7月5日(旧暦6月2日 干支=戊子 九星=三碧 六曜=先勝)
おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。
夏が来ました。
海に、山に、燦然と輝く太陽の下で、アクティブに遊ぶもよし。
エアコンのガンガン効いたお店で、熱々の鍋を囲むもよし。
夜、アスファルトに残る余熱を感じながら、花火大会や夏祭りに出かけて、蚊に刺されるもよしと、それぞれの夏の楽しみ方を想像したり、あるいは実際にいくつか成し遂げた方もいるかと思います。
夏の海は、その定番でしょう。
家族や友人、恋人と海水浴場へ出かけ、泳いだり、砂浜で日焼けしたり、バーベキューをしたりなど、どこに行っても見られる風景となっています。
私は昨年、2回ほど海に行きました。
オートバイにレジャーシートとサンダルを積み、ジーンズの下に水着を付けて日本海へ。
着いたら砂浜の端にシートを広げて寝そべり、ラジオで高校野球を聞きながら本を読むという休日を過ごしました。
どうでもよい話はやめて、今日は水着についての話題です。
男性用の水着については、興味のある人は少ないと思いますので、女性の水着「ビキニ」についてです。
ご存知の通り、上下に分かれた水着のことを指します。
週刊誌のグラビア写真では、モデルやアイドルなどの水着姿が、男性の購買意欲を引きつけ、女性のファッション誌でもこの時期は水着特集がなされているかと思います。
現代ではもはや定番ですが、これが初めて発表されたのが、1946年の今日となっているそうです。
フランス人デザイナーのルイ・レアールが、自身の母親が経営している下着の会社を手伝っている際に考案し、「世界最小の水着」として売り出しました。
ほぼ同じ時期に、同じくツーピースの水着をジャック・エイムというフランス人デザイナーが考案しており、エイムは「アトム」という名前でこれを売り出していました。
この頃は、第二次世界大戦が終わって間もない時期でした。
アメリカによって広島、長崎に原子爆弾が落とされ、多くの人命が失われました。
原子爆弾の威力は未曽有のものであり、アメリカをはじめとする各国は核兵器の開発競争に乗り出しました。
第二次世界大戦で協力していたアメリカとソ連は、戦後ほどなく対立し、東西冷戦がはじまりました。
両者は核兵器の保有数と、破壊力増大を競い、各地で核実験を行いました。
アメリカの核実験場は、太平洋のマーシャル諸島のビキニ環礁でした。
1946年7月1日、長崎以来となる原爆「エイブル」が、ビキニ環礁で落とされました。
7月25日には、原爆「ベーカー」が落とされ、この2つの核実験を称して「クロスロード作戦」と名付けられました。
当然のごとく、これらはニュースとなりました。
その衝撃的なニュースにあやかって、水着を売り出そうとしたレアールは、水着を「ビキニ」と名付け、アトム=原子=原爆にも絡めて宣伝しました。
これが、ビキニと名付けられた経緯となっているそうです。
アメリカの核実験は、その後1954年にも、ここビキニ環礁で行われました。
「キャッスル作戦」と名付けられた3月1日の実験では、広島型原爆の1000個分の爆発力を誇り、海には直径2000メートル、深さ75メートルのクレーターが空きました。
この爆弾は「水素爆弾」であり、水爆の灰は近海の漁船約1000隻を巻き込み、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」にも降り注ぎました。
福竜丸の日本人船長は被爆して死亡し、アメリカによって日本は3度目の核兵器禍に巻き込まれました。
レアールも、ビキニと名付けた時点では、こうした悲劇が起こることを想定していなかったと思います。
しかし、考えてみれば不謹慎な名称でもあります。
ちなみに、ビキニについては、あまりに大胆すぎるので、アメリカでも1960年代までは、一般的なビーチで着用が禁じられました。
日本においては、1970年代にアグネス・ラムがブームとなって一般に広まり、現在に至るそうです。
建物や食に歴史があるように、ファッションにも多種多様な歴史があります。
元をたどれば軍事からきたり、ある地方の民族衣装だったり、正装を簡略化したものが一般的になったりしたものもあります。
女性のハイヒールも、元をたどれば興味深い歴史がありますが、これは紹介しません。
おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。
夏が来ました。
海に、山に、燦然と輝く太陽の下で、アクティブに遊ぶもよし。
