12月4日(旧暦10月29日 九紫 友引 戊子)
おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。
発達した低気圧が、北日本に暴風をもたらしています。
今日の現場作業は中止し、休みとしました。
大きな被害の出ないことを祈りたいと思います。
昨日、興味深いニュースを目にしました。
アメリカのNASAが、生命に不可欠なリンのかわりに、猛毒のヒ素を摂取して生きるバクテリア(細菌)を発見したことを発表しました。
これは、過酷な宇宙空間でも生物が生きている可能性を示唆するとのことで、今後の宇宙開発に新たな可能性を広げるとされています。
昨日はインフルエンザの話題でしたが、人間はこういったウイルスや細菌という、目に見えないものに対して深いかかわりを持っています。
大概はこれらは病気の原因となり、微生物の存在が分からなかった時代には、まさに「見えざる悪魔の仕業」となっていました。
昨日の記事で紹介した「スペイン風邪」のインフルエンザをはじめ、感染力と高い致死率で、時に民族を全滅させた天然痘、14世紀のヨーロッパで猛威を振るい、人口の3分の1が亡くなり「黒死病」と恐れられたペスト、現在でも衛生状態の悪い地域で発生するコレラ、「労咳」と呼ばれ、かつて日本の明治期では「国民病」とされるほど患者数の多かった結核など、それらはこのウイルス・細菌といった微生物のなす脅威でした。
感染症には、インフルエンザやAIDSなどのように、ウイルスが原因で起こるものと、結核や細菌性の食中毒(O157、サルモネラ菌など)のように細菌が原因のものがあります。
細菌は、それ自体が生物(単細胞生物)であり、他の物質に付着したり、生き物の体内などで細胞分裂して増殖するものとなっています。
対してウイルスは、細菌よりももっと小さく、細胞を持たない単純な構造(DNAまたはRNAとタンパク質の殻)からなる微粒子で、ウイルス単独では増殖できず、生物の細胞に寄生することで増殖をすることができるとされています。
18世紀の末に、イギリスのエドワード・ジェンナーが安全な種痘(天然痘ワクチン)に成功したことから、感染症に対する医学の進歩は始まっていきました。
19世紀後半に、フランスのルイ・パスツールやドイツのロベルト・コッホによって、目に見えない小さな微生物の存在が発見され、病気にはこの微生物=細菌やウイルスに感染することが原因である、という論説がなされました。
パスツールは病原体を培養して、毒素を弱めてワクチンを作ることを考え、実際に狂犬病の予防ワクチンを作りました。
コッホは、炭阻菌、コレラ菌、結核菌などの細菌を発見しました。
コッホが教鞭をとったドイツのベルリン大学において、一人の日本人が国費留学し、彼に師事しました。
彼の名は北里柴三郎といい、1889年に破傷風菌のみを取り出す純粋培養に、世界で始めて成功しました。
破傷風菌は、土壌や汚泥などの自然界に存在し、その毒性はきわめて強く、人の傷口などから体内に侵入すると、神経に作用して痙攣などを起こし、致死率は20~50%とされています。
翌年、彼は続いて、破傷風菌を何倍にも薄めたものを他の動物に少しずつ投与して、動物の体内に毒素を中和する「抗体」を作り、それを含んだ血液成分を取り出し、人に投与して免疫をつくるという、「抗毒素血清療法」にも世界で始めて成功しました。
1890年(明治23年)の12月4日、北里柴三郎とドイツ人の同僚のエミール・ベーリングが、破傷風とジフテリアの免疫に関する論文を発表し、一躍世界的な名声を得ることとなりました。
今日は「血清療法の日」という記念日となっています。
感染症に対して、当時の日本は対策・療法ともに遅れていました。
留学して8年ほどで偉大な業績を挙げながら、祖国の医学の発展のために帰国した北里でしたが、母校の東大と対立し、日本での活躍の場が限られてしまう形となりました。
