時の泉庭園

小説は、基本、ハッピーエンド。
話は、最後まで出来上がってからUPなので、全部完結済み。

(^◇^)・・・みん兎

君思えども見えず 4

2010-11-25 08:25:19 | やらへども鬼
 夜が明けて、家に帰りついたゆりが、朝食を取り、眠りに就いてすぐのこと。
例の奥方の実家から謝罪の使いがやって来て、叩き起こされてしまった。



 どうせ、御簾内にいるのだから、向こうから姿は見えない。侍女のまとのに適当に、応対させておけばいいものを・・。
 方違えと言っていたから、まだ、別邸かと思ってそちらへ行ってみたら、もう、自邸へ戻ったと聞いて、慌ててこちらへやって来たらしい。
水干姿の年配の家司は、疲労気味の顔だ。
昨日の姿が思い出されて気になることもあり、ゆりは仕方なく起き出して、謝罪の言葉を聞いている。
庭先にいる兼雅の奥方の使いだという家司が、大納言の姫に対し平謝りに言葉を連ねるのを聞いていた。
「どうか、このことはご内密に。」
 ゆりが御簾の向こうに座っているまとのに耳うちする。まとのが頷いて。
「姫さまは、気にはなさっていませんと、申されています。乱暴をされたと言われても、衣装の裾が少し破れただけでございます。姫さまのご夫君が傍に居られたので、少し驚かれた程度で、それほど恐ろしいことだったとも思わなかったそうでございます。ご夫君が、何より、しっかりと抱いてくださったので、却って得した気分でしたわ♡・・・と言うことですわ。そちらさまの様子の方が心配です。」
 まとのが姫君付きの女房らしく扇をちゃんと翳して、優雅な物腰で応対しているが、口調は、微妙に彼女の性格が出てる。そこまで言ってないわよ、そのマークのついた浮かれた言葉は何?と、ゆりは、眉間に皺を寄せている。
「おやさしいお言葉を、ありがとうございます。お方さまもあれから、少し落ち着かれました。お互い、見て見ぬふりとおっしゃっていただきましたが、それでも、お詫びの一言ぐらいはと、気を取り直して、まずは、一番に私に、御指示をなさったくらいでございます。」
 御本人の指示?ゆりは、目をしばたたく。兼雅の奥方は、生真面目な性格のようだ。謝りにやって来た家司も実直そうだ・・。
ゆりが、扇をぱちんと鳴らす。
御簾内には、侍女ならぬ、式神の真白が現れて、文机をゆりの前に置く。
さらさらと、筆を走らせて、墨が乾く間、ゆりが、いつもより高めの声で作り声をし、
「そのまま知らぬふりをしていても、良いものを・・きっと、誠実なお方なのね。それに、取り乱してはいらっしゃったけれど。美しい方でしたわ。普段は、可憐な感じではないかしら?そんな方を泣かせるなんて、従兄弟どのも困った方ね。」
 ゆりの声を聞いて、まとのが扇の影で、笑いをこらえている。
隣で、ぽてっと座ってる真白などは、お姫様モードのゆりに、目を見開いて、驚愕の表情を浮かべている。
 それに、彼女は苦笑しながら、使者がかしこまって、返事をするのを聞いた。

「・・・私も、軽々しいことをしたのですもの。てっきり、従兄弟どのの所有だと思っていたから、あの場所をお借りするのに、断りもしなかったもの。ねえ、あのお屋敷が噂になっているの、知っている?」
「は・・はい。お方さまはご存知ありませんが・・。」
 水干姿の家司は、少し驚いている。
「私、そのお話を聞いて、本当なのか見てみたいって、宮に我がままを言ったの。従兄弟どののお宅でもあるし、宮と親しくなさっている中将さまは、兼雅さまとも親しいから、無理を聞いて頂いたの。」
 家司は、一生懸命眉をよせないように、顔をつくってる。変わった姫だと思っているのだろう・・。
「・・常識はずれなことをしたのは、私も同じですわ。ね。どうか、もう気になさらないで・・と、お方さまに、伝えてくださいね。」
 文を御簾の下から差し出し、まとのがそれを家司に渡す。
「あ、そうだわ。怪のものは結局見られなかったけれど、もし、それでお困りなら、お隣の陰陽師を頼るといいですわ。昨日も実は、ついて来てもらって、あの屋敷にはいたのよ。女の方ですし、私も気易く頼めるので、つい頼りにしていますの。・・そちらさまも、懇意にされている方ぐらいはおありでしょうけれど・・・。」
「左様でございますか。私の一存で、決められるようなことではございませんが、何かありました時は・・と。御好意はお伝えしておきます。・・このあと、宮さまへも、御挨拶に伺いたいのですが、突然伺ってもよろしいものでしょうか?」
「・・・お気持ちは、私から伝えておきますわ。それではいけませんか?」
「しかし・・・。」
「あちらは、どなたも出入りはなさっておりません。中将さまは、院に度々様子伺いを御下命されていらっしゃるので、その縁で親しくなさっておりますけれど、色々なことがありましたもの。宮も、権門の方々とのお付き合いは、できるだけ控えていらっしゃるのです。その・・微妙な立場のお方ですので、どうか、その辺はご配慮下さい・・と、お方さまに伝えてくださいね。」
 うむを言わさない断りの文句を聞くと、家司も頷いた。
「・・・では、姫さまのお優しさに甘えることにいたします。朝早くから、庭先を騒がせて申し訳ありません。」
 家司が帰って行った。



 帰っていった後、まとのが御簾を上げながら、にやにやしている。

「ゆりさま。もう、横にならないんですか?」
「目が冴えちゃったわよ。それより、まとの、その顔、何とかならないの?」
「だって~!何だか、嗜みある姫君モードでとっても楽しかったですぅ。高貴なお姫様・・もとい、お方さまか・・と、それに仕える女房。ああ、夢みたい。大納言さまが、居合わせたら、きっと泣いて喜ばれますよ~。」
 扇の影の笑いの原因は、そっちか・・。相変わらずね。
「泣いて・・はないわよ、きっと。どっちかっていうと、真白みたいに、驚くとはおもうけれど。でも、いたら、直に口は聞けなかったでしょうね。」
「それも、そうですね・・。それにしても、浮気者の夫君って、大変ですね。雨水さまは、大丈夫ですよね?」
「・・・・・まとの。」
 ゆりは、ため息をつきつつ。
「まあ、うちの父上だって、母上一筋と口では言ってるけれど、叩けば埃でてきそうだし・・兄上なんて、付き合ってる人たくさんいそうだものね。雨水だって、まじめそうに見えても、安心できないかも。」
「ゆりさま。意外と冷静ですね。」
「今は、想像だから、でしょ。私だって、とりみだして、平手をお見舞いしたりするかもよ?」
「・・・さぞかし、派手にやりそうですね~。そうならないことを祈るばかりです。」
 どんな修羅場を想像したのか、まとのが、ぞっとしない顔で、額に手をあてている。ゆりと顔を見合わせて、くすくす笑う。
それから後は、いつものように時間が流れ、午後も、まとのと他愛ないおしゃべりをしていた時だ。ふいに、その辺の床に座っていた真白が、耳をぴくぴく動かす。
「主。客人だ。」

