杜牧ー25
代人寄遠 其一 人に代わりて遠きに寄す 其の一
河橋酒旆風軟 河橋(かきょう)の酒旆(しゅはい) 風軟らかに
候館梅花雪嬌 候館(こうかん)の梅花(ばいか) 雪のごとく嬌(なまめか)し
宛陵楼上瞠目 宛陵(えんりょう)の楼上に 瞠目(どうもく)す
我郎何処情饒 我が郎(ろう) 何(いず)れの処にか情(じょう)饒(おお)き
⊂訳⊃
橋のたもとの酒屋の旗 風やわらかにそよいでいる
旅籠に咲く梅の花は 雪のようになまめかしい
宛陵の高い楼から ぱっちり眼で見張っている
わたしの愛しい恋人よ 何処で浮気をしているの
⊂ものがたり⊃ 杜牧が牛僧孺の栄転に詩を寄せた大和四年(830)の秋九月に、江西観察使沈伝師が宣歙(せんきゅう)観察使に転任となり、杜牧も沈伝師に従って宣州(安徽省宣城県)に移りました。張好好も沈伝師にともなわれて洪州から宣州に移り、宣州の楽籍に転じています。杜牧の職務も生活も洪州時代と同じようにつづいたようです。
その年の冬、杜牧は都への使者を命ぜられ、公務で帰京しました。観察使としての上申や報告事項などがあり、毎年冬には都への使者が出るならわしになっていましたので、その役目が杜牧に廻ってきたということでしょう。
二年振りにみる長安でしたが、そのころ都では牛党の牛僧孺や李宗閔が李党を排斥して政権を固めていました。弟の杜(とぎ)は二十四歳になっていて、都で受験勉強の最中です。杜牧はしっかりやれと励まして宣州にもどっていったことでしょう。
掲げた詩は題名に示されているように、他人に代わって詠う詩であり、遊戯的な気分の強い作品です。「宛陵」は宣州のことで、漢代の県名で呼んだものです。宣州の酒楼の妓女を相手に戯れている趣きがあり、六言の詩であることにも注目してください。
杜牧ー26
代人寄遠 其二 人に代わりて遠きに寄す 其の二
繍領任垂蓬髻 繍領(しゅうりょう)は 蓬髻(ほうけい)を垂るるに任(まか)し
丁香閑結春梢 丁香(ていこう)は 閑(しず)かに春梢(しゅんしょう)に結ぶ
賸肯新年帰否 賸(まこと)に肯(あ)えて 新年を帰るや否(いな)や
江南緑草迢迢 江南(こうなん)は 緑草(りょくそう)迢迢(ちょうちょう)たり
⊂訳⊃
刺繍の衿に 髷を散らして垂れたまま
春の枝先に 丁子はひっそりと蕾をつける
年が明けたら ほんとにもどってくださるの
緑の草は江南に 見わたす限り生えそろう
⊂ものがたり⊃ 杜牧はのちに艶麗詩の詩人とみなされますが、それはこのころの作品に原因があるようです。初句の「蓬髻を垂るるに任し」は当時流行した髪形というか、唐代後半の頽廃した風俗の一種でしょう。「丁香は 閑かに春梢に結ぶ」の丁香は春に果実のような蕾をつけ、夏になると薄紅色の花をひらく丁子(ちょうじ)のことです。また中国では夫婦の固いちぎりや結婚の約束のことを同心結といいますので、「結」は恋心を結ぶ意味に解されます。
杜牧は年末になると、使者として遠くへ派遣されることが多かったようです。長安へ使者として赴いたときも、宣州にもどってきたのは年が明けてからでした。結句の「緑草迢迢たり」は春に萌え出る若草のことで、しばしば燃え上がる恋の慕情に喩えられます。胸一杯の愛情で待っていますと妓女に詠わせた形になっていますが、作者は杜牧ですので、どちらの胸の内か分かったものではありません。
杜牧ー27
寄遠 遠きに寄す
前山極遠碧雲合 前山(ぜんざん)極めて遠く 碧雲(へきうん)合(がっ)し
清夜一声白雪微 清夜(せいや) 一声(いっせい) 白雪(はくせつ)微(かす)かなり
欲寄相思千里月 相思(そうし)を寄せんと欲す 千里の月に
渓辺残照雨霏霏 渓辺(けいへん) 残照(ざんしょう) 雨霏霏(ひひ)たり
⊂訳⊃
前方の山は遠くはるか 碧の雲にさえぎられ
黄昏の澄んだしじまに 白雪の曲は流れる
あまねく照らす月影に つきぬ思いを託そうとすれば
川の岸辺に夕日は残り 雨がしとしと降ってきた
