St. John of the Crossの生き方に憧れて

受洗後、最初に買ったカトリックの本が「愛への道」。相応しい生き方をしてない。彼に倣う生き方が出来るよう心がけたいです。

日記

2014-09-08 14:56:08 | Weblog
0 多忙なので、順番の詩の変更のみ。写真は、9/7(日)の高蔵寺など。物理学会に行ってくる。その時のもの。発表はなし。聴講のみ。しかも一日。岐阜神領までのささやかな日帰りの旅行。中部大で開かれた学会の初日は、「確率過程」と「非平衡定常系」、「ポスト「京」」を聴講する。「大きな実りを胸に」といいたいが、聞きたかった内容は二日目以降。ただ、この日聞いた内容も興味深かった。「演じていて面白い?それだけが(成長を)分けるもの。」大河ドラマの某ディレクターからの演技指導で何度も指摘されたこと。今、学会などに参加する度思い出す。参加していてワクワクする。けれど、楽しかった理想郷からは遠く離れてしまった。人生終活の時に思うにしては悲しい現実。せめて、“Dubliners”読みながら、“molecule”“atom”探す楽しみくらいが関の山。だから、わたしの若い時と同じ夢や演技の夢抱き続け、日々研鑽を重ねる人達の為に祈っていきたい。それが自分の出来る精一杯のこと!チコノフとチェーホフ脇にして。

アントニオーニの映画「情事」をなかなか進められない。島の小屋のところ。リチーの指摘に納得。リチーの「映画のどこをどう読むか」の該当箇所を読む。
引用は変わらない。

“正反対性(両極性)を使って自分の言いたいことをあらわすこのアントニオーニの方法は、幾何学的である。両極端を持つ線があって、われわれはその両端を見るよう求められる。後へ行くほどこの映画は幾何学的な要素でいっぱいになる。背景の一部に見られるバロック風の幾何学的なものとか、青写真や建築用の図面の使用といった見てすぐわかる表現だけではなく、テーマを明確にし、例証し、文学的にあらわすための幾何学的な構図がたくさん使われている。”(p.87)

1 家にあるCDによるクラッシック紹介は2枚。前回踏襲。
「バッハ:ゴルトベルク変奏曲」(ピノック(チェンバロ);アリヒーフ)
「バッハ:パッサカリアとフーガハ短調他」(ヴァルヒャ(チェンバロ);FIC)

2 土曜の晩は松川へ。集会祭儀だった。帰宅が10時半。準備などで徹夜していまう。ここまで読んだ本。
「力学系」(丹羽敏雄)“Atable and Random Motions in Dynamical Systems”(Moser)「あざみの衣」(西脇順三郎)「図説化学」「市場の力と日本の労働経済」(櫻井宏二郎)「現代名詩選(上・中)」(伊藤信吉)「現代詩人論」(大岡信)“Dubliners”(Joyce)など。評論執筆に関する本は略す。

アルスの主任司祭聖ヴィアンネの本「聖ヴィアンネの精神」(モンナン神父)からは、変更なし。

“信仰と愛徳によって、御言葉がわれわれの中に住まい給うとき、われわれの霊に注ぎ給う神的光に照らされた知性の徳がある。”
“「心の眼を清めて、真の光に向かって飛翔するには、世のわずらいを軽んじ、身体を抑制し、痛悔の心を抱き、涙を注がねばならない・・・神の賛嘆すべき本質とその無垢なる心理とを黙想し、純なる意向をもって熱心に祈り、神に於いて喜び、天国を熱烈に望まなければならぬ」”
(p.13~14)

4 半年程前に「現代詩手帖」に投稿したけど採られることのなかった詩の紹介。4回目。段々と書き足していきます。一定のレベルに達しない詩ではありますが・・・。

“「昼」 白い小さな指先から 零れ落ちる サラサラした細かい砂 アポロニウスの円筒形 破損した硝子 //振り子細工のように 時を刻んで来た その機械はもう鳴らない //何千もの部品からなる 精密なゼンマイ装置 淀みのない時を刻み 傷みの欠けた歴史を繰り返す 空間の歪み そして 抜けるように広い青空//補正しようにも 補正しようのない 鋭い悔恨 戦禍にも その村は焼け落ちず・・・ 空間が そして 後に時間が後退して 仄かな祈りが・・・//空に白雲が立ち籠め 木々の緑 その影は 日差しを遮り 小さなバルコニーには 混沌が形成されていた 空港に出て 半島を半時計周りに巡って また読み止しの本に戻った// 「ステファニーが フランスに旅をして お菓子屋になる為に パリで勉強する やがて 大人のする恋をした そして 振られ・・・」//お座なりに投げ出された鞄から 星が銀河のように溢れ出て 空間を限りない光で満たした//次第に遠のいて行く テールランプ 棒状に浮かぶ雲たち 庇には もう東の月が出ている 周到に準備された 文月のような それでもう 終末に近いことが分かる//しなければならなかったことを 後悔して 記憶に残る糸を 辿ってみる 階段を駆け上る//そして 過ぎ去った時間の中 人間は人魚であった 住み慣れた街を捨て 逸れた恋人が タクシーで テールランプを追うように 記憶の微かなうねりを そのままに捉える//人間は嘗て海にあった 朝焼けは意外と簡単で 独り下宿の六畳間で 立ち尽くしていたが 調べなき夕暮れに 東風が出てきた 珈琲を飲み 貿易風についいて 若干議論する//「必然」と染められた旗が 風に運ばれ「憮然」と翻る それが自然の真情だったのかと 轍にぬかるんで 夏の午後 身動きが取れなくなった//”(掲載未了)