 ちょうど、そこへ、紫野が入って来た。彼女が口を開く前に、真白は姿を消す。
 ゆりが。
「紫野。戻っていたの?」
 普段、この屋敷の女房をまとめている、彼女は、昨日休みを貰って、実家に戻っていた。
「はい。用が思いの外早くすみまして、急ぎ戻りました。」
「たまには、のんびりしてきてもよかったのよ?この屋敷には、女房たちも少ないから、紫野には、いつも負担を掛けているのだもの。」
「いいえ。何だか、ぽっかり時間が空いて、どう過ごしていいのか、困ってしまって・・。それで、早く戻って来てしまいましたわ。」
「そう。私は、助かるからいいけど・・。ところで、慌ててどうしたの?」
「そうでした。ゆりさま、念の為、寝殿から、西の対にお移りください。今、お客様がいらして、東の対にて、応対しております。大納言さまは、今日はこちらへは来られませんからと丁重におもてなしして、帰っていただきますが、ひょっと、悪戯心を出して、こちらへ足を向けられるかもしれませんので・・・。」
「何で、父上を訪ねて、別邸の方へ?」
「ええ、ですから・・・・。」
 まとのが、大きく頷く。
「紫野さん。もしかして、ゆりさまが、目当てとかですか?」
「大納言さまも、最近は、こちらで過ごされることが多いので、そうとも言い切れませんが、可能性は、あるかと・・。」
 ゆりが、首を捻る。
「誰?」
「大納言様には、甥御のひとり、ゆりさまには従兄弟にあたられる兼雅さまでございます。」
「・・・・・・・。」
 ゆりと、まとのは顔を見合わせる。まとのが、はっと気がつき、あわてて廊下にでて戻って来ると、部屋の御簾をおろし、外からの視線を遮って行く。

「紫野さん。もう、移動は、間に合いません。」
 応対していた新米女房が、泣きそうな顔で、兼雅とおぼしき公達のあとをついて、渡り廊下をこちらへ向かってくるのを確認したまとのは、
「萩野さん、人には、気が弱いからな~。押し切られちゃったみたい~。」
「まあ、たいへん。まとのさんは、御簾のうちで、ゆりさまの傍で控えていてくださいね。さすがに、御簾のうちにふみこむことはないでしょうが、外で、兼雅さまには、私が、応対しますわ。」
「はい。」
 まとのは、几帳をどんと、ゆりのそばに置く。
「ゆりさま。念の為、几帳をそばに置いておきますね。ずっと陰にとは申しませんが、風で御簾が揺れたりすることもあるので、その時は、大人しく中へ入ってください。中将さまみたいに、物わかりの良い方ばっかりではありませんから、お仕事のためにも、姿を見られないでくださいね。」
「わかってるわ。」
 ゆりが、近くに放り出しておいた扇までも拾って、まとのは手渡す。ゆりは、半分開いた状態の扇を手に、外のようすをのぞき見る。
 紫野が、外縁を示しながら。
「ご夫君も、父君も、留守の時でございますから、失礼ですが、兼雅さまには、こちらの外縁にて。ご親戚ではございますが、姫君さまの、対面のこともございます。どうか、御遠慮くださいまし。」
 これ以上は、立ち入ることまかりならない。・・そんな感じで、紫野は、うむを言わせず、兼雅を押しとどめた。紫野が言ったことは、常識として当たり前の言わずもがなのことだ。わざわざ言ったところから、この兼雅という男の人となりが想像できて、ゆりは、注意深く、御簾のむこうを観察してみる。
少しばかりその態度が不満だったのか、頷きもせず兼雅は、外縁に陣取り、薄い笑みを浮かべた。すぐに、気を取り直すと、御簾のうちに話しかける。
「はじめまして・・というべきか・・。どうも、型どおりのあいさつを述べるのも、間が
抜けているな・・。叔父上が、こちらにおられると思い、謝罪にやって来たのだが、今日は戻られぬというから、直に、姫君に昨夜のことをひとこと謝っておこうと思って・・。」

 不思議そうにしている紫野に、まとのが御簾内から事の顛末を囁いている。
 紫野が、頷き。
「姫さまから・・でございます。今朝、そちらさまから、家司が参って、とても申し訳なさそうに謝っていかれました。ですから、もう、そんなに、お気になさらずとも結構でございます。」
 これにて、おひきとりを・・と言わんばかりの紫野を、あっさりと無視し、兼雅は。
「いや。家の者が、謝罪に来ていたとは知らなかったが、まあ。ひとこと、私からも詫びておくのも筋だと思う。妻の悋気にも困ったものだが、姫も、身内を差し置いて、中将と悪ふざけに参加するなど、どうかと思うぞ?言って下されば、私が、迎えをやって見せて差し上げたのに。・・しかし、わざわざ、恐ろしい思いをなさりたいなど、変った方だ。」
 紫野が。
「お言葉ではございますが、兼雅さまのご友人の方々は、皆、女の方を連れていらしたのではないですか?その方たちも、同行を望まれたのでございましょう?」
「まあ、そうだな。退屈しのぎだよ。」
 薄い唇。形の良いそれが、笑みを造る。穏やかに、笑っているのだが、なぜか酷薄な印象だ。兼雅は、くるりと首を巡らせて、庭を望み、目に映る景色を楽しんでいる。
きちんと冠をかぶった頭の、こめ髪が少しほつれ、風がふくと、ゆらゆら遊んでいる。衣装もきっちりといった印象ではなく、首のところなど、微妙にゆるく調整して着ているようだ。わざと着崩してる、けれど、だらしなくならないような、微妙な調整だ。その着崩し加減のせいだろうか・・何とも、不安定な気持ちを呼び起こす。
斜陽の貴公子。実際には、参議といった閣僚の仲間入りをして、成功者であり、年も、青年と呼べる年ではない。
御簾内から、じろじろみる視線があることを、彼は知ってか知らずか・・風情を醸し出しているところを見ると、計算しているのは確かだ。
御簾で遮られているから、こちらからの視界が悪いということはなく、御簾を透かして、昼間なら、明るい外の方は案外よく見える。外からは、暗い室内の、こちらの様子は窺えないから、便利といえば、便利な、隔てだ。
なるほど、ひっかかる女がいるはずだわと、御簾内で、ゆりが、傍らの侍女のまとのに囁く。「姫さまの言うとおり、美形だけども、性格悪そうですわね。」と、まとのも、すぐに肯いた。とは言え・・。
二人の女の心を騒がせる男となると、やっぱり、好奇心は刺激されるのは、人の子の常。
向こうから、姿が見えないのをいいことに、ゆりは、遠慮なく観察している。
美形ではある。細面で女性的といってもいい印象の整った顔。
女のように、紅い唇の色が、なまめかしさを伴う。
線の細そうな全体の印象が、つい気を惹いてしまうみたいな・・・。落ち着いた年齢に、差しかかってきているので、線の細さのマイナスイメージが全面に出て来ることはないのだ。彼は、早々に立ちあがって暇を告げないのも、ばたばた下々のように振舞うのは好くないと思ってるのか、あるいは、女性のもとを訪れてすぐに退散するのは社交辞令的にも失礼だとでも思っているようだ。
う~ん、結構おじさん・・かな。うちの、兄上のほうが、男らしくて、上だと思うけどと、ゆりは、評価した。もちろん、雨水と比べるなど、もっての他。雨水は、こんな薄情そうな御面相はしてないもんね。と。見えないのを好いことに、イ~っと、顔を歪めてみる。空気読んで、さっさと帰れよ・・と。

