それにしても凄い人でした(*o*)将棋ってこんなに人が集まるもんですか?(苦笑)いろいろな条件が重なったんでしょうけどね。羽生さん&お盆休み&将棋大会。昨年は京急百貨店開店時間に行っても前から4列目はゲットできた(実際はEtsuさんにゲットしてもらって2列目)今回は開店時間15分前に行ったにもかかわらず用意されていたイス残り3席の一番後方でした。(--;
早速レポしていきましょう。まずは表彰式。将棋まつりはご当地棋士の存在が大きい。これはどこの将棋まつりも同様かと思います。この京急将棋まつりは佐伯先生のお力とわかります。それを中村修先生が全力でフォローしている。羽生さんも立見客の向こうの壁際で式を見守っていました。
さあ、米長会長のトークショー。さきにトークの項目。「中原16世名人」「羽生名人」「弟子」「ファン」「女性」「コンピュータ」「アマチュア」会場からのリクエストに応えて「名人戦」。「中原16世名人が緊急入院することになったが病状は快方に向かっている。彼は最近、佐藤康光を倒し、森内俊之を倒し、羽生善治も倒した。そして王座挑戦を決めた木村一基に勝った。その対局の感想戦で脇息にひじをついていたんだという。永世名人と言っていくらなんでも行儀悪いんじゃないか。しかし感想戦が終わった後彼は立ち上がることができなかったんだな。これはイカンということで救急車を呼んだわけ。診察結果は頭から血が出ていると…。彼に久しぶりに手紙を書いた。将棋連盟会長として、8月の対局は休みますね?9月の対局から復帰しますね?病状、そして快方に向かっていることを説明しますよ、とね。左に少し障害が残ると言う。追伸を書いた。大事なところは右側に持ってきておきなさい。」米長会長らしい励まし方ですね。「羽生名人、強すぎてみんな困っているんだ。強いというと、女性棋士、コンピュータ、アマチュアも強くなっているんだね。」さすが会長はトークさせるとうまいですね。
そして、羽生先生と片上先生、米長会長の「私の小・中学生時代」というトークショー。
米長会長「君、竜王戦昨日勝ったんだって?」
羽生先生「ええ、何とかいい結果になりました。」
会場拍手喝さい。
米長会長「この人が強くて他の棋士がみんな困っているんだ。君、引退しない?」
羽生先生「(笑)」
米長会長「ところで二人は学生時代どうだったの?」
片上先生「ふつうでした」
羽生先生「ふつうで東大?」
片上先生「小学生のときはふつうでしたね。」
米長会長「君は?」
羽生先生「ふつうでした。」
米長会長「君のふつうはふつうじゃないからな(笑)」
羽生先生「いえいえ、ふつうです(笑)」
米長会長「小学生時代はどうだったの?」
羽生先生「八王子将棋クラブというところで週一で指していました。」
米長会長「この人のお母さんに相談されたことあるんだ。うちの子は将棋ばっかやってます。いいんでしょうか?ってね。わたしはそれくらいやらないとプロにはなれませんってこう応えたんだ。後から振返ると余計なことを言った(笑)」
片上先生「広島将棋センターで毎日指していました。1つ上に山崎っていうのが居てなかなか勝てなかったんですよ。」
米長会長「詰め将棋とかは?」
片上先生「毎日のように解いてました。」
羽生先生「ええ、米長先生に奨められて将棋図巧とか解きました。今やる気になりませんが(苦笑)、あれでヤリキルことの重要さを学びました。」
米長会長「しまった。ここでも余計なことを言っていた(笑)将棋大会とかは出てたの?」
羽生先生「はい、森内さんとか先崎さんとかと一緒に」
片上先生「山崎というのといつも当たって負けて優勝できなかったです。ある大会、山が完全に違っていて決勝まで当たらない大会がありました。これはチャンスと思ったら1回戦で2歩で負けてしまったんです。悔しくてバスで30分かかるところを2時間くらいかけて歩いて帰ったことがあります。でも、それくらいじゃないとプロにはなれないかと。」
米長会長「君は趣味で東大入ったんだろ?」
片上先生「ええ、まあ。高校生のときはそこそこ勉強できるようになっていたと思います。高校3年のとき奨励会三段リーグだったんですが、将棋の勉強はほとんどせずに受験勉強してました。でも受験って相手が何してくるかわからない将棋と違って、ある程度出題傾向ってわかるんです。逆に言えば、将棋って何がくるか分からない分面白いなと。」
