新・tmoの今日の一発

こまかいところを、あえてつっついて楽しむところです。

息吹。

2012-03-20 21:38:08 | 今日の雑感
先日のことですが、飲み会がありました。
タクシーで帰ってきた時間が既に4時前くらいだったので、音を立てないように静かに家に入ろうとしました。

ところがバランスを崩し植木鉢の上に華麗に飛び込む俺。
植木鉢を数個破壊し、家族も起きると、散々な結果でした( ̄- ̄;)


翌朝、
「あーあ」
といった感じで片付けたのですが、ふと見ると破壊した植木鉢のひとつから芽が出ておりました。





これは昨年、津波で被災した親戚の家からもらってきたスイセンか何かだったはず。
昨年、片付けに行った際に咲いていたのだから、時期的にはそうですか。



なにやら感慨深いと思いました。
「そうか、今年も芽を出したか。」
とか。


もっとも、その上に転がったわけですから、
「すいません。」
以外の言葉が見つかりませんが。



記憶。

2012-03-15 23:18:44 | 今日の雑感
1週間前、何してたか?
3日前の昼、何を食ったか?
とか聞かれても全く思い出せませんが、試しに思い出してみると鮮明な記憶が蘇ってきます。

無論、昨年の3月11日の話です。



思えば去年の3月10日は飲んでいたのです。
名目は忘れましたが、普段帰ってこれない人が帰ってきたとか、そういうもんだったと思います。

で、3月11日。
「ああ、つらいけど今日行けば明日は休み。。。」
とか、思いつつ出勤しました。
うっすら、雪が積もっていました。

会社に出て程なくすると、気仙沼のお客さんから電話がかかってきました。
動作のおかしいパソコン数台の状態を見て欲しい、といった類の話でした。
割とありがちな依頼です。
申し訳ない話ではありますが、昨晩の酒の残り具合もあり、
「ああ、めんどくせーな。」
とか考えていました。

午後からリモート操作で作業を開始しました。
最終的には「あるソフトを入れなおす」といった作業でしたので、微妙に時間がかかる。
それが何台かあるということなので数時間コースの作業となりました。

今日の仕事はこれで終わりか。


とか考えはじめた14時46分。
ビルの館内放送、また、携帯から緊急地震速報が鳴り響いたのでした。


大きめの地震はこの間もあったばかりですから、
「まあ、たいしたことはないだろう。」
と思ったのは事実。
ところがみるみるうちに揺れは大きくなり、しかも終わるどころか大きくなりながら続いてゆく。

目の前に並んでいるパソコンラックが大きくずれ出し、隣のセクションとの区切りのパーティションが食い違い出しました。
モニターが順についたり消えたりを繰り返し、やがて消えました。
どことなく非現実的な光景を見て、
「ああ、何かの映像作品みたいだ。」
と思ったことを覚えています。

俺はとりあえず、座っていた椅子ごと壁に張り付き、手足を踏ん張って動かないようにするのがやっとでした。
丁度、同じところで作業していた協力会社の人と顔を見合わせながら。
言葉は出ませんでした。

そもそもこのビル自体大丈夫なのか。
昨年建ったばかりの高層ビルですから、大きな地震は1度も経験していないはず。
いまどき仙台に建てるのだから、耐震対策はしてあるだろうが、しかし。
ビルが崩壊する様子が頭に浮かびました。

今になって思うのですが、あの揺れというのは、地上で感じるのと比べてどうだったのか。
確かに立っていられないほどの揺れでした。
しかしビル自体は免震構造で揺れは吸収しているはず。
でも20階以上という結構な高層階。
どちらの要素が勝ったのか。
映像で見る限り、「立っていられないくらい」というのは、同じであったのでしょうか。


ちなみに、このときはまだ、これほどの大きな災害に発展するというのは、想像がついていませんでした。


ようやく揺れも収まったあたりで、外を見ました。
会社の裏手にあるビルがゆらゆら揺れているのが見えました。
また、遠くのほうで土煙が上がっているのが見えました。
がけ崩れかと思っていましたが、後々考えるとニュースにもなった「鹿落旅館」の崩落でした。
道路に停車した車から、多くの人が道路に出ていました。
少なくとも、
「車に乗っていても分かるくらいの揺れだったのだ。」
ということを理解しました。

俺がいたところはリモート作業専用の小部屋だったので、とりあえず事務室へ戻ろうとしました。
部屋を出たところで後輩が様子を見に来ました。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫。」
と、ありきたりの会話を交わしながら事務室へ向かいました。
廊下では非常灯が点灯し、防火扉が閉まりかけていました。