⊂ものがたり⊃ 詩題の「遠きに寄す」は、人に預けて遠方の人に詩文を送ることです。この詩は旅先から馴染の妓女に送ったものかも知れません。「白雪」は琴の曲名で、高雅な曲として有名だったようです。杜牧が旅先でその曲が流れてくるのを聞き、離れている妓女を想い出したという趣きがあります。もしくは相手の女性の得意とする曲であった可能性もあります。「千里の月」には、月の光が遠く離れている二人を結びつけているという意味が含まれているでしょう。
杜牧ー28
南陵道中 南陵の道中
南陵水面漫悠悠 南陵(なんりょう)の水面 漫(まん)として悠悠(ゆうゆう)たり
風緊雲軽欲変秋 風緊(きび)しく雲軽くして 秋に変ぜんと欲す
正是客心孤迥処 正(まさ)に是(こ)れ 客心 孤迥(こけい)の処(ところ)
誰家紅袖凭江楼 誰(た)が家の紅袖(こうしゅう)か 江楼に凭(よ)れる
⊂訳⊃
南陵のひろい川面を ゆるやかに水は流れ
風は厳しいが軽やかな雲 秋はそこまでやてきた
これぞ旅心というものか 淋しさの深まるところ
どこの家の娘であろう 江楼の欄干の乙女子は
⊂ものがたり⊃ 「南陵」(安徽省南陵県)は宣州管下の町で宣州城の西七十余里(約40km)のところにあります。舟で管内を旅していると秋風が吹いてきて、さすがに淋しさが湧いてきます。ふと見ると、川辺の楼の欄干に紅い袖をたらした乙女が凭れています。杜牧の目がそれを捉えるのです。杜牧は「誰が家の」と言っていますが、そこが酒楼であることは分かっているのです。
杜牧ー29
独柳 独柳
含煙一株柳 煙(けむり)を含む 一株(いっしゅ)の柳
払地揺風久 地を払(はら)い 風に揺(うご)くこと久し
佳人不忍折 佳人(かじん) 折るに忍びず
恨望廻纎手 恨望(ちょうぼう)して 纎手(せんしゅ)を廻(かえ)す
⊂訳⊃
薄緑にかすむ柳 一株の柳の木よ
枝を地にたれ 風に吹かれて揺れている
手折ろうとするが 折るに忍びない美しい人
恨めしそうに顧みて 細くて白い手を引っこめる
⊂ものがたり⊃ 春風にひとり揺れているのは柳でしょうか、誰かの心でしょうか。その柳の枝を折り取るのは別れのためです。細くて白い手の「佳人」は、枝を折ろうとしてためらっています。ほんとうに行っておしまいになるの、と恨めしそうに流し目を送ります。
この詩には、違った解釈もできそうです。というのも「独柳」(どくりゅう)という題名は、艶麗詩にしてはややきつい表現です。大きな柳の木がほかと離れて一本、孤独に立っている感じがします。屈原の楚辞『離騒』では、「佳人」は君主の意味に用いられています、「佳人」を君主と解すれば、国に用いられないことを嘆く詩にもなりそうです。
杜牧ー30
紫微花 紫微花
暁迎秋露一枝新 暁に秋露(しゅうろ)に迎(あ)いて 一枝(いっし)新たなり
不占園中最上春 占(し)めず 園中 最上(さいじょう)の春を
桃李無言又何在 桃李(とうり) 言(げん)無く 又た何(いず)くにか在る
向風偏笑豔陽人 風に向かって偏(ひと)えに笑う 艶陽(えんよう)の人を
⊂訳⊃
夜明の露に濡れながら 一枝の花が咲き出した
華やぐ春の庭園に 咲きほこる気持ちはない
桃や李は見る影もなく いったい何処へ消えたのか
秋風に吹かれて百日紅 春好みを笑っている
⊂ものがたり⊃ 杜牧は進士に及第して、すでに四年がたっています。同年(同期の進士及第者)のなかには、そろそろ出世する者も出てくるでしょう。詩題の「紫微」(しび)は百日紅(さるすべり)のことで、陰暦では秋に咲く花木になります。
杜牧は秋の紫微花に託して、春の盛りに咲き誇る気持ちはないと強がりを言っています。「桃李 言無く」というのは『史記』李将軍列伝の論賛に出てくる「桃李言(ものい)はざれども、下自ら蹊(こみち)を為す」を踏まえており、黙っていても実績があれば名声はおのずからついてくるという意味です。そんな謙虚な人物は何処に行ってしまったのかと杜牧は嘆き、紫微花は秋風に吹かれながら華やかな春を好む者を笑っていると、みずからを慰めているのでしょう。
代人寄遠 其一 人に代わりて遠きに寄す 其の一
