-03-28 17:04:10 | 陰陽姫
 夜道を歩いていた・・・。泰親は、占いの依頼を受けて、相手の屋敷からの帰り道だった。鳥羽離宮のそばの池の点在するその場所は、薄く靄が掛かって月明かりの下、幻想的な景色を醸し出していた。
 白く浮かびあがった道・・・・。その向こうに、この間助けた女が歩いていた。きょうろきょろとあたりを見回し、顕かに不審だ。泰親は、距離をあけて、後をつけてみた。
 離宮のそばの森の近くまで来た時、霞がぼわっと、一時的に広がった。
 道が現れるまで、しばらく足止めを喰らう。
 霞が晴れた。・・・・だが、女の姿は無くなっていた。
 気配を追おうと、印を結び、目を瞑ってみるが、人の入らぬ森は深く、そこに生息するありとあらゆる生き物の気配が濃く生きづいて、泰親の邪魔をした。
 ふっと、諦めて引き返す。
 きびすを返して帰途につき、洛中に入った時、清盛に遇った。
「やあ。これは、仕事の帰りかな?」
 貴方はと訊くのは、野暮だ。泰親は頷き、型どおり挨拶を交わした。
 清盛が馬から降り、しばらく、談笑しながら歩く。
 時折、牛車が通り過ぎて行く。いつもの、都の風景だ。
 突然、向うからやって来た牛車の中から、公達が転がり落ちた。公達は、頭を押さえてわめき散らしていたが、おろおろと後ずさってゆく従者たちを蹴散らし、暴れる。やおら、従者の太刀を奪い取ると、振り回し始めた。
「いかん。」
言うが早いか、泰親が止めるまもなく、清盛が、太刀を抜いて駆けつける。
斬り付ける太刀を弾こうとした時、ばちっと音を立てて、清盛の太刀が折れた。
「ちっ。」
「清盛どの。それは、物の怪が取り付いています。退って!」
 印を結びつつ、泰親は叫んだ。清盛はすぐに反応する。泰親が前に出、公達の振り回す刀を避けながら、呪を唱え始める。
 その時、道の脇からすばやく飛び出してきたものがあった。
「若いの。それは、私の獲物だよ!」
 譲れといって出てきた、老巫女が、返事も聞かず、先に攻撃に出た。手に持った竹筒の水をばしゃっと、公達に浴びせる。間髪を入れず、残る手に持った榊で、ばさっと、顔面をお見舞いした。
「あやしのもの出ておゆき!」
 ばさっ、ばさっと、容赦なくたたき続ける。
 やがて、ふっと気配が飛んでいくのが、伝わると、公達は目をまわしてその場に倒れた。老巫女は、礼の品を受け取ると、ほくほくと去って行った。
「物凄いばあさんだ・・・・。」
 清盛が、言った。譲ってよかったのかと、ちらりと視線をよこす。
「ああ。依頼されたわけでもないしな。・・あのばあさんは、時々見かける。評判もいいし、腕も悪くない。待っていても依頼はある筈だが、稼ぐことに夢中でな。あんなふうに、飛び込んで来ることもしょっちゅうなのだ。自身が妄執の虜にならねばいいが。」
 泰親自身は、すでに有名で、待っていても依頼は降るほどある。
 しばらく行くと、いく手に黒い影が差した。
 泰親が、またか、という顔で前を見やると、隣で、清盛が太刀に手を掛けている気配が伝わった。
「これは、俺の番かな・・。」
 清盛が呟くと、影から現れた武者が、まっすぐに、こちらに斬りかかって来た。
 太刀は折れているのにどうするのだと、泰親は思い。即座に反応した清盛は、鞘ごとそれを受け止め、振り払った。思いのほか確かな動きに、相手の武者は一旦飛び退る。
 すらり、折れた刀を構える。相手は、にやりと笑ったようだが、ぴたりと、喉元を狙った折れた刀は、まるでその先が存在するかのように、威容を示した。ひたひたと、圧して行く存在感は、清盛の方が上だ。じわじわと、威圧してゆく。
武者の顔に汗が流れた。一瞬ひるんだ時を好機に、清盛が先に声をあげた。
「やあっ!」
 声につられて、武者が斬り込んで来る。清盛は易々と太刀筋を見分けると、交わし、そのまま、すれ違いざま、武者を斃した。
 清盛が、どさっと、音を立てて斃れた武者の顔を検める。この間の酔った公達の所の武者だ。
「意趣返しか・・・。清盛どのには、助けられたな。」
「礼なら、いらんと言いたいところだが・・・。泰親どのは、それでは、気が済まないだろう。そうだな・・・いつかのために、取っておこう。」
