St. John of the Crossの生き方に憧れて

受洗後、最初に買ったカトリックの本が「愛への道」。相応しい生き方をしてない。彼に倣う生き方が出来るよう心がけたいです。

日記

2014-09-25 19:07:27 | Weblog

00 記事”ニ・ュ。ハ」ア」ー。ソ」イ」ケ。ヒ”が参照2位に入っている。別にdadaではない。種明かしすると、NTT OCNさんの”Blog Cafe”からの変換が上手くいかなかったのだ。NTT OCNさん後継ブログは成功したので、どうしてもという方はそちらを見て欲しい。
0 詩の変更のみ。写真は、9/20(土)の東京、21(日)の名古屋。今週は俳句の週になってしまう。やっと50作って、うち5つを「角川俳句9月号」に送る。昨夜深夜。その他仕事の準備もあって、今週は毎日の一人での「集会祭儀」や「慈しみの祈り」の他、殆ど何もせず。やっとさっき、上郷図書館に行って予約してた本を借りてくる。ラテン・アメリカ文学数冊と光太郎・ホイットマン。「光太郎・ホイットマン比較文学」は既に世にある。「村上文学とガルシア=マルケス比較文学」はあるかな?一瞬思う。午後にかけて勉強。西脇「ヨーロッパ文学」、シーサー・シモンズ「象徴主義の文学運動」「古典再入門」(円地文子)などを読む。今週は他、 “Dubliners”(Joyce)「俳句鑑賞歳時記」(山本健吉)「非線型力学」。あと仕事関連。前回の続きだが、横浜辺り、夜行の中「現代の短歌」(高野公彦)を読んでいて、宮柊二先生の歌に甚く感動する。涙が止まらなくなる。表現は、いろいろ雑なものを削ぎ落として出てくる凛とした気品がすべてと思う。“作品のクオリティー”に“作品のアトモスファー”と答えたのはボルヘスだった。そんな中「現代の短歌」(高野公彦)を逆順に読んでいて、先生の短歌の他を圧する気品に出くわす。コスモスに席を置く僥倖を思う。今週末は本来なら広島。そこを意識して2・3日過ごそうと思う。

アントニオーニの映画「情事」をなかなか進められない。島の小屋のところ。リチーの指摘に納得。リチーの「映画のどこをどう読むか」の該当箇所を読む。
引用は変わらない。

“正反対性(両極性)を使って自分の言いたいことをあらわすこのアントニオーニの方法は、幾何学的である。両極端を持つ線があって、われわれはその両端を見るよう求められる。後へ行くほどこの映画は幾何学的な要素でいっぱいになる。背景の一部に見られるバロック風の幾何学的なものとか、青写真や建築用の図面の使用といった見てすぐわかる表現だけではなく、テーマを明確にし、例証し、文学的にあらわすための幾何学的な構図がたくさん使われている。”(p.87)

1 家にあるCDによるクラッシック紹介は2枚。前回踏襲。
「バッハ:ゴルトベルク変奏曲」(ピノック(チェンバロ);アリヒーフ)
「バッハ:パッサカリアとフーガハ短調他」(ヴァルヒャ(チェンバロ);FIC)

2 アルスの主任司祭聖ヴィアンネの本「聖ヴィアンネの精神」(モンナン神父)からは、変更なし。

“信仰と愛徳によって、御言葉がわれわれの中に住まい給うとき、われわれの霊に注ぎ給う神的光に照らされた知性の徳がある。”
“「心の眼を清めて、真の光に向かって飛翔するには、世のわずらいを軽んじ、身体を抑制し、痛悔の心を抱き、涙を注がねばならない・・・神の賛嘆すべき本質とその無垢なる心理とを黙想し、純なる意向をもって熱心に祈り、神に於いて喜び、天国を熱烈に望まなければならぬ」”
(p.13~14)