そんな、御簾の内の様子は、まったく伝わらず。

彼は、その調子で、のほほんと腰を落ち着け、二言三言、言葉を挟み、あろうことか、話題を他にもっていき、そのまま、そこに居座っている。
尚も続く不毛な会話・・口を聞いているのは紫野だが。

さすがに、いらっとしてきたゆりが、そっと宙に向かい。「真白。」と呼ぶと、白い兎の姿をした式神がすっと姿を現した。
「父上か。兄上。呼びに行って。他の人に姿みられないでね。」
「らじゃ。・・あいつを追い払いたいのだな?」
「そうよ。早く。」
 本当なら、直に、昨日の一件を呼び寄せたのはあんたの無軌道な生活だ~。と。説教してやりたいくらいだが、さすがに、公卿の家の娘としてそれはできない。いくら、わがままいっぱいに育ったって思われていたって、普通、良家の女は親しくない者に声を聞かせたりしない。・・・わがままいっぱい・・?あ、そうだ。それだわ。ゆりが、口を開きかけた時、ちょうど、庭から兄の時貞がやって来た。
「お兄さま!いらしたの?」
 うれしそうな弾んだ声は、甲高い子供ぽっさが出ていたらしく、縁に座っていた兼雅が、ふ~んという感じで、御簾の内をちらりとうかがう。彼は、少し興ざめといった風情で、さりげなく視線を逸らした。・・・よし、成功だわ。ゆりは、にまっと笑みを浮かべる。
 縁に近づいて来た時貞の口元には苦笑が浮かんでいたが、もちろん扇で隠れて見えない。
「兼雅どの。何故こちらの別邸へ?・・妹とは、面識がありましたっけ?」
 時貞が、型どおり、目上の兼雅に挨拶をしたあと、訊ねる。何も知らぬげな様子に、兼雅が、
「・・・急ぎ、叔父上にお目にかかりたいことがあって、本邸にはいらっしゃらないから、こちらへお邪魔してみたのだが。」
 君は何でここに来たの?と、問いたげな目へ、時貞は微笑して。
「そうですか。・・ねえ。姫。また、やんちゃしたようですね。」
 御簾の内へ、声をかけて、兼雅に向きなおり、
「昨夜のお出かけのことが、父上の耳に入ったようですよ?おっつけ説教しに、やって来るから、今から弁解を考えておけよって、知らせてやろうと思って、私は先にやって来たんだが。」
「お、お兄さま~!そ、それほんと?どうしましょう!ふえ~ん・・・。」

 かわいらしく返事はしているが、半分は本音だなと、時貞は打ち合わせなくゆりの話に合わせてやりながら、兼雅をここから追い払う機を狙ってる。
「いつも、考えなしに軽々しく行動なさるからですよ。あきらめて、しばらく怒られてなさい。頃合いを見計らって、助け舟は出してあげますから・・・。」
 時貞と、姫のやりとりを聞いていた兼雅が。
「随分、妹に甘いね。大納言家の対面を考えたら、叔父上がお怒りになっているのもわかる気がするが・・。」
 う~ん・・と目をつぶる時貞。扇で口元は隠れていた。
「わかってます。つい、甘くてしょうのない兄なのです。が、兼雅どの。今回は、あなたも父の身内としての、お小言や、多少の嫌みのひとつは覚悟しておいてください。色好みが、悪いわけではありませんが、例の方とのこと、随分、聞き苦しい噂も出回ってますよ。」
 冗談めかしていたが、兼雅を正面から見ている目は笑っていない。
兼雅は、本当のところは、女にうつつをぬかしていたのではない。仕事上旗幟を瞭かにしたくないことがあってそれを口実に、出仕をサボっていた・・ということも、時貞は見抜いている。と、相手の表情から、読み取る。兼雅は、煮え切らない表情で呻った。
「う・・む。」
 御簾内から、ゆりが頓狂な声をあげた。
「そうですわ!奥方が、かわいそうよ!あんなに、きれいな方なのに!間違いとわかって、お帰りの時は、今にも儚くなってしまいそうな風情でしたわ。家へお帰りになったら、ちゃんと、優しくしてあげてよ。文句言ったりしないでね、兼雅どの。」
 わざとらしく、こどもっぽい我がまま姫の話し方はしているが、気持ちは本当だ。
 兼雅は、苦笑いをしつつ。
「それはもちろんですよ。妻は、魅力のない女ではありませんから・・気持ちが冷めたというわけではありませんからね。・・・姫には、迷惑をかけたおわびに、少しなりとも、叔父上に先に釈明をして、怒りを和らげる努力をしておきますよ。・・おや?外が騒がしい。もうお着きになったようだよ。では、先に通された部屋で、叔父上を待つとしよう。」
 あっさりと立ち上がり、廊下を元の場所へと去って行った。

 見送った時貞が、外縁に腰かけ。

「やれやれ、あっさりと行ってくれたか。何とか、ゆり姫にも興味を持たれないですんだ。」
 ゆりが、御簾を手で持ち上げて、顔を覗かせ。
「色気があるとか、人妻らしい落ち着きとか・・・そういうイメージを持ってたんじゃないの?キンキン声で、地を出したら、興ざめって、単純。」
「ま、性格はあんまり関係ないからな。あの人は。趣味が悪い。・・・と思うよ。それにしても、気をまわして、早くやって来てよかった。」
「え?真白と、会わなかったの?」
「あのうさぎ君かい?いいや。仕事中に、頭中将に呼びとめられて、兼雅どのがずいぶんゆり姫に興味を示していたから、しばらく気をつけたほうがいいんじゃないかって、教えてくれたよ。」
 騒ぎになったので、中将も兼雅に詳細を伝えなくてはならなかったらしい。例の陰陽師を連れて、都合よく興味深々だった宮の奥方と、宮に、おとりをやってもらうつもりで、取り計らったのだと説明した。その時の、兼雅のようすが、さわぎの内容よりも、最近結婚したばかりの姫の話ばかりを詳しく訊いていたのだろう。

「あ~。何だかねえ。懲りない感じの人だったわね。・・・兄上も、あの兼雅さまみたいにならないように気をつけてね。鬼を呼びこんだのは、あの方のせいだもの。」
 時貞は、神妙な顔で頷く。実のところ、そんな恋のどろどろ、三角関係というものは、兼雅のなかで、成立していないくらいの構図なんじゃないか・・というのは、口にしない。かわいい妹に、政策のあれこれ、大人のきたない世界は、なるべく、聞かせたくないので、ゆりには、ごもっとも・・!と、いう顔をして、首を縦に振っておく。
「・・その時は、身内に腕のいい陰陽師がいるから、祓ってもらえるのだろう?」
と。時貞は、何も考えてないふうに、しれっと、笑う。
「・・・・・・。兄上も、懲りない人・・・?父上も、大丈夫かしら・・・。」
「・・それは、問題なく大丈夫なんじゃないか?」
 眉がハの字になりそう・・。力の抜けた表情で、ゆりは、ため息をついたが、廊下に人がやって来る気配がして、そちらを向く。大納言がこっちへやって来る。
「兄上、今のは内緒ね。」
「ああ。」