河橋酒旆風軟 河橋(かきょう)の酒旆(しゅはい) 風軟らかに
候館梅花雪嬌 候館(こうかん)の梅花(ばいか) 雪のごとく嬌(なまめか)し
宛陵楼上瞠目 宛陵(えんりょう)の楼上に 瞠目(どうもく)す
我郎何処情饒 我が郎(ろう) 何(いず)れの処にか情(じょう)饒(おお)き
⊂訳⊃
橋のたもとの酒屋の旗 風やわらかにそよいでいる
旅籠に咲く梅の花は 雪のようになまめかしい
宛陵の高い楼から ぱっちり眼で見張っている
わたしの愛しい恋人よ 何処で浮気をしているの
⊂ものがたり⊃ 杜牧が牛僧孺の栄転に詩を寄せた大和四年(830)の秋九月に、江西観察使沈伝師が宣歙(せんきゅう)観察使に転任となり、杜牧も沈伝師に従って宣州(安徽省宣城県)に移りました。張好好も沈伝師にともなわれて洪州から宣州に移り、宣州の楽籍に転じています。杜牧の職務も生活も洪州時代と同じようにつづいたようです。
その年の冬、杜牧は都への使者を命ぜられ、公務で帰京しました。観察使としての上申や報告事項などがあり、毎年冬には都への使者が出るならわしになっていましたので、その役目が杜牧に廻ってきたということでしょう。
二年振りにみる長安でしたが、そのころ都では牛党の牛僧孺や李宗閔が李党を排斥して政権を固めていました。弟の杜(とぎ)は二十四歳になっていて、都で受験勉強の最中です。杜牧はしっかりやれと励まして宣州にもどっていったことでしょう。
掲げた詩は題名に示されているように、他人に代わって詠う詩であり、遊戯的な気分の強い作品です。「宛陵」は宣州のことで、漢代の県名で呼んだものです。宣州の酒楼の妓女を相手に戯れている趣きがあり、六言の詩であることにも注目してください。
杜牧ー26
代人寄遠 其二 人に代わりて遠きに寄す 其の二
繍領任垂蓬髻 繍領(しゅうりょう)は 蓬髻(ほうけい)を垂るるに任(まか)し
丁香閑結春梢 丁香(ていこう)は 閑(しず)かに春梢(しゅんしょう)に結ぶ
賸肯新年帰否 賸(まこと)に肯(あ)えて 新年を帰るや否(いな)や
江南緑草迢迢 江南(こうなん)は 緑草(りょくそう)迢迢(ちょうちょう)たり
⊂訳⊃
刺繍の衿に 髷を散らして垂れたまま
春の枝先に 丁子はひっそりと蕾をつける
年が明けたら ほんとにもどってくださるの
緑の草は江南に 見わたす限り生えそろう
⊂ものがたり⊃ 杜牧はのちに艶麗詩の詩人とみなされますが、それはこのころの作品に原因があるようです。初句の「蓬髻を垂るるに任し」は当時流行した髪形というか、唐代後半の頽廃した風俗の一種でしょう。「丁香は 閑かに春梢に結ぶ」の丁香は春に果実のような蕾をつけ、夏になると薄紅色の花をひらく丁子(ちょうじ)のことです。また中国では夫婦の固いちぎりや結婚の約束のことを同心結といいますので、「結」は恋心を結ぶ意味に解されます。
杜牧は年末になると、使者として遠くへ派遣されることが多かったようです。長安へ使者として赴いたときも、宣州にもどってきたのは年が明けてからでした。結句の「緑草迢迢たり」は春に萌え出る若草のことで、しばしば燃え上がる恋の慕情に喩えられます。胸一杯の愛情で待っていますと妓女に詠わせた形になっていますが、作者は杜牧ですので、どちらの胸の内か分かったものではありません。
杜牧ー27
寄遠 遠きに寄す
前山極遠碧雲合 前山(ぜんざん)極めて遠く 碧雲(へきうん)合(がっ)し
清夜一声白雪微 清夜(せいや) 一声(いっせい) 白雪(はくせつ)微(かす)かなり
欲寄相思千里月 相思(そうし)を寄せんと欲す 千里の月に
渓辺残照雨霏霏 渓辺(けいへん) 残照(ざんしょう) 雨霏霏(ひひ)たり
⊂訳⊃
前方の山は遠くはるか 碧の雲にさえぎられ
黄昏の澄んだしじまに 白雪の曲は流れる
あまねく照らす月影に つきぬ思いを託そうとすれば
川の岸辺に夕日は残り 雨がしとしと降ってきた