その途中でいきなり「火災警報」が鳴りました。
「1階の飲食店で火災発生。」
という説明でした。

「では、どうやって避難したら良いのだ。」

と、緊張が走りました。
幸いにして、すぐ「誤報であった」旨、放送がありました。

同じく館内放送で
「只今、非常に大きな揺れを感じました。」
「館内の方が安全です。」
といった旨、繰り返し説明していました。

事務室へ戻ると、やはり天井の防火シャッターが降りかけていました。
机の上のディスプレイやパソコンは、余震に備えて軒並み横にされていました。
椅子に座ったままひたすら携帯を操作している人、固定電話で繰り返し電話をかけている人、窓の外を見ている人、立って話をしている人。
それぞれの行動をとっていました。

震度6強。
震度7。
津波が来るらしい。
いろいろな情報が飛び交っていました。

俺もとりあえず窓の外を見てみました。
向かいの高層ビルの屋上にある、結構な大きさのアンテナが大きく折れ曲がっていました。
そのビルの下には、おそらくビルから出てきたであろう人々が群がっていました。
駅前にある駐車場の屋上の看板が傾いていました。
仙台駅前の歩道橋は人であふれていました。
海の方で炎が上がっているのが見えました。

程なくして窓の外が真っ白になるほどの雪が降り始めました。
「何も追い討ちをかけなくとも。。。」
とか、口々に言い合っていました。

誰かが社用携帯を使ってワンセグをつけました。
スマホの小さな画面でしたが、皆群がって観ました。

「大津波警報」
という、今までに見たことのない警報が太平洋岸一体に出ていることを知りました。
同時に、岩沼か名取あたりの平野部を津波が襲う映像が映っていました。
仙台空港に津波が到達しているところも映し出されました。


「ああ・・・」
とかいう声しか出ませんでした。
違う部署の女性が
「終わった、私の家。。。」
と言ったきり、絶句していました。


携帯はまったくつながらないため、災害時の優先電話になっているという固定電話で繰り返し家に電話しました。
何十回か目でようやくつながり、両親は無事であることを確認できました。
程なくして姉からもメールが入り、家族は無事であることを知りました。

次々と友達からメールが届きました。
「大丈夫。」
と返そうとしましたが、なかなかつながりませんでした。

部長がフロアにいる皆を集め
「帰宅できる人は帰宅して良い。」
というアナウンスをしました。

車なので帰れるが、果たしてそれが最善なのか。
しばらく葛藤していましたが、あきらめて退社しました。


エレベーターは停止しているため、非常階段を下りました。
下っている途中、食料や毛布を抱えて上っていく人、踊り場に倒れこむようにして休んでいる人、様々な人とすれ違いました。
もちろん知らない人なのですが、すれ違う人全て頭を下げるのが奇妙でした。

下りといえども20階以上を下るのは結構な時間がかかりました。
ようやく外に出ると、頭上を戦闘機2機が横切って行きました。
情報収集か何かだったのでしょうか。
戦争でも起こったのかと錯覚するようでした。

駐車場へ向かう途中も、いつになく多くの人が歩いていました。
どこかで非常ベルが鳴り続けていました。

駐車場につくと、とりあえず車は無事でした。
車に乗り、走り出したのはいいのですが、ここからが長かった。
信号機が止まっているので、側道から幹線道路に出るのがまず、至難の技。
ほとんど動かない渋滞で、歩いて避難している人に次々と抜かれました。
途中、自転車でバランスを崩した人が車に倒れ掛かって来ました。
頭を下げられ、とっさに手を上げて答えました。

ラジオでは、栗原市で震度7を記録したこと。
大きな津波が太平洋岸に押し寄せており、大きな被害が出ていることなどを繰り返し放送していました。
また、その間も何度も余震を感じました。

まだ明るいうちに車に乗ったのでしたが、ようやく幹線道路に出たのは暗くなってからでした。
一度大きな道路に出てしまえば、比較的スムーズに進みました。
信号は止まっていましたが、皆一定速度で整然と走っていました。

おそらく歩いて帰宅しているであろう、多くの人々が歩道を歩いていました。
途中、2階部分がつぶれた建物が見え、
「今までテレビで見ていたことが、現実に起こったのだ。」
とかいうことを、今さら実感しました。

普段は夜でも下手するとヘッドライトなしで運転できる道路ですが、この日は真っ暗でした。
道路沿いの店の灯りも皆無でしたし、街灯もついておらず、信号すらついていない。
車のヘッドライトだけがまともな灯りでした。
電気がついている民家も何軒かありましたが、あれは発電機か何かだったのでしょうか。

ようやく家に着き、両親、姉と無事を喜び合いました。
一人一本、懐中電灯を持った生活が始まりました。

家の中は既に片付けられていましたが、箪笥の上のものは下に降ろされているようでした。
父に部屋の状況を聞くと、棚に積んである本類が崩れていたことを教えられました。

とりあえず夕食を食いました。
いささかミスマッチな感じですが、カレーうどんでした。
本来は今日、温泉に泊まりに行くはずだった母親が、午前中に作っておいたカレーと、飯が炊けないので作ったうどんを合わせた結果、こうなったのでした。

