「・・・・・・・・。」
言葉もなく、文面を見つめる周子(あまねこ)。行平が、きゅっと眉を寄せる。
「良昌いるか。」
外へ、声をかける。
「はい。まだ、控えております。」
階附近で控えている。行平は、彼に文を渡す。良昌は、読み終わって、顔を上げると、興味津々でようすを伺っている女房たちに、にっこりと笑い、文を渡した。
覗いた彼女たちは、一様に眉を顰める。
小鷺は、ふっと気を失いかける。あの世からの恋文とするには、微妙な内容だが、奇妙な使者と遭遇しているだけに、彼女には怪異にあったように感じられたらしい。
一人の女房が遠慮がちに。
「あの、もしかして、これは宰相さまの北の方の嫌がらせでしょうか?でしたら、中納言さまにもお方さまにも、報告しなくては・・・。」
宰相とは、参議の通称。周子(あまねこ)の実の父のことだ。長年、周子(あまねこ)の母は、その北の方とされる女君に嫌がらせを受け続けていた。その母も亡くなり、周子(あまねこ)が伯父に引き取られた今、そんな被害に会うこともなく過ごしてきた。周子(あまねこ)が、首を傾げる。行平も。
「まさか。中納言どのの面目をつぶすようなことはするまい。すれば、即、夫の宰相どのの耳に入るだろうし、拗れれば関係が悪化することは確実。さすがに、それくらいのことはわかるだろうから、周りの者が諌めるだろう?」
「そうですわね・・・。母が亡くなってから、私のことは、怖がらせることは出来ないと、怪異騒ぎは起きていませんもの。実質的に、家司などに圧力をかけて、物が滞るようにしていたもの。それは、執事を共有していたから出来たことで、こちらにそういうちょっかいはできませんものね。」
祖父が亡くなり、残された頼りない女君ではなく、家産の管理は父に移っていたから、そんなことになっていたのだ。その頃は、向こうの家を拠点にしていたから、実際、事を処理する家司などが、手心を加え、実行する下へ行くほど、拡大解釈が成り立ち、周子(あまねこ)の家は、気がつくと暮らしも立ち行かないくらいになっていった。祖父が他界する時点で、もう少し育っていたら、自分の手で管理したのに。
あそこまで、荒れ果てた屋敷になることはなかったと、周子(あまねこ)は思う。
行平が、慰めるように、彼女の手をふわりと両手ではさむ。
「詳しく訊いたことはなかったが、えぐいな。・・・それでは、今日の一件も、一応、中納言どのの耳に入れておくか。」
「あの、でも証拠はありませんのに・・・。」
それに、後から伝わってきたことで、その北の方は、「ちょっと意地悪をしておやり。」と、言っただけで具体的なことは指示してはいない。
許す気にはなれないが、彼女が、どの程度のことを望んでいたのかは、周子(あまねこ)にはわからないのだ。不当に貶めることはしたくない。
聞きながら、行平は、唇の端をわずかに持ち上げ、薄く笑う。
それほどのつもりはなかったとしても、自分の言った言葉が、下の者にどう伝わっていくか、ある程度想像がついたはずだと思う。わからなかったのだとしたら、お粗末な人柄だとしか言いようがない。
とは言え、今回の件は、違う。なぜなら、自分も似たような奴に遭ったから。
「いや、これは、文の行き違いとしてだ。だが、気味の悪い使いであったこともあるし、養父どのや養母どのにも、明日にでも、報告したほうがいい。」
「行き違いと、おっしゃるの?」
「ああ。」
じっと見つめる周子(あまねこ)の目。茶色い瞳が賢しらな光を映す。
「その使者。目を顰めていなかったか?」
「あら、ええ。」
念の為、側の小鷺をみる。彼女も、うんうんと頷く。
「そうか。じゃあ、俺が宮中で会った奴と、同じかな。人間違いして、文を落として行ったよ。あの文、開けておけばよかったか。」
行平が、今日あったことを手短に話す。周子(あまねこ)が納得して。
「では、文のやり取りをしている方たちは、存在しているのですわね。女君のほうは、やっぱりご近所かしら・・・。この辺りは、皆同じような門地の家ばかりですもの。築地塀なんて、闇夜に間違えそうですものね。」
「・・・・・通いなれた道を間違えるのだから、かなり粗忽者だと思うぞ?」
文の内容から、何度か、その使者も行き来しているはずだ。
