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秋田県横手市増田町 千葉建築のブログ

秋田県の県南、横手市増田町の工務店、(有)千葉建築のブログです。
よろしくお願いいたします。

ボウリングと宗教改革と幕末の志士たち

2010-06-22 09:11:22 | スポーツ
6月22日(旧暦5月11日 七赤 先負 癸卯)


おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。

梅雨の晴れ間は湿度も高く、体感温度は上がります。

人間は汗をかくことで体温を下げますが、これは皮膚の表面で汗が蒸発することで、「気化熱」を奪うことによるものです。

湿度が高い状態ですと、その汗の蒸発が妨げられるため、「蒸し暑く」感じます。

汗をすぐに拭けるように、ハンカチやタオルなどを利用するのが良いと思います。


今日は「ボウリングの日」となっています。

日本で初めてのボウリング場が開設された日だそうです。

時代は幕末の1861年(文久元年5月15日)、長崎の大浦外国人居留区に置かれました。

前年に桜田門外の変、翌年に生麦事件が起こり、幕末の尊皇攘夷が活発化し出した頃でしたが、1853年の黒船来航に続く開国をきっかけとして、どんどん外国の文化が日本に入りつつある時代を象徴するようなものとなっています。

ちなみに「日本人初のボウリングを行ったのは坂本竜馬」という話もありますが、長崎とグラバーと竜馬とのつながりから、「そういった想像があるのもおもしろい」とした雑誌の願望記事から来ており、確とした証拠はありません。



世界での発祥を調べてみると、とんでもなく歴史が深いことが判りました。

エジプトにおいて、紀元前5000年頃の墓から木製のピンとボールらしきものが発掘されました。

昔はピンを悪魔として、それを多く打ち倒すことで災いを避けるという宗教的な儀式の意味があったそうです。


ピンの数や並べ方はさまざまでしたが、16世紀に、キリスト教の宗教改革で有名なドイツのマルチン・ルターが、そのピンを9本として菱形に並べるルールを決め、それがプロテスタントの宗教家の間で人気のあるスポーツとして発展していきました。

17世紀には、多くのプロテスタントがアメリカに移住し、アメリカでもボウリングが盛んになりました。

やがてピンの数を10本にして、並べ方も三角形になったのが現在のボウリングとなったそうです。


日本に幕末に伝わったボウリングは、1970年頃にはプロボウラーの出現や、機械化の普及により、爆発的なブームとなりました。全盛期には全国で4000近いボウリング場があったそうです。

参考 ボウリングかつらしま ボウリング豆知識



ブーム期の盛り上がりには及びませんが、今でも気軽にできるスポーツとして根強い人気があります。

ただし私にとっては、横手や湯沢にあったボウリング場がなくなってしまい、大変に不便な思いをしています。

ボウリング場に限らず、遊戯施設があまりにも少なくなっているように思えます。

地方で人口が少ないことから、採算といった面では経営は厳しいかと思いますが、遊びの場が無いことは若い世代に限らず良い面がありません。

「遊び」や「趣味」といったことは、とかく軽く見られがちですが、メリハリのある生活をする上で重要なことだと思っています。もちろん遊んでばかりは論外ですが。

活気のある暮らし、活気のある地域ということを考えるのならば、「遊ぶこと」に関してももっと真剣に考えることも一つだと思います。


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