 清盛の顔にほんの少し油断ならない表情が浮かぶ。泰親は、彼の野心をみすかしつつ、薄い笑みを浮かべる。
「ご用命なら、どなたの元へも参じるが。但し、私は呪殺は請け負わぬから覚えておかれよ。」
「相手を屠るのに怪しげなものには頼らん。・・・なあ、泰親どの。あの酔っ払い公達や、囀るだけで、役にも立たない公卿どもをどう思う?」
「さて・・・・・・・・・。」
「ふ、まあ答えようも無い話だな。忘れてくれ。」
 少しでも良い位置を確保しようと、日がな勢力争いに明け暮れる彼らは、それのみに気を取られている。彼らが今ある社会をどんな人間が支えて、成り立っているかを理解しているものは少ない。足元が崩れないように気を配ることも必要なのだが、気付かぬ者は意外と多い。狭い世界で、成功の鍵を握るものは一部だ。その他の権力闘争にのみ汲々としている彼らは、下位の者を見下すことで、自己満足を得てもいるのだ。その輪からはずれた者からみれば、あほらしい奴らの一言につきる。
世の中の状況は少しずつであっても、刻々と変わっている。機会さえあれば、とって代わろうと、今まで眼中になかった連中が出てこないと、どうして言える?・・・と。
 泰親も、言いたいことは判ったが、うかつなことは言えない。だが、目の前の清盛は、不適な野心を、彼に見せた。ふと、この男なら何事かやるかもしれないという思いが浮かんだ。
「怪しげなものに頼らんとは、確かに、良い心がけですな・・・。政を行うに、左道を用いれば、その先は衰退。己が身を滅ぼすものですから。」
 釘を刺す必要もないだろうが、じっと相手の様子を観察した。その時、泰親の目にちかっと小さな星の光が飛び込んできた。
 占うつもりもないのに、珍しいことだ。このお方は、何か強運を持って生まれて来た様だ。だが、まだそれは小さな星屑のような輝きで、何であるのかは掴めない。それを知ってうかつに動き回って、輝きが消えてしまってもいけないので、伝えないことにする。珍しく気の晴れるような人柄を気に入ってもいた。上手く時が満ちて、輝きを手にするよう祈りながら、視線を外す。
すると、どこからかこちらを伺う視線を感じる。
 辺りを見回すと、また、離宮のそばの森で見失った女が後ろから、歩いて来る。
 あっと、向こうも気がついたようだ。今はもう、視線を感じない。
 清盛も気付いたらしい。近付いてきた女に笑いかける。
「陰陽姫ではないか。」
「陰陽姫・・・・あの、それは?」
 とまどいながら、女が訊ねる。
「ああ、すまぬ。彩どのと言ったか・・・。陰陽姫とは、離宮の女房たちが噂していた。」
「・・・確かに、夢占をいたしますから、陰陽師の方々と似たようなこともいたしますけれど。」
ちらりと、泰親を見、気を悪くしたのでもなさそうなので、続ける。
「どちらかというと、話を聞いてあげるほうが多いですわ。」
「話を?」
「ええ。悩みがあるから、占いに頼ることが多いのでしょう?中には、自分で、何に迷うているかもわからない方もいらっしゃいますから。話しているうちにそれと、お気づきになって、あとは自分でお決めになるのです。もちろん、判定も伝えますが、私に用がある方は、みな話を聞いて欲しい方ばかり・・・。」
そこまでしゃべって、ふと、泰親の袖のところに目が留まった。あらっと、何のためらいもなく、手を伸ばす。
 泰親は、訊かれてみて、はじめて気がつく。破けた袖から、血が染みになっている。
 さっきの武者にやられたわけではない。おそらく、とりつかれた公達に近付いた時、かすったのだろう。確かめてみたが、かすり傷だ。大したことはないと、首を横に振った。   
彩は、しゅっと自分の衣を裂いて、泰親の腕を縛った。
「生憎、つける薬は持っておりませんけれど、まだ、血が止まっておりませんもの。早く、手当てなさったほうがよろしいわ。」
 ちょっと、小首を傾げて、考えていたが、近くに自分の家があるから、そちらへと誘った。
「よいのか。彩どの。男ふたり、狼かもしれぬぞ。」
 清盛が、冗談半分に訊く。彩は、じっと清盛を見て、にっと笑った。
「あら、嫌がる女を無理強いするようには見えませんわ。」
「うむ。はっきり断るなあ・・・。」