 時貞がふっと笑い。近づいて来た大納言がいぶかしげにしている。
「父上。お小言を言いにやってこられたの?」
「・・まさか。本当にお遊びでやってたことじゃあるまい。大体の事情は、把握している。とっさのことだ。中将の機転も、我が家の娘と宮と明かしたのは、それ以上の詮索を避けるためだったのだろう?知り合いの、陰陽師夫婦では、依頼したのが兼雅だと明かした上で、他の者たちの私事も話さなくてはならなくなる。」
「よかった~。また、和歌の写しをやらされて、一日中部屋に籠って、お作法を~なんて、言われたらどうしようかと思ったわ。」
 ゆりが、思い出したようにうんざりした顔をしている。大納言は、機嫌のいい顔で。
「せっかく早く帰宅したのだ。時貞も、いる。桔梗も向こうから呼んで、庭の秋の風情でも楽しもうじゃないか。・・・雨水どのは、今日は?」
 庭に配した萩の赤と白が見事に咲いてる。
「宿直ではないから、何もなければ、まっすぐ戻るって、言ってたわ。」
「そうか。じゃあ、そのうち顔を見せてくれるな。時貞、今日は、ゆっくりしていけ。」
 大納言は、紫野たちに、ちょっとした酒肴を用意するようにと命じる。箏や琵琶も出しておくようにと付け加え、その日は、家族団欒の宴だ。雨水が加わった頃には、ゆりも朝からのわずらわしさをすっかり忘れてしまった。

君思えども見えず 3

2010-11-17 11:33:58 | やらへども鬼
「・・・兼雅どのの奥方、かわいそうね・・・。育ちがよくて、取り乱してても汚い言葉使いは出てこないようだし、普段はおっとり優雅な方なのね、きっと・・それにしても、よっぽど浮気っぽい夫君なのかしら?」
 ゆりが呟く。雨水が、
「相手は、恋の噂の多い、中宮に仕える女房だとか・・。それだけなら、よく聞く話だから、人も聞き流すだろうが、兼雅どのが、どうも、まめまめしく住む所まで世話して彼女のもとに昼間でも、入り浸っていると、噂になっているよ。」
 その言葉に、中将が目を瞬いて、
「雨水どの・・・そんな噂をどこで?」
「仕事場で、人が噂していました。もともと、陰陽寮には、色んな裏の事情も流れて来ることも多い。とは言っても、普段はそれを広めるようなことはしませんが。その鬼が出た騒ぎのせいで、巷でも噂になり、解禁って感じになってしまった。」
「ああ・・それじゃあ、奥方も、いたたまれないだろうな・・。」
 ただでさえ、心労があるのに、その上さらに、下々の者にまで伝わってしまっている。あちこちの人の噂の好奇の目に晒されるのだから、たまったもんじゃない。
それに、相手は、いわくつきの女。もし、知っていれば、不安は増すことだろう・・。中宮に仕える女房たちは、とかく華やかな噂か絶えないものが多いが、その中でも、浮かれ女などとあだ名されている女・・とだけ認識していればいいが・・・・。まあ、その噂も半分は、彼女の異母妹が別の女御に仕えているので、同僚の視線が冷たい、というのもあるのだろうが。妹君は、賢明で、さっぱりした気性なのでいいのだがね・・と、思う。中将は、ふうんという感じで頷きながら、何気なしに辺りを見回している。
ゆりが、庭の方へ注意を向け、首を傾ける。
「雨水・・ねえ、さっき微かだけど・・気付いた?」
「兼雅どのの奥方を巻き込んでしまわないかと、ひやひやした。微かだけれど、庭に気配たった。騒ぎで物の怪が姿を現すとは一度もなかったはずだ。一体、何に、反応したのだろう?」
 あの騒ぎの最中、庭の方で、それは立ち昇って消えた。
「・・・うん。何だろう・・・。確か、中将さまが止めに入って来て、修羅場になるところ回避した時にはもう・・・。」
 ゆりがふいに立ちあがり、袿の裾を引いて母屋から、廂へ出、外縁へ出ようと移動する。ふわり、衣に焚きしめた香りが通り過ぎる。中将が、首を捻っている。
「中将さま、どうかしたの?」
「・・いや、気のせいか・・。ここで大騒ぎしていた訳だし、香りが入り乱れて、記憶が曖昧だが・・・。」
「香り?」
「ここに乱入してきた女たちがそれぞれ、焚きしめていたのとは違う香りが混じっていたような気がしたんだが・・・。もちろん、ゆりどののとも違う。雨水どのや私のは、異なるのは確かだ。」
「それぞれって、あの一瞬で、見分けがついたの~!?」
「当たり前じゃないか。似たり寄ったりの顔の内裏の女房たちなんか、沢山いるから、見分けるの大変なんだぞ?ばっちり、顔を見る機会もそうそうないが、なら、どこで区別つける?うっかり、間違えたら、機嫌損ねたりすることもあるんだぞ?仕事に差し支える時もあるさ。」
 女房たちには、香は、高価なものなので、やはりそうそうたくさんの種類をとりそろえて、思いのまま、色んな香に挑戦・・なんて、わけにはいかないんだ、と、ゆりは気がついた。
「区別ねえ・・。声とか?身につけているものとか?立ち働いてる人だったら、背格好かな・・・。」
「香りも、好みの傾向があるから、覚えておけるんだったら、参考になる・・・。」
「え~。それって、仕事の便宜だけの話?」
「ゆりどのの私へのイメージは、ひどいぞ・・。」
 中将の情けない顔。
「あら、ごめんなさい。女の人は、どっちかっていうと感情で選びがちかもしれないから、仕事やりにくいかもしれないわね・・。」
 ゆりと、中将のやりとりに、雨水がくすっと笑う。中将に、視線を充て。
「中将さまは、違う香りと言われたが、もしかして、心当たりがあるのではありませんか?」
「・・・・・・・。」
 ごくりと唾を飲み込み、こくんと頷いた中将。雨水とゆりにじっと見つめられて、ようやく白状した。実は、心当たりがあるのだと。



