何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

敦賀市・珈夢ライヴ

2012年11月12日 06時26分36秒 | Weblog
11月10日

深夜1時頃に浜松を出た。高速道路はもったいないから国道を走るつもりでいたが、出来る限りミックスダウンの時間を作りたくて高速道路を使う事にした。眠る時間を削ってでも自分の思う音に近づけたい、そんな思いから抜け出す事が出来ない。

途中のパーキングエリアでミックスを繰り返しながら約束の夕方の5時に珈夢に到着した。

又胃が痛み始めた。オーナーの中村さんが珈琲を入れてくれようとしたが、珈琲を飲んだら最悪の状態になりそうな気がして、胃が痛み始めた事を話、白湯をいただく事にした。

明日の若狭市三方地区の敬老会での余興に僕をセッティングしてくれた小堀さんが早くに来てくれて音響機材のセッティングを中村さんと共に手伝ってくれたのでライヴの準備はあっと言う間に終わった。手伝ってくれた小堀さんの為にリハーサルをして何曲か聞いてもらおうとおもったのだが一曲唄った所で胃の痛みがひどくなり、用意してくれている二階の控え室で本番まで横になって休ませてもらう事にした。

横になっても胃の痛みはひどくなり身体を丸めて我慢した。そしていつの間にか眠っていた。
携帯電話で目が覚めた、カードローン会社からの借金返済の電話だった。時計を見るとちょうど7時、ライヴ開始時間だ。「起こしてくれてありがとう、今から仕事なので明日又電話下さい。」そう言って電話を切ってライヴ会場のお店に降りた。
カードローン会社の人は意味が分からなくて、何を言ってんだこいつと首をひねっていただろう。

少しでも眠ったせいか胃の痛みもかなり楽になっていた。休憩を15分とりライヴは9時半過ぎまで続いた。二時間を越えるライヴで胃の痛みも忘れテンションは最高潮。

山に帰れず

2012年11月10日 17時35分39秒 | Weblog
11月 8~9日

山中さんのお店に置かせてもらっていたウォーキングライヴツアーの旗を山に戻しに行くつもりだったが、例の駐車場にとどまったままミックスダウンを続けてしまい。そのまま、9日の深夜に福井県敦賀市に向かって出発した。

やったー!

2012年11月08日 11時31分07秒 | Weblog
11月 7日

今日も国道1号線をぼちぼちと休み休み走っている。と言うより、ミックスダウンの合間に走っている。

「素描Dessin」の自分が想像する完璧版が出来ないと前に進めないからだ。

浜松の何時もの駐車場に着いたのは夜の8時頃だった。それなりの音にはなって来てはいるが、まだ納得出来ない。

音作りを始めて6年、同じ曲を6年ほぼ毎日何十回も聞き続けている。
不思議なのは何千回聞いても歌詞が覚えられない。僕はアホなのかも知れない。きっとアホだ。アホに決まっている。絶対アホだ。

アホが音作りを続け深夜になろうとしていた時、逆の発送のエフェクト配置を試みた。
やったー!。元の音はクリアーで音の分離もしっかりあって自然なライヴ感の残響音が作れた。
後は微調整だ。

後もう少しで前に進める。とにかく、やったー!。

腹痛

2012年11月08日 10時59分51秒 | Weblog
11月 5日

今日マンションを出て山に帰るつもりだったが、昨日から又腹痛がやって来た。
娘にお願いしてもう1日泊めてもらう事にした。とにかく身体を横にして休むしかないと思った。幸い孫が子供がかかる肺炎で何処にも行けなかったから一緒にごろごろ出来たのが幸いだ。

東京へ

2012年11月08日 06時56分40秒 | Weblog
11月 3日


2日の夜、山中さんの店「ぼちぼち」に出掛けた。置きっぱなしになっていたウォーキングライヴツアーの旗を取りに。長い間置かせてもらって、迷惑を掛けてしまった。美恵子さんは夏に入院していたと聞いていたのでちょっと心配していたのだが、店に入るなり大きな高笑い。ぜんぜん大丈夫だ。ガンの手術を七回もやって毎回不死鳥のように蘇ってくる、パワフルな女性だ。美恵子さんの前では恥ずかしくて体調が悪いなんて話は出来ない。