福沢諭吉の支援により、私立伝染病研究所(伝研、東大医学部の前身)が設立され、北里が所長となりました。
後に伝研は国に寄付され、政府から派遣された香港でペスト菌を発見するなど、さまざまな実績を挙げていましたが、再び東大との対立が遠因となって、研究所を辞任せざるを得なくなりました。
私財を投じて、私立北里研究所(北里大学の母体)を設立し、福沢の長年の恩に応える形で慶応大学医学部を創設して、初代医学部長となりました。
北里は、終生無給で慶大医学部の発展に尽くしました。
彼の弟子には、ハブ血清療法を確立した北島多一、赤痢菌を発見した志賀潔、梅毒の特効薬(サルバルサン)を作った秦佐八郎、寄生虫の研究で業績を挙げた宮島幹之助、黄熱病の研究を行った野口英世など、世界に名だたる人材がおりました。
ばらばらであった医師の組織をまとめる目的で、日本医学会と日本医師会の創設にも尽力し、日本の医学への貢献は計り知れないものとなっています。
参考 北里柴三郎記念室
熊本(歴史・人物)
北里が東大(東京医学校)在学中に発表した演説原稿に、「医道論」というものがあります。
「国民が健康を保持して安心して仕事をし、国が発展していくことが真の医の有り方で、国民に健康法を説いて体の大切さを知らせ、病を未然に防ぐことが医の基本である」と述べています。
日医雑誌 第131巻・第7号より(pdf)
予防を医学の基本とし、研究の結果を広く国民に知らせ、役立てることの重要性を伝えるこの信念は、現代でもそのまま当てはまると思います。
日本の生み出した偉大な「細菌学の父」を思いながら、健康と予防の大切さをかみしめたいと思います。
補助金やローンなどのご相談も承ります。
お問い合わせ先
有限会社 千葉建築
〒019-0701 秋田県横手市増田町増田字伊勢堂南6-4
電話 0182-45-2325 FAX 0182-45-2304
携帯 080-1837-5342
mail kchiba@poem.ocn.ne.jp
おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。
発達した低気圧が、北日本に暴風をもたらしています。
今日の現場作業は中止し、休みとしました。
大きな被害の出ないことを祈りたいと思います。
昨日、興味深いニュースを目にしました。
アメリカのNASAが、生命に不可欠なリンのかわりに、猛毒のヒ素を摂取して生きるバクテリア(細菌)を発見したことを発表しました。
これは、過酷な宇宙空間でも生物が生きている可能性を示唆するとのことで、今後の宇宙開発に新たな可能性を広げるとされています。
昨日はインフルエンザの話題でしたが、人間はこういったウイルスや細菌という、目に見えないものに対して深いかかわりを持っています。
大概はこれらは病気の原因となり、微生物の存在が分からなかった時代には、まさに「見えざる悪魔の仕業」となっていました。
昨日の記事で紹介した「スペイン風邪」のインフルエンザをはじめ、感染力と高い致死率で、時に民族を全滅させた天然痘、14世紀のヨーロッパで猛威を振るい、人口の3分の1が亡くなり「黒死病」と恐れられたペスト、現在でも衛生状態の悪い地域で発生するコレラ、「労咳」と呼ばれ、かつて日本の明治期では「国民病」とされるほど患者数の多かった結核など、それらはこのウイルス・細菌といった微生物のなす脅威でした。
感染症には、インフルエンザやAIDSなどのように、ウイルスが原因で起こるものと、結核や細菌性の食中毒(O157、サルモネラ菌など)のように細菌が原因のものがあります。
細菌は、それ自体が生物(単細胞生物)であり、他の物質に付着したり、生き物の体内などで細胞分裂して増殖するものとなっています。
対してウイルスは、細菌よりももっと小さく、細胞を持たない単純な構造(DNAまたはRNAとタンパク質の殻)からなる微粒子で、ウイルス単独では増殖できず、生物の細胞に寄生することで増殖をすることができるとされています。
