




東日本大震災被災者の方々の為に祈ります。
あわれみ深い神様、あなたはどんな時にも私たちから離れることなく、
喜びや悲しみを共にしてくださいます。
今回の大震災によって苦しむ人々のために、あなたの助けと励ましを
与えてください。私たちもその人たちのために犠牲を捧げ、祈り続けます。
そして、一日も早く、安心して暮らせる日が来ますように。また、この震災
で亡くなられたすべての人々が、あなたのもとで安らかに憩うことができま
すように。主キリストによって。アーメン。
母であるマリア様、どうか私たちの為にお祈りください。アーメン。
。。。
新しいロザリオの祈りで祈ります。
アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、私たち罪びとのために、今も、死を迎える時も、
お祈りください。アーメン。
。。。
小津監督の本を読んでいたら、10年位前に自分で書いた評論の写しが
出てきた。
(アメブロを参考にしてください!)
「蓼科高原小津安次郎記念茅野映画祭」の日程などが裏に書かれている。
何時の年だったか?
「チベットの女」「ハローマイラブ」等々書かれている。
誰かに見せる意図だったのか?
同じ映画ファンと話す切っ掛けとしてと記憶する。
他愛もない内容だが、それを何回かに分けて掲載し、仮想の映画ファン
と、“こんなに青いんだ”“キモ!”と一緒に笑うことにしたい。
。。。
「2001年宇宙の旅と惑星ソラリスの比較映像学(もどきかな)
アーサー・クラークとスワレスラム・レム。ふたりの20世紀後半を
代表するSF作家の代表作が、また時を同じくする2大映画監督、スタ
ンリー・キューブリックとアンドレイ・タルコフスキーの手によって
映像化された。ふたりが互いに、もう一方の作品をどう評価してたのか
残念ながら浅学で分からないのだが、2本の映画を見ると、2本を対と
してプロディースした人がいるのではないかと思われる程の対比が目立
つ。そもそも、宇宙・未来を舞台としたドラマ=SFは、ギリシャ時
代から連綿と続いてきた、ロマン主義の究極である。第一に、ドラマの
環境が日常から余りに遠い。第二に、ドラマの舞台が隔絶されている。第
三にドラマの時間が、遥か未来である。第四に、登場人物が通常の人物か
ら隔たっている。そして最後に、結果、テーマが壮大である。だから、ド
ラマは、宗教が扱っている問題と重なってくる。人類・地球・宇宙そのも
のが問題となり、時間などの哲学、善悪などの倫理がテーマとなる。
舞台設定の方法論は、19・20世紀の新発明でなく、西洋の文学だけ
を見ても、ギリシャ悲劇の時代・神曲の時代・ルネッサンス・ロマン主義
・シュール、どの時代でも形を変えて使われている。古典主義・自然主義
すら、それに類した設定を抜きにしては、文学と呼べないかも知れない。
そして、通底しているのは、誰も持つ日常から離れたいという望みであり、
生活の向上に対する嘱託、その他それに類した欲望である。そこには、
現状の利便性に対する不満があり、未来に託したい夢がある。また、何と
いっても進歩によって失われたものに対する愛着や郷愁であり、それを未
来に進歩を借りて取り戻せるようになれたらいいという希望である。そん
な希望の叶った一種のアルカディアを舞台に、次なる理想の実現に向けて
努力すること、或いは、その過程で失われる犠牲に対する配慮から現実を
逃避してしまうこと、そんな心理が描かれる。その葛藤からドラマが生ま
れる。
登場人物は人類である。現代の人類と寸分たがわぬ生身の人間である。
理想の実現を求めるが、力が足りない。しかし、超自然であったり、若し
くは、通常のあったりするが、第三者からの働きかけが起こる。それが、
巨大であればある程、よりSF的になる。そして、テーマは、より宗教に
接近して来る。」
。。。
リパッティ。
J.S.バッハ、ヘス編「主よ、人の望みの喜びよ」
~エネスコ「ピアノ・ソナタ第3番二長調」を聴きながら。
写真は、今年の小津映画祭。
飯田は雨が降り出しました。
。。。
今日一日が皆さんにとって良い日でありますよう、
お祈り申し上げつつ。
主のお恵みが皆さんに豊かに御座いますよう、
主イエスキリストの御名によってお願い申し上げつつ。
主への賛美と感謝とともに。
2011.11.10. 乗倉記す