




東日本大震災被災者の方々の為に祈ります。
あわれみ深い神様、あなたはどんな時にも私たちから離れることなく、
喜びや悲しみを共にしてくださいます。
今回の大震災によって苦しむ人々のために、あなたの助けと励ましを
与えてください。私たちもその人たちのために犠牲を捧げ、祈り続けます。
そして、一日も早く、安心して暮らせる日が来ますように。また、この震災
で亡くなられたすべての人々が、あなたのもとで安らかに憩うことができま
すように。主キリストによって。アーメン。
母であるマリア様、どうか私たちの為にお祈りください。アーメン。
。。。
新しいロザリオの祈りで祈ります。
アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、私たち罪びとのために、今も、死を迎える時も、
お祈りください。アーメン。
。。。
引き続き。
「「2001年宇宙の旅」と「惑星ソラリス」の比較映像学(もどきかな)
・・・
「2001年」と「ソラリス」の場合はどうなのだろう?
先ず、エンディングから遡っていく。「2001年」では、宇宙空間に浮かぶ
巨大な嬰児であり、「ソラリス」では、ソラリスかの海に浮かんだ自分の家。こ
れから、「2001年」が進化・発展、「ソラリス」が回帰・復活を扱っていると
捉えることは可能だろうか?宇宙が神の座であることは、数々の神話まで遡るま
でもないであろうし、海が母のイメージは文学的レトリック。
病を通して、或いは、その克服の中で新たな創造がある、は意外な真実である。
両映画では、それぞれの主人公は、「外在する精神」の「内的精神の異常」の投影
により、また、「内的精神」の「外部への異常」な投影により蝕まれる。それは、
一種の産みの苦しみとして、新たな世界出現の為の必然法則であった。
「2001年」では、ある「隠された未来の秘密」が機械の病を生み、脅威を
止める為には、機械に対する外科的な処方=思考回路の手動によるシャットダウン
しかなかった。しかし、それを完遂した瞬間回路から流れて来たのは、アイロニー
に満ちた童話であった。そして、これは第2部のテーマ「生命の回帰と誕生」とに
繋がる。「発生は進化の段階を模倣する」、それを辿ろうというのだ。
「ソラリス」は違う。過去の罪である。過去の罪が現実化された幻想を生む。そ
れは、しかしリジッドな現実である。己の弱さ。この海では、それが白日の下晒さ
れ、密室の中で24時間向き合わなければならなくなる。死んだ筈の妻の幻と何
年か過ごし、存在を疑った瞬間消え去る話は数ある。死をも越える愛。ここでは、
歪んだ現実に倦み疲れ、意識を失って夢にさ迷うとき消える。」 (未了)
。。。
リパッティ。
J.S.バッハ、ヘス編「主よ、人の望みの喜びよ」
~エネスコ「ピアノ・ソナタ第3番二長調」を聴きながら、は同様。
写真は、今年の小津映画祭。
氏の別荘無芸荘。
飯田は雨が続いています。
。。。
今日一日が皆さんにとって良い日でありますよう、
お祈り申し上げつつ。
主のお恵みが皆さんに豊かに御座いますよう、
主イエスキリストの御名によってお願い申し上げつつ。
主への賛美と感謝とともに。
2011.11.11. 乗倉記す