11月13日
昨夜は滋賀県を出られず、伊吹パーキングで又吐血した。しばらく丸まったまま動けなかった。
コンビニの前で吐血した時より量も少なく丸まっていた時間も少なかった。トイレに行きたくて車を出たが頭がくらくらしてまともに歩けない。胃の中で出血が続き、貧血状態が続いているのだろう。
トボトボと歩いてトイレで用を足した。気になる大便の色を確かめる為に流す前に便器を覗き込んだ。予想通り、真っ黒な便だった。分かってはいたが、胃潰瘍のヤバい状況だ。今病院に行ったら即入院させられるだろう。
でも、ふらふらしながらも立って歩けるようになっているから、最悪の状態は過ぎたんだと思う事にして、車に戻って眠る事にした。今一番大切な事は安静だ。
朝の5時に目が覚めた。身体中違和感だらけだが胃の痛みはおさまっていた。一時間ほど横になったまま安静を保った。
今日の磐田市南部中学での講演は1時半、1時に着けばいいのでたっぷり余裕がある。
休み休みゆっくりと中学を目指し予定の時間に到着出来た。
車から降りてプロジェクト7の仲間達に昨日今日の事を話したら仲間だけでなく学校の先生まで音響機材を運び込んでくれて、助かった。
それでも、歩くだけでも息切れするほど体調は悪くなっていた。
機材のセッティングが終わった時には立っているのも辛いほどだった。
血の気を失って悲壮な表情らしい僕に、仲間も先生にも大丈夫かと聞かれたが、どんな状態でも唄い始めたらシャキっとしますから安心して下さい。とは言ったが、今日は自信が無かった。
リハーサルで軽く唄ってみたが、息切れしそうで苦しかった。それにギターを弾く手が気だるく重くカッティングがままならない。
心の中で祈った…宇宙のエネルギーよ、後はどうなってもいいからこの一時間僕にパワーを与えてくれー!…。
講演は僕の歌から始まって仲間の佐藤先生の歴史講義間に僕が唄ってそして講義最後に僕が唄って終了。
のはずなのに、佐藤先生どうしたんだい。まだ15分ちかく残っているのに、「私の話はこれで終わります。」と言ってしまった。
とにかく唄わなきゃ、と2曲目を何とか唄い終えたら、プロジェクト7会長の大橋さんが出て来て話始めたので、あーよかったと退こうとしたら、大橋さんが「高橋さんの歌に、トンネルを抜けて、という素晴らしい曲があります。是非みなさんに聞いてもらいたいと思います、じゃあ高橋さんそれともう一曲よろしくお願いします。」。
えーっ!聞いてないよー、って、今倒れそうになってるのに、そんなハードな曲…、えーいちくしょう、死んでも唄いきってやるー。
喉は快調だが貧血のせいで頭が朦朧とするし、血が身体に回っていないので腕が重く指先の感覚がどんどん無くなっていった。それでも何とか唄いきって終わろうとしたら、佐藤先生がやって来て「七重の甍」とつぶやいた。
僕は気を失いそうなぐらい身体中が重く意識もおかしくなりそうだったが、えーいクソー!と全身の力を込めて唄い出した。自分でなにやってんだか分からない状態だったが、生徒達の手拍子だけは聞こえていた。なぜだか分からないが盛り上がっているようだった。
とにかく無事おわった。息絶え絶えで機材を片付け始めたが立つことが出来ず、意識朦朧でコード類をまるめていた。
手伝ってくれていた学校の先生が、本当に唄い始めると凄い集中力ですねと言ってくれたので、歌に問題は無かったようだよかった。
学校に来る前に、近くに住んでいる長い付き合いの鳥居さんの工場によって、鳥居さんの友達がやっている病院を紹介してもらっていたので、車を運転するのも辛かったが、すぐに向かった。
明日に続く。
昨夜は滋賀県を出られず、伊吹パーキングで又吐血した。しばらく丸まったまま動けなかった。
コンビニの前で吐血した時より量も少なく丸まっていた時間も少なかった。トイレに行きたくて車を出たが頭がくらくらしてまともに歩けない。胃の中で出血が続き、貧血状態が続いているのだろう。
トボトボと歩いてトイレで用を足した。気になる大便の色を確かめる為に流す前に便器を覗き込んだ。予想通り、真っ黒な便だった。分かってはいたが、胃潰瘍のヤバい状況だ。今病院に行ったら即入院させられるだろう。
でも、ふらふらしながらも立って歩けるようになっているから、最悪の状態は過ぎたんだと思う事にして、車に戻って眠る事にした。今一番大切な事は安静だ。
朝の5時に目が覚めた。身体中違和感だらけだが胃の痛みはおさまっていた。一時間ほど横になったまま安静を保った。
今日の磐田市南部中学での講演は1時半、1時に着けばいいのでたっぷり余裕がある。
休み休みゆっくりと中学を目指し予定の時間に到着出来た。
車から降りてプロジェクト7の仲間達に昨日今日の事を話したら仲間だけでなく学校の先生まで音響機材を運び込んでくれて、助かった。
それでも、歩くだけでも息切れするほど体調は悪くなっていた。
機材のセッティングが終わった時には立っているのも辛いほどだった。
血の気を失って悲壮な表情らしい僕に、仲間も先生にも大丈夫かと聞かれたが、どんな状態でも唄い始めたらシャキっとしますから安心して下さい。とは言ったが、今日は自信が無かった。
リハーサルで軽く唄ってみたが、息切れしそうで苦しかった。それにギターを弾く手が気だるく重くカッティングがままならない。
心の中で祈った…宇宙のエネルギーよ、後はどうなってもいいからこの一時間僕にパワーを与えてくれー!…。
講演は僕の歌から始まって仲間の佐藤先生の歴史講義間に僕が唄ってそして講義最後に僕が唄って終了。
のはずなのに、佐藤先生どうしたんだい。まだ15分ちかく残っているのに、「私の話はこれで終わります。」と言ってしまった。
とにかく唄わなきゃ、と2曲目を何とか唄い終えたら、プロジェクト7会長の大橋さんが出て来て話始めたので、あーよかったと退こうとしたら、大橋さんが「高橋さんの歌に、トンネルを抜けて、という素晴らしい曲があります。是非みなさんに聞いてもらいたいと思います、じゃあ高橋さんそれともう一曲よろしくお願いします。」。
えーっ!聞いてないよー、って、今倒れそうになってるのに、そんなハードな曲…、えーいちくしょう、死んでも唄いきってやるー。
喉は快調だが貧血のせいで頭が朦朧とするし、血が身体に回っていないので腕が重く指先の感覚がどんどん無くなっていった。それでも何とか唄いきって終わろうとしたら、佐藤先生がやって来て「七重の甍」とつぶやいた。
僕は気を失いそうなぐらい身体中が重く意識もおかしくなりそうだったが、えーいクソー!と全身の力を込めて唄い出した。自分でなにやってんだか分からない状態だったが、生徒達の手拍子だけは聞こえていた。なぜだか分からないが盛り上がっているようだった。
とにかく無事おわった。息絶え絶えで機材を片付け始めたが立つことが出来ず、意識朦朧でコード類をまるめていた。
手伝ってくれていた学校の先生が、本当に唄い始めると凄い集中力ですねと言ってくれたので、歌に問題は無かったようだよかった。
学校に来る前に、近くに住んでいる長い付き合いの鳥居さんの工場によって、鳥居さんの友達がやっている病院を紹介してもらっていたので、車を運転するのも辛かったが、すぐに向かった。
明日に続く。
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