四
女房たちの朝は早い。主の許に伺う前に、きちんと身支度をしなければならないので、暗いうちから一日が始まる。
今日宿下りを申し出ようと、起き上って早めに身支度を済ませた梨花は、自分達の局から、外の廊下へ出ようと足を進める。梨花に割り当てられた場所は、一番奥なので、他の同僚が寝起きしている場所の几帳の前を通っていくわけだが、隣の雪柳は、今、いない。その向こうの同輩は、身支度を終えて、ちょうど出て来たところなので、気を使うこともなく、その前を通り抜けることができる。
外は、わずかに薄明るくそろそろ物の輪郭はわかる頃あいだ。外縁の廊下に、小さな何かが置かれている。「何かしら?」と、寄って行くと、梨花は、顔色を失った。
「きゃあ!やだっ!」
思わず蹲る。どうしたのと後ろから、同輩が顔を出し、色を失う。他の所からも、悲鳴を聞いて、顔を出した者がいる。
鼠が、首から血をながし、そこに横たわっていた。すぐに、下働きの者が片づけて行ったが、しばらく、ちょっとした騒ぎになった。宿下りを願い出るまでもなく、物忌みで、梨花も後から顔を出した同輩も、しばらく実家へ戻ることになる。
とはいえ物忌み中なので、堂々と人を訪ねるのも気がひけて、家で、ぼんやりと過ごしていた。家といっても、形ばかり前庭のある小さな家だ。生垣の向こうを眺めていると、通りのようすもよく見える。
兵衛佐が、きょうろきょろと周りの家のようすを伺っている。
「あ・・。」
外を見ている梨花と目が合い、ほっとした顔の兵衛佐。
「青くなってふるえているかと思ったが、堪えていなさそうだな・・。」
しばらくして、家の門にしている小さな木戸をくぐり、こちらへやって来て言う。
「そりゃ、見た時は、声をあげてしまったけれど、犬か猫が銜えて来たものかもしれないし、それなら別に・・・その前の日に、呪いだとか、怖い話をしていたから、びっくりしちゃったのかも。騒ぎたてずに、縁の下に放りこんで、こっそり始末しておけばよかったわ。おかげで、閉じこもってなきゃいけない。」
うんざりした顔を見て、兵衛佐が苦笑をにじませ。
「元気なら、これから出られるか?もうだいぶ籠ってたからいいだろう?」
「どこへ?」
「本当は、ここへ様子を見に来るだけだったんだが、さっき角の所で、牛車にのった女房たちに呼びとめられた。梨花どのの同輩の雪柳どのと、その友人の・・・二人だ。」
「雪柳さんと・・あ、きっと小馬さんと摂津さんね。」
先をうながす。
「また、怖がらせてしまうかもしれないんだが・・・。その、この間の紅梅どのの話だが、雪柳どのの友人のどちらかが、貴船で目撃したというのだ。」
「貴船?どうして・・・・。」
貴船で思い出すといったら、恋の成就を祈願する・・・とかだろうか。梨花は、小首をかしげる。恋云々といったら、やっぱり小馬の情報だろうか。
兵衛佐が、近くの外縁の柱を向いて、片手を前に突き出し、もう片方を動かし、釘を打ち付ける仕草をした。
「これに、五徳を逆さに・・と言ったらわかるか?」
「まさかっ。」
叶わぬ恋に身をやき、相手を恨み呪う、丑の刻参り。兵衛佐は、雪柳の友人が、貴船で、紅梅を見かけ、夜中に道を歩くうしろ姿を見たと騒いでいたと、教えてくれた。
梨花は、言葉を失う。兵衛佐は、言いにくそうに。
「実は、その・・私も少し、紅梅という女房のようすを家の者に、探らせていたんだが、夕刻に怪しげな者と接触しているのを見かけたと、報告があった。」
「そんな・・・。」
「だが、実際、呪いの釘を打ちつけている姿を見たわけではないというのが、雪柳どのの主張だった。それで、今から、確かめに行こうと、繰り出して来たらしい。いや、女ばかりで勇気のある行動だが・・・。」
「私も行くわ。」
「・・・う~ん。やっぱり、そう来るか。雪柳どのが、一緒に行くならって、ここの小路を出た角の所で、車を止めて待ってるって、言ってたぞ。人を伝令かわりに、使うあの女房どのも、さすが、女五の宮さまの女房って感じだ。」
「まあ、では、兵衛佐どのの力も期待しているのね。いっしょに、ついて来てくれるのでしょ?」
「ああ。ほっとけないし、満春も一緒だから、呪いうんぬんに対処する知識も一応あてにできるかな・・。」
「あら、こっちには?」
「うん。さっき呼びにやったから、そろそろ来るだろう。ここから、そう遠くない所に住んでるから。梨花どのは、支度はどうする?」