18世紀の末に、イギリスのエドワード・ジェンナーが安全な種痘(天然痘ワクチン)に成功したことから、感染症に対する医学の進歩は始まっていきました。
19世紀後半に、フランスのルイ・パスツールやドイツのロベルト・コッホによって、目に見えない小さな微生物の存在が発見され、病気にはこの微生物=細菌やウイルスに感染することが原因である、という論説がなされました。
パスツールは病原体を培養して、毒素を弱めてワクチンを作ることを考え、実際に狂犬病の予防ワクチンを作りました。
コッホは、炭阻菌、コレラ菌、結核菌などの細菌を発見しました。
コッホが教鞭をとったドイツのベルリン大学において、一人の日本人が国費留学し、彼に師事しました。
彼の名は北里柴三郎といい、1889年に破傷風菌のみを取り出す純粋培養に、世界で始めて成功しました。
破傷風菌は、土壌や汚泥などの自然界に存在し、その毒性はきわめて強く、人の傷口などから体内に侵入すると、神経に作用して痙攣などを起こし、致死率は20~50%とされています。
翌年、彼は続いて、破傷風菌を何倍にも薄めたものを他の動物に少しずつ投与して、動物の体内に毒素を中和する「抗体」を作り、それを含んだ血液成分を取り出し、人に投与して免疫をつくるという、「抗毒素血清療法」にも世界で始めて成功しました。
1890年(明治23年)の12月4日、北里柴三郎とドイツ人の同僚のエミール・ベーリングが、破傷風とジフテリアの免疫に関する論文を発表し、一躍世界的な名声を得ることとなりました。
今日は「血清療法の日」という記念日となっています。
感染症に対して、当時の日本は対策・療法ともに遅れていました。
留学して8年ほどで偉大な業績を挙げながら、祖国の医学の発展のために帰国した北里でしたが、母校の東大と対立し、日本での活躍の場が限られてしまう形となりました。
福沢諭吉の支援により、私立伝染病研究所(伝研、東大医学部の前身)が設立され、北里が所長となりました。
後に伝研は国に寄付され、政府から派遣された香港でペスト菌を発見するなど、さまざまな実績を挙げていましたが、再び東大との対立が遠因となって、研究所を辞任せざるを得なくなりました。
私財を投じて、私立北里研究所(北里大学の母体)を設立し、福沢の長年の恩に応える形で慶応大学医学部を創設して、初代医学部長となりました。
北里は、終生無給で慶大医学部の発展に尽くしました。
彼の弟子には、ハブ血清療法を確立した北島多一、赤痢菌を発見した志賀潔、梅毒の特効薬(サルバルサン)を作った秦佐八郎、寄生虫の研究で業績を挙げた宮島幹之助、黄熱病の研究を行った野口英世など、世界に名だたる人材がおりました。
ばらばらであった医師の組織をまとめる目的で、日本医学会と日本医師会の創設にも尽力し、日本の医学への貢献は計り知れないものとなっています。
参考 北里柴三郎記念室
熊本(歴史・人物)
北里が東大(東京医学校)在学中に発表した演説原稿に、「医道論」というものがあります。
「国民が健康を保持して安心して仕事をし、国が発展していくことが真の医の有り方で、国民に健康法を説いて体の大切さを知らせ、病を未然に防ぐことが医の基本である」と述べています。
日医雑誌 第131巻・第7号より(pdf)
予防を医学の基本とし、研究の結果を広く国民に知らせ、役立てることの重要性を伝えるこの信念は、現代でもそのまま当てはまると思います。
日本の生み出した偉大な「細菌学の父」を思いながら、健康と予防の大切さをかみしめたいと思います。
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有限会社 千葉建築
〒019-0701 秋田県横手市増田町増田字伊勢堂南6-4
電話 0182-45-2325 FAX 0182-45-2304
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