時の泉庭園

小説は、基本、ハッピーエンド。
話は、最後まで出来上がってからUPなので、全部完結済み。

(^◇^)・・・みん兎

花ぬすびと 8

2010-05-28 09:16:25 | 花ぬすびと
                四
 女房たちの朝は早い。主の許に伺う前に、きちんと身支度をしなければならないので、暗いうちから一日が始まる。
今日宿下りを申し出ようと、起き上って早めに身支度を済ませた梨花は、自分達の局から、外の廊下へ出ようと足を進める。梨花に割り当てられた場所は、一番奥なので、他の同僚が寝起きしている場所の几帳の前を通っていくわけだが、隣の雪柳は、今、いない。その向こうの同輩は、身支度を終えて、ちょうど出て来たところなので、気を使うこともなく、その前を通り抜けることができる。
 外は、わずかに薄明るくそろそろ物の輪郭はわかる頃あいだ。外縁の廊下に、小さな何かが置かれている。「何かしら?」と、寄って行くと、梨花は、顔色を失った。
「きゃあ!やだっ!」
 思わず蹲る。どうしたのと後ろから、同輩が顔を出し、色を失う。他の所からも、悲鳴を聞いて、顔を出した者がいる。
 鼠が、首から血をながし、そこに横たわっていた。すぐに、下働きの者が片づけて行ったが、しばらく、ちょっとした騒ぎになった。宿下りを願い出るまでもなく、物忌みで、梨花も後から顔を出した同輩も、しばらく実家へ戻ることになる。
 とはいえ物忌み中なので、堂々と人を訪ねるのも気がひけて、家で、ぼんやりと過ごしていた。家といっても、形ばかり前庭のある小さな家だ。生垣の向こうを眺めていると、通りのようすもよく見える。
兵衛佐が、きょうろきょろと周りの家のようすを伺っている。
「あ・・。」
 外を見ている梨花と目が合い、ほっとした顔の兵衛佐。
「青くなってふるえているかと思ったが、堪えていなさそうだな・・。」
 しばらくして、家の門にしている小さな木戸をくぐり、こちらへやって来て言う。
「そりゃ、見た時は、声をあげてしまったけれど、犬か猫が銜えて来たものかもしれないし、それなら別に・・・その前の日に、呪いだとか、怖い話をしていたから、びっくりしちゃったのかも。騒ぎたてずに、縁の下に放りこんで、こっそり始末しておけばよかったわ。おかげで、閉じこもってなきゃいけない。」
 うんざりした顔を見て、兵衛佐が苦笑をにじませ。
「元気なら、これから出られるか?もうだいぶ籠ってたからいいだろう?」
「どこへ?」
「本当は、ここへ様子を見に来るだけだったんだが、さっき角の所で、牛車にのった女房たちに呼びとめられた。梨花どのの同輩の雪柳どのと、その友人の・・・二人だ。」
「雪柳さんと・・あ、きっと小馬さんと摂津さんね。」
 先をうながす。
「また、怖がらせてしまうかもしれないんだが・・・。その、この間の紅梅どのの話だが、雪柳どのの友人のどちらかが、貴船で目撃したというのだ。」
「貴船?どうして・・・・。」
 貴船で思い出すといったら、恋の成就を祈願する・・・とかだろうか。梨花は、小首をかしげる。恋云々といったら、やっぱり小馬の情報だろうか。
 兵衛佐が、近くの外縁の柱を向いて、片手を前に突き出し、もう片方を動かし、釘を打ち付ける仕草をした。
「これに、五徳を逆さに・・と言ったらわかるか?」
「まさかっ。」
 叶わぬ恋に身をやき、相手を恨み呪う、丑の刻参り。兵衛佐は、雪柳の友人が、貴船で、紅梅を見かけ、夜中に道を歩くうしろ姿を見たと騒いでいたと、教えてくれた。
 梨花は、言葉を失う。兵衛佐は、言いにくそうに。
「実は、その・・私も少し、紅梅という女房のようすを家の者に、探らせていたんだが、夕刻に怪しげな者と接触しているのを見かけたと、報告があった。」
「そんな・・・。」
「だが、実際、呪いの釘を打ちつけている姿を見たわけではないというのが、雪柳どのの主張だった。それで、今から、確かめに行こうと、繰り出して来たらしい。いや、女ばかりで勇気のある行動だが・・・。」
「私も行くわ。」
「・・・う~ん。やっぱり、そう来るか。雪柳どのが、一緒に行くならって、ここの小路を出た角の所で、車を止めて待ってるって、言ってたぞ。人を伝令かわりに、使うあの女房どのも、さすが、女五の宮さまの女房って感じだ。」
「まあ、では、兵衛佐どのの力も期待しているのね。いっしょに、ついて来てくれるのでしょ?」
「ああ。ほっとけないし、満春も一緒だから、呪いうんぬんに対処する知識も一応あてにできるかな・・。」
「あら、こっちには?」
「うん。さっき呼びにやったから、そろそろ来るだろう。ここから、そう遠くない所に住んでるから。梨花どのは、支度はどうする?」
「すぐ済むわ。実は、養母が心配して今日戻って来ることになってるの。伝言もしておかなければならないし、腰かけて待っててね。」
 ばたばたと、慌ただしく用意を整える。家の前の小路を出て、角の所に、停まった牛車を見つけると、そこには、満春が先に到着していた。
「ごめん。待たせて。」
「梨花さん。こっち、早くお乗りなさいな。」
 車に乗れることなんて、めったにない。そろりと、中に上がると、見慣れた同輩の顔。
「やっぱり来ると思った。」
 と、雪柳。
「そう?ねえ、この車どうしたの?それに、警護の人たちもたくさん。」
「ああ。み~んな小馬のいいなりのおじさまの手配によるものよ~。ほ~んと、運命の恋があきれちゃうわあ。」
 くすくすと、横で、摂津が。
「まあいいじゃない、人の好みなんか。その方と、一応、ご一緒だったんだから。思いあってはいるのよ・・。ま、多少打算的な面は、いなめないけれど。」
「ひどいわ。年は、とってるけれど、格好いいのよ。」
「ま、いいわ。あなたの勘違いを正す為に、私たちにもよくして下さってるのだもの。悪口は言わないでいてあげる。」
 摂津は、面倒くさそうにしている。
「あの、何で、摂津さんまで?」
 彼女は、中宮の女房だ。目撃者の小馬はともかく、訝しげに、梨花が訊いた。
「それが、今、女五の宮さまのところは、大変なのよ。あれから、梨花さんと同じような事件があって、何人か女房がいない状態なの。人出不足で、借り出されたのよ。もう、今じゃ、何かみつけても、黙って、どこかに隠しておくの。そうしないと、やってけないくらい人がいないのよ。」
「えっ。」
「だから、この際だから、すぐに出仕できそうな紅梅どのの、潔白をもぎ取ろうって、出て来たところに、小馬がやって来て、遠出になってしまったのよ。」
「あ、じゃあ、女五の宮さまは?」
「ええ。元気にはしてらっしゃるけれど・・・。二三日なら、不自由してもかまわないって、さっき連絡もいただいたの。」
「そう。じゃあ、噂を打ち消せるといいわね。」
「そうね。」
 重苦しい沈黙が満ち、普段なら楽しい筈の道程も、皆、ほとんど無言で、貴船へ向かった。