ぼちぼちを出て東京にぼちぼちと夕方に戻った。
風邪をひいてしまった孫を病院に連れて行く家族孝行の仕事が待っていた。
何か役にたてる事があるという事は幸せな事だ。

磐田市向陽中学校

2012年11月05日 15時48分30秒 | Weblog
11月 2日

まいったなー。山は寒い夜になるといっそう気温が下がり、10度を切る。しかたなく、炬燵に入ったまま眠るのだが、これが大失敗。炬燵の中でダニが生きていた。そのダニが靴下やジーンズに潜りこんで、僕の足の皮膚に毒を差し込む。
痒くて痒くてたまらない。山では常備薬の…キンカンぬって又ぬって…のキンカンを足首あたりに小さく赤く点々とついた20ヶ所あまりの刺された後に何度も塗り込む。かきむしった後にビリッとくる痛みが心地好い。
痒みが薄らいだ後に、炬燵の中のダニを駆除すべく、2度3度と殺虫剤を吹き付けてダニを退治した。
山に着いて最初に退治しておけば、問題なかったのに、最悪な状態にならないと行動を起こせないのは崖っぷち人生をおくり続ける僕の性なのか?…。

向陽中学校講演、NPO法人プロジェクトセブンの「語り部の会」が磐田市の全中学校をまわり授業のいっかんとして、一年生に磐田の歴史と遠江国分寺跡に七重の塔を建設する夢を語るというものだ。
元教師だった佐藤先生の話と高橋忠史の唄で構成した一時間。
今回の学校では、初めて生徒達が歌に合わせて手拍子を打ってくれた。

「みんなの家」ミニライヴ

2012年11月04日 09時21分34秒 | Weblog
11月 1日

お昼ご飯が終わった頃がいいだろうと12時半に勝坂を出た。気田に着きそうな頃あけみさんからメールが来た。ちゃぼさんに病院に連れていってもらって今から「みんなの家」に向かうからと。

2時にちゃぼさんの車に乗ったあけみさんがやって来た。僕も車からギターを取り出して「みんなの家」に。病院から直行だったからか、前に来たときより今日は顔色も良く明るい表情だった。
ちゃぼさんから、あけみさんが久しぶりに来たのでスタッフとの打ち合わせもあるので2時15分頃までと言われたので、施設利用者の高齢の人達数人と一緒に聞いてもらう事になったライヴをすぐに始めた。生きる事に疲れきってしまったというあけみさんに、何の答も返せないが、生きていて欲しいという気持ちを力一杯込めて30分静かに静かに唄った。涙を拭きながら聞き続けてくれたあけみさんに何が伝わったかわからない。
今僕に出来る事を全力でやっている事を見てもらっただけだ。

スタッフとの打ち合わせもあるのでライヴ終了後すぐに帰る事にした。
帰り際、ちゃぼさんから、あけみさんが今月「みんなの家」にくるのは今日だけでその事は前から決まっていたらしい、その日に僕がやってくるという事は奇跡のようですと。
あけみさんも、きっと神様が逢わせてくれたんですと。

すみれの湯

2012年11月03日 14時47分10秒 | Weblog
10月31日

春野町にもどって、久しぶりに「すみれの湯」に入った。
浜松市になってから入浴料が百円になった。平日の昼間は誰も入りに来ないから、貸し切り状態だ、小さいがサウナもついている。
風呂にゆっくりつかり、何日間かの垢を落とすために三回も身体を洗って、サウナは好きではないのだがせっかくだからと、汗がふきだすまで入った。
そのせいか、湯あたりしたのか、猛烈にだるくなったので、風呂からあがって一時間ほど休憩所で眠ってしまった。

息を吹きかえして、「すみれの湯」のある施設を出ようとしたら、ばったりと「みんなの家」のちゃぼさんに出会った。
春野町に帰ってきたらいつも立ち寄ろうと思いつつ、素通りしてしまっていたので「明日遊びに行きます。」と言って別れた。

夜になって、「みんなの家」を作ったあけみさんからメールがとどいた。

あけみさんは、脳脊髄液減少症という病気と闘っている。そのせいで、自分のつくった、老人介護施設「みんなの家」にも、月に数度しかやってこれない。
脳脊髄液減少症はやっかいな病気だが、治療法もなく、国が病気として認めていないので多くの人が悩み苦しみ生きる希望ももてずに暮らしている。毎年沢山の自殺者も出ているようだ。
苦しい内容のメールだった。僕はただ、明日唄いに行くから待っていて、とだけ返事を送った。