 中将が縁の端に座って、夜空を見上げている。
視線の先にあるのは、月の細い白い面・・。
「この屋敷は、さるお方のものであった・・・。さる・・と言って、名を明かさぬのは、もう亡くなっている方だから、勘弁してくれ。その妻だった方だが、若い女房仕えをしていた女に、夫君をとられて、泣く泣く、この家を出て行った。夫の家に共住みまでしていた仲だったのに・・急に、夢から、醒めたような、一気に破局してしまったのだ。ま、こんな話はよくあることだが・・。」
 歯切れの悪い表情で、ぽつりぽつりと話す。一気に破局とはいったが、どちらかというと妻にとっては降って湧いた出来事で、気持ちの整理がつかない状態だったらしい。病の床についてしまった。それだけなら、ただの別れ話に分類されるだろう。
だが、これが始まりだった。
「邪魔者がいなくなった若い女は、女主人のように振舞っていたらしいが、屋敷に奇妙なことが起こり出した。屋敷の者が、夜中に不気味な影を見つけたり、その若い女も、ぐっすりと寝入ったと思ったら、いきなり髪を強く引っ張られて、はね起きたり、胸が苦しくて、一晩中うなされ、朝、起きた時に、自分のものではない香を、ふわりとちょうど、夜着の胸の上あたりに感じたりした・・ということが、あったそうだ。」
「それは、元の妻が恨んで・・?」
 雨水が訊く。中将は、しばらくぼんやりと宙を見ていた。
「・・・おそらく、そうではないかと。けれども、事態は、急に納まることになった。」
「その若い女が亡くなったから?」
「いや・・・。夫が・・・その、出世に伴って、若い女とも、けじめをつけざるを得なくなったからだ。結局、別れたから。どちらにしろ、その夫もそのあと、はやり病で、あっけなく亡くなられたので、元妻の恨みも宙ぶらりんの状態で、消滅したのだと思う。その後、その若い女にも、この屋敷にも怪現象が起こることはなかったそうだ。だから、屋敷も簡単に人手に渡ったんだ。」
「・・それでは、思いが残っていたということでしょうか・・・。」
 なるほど、それが気にかかっていたから、彼は、ついて来たわけか・・と、納得した。必要なら中将は、話してくれるが、そうでないと判断したなら、話に水を向けても、うまくはぐらかされてしまうのがわかっていたので、雨水も、強いて訊かなかったのだ。
 おそらく。その元妻と、中将が知り合いなんだろう。その女は、病床にあるらしいので、現在恋仲なのかは、わからないが・・・。中将は、恋の噂も多い男だが、時々、そんな曖昧な関係の女にも、情け深い一面を見せる時がある。
今回は、そんな彼の、いい面が現れた。・・・・・・・。のか?半分は、好奇心のような気がしないでもないが、穏やかな表情のまま、雨水は、ともかく、軽く肯いて、先を促す。
「すべて話さなかったのは、確信がなかった。だが、兼雅どのの話を聞いた時、何となく思い出したのだ・・。何せ、相手が、よりにもよって、その愛人だった女だから。」
「・・・・・・・。」
 中将がふうとため息をつく。雨水とゆりは顔を見合わせた。彼に頷きながら、雨水が。
「そういうことでしたら、こんな面倒なことをしなくても、出なくなるようにできましたのに。」
「え?」
 ぽかんとなった中将の顔を見ながら、にこりと笑顔になったゆりが。
「思いに、迷子になってもらって、ぐるぐる屋敷を巡って、外へ出てもらうの。それから、入れなくしてしまうの・・ってのはどうでしょうか?真白。」
 ゆりは、少し斜め上を見て、自分の式神として使っている鬼を呼び出す。ふわっと、宙に白いふわふわの毛皮の兎が浮かぶ。
「呼んだか。主?」
 ぽてっと、床に着地し、二本足で立ち、片手をあげて、手を振るように。
「よう。主のところによく来る依頼主だな。見学したいだなんて、物好きな奴だな。」
 きらっと、一瞬、魔の者独特の剣呑な視線を垣間見せる。
「や、やあ。・・・いったい、どういう仕掛けなんだか。」
 式神は、おもちゃのようなかわいい形をしているが、物怪に行きあった時のような怪しい雰囲気は否めない。腰が引けたようにわずかに背を反らせて中将は、律儀にも返事した。
 ゆりが、そんな光景に、眉をしかめたが、式神の真白を叱ることはせず、指示を伝えた。
 中将に人型に切った紙を渡し。
「中将さま、その亡くなられた夫君の名をそこに記して下さいませ。私は、見ませんから、書いたら、その紙を折って字を隠して、真白にお渡し下さい。」
「あ・・ああ。」
 彼は、言われるまま、そこに名前を書きつけ、おずおずと近づいてきた真白に渡す。
 真白が紙を持つと、宙に浮き、それから姿を消した。
 ちょうどそこへ、いつの間にか、どこかへ行っていた雨水が、戻って来た。
「道は、作って来たよ。」
ゆりは、頷くと、
「急がないと、夜が明けちゃうわね。まずは、寝殿で再現ね。キーワード何かしら?」
 手にまた、白い人型の紙を持ってる。握った掌を、開くと、ふわんと重力に逆らって、二つの白い紙が浮かぶ。くるくる手を繋ぐように回ってる。そのまま庇の間にある几帳の上辺りまで、移動した。
 それを確認すると、ゆりは、すでに物影に移動していた二人の方へ、駆けより、雨水の隣にちょこんと座る。
 廂の間では、まだ、紙人形が上下しながら螺旋を描き、舞っている。
 くるくるくる・・・紙人形は、走馬灯のように明滅しながら、回る。
 紙人形が作った、淡い光の帯の中に、時折映像が垣間見えた。
 床にこれみよがしに広がって乱れた黒髪。気崩れた衣の袖の端・・。気の強そうな若い美人が、上質の直衣を身に付けた公達の腕に、そっと頭を寄せて、ちらりと庭の方を伺いながら、得意そうな笑みを浮かべる。すぐに、それが光の帯に変わる。それから、また、断片のシーンだけが、瞬間見られるだけだ。
 興味深々で見ていた中将がぽかんと口を開けた。
「ゆりどの。あんなもので、おびき出せるのか?瞬間光景が浮かびあがるだけだぞ?」
「いいのよ。ここの怪現象を引き起こしているものには、一部始終、見えているから。ちょっとしたキーワードを仕掛けただけで、勝手に向こうが、そういうふうにとるように出来ているの。まとののおススメの物語、読み返して来てよかった~。」
「ゆりどのの、あの、気の強い侍女の、お勧め?」
「おびき出さなくてはならないから、どうしよ~って、言ってたら、まとのが物語を参考にしたらどうかって、言ってくれたの。仕方なく読み返してきたんだけれど、ちょうど、絵物語だったから、それを参考にしつつ、断片の絵を仕掛けて置きました。」
 ゆりが、げんなりと言った表情で、答えたので、中将は、苦笑する。
「相変わらず、四角い字の方が好きなんだな。始めは、男の子だと思ってたから、いまさら驚かないが・・。」
 中将は、あきれたようすで、ふと、雨水を見、彼が、それを何とも思ってなさそうなので、ま、いいかと、納得する。
「私たちには、聞こえない言葉も、届いているはず。」
 ゆりが、そう言った時、庭先に、黒い影が、浮かんだ。
夜の闇よりも濃く、かなしい目をした女の姿が。
「何だっ。」
 中将が、後ろに後ずさる。
「しっ。」
 注意され、黙る。
 廂の間に浮かんだ映像は、ちらりとどこかへ向けた挑戦的な女の目。形の良い唇が映って、何かを囁く。庭先の影が動いた。
 闇色の悲しみが、濃い憤りに塗り替えられて・・・。建物に、飛び移る。
 几帳の傍で、一瞬風が起こる。
 今にも、影が掴みかかろうとしている。風が、几帳の帳をめくると、そのまま、バタンと倒れる。髪を逆立てて、一歩踏み出そうとする影。だが、そこには、何もなく。途方に暮れたように、きょろきょろと、辺りを見回す。
 よく見れば、床に白い紙が二枚落ちているのに気付くだろうが、影には、それはわからない。途方に暮れて、しばらく、悲しみの静かな姿に変わっていたが、また、何かに気付き、髪を逆立てて、屋敷の中を移動していく。
 屋敷のあちこちで、何度かおなじような光景をくりかえし、やがて、最後の場所で、また、ひとり途方に暮れた影。すぐそばから、影を呼ぶ声がある。
 柱にもたれ、座っている式神の真白。優雅な公達の姿をしてる。
「どうしたのだ。先ほどから、あちこちうろううろして・・。そんな取りみだした格好をして。悪い夢でも見たのか?」
「夢?・・ああ、夢なの・・そう嫌な夢を見たの。」
「かわいそうに、さ、こちらへ、お出で。」
 影は素直に、公達に従う。寄って来たその影の手を取り、庭へ手を引いて降りて行く。
「あなた?どこへ?」
「いいから、ついておいで。」
 小首を傾げながら、それでも素直について行く。
 どこからか、笛の音が響いて来る。胸に染みるその音を聞いていると、どんどん穏やかになる。影は、手を引かれたまま、黙って、庭を横断して、中門を出て行く。
 もう少しのところで門を出て外にという所で、ちょうど開いたままの門の前を通り過ぎようとした牛車に従う従者が、中の影に気付き、ぎゃあっと、声をあげた。
「あ、あなたは、誰?」
「しまった、術が解けたのだ。」
 公達の姿が、もとの三等身の兎の式神の姿に戻っている。
「と、とにかく、出るのだ。」
 ぎゅっと、握っていた手の力を強めて、無理やり、放り投げるように、門の外へ影を引っ張って行った。
「あ・・。」
「いつまでもここにいてはいけないのだ。悪しき思いも己が一部。本体へ戻れ。我が主が言っていた。悪い夢はいつか終る。その思いは、己の中で、もう眠らせるべきもの。そして良い夢があなたのもとに訪れますように。」
 真白が早口でささやく。
「戻れっ。」
 真白が影の手を話すと、影はそこで立ちつくし、やがて辺りの闇に溶けて行った。