車が違うけど・・

花ぬすびと 7

2010-05-28 09:14:00 | 花ぬすびと



 いつものように、「梨花どの、こちらか?」と、外縁に座り、中の気配に訊ねる。簾のしたから、昼間梨花が身につけていた袿の裾が見えている。梨花が、返事をする前に、目の前の簾が揺らぎ、兵衛佐が身を滑り込ませる。梨花の斜め後ろの方へ・・・さりげなく、すぐ傍に座り、梨花の肩に手が伸びて来た。ぺシッ。兵衛佐の手を梨花の手が叩く。
「痛てっ。なんだ、そちらからお声がかかったから、てっきりお誘いかと思った。」
「違っ。もう、油断も隙もないわね。聞きたいことがあるって、言ったでしょ?」
 くるりと身を翻し、兵衛佐の正面に、梨花は座り直す。初めの印象とは、違うわと、この頃思ってしまう。女五の宮さまの直感のほうが正しかったかも・・。梨花は、頬を膨らまし、怒ったように。
「兄君の宰相の中将さまの話聞こうと思ってたら、しばらく顔見せなかったじゃない。」
「そりゃ、さすがに、忙しかったから・・・。」
 兵衛佐は、噂の真偽を確かめるべく、知人と二人、市中をあちこち回っていたのだと、あっさり教えてくれた。
「まあ、それじゃ、あの噂の法師の影は、見つけたの?」
「いや。手掛かりはない・・が、知人が、模倣犯じゃないかと言い張るんだ。怪しげな呪術師なんか、結構たくさんいるものだし・・・。それに・・」
「それに?」
 兵衛佐は、しぶい顔をしていたが、梨花がのぞきこむようにして訊ねるので、仕方なく。
「毒を盛られたのではないかと、私は、疑ってるんだ。兄上の屋敷は、人の出入りも激しいし、いちいち家人も細かいことを覚えてない。やろうと思えば、可能だろう?」
「その知人の方も、そう言ってるの?」
「ああ。ほら、梨花どのも知ってる、満春だよ。賀茂満春。」
「賀茂っていうと、あの方、陰陽師なの?」
「いいや。一族には属するらしいが、本人はいたって普通の学生さ。明法家になるつもりらしい。怨霊退散だの、調伏だの、あんなどんくさい奴が出来ると思うか?」
「そうねえ・・・何だか、書籍に埋もれてる姿は、似合いそうだけど・・。」
「でも、まあ、そういう一族のはしくれだからか、時々、妙に感が働く時があるんだよ。そいつが、もっとよく調べたほうがいいかもと、言い出すものだから、よけいそう思ってしまって・・。」
「兵衛佐どのも、始めからそう思ったの?」
「ああ。たらたら時間をかけて、効いたか効かないかわからないものに頼るより、一服盛るほうが現実的だろう?女の恨みって言うけれど、兄上の相手って、間が空かずにすぐに次の相手がある女ばかりだからなあ・・・と、これは、誰にも言うなよ?」
「じゃあ、何なの?」
「ずばり降嫁が実現されたら、確実に早く出世するに決まってるじゃないか。そうなると、誰かの頭を追いこして行くわけだぜ?」
「誰かって、誰?」
「う~ん。そこが、わかんないんだよな~。あんまり、おおっぴらに、家人を動かして聞いて回れない・・・。」
「あ、それで忙しかったのね?」
「寂しかったか?」
 ついでのように背に手を伸ばし、引き寄せようとする。兵衛佐の手を、梨花の手がまた、ぱしっと叩く。
「もう、心配ごとがあるのでしょう!」
「それは、それ、これはこれ。物事には、進展のないときだってあるさ。ずっと、思いつめてたって、ダメなときは駄目・・・っと。」
 きっと、怒りの矛先が立つ気配を感じ、兵衛佐は、まじめに座りなおす。
「紅梅どのの、噂は知ってる?」
「いや・・女房達のことまでは耳にはいらないが・・。」
 梨花は、女達の間で流れている噂を話す。今日、それを女五の宮が否定したことも。
「それで、紅梅どのが、気になさって、落ち込んでなければいいけれど、私、明日許可をもらって、様子を見に行ってみようかしら・・。」
 女の話は要領を得ない。今、感想を述べなくても・・・と、兵衛佐は、思った。とはいえ、自分も誰が犯人だとか、そんなことを相談に来たわけではないから、同じようなものかと、納得する。
けれど、紅梅という女のことは、梨花には内緒で、調べて見る価値はあるかと思い立つ。ここに勤めたての頃、親身になってくれた紅梅に、親しみの気持ちを抱いてる梨花に、
そんなことを言ったら、怒りだすに決まってる。
「ま、そういうことだから、ゆっくりしたいけれど、もう行かなくちゃならない。明日宿下りするなら、ついて行ってやるよ。また、大路で、変な奴に絡まれるといけないからな。」
「いいわよ。子供じゃあるまいし。」
「かまわないさ。今日一緒に、過ごせなかった分さ。」
「え?」
 兵衛佐は、すぐ手元の梨花の袖口を床から、掬ってそれに、口づけた。簾のすきまから差し込む、月あかりがはっきりとそれを照らし出す。少しだけ近づいた距離だけ、ほのかに兵衛佐の衣に燻らした香りが、頬を撫でるように掠めて行く。直接、引き寄せられるよりも、象徴的で、梨花は言葉を失い、赤くなる。
「じゃあな。」
「あ、ち、ちょっと、もう、油断も隙もない~。何なのよ、それ。」
 あっさり、人の気配の消えた庭先。縁側に、そっとにじりでて、梨花は、月を見あげる。
 何を案じていたのか、何に惑わされているんだか・・もう、わからなくなって、柱に頭をこつんと寄せて、その夜は、ぼんやりと過ごした。

花ぬすびと 6

2010-05-28 09:07:38 | 花ぬすびと
文を届けて、梨花は同じ経路を辿って、戻る途中だった。中宮の住まう棟の女房たちの局のあたりで、楽しげな男女の声を聞いた。角を曲がると、外の廊下に座って、几帳の陰の女房たちと会話しているのは、さきほどぶつかりかけた三条の中納言だ。
「おや。さっきすれ違った女五の宮さまのところの女房どのだね。」
 おいでおいで・・と、誘う。どうしていいのか、一瞬迷ったが、梨花は、席を示されるまま、廂のところに座り、彼らの話に付き合うことになった。
そこは、格子戸がのけられており、外縁と廂には、そこに置かれている几帳しか、外の視線を遮る物はない。当然ながら、梨花の座ったところには几帳はなく、外から姿が丸見えの状態。あ、いけない、たしなみだわ。と、扇を顔の前に翳す。とはいっても、姫君育ちというわけではない彼女には、別に気にならないことだったけれど・・・。

 几帳の陰から、くすくす笑いが聞こえ。
「まあ。三条の中納言さまったら、すぐに目映りなさるんだから。」
 くすくす・・。
「いけませんわあ。女五の宮様のお花を手折ったりなさったら、ひどく恨まれましてよ?」
くすくす・・。
「梨花どの。お気を付けあそばせ。三条の中納言さまは、綺麗なお花をみつけるとすぐ、誘惑されておしまいになるから・・・。」
 くすくす・・・。梨花の方へふわんと、濃厚な香りが押し寄せて来る。居心地悪い。思わず身を引く。三条の中納言が。
「これこれ。こんな年若な子をからかっちゃいかん。困ったお姉さんたちだね。花園の花は、こうして眺めるだけ。あなた方のような美しく教養ある方々と、楽しく言葉を交わすだけなのに。こんな私ほど、身持ちの固い者は、見当たらないと思うが。」
 身振りをつけて、おどけて言う。
三条の中納言は、にこやかで、人好きのする感じの雰囲気を纏っているので、不思議と嫌みな感じはしない。ほほほ・・と、女房たちが、軽やかに声を立てる。
梨花は、ほっとした表情で、その後は三条の中納言と、女房達の会話に混ざる。
 そこへ、誰かが、やって来る気配がして、顔をそちらへ向ける。
あれ?さっきの・・と、思い、梨花は、顔を隠す扇がずれていることにも気付かず、じっと見つめてしまう。
 三条の中納言が、
「権大納言どの。」
「そちらの女房は・・・?」
 梨花を見ている。あまりにじっと見ているので、三条の中納言がいぶかしげに、眉を寄せる。
「いや。すまない。昔、女五の宮さまに仕えていた女房にそっくりだったものだから。娘御か?」
 問われて、梨花はあわてて首を振る。
「・・あの、母は、ずっと宮家の奥方さまにお仕えしています。それが、何か?」
 養母から、生みの母のことはあまり人には言わないようにときつく言われていたので、あえて避けて言った。
梨花が、わずかに背を逸らす。話している間に、権大納言が、こちらへ膝を進めて来た。
甘い香り。不安感を誘う・・。甘いというと、どちらかというと幸福感をもたらすはず
なのに、どうしてかしら・・・?梨花は、不思議に思う。
彼が、手を動かすと、袖から、焚きしめた香の香りがたった。
甘ったるい匂いが迫って来るようで、梨花は、顔をしかめたい気持ちだが、まさか、貴人の前で、そんなことも出来ないし、わずかに後ろに後ずさる。
「いや。勘違いか・・。古い記憶だから、間違ったのだ。どうも、いかんな。」
「まだ、そんな記憶があいまいになる年ではありますまいに。権大納言どの、見え見えの手で、美人に言い寄ろうなんて。あなたなら、まだまだ、黙っていても、あっちからお誘いがかかるのではないか?」
 三条の中納言が、からかう。
「おや。ばれてしまったか。ふふ。」
 それに、軽く微笑して、答える。けれど、梨花の方をじっと見つめる権大納言の目は、笑っていない。彼の手が、梨花の袖の端に手を伸ばそうと、動く。
 むせかえるような匂い・・・。几帳の陰から、様子を見ている女房達の忍び笑い。
梨花の胸に、薄気味の悪い違和感が渦巻く。袖の端を掴もうとする手が、突然起こった音に遮られ、停まった。ポンッと、小気味良く響き、己の膝を、閉じた扇が叩く。
三条の中納言だ。