「うふふ・・そうですわね。変てこな内容だけど、この文、届けたほうがいいのかしら?明日、伯母上に話して、どこのお宅か、見当をつけてみますわ。小鷺たちにも、情報収集を頼みますね。」
小鷺たち女房が、頷いた。行平が、階の附近に立っている良昌に。
「男のほうも、当たってみるから、良昌、明日は協力してくれ。」
「かしこまりました。では、陰陽師などは、お呼びにならなくてよいのですね。」
「ああ。」
「それでは、私は、どちらかで待たせていただきますとしますかな。あ、その前に、これを。」
薄絹を巾着状に上をしばって括ったものを、主に渡す。彼が去っていくと、女房たちも、部屋の灯りを消して、「では、お夜よりあそばしませ。」挨拶して出て行く。
部屋が真っ暗になると、行平は、薄絹の袋を周子(あまねこ)に渡し、開けてみるように言った。
「蛍ですか?」
「袖に蛍を包みても・・・。」
「あら、どうしてそれを。」
「義姉君の悪戯だ。周子(あまねこ)の反古にした紙を貰ったぞ?良い方だな。」
義姉の思いやりのある、悪戯を行平は、肯定する。
「ええ。」
「これは、俺の思いだ。」
「袖に包むのですもの。一匹なのではなくて?」
「包みすぎたかな。」
随分大きな、風呂敷包みになってしまっている。結ぶ目を解くと、ふわんと、空中に蛍たちが散らばった。暗い室内で、淡い青い光が、ゆらゆらと揺れる。
「きれいですね。・・・・。」
周子(あまねこ)の肩の辺りで、蛍が一匹淡い光を灯している。
一瞬、薄い絹の小袿の蘇芳色(すおういろ)が闇にふわりと浮かび上がる。会いたかった思いは、口に出来ず、周子(あまねこ)は笑みを浮かべて見ている。手で、小さな蛍を捕らえようと、身動ぎすると、蛍は衣を離れ、ゆらりゆらりと上へ、逃げてゆく。
周子(あまねこ)が、捕まえるのを諦めて、行平の方を見ると、じっとこちらを見ている彼の視線と目が合う。そっと、肩を寄せて寄り添う。
「人を恋しいと思う気持ちは、わかりますもの。あのお手紙も、届けてあげたほうがいいのよね・・・。」
「そうだな・・・。」
淡い光が揺れる、闇の中。久しぶりに二人、寄り添って過ごした。

言葉もなく、文面を見つめる周子(あまねこ)。行平が、きゅっと眉を寄せる。
「良昌いるか。」
外へ、声をかける。
「はい。まだ、控えております。」
階附近で控えている。行平は、彼に文を渡す。良昌は、読み終わって、顔を上げると、興味津々でようすを伺っている女房たちに、にっこりと笑い、文を渡した。
覗いた彼女たちは、一様に眉を顰める。
小鷺は、ふっと気を失いかける。あの世からの恋文とするには、微妙な内容だが、奇妙な使者と遭遇しているだけに、彼女には怪異にあったように感じられたらしい。
一人の女房が遠慮がちに。
「あの、もしかして、これは宰相さまの北の方の嫌がらせでしょうか?でしたら、中納言さまにもお方さまにも、報告しなくては・・・。」
宰相とは、参議の通称。周子(あまねこ)の実の父のことだ。長年、周子(あまねこ)の母は、その北の方とされる女君に嫌がらせを受け続けていた。その母も亡くなり、周子(あまねこ)が伯父に引き取られた今、そんな被害に会うこともなく過ごしてきた。周子(あまねこ)が、首を傾げる。行平も。
「まさか。中納言どのの面目をつぶすようなことはするまい。すれば、即、夫の宰相どのの耳に入るだろうし、拗れれば関係が悪化することは確実。さすがに、それくらいのことはわかるだろうから、周りの者が諌めるだろう?」
「そうですわね・・・。母が亡くなってから、私のことは、怖がらせることは出来ないと、怪異騒ぎは起きていませんもの。実質的に、家司などに圧力をかけて、物が滞るようにしていたもの。それは、執事を共有していたから出来たことで、こちらにそういうちょっかいはできませんものね。」
祖父が亡くなり、残された頼りない女君ではなく、家産の管理は父に移っていたから、そんなことになっていたのだ。その頃は、向こうの家を拠点にしていたから、実際、事を処理する家司などが、手心を加え、実行する下へ行くほど、拡大解釈が成り立ち、周子(あまねこ)の家は、気がつくと暮らしも立ち行かないくらいになっていった。祖父が他界する時点で、もう少し育っていたら、自分の手で管理したのに。
