『文學界』連載中から評判の俵万智『牧水の恋』を、秋の夜長一息に読み了えました。ウーン! まさに近来稀な『スリリングな評伝文学』でした。
若山牧水は宮崎生まれの明治・大正の歌人で、青春の哀愁漂う秀歌を愛唱した人も多いと思いますが、私もその一人で、終の住処跡の沼津の記念館を何度となく訪れ、近年は生涯旅人であった歌人の紀行文や晩年の富士や酒の歌集が我が愛読書でした。
今回の評伝は、今から110年前、二十歳を過ぎたばかりで早稲田大学英文科在学中の牧水が初恋に翻弄された5年間に焦点を当てて、恋の歌人の残した秀歌誕生の足取りを解き明かしたもので、あたかも上質な推理小説を読むようでした。謎解きは本書を手に取っていただくとして、以下、牧水の生涯に沿って、私の選んだ作品を筋書き風に並べてみました。
【まだあどけなさの残る二十歳の早稲田大学在学中に発表し始める】
白鳥(しらとり)はかなしからずや空のあを海のあをにも染まずただよふ
けふもまたこころの鉦をうち鳴らしうち鳴らしつつあくがれて行く
幾山河超えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく
いざ行かむ行きてまだ見む山を見むこのさびしさに君は耐ふるや
【卒業(当時は7月)前年の暑季帰省の途上、ひょんな経緯で運命の人・小夜子と巡り会う。竹下夢二ばりの細面の美人に牧水一目惚れ。ところがその人は・・・】
あひもみで身におぼえゐしさびしさと相見てのちのこの寂しさと
わがむねによき人すめり名もしらず面わもしらずただに恋ひしき
【半年後、ようやく安房の海で、束の間恋の炎を燃やす日が訪れる】
手をとりてわれらは立てり春の日のみどりの海の無限の岸に
海哀し山またかなし酔ひ痴れし恋のひとみにあめつちもなし
山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇(くち)を君
【初恋の絶頂から、思いも寄らぬ展開に牧水は・・・】
長椅子にいねてはつ冬午後の日を浴ぶるに似たる恋づかれかな
山死にき海また死にて音もなし若かりし日の恋のあめつち
少年のゆめのころもはぬがれたりまこと男のかなしみに入る
爪延びぬ髪も延び来ぬあめつちの人にまじりてわれも生くなり
海底(うなぞこ)に眼のなき魚の棲むといふ眼の無き海の恋しかりけり
【やがて、信濃の文学少女・喜志子の献身で家庭を持ち、歌壇での成功も手に入れるが、若き日の傷を洗い流すがごとく酒に溺れ、43年の生涯を閉じる】
白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ
かんがへて飲みはじめたる一合の二合の酒の夏のゆふぐれ
つひにわれ薬に飽きぬ酒こひし身も世もあらず飲みて飲み死なむ
【昭和3年9月17日没、享年43歳】
以下、主治医の死亡診断書より。
死因、肥大性肝硬変。
亡くなる前日の食餌記録、「果物汁、玄米重湯ノ他ハ日本酒、朝200cc、10時100cc、昼200cc、2時100cc、3時半100cc、夕200cc、夜間(3回)400cc」
残暑の中、2日後の葬儀まで屍臭はなく顔に一つの死斑さえ出ず、「カカル現象ハ内部ヨリノ『アルコホル』ノ浸潤二因ルモノ」
見事な酒呑みの本懐ですが、本人の名誉のために、私の知る晩年の逸話を書き添えておきます。30半ばで移住した沼津の千本松原に伐採計画が起こると、牧水はこれに反対して『沼津千本松原』を新聞に寄稿し、市民運動が盛り上がり伐採計画を中止に至らしめたそうです。今も残る10Kmに及ぶ駿河湾沿いの緑の景観は、片時も酒を手放さなかった牧水の、ひととき醒めた眼で後世に残した恋文であったのかもしれません。
30年前に『サラダ記念日』で口語短歌のスターとなった著者の俵万智は、高校生の頃からの牧水ファンであったそうで、「恋はいつ始まるのだろうか。」とこの本を書き始め、「恋はいつ終わるのだろうか。」と書き結んでいます。所々に散りばめられた万智短歌にもまた、思わず微笑を誘われ、手にしたグラスを傾けました。
「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの
「おまえとは結婚できないよ」と言われやっぱり食べている朝ごはん
気づくのは何故か女の役目にて愛だけで人生きてゆけない