「おお、そうであった、こんなところで油を売っていてはいかんな。女五の宮さまの女房どの、先導を頼みますぞ。」
 権大納言は、さりげなく扇を広げ、何事もなかったような顔で。
「おや。ここでゆっくりしていたわけではないのか?どちらが目当てか知らぬが、てっきり・・・。」
「あわよくば・・と思わぬでもないが、花園の花は観賞するもの。こちらの花のお相手は、権大納言どのに、任せたほうが、よろこばれましょうから。どうぞ、ごゆるりと。」
「・・・・・・。」
「女五の宮さまには、先日、たまたま目にされた私の落書きのような絵がお気に召されて、無心されたのだ。そのままでは、あんまりだ。表装だけでも体裁を整えておこうと、待って頂いたのが、出来あがったので、こうして持参いたした次第なのだ。」
 そういって、袍の袷から、覗いている巻物を示した。
「ほう・・。絵が上手いとは、ついぞ聞いたことがなかったが。」
権大納言のねばっこい視線を、無視してあっさりと、三条の中納言は、巻物を少しほどいて、見せる。墨で、単純な線で描かれた漫画のような絵が見えた。蛙が尼さんの被る頭巾をかぶっていて、脇に「尼が帰る」と書かれ、上達部の格好をした人が、のけ反って驚いた顔をしている。「ひっくり返る。」と書かれて・・・・・・。延々この調子で、ダジャレと漫画が続くようだ。
ひくひくと、権大納言の頬が、ひきつっている。
そばで、見ていた梨花は、噴き出さないようにするのがやっとだ。
三条の中納言は、それを、几帳の陰の女たちからも見えるように、その巻物の一部を見せて、笑いを誘い、満足げにまた、巻物を仕舞う。
「だから、落書きと申しましたでしょう。」
「・・・・・・・・。」
 絶句している横顔に、してやったりという表情で、三条の中納言は、立ちあがる。
「では、さ、女房どの、行くぞ。」
「あ、はい。先導もうしあげます。」
 慌てて梨花は、歩きだす。ちらりと、後ろを気にすると、優雅に、会釈をして後ろから付いて来る三条の中納言。その向こうで、すでに立ち直った権大納言が、一番近くの几帳から覗いている女房の袖をそっと引くのが見えた。
 あれは、単純にナンパのつもりだったのだろうか・・。そう言えば、三条の中納言さまは、権大納言の前では、一度も、名を呼ばなかった。それに、何だか、私をかばってくれたような・・・なぜ?梨花は、後ろを気にしながら、考える。渡り廊下を渡って、女五の宮の住む棟の静かな一角に来て立ち止まり、梨花は。
「すぐお取次いたしますので、ここでお待ち下さい。」
 振り返ると、三条の中納言が、笑顔で頷き、
「私の他にも、似ていると感じた人がいたのだ。あながち勘違いではないかな。」
「え?あの・・。」
「いや、別に、似ていたとしても、悪いことではないさ。世間で言われてるほど、嫌みな女でもなかったし・・だが、思い出させるのはいいことなのか、どうか・・・。そのことで、梨花どのが嫌な思いをしなければいいが。」
「・・・・・・。」
 不安そうな表情をする梨花。
「いや、不安がらせるつもりはないのだが、今また、過去を思わせるような嫌な噂が流れてる。りん。りん。・・という鉦の音と、宰相の中将が病床に臥している話。」
「その話でしたら、耳にしておりますわ。・・あら、りんという鉦の音は、今流行りのものでしょう?」
「いや。過去にも、あった。・・・同じ人間がやっているというものかどうかわからないが。な。」
「え・・過去にも、ありましたの?」
「ふむ。とんとあれから・・・宮さまの母君が亡くなられて、鉦の音と僧の影の話は聞いたことが無いが。それを、頼んだのがいなくなった宮さまの乳母だと言われておったが。」
「・・・そうなのですか・・・。」
 梨花は、少し顔を伏せた。
「どうしたのだ?」
「あ、いえ。権大納言さま、ずいぶん甘い香りを身につけてらしたですわね。少し・・。」
「ふん。まだ、纏わりついているな。男が用いるには甘すぎる、女の好む香りか。若造り、ああやって、若い女房たちの気を引いている。」
 ふんと、鼻を鳴らす。
「それでは、三条の中納言さまとは、競争相手でございますね。」
 少し微笑むと、覚えてる香りもどこかへ吹き飛んだ気がした。
「梨花どのは、あの匂いに気分を悪くしたのだな?」
「・・・あまり、好みではありませんね。」
 はっきり言いすぎか。けれど、梨花は心の中の思いをつい口に出してしまった感じだ。
「そうか。そのほうがいいぞ。」
 機嫌のいい三条の中納言へ、会釈をひとつして、梨花は取り次ぎの為、そこを離れる。
 三条の中納言は、女五の宮のもとに、長居はせず、帰って行った。そのあと、彼が描いた面白い絵を見て、主の女五の宮と、他の同輩たちと笑い転げて、暗い噂の、憂さ晴らしをしたが、日が暮れて、それもお開きになり、梨花が、自室の局へ戻って、兵衛佐を待っていると、彼は辺りの闇にまぎれて、庭から姿を現した。

花ぬすびと 5

2010-05-28 09:00:40 | 花ぬすびと


中宮の殿社。
 外は夏の日差しに照らし出された、けだるいくらいの暑さを映し、輝いているけれど、外縁から、格子の奥、廂の廊下、そのまた奥の御簾の内・・・床が少し高くつくられている母屋と、奥へ行くほど、昼でも薄暗い。外からの視線を避けるために設えた、御簾や几帳などが、外の強い光を遮っていた。
 薄暗い室内ではあるが、いつもなら華やかな女房装束に身を包んだ中宮に奉仕する多くの女房の衣装に彩られ、薄暗さを感じないものにしていた。中宮のほがらか人柄にもよるものだろうか。女房たちも、普段は、楽しげな会話など交わされているのだが、今日は、少し、静か過ぎる雰囲気だ。
 そこには、女房たちも、数は少なく、御前の几帳をのけて、中宮のそばに、女五の宮、そこにいる中宮の女房に囲まれるようなかたちで、雪柳と朋輩の一人がいる。
「・・・そう。朋輩たちの評判も悪くないようだから、紅梅の噂は、根も葉もないものなのね。」
 噂が耳に入り、中宮から、女五の宮に仕える女房に呼び出しが掛った。女五の宮は、勝手について来たのだが、前触れもなく、ふらりと現れた彼女の奇矯なふるまいにも暖かい笑みを浮かべて迎え入れた中宮は、少し疲れた顔に安堵の色を浮かべている。
 問いに答えた雪柳が、頷くと、女五の宮が。
「紅梅は、女房たちを纏める要であるし、いなくなると、私も困ります。噂だけで、無暗に罰っせられないように、ご配慮お願いします。義母上。」
 中宮が、女五の宮の手を取り。
「けれども、ねえ・・・。少し複雑なのよ。古い話のことを掘り返す者もいて、亡くなられたあなたの母君のこともあるし・・・私も心配で。」
 一番端っこにいた年配の女房が、そう言えばと、付け加える。
「そう言えば、あの時、女御さまを呪詛したのは、女五の宮さまの乳母だったという噂にございましたが・・・ちょうど、その乳母が、行方をくらましてしまいましたから、そのように言われてましたが、もしや、舞い戻って・・?」
 驚いた顔で、雪柳が、その女房に。
「乳母がどうして、呪詛を?その人が仕えているのは、宮さまだけど、その母である、女御さまも、主筋ではなくて?何か、つらく当られたとか?逆恨みしそうな人柄だったとか?」
 問われて、その女房は困った顔をした。中宮が、頷き「かまわぬ。」と言うと。
「実は、その乳母という人は、元は帝の・・・女官でした。身の回りの細々したことをお世話する者で、女官といってもそれほど、高い地位にあったわけではありません。けれど、教養もあり、人目を引く美人でもありましたし・・・その、あくまで噂でございますが、お手がついてお子を産んだとか、そんな噂がございました。」
「・・え?まさか・・。」
 雪柳は、慌てて口を塞ぎ、顔を伏せる。中宮が。
「子は、死産だったらしいが、その女官は、親にも早く死に分かれて、またすぐに勤めにでねばならない身の上だったので、ちょうど少し後に生まれた女五の宮の乳母になったというものでしょう?」
「ち、中宮さま。」
 女房が腰を浮かせて焦っている。
「ほほ・・いくらなんでも、誰も、そこまで惨い仕打ちはいたしませんよ。お上が目映りなさったかどうかまでは、わかりませんが、そのような女人を我が子の乳母にすることを、彼の女御がお許しにはなりません。それに、あの人は、恋の噂は、沢山あれども、実は、身持ちの固い人でしたからね。」
「え・・そうなんですか?」
「・・・美人で、仕事も出来き、重宝されてるから、少し殿方に愛想よく答えただけで、関係があるなどど、沢山の人と噂がありましたよ。そうは言っても、私も、証だてまでは出来ませんが、その時の子の父なら、わかっております。」
「どうしてそのようなことを・・・。」
 女房が驚いた顔をしている。中宮は、くすっと笑い。
「ふふ・・今日あたり、この辺をうろうろしているのじゃないの?若い子たちに囲まれて、喜んでいる方が。」
 女房が、ああと得心いった顔で。
「あのお方も不思議なお方ですわね。お仕事は、手堅く、采配に間違いなしとききますのに、女人には、とても甘いとか・・・。」
「ええ、悪いお癖ね。我が従姉弟どのにも、困ったものだわ。ま、そうは言っても、誰彼なしにというわけでもないみたいよ。あれで、結構人柄も見てるみただから・・・そう考えると、人が悪いわね・・。」
「それならば、女五の宮さまの乳母の噂も、違っているのかもしれませんね。」
「・・・・・・私は、そう思うわ。・・・・・真相はわからないもの。呪詛がかけられたということは、彼の女御の御実家、故右大臣家の言い分だったから。けれど、詳しいことが、わからないから、疑惑のままなのよ。だから、昔のことを人に思い出させるし・・・今度のことも、どう対処するべきなのか、少し迷ってるの。」
「紅梅どのも戻って来ても、いごこち悪いでしょうね。」
「ええ。だから、女五の宮さま。しばらく、噂が下火になるまで、出仕を控えるように、その紅梅に伝えてはどうかしら?」
「・・・そうですか。」
「誰か親しい女房を使いにやって、女五の宮さまは、本当はそばにいて欲しいのだということを言い添えれば、よろしいのでは?」
「はい。」
 女五の宮も、母代りの中宮からそう言われては、頷かないわけにはいかなかった。しおしおと中宮の許を退出して行く。
「雪柳。そなたが、行ってくれるか?・・・それと、紅梅の身の潔白を示せるような材料を、皆で、それとなく探っておくれ。」
 誰もいない廊下で、振り向かず、後ろに従う、雪柳と朋輩に言った。その表情は、伺えない。