⊂ものがたり⊃ 詩題の「遠きに寄す」は、人に預けて遠方の人に詩文を送ることです。この詩は旅先から馴染の妓女に送ったものかも知れません。「白雪」は琴の曲名で、高雅な曲として有名だったようです。杜牧が旅先でその曲が流れてくるのを聞き、離れている妓女を想い出したという趣きがあります。もしくは相手の女性の得意とする曲であった可能性もあります。「千里の月」には、月の光が遠く離れている二人を結びつけているという意味が含まれているでしょう。
杜牧ー28
南陵道中 南陵の道中
南陵水面漫悠悠 南陵(なんりょう)の水面 漫(まん)として悠悠(ゆうゆう)たり
風緊雲軽欲変秋 風緊(きび)しく雲軽くして 秋に変ぜんと欲す
正是客心孤迥処 正(まさ)に是(こ)れ 客心 孤迥(こけい)の処(ところ)
誰家紅袖凭江楼 誰(た)が家の紅袖(こうしゅう)か 江楼に凭(よ)れる
⊂訳⊃
南陵のひろい川面を ゆるやかに水は流れ
風は厳しいが軽やかな雲 秋はそこまでやてきた
これぞ旅心というものか 淋しさの深まるところ
どこの家の娘であろう 江楼の欄干の乙女子は
⊂ものがたり⊃ 「南陵」(安徽省南陵県)は宣州管下の町で宣州城の西七十余里(約40km)のところにあります。舟で管内を旅していると秋風が吹いてきて、さすがに淋しさが湧いてきます。ふと見ると、川辺の楼の欄干に紅い袖をたらした乙女が凭れています。杜牧の目がそれを捉えるのです。杜牧は「誰が家の」と言っていますが、そこが酒楼であることは分かっているのです。
杜牧ー29
独柳 独柳
含煙一株柳 煙(けむり)を含む 一株(いっしゅ)の柳
払地揺風久 地を払(はら)い 風に揺(うご)くこと久し
佳人不忍折 佳人(かじん) 折るに忍びず
恨望廻纎手 恨望(ちょうぼう)して 纎手(せんしゅ)を廻(かえ)す
⊂訳⊃
薄緑にかすむ柳 一株の柳の木よ
枝を地にたれ 風に吹かれて揺れている
手折ろうとするが 折るに忍びない美しい人
恨めしそうに顧みて 細くて白い手を引っこめる
⊂ものがたり⊃ 春風にひとり揺れているのは柳でしょうか、誰かの心でしょうか。その柳の枝を折り取るのは別れのためです。細くて白い手の「佳人」は、枝を折ろうとしてためらっています。ほんとうに行っておしまいになるの、と恨めしそうに流し目を送ります。
この詩には、違った解釈もできそうです。というのも「独柳」(どくりゅう)という題名は、艶麗詩にしてはややきつい表現です。大きな柳の木がほかと離れて一本、孤独に立っている感じがします。屈原の楚辞『離騒』では、「佳人」は君主の意味に用いられています、「佳人」を君主と解すれば、国に用いられないことを嘆く詩にもなりそうです。
杜牧ー30
紫微花 紫微花
暁迎秋露一枝新 暁に秋露(しゅうろ)に迎(あ)いて 一枝(いっし)新たなり
不占園中最上春 占(し)めず 園中 最上(さいじょう)の春を
桃李無言又何在 桃李(とうり) 言(げん)無く 又た何(いず)くにか在る
向風偏笑豔陽人 風に向かって偏(ひと)えに笑う 艶陽(えんよう)の人を
⊂訳⊃
夜明の露に濡れながら 一枝の花が咲き出した
華やぐ春の庭園に 咲きほこる気持ちはない
桃や李は見る影もなく いったい何処へ消えたのか
秋風に吹かれて百日紅 春好みを笑っている
⊂ものがたり⊃ 杜牧は進士に及第して、すでに四年がたっています。同年(同期の進士及第者)のなかには、そろそろ出世する者も出てくるでしょう。詩題の「紫微」(しび)は百日紅(さるすべり)のことで、陰暦では秋に咲く花木になります。
杜牧は秋の紫微花に託して、春の盛りに咲き誇る気持ちはないと強がりを言っています。「桃李 言無く」というのは『史記』李将軍列伝の論賛に出てくる「桃李言(ものい)はざれども、下自ら蹊(こみち)を為す」を踏まえており、黙っていても実績があれば名声はおのずからついてくるという意味です。そんな謙虚な人物は何処に行ってしまったのかと杜牧は嘆き、紫微花は秋風に吹かれながら華やかな春を好む者を笑っていると、みずからを慰めているのでしょう。
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