 寝殿で待っていると、真白が戻って来て報告した。
「主、終ったのだ。屋敷の外へ追い出したぞ。」
「ありがとう。うまく本体に戻ってくれるといいけれど・・。」
 中将が首を捻る。
「消滅させなくていいのか?また、戻って来るのでは?」
「さっき雨水が、あちこち、呪を施してくれたから、もう、入り込むことは出来ないわ。それに、悪しきものでも、思いの主の一部だもの。それがいつまでも、彷徨ったままじゃ、本体によくないかもしれない・・・。」
「そういうものなのか・・・・。」
 鶏が鳴いた。そろそろ夜明けだ。慌てて、雨水が、唐車の物の怪を呼ぶ。
中将は、そのまま外に待たせてある車で帰ると言って、先に出て行き、雨水とゆりが唐車の中へ乗り込む。牛車には種類があり、そのなかでも唐車は等級が高く、使用できるものは、限られている。牛車の物の怪だが、本来乗れる代物じゃないので、例え物の怪であろうとも、人にみられないように、車には姿を消して進んでもらっていた。
夜が明けてきたので、適当な人目のなさそうな場所に停まり、真白に、雨水の着替えを取って来て貰い、雨水はそれに着がえて、車を降りる。
「ゆり姫を家まで頼むよ。やっぱり隠形で。夜が明けてしまう、急いで。じゃ、行って来るよ。」
 雨水は、唐車にそう頼み、ゆりに、手を振った。
「行ってらっしゃい、雨水。」
 ゆりも手を振る。唐車が、ちょっと地面から浮きあがったかと思うと、ぱっと姿を消し、屋敷の方へ走って行く。
 雨水も、背を向けて、出勤する為に、道を急いで行った。

君思えども見えず 2

2010-11-17 11:29:37 | やらへども鬼
必死の形相で、部屋に飛び込んで来た女は、髪こそ走った勢いで振り乱してはいるものの、着ている紅い袿の裾を捌いてこちらにやってくる身のこなしは、優雅ですらある。彼女は、御帳台の近くに来るとそこに座り、こちらをきっ、と睨みつけた。
続いて入って来た女たちは、彼女の侍女のようだ。少しさがって、控えているものの、同じように鋭い視線で成り行きを見ている。
 もちろん、鬼や怨霊といったものではなく、人であるのは明白だ。
「こりゃ、予定外だ。まずい。雨水どのも、ゆりどのも、ぜったい姿を現すなよ。」
 帳の向こうから、中将がささやき、そのままそこから遠ざかる気配。
「って、どうしよう?」
 ゆりが呟く。少し、声が大きかったのか、座りこんだ女の耳に届いてしまったらしい。
 女の堪忍袋の緒が切れた。
「そこのお前、いますぐ、ここから出て行きなさいっ。」
「えって・・あの・・お話は通ってるはずじゃ・・その・・・」
「話ですって・・!よくもそんなことを。・・ここはお前のような者が、大きな顔をしていられるところではありません。浮かれ女と噂のお前が、我が殿を誘惑して!出ておゆきっ!」
 腰を浮かして、御帳台からはみ出ていたゆりの袿の裾をぎゅっと握ると、引き寄せようとひっぱる。
慌ててゆりが袿を持って行かれないようにひっぱり返す。
むっとした女が思いっきり衣をひっぱり、びりっと裾が引きちぎられる。
千切れた裾を握ったまま、どすんと後ろに尻もちをついた女は、顔を朱に染めて、かっとなり、手を挙げてこちらに向かってこようとする。
さすがに、侍女たちが、わらわらと女に群がり、止めに入った。
 女の口が薄く開く。
唇が震え、瞬時言葉を発するのをためらっているのか、こちらをじっと見つめている。きっ、とこちらを睨む、見開いた眼の端にきらりと光りの粒が浮かぶ。
侍女の一人が、「お方さま、どうかお静まりあそばせ・・。」と、御帳台にいるはず、の彼女の夫をちらりと伺う。手をあげるところまでいったら、さすがに、その後収拾つくものかどうか、気に病んでいるのだろう。
困ったような顔をして、止めに入った侍女たちが女を見ている。
その表情を見て女の理性の箍が、また、ぷちっと切れる。
「あなたっ!あなたも何とかおっしゃったらどうなの!あなたが、おモテになるのは存じていますけれど・・私っ、いつも、我慢・・・我慢もいたしましたと思いますのよ?でも、これはルール違反ではなくて?どなたかをお世話なさるのに、よりにもよってここをお使いになるなんて・・・。私たちも、別邸として使っていますけれど、ここは、私の実家の持ち物ですのよ?黙ってらっしゃらないで、私、私・・・うわ~ん・・・っ!」
 女は言葉に窮し、そこで、がばっと泣き伏してしまった。
さすがに、誤解を解こうと、雨水がほうり出してある狩衣を手繰り寄せた。
夜目にもわかりやすい色合いの、おそらく白の・・衣が床をするっと滑る。・・と。
 流れて来た香りに、女を慰めていた侍女たちが、おやと首を傾げた。
香の印象が、女主の婿のものとは違うのだ。
ちょうどいい時に、外縁から、女に向かって声が架かる。中将だ。薄い蘇芳色の直衣を着た姿があらわれると、華やいで、一瞬切迫した雰囲気がとぎれた。
「・・これは、何の騒ぎかと思って駆けつけてみたけれど・・・はて、誤解を解いたら、この騒ぎは収まるのだろうか・・・?宮さま、さぞかし、驚かれましたでしょう?奥方も、無事か?人違いで、代わりに打たれてなどしていませんか・・・。」
「え・・・」
 泣き伏していた女が顔を上げる。
雨水が、座ったまま、半分だけ姿を現し、顔を扇で隠し、答える。
「幸い、何も。何かの手違いのようだが、こちらの方は、辛い思いをされているようですね。」
 驚きで、まばたきを忘れている女の耳に穏やかな声が聞こえた。
「妻の縁で、従兄妹の別邸に泊めて頂いたのだが、まさかこんなことが起こるとは夢にも思わなかった。中将、こちらの方は、家を間違えたようだよ?踏み込む家を間違ったのだ。そちらの方には、辛い思いが募るばかりだろうが、今日のところは、自宅に戻って、後日、仕切りなおすといい。うっかり、あなたが、ここに出入りしている他人に見とがめられて、兼雅どのの奥方だと思われると迷惑がかかるかもしれないからね。ここは、気持ちをおさめて、自宅へお帰りなさい。」
 雨水の言葉に追いかけるように、中将が。
「何と、人騒がせな。人を間違った上に、家も間違えたと・・・。」
 へなへな・・・と女が力なく床にへたる。
「やれやれ・・ここで、物忌み中だという院の皇子と、秋の月を眺め、詩句など朗詠しながらしみじみ過ごそうと来てみれば、とうの宮は、奥方を連れているし、新婚とはいえ、物忌み中くらい我慢なされよ・・・と、会わずに帰るところだったのだがな・・。騒ぎで、結局こちらへ来てしまった・・。」
侍女のひとりに、中将が、片目をつぶり、早く出ていけと合図する。
「言うまでもないが、物忌み中に騒ぎは外聞が悪い。この事は、他言はなきように。」
 出て行きかけた一向に、中将の言葉が追い掛ける。
もちろん、どこの誰だかは判っている。
けれど、こちらも外聞が悪いことだから、お互い、何もなかったこととして、この場を収めようということは、伝わったようだ。
女は、侍女たちに寄り掛かり凭れ、抱きかかえられるようにして向こうへ行こうとしている。
立ちさるのを、逡巡するように立ち止まりはしたが、何を言う気力も失くしたのか、戸惑いを見せるばかりだ。侍女の一人が、「ご配慮いただいて、かたじけのうございます・・」振り返り、一礼する。去って行った。