羽生先生「片上君って言うとタイトル戦の記録係ってイメージがあるよね。記録係はしっかりしてないと任せられないんで。あの時は…?」
片上先生「大学生でした。大学に入ってから記録係をしました。」
米長会長「ある噂を聞いてるんだ。君は美人がレポートを書いてくれて卒業できたという。その美人は将棋が強いと聞いているんだが…」
片上先生「初めて聞きました(苦笑)でもウチの大学はレポート形式じゃないんですよ」
米長会長「二人は公式戦で指したことはあるの?」
片上先生「まだないので早く教えてもらいたいですね。」
米長会長「それにしても昔は、中卒じゃないとプロ棋士になんかなれっこないって雰囲気だけど、今は何人?4~5人現役の大学生がいるんだって?時代は変わったもんだね。」
片上先生「そうですね、広瀬君は早稲田大学生なんですけど、大学の将棋部で指導したりしていますからね。」
米長会長「普及というとAISEPだっけ?北京でやったという?この人はそれに英語で会話してきたって聞いたんだけど・・・」
羽生先生「はい、行ってきました。」
米長会長「それに名人戦の真っ最中だったんだろ?」
羽生先生「はい、そうですね。ま、英語は会話をするには共通の言語だったということで。マレーシアからも熱心な学生が来ていて…」
米長会長「この人はそれにいろいろな分野の著名人とたくさん対談もしているからね。そうだ、羽生対談集出さない?」
羽生先生「(笑)」
米長会長「いっそのこと引退して会長やるか?会長、大変なんだよ~(爆)しかし、昔大山―升田時代があったけどこうやって対談するなんて考えられなかったね。あの人たちは頭の7割が将棋だったから(苦笑)」
羽生先生「オレがルールだっていう感じでしょうか?(苦笑)」
米長会長「そうなんだ。将棋と学校、というテーマではどうなの?」
羽生先生「集中力、そして落ち着きというのが養われたのかなと思います。」
片上先生「学校以外で頭と手を使う場でとてもよかったと思います。」
羽生先生「あと基本・基礎を作る重要性を学んだと思います。」
片上先生「いいこと聞きました。基礎力を磨いて早く羽生先生にあたれるよう活躍したいと思います。」
米長会長「君くらいになったら基礎力というよりは応用力だよ(笑)」
米長会長はファンをひきつける発言がウマイですね。悔しいけど(爆)
お昼には、今年から新設された棋士とのふれあいコーナーを確認。松尾七段、片上五段が来られていて詰将棋を出題されてました。プロ棋士とこんなに近くでふれあえるなんて将棋ファンには嬉しいですね。
そして特選対局、羽生名人vs松尾七段。結果は千日手引分け。米長会長「この将棋を引き分けているようじゃ名人らしくないなあ」羽生先生「先手7九桂が絶妙な受けでした。いやあ、お粗末でした。」この後羽生先生のサイン会は限定30名。自分も中村先生主催羽生サイン争奪じゃんけん大会に参加しましたが1回戦敗退。中村先生強く2回のじゃんけんで25名になりましたが混乱を避けるためそのままの人数で、翌日ながの東急将棋を控えている羽生先生は即効で済まされて帰宅の途に着かれました。
羽生先生が帰られると同時に満ち潮が引くがのごとく人が目減り(苦笑)Etsuさん、ぐーちゃん、オジサン、まえはるさんらとしばし談笑。加賀さやかさんも合流。さやかさん「引っ越しました」と名刺をもらう。本田小百合先生ともご挨拶。本田先生「やっぱり羽生さん?」「はい、あとdaichan先生も(^^)」勝又先生にもご挨拶。本田先生vs貞升先生を見た後、鈴木大先生vs片上先生のダイスケ対決。こちらの特選対局は見所満載で面白かったです。
さてさて、最後尾で本日の将棋まつりを見守ってきましたが、何と自分のお隣は本日の総合司会を務めた鈴木環那女流のお母さん。よく似ているなあと思っていたら、近くにいた将棋ファンが「環那ちゃんのお母さんですか?」と。それは似ているはずだ(笑)それとはなしに声をかけたところ、気さくに応じていただいた。話しているうちに、自分の奥さんの実家の近く千葉県某所から来られたという些細なことで盛り上がる。ローカルネタ強しですね(^^)
