goo blog サービス終了のお知らせ 

St. John of the Crossの生き方に憧れて

受洗後、最初に買ったカトリックの本が「愛への道」。相応しい生き方をしてない。彼に倣う生き方が出来るよう心がけたいです。

引き続き駒ヶ根の写真ですが・・・

2011-01-12 15:49:59 | Weblog
















。。。
「主の洗礼」のお祝い日。
イエス様が洗礼を受けられたお祝い。
クリスマスはご生誕だった。
「神の子」
「神でありながら神であることに固執すぜ、人間となった。」
神が人間となった。でも、何故、洗礼を受けなければならなかったか?
「人間となった」「奴隷となった」「十字架上のイエス」、
人間と同じ立場に立とうとされた。
上から見下して、「回心せよ」でなく、わたしたちと同じ目線で。
威張ってでなく、人間の悲しみ・苦しみ・喜び・楽しみを体験されていった。
そうして初めて理解出来る。
イエス様のなさったことは、同じ立場に立つこと。
「understand」、同じ所に立つ。そうして初めて理解出来る。
今日の洗礼の意味をじっくりと理解していきたい。
洗礼者ヨハネは、「わたしこそあなたから洗礼を受けなければ」と。
でも、わたしたちと同じ立場に立ちたいため、洗礼を受けられた。
その時、聖霊が鳩の様にイエスの上に留まった。
「わたしはあなた方に洗礼を授ける。」「火と聖霊によって授ける。」
わたしたちの中から変えられる。
エゼキエルに、
「石の心を取り除き、肉の心を与える。その方こそが、メシア・救い主。」と。
「わたしたちの心を、赤く・熱く・暖かい心に変えてくださる。それ方こそが、
キリスト・メシア。」
火と聖霊によって。わたしたちの中から変えられる。
洗礼はタイトルではない。生まれ変わる。reborn。新しく生まれ変わる。
洗礼は名前ではない。本当にわたしたちの中から変えられていく。
それが洗礼。
中から変えられていく。新しく生まれ変わる。
そして、イエスが洗礼を受けられた時、
「これはわたしの愛する子、彼に聞け。」
それは、神がわたしたちに呼びかけておられる。
神の御心に適う者、神の御旨を生きる者、それがイエス・キリスト。
神はわたしたちを愛しておられる。御ひとり子をお与えになった程。
だから、神に向って、「御望みを生きます」と宣言する。
「これはわたしの愛する子、彼に聞け。」
それは、神である御父と御子なるイエス様の会話。
洗礼によって、神の子供となる。生まれ変わる。新しい人間となる。
心したいものです。
。。。
写真は、駒ヶ根。また、最後3枚が巨大!
説教はカトリック駒ヶ根教会にて。伊藤神父様。
飯田は集会祭儀なので、「追っかけ」て行きました。
ミサの「追っかけ」!
(それは、南信地区共同宣教司牧委員会で、伊藤神父様から、
言われていたこと。
司牧して頂ける方々の現代の日本の現状を見たとき、信者として。)
。。。
一緒に祈ってください。
「主よ、わたしたちの教会に聖霊の息吹を送って、わたしたちの中から、
司祭・神父・神学生の召し出しが少しでも多くあるようにしてください。
主イエス・キリストの御名によってお願いします。アーメン。」
。。。