先週は詩の本ばかり読んでいたが、今、学会で気分がそちらに行っているので。格差・労働問題も押さえておかなければいけないし・・・。と、場面展開が早い、というより乱雑。街・下宿・道。更に致命的なのは、熟してない。推敲不足を露呈している。別段、暗く重厚などというものではない。元々、明るく軽やかに歌えないのだ。自分の欠点。そこを突き詰めていけばとの思いもあるが。あと何と言っても黙示録。いい詩・歌を書けたとき、必ず黙示録を読み込んでいる。いい作品を書くための(自分の中の)必須条件だ。

5 From “Introduction to Quantum Computation and Informatios”(Hoi-Kwong Lo et.al.;World Scientific)の“Quantum Computaion with Nuclear Magnetic Resonance”(I.L.Chuang)より、p.315 
“2 Physics of Nuclear Magnetic Resonance 2.2 Thermal equilibrium state”から
 The thermal equilibrium state of the system is described by the diagonal density matrix ρ=e^(-βH)/tr{e^(-βH)},where β=1/kBT.Since kBT at the room temperature is usually much larger than hB0(by about 10^5),this state is well appoximated by ρ≒1-H/2^N.For N=1 this gives
ρ≒
  1-hω/2kBT [1 0 /0 -1] (2×2matrix)
and for N=2(and ωA=4ωB)
ρ≒
1-hω/4kBT[5 0 0 0/0 3 0 0/0 0 -3 0/0 0 0 -5] (4×4行列)
This state may be interpreted as being a mixture of the four pure state |0 0>,|0 1>,|1 0>,|1 1>(we shall use 0 to represent the spin-down state↓,and similary for 1 and spin-up↑.Of course,since the ensemble contains some 10^23 molecules,the microscopic system is probably actually composed quite differently;the same density matrix can be decomposed in an infinite number of ways into mixtures of pure states,but as von Neumann originally pointed out(see,for example,Sakurai),as long as only ensemble averages are measured there is no way to tell distinguish among them.It is also important to note that the part of ρ proportional to the identity is unobservable in NMR experiments;only differences in populations of different staes are ever measured.Mathematically,this is reflected by the fact that only traceless observables,such as the transeverse magnetizations,are experimentally accessible quantities.“

量子コンピュータの代表的な教科書からの第3回。
15年位前の“コンピューティングにハミルトンの四元数を使う”に関し。

6 “いかずちが鳴ってぼうたん散り乱る”
自作俳句。少し古い作。

7 “1939:The principle of solidarity,also articulated in terms of ”friendship“ or ”social charity“,is a direct demand of human and Christian brotherhood.”
 (from “Catechism of the Catholic Church”)
 
8 “1939:It is above all a question of interdependence,sensed as a system determining relationships in the contemporary world,in its economic,cultural,political and religious elements,and accepted as a moral category.When interdependence becomes recognized in this way,the correlative response as a moral and social attitude,as a ”virtue“,is solidarity.This then is not a feeling of vague compassion or shallow distress at the misfortunes of so many people,both near and far.

(from ”The Companion of the Catechism of the Catholic Chruch“)
 
9 年間第23月曜福音朗読。ルカによる第6章から。

“イエスは彼らの考えを見抜いて、手の萎えた人に、「立って、真ん中に立ちなさい」と言われた。その人は身を起こして立った。そこで、イエスは言われた。「あなたたちに尋ねたい。安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか。」そして、彼ら一同を見回して、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。言われたようにすると、手は元どおりになった。ところが、彼らは怒り狂って、イエスを何とかしようと話し合った。”
-(信仰者は憎悪の論理、戦争の論理に愛の論理、和解の論理で立ち向かわなければならない。真の安息日が確立されるために。)

†主のお恵みが。
†主に讃美と感謝。

2014年9月8日
                       乗倉寿明記す