アフターはいつものメンバー、オジサン、ぐーちゃん、そして今日はまえはるさんを加えて、京急向かいの建物にはいっている「えん」で。自分は翌日早朝出発なので一次会で帰宅でした。
早速レポしていきましょう。まずは表彰式。将棋まつりはご当地棋士の存在が大きい。これはどこの将棋まつりも同様かと思います。この京急将棋まつりは佐伯先生のお力とわかります。それを中村修先生が全力でフォローしている。羽生さんも立見客の向こうの壁際で式を見守っていました。
さあ、米長会長のトークショー。さきにトークの項目。「中原16世名人」「羽生名人」「弟子」「ファン」「女性」「コンピュータ」「アマチュア」会場からのリクエストに応えて「名人戦」。「中原16世名人が緊急入院することになったが病状は快方に向かっている。彼は最近、佐藤康光を倒し、森内俊之を倒し、羽生善治も倒した。そして王座挑戦を決めた木村一基に勝った。その対局の感想戦で脇息にひじをついていたんだという。永世名人と言っていくらなんでも行儀悪いんじゃないか。しかし感想戦が終わった後彼は立ち上がることができなかったんだな。これはイカンということで救急車を呼んだわけ。診察結果は頭から血が出ていると…。彼に久しぶりに手紙を書いた。将棋連盟会長として、8月の対局は休みますね?9月の対局から復帰しますね?病状、そして快方に向かっていることを説明しますよ、とね。左に少し障害が残ると言う。追伸を書いた。大事なところは右側に持ってきておきなさい。」米長会長らしい励まし方ですね。「羽生名人、強すぎてみんな困っているんだ。強いというと、女性棋士、コンピュータ、アマチュアも強くなっているんだね。」さすが会長はトークさせるとうまいですね。
そして、羽生先生と片上先生、米長会長の「私の小・中学生時代」というトークショー。
米長会長「君、竜王戦昨日勝ったんだって?」
羽生先生「ええ、何とかいい結果になりました。」
会場拍手喝さい。
米長会長「この人が強くて他の棋士がみんな困っているんだ。君、引退しない?」
羽生先生「(笑)」
米長会長「ところで二人は学生時代どうだったの?」
片上先生「ふつうでした」
羽生先生「ふつうで東大?」
片上先生「小学生のときはふつうでしたね。」
米長会長「君は?」
羽生先生「ふつうでした。」
米長会長「君のふつうはふつうじゃないからな(笑)」
羽生先生「いえいえ、ふつうです(笑)」
米長会長「小学生時代はどうだったの?」
羽生先生「八王子将棋クラブというところで週一で指していました。」
米長会長「この人のお母さんに相談されたことあるんだ。うちの子は将棋ばっかやってます。いいんでしょうか?ってね。わたしはそれくらいやらないとプロにはなれませんってこう応えたんだ。後から振返ると余計なことを言った(笑)」
片上先生「広島将棋センターで毎日指していました。1つ上に山崎っていうのが居てなかなか勝てなかったんですよ。」
米長会長「詰め将棋とかは?」
片上先生「毎日のように解いてました。」
羽生先生「ええ、米長先生に奨められて将棋図巧とか解きました。今やる気になりませんが(苦笑)、あれでヤリキルことの重要さを学びました。」
米長会長「しまった。ここでも余計なことを言っていた(笑)将棋大会とかは出てたの?」
羽生先生「はい、森内さんとか先崎さんとかと一緒に」
片上先生「山崎というのといつも当たって負けて優勝できなかったです。ある大会、山が完全に違っていて決勝まで当たらない大会がありました。これはチャンスと思ったら1回戦で2歩で負けてしまったんです。悔しくてバスで30分かかるところを2時間くらいかけて歩いて帰ったことがあります。でも、それくらいじゃないとプロにはなれないかと。」
米長会長「君は趣味で東大入ったんだろ?」
片上先生「ええ、まあ。高校生のときはそこそこ勉強できるようになっていたと思います。高校3年のとき奨励会三段リーグだったんですが、将棋の勉強はほとんどせずに受験勉強してました。でも受験って相手が何してくるかわからない将棋と違って、ある程度出題傾向ってわかるんです。逆に言えば、将棋って何がくるか分からない分面白いなと。」
羽生先生「片上君って言うとタイトル戦の記録係ってイメージがあるよね。記録係はしっかりしてないと任せられないんで。あの時は…?」