花ぬすびと 4

2010-05-28 08:58:22 | 花ぬすびと
はじめてのお使いよろしく、まるで幼子のように、緊張しすぎていたのだろうか。
梨花は、角を曲がったところで、人にぶつかり、うっかり自分の袴の裾にすべって、前のめりになってしまった。
 黒い袍のいかにも、貴人といった人に、前のめりになった体をささえられ、床に無様に転ばずに済んだ。とっさに腕を掴んで、上にひっぱられなかったら、転んでた。
 廊下を歩くことが許されているからには、殿上人のはずで、人好きのする中年のその人は、年若い女房を咎める顔は、していなかったけれど・・。恥ずかしさで、顔が真っ赤になる。梨花は、あせって謝る。
「とんだ無作法を申し訳ありません。みっともなく転んでしまうところでしたわ。あ・・すでにみっともないのですけれど、・・手を貸していただきまして、ありがとうございます。」
「いやいや、こんな若い女房どののほうから、飛び込んで来て下さったのだ。手を貸すぐらい何ともないよ。役得というものだな。それより、緊張してがちがち。前から人が来るのも分らんほどなのは、いかん。・・ここで、ひとつ、深呼吸するといい。」
「え?はい・・。」
 何とものんびりした雰囲気を感じ、安心し、梨花は顔を上げる。視線が合い、思わずにっこり笑ってしまう。
今、梨花の目に、驚いた顔が映ってる。
「・・・・・・・。」
 何か、呟いたようだけれど・・と、不思議そうに、梨花が小首を傾げると。
「すまん。昔の知り合いによく似ていたものだから。・・・そうだな。こんな若いはずは、ないのだが、一瞬見間違った。」
「昔の知り合いでございますか・・・・。」
「うむ。」
 頷く。梨花が、立ち止まって、戸惑っていると、庭の方から人が近づいてきた。
「三条の中納言どの。梨花どのが何か?」
 兵衛佐だ。
「いや、角で行き当たってしまっただけだ。兵衛佐か?ここで何をしている?」
 彼の仕事は、ここではないはずだ。三条の中納言が訝しげに問う。
「はい。三条の中納言どのを探しておりました。昨日は、兄をわざわざ見舞っていただいてありがとうございました。兄に、私から、よくよく礼を申し上げておくようにと言いつかってきましたので。」
「いや、囲碁の好敵手がいないと寂しいものだ。気になっていたので、見舞いに行ったが、却って気を使わせてしまったかな。・・・花の名で呼ばれているということは、こちらの女房は、女五の宮さまにつかえているのだな。」
 廊下に落ちている桧扇を拾い、表裏返して損傷がないか確かめる。
「梨花一枝。春雨を帯ぶ・・・。雨の中凛とした白い花の姿が浮かぶ・・。よい侍名だ。」
 白楽天の長恨歌の一節を呟き、拾った扇の画面に目を落としている。
「名前負けの感じはしますけど・・。」
 長恨歌というと、妖艶な美女、楊貴妃が浮かぶ・・・。
ぽつりと思わず本音が出てしまい、はっと梨花は口を塞ぐ。三条の中納言は、ゆっくり首を横に振りながら、開いた桧扇を、梨花に持たせてやる。春の雨に悩める花とはいうが、その実、草木にとっては雨は恵みになる。花が、艶を増しているのは当たり前、それが運命に翻弄された嫋々とした美女を思い浮かべるとしたら、雨に打たれても、花として最後まで咲いていた人の面影に憐憫を覚えるからだろうか。案外、凛としたところに好感がもてたのではないか。・・寂しげに見えるとしたら、見ている人の心次第か・・・。 それに、詩歌のせいで、大輪の花を想像しがちだが、本物の梨の花は、桜に似た小さな花をつける可憐で清楚な花だ。三条の中納言は、目を細めた。
自信なさそうにしているところが、花として足りぬところか・・・。
「さて、それは。女五の宮さまにお伺いしてみなければ、わからぬと思うぞ?宮さまは、皆花の名前を女房につけていなさるが、割合妥当な名をつけておられると、私は思うが。そこの兵衛佐も、そう思っているだろう?」
「梨花どのは、元気そうだし・・・いや、と、違った。えっと、雨に打たれても凛として居そうだから、ぴったりだと思うぞ?」
 慌てて、兵衛佐が答える。力の抜けるような応援だ。梨花は、反射的にぴっと背を逸らして、ふんという感じで、返事した。
「ありがとう、兵衛佐どの。その元気そうなところは、よけいだけれど。」
 ははは・・と、三条の中納言の笑い声が響く。
「その調子で、背筋を伸ばして、凛としているとよい。梨花どの。そのまま肩の力を抜いて、お役目をこなしなさい。」
 三条の中納言が去って行った。
「兵衛佐どの。あとで、訊きたいことがあるの。」
「わかった。訪ねるよ。」
 人が来たので、そのまま扇で顔を隠し、何事もなかったような顔で、歩いて行く。途中、こちらを強く見る視線に足を止めたが、そちらを向くと、そそくさと立ち去る人影を見つけただけで、梨花は、また、歩を進めた。

花ぬすびと 3

2010-05-28 08:42:36 | 花ぬすびと



 部屋の明るいところに鏡を置き、その前に座す女五の宮は、髪をお気に入りの女房に梳いて貰っていた。柘植の櫛の歯が、艶やかな黒髪の上を流れて行く。
「梨花は髪を梳くのが上手い。」
 黒髪の上を流れている櫛を、女五の宮の手が止めて、梨花の手からそっと櫛を抜き取る。
 代わりに、女五の宮が櫛を持ち、梨花の髪をくしけずり始める。
「お止め下さいまし・・。」
「わらわにも、やらせて欲しい。」
「あの・・もったいのうございます。」
 慌てて女五の宮の手から、逃れようとする梨花。毎度の光景で、周りにいる他の女房たちも、くすくす・・と悪戯な笑いをもらすだけで、別段、助け舟をだすことも、咎めたりすることもない。「あらあら、毎朝こうなのだから、梨花さんもお諦めなさいな。女五の宮さまが飽きられるまで、そのままになさって。」口々に、さざめきのような笑いを残し、皆、これ幸いと、自分達の用をこなしている。女五の宮の興味の対象になってしまうと、仕事がはかどらないのは、皆、経験済みなのだ。憎めないけれど、面倒な、主だ。


「わらわにも、妹がいたらこうして、髪を梳いてやったりしてかわいがったのに・・・。」
 高貴な家の姫君は、それぞれ傅かれて、下々の者のような関係ではない。皇女といえば、姫君中の姫君。それはありえないだろうと、思いながらも、普通の家族のように気軽に顔を合わせることのない主を取り巻く環境を思い、梨花は、控えめに微笑み。
「宮様なら、さぞかし、猫かわいがりなさるでしょうね。」
 と言うに留めておく。女五の宮は、何を思ったか、梨花をぎゅっと抱きしめる。幼児が大事なお気に入りのおもちゃを、人に盗られまいとする仕草に似ている。
「梨花が、妹ならよかったのに~。それなら、何処へも行かない。」
 誰かの妻になり、勤めをやめてしまうこともあるというのを、危惧してのことだろう。
「・・懼れ多いことを・・・。」
「・・・兵衛佐はあれから、訪ねて来るのか?・・・」
「え?あ、はい。時々、ふらりと顔を見せて下さって、立ち話をしていかれますが?」
「ふ~ん。ずうずうしくて、へこたれない奴かと思ったが、そのへんは、常識をわきまえてるのかな?梨花が、迷惑だと思ったら、いつでも言うのよ?わらわが、追い払ってやるから・・。」
 梨花の手に櫛を握らせ、女五の宮は抱きついていた手を離す。そのまま、大人しく鏡の前に向き直る。
身支度を整え終ると、庭の撫子の花がよく見える位置に陣取り、静かに鑑賞している。その耳に、部屋に侍っている女房たちの噂が届き、顔をあげて、そちらを向く。