君思えども見えず 1

2010-11-11 10:02:22 | やらへども鬼
 前にUPしたやらえども鬼の続きもの書いてしまいました・・
 
 間が空いてるのと。
 アクセスも0ではないようだし、何となく設定がわかるような個所は、書き加えたのですが・・
 もしよろしければ、カテゴリーの「やらえども鬼」をクリックして、過去の話もどうぞ。
 



「君思えども見えず」  やらへども鬼 その三

繁栄を詠う平安の京は、今が盛りと光り輝いていた。光があれば、また影も存在すること然り。我が世の春を謳歌する貴族たちをも悩ます、闇のもの。
怨霊、悪霊、鬼・・はたまた、夢見・・軽いものから、重いものまで、これら一手を引き受ける退魔師、陰陽師といわれた人たちが平安の京にはたくさんいた。
あるところに、父君は公卿の高貴な身分、母君は、陰陽師の家柄・・の姫君がいました。姫君は、さる宮さまの奥方である一方で・・世間には内緒のお仕事、町の陰陽師をしていましたとさ。
姫君のもとには、日々、様々な出来事がおこります。
さて、今日は彼女にどんな話が舞い込みますことやら。
今は昔・・いずれの御時か・・・・。この物語もはじまりは、そんな感じで。
 

欠けた月が出ている。
今日は、星が燦然と冴え渡る夜空ではなく、雲がたくさん流れ、何となく薄暗い夜だ。
それでも、最近聞こえ始めた、秋の虫の声など、縁に腰かけて聞いていると、しんみりと趣深いものだ。
雨水(うすい)は、狩衣姿の、寛いだ格好。
どうかするとまだ、暑いので、涼しく見える白の狩衣。開いた肩口から、濃い青色が見えていた。
建物の廂の間に置かれた箏の前に座っているゆりと話をしながら、やっと涼しくなった夜の庭の風情を楽しんでいた。・・・狩衣は、その名の通り狩りの時に着用しても、楽に身動きが出来るかたちで、普段着。女のもとを訪れる時は着ないものだろうが、これは、この際仕方がない・・か。ゆりは、うんと頷いて、目の前の箏を一音つま弾く。
目をつぶって、また、一音。・・・・・そうやって、ひとつ、またひとつと、音が増えていく。曲を弾くのではなくて、音を楽しんでいるみたい。箏はこの屋敷にあった物で、弾いたことがないその琴の音を確かめていた。
彼女の手の動きにつれて、明るい萌黄の袿の袖からこぼれた単衣や重ねた衣がのぞいて、さらさら・・と音を立てる。萌黄の袿は、裏の衣の色が表に少し見えるように仕立てられているので、蘇芳色の愛らしい色で縁取られていた。
その色目を見ながら、出がけに侍女のまとのが、はりきって着せてくれたのを思い出して、ゆりは、ちょっと苦笑い。・・何て言ってたっけ?
ああ、そう。「忍ぶ恋・・にかけて、忍ぶという色目にしてみました。でも、ゆりさまに合わせて、なるべく明るいめの爽やかな萌黄で仕立ててもらいましたよ。」喜喜としていた。そこまで張り切らなくても・・と思い、はっと気付く。
 でも、これじゃ、人目を忍んで会ってるふうにみえないかも。
いつもと変わらない、穏やかな空気が流れている。
それは、ゆりにとっても大事な時間だけれど、今は、それらしく、見えないと困るのだ。・・・これ、仕事なんだよね。・・・・・・・。心のなかで、つっこむ。
「雨水・・・・。え~っとね。あの・・・。」
「ゆり姫・・・?」
 雨水がゆりの瞳をのぞく。その視線を受け止めて、ゆりが躊躇をする。雨水は、訝しげな表情を見せ、縁の縁に腰かけていたところから、移動して来る。
さらさら・・と、静かな衣擦れの音が近づく。
「あ・・いや・・別に・・・。」
 雨水が慣れた仕草で、ゆりのすぐそばに寄って来て座ってる。それは、ゆりの方も同じことで・・・・同じことなのだけれど、わずかな逡巡。ま、いいっか。ゆりは、心の中で、割り切ることにし、差し出された雨水の腕に静かに身を沈める。
「どうしたの?落ち着かない?」
「う~ん。どっからか、見られてると思うと、やっぱり・・ね。それに。」
 顔をちょっと上げて、すぐそばの雨水の目を見る。
「物語の男君と女君みたいにしてればいいって・・まとのが言ってたけれど。依頼主の頭の中将さまと、愛する女君に、遠目で見えるかしら?」
「ああ、それは違う。依頼主は、中将さまだけど、女君の相手ではないよ。」
「え?・・・てっきり、あっちこっち手を出してるから、ややこしいことになってるのは、中将さまかと。」
ゆりが呟いた時、部屋の奥の御帳台(みちょうだい)の影の暗がりから、声がした。
「ひどいな、ゆりどの。日頃、私のことを、どんな目で見てるんだい。それより、君達、夫婦のくせに、ぎこちないぞ~。そこで押し倒せとは言わないが、さっさと御帳台のほうへでも移動して、誤魔化せよ・・・。」
 その声に、ぎょっとなったゆり。
「ちょっ、中将さ・・?もご。」
 ゆりの口には、雨水の手がそっと押しあてられている。雨水の腕に力が入り、慌てて、腰を浮かしそうになった彼女を押しとどめる。勢いぎゅっと抱きしめられた感じになる。
「おびき出す怨霊をどうしても見てみたいって言うので、そこに隠れてもらっていたんだ。」
「・・物好きね・・。それなら、いるならいるって、言ってくれればいいのに。」
 ゆりは、ちょっと頬を赤らめ、一応文句も言ってみる。この頭の中将は、雨水やゆりの身元を知っていても、受け入れてくれる奇特な人で、旧知の間柄だ。しょっちゅう、二人に、依頼をくれる、お得意様でもある。雨水が、腕の力を緩める。
「ちょうどいい。御帳台の中へ。本人から、事情を聞く?」
「・・・そうね。」
 雨水の、片手が奥の御帳台を示す。ゆりが頷くと、彼に誘われるような形で、そちらの方へ移動する。御帳台は、寝殿の主の居場所で、中に座席が設えてある。
上から布の垂れ下がった囲いで、見た目は、天幕で造られた小さな部屋のようでもあり、天蓋付きベットのような趣でもある。座席があるが、もちろん、横になることもあるので、まさに寝所そのものかもしれないが。
ともかく、近くに寄って来ない限り、人の目に晒されないようになっているので、外からは伺えない。いい雰囲気の男と女が、そんな場所へ引っ込んだのだから、垣間見る人がいれば、当然、想像されるのは・・・・・。