飯の後、懐中電灯とストーブの灯りの中、地震発生時の状況を報告し合いました。
普段以上に会話を交わしました。

程なくすると、つけていたラジオから
「荒浜地区で200~300体の遺体発見。」
というニュースが流れました。
荒浜というと、何度となく訪れたことのある海水浴場です。
そこに正確な数がわからないほど、遺体があるという状況。

とても申し訳ない話ですが、ここで初めて数多くの人が亡くなっている事実を認識しました。

しばらくラジオを聴いていましたが、明日に備えて寝ることにしました。
両親は茶の間で就寝し、俺と姉はそれぞれ部屋に帰って床につきました。
もちろん私服のまま。
ラジオはつけたままでの就寝でした。

気持ちが高ぶっていたのか、なかなか寝付けませんでした。
また、夜中に何度も緊急地震速報が鳴り、そのたびに外に出ました。

ようやく意識を失ったのは、既に明け方近くだったと思います。
こうして、ようやく「3月11日」が終わりました。





思い出した順に書いてるので、文章として成り立っていない面もありますが、俺が経験した震災当日の状況です。
二日目、三日目と、思い出すこともありますが、それはまた次の機会ですか。

当日はまだ、状況がわからず右往左往していた感じでしたね。

こうやって、文章に書けることは幸せなのだと思います。


3月11日。

2012-03-12 00:00:01 | 今日の雑感


あれから1年経ちました。
「去年の今頃は・・・」
と言っても、既に震災後になってしまうことになります。

ブログやらtwitterやらfacebookやらmixiやら、その他いろいろなところでいろいろな人がいろいろな想いを書いているのでしょうが、やはり書いておかねばなりますまい。

14時46分。
特にどこの慰霊祭に出たというわけではなく、普通の生活をしていたのですが、テレビに合わせて黙祷を行いました。
出先でしたので車の中でしたが、地震当日から1年間の間に見てきたものや考えたことが次々と浮かんできました。

基本的に、当時感じたことはここで書いてるということになりますが、地震直後の日記をを読み返してみると、混乱しているというか、ただ不安であったなという記憶が蘇ってきます。



昨晩、会社から「鎮魂花火」がかすかに見えました。
複雑な感情でした。
「自然災害」
とはいえ、なんであんなにたくさんの人が亡くなり、行方不明となり、避難を余儀なくされる結果となったのか。
そんなことを俺が考えても何も変わらないのでしょうが、なにやらやるせない想いでいっぱいになります。

幸運にも被害の軽かった俺らは、既に生活も完全に元に戻りました。
ともすれば災害のことを忘れてしまうかもしれません。
しかし、忘れてはいかんと思うし、いろんな形で残していかねばならない。
とか、なんとなく考えています。

1年経って、いろいろと思い出すこともあります。
そのうち、文章にしてみましょうか。
今日はなんだか、まとまらないので。


あらためて、震災で犠牲となった方のご冥福をお祈りいたします。




アクシデント。

2012-03-08 00:43:03 | 今日の雑感
昨晩のことですが、やはり日付も変わるかといった時間帯に帰路に着いたところ、事故りました( ̄- ̄;)
正確には、信号待ちで停止したところへ後ろから突っ込まれました。

「泣きっ面に蜂」とはまさにこのこと。
なんて時期に、なんてことを。。。

先方が非を認めてくれたため、あとは保険屋がなんとかしてくれるそうですが、車の破損や身体の状態以上に、精神的なダメージが大きい。

なんかいいことないもんですかね。
マジで。


ヤマダ。

2012-03-04 20:47:46 | 今日の雑感
通勤の途中で毎日通る道沿いにヤマダ電機ができました。



以前、ホームとしていたパチ屋の跡地でしたが、しばらく放置され、取り壊しが始まったと思ったら震災が起こってかなり長く工事していたもんですが、建築工事が始まったらすぐでした。

オープン当初は大渋滞だったので敬遠していたのでしたが、今週は大分空いていたので冷やかしに出向いたわけです。

で、どうだったかというと、まあ、オープン特価とか、それなりに賑わってましたが、総じて「あんなもんかな?」といったところですか。

本当にすぐ近くにケーズデンキがあるのですが、そっちにはないCDとかDVD、ゲームソフトなんかも扱っているところが、若干違いを見せているところですかね。
あと簡単な日用品とか。

双方で価格競争とかが始まってくれると、こっちとしては助かるのだけれど。

品揃え的には駅前にあるヨドバシが一番だと思いますが、そこそこ利用しようかと思っています。





全く話は変わるのですが、やはりパチ屋へ行き、微妙な勝利をおさめ、景品カウンターへ行ったところこのようなものが置いてありました。



とりあえず一つもらっといたのでした。

「BUY!TOHOKU」

というサイトを見てみると趣旨が分かるのであまり詳しくは書きませんが、いくらかでも良い事に使われるならば良いと思います。



もうすぐ1年です。
過ぎてしまえば、早いもので。