「朝から、こわい話でもりあがっておるのか?」
 女房達の話していたのは、巷で噂になっている、謎の呪術師のことだ。夕暮れ時、人通りの途絶えた一瞬、りん。りん。・・となる鉦の音に、大路に延びた法師の影を見かけることが出来たら、晴らせぬ恨みを晴らしてくれると・・・。空が赤く染まる一時、そんな場面に出くわしたら、顔を俯けて、その法師の通り過ぎるのを待たなければならない。顔を見てしまうと、呪詛を掛けられてしまうから・・。恨みを晴らして欲しいものは、道に長く伸びた法師の影に、『影法師どの』と呼びかける。りん。りん。・・と、鉦の音が応える。黙って、顔を伏せ、内容を告げる。法師が発する声は、叶った場合のみ、報酬を置いておく場所を告げる一言だけだ。
 中には、疑り深い依頼者が、早くに顔を上げると、大路で、人通りもなく、見通しのいい道なのに、過ぎ去るうしろ姿さえなく、まるで煙のようにその姿が搔き消えたあとなのだという。地獄のえんまさまの役人が 何のゆえにか小遣い儲けにやって来ているのではないか、などと噂されているという。
「それは、たまたま、呪ったという相手が亡くなるということもあるのでは?呪詛の証拠もないのではないの?」
「・・必ず、亡くなる時間だとか、具合が悪くなったりとか、近くにりん。りんという鉦の音を聞いた人が出るんです。それが、必ず、聞いて貰えるという保証はないそうなんですけれど、鉦の音が依頼主に対する応えなのだとか・・。」
 呪詛をかけたりとか、そんな話は珍しくない世の中ではあるが、依頼の内容を選ぶとは、聞かない話だ。
「何が決めてなのかしら・・沢山報酬が望める相手とかなの・・・?」
「いえ。粟の一握りぐらいからでもということです。絹を山と積むと言っても駄目だったりもするらしいですし・・」
「ふ~ん。影法師のみ知る理由か・・。でも、そんな話は、ここには関係ないわね。」
「・・・・・・・・・。」
 女房たちが顔を見合わせて、何か言いたそうにしている。梨花も、思い当たることがあったので、ぎゅっと袖の下で手を握る。
 女五の宮が、首を少し傾げ、雪柳を見た。
「雪柳。何か、わらわに関係することがあるの?」
「はい。あくまでも、無責任な噂でございますから、真偽の程はわからないですが。今、宰相の中将さまが、臥せっておられるのだとか。その、病床にどこからともなく、りんという鉦の音が聞こえて来たのだとか。」
「・・・取り立ててあれを邪魔に思う者はいないと思うぞ?切れ者ということでもなさそうだし、家柄から言って順当に出世はするが、邪魔になるほど出来が良いわけではないから、男の恨みではないな。では、女の恨みか。」
「み、宮様。未来のだんなさまかもしれない人をそんなふうに・・・」
 梨花が、思わずつぶやく。女五の宮は、くすっと笑って。
「その話なら、中宮さまに呼ばれた日に、即断ったが、耳の早い者から、伝わって噂になってたのかもしれないな。それに、あれから、文も貰っているし・・。誤解されたままなのかも。通う女人に恨みをかったのか。随分、もてるようだったし?」
 おそるおそる、女房の一人が口を開く。
「あの、紅梅どのは、今、宿下りなさっているのですね?」
 きょうろきょろと、自分のまわりの同輩たちに同意を求めるように見回す。同輩たちも、遠慮がちに頷く。
「聞き捨てならないことを聞きました。紅梅どのが、叶わぬ恋の末、呪っているとかって。」
「ひどいわ。そんな言い方。」
「叶わぬ恋はともかく、ありえないわ。紅梅どのは、ずっと宮さまに尽くしてこられて、その宮さまのお相手になるかもしれない方を・・なんて。」
 乳母だったというわけではないけれど、紅梅は、女五の宮が生まれた時も知っている。残念ながら、女五の宮の乳母は、もういないので、仕えるようになって長い彼女が最古参の女房だ。
 梨花も、頷きながら。
「人の不幸せを願う人ではないですわ。ここへ来て慣れない頃、とても気遣って下さったもの。」
 うんうんと皆一様に頷くものの、すぐ不安な表情になり、
「苦しい恋をなさってるのも察してはいましたけど・・ねえ。どうして、中宮さま方の女房が知っているのかしら?」
「・・そう言えば、蛍を見ながらため息をついて、歌をつぶやいてらしたわ。」
「あら、それ、私も。人を待っていたので耳を済ましてたから、聞いてしまったのだけど、個人的なことだし、お互いさまだもの、黙っていたのだけれど、案外、他にもたくさん聞いた人がいたってことよね?もしかして、そのせいだったりして・・。」
 ふうっと、一斉にため息がでる。女五の宮が。
「紅梅は、・・・。あり得ない話ね。皆も、他所の者に訊かれても、下手に答えてはなりません。ただ、そんな人柄じゃありませんとだけ、答えて置きなさい。」
 皆が、頷くと、女五の宮は、手紙をしたためて、梨花に。
「そろそろ、窮屈なここでの生活を逃れて、もとの屋敷に退がりたいのだけれど、お上に、その旨をしるした文をお渡しするように、女官に手渡して?」
 女五の宮の父の帝は、寵妃だった彼女の母女御の面影をやどす彼女をいたく可愛がっていた。事あるごとに、呼び寄せるのだが、女五の宮は、自分を扶育してくれている左大臣家の屋敷の方が、気楽に過ごせるので、いつも、さっさと戻ってしまう。
 梨花は、目をぱちくりさせて。
「あの。私に?」
「いつもは、紅梅の役目だけれど、今、いないから。あなたは、一番新参ってわかってるから、噂のことも訊ねられることも少ないでしょう・・・。戸惑うかもしれないけれど、お願いね。」
「はい。」
 梨花は、文を持ち、部屋を出た。



写真を貼ってみました。
女房がご主人の前で、唐衣つけてなかったり、女五の宮らしき女性が緋の袴なのはおかしいと思われるかもしれませんが、何となく、イメージ伝わると良いと思って・・。

花ぬすびと 2

2010-05-21 09:17:18 | 花ぬすびと
   二

 日が暮れる、蛍たちがいっせいに輝き出し、宙へ舞い上がる一瞬。梨花は、同室の雪柳と、遊びに来ていた摂津と一緒に話しに夢中だったのだが、夏の美しい情景が浮かび上がるのが目に飛び込み、しばらく魅入ってしまった。庭から辺りを伺うように誰かが、そっと縁先に近づき、中へ声をかける。