片上先生「大学生でした。大学に入ってから記録係をしました。」
米長会長「ある噂を聞いてるんだ。君は美人がレポートを書いてくれて卒業できたという。その美人は将棋が強いと聞いているんだが…」
片上先生「初めて聞きました(苦笑)でもウチの大学はレポート形式じゃないんですよ」
米長会長「二人は公式戦で指したことはあるの?」
片上先生「まだないので早く教えてもらいたいですね。」
米長会長「それにしても昔は、中卒じゃないとプロ棋士になんかなれっこないって雰囲気だけど、今は何人?4~5人現役の大学生がいるんだって?時代は変わったもんだね。」
片上先生「そうですね、広瀬君は早稲田大学生なんですけど、大学の将棋部で指導したりしていますからね。」
米長会長「普及というとAISEPだっけ?北京でやったという?この人はそれに英語で会話してきたって聞いたんだけど・・・」
羽生先生「はい、行ってきました。」
米長会長「それに名人戦の真っ最中だったんだろ?」
羽生先生「はい、そうですね。ま、英語は会話をするには共通の言語だったということで。マレーシアからも熱心な学生が来ていて…」
米長会長「この人はそれにいろいろな分野の著名人とたくさん対談もしているからね。そうだ、羽生対談集出さない?」
羽生先生「(笑)」
米長会長「いっそのこと引退して会長やるか?会長、大変なんだよ~(爆)しかし、昔大山―升田時代があったけどこうやって対談するなんて考えられなかったね。あの人たちは頭の7割が将棋だったから(苦笑)」
羽生先生「オレがルールだっていう感じでしょうか?(苦笑)」
米長会長「そうなんだ。将棋と学校、というテーマではどうなの?」
羽生先生「集中力、そして落ち着きというのが養われたのかなと思います。」
片上先生「学校以外で頭と手を使う場でとてもよかったと思います。」
羽生先生「あと基本・基礎を作る重要性を学んだと思います。」
片上先生「いいこと聞きました。基礎力を磨いて早く羽生先生にあたれるよう活躍したいと思います。」
米長会長「君くらいになったら基礎力というよりは応用力だよ(笑)」
米長会長はファンをひきつける発言がウマイですね。悔しいけど(爆)
お昼には、今年から新設された棋士とのふれあいコーナーを確認。松尾七段、片上五段が来られていて詰将棋を出題されてました。プロ棋士とこんなに近くでふれあえるなんて将棋ファンには嬉しいですね。
そして特選対局、羽生名人vs松尾七段。結果は千日手引分け。米長会長「この将棋を引き分けているようじゃ名人らしくないなあ」羽生先生「先手7九桂が絶妙な受けでした。いやあ、お粗末でした。」この後羽生先生のサイン会は限定30名。自分も中村先生主催羽生サイン争奪じゃんけん大会に参加しましたが1回戦敗退。中村先生強く2回のじゃんけんで25名になりましたが混乱を避けるためそのままの人数で、翌日ながの東急将棋を控えている羽生先生は即効で済まされて帰宅の途に着かれました。
羽生先生が帰られると同時に満ち潮が引くがのごとく人が目減り(苦笑)Etsuさん、ぐーちゃん、オジサン、まえはるさんらとしばし談笑。加賀さやかさんも合流。さやかさん「引っ越しました」と名刺をもらう。本田小百合先生ともご挨拶。本田先生「やっぱり羽生さん?」「はい、あとdaichan先生も(^^)」勝又先生にもご挨拶。本田先生vs貞升先生を見た後、鈴木大先生vs片上先生のダイスケ対決。こちらの特選対局は見所満載で面白かったです。
さてさて、最後尾で本日の将棋まつりを見守ってきましたが、何と自分のお隣は本日の総合司会を務めた鈴木環那女流のお母さん。よく似ているなあと思っていたら、近くにいた将棋ファンが「環那ちゃんのお母さんですか?」と。それは似ているはずだ(笑)それとはなしに声をかけたところ、気さくに応じていただいた。話しているうちに、自分の奥さんの実家の近く千葉県某所から来られたという些細なことで盛り上がる。ローカルネタ強しですね(^^)
アフターはいつものメンバー、オジサン、ぐーちゃん、そして今日はまえはるさんを加えて、京急向かいの建物にはいっている「えん」で。自分は翌日早朝出発なので一次会で帰宅でした。