4 半年程前に「現代詩手帖」に投稿したけど採られることのなかった詩の紹介。6回目、確か。段々と書き足していきます。一定のレベルに達しない詩ではありますが・・・。

“「昼」 白い小さな指先から 零れ落ちる サラサラした細かい砂 アポロニウスの円筒形 破損した硝子 //振り子細工のように 時を刻んで来た その機械はもう鳴らない //何千もの部品からなる 精密なゼンマイ装置 淀みのない時を刻み 傷みの欠けた歴史を繰り返す 空間の歪み そして 抜けるように広い青空//補正しようにも 補正しようのない 鋭い悔恨 戦禍にも その村は焼け落ちず・・・ 空間が そして 後に時間が後退して 仄かな祈りが・・・//空に白雲が立ち籠め 木々の緑 その影は 日差しを遮り 小さなバルコニーには 混沌が形成されていた 空港に出て 半島を半時計周りに巡って また読み止しの本に戻った// 「ステファニーが フランスに旅をして お菓子屋になる為に パリで勉強する やがて 大人のする恋をした そして 振られ・・・」//お座なりに投げ出された鞄から 星が銀河のように溢れ出て 空間を限りない光で満たした//次第に遠のいて行く テールランプ 棒状に浮かぶ雲たち 庇には もう東の月が出ている 周到に準備された 文月のような それでもう 終末に近いことが分かる//しなければならなかったことを 後悔して 記憶に残る糸を 辿ってみる 階段を駆け上る//そして 過ぎ去った時間の中 人間は人魚であった 住み慣れた街を捨て 逸れた恋人が タクシーで テールランプを追うように 記憶の微かなうねりを そのままに捉える//人間は嘗て海にあった 朝焼けは意外と簡単で 独り下宿の六畳間で 立ち尽くしていたが 調べなき夕暮れに 東風が出てきた 珈琲を飲み 貿易風についいて 若干議論する//「必然」と染められた旗が 風に運ばれ「憮然」と翻る それが自然の真情だったのかと 轍にぬかるんで 夏の午後 身動きが取れなくなった//白い幽霊が 下北に出て 蒼い白鳥が 係累を払いながら 露に噎せ入って 水底に沈められたのは 何の象徴だったのか//水路を流れる 淡い鴇色の風景 結末は未だ知らない 春も未だ来ない 体育館から人が出て 五島の方へ旅立つ ぞろぞろと 黒子のあった辺りを結ぶ 嵌められた絵のような 水晶の球ばかり 一瞬のざわめき//(掲載未了)

追加分だけ見ても、粗い。推敲が足りない。一応シュール詩だが、2つの連の終わり“水底に沈められたのは 何の象徴だったのか“”一瞬のざわめき“が甘い。唐突。そこを何とかしたい。そういった箇所を埋めるのが詩作・推敲の中でも大きなウェートを占める。切れ味!

5 From “Introduction to Quantum Computation and Informatios”(Hoi-Kwong Lo et.al.;World Scientific)の“Quantum Computaion with Nuclear Magnetic Resonance”(I.L.Chuang)より、p.316
“2.3 Spin manipulations /Spin are manipulated by applying a much smaller radio-frequency field,B1,in the x-y plane to excite the spins at their resonat frequencies ωi.Using the rotating wave appoximation,we find that in the rotating frame the spin evolves under an effective field B=B1cos(φ)x+B1sin(φ)y(where φ is the RF phase).Near resonance,even a small B1 can cause large spin rotations,and by varying φ and magnitude of B1,the rotation angle and axis can be controlled.Furthermore,by applying RF fields at different frequencies,different spins can be selectively exited.Mathematically,this effect from a resonant perturbation is well known,and a derivation is selected here for completeness.Consider the Hamiltonian H=hω/2σz+hδcosωtσx where σi are the usual Puli matrices.

量子コンピュータの代表的な教科書からの第4回。“コンピューティングにハミルトンの四元数を使う”に関連し。

6 “葉桜にすずろ響けり蝉の声”
自作俳句。少し古い。

7 “1939:The principle of solidarity,also articulated in terms of ”friendship“ or ”social charity“,is a direct demand of human and Christian brotherhood.”
 (from “Catechism of the Catholic Church”)
 
8 “1939:On the contrary,it is a firm and persevering determination to commit oneself to the common good;that is to say to the good of all and of each individual,because we all really responsible for all.This determination is based on the solid conviction that what is hidering full development is that desire for profit and that thirst for power already mentioned.”
(from ”The Companion of the Catechism of the Catholic Chruch“)
 
9 年間第25木曜福音朗読。ルカによる第7章から。

“(そのとき、)領主ヘロデは、これらの出来事をすべて聞いて戸惑った。というのは、イエスについて、「ヨハネが死者の中から生き返ったのだ」と言う人もいれば、「エリヤが現れたのだ」と言う人もいて、更に、「だれか昔の預言者が生き返ったのだ」と言う人もいたからである。しかし、ヘロデは言った。「ヨハネなら、わたしが首をはねた。いったい、何者だろう。耳に入ってくるこんなうわさの主は。」そして、イエスに会ってみたいと思った。”
(-権力者、金持ち、自分の力や富に執着するものはイエスの神秘に近づくことができない。)

†主のお恵みが。
†主に讃美と感謝。

2014年9月25日
                       乗倉寿明記す