ゆりかもめゆるゆる走る週末を漂っているただ酔っている
若山牧水は宮崎生まれの明治・大正の歌人で、青春の哀愁漂う秀歌を愛唱した人も多いと思いますが、私もその一人で、終の住処跡の沼津の記念館を何度となく訪れ、近年は生涯旅人であった歌人の紀行文や晩年の富士や酒の歌集が我が愛読書でした。
今回の評伝は、今から110年前、二十歳を過ぎたばかりで早稲田大学英文科在学中の牧水が初恋に翻弄された5年間に焦点を当てて、恋の歌人の残した秀歌誕生の足取りを解き明かしたもので、あたかも上質な推理小説を読むようでした。謎解きは本書を手に取っていただくとして、以下、牧水の生涯に沿って、私の選んだ作品を筋書き風に並べてみました。
【まだあどけなさの残る二十歳の早稲田大学在学中に発表し始める】
白鳥(しらとり)はかなしからずや空のあを海のあをにも染まずただよふ
けふもまたこころの鉦をうち鳴らしうち鳴らしつつあくがれて行く
幾山河超えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく
いざ行かむ行きてまだ見む山を見むこのさびしさに君は耐ふるや
【卒業(当時は7月)前年の暑季帰省の途上、ひょんな経緯で運命の人・小夜子と巡り会う。竹下夢二ばりの細面の美人に牧水一目惚れ。ところがその人は・・・】
あひもみで身におぼえゐしさびしさと相見てのちのこの寂しさと
わがむねによき人すめり名もしらず面わもしらずただに恋ひしき
【半年後、ようやく安房の海で、束の間恋の炎を燃やす日が訪れる】
手をとりてわれらは立てり春の日のみどりの海の無限の岸に
海哀し山またかなし酔ひ痴れし恋のひとみにあめつちもなし
山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇(くち)を君
【初恋の絶頂から、思いも寄らぬ展開に牧水は・・・】
長椅子にいねてはつ冬午後の日を浴ぶるに似たる恋づかれかな
山死にき海また死にて音もなし若かりし日の恋のあめつち
少年のゆめのころもはぬがれたりまこと男のかなしみに入る
爪延びぬ髪も延び来ぬあめつちの人にまじりてわれも生くなり
海底(うなぞこ)に眼のなき魚の棲むといふ眼の無き海の恋しかりけり
【やがて、信濃の文学少女・喜志子の献身で家庭を持ち、歌壇での成功も手に入れるが、若き日の傷を洗い流すがごとく酒に溺れ、43年の生涯を閉じる】
白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ
かんがへて飲みはじめたる一合の二合の酒の夏のゆふぐれ
つひにわれ薬に飽きぬ酒こひし身も世もあらず飲みて飲み死なむ
【昭和3年9月17日没、享年43歳】
以下、主治医の死亡診断書より。
死因、肥大性肝硬変。
亡くなる前日の食餌記録、「果物汁、玄米重湯ノ他ハ日本酒、朝200cc、10時100cc、昼200cc、2時100cc、3時半100cc、夕200cc、夜間(3回)400cc」
残暑の中、2日後の葬儀まで屍臭はなく顔に一つの死斑さえ出ず、「カカル現象ハ内部ヨリノ『アルコホル』ノ浸潤二因ルモノ」
見事な酒呑みの本懐ですが、本人の名誉のために、私の知る晩年の逸話を書き添えておきます。30半ばで移住した沼津の千本松原に伐採計画が起こると、牧水はこれに反対して『沼津千本松原』を新聞に寄稿し、市民運動が盛り上がり伐採計画を中止に至らしめたそうです。今も残る10Kmに及ぶ駿河湾沿いの緑の景観は、片時も酒を手放さなかった牧水の、ひととき醒めた眼で後世に残した恋文であったのかもしれません。
30年前に『サラダ記念日』で口語短歌のスターとなった著者の俵万智は、高校生の頃からの牧水ファンであったそうで、「恋はいつ始まるのだろうか。」とこの本を書き始め、「恋はいつ終わるのだろうか。」と書き結んでいます。所々に散りばめられた万智短歌にもまた、思わず微笑を誘われ、手にしたグラスを傾けました。
「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの
「おまえとは結婚できないよ」と言われやっぱり食べている朝ごはん
気づくのは何故か女の役目にて愛だけで人生きてゆけない
ゆりかもめゆるゆる走る週末を漂っているただ酔っている