あそこまで、荒れ果てた屋敷になることはなかったと、周子(あまねこ)は思う。
行平が、慰めるように、彼女の手をふわりと両手ではさむ。
「詳しく訊いたことはなかったが、えぐいな。・・・それでは、今日の一件も、一応、中納言どのの耳に入れておくか。」
「あの、でも証拠はありませんのに・・・。」
それに、後から伝わってきたことで、その北の方は、「ちょっと意地悪をしておやり。」と、言っただけで具体的なことは指示してはいない。
許す気にはなれないが、彼女が、どの程度のことを望んでいたのかは、周子(あまねこ)にはわからないのだ。不当に貶めることはしたくない。
聞きながら、行平は、唇の端をわずかに持ち上げ、薄く笑う。
それほどのつもりはなかったとしても、自分の言った言葉が、下の者にどう伝わっていくか、ある程度想像がついたはずだと思う。わからなかったのだとしたら、お粗末な人柄だとしか言いようがない。
とは言え、今回の件は、違う。なぜなら、自分も似たような奴に遭ったから。
「いや、これは、文の行き違いとしてだ。だが、気味の悪い使いであったこともあるし、養父どのや養母どのにも、明日にでも、報告したほうがいい。」
「行き違いと、おっしゃるの?」
「ああ。」
じっと見つめる周子(あまねこ)の目。茶色い瞳が賢しらな光を映す。
「その使者。目を顰めていなかったか?」
「あら、ええ。」
念の為、側の小鷺をみる。彼女も、うんうんと頷く。
「そうか。じゃあ、俺が宮中で会った奴と、同じかな。人間違いして、文を落として行ったよ。あの文、開けておけばよかったか。」
行平が、今日あったことを手短に話す。周子(あまねこ)が納得して。
「では、文のやり取りをしている方たちは、存在しているのですわね。女君のほうは、やっぱりご近所かしら・・・。この辺りは、皆同じような門地の家ばかりですもの。築地塀なんて、闇夜に間違えそうですものね。」
「・・・・・通いなれた道を間違えるのだから、かなり粗忽者だと思うぞ?」
文の内容から、何度か、その使者も行き来しているはずだ。
「うふふ・・そうですわね。変てこな内容だけど、この文、届けたほうがいいのかしら?明日、伯母上に話して、どこのお宅か、見当をつけてみますわ。小鷺たちにも、情報収集を頼みますね。」
小鷺たち女房が、頷いた。行平が、階の附近に立っている良昌に。
「男のほうも、当たってみるから、良昌、明日は協力してくれ。」
「かしこまりました。では、陰陽師などは、お呼びにならなくてよいのですね。」
「ああ。」
「それでは、私は、どちらかで待たせていただきますとしますかな。あ、その前に、これを。」
薄絹を巾着状に上をしばって括ったものを、主に渡す。彼が去っていくと、女房たちも、部屋の灯りを消して、「では、お夜よりあそばしませ。」挨拶して出て行く。
部屋が真っ暗になると、行平は、薄絹の袋を周子(あまねこ)に渡し、開けてみるように言った。
「蛍ですか?」
「袖に蛍を包みても・・・。」
「あら、どうしてそれを。」
「義姉君の悪戯だ。周子(あまねこ)の反古にした紙を貰ったぞ?良い方だな。」
義姉の思いやりのある、悪戯を行平は、肯定する。
「ええ。」
「これは、俺の思いだ。」
「袖に包むのですもの。一匹なのではなくて?」
「包みすぎたかな。」
随分大きな、風呂敷包みになってしまっている。結ぶ目を解くと、ふわんと、空中に蛍たちが散らばった。暗い室内で、淡い青い光が、ゆらゆらと揺れる。
「きれいですね。・・・・。」
周子(あまねこ)の肩の辺りで、蛍が一匹淡い光を灯している。
一瞬、薄い絹の小袿の蘇芳色(すおういろ)が闇にふわりと浮かび上がる。会いたかった思いは、口に出来ず、周子(あまねこ)は笑みを浮かべて見ている。手で、小さな蛍を捕らえようと、身動ぎすると、蛍は衣を離れ、ゆらりゆらりと上へ、逃げてゆく。
周子(あまねこ)が、捕まえるのを諦めて、行平の方を見ると、じっとこちらを見ている彼の視線と目が合う。そっと、肩を寄せて寄り添う。
「人を恋しいと思う気持ちは、わかりますもの。あのお手紙も、届けてあげたほうがいいのよね・・・。」
「そうだな・・・。」
淡い光が揺れる、闇の中。久しぶりに二人、寄り添って過ごした。