エアコンのガンガン効いたお店で、熱々の鍋を囲むもよし。
夜、アスファルトに残る余熱を感じながら、花火大会や夏祭りに出かけて、蚊に刺されるもよしと、それぞれの夏の楽しみ方を想像したり、あるいは実際にいくつか成し遂げた方もいるかと思います。
夏の海は、その定番でしょう。
家族や友人、恋人と海水浴場へ出かけ、泳いだり、砂浜で日焼けしたり、バーベキューをしたりなど、どこに行っても見られる風景となっています。
私は昨年、2回ほど海に行きました。
オートバイにレジャーシートとサンダルを積み、ジーンズの下に水着を付けて日本海へ。
着いたら砂浜の端にシートを広げて寝そべり、ラジオで高校野球を聞きながら本を読むという休日を過ごしました。
どうでもよい話はやめて、今日は水着についての話題です。
男性用の水着については、興味のある人は少ないと思いますので、女性の水着「ビキニ」についてです。
ご存知の通り、上下に分かれた水着のことを指します。
週刊誌のグラビア写真では、モデルやアイドルなどの水着姿が、男性の購買意欲を引きつけ、女性のファッション誌でもこの時期は水着特集がなされているかと思います。
現代ではもはや定番ですが、これが初めて発表されたのが、1946年の今日となっているそうです。
フランス人デザイナーのルイ・レアールが、自身の母親が経営している下着の会社を手伝っている際に考案し、「世界最小の水着」として売り出しました。
ほぼ同じ時期に、同じくツーピースの水着をジャック・エイムというフランス人デザイナーが考案しており、エイムは「アトム」という名前でこれを売り出していました。
この頃は、第二次世界大戦が終わって間もない時期でした。
アメリカによって広島、長崎に原子爆弾が落とされ、多くの人命が失われました。
原子爆弾の威力は未曽有のものであり、アメリカをはじめとする各国は核兵器の開発競争に乗り出しました。
第二次世界大戦で協力していたアメリカとソ連は、戦後ほどなく対立し、東西冷戦がはじまりました。
両者は核兵器の保有数と、破壊力増大を競い、各地で核実験を行いました。
アメリカの核実験場は、太平洋のマーシャル諸島のビキニ環礁でした。
1946年7月1日、長崎以来となる原爆「エイブル」が、ビキニ環礁で落とされました。
7月25日には、原爆「ベーカー」が落とされ、この2つの核実験を称して「クロスロード作戦」と名付けられました。
当然のごとく、これらはニュースとなりました。
その衝撃的なニュースにあやかって、水着を売り出そうとしたレアールは、水着を「ビキニ」と名付け、アトム=原子=原爆にも絡めて宣伝しました。
これが、ビキニと名付けられた経緯となっているそうです。
アメリカの核実験は、その後1954年にも、ここビキニ環礁で行われました。
「キャッスル作戦」と名付けられた3月1日の実験では、広島型原爆の1000個分の爆発力を誇り、海には直径2000メートル、深さ75メートルのクレーターが空きました。
この爆弾は「水素爆弾」であり、水爆の灰は近海の漁船約1000隻を巻き込み、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」にも降り注ぎました。
福竜丸の日本人船長は被爆して死亡し、アメリカによって日本は3度目の核兵器禍に巻き込まれました。
レアールも、ビキニと名付けた時点では、こうした悲劇が起こることを想定していなかったと思います。
しかし、考えてみれば不謹慎な名称でもあります。
ちなみに、ビキニについては、あまりに大胆すぎるので、アメリカでも1960年代までは、一般的なビーチで着用が禁じられました。
日本においては、1970年代にアグネス・ラムがブームとなって一般に広まり、現在に至るそうです。
建物や食に歴史があるように、ファッションにも多種多様な歴史があります。
元をたどれば軍事からきたり、ある地方の民族衣装だったり、正装を簡略化したものが一般的になったりしたものもあります。
女性のハイヒールも、元をたどれば興味深い歴史がありますが、これは紹介しません。
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お問い合わせ先
有限会社 千葉建築
〒019-0701 秋田県横手市増田町増田字伊勢堂南6-4
電話 0182-45-2325 FAX 0182-45-2304
携帯 080-1837-5342
mail kchiba@poem.ocn.ne.jp
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