「すぐ済むわ。実は、養母が心配して今日戻って来ることになってるの。伝言もしておかなければならないし、腰かけて待っててね。」
ばたばたと、慌ただしく用意を整える。家の前の小路を出て、角の所に、停まった牛車を見つけると、そこには、満春が先に到着していた。
「ごめん。待たせて。」
「梨花さん。こっち、早くお乗りなさいな。」
車に乗れることなんて、めったにない。そろりと、中に上がると、見慣れた同輩の顔。
「やっぱり来ると思った。」
と、雪柳。
「そう?ねえ、この車どうしたの?それに、警護の人たちもたくさん。」
「ああ。み~んな小馬のいいなりのおじさまの手配によるものよ~。ほ~んと、運命の恋があきれちゃうわあ。」
くすくすと、横で、摂津が。
「まあいいじゃない、人の好みなんか。その方と、一応、ご一緒だったんだから。思いあってはいるのよ・・。ま、多少打算的な面は、いなめないけれど。」
「ひどいわ。年は、とってるけれど、格好いいのよ。」
「ま、いいわ。あなたの勘違いを正す為に、私たちにもよくして下さってるのだもの。悪口は言わないでいてあげる。」
摂津は、面倒くさそうにしている。
「あの、何で、摂津さんまで?」
彼女は、中宮の女房だ。目撃者の小馬はともかく、訝しげに、梨花が訊いた。
「それが、今、女五の宮さまのところは、大変なのよ。あれから、梨花さんと同じような事件があって、何人か女房がいない状態なの。人出不足で、借り出されたのよ。もう、今じゃ、何かみつけても、黙って、どこかに隠しておくの。そうしないと、やってけないくらい人がいないのよ。」
「えっ。」
「だから、この際だから、すぐに出仕できそうな紅梅どのの、潔白をもぎ取ろうって、出て来たところに、小馬がやって来て、遠出になってしまったのよ。」
「あ、じゃあ、女五の宮さまは?」
「ええ。元気にはしてらっしゃるけれど・・・。二三日なら、不自由してもかまわないって、さっき連絡もいただいたの。」
「そう。じゃあ、噂を打ち消せるといいわね。」
「そうね。」
重苦しい沈黙が満ち、普段なら楽しい筈の道程も、皆、ほとんど無言で、貴船へ向かった。
車が違うけど・・
女房たちの朝は早い。主の許に伺う前に、きちんと身支度をしなければならないので、暗いうちから一日が始まる。
今日宿下りを申し出ようと、起き上って早めに身支度を済ませた梨花は、自分達の局から、外の廊下へ出ようと足を進める。梨花に割り当てられた場所は、一番奥なので、他の同僚が寝起きしている場所の几帳の前を通っていくわけだが、隣の雪柳は、今、いない。その向こうの同輩は、身支度を終えて、ちょうど出て来たところなので、気を使うこともなく、その前を通り抜けることができる。
外は、わずかに薄明るくそろそろ物の輪郭はわかる頃あいだ。外縁の廊下に、小さな何かが置かれている。「何かしら?」と、寄って行くと、梨花は、顔色を失った。
「きゃあ!やだっ!」
思わず蹲る。どうしたのと後ろから、同輩が顔を出し、色を失う。他の所からも、悲鳴を聞いて、顔を出した者がいる。
鼠が、首から血をながし、そこに横たわっていた。すぐに、下働きの者が片づけて行ったが、しばらく、ちょっとした騒ぎになった。宿下りを願い出るまでもなく、物忌みで、梨花も後から顔を出した同輩も、しばらく実家へ戻ることになる。
とはいえ物忌み中なので、堂々と人を訪ねるのも気がひけて、家で、ぼんやりと過ごしていた。家といっても、形ばかり前庭のある小さな家だ。生垣の向こうを眺めていると、通りのようすもよく見える。
兵衛佐が、きょうろきょろと周りの家のようすを伺っている。
「あ・・。」
外を見ている梨花と目が合い、ほっとした顔の兵衛佐。
「青くなってふるえているかと思ったが、堪えていなさそうだな・・。」
しばらくして、家の門にしている小さな木戸をくぐり、こちらへやって来て言う。
「そりゃ、見た時は、声をあげてしまったけれど、犬か猫が銜えて来たものかもしれないし、それなら別に・・・その前の日に、呪いだとか、怖い話をしていたから、びっくりしちゃったのかも。騒ぎたてずに、縁の下に放りこんで、こっそり始末しておけばよかったわ。おかげで、閉じこもってなきゃいけない。」
うんざりした顔を見て、兵衛佐が苦笑をにじませ。
「元気なら、これから出られるか?もうだいぶ籠ってたからいいだろう?」