「それに、家の者もおりますわ。手あてをしたら、即追い出しますもの。」
 

 彩は、築地塀に囲まれた屋敷へ入ってゆく。こじんまりとしていたが、手入れの行き届いた屋敷だ。共も連れず、ひとり出歩いて、まさかこんな家の娘だとは思わなかった。もちろん、夢占いをし、院の御所の女房たちの間では人気があるらしいから、こんな暮らしも望めないことはないのだろうが・・・。
泰親は、不思議な面持ちで、彩に手あてをしてもらう。傷薬の薬草独特の匂いに、落ち着きを感じる。手あてをしてくれる彩の、衣の袖は、鮮やかな色をしていた。
 彩のまわりには、怪しい気配がちらついていたのだ。落ち着いてはいけないと。
 先ほどの、刺すような視線を探ってみようと試みるが、何も見出せなかった。
 手あてがすむと、宣言どおりふたりは、すぐに追い出された。

陰陽姫 2

2008-03-28 16:55:00 | 陰陽姫
鳥羽離宮。鳥羽に築かれた法皇の壮大な規模の院の御所だ。水郷地帯に作られている為、大きな池や、水の流れが楽しむことが出来た。
 暑い京の夏も、洛中からやって来ると、涼しく感じられ、気の晴れるような景色を楽しめた。
夏越の祓えを行うため、陰陽寮総出で、離宮を訪れる。
中は、公卿達で溢れかえっていた。彼らは、なかなか道を開けようとしない。仕方がないので、陰陽の頭(かみ)と、助(すけ)だけが、人を掻き分け進んで行く。
ようやっと、たどり着いた時には、冠が傾き、束帯はゆがみ、ひどい有様だ。
くすくす・・と、公卿達の蔑む笑いが聞こえた。
頭は、それでも何食わぬ顔で、祀りを行う。
進行を見守りながらも、お互い袖をつつき合いながら、まだ、愉快そうにしている。大あくびをしているものもいる。
いつもながら、低俗な連中だ・・・・・。
それを遠くで見物しながら、泰親は、心の中でつばを吐く。
くす・・・。どこからか、笑いを含んだ視線を感じた。
殿社の方に視線を走らせると、かなり遠くの方から、ぺこりとおじぎをして去って行った人影が見えた。
祓えの行事が終わると、宴席で、また、中はごった返した。
泰親は、早々に退散しようと、頃合を計って廊下に出た。そのまま、すたすたと、出口に向かおうとする。
いく手に、赤い顔をした公達が、水干を身につけた女の手を捉えている。
女は、顕かに嫌がっていた。
酒臭い口が、近寄り何かを囁いた時、女の怒りが爆発した。
ばちんと、子気味よく音を立てて、平手が見舞う。
「失礼ね!白拍子じゃないって、言ってるでしょう。」
 随分、勇ましい女だ。だが、相手は酔っている。
 泰親は、近寄って声を掛ける。その公達は、酔っていて目がすわっている。泰親の知っている男だ。だが、その公達は認識していないようだ。はっきり言ってどこの誰が声をかけてもわからないのではなかろうか・・・。意味不明のことを口走り、まだ、女に絡もうとしている。
 相手はなかなか退きそうでもない。どうしようかと思っていると、ごとりと音がして、近くの室の几帳の奥から人の頭がはみ出した。
「騒がしいなあ。」
「!」
 さすがに、人がいたことに気付かず、皆、驚いていた。几帳の奥から、ゆっくりと直垂の前の紐を結びながら、男が出てくると、公達の正面に立った。ただ、それだけなのだが、男の存在感は圧倒的で、思わず相手は一歩退く。
 その男は、にやりと笑うと、一歩前に踏み出す。瞬間、その男のまわりにすうっと、殺気が取り巻く。酔った公達の顔から、血の気が引く。いっぺんで酔いが醒めた。
 今だ。見ていた泰親も追い討ちをかけることにした。
「先日はどうも・・・。」
 含みのある目で、注意をうながす。相手が、陰陽師の泰親と、認識したところを見計らった。こういう時、陰陽師というのは便利だ。人に知られたくない彼らの事情を、知っていて、無言の圧力をかけられる。
 すごすごと、公達が去って行った。
「お二人とも、有難うございます。」
女が礼を述べた。にこりと、顔を上げた時、泰親はあっと思った。
 先ほどの、視線の女だ・・・。
「先ほどは、子供のようで、笑ってしまいましたわ。あまりの態度の悪さに毒づきたいのはわかりますけど・・・。」