「ここに、梨花どのという女房はおられぬか?」
 庭に目を凝らして蛍火の頼りないあかりに映し出される輪郭を確かめて見る。低い落ち着いた声だが、姿の輪郭は、すっきりとした背格好、軽く、動作も無駄が無い感じで、年齢は若い男だとわかる。簾まで、ぎりぎり寄って行き、外を伺う梨花。
「私に、何か?ご用ですか?」
「はい。先日、道で行きあい、そこで突き飛ばされて難儀していた私の知人をかばって下さり、その・・・その時に、扇を落としていかれました。」
 そう言って、すっと扇を簾の下から差し入れ、覗かせた。
「あ、あの時の。結局、私、あなたに助けられたのでしたわね。」
「憶えていて下さったか。よかった。」
 ほっとしたような声。梨花のそばにいた、雪柳と摂津たちの興味深々な瞳に、説明するように、状況を述べながら答える。
「ええ。その知人の方っ!・・ぼんやり歩いてらした方が突き飛ばされて、溝にはまるやら、塀におでこをぶつけるやら、難儀してらしたので手を差し出したのですわ。随分派手に転んでらしたのに、突き飛ばした男は、知らん顔で過ぎ去って行こうとするのだもの、私むっとしてしまって、代わりに怒って声をあげたのでしたわ。そうしたら逆にからまれてしまって、転んだ方は、頼りない感じだったし、どうしようって思ってたら、通りかかったあなたが、助けて下さったのだったわ。あの時、太刀を抜き放って、近くの枝をすぱっと切り落としたら、青くなって相手が逃げて行った。」
「往来で、あのような荒けない行いは普段ならしないのですが、あの折の相手は、かなり有名な悪童の仲間で、騒ぎに仲間が引き寄せられるとまずいので、早々にカタをつけた方が良いと思って・・怖がらせてしまいませんでしたか?」
「いいえ。でも、「さっきの男は札付きの悪だ。それを見てわからぬなんて、どこのお姫様だ。相手を見てから言え。」って、説教されて、ちょっとびっくりしましたけど・・。」
「いや。失礼した。・・その・・」
「いいえ。そのあと、知人の方と一緒に送って下さったもの。ありがとうございました。」
 扇を受け取ろうと、こちらへひっぱる梨花。瞬間、抵抗の力が入り、それから、すっと梨花の方へ押し出される。受け取った扇を開く気配に、庭に立つ男は、こちらを伺うようにしていたが。
「届けるのが遅くなってすまない。ずいぶん、大事に使われた物のようだから、拾ってすぐに渡すのが筋なのだろうが、何分、名もわからなかったものだから・・・。」
「失くしてしまって、悲しく思っていました・・・。送って行って下さった屋敷には、養母が勤めております。そこに、預けてくだされば、よろしかったのに、わざわざ、届けてくださったのね。ありがとうございます。」
「いや・・その・・本人に渡すのが筋だと思い、遅くなって本当にすまない。」
 くすくす・・と、小鳥のさざめきのような笑い声が聞こえる。男は何か、言いかけたが、口を閉じ、簾の向こうを伺うように見る。
「ああ。同僚の方々がいらしゃるのですか・・・。」
「ええ。仲のいい人たちとおしゃべりしていましたのよ。」
 鈍いわ・・・と、梨花の耳元で、摂津がささやく。
わざわざ、本人に持ってくるんだから、気があるのよきっと・・・と、もう片方の耳許で、雪柳も囁く。
ち、違いますよ・・きっとそんなんじゃないです・・と、梨花は否定する。
 簾のこちら側で、きゃあきゃあ、お互いに小さな声で、やりあってる彼女達を驚かせるものが、背後の物影から、足を忍ばせて近付いて来る。いきなり、何?黒い影が姿を現し、梨花も、雪柳も、摂津も、ぎょっとなる。
近づいて来た芳しい香の香り。その持ち主は、梨花の肩の上に、にゅっと顔を出した。
「女五の宮さまっ。ひっ。」
 縁先に立つ男の目の前で、簾が、ぶわんと、一気に膨れる。さすがに、まくれ上がることはなかったけれど、中の女たちが簾の方へなぜか寄ったのが伺える。
 悲鳴のような、驚いたような声がした。
 外縁に手をついて、中へ駆けあがろうと、腰に手をやり、はっと気がつく。あ、警護じゃないから、今は太刀を佩いてないんだっけ・・・。間抜けな姿勢で、それでも、足を縁にかけ、
「どうしたっ。悲鳴が聞こえたが・・。」
「あ、あはい、いえ。何事もございません。すみません、不調法をいたし・・・。」
 梨花の声を遮るように、別の女の声。
「何事もございませんなんて、そんなことはないわ。梨花。私のお花を盗みに来た者がいるのに。」
「み、宮さま、おやめになって。」
 また、別の女の声。摂津だ。それからすぐ、ため息まじりに、また、別の女が、茫然と突っ立ってる男に向かい。
「私たちのお仕えする方でございます。蛍を見物する為に、お部屋を抜け出してきたところだとか・・その、私たちの局のあるところのすぐ傍に鑓水が流れているところが、たくさん蛍が飛んでいまして、きれいなのですよ。」
 雪柳だ。追い掛けるように、摂津が。
「まあ、ほんと。お話したら、がまんできなくて、一人で抜け出してこられたのですね。ほほ・・いけませんわ。こんなオイタをなさって。お子様だと笑われますわよ。」
 幾分、ひきつった声なのは、雪柳よりも皇女のこの行為に、慣れていないからだ。話には聞いていたが、かわった宮様だと思っている。
「そなたに言われとうないわ。わらわは、そなたたちと年は変わらぬ。ここにいる梨花よりも年上なのよ?わらわより、年若い者を心配して、何が悪い。兵衛佐。」
「!」
 男は、言い当てられて少し驚いた表情をしている。
「まあ、そうは言っても、花見ぐらいは、わらわも、許すぞ?それに、ふさわしいかどうか、とっくりと観察してやろう。ここで、ゆるりと、話をして行くとよいぞ?のう、兵衛佐。」
 傍で、あんぐりと口をあけている梨花の髪を撫でる女五の宮。深窓の姫の振る舞いとしては、常識はずれの・・・いや、常軌を逸した行為と見ていいのではないか・・・・。主の振舞いには、慣れてきたはずの梨花も、とっさには反応出来ないでいた。
 兵衛佐は、目を瞬いたが、軽く頷くと、まるで何事もなかったように、いともさり気なく、外縁に腰かける。肩膝を立て、半身を簾の方へ向け。
「それでは、今日だけ、女五の宮様の特別なお許しがあったということで、御辞退しては失礼にもあたりましょうから、腰かけさせていただきましょう。だいぶ、退屈しておられるようでございますから、今、世間に流行っているものなど話題にのせましょうか?それとも、時節柄、怪談話でも?」
 と、居直る。
「ううぬ。兵衛佐、なかなか、図太い神経じゃ。さすが、わらわに、恋文を送りつけて来る宰相の中将の弟だけはある。」
 女五の宮は、半ば本気でいまいましそうに言う。
「え・・恋文・・・。それは・・・。」
 皇女となれば、必ずしも皆が独身で過ごすわけではないが、一般の男女のように、勝手に愛を交わし、相手を通わせるなんてことは許されるはずもない。かなり高い身分、あるいは確実にそれが実現できるであろう家の息子なら、彼女を妻とすることも可能だが、そもそも、勝手に懸想していい相手ではない。
「そなた知らなかったのか?恋文と言うても、もちろん、中将がお膳立てにのっかったものだろうが・・今回、内裏が火災にあって、里内裏で手狭なところへ、わざわざ、わらわが呼ばれたのは、内々にわらわの意思を訊ねる為だったのだ。この間、中宮さまのところへ中将がやって来た時、一緒について来てただろう?」
 女五の宮は、自分のお気に入りの女房たちを見ながら、言った。
 兵衛佐は、少し考え、頷く。
「そなたも、あの日、女房たちと戯れていた、中将と、中将の取り巻きと一緒だったから、てっきり知っていると思っていた。」
「それで、私をご存知だったのですか・・・。」
「・・・うん。まあな。外は、明るかったから、奥に居ても、御簾の向こうに、姿もはっきり見えた。あの時、側にいた女房に、皆の名を訊ねた・・・。」
「なるほど・・・。」
「あ、言っておくが、その中の誰かに興味があったわけではないぞ?確認しただけだからな。」
「はあ・・・。」
 女五の宮のこどもっぽい言い方に、少し噴き出しそうになりながら、兵衛佐が応える。別に、夫になるかもしれない人がどの人だか見て見たかったって、素直に言ってみてもかまわないじゃないか・・と思い。
「男は、二人だけの兄弟です。異腹でも、私のことを兄は可愛がってくれてますが、まだ、内定もしてないんじゃ、そもそも、話してはくれませんよ。ああ、それで、あの日、呼び出しが来て、わざわざひっぱって行かれたのかな?後で、教えてくれるつもりだったのか。聞けずじまいだったけれど・・。」
「兵衛佐は、何やら心ここにあらずって感じで、応対している女房たちの方向ではない方を、ちらちら気にしていたからな。」
「まいったな。そんなに、目だってましたか・・・。ああいう場面は苦手で、なんだかんだと理由つけて、早々に退散したから、聞けずじまいでした。」
 兵衛佐は、はは・・と照れ笑い。簾の内では、梨花と雪柳が顔を見合わせ、女五の宮は口元だけで微笑み、摂津は、ひそかに眉を寄せる。
 ここまで、女五の宮に言われてしまっては、いまさら、さりげなく、お近づきになってなんて出来ない。兵衛佐は、開き直って、遠まわしにするのをやめた。
「あの時、無謀なことはお止めなさいと注意はしたけれど、あんなふうに、見ず知らずの人の為に、怒ってあげられる人がいるなんて、この京では珍しい。凛としたところが、好ましいと思っていたのですよ。梨花どの。」
「はい。・・・あ、いえ、その・・・。」
 話の接ぎ穂を、突然向けられて、梨花は、間抜けな返事をしてしまい、真っ赤にになって慌てている。兵衛佐が、ほんの少し、目を和ませる。
「あなたを思っている者がいることを、心に留めておいてください。」
 人目に立つと、主の御名にも傷がつくかもしれないから、これで失礼します。それでは、また、訪ねます・・と、その場を去ろうとする。
 女五の宮が、
「待ちや。そちらではなく、あちらの蛍の群れる鑓水のほうを回ってお行き。あちらの方が茂みもあるし、人目につかぬであろう?」
「ありがとうございます・・。御許しもいただけたようで。」
「わらわのお花は、み~んな、めったなことで、手放せませんっ。この花を盗む、花盗人になるつもりなら、覚悟いたせ、兵衛佐。」
 兵衛佐が頷き、言われたとおり、鑓水の蛍の群れる方へと進む。一番、明るいその場所を通り過ぎようとした時、運悪く、外縁を誰かが、やって来る気配がした。近くの茂みに、身を隠す。角を曲がった女房が、足を止めた。けれども、こちらに、気付いてもいないらしく、兵衛佐は、彼女が通りすぎるのを待つ。
 その女房は、足をとめて、景色をぼんやりと見ている。飛び回る蛍の明かりを見つめて、ほっと溜息をつく。  
「・・・・・物おもへば沢の蛍も我が身より あくがれいづる魂かとぞみる・・身から抜け出そうな思いなんて・・・。」
 密やかな、ため息が漏れる。
 随分落ち着いた感じの声で、年配の女房のようだが・・。兵衛佐は、興味をそそられ、少し、位置をずらし、その顔を見ようと物影から、半分だけ姿を現す。
まずいことに、小石が転がる音。
 不審に思った廊下の女房が、視線を向けた。
 ふわっと、いっせいに蛍が輝く。間が悪すぎるじゃないか・・・!



