秋田県横手市増田町 千葉建築のブログ

秋田県の県南、横手市増田町の工務店、(有)千葉建築のブログです。
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彼岸の入に考えたこと

2016-09-19 11:03:47 | 建築日記
9月19日(旧暦8月19日 干支=甲辰 九星=八白 六曜=友引)


おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。

おおよそ10日ぶりの更新となりました。

朝晩もぐっと冷え込み、季節はすっかり秋となっています。


昨日、秋田市から国道13号線を通って帰る途中、大仙市の神岡町のあたりを走っていると、すでに稲刈りのコンバインが動いていました。

稲穂は緑から黄金色へと変わり、穂先は実りを存分にたたえ、重みで垂れ下がってきています。

でんぷんの甘い香りを漂わせた、白いつやつやのごはんが食卓へあがるのも、そう先の話でもなさそうです。


この10日間、私は京都・大阪へ行っていたり、戻ってからは大仙市の角間川での勉強会、その他地元のお祭りなどが続きました。

そうした中、地方の農村文化と都会の商人文化、舟運や陸運といった流通の変遷、地主が大きな権力のあった時代と農地解放など、さまざまな面からこれらの地域のことを考えていました。


角間川は舟運と地主の街であり、増田も商人地主の街として栄えました。

大規模な耕作地をもつ地主の財力は、おそらく現代に生まれた我々世代には、いまいち想像ができないところではあります。

しかし、その地主が作り上げた蔵などを見ると、これを現代に一から作るには莫大な金額と手間がかかることはわかります。


その分、現存する遺構は貴重なものであり、その保存と活用は大変な努力を必要とします。

建築という仕事をしていることもあり、古い建物に接する機会も多いのですが、同時にそれが作られた背景や意図など、歴史を学ぶこともとても大切なことと感じています。

もともと歴史が大好きでしたので、そうしたことは願ったりかなったりですが、「地元史」という面からみると、もっと足元を見つめた資料集めや聞き取り、街歩きが重要だと思っています。


さて、今日は彼岸の入りで、先ほど墓参りを両親と共に行ってまいりました。

墓のある場所は、増田の満福寺という曹洞宗のお寺ですが、幼少より彼岸と盆は墓参りという習慣があったため、その意味まであまり意識をすることがありませんでした。

ただ、祖父や祖母が亡くなったり、親戚が亡くなったりしてここを訪れると、また違った意味合いを感じるようになりました。

墓は、地縁と血縁をつなぐ象徴でもあり、例えば離れていたところに住んでいるとしても、実家の墓参りは欠かさないという方もいらっしゃるかと思います。


先日の新聞で、あるお寺の住職の話が載っていました。

それを斜め読みしたところ、最近は寺社仏閣が「非日常の空間」となっていて、若い世代にとってはそれが新鮮なもの、癒しを求める空間として求められている話をしていました。

昔は、そうした宗教的な場が日常に組み込まれていたものが、家族構成の変化や地縁の薄れなどで、だんだん接する機会が少なくなったことが、非日常ということになっているのでは、とも言っていました。

これは、現代人が抱える問題をそのまま表しているのでは、と思いました。


「コミュニケーション」という言葉がありますが、現代ではそれが不足しているといわれています。

コミュニケーションを日本語に訳すと「意思情報の伝達」という意味ですが、情報ツールは便利になった分、「生身の」意思情報の伝達が苦手、という話も聞かれるようになりました。


もう一つ、「コミュニティ」という言葉があります。

これは「地域社会」「共同体」などと訳されますが、過疎化や少子高齢化による人口減少と、上記のコミュニケーションの不足などが加わって、コミュニティが失われる場合があります。

逆に都会など、人があふれているところであっても、同じアパートの隣人が誰かもわからなかったり、住んでいる地域に無関心であったりなど、これもコミュニティの不在といえるかと思います。


「ムラ社会」という言葉が、よく否定的な意味で使われます。

その代表格とされる「村八分」や「隣組」といったものは、異分子への「差別」を生んだり、ある時には「出る杭は打たれる」であったり、「空気を読む力」を強要されたりといった、窮屈な社会を生む場合もあります。

ネット上の炎上などを見ていると、それに匿名性が加わって、より残酷性が増してしまうケースもあり、これもムラ社会の一部なのかなと思ったりもします。


ムラ社会は、稲作を中心とした日本の社会において、多くの地域で受け継がれてきたものとされています。

稲作が人力で行われていた時代には、多くの人手が必要でしたし、農業水利を守るために地域が結束していなければなりませんでした。

それが共同体・地域社会をつくり、個よりも集団、自由よりも規律という意識を作ったと思います。

言い換えれば、「集団に属し、規律さえ守れば、居場所は確保される」ということかもしれません。


その反動からか、現代は「個」を必要以上に重要視するところがあります。

個を強調するために、人と違うところ、人より抜き出た何かを持たなければ、自分は社会にとって不要な存在である(=居場所がない)、成功しないといった風潮があるように思えます。

結局、自給自足を除いて、ビジネスや生活においては、個であっても他の集団と全くかかわらないわけにはいかず、規律は多くの場面で自由に優先します。

人間は人間から生まれるので、最小の集団は親子となりますし、個と集団とを分けること自体、無理のある前提なのかもしれません。


つまるところ、「居場所」がどこにあるのかが、最も大切なことかと思います。

今いる環境の居場所が窮屈なら、一度出てみて居場所を見つけるのもよいのかもしれません。

あるいは、その逆も然りかと思います。


地方に住む私が思うことは、その居場所を様々な形で、いろいろな場所に設ければよいのでは、と考えています。

その構成はいろいろな世代、いろいろな地域、様々な目的を持っていれば、参加しやすいのではないかと思います。

機会がないと嘆くのではなく、機会を生み出すこと、つくりだすこと。

私はつくりだす立場でありたいと、最近よく考えています。

補助金やローンなどのご相談も承ります。
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