7月2日(旧暦5月28日 干支=乙酉 九星=六白 六曜=友引)
おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。
まずは、誕生日おめでとうございます。
ありがとうございます。
先日フェイスブックを始めて、いろいろな方々とつながれることに驚いています。
それぞれが発信する情報、受け取る側のリアクション、すべてがダイレクトかつ迅速に行えることに、いまさらながら気づきました。
そんな時代の新たな問題として、ツイッター炎上やフェイスブック疲れ、ラインいじめなど、ソーシャルネットワークが生んだ新たなストレス要因というものもあるそうですが、それだけ普及した便利さや距離感などは、実際にやってみなければわからないものだなと思いました。
あくまでツールですので、ネットワークの相手側には常に生身の人間がいるということは、ごく当たり前のことでありますので、いま目の前に誰もいない状況であっても、相手への思いやりを忘れてはならないと思います。
過剰な正義感や興味本位などで、善悪・白黒をはっきりさせたがったり、どこまでも過去を掘り返したり、当事者や関係者を含めて徹底的に特定して炎上させるという昨今の風潮は、インターネット掲示板などから始まり、SNSの普及でより深刻なものになった気がします。
出る杭はたたかれるといいますが、最近では杭をへし折ったあげくさらし上げられ、未来永劫にその罪を背負う、とまではいかないにしても、何やら窮屈な時代になったかもしれないと感じています。
生まれてから携帯やインターネットが当たり前にある世代にとっては、こうした価値観は古いのかもしれませんが、こうしてブログやフェイスブックなど世界中に拡散するものに関しては、やはり言葉一つにしても充分気を付けています。
これは公共心にも通じるところがあると思いますので、インターネットの中でうまく生きる方法を学ぶことも、すでに当たり前のことになっているのかもしれません。
インターネットは、情報の網にたとえられます。
最初は少ない網であったのが、爆発的に普及して脳血管以上に細かい毛細血管のようになりました。
その網の中では、ある程度匿名であることも許されます。
安全な立場から発言もできますし、お互いに表情が見えない分、ストレートな物言いもできます。
時には、それが相手を傷つけたりもするでしょう。
人によっては、自分を大きく見せることもできるでしょうし、あるいはストレスのはけ口にもなるでしょう。
正論や常識を盾にして、あらゆるものに裁きを加えようとする。
場合によっては、少数派の異論や非常識なふるまいは悪とされ、反省や謝罪をしてもなお許されないケースもあるでしょう。
すでに2000年以上も前に、中国ではこうした考え方もありました。
敢えてするに勇なれば、即ち殺され、敢えてせざるに勇なれば、即ち活かせられる。
この両者、あるいは利あり、あるいは害あり。
天のにくむところ、たれかその故を知らん。(これをもって聖人すらなおこれを難しとする。)
天の道は、争わずしてよく勝ち、言わずしてよく応じ、まねかずしておのずから来たし、担然としてよく謀る。
天網恢恢、疎にして失せず。
裁判のとき、判事が断罪こそ勇気、有罪だとすれば、人は処刑される。逆に許すことが勇気、無罪とすれば、人は生き延びる。
この2つの勇気は、判事の利害やなんやらで決められるし、良いか悪いかはその時々だ。
自然のままで人はいつか死ぬし、それを人の手で決めるのは本当に難しい。たとえどんなにすごい人であっても。
自然にまかせれば、無理に勝負しなくても勝てるし、黙っていても答えが出るし、そのうち向こうからやってきて、適当に話がまとまる。
自然の網は一見穴だらけだが、しっかりと悪いものだけは捉える。だから悪事は長く続かないし、結局最後は自滅する。
訳は自分なりに適当に解釈しましたので、間違っていたら申し訳ございません。
人はよく間違えますし、とんでもないこともします。
それを反省して次への糧にできればいいかと思いますし、自滅しないように生きていきたいと思います。
というわけで、今日の消防大会頑張ってきます!