「どこへ?」
「本当は、ここへ様子を見に来るだけだったんだが、さっき角の所で、牛車にのった女房たちに呼びとめられた。梨花どのの同輩の雪柳どのと、その友人の・・・二人だ。」
「雪柳さんと・・あ、きっと小馬さんと摂津さんね。」
先をうながす。
「また、怖がらせてしまうかもしれないんだが・・・。その、この間の紅梅どのの話だが、雪柳どのの友人のどちらかが、貴船で目撃したというのだ。」
「貴船?どうして・・・・。」
貴船で思い出すといったら、恋の成就を祈願する・・・とかだろうか。梨花は、小首をかしげる。恋云々といったら、やっぱり小馬の情報だろうか。
兵衛佐が、近くの外縁の柱を向いて、片手を前に突き出し、もう片方を動かし、釘を打ち付ける仕草をした。
「これに、五徳を逆さに・・と言ったらわかるか?」
「まさかっ。」
叶わぬ恋に身をやき、相手を恨み呪う、丑の刻参り。兵衛佐は、雪柳の友人が、貴船で、紅梅を見かけ、夜中に道を歩くうしろ姿を見たと騒いでいたと、教えてくれた。
梨花は、言葉を失う。兵衛佐は、言いにくそうに。
「実は、その・・私も少し、紅梅という女房のようすを家の者に、探らせていたんだが、夕刻に怪しげな者と接触しているのを見かけたと、報告があった。」
「そんな・・・。」
「だが、実際、呪いの釘を打ちつけている姿を見たわけではないというのが、雪柳どのの主張だった。それで、今から、確かめに行こうと、繰り出して来たらしい。いや、女ばかりで勇気のある行動だが・・・。」
「私も行くわ。」
「・・・う~ん。やっぱり、そう来るか。雪柳どのが、一緒に行くならって、ここの小路を出た角の所で、車を止めて待ってるって、言ってたぞ。人を伝令かわりに、使うあの女房どのも、さすが、女五の宮さまの女房って感じだ。」
「まあ、では、兵衛佐どのの力も期待しているのね。いっしょに、ついて来てくれるのでしょ?」
「ああ。ほっとけないし、満春も一緒だから、呪いうんぬんに対処する知識も一応あてにできるかな・・。」
「あら、こっちには?」
「うん。さっき呼びにやったから、そろそろ来るだろう。ここから、そう遠くない所に住んでるから。梨花どのは、支度はどうする?」
「すぐ済むわ。実は、養母が心配して今日戻って来ることになってるの。伝言もしておかなければならないし、腰かけて待っててね。」
ばたばたと、慌ただしく用意を整える。家の前の小路を出て、角の所に、停まった牛車を見つけると、そこには、満春が先に到着していた。
「ごめん。待たせて。」
「梨花さん。こっち、早くお乗りなさいな。」
車に乗れることなんて、めったにない。そろりと、中に上がると、見慣れた同輩の顔。
「やっぱり来ると思った。」
と、雪柳。
「そう?ねえ、この車どうしたの?それに、警護の人たちもたくさん。」
「ああ。み~んな小馬のいいなりのおじさまの手配によるものよ~。ほ~んと、運命の恋があきれちゃうわあ。」
くすくすと、横で、摂津が。
「まあいいじゃない、人の好みなんか。その方と、一応、ご一緒だったんだから。思いあってはいるのよ・・。ま、多少打算的な面は、いなめないけれど。」
「ひどいわ。年は、とってるけれど、格好いいのよ。」
「ま、いいわ。あなたの勘違いを正す為に、私たちにもよくして下さってるのだもの。悪口は言わないでいてあげる。」
摂津は、面倒くさそうにしている。
「あの、何で、摂津さんまで?」
彼女は、中宮の女房だ。目撃者の小馬はともかく、訝しげに、梨花が訊いた。
「それが、今、女五の宮さまのところは、大変なのよ。あれから、梨花さんと同じような事件があって、何人か女房がいない状態なの。人出不足で、借り出されたのよ。もう、今じゃ、何かみつけても、黙って、どこかに隠しておくの。そうしないと、やってけないくらい人がいないのよ。」
「えっ。」
「だから、この際だから、すぐに出仕できそうな紅梅どのの、潔白をもぎ取ろうって、出て来たところに、小馬がやって来て、遠出になってしまったのよ。」
「あ、じゃあ、女五の宮さまは?」
「ええ。元気にはしてらっしゃるけれど・・・。二三日なら、不自由してもかまわないって、さっき連絡もいただいたの。」
「そう。じゃあ、噂を打ち消せるといいわね。」
「そうね。」
重苦しい沈黙が満ち、普段なら楽しい筈の道程も、皆、ほとんど無言で、貴船へ向かった。
車が違うけど・・