 鮮やかに笑ってみせる。まだ、二十歳を越えてはいないだろうか。女は、遥かに年上の泰親の心を読んだように応えた。
 あまりに子気味良い態度で、不思議と、悪い気はしない。
「いや。確かに顔に出したつもりはないが、ほんの少し表情が動いたか。」
 返事は、笑いを含む。
 直垂の男が、もの珍しげにこちらを見ている。
「陰陽師の安倍泰親どのと言えば、よく当たると、評判だな。もっと、年よりかと思っていた。俺とおなじくらいか・・・。」
 直垂の男は三十代。泰親と同じ年の頃だ。
「おっと、失礼した。平清盛と申す。」
 痩身ではあるが、筋肉質で動きもきびきびと、清盛は武者だ。抜け目なさそうでいて、憎めない雰囲気。意外に白くて、整った顔立ちが、へたな公卿たちよりも、品があるせいか。
「お近付きのしるしに、近々一献やりましょう。」
 泰親は正気かと、内心思ったが、清盛は、手でぐいっと、杯を傾けるしぐさをした。明るい様子は、相手が陰陽師という怪しい職だというのに、全くこだわりがない。
 社交辞令だろうがと、泰親は思ったが、軽く頷いた。
 几帳の奥で身じろぎする音がした。
「そちらは、もう退出されるのか?」
 清盛が、助けた女に訊いた。途中まで、送っていってやろうかと言う。
 女は、ちらりと几帳の方を見やり、首を振った。
「有難うございます。結構ですわ。それより、よろしいの?あちらを追いかけなくて・・・。」
「おおっ?」
女が指し示す方向に、几帳の奥の気配が去っていく。清盛がしまったという顔になる。
 にこりと笑いながらどうぞと、手を振る女。
 清盛は、迷っていたが追うことにしたらしい。
「仕様がない・・・・。泰親どの。その女性を送って行ってあげなされ。」
「?」
「美女のお供はお譲りしよう。二兎を追うのは止めにいたす。」
 ばたばたと去って行く。
 あまりにあっけらかんと言われたので、腹も立たぬらしく女は、くすくす笑っている。
 泰親の耳へ。
「実は、あの方が祭礼の最中にこの局のあたりをうろうろしているのを見かけていたのですわ。それほど、ご執心の方を忘れていらしたなんて・・・・。」
 呆れた奴だ。さぼっていたなんて・・・。泰親は、後日清盛本人から言い訳を聞いた。
 からからと、悪びれる風もなく笑い。
「あの、弛んだ雰囲気はどうにも苦手なのだ。それに、やっとくどき落とした女を袖にするのも忍びなかったしな。」
 あの場の雰囲気は、確かに祓いには向かない。なるほどと、泰親は思った。
 それはともかく、その場は、助けた女も同行を断り、どこかへ去って行った。
 風がそよいだ・・・・。
 ふわり。残された香にかすかに、違うものが混じっているのを感じる。泰親は、じっと辺りを見回してみたが、何も無く。確かに嗅いだはずのものも、すぐに掻き消え、不確かになり、眉を寄せる。ちょっとした邪気か・・・。酔客が振りまいた。こういった場面にはよくある・・・と。泰親も、強いて、追うこともなく、帰って行った・・・・。
  

陰陽姫 1

2008-03-28 16:46:42 | 陰陽姫
廂に面した明るい一角に机が置かれ、泰親は書庫から持ってきた巻物を広げ、読みふけっていた。彼の傍らには、山と詰まれた蔵書が置かれている。
ひとつひとつ丹念に目を通していく。
 虫食いなどの書物の破損箇所を点検して、補修するための作業なのだが、ついつい目新しいことを見つけると、読むほうに力が傾く。
 今も、古い時代の記録を見つけ、作業の手は止まったままだ。
 気になる箇所を見つけ、あれはどうだったかと、他の巻物も広げ、果ては、補修の予定に入ってなかったものまでも、持ってきて紐解くので、散らかり放題だ。
 廊下を歩いてきた人のあったことにも、気付かない。
「泰親殿!」
 同僚の注意を促す声に、やっと顔をあげる。
同僚のまわりも、泰親が広げた書物が侵略していた。といっても、彼も同じような状況だったので、そのことを責めているわけではない。自分が呼ばれているのにも、気がつかない泰親を気遣ってのことなのだ。
「これは、失礼をいたしました。陰陽の頭(かみ)さま・・・。」
 泰親が慌てて、非礼を詫び、挨拶をする。
 陰陽寮の長官、頭(かみ)の賀茂在憲が、近寄ってきて、足元の書物を拾った。