ゆりたちのぎこちな~い感じを誤魔化すのは、そっちの案に乗ったほうがいい。
 垣間見る・・・人・・・ではないか。ゆりは、考えて目をぱちぱちさせた。
この依頼はもともと、ゆりに来たものではない。
もちろん、依頼は、この屋敷に出る怪現象を取り除くことであるのだけれど・・・。
それが、この屋敷で、カップルがいい雰囲気になった時に現れる現象なので、ゆりにも協力してくれと頼まれた。だから、ゆりは、詳細は聞いていない。
「鬼が出るねえ・・・。本当に、じっと、立っているだけなの?」
 御帳台の厚い帳越しに話をする。
「ああ。害を及ぼすこともないらしい。この家は、親しくしてる人から頼まれた。参議の兼雅どの。亡くなられているが、父親は、ゆりどのの父上の一番上の兄上ではないか?会ったことは・・ない・・な、きっと。」
「ええ。実は私、父方の繋がりで知ってる従姉弟は、兄上だけなの。」
 けれど、子供の時に養子になって以来ずっと兄として親しんできたので、厳密に言えば、従兄妹に分類していいものかどうか・・・ゆりは、考えた。
 兄弟で、行き来はあるようだが、ゆりは父の大納言の暮らす本邸で育ったわけではないので、伯父や伯母といった人たちのことは名前くらいしか知らない程度だ。
深窓の姫はそうそう、人に会わせることはない、ということを抜きにしても、ゆりが普通の姫と違う事情を抱えているので、大納言も殊更、外では姫の話を避けているようなので、逆に向こうがゆりの存在を知っているかどうか・・というくらいだ。
従兄妹どうしとはいえ、遠い存在だ。
「人柄とかわからないけれど、それが何か?」
「いや。別に、知らなくても、よくある話だ。兼雅どのが、この別邸で、女と過ごしていた。」
「・・・その言い方。奥方様じゃないのね・・・・・・。」
「まあな・・。方違えと称して、ここで数日過ごしたというわけさ。もっとも、怪現象のお陰で、ゆっくり親しくすることも出来なかったみたいだがな。」
「奥方さまの生霊じゃないの?」
 あきれた表情を隠しもせずに、ゆりはちょっとばかし、ご機嫌悪い反応だ。中将は、ゆりの傍にいる雨水がとばっちりを受けるのではないかと思い、一瞬だけ、気の毒に思う。世の奥方が角を出しているときは、ご機嫌をとる為に、男は弱いものだ。もちろん、この場合角というのはあくまで例えで、雨水がどうこうしたというわけではない。けれど、へたに宥めたら、不機嫌の虫の矛先が向きかねない。
だが、ここで話をきるわけにもいかない。かまわず先を続ける。
「ところが、どうもそうではないらしい。気味の悪い話を兼雅どのが友人たちに話して、肝試し方々、ここを使わせてもらった者たちが全員、見たんだ。」
「へえ~。物見高いっていうか、穢れにわざわざ遭いに行く人もいるんだ・・・って、全員、わけありの女連れ?当然そのあとご祈祷やなんかで、お仕事は休みよね。職務怠慢だわ。」
ふうう・・とわざとらしく、ため息をつくゆり。
「・・そうだな・・・害を為す事もないらしいが。ここは、なかなか意趣を凝らした庭があり、別邸ではあるが、使えないんじゃ、仕様がない。私に、いい陰陽師を紹介してくれと・・話がまわってきたわけだ。」
「何故?それぞれ、懇意になさってる方がいるはずじゃ・・・。」
「それは、雨水どのと私が懇意にしているのを知って・・・その、何故か、雨水どのは、あの院のもとに監視かたがた出入りしている若いが凄腕の陰陽師と評判になっているらしい。それで、奥方に内緒にしたい兼雅どのから、頼まれた。」
 雨水が身じろぎした。どうも、居心地悪そうだ。
「・・はげしく誤解があるようですが・・・。詳しく弁解することもできませんね・・。」
 雨水は、本当は院の皇子。ゆりと同じく、世間にはそのことを隠して、一陰陽師として通している。雨水の父の院は、実はちょっとした問題があって、その事件に係ったから、ゆりと雨水はこうして一緒になったのだが、その事件で、鬼になりかけた院は、今は平静になり、療養中で、静かな日常を送っている。
そんな父のもとに、見舞いに度々訪れるのも、子としての情は当然だが、院に出入りする者に面がわれては、雨水にとっては、不都合だ。事件前までは、院の御子として知られていなかったので、世間には院の皇子の顔を知る者は少ないので、今のような生活が出来るのだから・・・。そのまま知られないままの御子でいたほうが、雨水にとって都合がよかったのだが、院のもとに留まったのは、やはり心配が残っていたからだ。住まいは別でも、しょっちゅう顔出しが可能な方法を模索したのだった。
院のもとには、事件は知らない者がいないほどなので、下仕えさえもなり手が少なく、院の御所とは思えないほど人目が少ないが、無人というわけではない。いちいち人を遠ざけるのも面倒で、最近では、偵察よろしく帝からご機嫌伺いに遣わされた、よくやってくる陰陽師として通している。
雨水を院の皇子と知っているのは、そこでも、ごく少数の者だ。
「うん。すべて話せることでもないしな。」
 雨水が、上衣の首の括りの紐をしゅるっと解く。
狩衣の上だけ脱いで、御帳台からわざとはみ出すように、置く。
「・・・うまく騙されて出てくればいいのですが・・。」
 ゆりも、慌てて羽織っている袿を肩から滑らせ、見えるように置いておこうとする。雨水の手がそれを止める。
「ゆり姫。裾だけ見せておくといいよ。いざというとき、ここから出れないだろう?」
「あ・・うん。」
ちらりと分厚い奥の帳のほうを見て、ゆりが頷く。
「一体、どんなのがでてくるのかしら・・・出て・・って・・え?」
 廊下の向こうから、騒がしい声が近づいて来る。床板を踏みならす数人の人の気配に、思わず外へ出て確かめようとした時、その女は飛び込んで来た。


 御帳台の写真 こんなのです。




一応、平安という時代設定ですが、「しのぶ」という重ねは、この時代にはどうやらなかったようです。
京都書院アートコレクション(文庫)かさねの色目から、名前が気に入ったのでこれにしたのですが、
とりあえず、明記しておきますね。