「・・・・!」

 暗がりにいれば、わからないはずが、これでは、顔まではっきりと確認出来てしまう。
 これは、ぜったい女五の宮さまのいけずに違いない。兵衛佐は、舌打ちしたい思いだ。
 廊下の女房は、思ったとおり、かなり年配だ。恋歌を聞かれてしまったことに動揺しているのか、そこに縫いとめられたように突っ立ってこちらを擬視している。
「これは、蛍が見せた幻なのです・・・お互い、恋しい方への思いに堪えかねての行為と、どうか、見逃して下さい。」
 兵衛佐は、慌ててそう言い繕って、その場を走り去る。
 後に残された女房は、ぼうぜんと佇んでいた・・・・・。





花ぬすびと 1

2010-05-21 08:46:25 | 花ぬすびと
平安時代を舞台にしていますが、風俗習慣などの時代考証などは、毎回しっかりしていませんよ~。
有り得ね~この設定など、思われるかもしれません。
それでも読んでやろうっていう方、どうぞ先へお進みください。


藤の花が咲いている。
日の光りのなかで淡く薄紫に輝き、盛りの美しさに思わず足を止めて見ていた。
ああ、紫というのは、なんて不安定な色なのだろう。
露を含んで、瑞々しく濃く、あたりに彩を添えているのに、日の光にも夜の闇にも溶けて混じって見えなくなってしまいそうだ。
その危うさ故に、心奪われる・・・・。いや、柄にもない物思いなどよそう。美しいものは、美しいのだ。心惹かれるものは、惹かれる、それでいい。
ほんの一時、足を止めていたのを動かし、男は歩き出す。あとから、藤の花の甘い香りが追ってくる。袍の袖にまとわりつくような香りをしばし伴って、男は歩く。
りん。りん。・・京大路を旅の僧が経を上げながら通り過ぎて行く。りんりんという音は、僧が手に持って揺らしている小さな鉦だ。涼やかな風が通り過ぎるような音が、何かと凶事の多い京を鎮めてくれるように通り過ぎて行く。
りん。りん。・・。僧の影が、大路に長く影をひいて、振り返った男の目に映った。
りん。りん。・・。一瞬あたりが、夕闇が迫る頃のような気がして、ぷるぷると男は頭を勢いよくふって、現実に返った。
「・・もう、昔の話だ・・。」
 鉦の音が、夕闇せまる頃を思い出させただけだ。くわばら、くわばら・・と、男は立ち去って行く。男の袖に伴われてここまでやって来た花の香だけが、残され、りんという風がふくと、香りが立ち昇り踊る。甘い・・は、人の好むものだろうけれど。濃厚すぎて・・息苦しいほどの咽かえる思い。ふわりと、不安が湧きたつ。
りん。りん。・・・・・。鉦の音が、鳴り、しばらくは、踊る。りん。りん。・・・そういえば、男が浮かべた夕闇も、光と闇の間、淡く不安定な時刻だ。
 りん。りん。鉦の音が、通り過ぎる・・・・・。



                一

 丁寧に剪定がなされ、いつも整えられた庭木や草花が、植えられたりっぱなお庭。桧皮葺きの大きな屋根を持つ建物がひしめいている。中央の寝殿造りと言われる四角い建物。格子や御簾、障子や帳などで、仕切ったひどく風通しの良い四角い建物・・その外周を外縁という長い廊下が巡って、それぞれ、対の屋といわれる似たような建物を繋いでいる。大きな建物が、庭を隔てて、ひしめき合うように沢山立ち並ぶ、大きな大きな屋敷。
知らずに連れて来られたら、何て大きな公卿の館だろうと感嘆するだろう。
けれども、すぐに、普通の豪奢な屋敷とは違うと気付く。多分に公的な場所が見え隠れする、正装した男たちが集う場所も備えている。
ここは、里内裏といわれる、内裏が火事やその他の不都合で使用出来なくなった時、提供される大貴族の屋敷。公人が行き来でき、なおかつ、帝の妻妾たちの住まう場所も確保できなければならないので、それに適した屋敷が提供されるのは当然だ。
だが、さすがに、個人の持ち物だけあって、内裏の殿社ほどは多くはないので、自然、人がひしめき合うような感じにはなる。
 いつもよりは、かなり、人目に晒されている感は否めない・・・と。
 局で、針を持つ手を止めて、そっと溜息をついた梨花。何とかして欲しいものだわ、あの噂話・・と、じっと庭を隔てた向こうの廊下を睨む。唐衣や裳を身につけ華やかな女房たちが集まっている光景は、もう慣れたが、里内裏という常とは違う環境にいるせいか、いつもつんと取り澄ましている女房たちまでもが、少し浮かれているような気がする。
「いーかげんにして欲しいわ。あの人たち。四六時中、男の品定めばっかり・・とか?」
 ふいに声がして、梨花は驚いた。朋輩が、几帳の向こうから、顔を出している。廂といわれる屋根の内がわの廊下を銘々几帳でしきって部屋として与えられている、いわば、同室の朋輩は、確か何か書き物を熱心にしていたはず。
 朋輩は、折敷に、いっぱい餅菓子を積んだものを掲げている。
「うるさくって、集中できないわあ。ね、梨花さん、一休みしない?それ、急ぎ?」
「いいえ。」
 今朝、実家から届いたのと言って、おすそ分けのつもりか、梨花にもつまむように薦めてくれた。礼を言って、素直に、菓子をつまむ梨花の顔を見ていた彼女は、くすっと笑う。
「あなたって、まじめね。ああいうの、慣れない?それとも、ここのお勤めにまだ、慣れないのかしら?」
「・・・いえ、何処へ行っても、人って変わらないなあって。私、幼いころから、女童として、人に使われてましたから、少しでも条件のいい方つかまえて、いい思いをしたいっていう気持ちも、わからなくはないですから・・。」
「そうね。あちらは中宮さまの所だし、特に、公達も多く顔を出す事も多いから、つい張り切りすぎちゃうんでしょうよ。」
 梨花達の仕えるのは、皇女さまだ。皇女というのは、必ずしも夫を持つとはかぎられないし、また、ご降嫁となると相手も相当な身分の者に限られる。そんな彼女の住む一角を、目的もなくうろうろする者も少ないはずで・・・自然、目につくこともないので、彼女達女房めあての男も少ない。彼女達の主の皇女のその母君は、早く亡くなり、お従姉弟の中宮さまが母代として面倒をみていらっしゃるが、中宮腹の皇女は他にも数多いて、梨花達の主は、普段は、内裏ではなく、中宮の実家の屋敷のひとつで、ひっそり暮らしているので、世間的にも、取り立てて華やかな宮さまというわけではないのも、訪ねる人の少ない一因だ。梨花は、そんな暮らしでも、満足しているので、たまに、皇女が参内して、にぎやかな場所に滞在するのには、閉口する。
 梨花は、眉を寄せ、手にした餅菓子に、あむっと大口開けて、一口かみついた。
「雪柳さんったら、面白い顔。」
 梨花の様子を、少し年上の朋輩、雪柳が、口をぽかんと開けてみている。
やがて、くすっと笑って、自分もぱくりと菓子を食べ。
「安心した。堅苦しい人じゃないのね。いつも緊張した顔してるから、ここにお勤めされて、もう一年にはなるのに、打ち解けにくい人かしらって、ちょっと思ってた。」
 いつもは、同室ではないので、今まであまり親しく接する機会もないままだったので、互いに、人となりはよく知らない。
「あ。それは、緊張感はあったかもしれないです。今まで、お仕えしてた方は、かなり年配の奥方さまで、世の片隅でひっそり暮らしているって方だった。お屋敷も、人が少なくて。それに、ここの方たち、皆教養がおありになって、お家に帰っても、おそらく、裕福な暮らしでしょう?なんだか、気が引けちゃって・・・。私は、母も家女房だったもの。」
「あら?私の母も、女房勤めしていたのよ?父は、高齢で早くに亡くなってるし、実質母の細腕で、育ってきたようなものだもの、変わらないわ。あ、内裏の女房と家女房の違いなんて、細かいこと言わないでね。母の母も、やっぱり人に仕える身だったし、考えてみれば、この都で、傅かれるだけで一生過ごせるなんて、ほんと一握りじゃない?」
「そういわれれば・・・・・・。」
「ね。それに、ここの方たちは、そんな気取って家柄を誇るような人は少ないわよ?あっちなんか・・ねっ。何かにつけて、お互い競争でしょ?」
 庭の向こうの嬌声の元を指さす。向こうは中宮さまに仕える女房達が集ってる。
「ふふ。そうね。」
 梨花が笑うと、雪柳は満足げに頷く。
女房名が、梨花に雪柳なんて変わった呼び名だ。
普通、内裏の女房たちは、父親や夫、身内の官職をつけて、呼ばれる。たとえば、式部とか衛門とか、少納言とか・・・。あるいは、住んでいる場所、二条だとか三条だとか・・・。変わった女房名だが、彼女達の仕える宮さまが、少し変わった方なので、彼女が自分に仕える女房たちに花の名前を与えるのだ。
『私に仕える、お花さんたち』という意味で。・・・・・・。
「それにしても、いつにも増して賑やかね。」
「さあ?頭の弁とか、宰相の中将とか、オモてになる方か誰か、いらっしゃるんじゃない?」
「へえ・・。」
 その時、いきなり外縁にかかっている簾がばさっと、乱暴に巻き上げられた。
 ぎょっとして二人ともそちらを見ると、女房が一人、立っている。ばさりと、御簾はすぐに落ち、若い女房が一人入って来た。梨花は、ほっとしていたが、若干、雪柳はげんなりした顔をしている。
「ちょっと、庭から丸見えになるじゃない。やめてよ。小馬(こま)。あっち、誰か来てるんじゃなくて?」
「あ、この位置からは、あの方々から見えないわ。宰相の中将さまと、以下そのお友達よ。」
「そうじゃなくて~。ん?あんた、こっち来てていいの?いっつも先頭切って、あの集団の中で、嬌声をあげてるじゃない。」
 雪柳の辛辣な物言いに、そばにいる梨花はぎくりとした。けれど、小馬は、慣れているのか、まったく気にしていない様子で。
「いいの。今の私は・・」
「待った。」
 雪柳は、渋面をつくり、後ろへ下がる。小馬は、かまわず、その場に座り込み、前のめりになって話す。
「ね、聞いて、雪柳。今度こそ、運命の相手・・・・!」
「またか。夢見る恋愛症候群女・・・。」
 渋い顔で、呟いたが、自分の話しに夢中な小馬はそんな様子など眼にはいらぬようで、滔々と、新しい相手との出会いを語っている。
「この人、幼馴染なんだけどさあ、しょっちゅうこの調子なの。でも、いい奴だから、安心して。しばらく、この調子で語るけど、話し終えたら、普通に戻るから。」
 雪柳が、梨花に囁く。たぶん、しばらくすると、わんわん泣きながら、失恋話をしにやって来るから・・とも付け加える。
 滔々と続く話を聞いていると、廊下の簾の袷目から人の顔が、覗き、「あ、小馬。やっぱり。こんなところでサボってる~。」と、また、人が入って来た。
 雪柳が。
「小馬の同僚。摂津よ。よく小馬と一緒だから、この人も、なぜかよく知ってるわ。」
 梨花へ、簡単に紹介する。摂津は、梨花にはにっこりと笑い、愛想を振りまく。小馬には。
「早く。人出がいるの、小宰相さんが、探してたわ。大急ぎで、仕立て物を終わらせなきゃならないの。」
「あら、そう。」
 仕方なさそうに話をやめて、立ちあがる。
「ね、そっちのあなた器用なほう?」
 摂津が訊くので、梨花は首を傾け。
「さあ。・・お裁縫は、苦手ではないですけれど・・。」
「ね。じゃ、手伝って。」
「えっ?あの。」
「雪柳が一緒なら、いいでしょ?」
 雪柳が不服そうに。
「摂津~。あんたね、私が裁縫苦手なの知ってるでしょう?」
「あら、誰も縫ってとはいってないわよ。裁つ時、布を抑えるぐらいはできるでしょう?ね、お願い、大急ぎだから、あなたも手伝って。恩にきるわ。」
 拝むように顔の前で手をあわせ、摂津は、雪柳に頼む。
「仕方ないわね・・。」
 雪柳は、しぶしぶだけど立ち上がる。くるりと振り向いて。
「梨花さん、恩を売って置きましょう?どういう理由かわからないけれども、困っているようだから。小馬も、摂津も、顔が広いし、二人の母上は、まだ現役で、中宮さまの古参の女房よ。」
 ぱちんと片目を閉じ、華やかな笑顔になった。白い花がこぼれるように、愛嬌のある顔。梨花は、一瞬ぼおっと魅入って、うっかりうんと頷く。そのまま、彼女達について、女房たちが集まる局へ連れられて行く。針仕事は得意なので、言われるまま、急ぎの仕立てのひとつを手渡され、縫っていく。