 在憲は、肯きながら、目を細めている。
「いや、懐かしい。これは昔わしが補修したものじゃよ。その前に散々、読みふけったから、今でも、文字の一字一句まで暗礁出きるくらいじゃよ。」
 ほとんど白くなった髪、白い髭と細い目がどこか山羊を連想させて、草食動物のような穏やかな雰囲気をたたえている。その在憲の柔和な表情。ほくほくと笑っている。
「・・・・・・・。」
「うむ。若いうちは、学ぶのもいいさ。我らの仕事は、判定が難しい。」
「はっ。」
泰親は、恐縮した。その神妙な顔つきへ、在憲は、にこにこと笑っている細い目を、ほんの少し開けて、泰親に視線をあてた。
「何かご用命でございますか?」
 訊ねる彼へ、うんと肯く。在憲は、微笑しながら答える。
「これから、護身剣の鋳造の仕事を、手伝ってもらいたいのだ。」
 泰親が即座に肯いた。
 大車輪で、まわりを片付けると、在憲について、鋳鉄所まで行く。


刀に使われている産鉄から、刀鍛冶の仕事まで、一通り、在憲について学ぶ。実際に、行う技術者たちはいるのだが、初めてなのでその中に混じって、彼らと共に働く。
 危険を伴う仕事なので、すべての工程を理解し見守る、監督者が必要なのだ。腕のいい技術者たちも、育つまで時間がかかり、大切な存在だ。
 宮中へ収められる護身剣の製造は、陰陽寮が携わってきた。監督者は、ある程度、責任を負える人物がやるのだが、そろそろ、若手を育成しなければいけない時期で、泰親が指名されたのだった。



始めに、祭礼を行い、作業が開始される。
火が熾り、たちまち鉄を造る為の、重苦しい暑さで辺りは満たされ始めた。
火を強くする為、空気が送り込まれると、火の粉が舞い。
どろりとした液体が造られる。玉鉄(たまはがね)が出来た。
真っ赤に焼けた玉鉄を叩き、刀を作る。釜の火で焼き、どんどん形を形成していく。
赤色は魔を滅ぼす色・・・。
真っ赤な火の中から、取り出され、水を潜ると、じゅっという音と共に、銀色の刀が現れる。
 刀は、魔を避ける道具だ。きらりと、鏡のように輝いた。



泰親が、ふうっと息を吐いた。作業着の白い水干袴の襟の括りを解き、袖で汗を拭った。
中は、熱気で満ちている。
隣を見ると、在憲が額に汗を浮かべ、それでも平然としていた。
在憲の目が、次を促す。再び、身なりを整え、二振りめの刀に取り掛かる。
作業の進行を見ていた。
あと、一息というところで、部屋の隅にふっと黒いものが浮かぶ。それは、部屋の隅の影よりも、黒く、しみを落とした小さな点がじわじわ、大きくなろうと、ひそやかに蠢く。
それは、泰親が、じろりとひとにらみすると、すぐに消えた。となりの在憲が、目を細めて肯く。ちらりと、泰親が見て気にしたが、作業の佳境で緊張感に満ち、質問は許されない雰囲気だ。あきらめて、続きに集中した。
泰親が最後の一打ちを振り下ろす。
シュン。ほんの一瞬、小さな音を立てて、光った。
二振り目の刀が出来上がった。
その後も、また同じ工程を何度か繰り返した。
作業が終わり、刀鍛冶が出来栄えを確かめて、強く肯いているのを尻目に、在憲の後に続いて、鋳造所を出る。
「思ったとおりだ・・・。泰親、あれが見えたか?」
 墨に現れた黒いもののことだ。
「闇の気配がなぜ、あそこに現れるのですか・・。」
「刀に入り混もうと狙っておったのじゃよ。護身剣は、魔を避け、斬るものだが、刀というのは血を浴びて、人を害することもあるものでもある。魔の付け入る要素があるのだよ。」
「なるほど、あれらを避けるために我らがいるのですね。」
 在憲が肯いた。
外は、すでに夜になっていて、振り仰ぐと、夜空は星が煌いていた。
「陰陽寮にいるものも、占いと祀りを行うことは出来ても、本当の意味で退魔を行うことの出来るものは少ない。妖しげな物が、内裏に献上されても困るのだ。」
 頭は、細い目をじっとこちらに向けてきた。深い色の瞳に、泰親は知らず緊張を覚えたのだった。
 後日、あの二振りめの刀が、泰親の手元にやって来た。とっておけとの一言に、首を傾けたが、言われた通りに、受け取っておく。そのまま、家にしまいこんで、忘れてしまうほど、月日が経った。