『老子』第73章
おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。
まずは、誕生日おめでとうございます。
ありがとうございます。
先日フェイスブックを始めて、いろいろな方々とつながれることに驚いています。
それぞれが発信する情報、受け取る側のリアクション、すべてがダイレクトかつ迅速に行えることに、いまさらながら気づきました。
そんな時代の新たな問題として、ツイッター炎上やフェイスブック疲れ、ラインいじめなど、ソーシャルネットワークが生んだ新たなストレス要因というものもあるそうですが、それだけ普及した便利さや距離感などは、実際にやってみなければわからないものだなと思いました。
あくまでツールですので、ネットワークの相手側には常に生身の人間がいるということは、ごく当たり前のことでありますので、いま目の前に誰もいない状況であっても、相手への思いやりを忘れてはならないと思います。
過剰な正義感や興味本位などで、善悪・白黒をはっきりさせたがったり、どこまでも過去を掘り返したり、当事者や関係者を含めて徹底的に特定して炎上させるという昨今の風潮は、インターネット掲示板などから始まり、SNSの普及でより深刻なものになった気がします。
出る杭はたたかれるといいますが、最近では杭をへし折ったあげくさらし上げられ、未来永劫にその罪を背負う、とまではいかないにしても、何やら窮屈な時代になったかもしれないと感じています。
生まれてから携帯やインターネットが当たり前にある世代にとっては、こうした価値観は古いのかもしれませんが、こうしてブログやフェイスブックなど世界中に拡散するものに関しては、やはり言葉一つにしても充分気を付けています。
これは公共心にも通じるところがあると思いますので、インターネットの中でうまく生きる方法を学ぶことも、すでに当たり前のことになっているのかもしれません。
インターネットは、情報の網にたとえられます。
最初は少ない網であったのが、爆発的に普及して脳血管以上に細かい毛細血管のようになりました。
その網の中では、ある程度匿名であることも許されます。
安全な立場から発言もできますし、お互いに表情が見えない分、ストレートな物言いもできます。
時には、それが相手を傷つけたりもするでしょう。
人によっては、自分を大きく見せることもできるでしょうし、あるいはストレスのはけ口にもなるでしょう。
正論や常識を盾にして、あらゆるものに裁きを加えようとする。
場合によっては、少数派の異論や非常識なふるまいは悪とされ、反省や謝罪をしてもなお許されないケースもあるでしょう。
すでに2000年以上も前に、中国ではこうした考え方もありました。
敢えてするに勇なれば、即ち殺され、敢えてせざるに勇なれば、即ち活かせられる。
この両者、あるいは利あり、あるいは害あり。
天のにくむところ、たれかその故を知らん。(これをもって聖人すらなおこれを難しとする。)
天の道は、争わずしてよく勝ち、言わずしてよく応じ、まねかずしておのずから来たし、担然としてよく謀る。
天網恢恢、疎にして失せず。
裁判のとき、判事が断罪こそ勇気、有罪だとすれば、人は処刑される。逆に許すことが勇気、無罪とすれば、人は生き延びる。
この2つの勇気は、判事の利害やなんやらで決められるし、良いか悪いかはその時々だ。
自然のままで人はいつか死ぬし、それを人の手で決めるのは本当に難しい。たとえどんなにすごい人であっても。
自然にまかせれば、無理に勝負しなくても勝てるし、黙っていても答えが出るし、そのうち向こうからやってきて、適当に話がまとまる。
自然の網は一見穴だらけだが、しっかりと悪いものだけは捉える。だから悪事は長く続かないし、結局最後は自滅する。
訳は自分なりに適当に解釈しましたので、間違っていたら申し訳ございません。
人はよく間違えますし、とんでもないこともします。
それを反省して次への糧にできればいいかと思いますし、自滅しないように生きていきたいと思います。
というわけで、今日の消防大会頑張ってきます!
『老子』第73章
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〒019-0701 秋田県横手市増田町増田字伊勢堂南6-4
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携帯 080-1837-5342
mail kchiba@poem.ocn.ne.jp
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