桃色の生地の脇を縫い合わせている途中で、そっと、わからないように、息を吐いた。いつもは、目立たない感じなのに、さっきは思わず、はっとなるくらいの笑顔だった・・。
梨花たちの主の、皇女が、雪柳と名を与えたのが頷ける。そこ行くと、私は、実は、本名だからなあ・・・と、心の中でもうひとつため息。彼女がここに仕えるようになったいきさつは、たまたま方違えにお出でになった皇女が泊まった屋敷で、お世話したとき、どういうわけか気に入られ、そのまま、お持ち帰りされるみたいに、仕えることが決まった。理由は、初めに問われて名乗った、梨花という名前が、つぼにはまったというだけだろうが・・・。梨の花というと、嫋々とした美女が浮かぶだけに、地味で健康そのものの女の自分には、この名前は、そぐわないようで悩みのひとつだ。
 ひとつを縫いあげ、顔を上げた時に、ふと摂津と小馬が、互いに肘を小突き、御簾の外を見ている。気になるので、見てみると。
 庭をはさんだ向こう側、梨花達の局のある建物の廊下のずっと突き当たりの外縁の角の所で、半分身を現した女房がぼっと立っている。
 あれ?と思うと、いつのまにか、寄って来ていた摂津と小馬が、
「ね。あれ、紅梅どのじゃないの?」
「あら、本当ね。いつもは、しかめっつらな顔しているのに、へえ・・あんな顔もなさるのねえ。」
 問われたのは、梨花だが応えたのは、雪柳だ。裁縫の苦手な彼女は、悪戦苦闘したあげく、はやくこの苦行から抜け出したいと思ってたので、すぐに気を散らせて飛びついて来た。小馬が。
「まじめな女ほど、思いつめるの怖いわよう~。」
 ちゃかして言うそばで、首を傾げながら摂津が。
「でも、かなりお年じゃない?母と同じくらい・・か、少し上じゃない?」
 そう呟いた時、向こうの方で嬌声が響く。訪ねて来た公達に応対するのも女房たちの仕事のうちだが・・・。その嬌声の輪の中心に瞳を巡らせて、雪柳も首を傾げた。
「視線の先って・・・え?宰相の中将さま?え?嘘・・ひとまわり以上は、年下よね・・・。」
「意外と軽いノリの方だったのしら?いつも、後輩女房の私たちを窘める役なのに。」
 思わず梨花も呟いていた。
「でも、まあカッコいいお姿ってのりには見えないわよ?何だか思いつめた表情・・・。」
 小馬が指摘する。四人は、顔を見合わせてため息をつく。
「・・・ちょっとねえ、無理・・・・。」
 若い女房を叱ったりする役目の彼女だが、面倒見もいい。皆、悪い印象は持っていなくて、だから、いい年をしてなんて気持ちよりも、人ごとながら心配になる。
「こら、サボってる。作業止めないで。」
「痛っ。」
 こつんと小突かれて、小馬は振り向く。そこに自分の母の顔があるのを見て、首を竦める。
「お母様みたいだったら、ぜったいコナかけてるんだろうけれど・・。」
「下品な言葉使いだこと。ぴよぴよ賑やかなひよこちゃん。男の方からちやほやされて、地に足がつかないみたいだけど、もう少し見る目を養ったら?軽く扱われてることがわからないの?」
「ひどっ。お母様だって、次から次じゃない。いい加減、落ち着いたら?」
「あらっ、だって、たまたま、素敵な恋がたくさん転がってただけですもの。それのどこが悪くて?でなきゃ、あなたもここに存在していないわ。」
「・・・・・・。」
 口をあんぐり開けて、二の句が告げられなくなった小馬に、彼女の母は、笑みを向けて、視線を他の三人に向ける。くすっと、小惑的な表情で。
「さあ、口だけじゃなく、手も動かしましょう。ふふ・・いくつになったって、変われる人は変われるものよ。ひょっとしたら、あの方の思いも叶うかもしれないわよ?そうなったら、ちょっとびっくりだけどね。」
 彼女は、梨花がこちらを羨望のまなざしで見ているのに気付き、
「あら、あなたは?」
 小馬から、雪柳の同僚だと紹介され、頷く。梨花が小馬に。
「いいですね。親子喧嘩。私、実母は早くに他界してるから、ちょっと羨ましいです。」
「え~、今の普通の母子の会話じゃないわよ。」
「そうですか?」
 うんうんと頷く小馬は、またまた、母から小突かれる。
「あなたはねえ。何て人の気持ちに疎い。ごめんなさいね、無神経だったかしら・・梨花さん、心細いことがあったら、気軽に相談なさってね。」
「ありがとうございます。」
 素直にこくりと頭を下げる。顔をあげて、にこりと笑った笑顔を、小馬の母は、ちょっと首を傾げて見ていたが、やがて目を細めて頷いた。
 それから、作業をしながら、会話がはずむひとときを皆で過ごしたのだった。




申餅

2010-05-18 08:12:11 | 歴女じゃなくても召し上がれ


「140年ぶりに復活。」と、京都新聞にも載っていた宝泉堂の申餅(さるもち)。
江戸時代、葵祭の際、下賀茂神社の境内で、みたらし団子と共に売られていた。

無事息災を祈って食されていた、庶民の祭の日の風景でしたが、
明治政府の政策で、神社の祭礼が制度化され、庶民の間に伝わる習慣は否定され、
その過程で、申餅販売もなくなり、廃れていたという。
下賀茂神社の宮司さんの依頼で、宝泉堂さんが復元。


15日葵祭りから、販売を開始・・・という記事を見て、当日に行ってみましたよ(゜-゜)
お祭りのにぎわいの中で買うのも、楽しい。



「では、無事息災を祈って・・。」
                  

ごく薄い小豆の色に染まった申餅は、歯切れがよく、餅に包まれていたのが、
つぶがしっかりしていて、餡子というより、小豆の甘納豆という感じでした。
食べやすいやん。2個入りのもう一個は、一口でぱくり。



葵祭の風景も何枚か。
後ろ姿ばっかりですが・・・・・・・。



















あぶり餅

2010-05-05 08:38:26 | 歴女じゃなくても召し上がれ


今宮神社の参道に、道を隔てて二軒の茶店があり、あぶり餅というものを売っています。

千年の味・・・というと、重たい感じですが、
出て来た、あぶり餅は、素朴な味わいのもの。

味噌だれのはんなりした甘さ。
あぶった餅のちょっと端の焦げた香ばしさと、一口サイズのかわいい餅。

餅を炭火であぶる匂いも、味わいのうちです。

表の参道が見える席に座って、今宮さんの門の、新緑を眺めるのもいいかも。(^◇^)




二軒のうち、いち和さんというお店に、千年前から枯れずにある井戸があるそうです。

                 


今宮神社のできた頃から、ずっとあぶり餅は売られているそうです。
いち和さんは、創業千年。
道を隔てたかざりやさんも新しいといっても、ん百年。・・・・・・・。

人は代わっても、神社へやって来て、景色を眺めながら、
ここで一服していく風景は変わらずかあ・・・。
このあぶり餅目当ての人は、今でもたくさん訪れています。花よりだんご❤